はてなキーワード: 乱交とは
そう、わたしは二十歳にして彼氏いない歴年齢の処女のオナニストである。
気持ちがいいことが好きだ、だがセックスは好きな人とするものだとヤリマンの友人に諭されてから遊ぶことも視野に入れずここまで来た。いや、遊んだこともあるが正しくは挿入はされなかった、というべきだ。
今年になって初めて男性とキスをした、出合い系であった人だったがキス自体は女性ともしたことがあったので別にファーストキスがなんたら、てきな概念はなかった。しかし、それから私の夜のオカズに変化が起きた。
前までは俗に言う乱交モノが好きで、快楽主義の男女がただただセックスするものが好きだった。しかし、男性最近はdmmなどで配信している"女性向けAV"というものにも萌えるようになった。ディープキスをしている描写だけで正直ムラムラするようになった。これが経験かと、経験すると思考が変わるということがわかった。
しかも最近になって身じかに仲のいい男性が増えた、職場の男性陣と飲むようになってからはもうオカズの内容が変化しまくりだ。
その中に意中の男性もいるが、それとはまた別に"抱かれたい男性"がいる。びっくりすることに意中の男性よりも妄想の中ではもう既に何か抱かれた。まぁ、妄想だけど。
すべての女の人がオナニーするかどうかは知ったことではないし正直私がおかしいんじゃないかと思う時も無きにしもあらずだけど、自分が喪女であり続ける限り周りの男性をオカズにし、今日もオナニーをするのである。
http://anond.hatelabo.jp/20151110111053
これ青二才が書いた増田なんだけど、結構面白い。エロ漫画語りは受容の割に供給が少なから連載してくれ。
逆に言うとtwitterやmixiで語るといろいろまずいからそっちはやめとけ。
twitterでエロ漫画について熱く語ってたからどんなマンガかと思ってチェックしてみたら
http://ntryakata.blog.fc2.com/blog-entry-1477.html こんなんだった。
mixiでも銭湯で現実のロリ少女の乳首興奮したみたいなこと書いてたしガチっぽい。
でも今後はtwitterで書くのはやめとけ。ヘタしたら捕まるぞ。
その分増田で思う存分その欲求をぶちまけるんだ。楽しみにしてる。
あるSNSで、コミケ後のコスプレイヤーの乱交パーティーの存在を明かしている方がいて
色々とびっくりしたんだけど。
女2人に対して男10人とか。
キャラに愛がなくて、品もない。
結局、アイドルにもオタクにもなれない、自己顕示欲だけしっかりしてる人が
露出して男たちの目をひいて、ちやほやされたいだけなんだなと思う。
昔からそうだ。
で、そんな人たちのせいでどんどん秩序がなくなって
ただその作品が好きなのに、コミュニティでも居場所がなくなって
とても悲しい限りだ。
ネットだって、とりえのない人でも輝ける場所があったはずなのに
学校の保健体育の授業で実技がある。
などのそういう性に奔放である事が普通の社会系ジャンルのエロ漫画やAVって
なんていうジャンルなんですか?
名前無いんじゃないですか?
そういうの凄い好物なんだけれど、ピンポイントに探す方法がなくて困る。
乱交とかで検索しても、ただの普通の乱交とかだったりしてげんなり
あくまでそういう『ありえない常識』という部分が欲しいんだよ!!
追記
常識改変??
知らなかった…
AVには浸透してないぞ
更に追記
さっそくググりに現地に飛んだ!
うむ、常識を改変するという過程がエロポイントのジャンルなんだね。
確かに違う。そうじゃない。
なんというか、「そうであること自体が普通」っていうのが元々あるような
いってみれば和姦がもっと大規模になった感じが良い
1,なぜ同性愛結婚をしたいのか理解できない。特に結婚式をあげたいというのが理解できない。
結婚式って異性間で行うように作り上げられてるじゃん。例えば衣装にしても、男性はこの服装で女性はこの服装でって。それを無理やり同性で二人ウェディングドレスとか着て異性婚者とおんなじ格好して結婚式をあげる意味がわからない。ウェディングドレスとか異性婚を前提としてそれに意味が付与されているわけだし、神父の言葉とかもそれを前提とされてるじゃん。
そういう以前からある異性婚を前提とした因習をもとにしたものなのに、同性愛者がそれをしたいというのが理解できない。同性愛ってそういう因習とかから自由なものじゃないの?
