はてなキーワード: マルチとは
メインヒロインは常に一人固定の漫画→「主人公がメインヒロインと出会わなかったら他の女の子とくっついていたのだからエンディングは他にもたくさんあるはず、マルチエンドを書け」
主人公が優勝するスポーツ漫画→「最後の試合で主人公がミスを挽回できなかったら負けていたのだからそこから分岐したエンディングがもう一つあるはず、マルチエンドを書け」
主人公が敵を倒して世界を平和に導いた漫画→「主人公と仲間が惨殺されて世界が滅びる可能性だってあったのだからそっちのエンディングもあるはず、マルチエンドを書け」
こんな奴らがうじゃうじゃうじゃうじゃ発生しているのだがどう責任を取ってくれるんだろう
キャラクターは自分の子どものようなものです、無事にハッピーエンドを迎えることができてよかったですと語る作者に
殺人教唆にも等しい
作者がそんなことが簡単にできる人物であると決めてかかる侮辱行為
自作品でどうしてもやりたいって奴は好きにしたらいいけど他の作品でマルチエンドを描くことを作者に強要するのはやめようという風潮ができるまでぼく勉を許さない
そりゃそうでしょう。重症度も人それぞれだし、そもそも「統合失調症」自体が単一の病気ではなく、症状や経過が似たさまざまな精神疾患が集まって起こる症候群だと考えられているのだし。それでも統合失調症という診断がついて治療を行なっている以上は一定の傾向はあるんだよ。ところで、元増田の父は還暦過ぎまでマトモな友達ができなかったのに、急に奇跡が起きて普通の友達ができたという。これを真に受ければたしかに感動的だよね。何でって感動的かって、普通に考えたらありえない話だからだよ。宗教関連か詐欺(マルチ関係)が一番現実的な線だと思うな。あとは民生委員とか訪問看護師を友達だと思い込んでるとかね。
ラブコメ漫画描いてるくせにマルチエンドとか「逃げ」でしかないし拘りも感じられない
めぞん一刻みたいに紆余曲折を経て賑やかし要員を綺麗に振り切って主人公とメインヒロインが無事に結ばれた作品にもマルチエンドやれマルチエンドやれ言う輩が各所で涌き出てて胸糞
どういうことか分かってるんだろうか
主人公の選択を貶め作者の想いを踏みにじりヒロインを泣かせ読者を裏切る最低の発言だと全然気づいてない
お前が同人誌でやれ
ジャンプで連載中の漫画「ぼくたちは勉強ができない」が今週一つの最終回を迎えたところですが、同時に少年誌では前代未聞のマルチエンド方式であることを発表したことで大炎上しています。
結ばれたヒロインが決定してからそれなりの時間が経ち、荒れかたも落ち着いてきたところでの爆弾投下だったので酷い荒れ方でした。全盛期の頃の俺妹にも負けず劣らずの荒れようで、罵詈雑言が飛び交う酷い有様でした。
純粋に喜んでいる人もいるのでしょうがそういう人はあまり多くは書き込まないので、大抵は今までの鬱憤を晴らそうとする書き込みですね。見るに堪えない人も多かろうと思います。
この方式が嬉しくないかと言われると嬉しい気持ちもあるにはあるのですが、それでも個人的には「ラブコメ漫画」でのマルチエンドには反対です。1話2話程度の完全にifルートと分かるような形式であれば良いのですが、過程も含めて描こうとするのは絶対に反対です。
ラブコメを読むことを競馬に例えることも多いし、その感覚もあるのは否定しませんが、それでも一番は唯一無二の運命の人と結ばれる過程を見たいから読むというようなロマンティシズムなところなんですよ。
好きなヒロインがその相手であれば最高ですけど、そうでなくともその運命が美しければそれで良いんです。
恋愛ゲームはいいのかと言われそうですが恋愛ゲームはいいんです。ラノベにもあると言われそうですがラノベも今のところはいいものしか知りません。媒体の違いは大きいです。知ってる範囲で違いを書きます。
漫画でのマルチエンドは少年誌では前代未聞ですが、、青年誌では「すんどめミルキーウェイ」という前例があるそうです。
読んでいないので詳しくは知りませんが、本編のフィナーレ手前からの分岐のようです。読んでいないのでなんともいえませんが、「ToLOVEる」のようなエロよりならありかなと思いますし、そうでなければちょっとどうかと思います。どのくらい続きを書くかにもよりますが。
ちなみにジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」も擬似的なマルチエンドを行っています。一本道の話の中で必然的に各ヒロインのあり得たかもしれない将来を描いているもので、設定的に可能な作品は限られるとはいえ上手いやり方だなと感心します。
