はてなキーワード: 機構とは
エーアイとか自動運転とか介護とかの意識高い話題だと「ハードに強い日本の可能性」とか「ハードが進化した今なら行ける」とか「低賃金でも単純な/複雑な仕事ならエーアイ導入の余地がある」とか平気で言うオジサンがいるんだよな
追記:
初めに書いたように、これは自称IT詳しい人が理解できない表現ではない。認めたがらない表現なのだ。
「自動化しやすい高度に精神的なタスクAが自動化されました。次に自動化されるのは自動化しやすい高度に精神的なタスクBと、単純な肉体労働タスクCのどちらですか」という質問を投げかけると、詳しいオジサンAは「高度に精神的なタスクBである」と正しく回答する。
これは人が理解できない表現ではない。認めたがらない表現なのだ。
そして「容易なタスクが自動化されるのは、困難と考えられている故である。機械は困難に挑戦するが、容易はいつでも攻略できるのだ」というストーリーに逃げる。逃げ込む。「われわれが容易と考えている日常タスクは、実は高度である」という認識を持つことは、非常に多くの人にとっておそらくは苦痛なのだ。
だからどうした。われわれに残されるのは安い肉体労働である。われわれの価値判断基準と、機械にとっての高度さの基準が全く直行だか逆行だかしていることがいくら不快であろうと、事実が変わることはないのだ。
ばーか。
クルトガアドバンスが売り出されているが、ホームページには書いていないかわかりにくく、実際に買わないと注意書き見えないので。
補充芯は3本以内を推奨している。
文字を書く時に、紙から芯が離れた時や筆圧の変化でで回転するため、連続で書いていると回転することができないため。通常のシャープペンシルと同じになる。
また極端に寝かせて書いたり、極端に筆圧が弱い場合も回転しないとしている。
芯が折れにくい機能は、あまり芯を出していない状態で発動する。これは当然だろう。
先端方向から芯を補充してもいけない。これも特殊機構を採用しているのであまりやらない方がよさそうだ。
ADVANCE専用ではないが、KURUTOGA専用芯がある。従来のシャープペンシルの芯は外が固い。折れにくくするためだ。これに対してクルトガの芯は外が柔らかい。HB B 2Bの3種類がある。
逆に言うと、あまりほかの製品には専用芯を流用しない方がよい。
残芯が短くなると、筆記中に急にパイプが大きく引っ込むようになることがある。
芯の太さは0.5と0.3がある、表題の型番は0.5の芯径である。
このほか
こういうことで声を荒げるフェミニストの人たちはSNSで声荒げるくらいで満足してないで、ちゃんと女性というものが性的搾取されていないかを判断する倫理機構なり作って管理してくれたらいいのに。
企業もこういうところにお金払ってチェックしてもらえばせっかく費用かけて作ったものを取り下げないといけないような自体も起こらないだろうし。
今は各フェミニスト達がそれぞれの価値観でそれぞれに「男」という集団に対して怒ってる。
まずはその価値観を倫理機構としての集団で取りまとめてもらって、ここが許可するのなら性的搾取ではないという保証を作って欲しい。
そして個別のフェミニストの意見は、「集団の男」という受け口のないふわっとしたものにぶつけるんじゃなく、倫理機構に現在の基準を変えるよう訴えるようにしたほうが現実的だと思うけどな。
それぞれ個別に文句言ってるだけじゃただの言いがかりレベルにしか思えないし、実際フェミニスト同士でもそれはいいすぎだそれは叩くべきだろと対立してたりするんじゃない?
