はてなキーワード: 売れ筋とは
以前これを書いたんだけど、
https://anond.hatelabo.jp/20190204234753
最近久しぶりにスーパーの売り場を見たらまたパッケージがリニューアルしており
白地に濃ピンクから白地にゴールドのラインが上下に入り蓋も金、
ところどころに水色やピンク、濃紺と銀の恐らく乳酸菌をカリカチュアしたマークが散らばるデザインに変わっていた
全体の印象としては白と金で、ピンクのときよりもパッと見の印象が
「無糖」「なんかよさそうなものが入ってそう」な感じのスッキリしたイメージになっていた
以前はなかった手書きのPOPで「こちらは「無糖」です!最近の売れ筋!」といったことが値札の隣に書いて掲げてあり、
やっぱりパッケージが白に濃ピンクの時点では無糖だとわりとわかられていなかったんじゃないか…と思った
この商品はこういうパッケージ、という長年のすりこまれたイメージがあるようなものでは余計ありそうに思う
(観測範囲の問題だろうがパッケージや商品の説明を全く読まない層というのは結構存在する
特に買い物に慣れきっている年配の主婦(母やその周辺)や「いつもの」購入物が決まっている人達はそういう傾向がある気がする)
https://nendai-ryuukou.com/2018/movie1.html
条件
1. 内気なアニメオタクがクラスのイケメン・美少女に恋をする
該当作なし。
該当作なし。
「暗殺教室」とか2に該当すると思ってそう。
いちおう「バクマン。」が1に該当か。
内気ってわけでもないが。
「神さまの言うとおり」が2に該当。
これも厳密には殺し合いではないが。
該当作なし。
該当作なし。
「悪の教典」とか2に該当すると思ってそう。
該当作なし。
「GANTZ」とか2に該当すると思ってそう。
「インシテミル」は殺し合いのデスゲームだが中学・高校生同士ではない。
ランキングに載ってない作品も含めた公開リストをざっと眺めても、
デスゲーム系はそもそも多くないし(刑事ものやクライム・サスペンスのほうが圧倒的に多い)、
漫画原作の恋愛映画は多いけど、その主人公が「内気なアニメオタク」であることはほとんどない。
元増田に漫画原作恋愛映画の主人公が誰でも「内気なアニメオタク」に見える呪いがかかっているか。
元増田にサスペンス映画なら何でも「高校生同士の殺し合い」に見える呪いがかかっているかだ。
追記。
ミスミソウだの3D彼女だの言ってるブクマカは「ランキングから」という文字すら見えないのか。
(つかミスミソウはバトロワの系譜という意味での殺し合いじゃないだろ)
というと今度は「ランキング以外も見ないとおかしい」と言い出しそうだが、
よくできたまとめ。
かくいう自分はロストメビウスあたりで離れた組(※と、いいつつ結局今でもどこか目の端で作品群を追いかけている)
このあたりの解説もまさに増田の言うとおりで、作品のテーマが難解になって、作者の言わんとしているところと作品読了後の自分の得たいカタルシスが一致しなくなったため。
自分がブギーポップに求めていたのは第一に『笑わない』のような多重構造のミステリーを通して語られる世界というものの複雑さと適当さに圧倒される閉塞感。
第二に『パンドラ』『ホーリィ&ゴースト』『冥王と獣のダンス』『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』で示されるような、閉塞的な世界において個々の人生という名の運命=<試練に立ち向かう戦士>の話。
第三に、前項ふたつの要素が組み合わさって終幕を迎えた物語におけるカタルシス。
初期作品は間違いなくこの三つの要素で形作られていたといっても過言ではない。
そして著者のあとがきで語られる分析と考察と独白みたいな結論(通称:上遠野節と言われる)がこのカタルシスに絶妙な味を与えてくれて、二週目以降の読破にも興が乗る。
このカタルシスだが、二期後半以降かなり薄れる、