例えば、同性愛者の結婚類似の結びつきを祝う、独自の形態の祭りを発展させればいいじゃん。なんでわざわざ異性愛者と同様の結婚形式をとろうとするの?
「理解できない」っていうか、理解=受容する気がないだけでしょ。
異性婚者の結婚式は「異性婚者だからあの格好」なんじゃなくて、それを着る人が男性あるいは女性だからあの格好なんだよ。そこを意図的にごっちゃにすんなよ。
男性はこの衣装で女性はこの衣装って決まってるから、同性婚のときも男性同士は二人とも男性の衣装で、女性同士は女性の衣装でやってるってだけじゃん。
そもそも結婚式で異性婚前提にされてるのは祝詞くらいなんじゃないの?
少なくとも日本の結婚式においては宗教的意味はすごく薄れていて「結婚する二人のお披露目・お祝い会」ってのが存在意義なんだから、祝詞をそれに合わせて変えることが言うほど非合理的と思えない。
なんでわざわざ「結婚類似の結びつき」を別に作って独自の祭りを今から発明しなきゃいけないの?めんどくせえ。めんどくさすぎる。
それにその路線で行くとどうせその「お祭り」ではウェディングドレスや燕尾服や白無垢やその他異性婚者が今結婚式で使ってる衣装は使うなとか言われて着ると叩かれたりするんでしょ?
でも個人が個人のイベントで何着ようと本来は自由であるべきなんじゃないの?
2,なぜ同性愛者が異性愛者と同様の愛の形を持っていると当然のように語るのかがわからない。
いやさ、世の中には様々な性愛の形があって、人に相当の迷惑をかけない限りそれぞれ認められるべきだと思うわけですよ。SM,グロ,動物。。。いいんじゃん?
でもなぜ同性愛だけが異性愛と同様の地位を占めるべきって主張できるの?
例えば統計的に同性愛者も異性愛者と同様の長い期間1対1の強い結びつきを維持すると証明されてるの?パートナーをとっかえひっかえしたりしないの?ほら、一部のゲイたちは「ハッテン場」とか言って乱交に近いような行為をする傾向にあるとか、まことしやかに言われるじゃん。それって一般的な結婚をするような異性愛者の行動とはかけ離れてると思うんだよね。もちろんそういう人たちが同性愛者の一部でしか無いのかも、とも思うけど、一部なのかかなりの部分なのか全然外からはわからないよね。友人にも直接は聞けないけど、なんとなく飲みの席とかで聞くには性に奔放だよね。
もし、安定したカップルが形成できていてそれで異性間結婚と同様の社会的認定を受けたいなら、やっぱり結婚類似の制度を作ってそれで認定してもらえばいいよね。それで結婚と同様の扶養とかの制度を受けられると。結婚と全く同じ制度である必要はないよね。
制度に愛の形とか持ち出すことの意味がわかんない。なに「愛の形」って。愛って有形なの?
人に相当の迷惑をかけない限り認められるべきなら、同性愛者で結婚考えてる人はお互い好き合って結婚するわけで誰にも迷惑かけてないんだから認められるべきじゃん?
なんで同性愛が異性愛と同様の地位を占めるべきでないって主張できるの?
カップルの安定度? 安定度で測るの? つーか安定度って何??
パートナーをとっかえひっかえするのだって「人に迷惑をかけない」なら認められるべきでしょ。それは異性愛間でだってそうじゃん?
逆にそれで人に迷惑をかけるんだったらそれは異性愛同性愛関係なくやめるべきじゃん?