基づいていたら既存の法で処理できるってことだし。
既存の法で処理できるなら訴訟で済むでしょうし、基づいてないなら自ら立法を図るしかないでしょう。
主語を補完してもらえないだろうか。
それは法の機構を使っているだけで既存の法に基づいていない。基づいていたら既存の法で処理できるってことだし。前半は既得権益を全肯定していて後半でヘイト認定でしかなく、意味があるともフェミに対して有効とも到底思えない。
クッパ姫を任天堂に公認させようとかいう意味不明な話が流れてきて、あー海外発だとコンテンツに評価が付いたらビジネスとして盛り上げなければいけないという話になるからそうなるよね、と思って見てたわけですが。同人は公式の黙認で成り立ってるからやめろって反対が起こるわけですよ。文化的背景から言えばそりゃそうだ、やめろ、と思うわけですが。
「公式の黙認」ってなんだよと。同人は若手が勝手に絵を描いてプロになる下積みとして機能しているわけじゃないですか。お前ら公式はどこから来たの? と。1980年代には宮本茂は死ぬ思いでマリオをゼロから創作したかもしれないし、手塚治虫はディズニーの丸パクリから全く新しい世界を築いたかもしれないし、彼らはPixivに版権絵をうpして絵を覚えたわけではないだろうけど、今の中の人は同人作家ばっかりじゃん。お前ら古巣の同人界に戻ってきてフリーライドしてるじゃん。
同人黙認システムが機能してるのは公式絵師が苦痛に思うからではなくて、既に「内容は把握しているし想定通りだし何も問題ないけど版権処理がめんどくさいから」「原作者以外のステークホルダーが睨んで止めるから」に切り替わってるよね。なんで止まるかって損するかもしれないからっていう反ビジネス的発想のせいだよね。オポチュニティの喪失ですよこれは。川上稔なんか自作のオンリーに申し込むんだぞ何買ってるのか知らないけど。
「販売する予定はないし、版権元にライセンスする気もないし、どこにも痕跡を残す予定もない。だから消せ。配るな。売るな。儲けるな。わたしを干せ」という主張は、不正な著作権の主張だ。著作権ってのは中世欧州において出版社が割れを売り捌く現象が多発したせいでできた権利だ。印刷所が薄い本を勝手に再生産して勝手に薄い書店に卸し著作権者が印税を干されて死ぬような事態が横行したか何かだ。そのために著作権者がまず正当な印税収入を確保するための出版物の独占的な発行権、つまり著作権を得て、金銭的収入を保護されることになった。もちろん現代では無尽蔵に拡大されて著作物の配布まで制御できるようになりそして同人黙認や同人誌のDMCA取り下げといった機構を提供するに至っている。だが、著作権は金銭的収入の保護のための権利だ。原理主義的には金銭的収入や社会的地位を得ない方向への制御は目的外の利用だ。「望まない形で公開されると盛り上がりが薄れる」はOKだが「盛り上がりすぎると困るので控えろ」は著作権概念の精神に反していて必ずしも保護される意志ではないのだ。
同人黙認グレーゾーン機構は、その核心に「このコンテンツをビッグにしたくない」という自死願望を組み込んで動いているために、現実的には機能しているが理論的に破綻しているのだ。このグローバル化の時代にあって(いつの言い回しだ)は早晩崩壊を免れない。それが日本から始まるのかコミケが海外のコンベンションに規模と薄い本の質で負けて海外から輸入されてくるのかは分からないが、いい加減になんとかならんのかこれ。
北海道なんて冬の寒さが厳しい土地を何故選択するのか。と関東から北海道に越していった知人に問い掛けたい。
彼ら、彼女らは原発事故で住み慣れた土地が侵された時、易々と故郷を捨てた。放射能汚染からも逃れ、子供の為と言って不要な人間関係を断ち、北へ赴いた。だから、正直わざわざ北へ行き被災した人達の事など知ったこっちゃない。日本は狭い国だ。どこに居ようといずれ震災にはまみえる。そういう時引っ越すのも逃げるのも手段の一つだと心得ている。
ただし、そういう自己都合で移動した人達が住みやすさを求めて環境を思いのままに変化させるのは間違っている。北ではなく西にも、沖縄にも暮らしやすい環境は有ったはずだ。北海道は資源に恵まれた大事な土地だ。それは理解している。小樽は素晴らしい所だったし、何十年後もあの観光地が栄えていて欲しいと願っている。