具体的にはまさに増田が触れているとおりで、ロストメビウスとそれ以降の作品群。
『世界の謎要素』が強くなった二期以降のブギーポップにおいて、ロストメビウスは作品群として重要な位置づけにはなりえても『戦士』よりも『世界の謎』を優先したために作品単体としての完成度が低い。
そのわりにロストメビウス以降も大筋でブギーポップの世界観に進行があったということはないので、かなり肩透かし感がある。
そして二期作品以降はこの傾向が加速して、世界観に一切進行のない肩透かし感(「結局あれはなんだったのか」)が続く。
その原因について、ブギーポップを含む作品群についてを含めてこのblogがすばらしい考察を書いているのでリンクを張っておく。
http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2019/01/03/135038
もともと上遠野氏の作風はストーリー自体がもともとスタンドアローンで、ストーリー同士をつなぎあわせることで全体が見えてくるというミステリーみたいなスタンスだった。
つまり最初期における『笑わない』で用いられていた手法が、今度は作品群全体において用いられるというスケールアップが面白かった。
したがって、巻が進むごとに世界の謎が徐々に解き明かされるというミステリーっぽさが熱狂的なファンを生んだ。
しかし二期後半くらいから過剰になってきたために、年単位で放置されてきた伏線が増えてきたことで、作者の中でネタの賞味期限が切れてきた、というのが正直なところではないだろうか。
この賞味期限の切れ具合から起こったネタの在庫整理が、そのまま上遠野氏における二期、三期の切り替えの時期に一致している感じがある。
したがってこの賞味期限切れの結果、世界の謎要素は徐々に手仕舞いしなければならなくなる。この手仕舞いが「ヴァルプルギスの後悔」である。
ではそれ以降のブギーポップはどうなるのかというと、作品全体を覆う世界の謎がなくなってしまったので、あとにはスタンドアローンになったストーリーしか残らない。
筆者が特にこの傾向を感じたのは「沈黙のピラミッド」あたりであり、確信したのが「化け猫とめまいのスキャット」あたりである。
この辺になってくると、もはや世界に謎がないのでスタンドアローンで作品を見ていく以外に楽しみ方がない。
もともと外伝作品とスピンオフのかたまりだけで構成されていたブギーポップシリーズが、それでもシリーズの体を保っていたのはブギーポップの存在と世界の謎だったのだが
世界の謎がなくなったことで(※まぁ、振り返ってみるともともとそうではあったのだが)ブギーポップシリーズが明確に単純なスピンオフの塊シリーズとなった。
類似作品としては「地獄少女」みたいなものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。
ブギーポップの魅力が一番詰まっているのはやっぱり原点である「笑わない」とそこに連なる初期9作品、ロストメビウス手前までの二期前半だと思う。筆が載ってた時期が一番面白かった。
個人的には「ビートのディシプリン」シリーズこそ真骨頂だと思っている。<世界>と<戦士>の構図をカタルシスと共に描くことにかけては著者の作品でいまだ右にでるものがない。
時系列的にも世界の謎がもっとも沸騰していた頃だったので、ここまでは大きな流れが見えて面白かったように思う。
二期後半以降から作者はたぶんブギーポップ関係とは別作品を書き始めて、ブギーポップの位置づけが自分の中で変わってしまったんだと思う。
やりたいことをやるために別の枠が用意されているなら、ブギーポップではもはやそれをやる必要はない。特に<ヴァルプルギスの後悔>という大仕事を終えてからはそれが顕著である。
したがって初期作品に見られたカタルシスは二期作品と並行で書かれた著者の別作品できちんと得ることができる。