なんで「結婚類似の制度」が必要なのかが全然説明されてないんですけど。
3,そもそもなんで結婚して結婚と同様の社会的認定や庇護が得られると思っているのかわからない。
結婚して何かメリットが得られるとしたら(本当にそんなものが得られるのかは不明だが)、それを同性愛者がほしいと思うのは理解できる。でも、それが与えられるかは別の話だ。
例えば、日本人のだれかがアメリカ人にとっての当然の権利であるアメリカの投票権がほしいと思ったら、、、アメリカに帰化するしか無い。「日本人のままでもアメリカの投票権がほしい」というのは気持ちは分かる。僕ももらえるならほしいかもしれない。でも、そりゃむりだろう。
なので、これまで異性間のものとして扱われてきた結婚というものに同性愛者が入り込んできても、すぐにじゃあ同様の認定と庇護を与えましょうというわけには行かないんじゃないかな。
こういう結婚はこれまでの歴史、経緯で異性間のものとして扱われてきたという話をすると、「武田信玄も男の小姓に恋文を書いていて、同性愛は歴史的にも認められてきた」とか主張する人がいる。これは無理筋だと思う。僕も同性愛は長く歴史上存在してきたんだろうな、と理解はしている。だけど、同性結婚は直近の近代まで認めた社会があったとは聞いたことがない。同性愛は否定も差別もする気はないが、同性婚はそれとはまた話が別じゃないかな。
え、なにこれ。「ぼくは同性婚者に異性婚者と同等の庇護や認定や権利を与えたくありません!」って言ってるだけじゃん。論拠とか無いじゃん。
あなたが同性愛者イヤだから同性愛者に結婚制度認めたくないんですってゴネてるだけですよね。
「昨日まで黒人は奴隷だったんだから今日から法律変わって自由人になったからって白人と同様の認定と庇護を与えましょうというわけには行かないんじゃないかな」、って話に対して、「そりゃ法律変わったし本人ら何も悪いことしてないんだから認定と庇護与えない方がアカンのは明らかでしょうが。与えないこと正当化してんじゃねえよ」とか思わんのかいな。
いやどんな感想を抱くのも自由だけど、それを他人にもっともらしく主張して認定と庇護を付与する云々レベルにまで真顔で首を突っ込んでくるのはやめてくださいよジョークでも不快なのに。人の権利左右するような話題ですよ?
鬱陶しいし怖いわあ。これが通っちゃったら「ぼくは女に選挙権とか認めたくありません!」「わたしは男は全員去勢するべきだと思います!」とかも通っちゃう話になるじゃん。
イメージとしてはリベラルをきどりたい異性愛者の声が大きいようにみえる。たとえばエルトン・ジョンのように著名人が日本でカミングアウトをして権利拡充を歌っているのだろうか。マツコ・デラックスやミッツ・マングローブですら、「オカマ」という売り出しで同性愛的側面は強調していないように思える。また、そういう活動もしていないように見える。
誰が推進してるかってそんなに重要か?
つうか普通に同性愛者の団体とかが推進してんじゃないの。今だって権利制限されすぎだし。普通に同性婚が制度として確立されれば同性カップル利益あるじゃん。
ということで、「同性愛者に対する結婚類似の制度を作って認定していくべきだが、結婚と同じにしてしまうべきではない」というのが理解できない。
本人たちはなんでそんなことしたいと思うんだろう。
また、それを積極的に認めていこうと考えている異性愛者たちはちゃんとつきつめて考えているのだろうか。
ぼくには「同性愛者の友人もいる」し、全然同性愛者を差別する気はないんだが。
1,なぜ同性愛結婚をしたいのか理解できない。特に結婚式をあげたいというのが理解できない。
結婚式って異性間で行うように作り上げられてるじゃん。例えば衣装にしても、男性はこの服装で女性はこの服装でって。それを無理やり同性で二人ウェディングドレスとか着て異性婚者とおんなじ格好して結婚式をあげる意味がわからない。ウェディングドレスとか異性婚を前提としてそれに意味が付与されているわけだし、神父の言葉とかもそれを前提とされてるじゃん。
そういう以前からある異性婚を前提とした因習をもとにしたものなのに、同性愛者がそれをしたいというのが理解できない。同性愛ってそういう因習とかから自由なものじゃないの?
