はてなキーワード: 忘年会とは
忘年会か…。
「コロナ流行ってるのに?」って言う無粋な事は抜きに、忘年会が羨ましく感じる。
一年の区切りを仲間同士で実感し合って笑い話にするって言う機会。
独りになって改めてその機会の大切さが身に沁みる。
会社員の頃は、面倒くさいしコミュ障だから、仕事が忙しいってサボってた。
けど、なんだかんだ言って終わりがけに顔出して、酒飲んで、たわいもない事話して。
良い憂さ晴らしになっていたんだなって思える。
独りになってこの3年。忘年会なんて一度もない。
コロナ対策、割り勘の飲み会でケチって飲むみたいな感じだ。割り勘だから自分がガンガン飲まなくても他の人の分も払わないといけないんだけど、自分ができるだけケチれば少しだけ支払額が安くなる現象。
ひとりひとりの頑張り(マスクする、飲食店行かない、旅行行かない、リモートワーク)は割り勘でケチってあまり飲まない感じ。忘年会行くやつとか、マスクしないやつは割り勘のときにガンガン注文してどんどん飲んで、他の人に自分の分も払わせるやつ。
この原理、かなりストイックなケチじゃない限り個人個人が対策をするメリットが見えにくいので、何らかの仕組みで抑えられるといいんだけど。
先日総理が忘年会やってたってんで見事にメンツが老人ばっかだったけど、大なり小なり俺の周りでもこんな。
この前どっかの元社長さんもコロナになったのに元気いっぱい毎日動き回ってたけどすごいよくわかる。
まず偉い奴っていうのは周りが忖度するので、「飲み会しよう!」って言い出したらもう止まらない。
周囲がやんわりと止めても「うるせえ!やるんだ!(ドン!)」で終わる
偉い奴がやるといったらやるしかないので、周囲は「まずいのでは」と思っていても決行するしかない
総理の忘年会もあのメンツの中で、絶対に誰か数人(俺はガースーではなく二階とかじゃないかと思ってるが)が「忘年会する!」って喚いたんだと思う
俺の周囲でも先日から忘年会が何度か開催されていますが、全部どこかのお偉いさんが、やるんだやるんだ、って言って決行してるパテーン
ゴルフとかなんとかもそう。
偉い人はほんともう、誰も怒ってくれるひといないからね。怒ってもプライド高すぎて聞かないし
ほんで、今飲食業界は苦しいので、お偉いさんが忘年会やってくれるとお店は嬉しい訳なんだよ
そうすると店長は「社長さんありがとう!」って褒め称えてくれるのでまたドヤドヤした偉いさんが「おう! またやろうか!」とか言うわけだよ
世間では「今忘年会なんてドン引きだわ」だろうけど偉い人の周囲では「今忘年会やってくれるなんてありがとう!これで年を越せるよ!」って声しかないんで、勘違いしてるわけですな
なんであの辺の老害爺共をなんとかしないと無理だと思うわ
感染者も着々と増えてて、忘年会を取りやめたり里帰りを中止している人も多いだろう。
その感染予防の姿勢自体は素晴らしいが、はっきり言って無駄な努力……というかむしろ損をしている。
医療崩壊が間近に近付いている今の日本での最適解は、コロナに人より早くかかって、重症者向けの治療を受ける、これに尽きる、
感染が蔓延し医療崩壊しても、日本は北欧のように死にかけの老人を放置して若者の治療を優先することはまず無い。老人を切り捨てれば選挙で勝てなくなるし、そもそも政治家たちも老人なのだ。自分たちが治療を受けるときのことを考えたら絶対に老人の切り捨ては行わない。
そうなると、ICUは死にかけの老人で埋まり、順番待ちも暇な老人たちが毎日大挙を為して詰め掛ける。若者は何週も後回しになって結果的に重症化し死んでいく。
俺、金曜と来週忘年会だわ
コロナ禍で忘年会も新年会もなくなり、今後もこうした会合が消滅するのは確実だ。もうずっと業務時間外の集まりはない。
世間一般、特にWeb上では忘年会等の会社関連での集まりがevilとされて久しいけど、自分の勤務先では特に強制される事もなく、参加すれば確実に楽しい時間が過ごせる。
私は1人暮らしで周囲に知人など皆無なので、業務に関係のない他愛もない話をしたいのだ。
そんなことは自身のコミュニティでやれと言われるだろうし、それを求めていろいろ参加したこともあったけど、結局属性が似ていて話が合うのは社内の人たちだった。
個人的に電話で話すようなことでもなく、ただなんとなく、ワイワイ場を共有するのが好きで。