たとえば<戦士>と<世界>の構図の代表作であれば『冥王と獣のダンス』や『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』
そして<世界の謎>=ミステリーであれば『しずるさん』『ソウルドロップ』があげられる。
つまりこの辺から上遠野さんは、やりたいことがいろいろとできちまってブギーポップについてはとっちらかし始めた感じがあり、最終的にもともとそうであったようにスピンオフとスタンドアローンストーリーの寄せ集めに落ち着いた感じがある。
すでに二話まで見てみたが、まぁこんなもんなのか?という感じ。
もっとカットを多様してキーワードとなる台詞にはキャラクターの口元を映したり、必要なシーンを瞬間的な回想で一瞬だけ挿入させるなど、雰囲気を出すためにシャフト的演出が必要なのではないか。
シーンごとのつながりは見た人に分かりやすいつくりにはなっていると思う。
ただ木村君を出さないのはどうかと思う。「笑わない」を読んだことがある人にはわかると思うが、通しで読むと途中までは単なる青春ストーリーでしかなかったものが
木村君のチャプターから徐々にストーリーの肝へと近づいていく、いわば切り返しのチャプターなのだ。
というよりそもそも三話か四話程度で「笑わない」をやってしまう今回の計画自体に無理があると思うのだがどうなのか。
聞くところによると中盤から後半は「vsイマジネーター」をやる予定らしい。
上遠野氏にとって間違いなく重要な存在だったイマジネーターだが、多分筆者の雑感ではおそらくまだこのテーマは著者の中ですっきり終わってないまま放置されている。
原作がまだすっきりと終えていないものをアニメ化したところで面白い話になるはずもない。
個人的に監督に対する批判としては、アニメ化するなら上遠野氏の作品のなかでもスタンドアローンできれいに完結しているものを選ぶべきだった、と言いたい。
何かと話題になる『笑わない』とか『イマジネーター』ばかりに目をやるのではなく、形としてワンクールに綺麗に収めやすい初期の作品なら
『ペパーミントの魔術師』『ホーリィ&ゴースト』『エンブリオ侵食・炎上』『パンドラ』があったではないか。
初期作品の趣を正当に継承しつつ、ワンクールという短い話数でまとめやすくきちんとカタルシスを与えられるストーリー強度を持っているのは間違いなくこの四作品だ。
三期以降の著者の作品は手にとっていないので分からないというのが正直な感想だが
懸念していることとして何点かあげておきたい。
成熟期~衰退期にある現在の日本は、当時の熱狂からの急速の冷却時期をある種越えて、落ち着いた感じがある。
またITの広がりを受けて知識を得ることが一般かつ容易になったために、今まで知らなかった社会の謎や不満、不安が解き明かされつつある。
少なくとも「自分の感じていること」が何なのかを社会的な構造や論理できちんと説明できるようになった。「何がなんだか分からなかったもの」から、少なくとも「原因はこれなんじゃねえか」と言えるような、手触りのあるものにまで落ち着いてきた。
そしてエヴァで示されるような自分自身の心理的な問題や、ガンダムのような社会と自分との対決ではなく、もっと普遍的なある種受け入れざるをえないような構造上の問題として理解されつつある。
働き方も人生に対する考え方も将来に対する展望も、今の若い人たちはよりリアルで現実的だ。
自己実現の形も身近で多様になってきた今、閉塞感を主要な題材として手探りで作品を作る事は普遍的とはいえやや共感が難しい。
ある種のカウンターカルチャーから始まっているとはいえ、ストーリーの路線はもっと王道的なものへ回帰する必要があるのではないか。
いまの若い子たちのほとんどは迷いがない。情報がたくさんあり、そのことに慣れているので、彼らのほとんどは過去90年代に存在していたような迷いや苛立ち、先行きの見えなさというものからきちんと卒業している。