例えば、同性愛者の結婚類似の結びつきを祝う、独自の形態の祭りを発展させればいいじゃん。なんでわざわざ異性愛者と同様の結婚形式をとろうとするの?
2,なぜ同性愛者が異性愛者と同様の愛の形を持っていると当然のように語るのかがわからない。
いやさ、世の中には様々な性愛の形があって、人に相当の迷惑をかけない限りそれぞれ認められるべきだと思うわけですよ。SM,グロ,動物。。。いいんじゃん?
でもなぜ同性愛だけが異性愛と同様の地位を占めるべきって主張できるの?
例えば統計的に同性愛者も異性愛者と同様の長い期間1対1の強い結びつきを維持すると証明されてるの?パートナーをとっかえひっかえしたりしないの?ほら、一部のゲイたちは「ハッテン場」とか言って乱交に近いような行為をする傾向にあるとか、まことしやかに言われるじゃん。それって一般的な結婚をするような異性愛者の行動とはかけ離れてると思うんだよね。もちろんそういう人たちが同性愛者の一部でしか無いのかも、とも思うけど、一部なのかかなりの部分なのか全然外からはわからないよね。友人にも直接は聞けないけど、なんとなく飲みの席とかで聞くには性に奔放だよね。
もし、安定したカップルが形成できていてそれで異性間結婚と同様の社会的認定を受けたいなら、やっぱり結婚類似の制度を作ってそれで認定してもらえばいいよね。それで結婚と同様の扶養とかの制度を受けられると。結婚と全く同じ制度である必要はないよね。
3,そもそもなんで結婚して結婚と同様の社会的認定や庇護が得られると思っているのかわからない。
結婚して何かメリットが得られるとしたら(本当にそんなものが得られるのかは不明だが)、それを同性愛者がほしいと思うのは理解できる。でも、それが与えられるかは別の話だ。
例えば、日本人のだれかがアメリカ人にとっての当然の権利であるアメリカの投票権がほしいと思ったら、、、アメリカに帰化するしか無い。「日本人のままでもアメリカの投票権がほしい」というのは気持ちは分かる。僕ももらえるならほしいかもしれない。でも、そりゃむりだろう。
なので、これまで異性間のものとして扱われてきた結婚というものに同性愛者が入り込んできても、すぐにじゃあ同様の認定と庇護を与えましょうというわけには行かないんじゃないかな。
こういう結婚はこれまでの歴史、経緯で異性間のものとして扱われてきたという話をすると、「武田信玄も男の小姓に恋文を書いていて、同性愛は歴史的にも認められてきた」とか主張する人がいる。これは無理筋だと思う。僕も同性愛は長く歴史上存在してきたんだろうな、と理解はしている。だけど、同性結婚は直近の近代まで認めた社会があったとは聞いたことがない。同性愛は否定も差別もする気はないが、同性婚はそれとはまた話が別じゃないかな。
イメージとしてはリベラルをきどりたい異性愛者の声が大きいようにみえる。たとえばエルトン・ジョンのように著名人が日本でカミングアウトをして権利拡充を歌っているのだろうか。マツコ・デラックスやミッツ・マングローブですら、「オカマ」という売り出しで同性愛的側面は強調していないように思える。また、そういう活動もしていないように見える。
ということで、同性愛者が結婚をしたいというのが理解できない。
僕の意見では、将来的には同性愛者に対する結婚類似の制度を作って認定していくべきだが、結婚と同じにしてしまうべきではない。また、同性愛者たちは結婚類似の制度ができれば、異性愛者と同様に安定した家庭を築いて社会に貢献できる、ともっとアピールすべき。
異性愛者の結婚が以前より多様化、不安定化していて、異質な結婚形式を認める準備ができている、というのもそのとおりだとは思うしね。
同性愛結婚に反対する人が「僕にも同性愛者の友人がいるが」と話すことに対して、反論者が「テンプレうざい」的な反応するのはなんなんだろうね。わけわからん。
ここ5年くらい、同じ美容院で、同じ男の美容師に切ってもらっている。長いので、お互いにプライベートな話もする間柄だ。
その美容師はもう40代で、結婚して子供もいる人なんだが、この歳にして死ぬほどの爽やかイケメンで、話も面白く、そのうえ親が美容院経営者ときてる。要するに、金持ちのボンボンだ。いまもモテるんだろうが、若いころはこれに輪をかけてさぞかしおモテにならたんだろうと思っていたんだが、この前聞いた彼の若いころの武勇伝が、想像以上にあまりにも闇すぎてドン引きしたので、そのことについて書く。