しかし、だからこそ再稼働は絶対に許せない。住み慣れた故郷の公園は、放射能汚染で今も汚染度が看板に表示されている。震災直後は最も物々しく、黄色いロープが張られていた。今だって北海道民は身に染みて感じている事だろう。震災は海外からの観光客をも途絶えさせてしまう。そんな時原発事故がもし起こっていたらどうなるか。日本の安全性は失墜し、海外からも大きく批難される。今まで寂れた村として紹介されていた限界集落に益々人が訪れなくなる。二日間停電が起きていたとしても、それで死者が出たとしても、津波による被害の比ではない。我々は、東日本大地震を通じて学んだはずだ。原発は今の日本には荷が勝ちすぎる。国民の大半はその機構をよく知らないまま恩恵に預かっていた。リスクを考慮しないまま、安全神話にもたれかかって居た。誰に何を言われようが、北海道の未来を奪って欲しくない。
風力は駆動部があるが、機構としては既存火力などよりもだいぶ単純だから、数が多ければ破損するものも少ない。
太陽光は駆動部がないから、パワコンの破損がなければすぐに動ける。
ただし、風力も太陽光も系統につなぐには、周波数を合わせる必要があるから、系統の電気が来てない状態ではあくまで独立でしか動けない。
蓄電池を増やすしか無いんだろうね。北海道はただでさえ風力、太陽光に向いている(土地が安い)が系統がいっぱいなので繋げない問題がある。
受給調整用の蓄電池が多ければ風力や太陽光も通常でも動けるし、一旦系統の電気が来れば、再び系統につなげる。
例えば、夜間の1時間でも北海道中の電力を蓄電池で賄うことができたら、その時に風力(太陽光は夜なので動かない)、残存火力を再起動できたかもしれない。
日大の問題にしろ、これらの炎上機構には飽きっぽいファイアスターターの他に「消し炭となって潜伏し続ける」アレな人っていう存在が必ずいるからな。
この人たちが法や論理、倫理を無視して毎日組織にフラックスを塗って行ってくれる。
この存在こそが本質的な問題であり、排除しづらいからこそ炎上を起こしたくないというのがあるのだろう。
なお、ヘイトスピーチ関連法だと以下の法があるみたいだけど主語が「国」「地方公共団体」だから微妙に営利的企業には適用できないみたいだな。コンプラ方面からつんつんしたい人はもっとほかの法律を探してみよう。
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=428AC1000000068
『日本の高校野球の「アガリ」が良く分からない』と言われても、逆に良く分からないと思うが、
高校野球に挑む選手たちの目指す人生プランが良く分からないと言うか、この舞台に挑む最終目標が良く分からないと言うのか。
例えば、高校野球で甲子園に参加する人の「野球での最終目標」としては以下のような物が私には考えられる。
1.甲子園でより多く勝つ
4.オリンピックに出場する
1で目標を達成するなら肩を壊したり熱中症で死ぬようなプレイの仕方も理解できる。
2を目標とする程度なら、日本球界はそこらへんを貴ぶのでなくはない
しかし、「一般人」が傍から見ているに今の野球を職業に目指す選手たちは、メジャーを最終的なプランとして夢見ているように思う
その観点からすると、糞見たいな選手の起用方法をする高校野球が選手をどうしたいのかが良く分からない
何試合もたった一人の選手に100超球を投げさせるようなことにおいて、どこの舞台が大事にするのか
では、高校球児が甲子園で勝つことだけを目指しているかと言うと、どちらかと言うと、常に心の隅にプロと言う希望がある受け答えや末路が見えてきている
かと言って、日本のプロ野球機構がアガリかと言うと、日本プロは踏み台みたいな今の状況。
本当の所、高校野球に打ち込む人たちの、一番のアガリはどこを目指しているのだろう。
何というか、そこら辺に高校野球の運用方法が全く適していないという感じがして仕方がない。
目指す先が、色々変っているのに、高校野球の制度が大して変わっていないのだから。