先行きが見えないレールとして見るのではなく、多くはレールを立派に相対化して統合評価し、少ない選択肢のレールの中から自分の納得のいく選択を手にして自分の人生を生きている。
平凡ではあるが、意思ある存在としてその平凡さを選んでいるのだ。わけもわからず梯子を登り続けた90年代を背後から俯瞰して「だいたいこんなものだ」という感覚を肌で分かっているのが00年代だ。
したがって、振り落とされて振り回される世代ではない。また将来に対する不安はあれど、道しるべや指標、解析ツールは探せば手に入る時代に、無理をして多くを手に入れようとはしない。
したがって、ピート・ビートが感じていたような不安感は、物語の没入のためには役立つが、そこに共感を感じさせる要素は見つけにくいだろう。
過去SFは現実の社会を映すものであり、社会の謎を解き明かす鍵があると考える読者も多かった。それがカルト的信者を生んでいた一面もあった。
しかし現在の若年層にとって、SFが提供する社会の謎はエンターテイメントの一部でしかない。
したがって<世界>と<戦士>の構図も同様に、エンターテイメントとしての構図に終始するか、あるいはこの時代における新たな<世界>と<戦士>の構図を再度見つけなおさなければならないだろう。
一言で言ってしまえば、セカイケイはもう終わってしまって古くなった。
人々は自意識というものについての興味を、以前ほどにはもっていない、ということだ。
したがって、意識というもののあり方が大きく変わってしまった以上、<世界>と<戦士>のあり方も本質は変わらずともあり方を変えて描かざるを得ないのではないか。
知っての通り、上遠野氏はジョジョの熱狂的なファンであると同時に、洋楽から多数の引用を行う。
これはあとがきに書かれている通りだ。
これはこれで悪くない選択だとは思うし、古典に学ぶことが創作の近道なのだが、現代のサブカルチャーとその源流についてももう少し学んでいいのではないか。
現代っ子が引用するサブカルチャーのほとんどはpixivはニコニコ動画が主流である。
そして引用のされ方にも傾向がある。
売れ筋に寄せろといいたいわけではないが、そもそも主戦場がライトノベルであるから、ハードな戦い方(※つまり正統的なSFとミステリ)をしていても遠巻きに眺められる終わるのがオチではないか?
もう立派な大御所なのだから売れるための本を書く必要はないのかもしれないが、もっとキャラクターがきちんと動くストーリーを書いてくれたっていいのではないか
ファンサービスのありかたも商業小説のあり方も変化してきたのだから、もうちょっと寄せてくれてもいいのではないか。
そんな気がする。
メソッド本や自動生成プログラムをリリースするなら善は急げだぞ
しかも若者だけじゃなくてかなり上のおっさんじいさんらも食いついている
おこもりプレイスみたいなのが引く手あまたになる
発表サービスを上手く作ったら必ず儲かる
気になってもっときちんと調べてみたら、2018年5月の口コミで
「2018年CASSIOシェア急低下、大ピンチ!」とか出てきて草しか生えない
1位ヤマハ34.14%、2位コルグ29.35%、3位カシオ15.03%、4位ローランド13.32%、5位カワイ8.15%なんだと。
http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000989911/SortID=21803141/
こっちはソースに当たれなかったが、この感じでは嘘ではなさそうだな。
「いずれにせよ、YAMAHAシェア1位返り咲きは確実でしょう。」とか書かれてるし。
BNC Award 2018 を受賞したコルグだったらしいな。「寡占しているカシオ」でもなく。
https://www.bcnaward.jp/award/section/detail/contents_type=234
過去5年を見ても、寡占どころかカシオがシェアトップになったのは一度だけ。
あと価格コムの電子ピアノ売れ筋ランキングを見てみた。1位の製品はヤマハだぞ?