予想通り、彼はモテモテだった。学生時代から彼女を切らしたことはなかったし、それでも言い寄ってくる女性は後を立たなかった。美容師という、イケメンが多く、女性と多く接する仕事柄だからだろう。彼の周りにも、モテる友人が多かった。
そんな彼らにとって、女性という存在は、放っておいても無限に湧いてくる「水」のような、たいしてありがたみも感じない、軽い存在だったのだろう。彼らはなんと、美容師仲間のあいだで、「女の子の回し合い」をしていたという。要するに、お互いが新しく知り合った女の子を連れ立って一緒に遊びに行き、その場でパートナーを交換し、別の女の子とセックスする、ということだ。
乱交パーティも、よくやっていたという。友人の家に女の子を連れ立って集まり、酔った勢いでセックスになだれ込み、とっかえひっかえ、セックスをやりまくる。そのとき、ゴムは付けなかったという。その結果、相手を妊娠させてしまい、降ろさせたことも何度もあったそうだ。当然、これらの行為は、本命の彼女にバレないよう、裏でこっそりやっていた。これらの行為が、どこまで相手女性の合意のうえで行われていたのかは、わからない。
「いやー、俺も若かったよ―(笑)」
いともあっさり語る彼だったが、交際人数が片手で足り、浮気をしたことも1度もない、セックスのときには必ずゴムをつける俺のような人間から見れば、彼のやっていることは女性を一切人間と思っていない悪魔の所業としか思えず、ドン引きした俺は引きつった苦笑いを浮かべることしかできなかった。実際、やっていることは一時期世間を騒がせたスーパーフリー事件とまったく同じだし、もし女性がその気になっていたら、刑事事件として告訴されてもおかしくない話じゃないか。
それでも彼はモテる。モテまくる。結局、彼の容姿が、経済力が、コミュニケーション能力が、女性を魅了し続ける限り、彼が女性に対してどんなに誠意がない、鬼畜の所業を行ったとしても、彼はモテ続けるのだ。
そんな彼を見ていると、一部の男性がいう「女は男に優しさやら誠実さやらを求めていると口にするが、実際には誠実にしても決してモテない。女は雑に扱うくらいでちょうどいい」という恨み節も、あながち間違ってはいない、と思ってしまった。結局のところ女性が惹かれるのは容姿、経済力、コミュニケーション能力といった「モテ資本」に対してであり、それを持った人間は、女性に対する優しさも誠実さも微塵も持ち合わせていないクズだったとしても、無関係にモテ続けるのだ。
それはまた極端な発想だなw
俺からすれば、そこまで徹底的に子供を持たない発想に悪意を向けるというのは、むしろ自分の心に闇を抱えてるからでは?と思うぞ。
個人的には、よく言われる「本能」という言葉は極めて曖昧であまりにも都合よく用いられすぎだと思う。
増田の言う意味での「本能」のかなりの部分は社会的要因によって後天的に内面化されたものだと思う。
従って「本能」とその他の利害関係は共に社会的なものであって、どちらかが本質的に劣後する理由はほとんどない。
社会と無関係に「本能」というものが存在してそれが社会的なものより優越するべきというなら、サル山のように乱交状態が正当化されるべきってことになるだろ。
別に何を考えるかは自由だけど、子供を作らないで一生を終えることに本当に何も虚しさとかは感じないのかなーって思ってしまう。
人それぞれだろうが別に全く感じないということは無いだろう。
それと他の価値観を天秤にかけてどっちを選択するのかという話。
可愛く喘いだり下から動いてみたり唇で舐めるとか相手がいれてる時とか見てる時とかにあそこを動かしてみたりはする。あくまで勝手に動いちゃうみたいな感じで。
でもそういうのって相手が上手い下手関係なく自分がやるかやらないかだから多分増田が言うような上手さではないと思う。
相手が上手くないと伸びない女性のセックスの上手さってどんなのだろう。
男性が上手いかどうかも相手を観察して丁寧にする人は上手いなと思うけどそれって個人の性格と関係性によるもの。
あと慣れてきたら好きなやり方とかもわかってきてお互い自分好みのやり方になるから、上手くなったなと思ったりするけど増田が言ってるのは多分そういうんじゃないよね〜
経験人数が増えて上手くなったり、上手い人として上手くなったりするのかな?