新年度だから、プロジェクトが終わったから、何はないけどたまにみんなで行こうか、でなんとなく集まっていたのが一切なくなると、こんなにも雑談的会話をする機会がなくなるのだな、と衝撃を受けている。
旨い食事と酒を味わいながら、敬愛する上司やメンバーとじっくり話をしたい。
今後劇的に事態が収束することもなさそうだし、もう叶わなくなってしまった。
寂しいな。
本日12月16日をもってコロナとの戦い所謂「勝負の3週間」が終わる。全日本国民の功績を後世に伝えるため、その戦いぶりを以下に記す。過不足あれば随時更新する。
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統計の数値は厚生労働省オープンデータより https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/open-data.html
助けてください。
数十名での大規模忘年会です。
社長がさわぎたがりやなのでどうしても強行突破するつもりです。
と確実に炎上騒ぎにしていただけませんでしょうか。
数カ月前に決められて、しれっと参加ということになっていました。
どうか。たすけて。
私はそのコミュニティの中で最年少だった。
なぜ私がそのコミュニティに入ったのか、正確なところは覚えていない。
たしか最年長のAと、なんとなく憧れていたBに、参加してくれないか、と声をかけられたのが始まりだったような気がする。
自分は落ちこぼれだと思っていたので、優秀なAとBに声をかけてもらえて素直に嬉しかった。
そのコミュニティでは、AとBが私をいじって、いつもニコニコしているCと美人なDがそれを嗜めるというのがお決まりのパターン。
いじられ役というのはとても楽で、共通の目標もあったということもあり、居心地がいいコミュニティだった。
私がそのコミュニティに属してから約半年後に訪れた、とある年末。
C宅は、その父が所有する高級マンション。
確か兄弟と二人で住んでいると言っていた気がする。
部屋から夜景が見えて、みんなで「この部屋エロすぎだろ!」と盛り上がった。
たんまり酒を飲んで、文字通り歌い踊り、その年というより、約1年半後に控えた共通の目標を忘れるため、盛大に騒いだ。
メンバーのうち、私、A、Eがその家に泊まらせてもらうことになった。
それぞれ部屋を割り当てられて、私は一人でリビングのソファで寝させてもらうことにした。
酔いも手伝ってすぐに寝入ったところ、履いていたズボンを誰かに脱がされたことに気づいた。
何が何だかわからず、うっすら目を開けて見るとCが私にまたがっていた。
体が固まった。声が出なかった。
なんで私なのかわからなかった。
眠れないまま朝になった。
Cはいつもどおりニコニコして「朝だよー起きてー」と私を起こしにきた。
怖かった。
飲み過ぎか〜?と心配された。
でも、いつもいじられている私がそういう対象になること、いつも温厚なCがそういうことをすること、どっちも信じてもらえないと思った。
結局何も言えず解散した。
何事もなかったかのように年が明けた。
生理が遅れた。
あの一月半本当に怖かった。
妊娠していないことがわかって安堵した私はようやく友だちに相談できた。
号泣した。
その子も一緒に泣いてくれた。
然るべきところに相談に行こうと言ってくれた。
でも怖くていけなかった。何が怖かったのかわからないけど。
コミュニティを抜けた方がいい、と、後押ししてくれた。
ひたすら怯える私を心配して、友だちが、Bに、私とCがトラブルになっていると話してくれて、無事にコミュニティを抜けることができた。
それから2年が経ち、性被害についての研修を受ける機会があった。
それまであの夜のことなんてすっかり忘れていたのに、急に思い出して涙が止まらなくなって、部屋を飛び出し、トイレに駆け込んだ。
フラッシュバックだと教えてくれた。
心に傷が残っていること、そしてその傷が癒えていないことに初めて気づいた。
Cだった。
仕事の依頼だった。
血の気が引いた。体が固まった。動悸が激しくなった。
私が、私の体からすーっと離れていった。
私の体は、親しい旧友と楽しく会話していた。
眠れるだけマシなのかもしれない。
指でこじ開けられる感触、声が出せない、ねじ込まれる痛み、体が動かない、口に広がる味、怖い、込み上げる吐き気、なんでかわいくもない魅力的な体でもない私なの?