過半数どころか3割も切ってて、しかもシェア1位ですらないっていうww
https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/maker-electronic-piano/2
「本格的な練習というよりは弾きたい時に気軽に弾いてピアノを楽しみたい!という大人の方にオススメです。」
「最近では30万円を超える本格的な電子ピアノを発売しましたが、ヤマハ・カワイ・ローランドの
3大メーカーの牙城(がじょう)を崩すにはまだ少し時間がかかりそうです。」
ヤマハ・カワイ・ローランドが3大メーカーって言ってるんだが?w
寡占してるメーカーが「3大ピアノメーカーの牙城を崩すのに時間がかかる」ってどういうこと?w
やっぱりどの記事見てもカシオは低価格帯の入門者向けとしか書いてない。
口コミレベルでいろんな製品の評価とか、どのメーカーの製品を買うかの相談も見て回ったが、
俺の感覚と合う「カシオは普通のピアノを弾いている人からするとありえない選択」ってのもいくつか見た。
同時に、カシオも最近は随分よくなってきてはいるという情報もみかけたが、
良くなってきてるってことは逆に言うと業界ではまだ大した影響力も支配力もないってことだな。
少なくとも3大メーカーを押しのけて「寡占」と言われるほどの実力があるなんて情報はどこにもなかった。
コルグもカシオも一番需要が大きい低価格帯向けに注力する戦略なので、それで見た目のシェアが大きいだけだな。
こういう風にきちんと調べたら、やっぱヨドバシ店員の話はどう考えても嘘くさいわ。
昔からピアノをやってて、昔からのカシオの評判とか知識を持ってる人が
この現状で「カシオ寡占」っていう表現してたのが本当ならその店員やばすぎ。
なーにが「はてブのレベル低くて失笑」だよwwww それはこっちのセリフだわwww
技術力も3大メーカーに追いついておらず、入門者向けしか作れないってだけでも十分寡占ではないのに
増田の拠り所だった市場シェアだけでも調べたら実はボロ負けしてたとか恥ずかしすぎるだろwwwww
ハイエンドでは戦えないからって、シェアが一番取れる低価格製品を主力に戦ってるのに
俺もカシオ過半数は別にありえるから調べもせずにそこは信じて疑わなかったが、
専門の楽器店じゃなくて売れ筋の入門機をメインに扱う普通の電気屋の店員に聞きに行くのが増田らしいな。
ヨドバシの店員も音楽もやったことない人がいきなり売り場に割り当てられてるぐらいの程度だから
そこらへんの人と同じく単にシェアだけ見て寡占とか言ってる程度だろうけどな。
電気屋だと初心者が多いだろうから確かにカシオが一番売れるだろうし。
店員の業界知識ねぇ…。増田の趣味は何か知らんが、自分が 10 年ずっとやってきた趣味に関しては
売り場にたまたま配置された店員よりも自分の方が詳しいとは思わんもんかね?
そらシェアとか初心者の売れ行き製品ぐらいは店員も知ってるかも知れんけど…。
(あと今回の件に限らず、店員は初心者相手には自分の売りたい製品や利益率のいい製品が「売れてる」って言ったり
そういうのもあるので、俺は店員の知識を鵜呑みにしたことはないけどな)
まぁいいわ。レスもう飽きたわ。
カシオのシェアが大きいのは事実だから「楽器店でも寡占って表現する人はいた」とかレスされても面倒だし
見た目のシェアだけで寡占って言ってるやつといくら話しても水掛け論になるだけだわ。
もし増田が正しかったとしても、あのブコメがピアノ弾きには一般的っていう事実だけは変わりようがないから。
香山リカさんの講演会への抗議が「電話で5件、来庁で1件あった」として、本当に脅迫だと言えるものはあったのか(うち何件なのか)、
「抗議の自由」を大きく認めないと、「香山リカ陣営」のほうが苦労するだろ
ヘイト本を置く本屋に抗議しよう!とか言ってたんだから→https://togetter.com/li/657381
「今日、街の書店に立ち寄った。売り場のお薦めコーナー1段が「嫌韓」「反中」関連の書籍。 レジの女性に、アレ何とかなりませんか?と尋ねたが、はぁ・・でも売れ筋なのでと曖昧に笑う。後で店長が困った顔していたので、【少し大きい声】で言った。 「お宅は本でなくて、偏見を売っているんですか?」」
甲子園球児って、思い切り乱暴に言ってみりゃイナゴの同人ゴロ、つまりコミケで毎回売れ筋ジャンルに乗り換えまくってる売上至上主義者みたいなもんでさ
「その作品を愛してる人が~」みたいな本来のタテマエっていうのは、もうほとんど有名無実になってるわけよ
ぶっちゃけ高校生っていうのがもう半分嘘だろ、あんなのみんな宣伝用の傭兵なんだからさ
そりゃ、世の中にはまともに学業と両立してる野球部員というのもたくさんいるんだろう
けどさ、ああして本戦まで上がってこれるような人らとなると、もう完全に少数派じゃない?