でも乱交とかシャブセックスとか無いと生きていけないって人もいるから私の知らないセックスの世界があるんだろうな。
むむーセックスが上手い下手ってなんだろう。どんなんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20150320003354
人間は文明化する以前は元々乱婚(※不特定多数とセックスをする)だったらしいから、その彼女さんは本能のままに動いてると考えて間違いないぞ。
そもそも、付き合ってるからと言っても別に相手を所有物のように何から何までコントロールできるわけじゃないからな。
お前が初彼氏だったのならたぶんセックスというか性に目覚めたんだろ。女としての価値を推し量りたい年頃ってわけだ。
そんなわけで、普通の女でも色んな男と関係を持ちたがるのも不思議じゃない。いちいちショック受けるなよ。
少なくとも若いうちに彼氏ができるレベルだったら、不特定多数と関係を持っているのは当然だと思った方が良い。
(彼氏いない歴が25年を超えるような女はその後も結婚するまで処女って可能性も全然あり得るが)
あと、複数の異性と同時並行的に付き合うのは、別に現代社会特有の傾向というわけでもない。
江戸時代の農村なんかは祭りのときに村人同士で乱交してたらしい。
一見、性倫理が厳しそうな近代ヨーロッパでもロマン主義という名の不倫が横行してたからな。
お前は学校か親から教わった貞操概念を大事に思っているのかもしれないが、それは所謂「建前」。
http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
ぼくはフェミニズムを手がかりとしてセクシュアリティやジェンダーといった問題を考えるようになるのですが(中略)、その理念の中で、我々は社会的に押しつけられた性規範に呪縛されているから、性愛も夫婦や恋人関係も抑圧されているのだ、もっとそこから解かれることによって自由で豊かな生と性を獲得することができる、とされていました。
で、自分も「男らしさ」にこだわらずに「自分らしく」あらねば、そうすることが正しいことなのだ、と日常の場で実践してみたわけです。(中略)態度物腰もやわらかく、というか、ベッタラな感じで、身につけるものもフリルの着いたものやら紫色のひらひらしたものだったり……(中略)まあ、わかりやすくオカマっぽくなった。それが自由で、自分らしいことだと誇らしかったのです。
そのように「自分らしさ」を表現してあまりある自分がなぜかモテない。政治的に正しいはずなのに恋人ができない。どうしてなのだろう。理論的には間違っていないはずなのに……それで周囲のゲイたちを見回してみますと、(中略)一般に求められている男という意匠を体現している人がモテている。そこで自分でも、なるべく自己主張しないようにして、それなりに流行っている服を身につけて、言葉遣いも男らしく、態度物腰も野郎っぽく演出してみると、なんと、食いつきがそれまでとはまったく違ったのです!