ラノベで一番有名なマルチエンドは最近出た俺妹のあやせルートでしょうか。これはゲームのノベライズです。ifなのは明らかなのでこれはいいです。
他にも「ベン・トー」の最終巻もマルチエンドですがこれも短編でそれぞれと結ばれたかもしれない世界を書いてるだけなのでifなのは明らかですからこれもいいです。
ラノベとして一番ちゃんとマルチエンドを書いてるラノベは「お前をオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」の小豆エンドでしょうか。ドラゴンマガジンで本編と並行して短編連載していたパラレルストーリーをまとめたものですので、これもifなのは明らかですね。時系列的に半年以上かけて別の世界を書いていますし、小説なので描写の密度も漫画よりずっと高いです。このくらいかけていればこういう選択をしていれば小豆と結ばれる運命だったんだなと素直に思えます。
シナリオメインの恋愛ゲームは基本的に出会いとそれぞれの事情を簡単に知っていく共通ルート、個別のヒロインとイベントなどを通して結ばれていく個別ルートに分かれています。「シュタインズ・ゲート」のように実質一本道なものもありますが、恋愛メインならほとんどこういう形式です。
共通ルートと個別ルートの比率は作品によって色々ですが、大抵は共通ルートのほうが短く、個別ルートのほうが長いです。
なぜかといえば、最終的に主人公がどのヒロインと結ばれるにしろ共通ルートでは同じ経験をしているわけですから、その同じ経験の比率よりなぜそのヒロインと結ばれたかという個別に仲を深める比率のほうが高くないと説得力が薄くなってしまうからですね。
個別ルートが1,2時間とかいう作品もありますがそういうものは基本駄作と言っていいでしょう。1,2時間で描写が済んでしまうような運命に説得力などありません。
主人公のした選択によって、別のヒロインと結ばれる運命が生まれる。恋愛ゲームのいいところはあったかもしれない運命をいくつも見られることですね。まあそれをメタるのもまた恋愛ゲームですが。
オリジナルアニメでマルチエンドはないでしょうから概ねこの辺りでしょうか。
「唯一無二の運命の人」という表現ですが、生まれたときから赤い糸で結ばれているという意味ではなく、その場その場での選択によって結ばれる運命となった人という意味で使っています。
ですから今現在ラノベでやったことがあるような方式ですとか、恋愛ゲームならその運命になるだけの十分な説得力があるからいいんですね。
じゃあなんで漫画だと反対かというと単純にそんなに長く描けないでしょ? というだけです。長く描けるなら別にいいと思います。
「ぼくたちは勉強ができない」での分岐は文化祭だそうですが、文化祭は150話中69話目です。恋愛ゲームでいえば共通ルートが69話、個別ルートは81話です。この時点で成幸が誰かに惚れてる感じもしないので分岐するタイミングはいいと思います。だから各ヒロインこのくらい描くならいいと思いますよ。でも81×4って無理でしょ? 直接ルートに関係あるところだけとして適当に半分にしたって約160話、約3年分って半分にしても非現実的じゃないですか。
そうするとどうなるかっていうと今まで描いてきた描写を使い回さざるを得ないじゃないですか。そうする度に成幸が同じ経験をしてきたにも関わらず、些細なことで全然別の相手を好きになりましたってならざるを得ないんですよ。運命の、物語の純度が下がるんですよ。1,2時間の描写で相手が変わるみたいなことになって、成幸の経験が薄く、軽くなるんですよ。
その程度で揺らぐような運命を見たって感動できないんですよ。ていうか一度感動した分今までの感動何だったんだってなるんですよ。
いやまあ使い回さないこともありえますよ。各ヒロイン1,2話みたいな。それはいいんですよ。明らかにifなんで根幹の物語の純度は下げませんから。
でもあの発表の仕方でそれはありえないじゃないですか。それで描写を使い回さないならヒロイン間の描写密度が違いすぎて軽すぎますし、そもそも成幸がそれで惚れるのは解釈違い甚だしいんですよ。それに歯抜けの描写で結ばれても感動のつまみ食いみたいになるの嫌じゃないですか。音楽のサビだけ聞くようなもんじゃないですか。サビだけ聞いたっていい気分にならないわけじゃないですけど、でもその程度で満足できるわけじゃないじゃないですか。
恋愛ゲームと同じじゃないかみたいな声も聞きますが、恋愛ゲームやったことある人間に言わせると違うんですよ。