あれからもう長い年月が経っているのに、全部鮮明に思い出せる。
女一人で泊まらなければよかったのに。
口に含んだまま、服が乱れたまま、家を抜け出して、交番に駆け込めばよかったのに。
いや。私は悪くない。そう思いたい。
今日はぐっすり眠りたい。
私はいまのところ極度の流行地域ではない地域の病院の某科で診療をしている。感染症や呼吸器の専門ではないので直接コロナ患者を診ることはほとんどない。当直や発熱外来でコロナ疑いの人の診療をすることはある。
だから、現在自分の業務が逼迫して追い詰められているわけではないのだけど、医療従事者の一人として、旭川の病院が医療崩壊におちいっているニュースと、にもかかわらずいまだに大雑把なGo to イートを推進し続ける国の状況に絶望しそうになっている(雑じゃなくきちんと、一人ごはんやテイクアウトなど感染拡大をなるべくさせない方法を推奨するならいいと思うんだけど)。
どの地域であってもこのままいけばクラスターが発生して病院が機能不全に陥ることは起こりうると思う。年末年始が怖い。
どんなに感染対策をしても、感染者の多くが無症状であるCOVID19は感染を100%防ぐのは困難だ。医療従事者であっても(以前、関口さんが医療従事者なのになぜ感染するのかと宣ったことがありましたが)。
医療従事者はだいたい毎日何十人という患者と接している。患者さんに接するときマスクとアイガードをしていて(少なくともうちはそう)、接触の度にアルコール消毒をしているから大丈夫じゃないかと思われるかもしれないが、それでも防げないこともある。たとえば、患者さん側がマスクはしていても不織布マスクではないこともある(相手が不織布マスクじゃないと接するこちら側の感染リスクが大きい)。マスクをしていると、それ以上のことを求めるのはなかなか難しい(熱と咳がある患者さんには不織布マスクを渡しているところもあるかもしれないが)。
そしてなるべく距離を保って会話をしたいのだが、耳が遠い人もいるので、診察室で最初になるべく離して椅子を置いていてもだいたい患者さんは椅子をずらして近づいてくる。近づいたうえで大声で話さないと聞き取れない患者さんも本当にたくさんいる。そうなるとお互いにリスクである。
だから、今日診た(熱のない通常の診療を受けに来た)患者のなかにひとりでもコロナ感染者が混じっていて、運悪く感染ることもあるかもしれない。オンライン・電話診療をするというのも対策のひとつだと思うけど、高齢の方など画面越しの会話は難しいことも多いし、対面して話すというだけで医療者にとっては患者の体の具合やどれだけこちらの説明が伝わったかなど、声だけ、画面だけより格段に情報量が多く治療方針を決める上での判断材料になるのだ。コロナ流行下ではやむをえず電話再診をしたりもするけど、その弊害もあると思う。なんらかの症状のある患者は身体所見を診ることも必要だし。
というわけで病院で診療行為をしていること自体、人と近いところ、せまいところで会話し接触することもある行為なのでどんなに対策していても感染は起こりうる(これは病院、医療にかぎらず、お店の接客とか仕事上そうせざるをえない人はみなそうだと思う)。それでも多くの病院でいまのところ院内感染が起こらないのは、話が逆になるようだけど冒頭にいったように手洗いやマスクなどの感染対策を徹底しているからだと思う。
それでも地域の感染者数が増えるほど、その対策をすりぬけて運悪く感染する率が上がり、クラスター発生→医療者が感染すると一時欠勤せざるをえない→もともと病院の仕事量というものは一人でも欠勤するとやばいことになる。それが複数ともなると残りの人の負担が想像するだけでおそろしい→医療者疲弊→そこにさらに患者が増えると皆つぶれてしまう…ということになるのだ。
旭川の病院のインタビューを読むと「予想していた以上に感染のスピードが速かった。ある程度の人数で抑えられるとたかをくくっていたが、こんなに一気に感染が広がるとは思っていなかった」と答えているようだけど、「たかをくくる」などの表現で誤解されないといいんだけどと心配している。感染防御はきちんとやったうえでこうなっているのだろうし。大事なのはそれだけ感染の広がりが速いということのほうだ。
専門でもない私がだらだらと雑感を書いてしまったけど。
私などが書くまでもなく、感染症の専門家が必死でCOVID19の特徴や対応策を国民に、そして国に毎日のように説明して訴えているのに。それに対して国が真剣に受け止めて考えてくれていると感じられない。見離されているような気持ちになる。
別に経済を止めろといいたいわけじゃない。最初の方に書いたように飲食店を助けたいなら、個食やテイクアウトのすすめや、店舗の感染対策のための補助金をだすとか、旅行についてもマイクロツーリズムだとかいろいろ提案されているはずなのになぜそれらを声を大にして推奨しないのか。
少なくとも旧来の大勢が集まって騒ぐタイプの忘年会にはしないよう呼びかけないと年末年始大変なことになる。
医療機関も年末年始体制に入るし。まあ総合病院の年末年始は短いと思うし(1月4日には平常になるところが多い気がする)、例年と同じ年末年始体制がとれるかどうかはわからないけど。たぶんコロナに専門的に関わっている人は休めない可能性もありそうで、それを思うと本当に心が痛む。もちろんこれに関しては行政だけじゃなく、病院、医療者自身も考えるべきことだと思う(実際、専門科じゃない医師が応援医師としてコロナ診療をやってたりする)。ただ、本当にいまコロナ診療で身も心も疲弊しながら働いている人に対して、その負担を少しでも軽くするという姿勢を政策として見せないと、ただでさえしんどいコロナ診療へ積極的に志願する気持ちにはなりづらいし、医療者の心身に限界がくる。