性愛というのは、人格以前に、その人が表象している性別のイメージ、つまりジェンダーをめぐる「欲望」なのだ、ということです。(中略)発情が一義的に、相手の人格的な成熟度とか、コミュニケーション・スキルによって引き起こされるのなら、性愛の対象に性別は関係ないし、例えば、もっとご年配の方がモテモテになってもいいわけです(精神的に成熟しているのだから!)。
人は合理と効率を追及していきますから、記号ゲームに参加していくと、見られる存在としての自分を設定していくことで、ゲームの中でより多くの利益を得られることがわかっていきます。(中略)アメリカでは「クローンゲイ」という言葉がありましたが、それはスポーツジムに通って筋肉を付け、髪型を短く整え……といった形でみんなが同じような見た目になっているありようです。少し前、日本のゲイ・コミュニティでも「イカホモ」という言葉が流通しました。それはいかにもホモっぽいというルックスの人のことで、肯定的な意味合いで用いられています。(中略)「イカホモ」が表しているのは、見た目がある類型になっているのは前提ですが──短髪でひげがあってそこそこ筋肉があってムッチリしていてラガーシャツなんかを着ている──自意識の上でも、ゲイであることを受け入れ、それを楽しんでいて、性愛における「男らしさ」がフィクションであることを感覚的に理解しているありようです。
性愛とアイデンティティが結合していると、ありのままの自分を受け入れて欲しいと望むようになり、それが結果として「他者から発情されにくい自分」になることを招いてしまう。充実した性愛を獲得するためには、発情されやすい自分になることが必要であり、さらにそのためには性愛のためにジェンダーを演じることを楽しむ感性が必要である……という風に読んだ。「イカホモ」を楽しむように、「イカニモ男」「イカニモ女」のステレオタイプを演じるのである。それが性愛における合理と効率の追及であり、「モテ」と「自分らしさの表現」は対立することを受け入れなければならない。「モテない!」と言って怒るのは、「モテ」と「自分らしさの表現」の両方を得ようとしているためであり、片方を捨てるだけでも進むべき方向が見定められて、迷走状態でいるよりも精神的な安定が得られるだろう。
追記:
cyberglass ジェンダーを戦略として利用するとモテる。女性は無意識にそれを会得している。そうやってジェンダー秩序が再生産される。
異性愛者の男性には「それを会得している女性」しか女性として認識出来ないということなのでは。
「それを会得していない男性」「それを会得していない女性」は存在するのに、発情の対象にならないから、
攻撃的な振る舞いをしない限り存在を無視されてしまう。その結果としてのミソジニーやミサンドリー。
quick_past そういう側面はあります。ただそこで評価されることを望んでる人ばかりじゃないと言うのが問題。評価したい部分が違う人同士が評価しあってしまうのも問題。
職場で職能よりも性的魅力が優先して評価されるようではまずいだろう。
フェミニストも、男性会社員が女性会社員を職能ではなく性的魅力で判断することに噛みついている。
職場は乱交パーティーではないが、どんな場面でも異性(同性愛者なら同性)を性的魅力の多寡でしか判断できない常時乱交パーティー状態の人種というのは居て、
精子脳と言われたり、スイーツと言われたり、要はTPOより自分の性的満足を優先する馬鹿とみなされる。
feita 割と世に出てる天才はありのままの姿でレリゴーしても承認されてるように見えるから錯覚しがちだけど、そんな奴ホントレアケースで自分と比較しても仕様がないからね。承認されたきゃある程度自分削らんとな…。
性愛とアイデンティティが結合しているから「自分を削る」と感じるのでは。
性愛用ペルソナ、仕事用ペルソナを演じ分けるようになると、そこで自分が削られることは無くなる。
天才ではなく、演じることも面倒なら、承認への執着を捨てるという道もある。
ysync 「ジェンダーを演じることを楽しむ感性が必要である」男性性に対する嫌悪感(自身の中にあるものも含めて)が強すぎて楽しめそうにない…。
誰も楽しめと強要はしていない。楽しめそうにないなら捨てればいい。