恋愛ゲームにおける共通ルートって各ルートに共通する設定を説明するパートであると同時に各ヒロインを選択していくパートなんですね。そこで選んだ選択肢によって好感度が上下していき、最終的に最も好感度が高いヒロインの個別ルートに進むんです。
つまりその選択肢を選んだ世界だけ見れば、そのヒロインを追いかけてそのヒロインのルートに進むわけですから、主人公とヒロインが結ばれる運命って言われてるほど安くないんですよ。選択肢一つ選んだらそのヒロインのルートに行く作品って全然多くないんです。
バトルとか恋愛メイン以外なら結構あるかもしれませんが、恋愛メインならあまりないですね。恋愛ゲームって女の子を攻略するゲームなんですよ。
じゃあ漫画だとどうかってまた1話からやることありえないですよね? だから漫画では全く同じ共通ルートにならざるを得ません。ですから漫画における共通ルートの価値ってゲームと比べても必然的に軽くなるんです。
ラブコメ漫画って作中の時間は置いといて、リアル時間で何年も掛けて連載を追って、たった一人の相手と結ばれる流れを見守るという点で運命の密度と純度が高いんですね。こればかりは恋愛ゲームは敵いません。リアル時間で匹敵できるのはラノベくらいでしょうが、ライブ感は比較になりません。
そういう意味で「ラブコメ漫画」って唯一無二のジャンルなんですね。漫画以外じゃ代替効かないんですよ。
だからゲームのいいとこを取ろうとこんなサプライズのようなやり方をしないで、「ラブコメ漫画」の強みを活かした作品を読みたかったなあと、今週号を読んで思いました。
ところで文化祭で分岐ということですが実際に連載自体は各ヒロインの長編後から始まると思います。
あしゅみー先輩以外は同じ内容の長編をやることが不可避でしょうし、一度長編をやっているのにもう一度やるのは馬鹿らしいですから。
センター試験あたりからロードするんじゃないかという話も多いですしぶっちゃけそんな気がしないでもないんですが、さすがにこれやったら筒井先生の正気を疑います。
理珠の長編のあとでも成幸の気持ちを動かすのに時間が十分とは言えないと思いますし、ましてセンター真っ只中から受験終了まで恋愛に頭悩ます暇ないでしょうからさすがにやらないと思います。
ルート分岐時点で先にマルチエンド宣言しておくのが誠意だと思うよ。
少なくともルートエンド前でしょう。余韻も何もあったもんじゃねえわ。
最近のネットの論調のせいかと思いますがセンシティブになり過ぎでは……? 個人レベルでのありなしって話なので作者は好きにしたらいいと思います。というか規制どうこうのレベルの話に読めます? まあどっちでもいいんですが読まないでもらえると嬉しいです。
私の中では人類普遍の原理に反する(比喩です)絶対に認めない価値観ではありますがそういう価値観があることは当然でしょう。同意されたら嬉しいですが、されなきゃしょうがないというか当たり前です。
オムニバス形式の一人の主人公がやったところでそもそもの積み重ねが大したことないので……。
enya_r 描写不足には不賛同。ぼく勉って個別ルートのイベントを時系列でザッピングしてきた漫画なんだよ。ヒロイン当番制がむしろ意図通りで文化祭以後も共通ルートじゃなかったわけよ、告知ページの作者コメント読み取るに
これは違うと思ってまして、というのもうるかの待つ空港まで辿り着けたのは、人の心が分かるようになった理珠がうるかと文乃が気まずくならないように私もキスしたいですと言ったり成幸の背中を押したりしたからですし、父親との確執を乗り越えて自分の心と向き合えた文乃が笑顔で成幸を助けたからですし、過去のトラウマを乗り越えた真冬が卒業式に出ることより成幸に手を貸すことを選んでくれたからですし、自分の夢を再確認したあすみが仕事を抜け出してまで成幸のところに駆けつけてくれたからなんですね。
そうやって成幸がヒロインズの問題を解決するのに協力したり交流してきたりしたからこそ辿り着けたわけで、その過程が実は唯一ではなくて他の道に逸れることもあるんですよとなるとその辿り着いた運命の純粋さが落ちるんですよ。だから今まで描いたものを使わないなら長く連載しないと描写不足になりますし、使い回すなら描写不足ではないでしょうけど同じような経験をしたのに別の相手を好きになってしまうわけですから、選んだ運命の純度が下がるという表現をしました。
別に今回で正式には最終回で次回からはifですっていうならいいんですけど、筒井先生曰く結末は読者次第だそうなので。
Arturo_Ui 「前例があるそうです」程度の知識でイキるなよ… // 「過程も含めて描こうとするのは絶対に反対」って、「学園祭の花火」が伏線だった件を増田はどう評価すんの? ていうか「ハーレムエンド」より余程マシだろ。
イキリってあれでですか……? 後段は何言ってるのかよくわからないんですが、ルートによって相手が変わる「学園祭の花火」が伏線だということ自体何言ってんのかなって感じなので評価も何もないです。うるかのやってきたことではなくて花火で全て決まったことになったけどどうなのという意味ならまあゴミですけど、他のヒロインのルートでも外形的にはそんなことやらないと思うのでやっぱりどうということはないです。
キャラとしての一貫性ならハーレムエンドよりマシなんですが、物語としての一貫性だとハーレムエンドのがマシかなあと思います。でもまあハーレムエンドはやらないですからね。どっちも嫌ですが。
tmkyz 最初にマルチエンドですって言ってくれれば良かったのに。うるかルート最終回の余韻を壊すような告知の仕方なのは悲しかった。/ここ数週、全体的に雑だったのも気になる。
最低限事前告知して欲しかったですね……
houjiT なんか恋愛の捉え方が無駄に大長編的で怖い。知り合いでもないのに一瞬で火がつくようなものもあれば、今まで別を見てたけど急に気になることもあるわけで、伏線と展開がなきゃ恋愛と認めない、は視野が狭すぎる
ラブコメ漫画読むのに大長編的に捉えないほうが間違ってると思います。漫画に限らずラノベ含めた恋愛メインの大衆小説一般でも恋愛に伏線と展開は求められているのでは。
isaisstillalive 終始想像だけでディスってる
deadwoodman アリかナシか読んでから決めても遅くはないと思うんだが、ちょっと盛り上がりすぎじゃない?
f_oggy 賛成だなぁ。個別ルートでどれだけ各ヒロインの魅力を引き出せるかが勝負所よ。というか全てが完結する前の論評なんて野暮ってもんよ
はい。
fusanosuke_n 正史を求めたい感じはある。ヒロインAと結ばれるストーリーが本物、正史で他のルートは戯れやファンサービスのifルートですって明言して欲しいっていうか。
はい。
以前増田にてゲーム制作者増田(猛虎弁だった)と面白さの要素とは何かという話になった。自分はとりあえず面白いゲームには繰り返し要素がある、とだけ返しておいた。しかし繰り返し要素が必ずしも面白さに直結しないのは自明で、繰り返すから飽きられるゲームと、繰り返したくなるゲームの違いは論じることができなかった。
実のところ、ゲームの繰り返しを行う上で脳内では「試行錯誤」が繰り返されている。何を当たり前のことを、と思うかもしれない。しかしゲームにおける試行錯誤を更に還元すると「着地点/完成」を探している自分がいることに気づく。例えばハクスラやRPGの場合、プレイヤーは沢山の装備や魔法、職業を取捨選択して最適解を探す。言ってみれば安定するかどうかを探していると言っても過言ではない。なぜならこの鉄則は全てのゲームに当てはまるからだ。格ゲーもそうだ。格ゲーはコマンド入力、フレーム、リーチ、ディレイなどを頭に叩きこんで安定して勝てるパターンを作り上げてゆく。パズルも連鎖を頭に叩き込んで最も安定して高得点を出せるかどうかを練り込んでゆく。
ゲームが面白いと言えるシンプルな要素がある。それは「未知」だ。人は未確定で未知なるものを探求する脳の構造をしている。とりわけこれは狩りに必要だったらしく、やはりゲーマーの殆どは男性である(断じてジェンダー論に帰結するつもりはない)。未知のものを安定させる間が面白さになっている。曰くどう立ち回るか。曰くどう早解きするか、どうすれば早くアイテムを回収できるか。どうすればイベントが進行できるか。このときプレイヤーは未知を楽しみながら未来の着地地点を夢想している。この夢想が更にプレイへの希望をもたせることに一役買っている。まるで人生設計のようだが、実のところ未来への希望を抱いて確定できる「かも知れない」チケットを購入する時点で人生はまさにゲーム的である。
となれば次なる問題は自ずと浮かび上がってくる。ゲームバランスだ。
ゲームバランスは基本的にな何が破綻せず、何がノーマライズされているかを突き詰める作業ではないかと考えている。いわゆるバランスだけに絞れば出てくるアイテムや能力も平均的なものにならざるを得ないし、一点突破させるには他の強さも並列して上昇させなければならない。実はこの問題には解決策がある。破綻した強さに弱点をつけるのである。これを国内で有名たらしめたのはかのFFシリーズだ。FFの画期的な要素の一つとして弱点属性なるものがある。これは完全にじゃんけんになっており、いずれかが一方的に強いわけではない(もっともホーリーやフレアなど規格外の無属性も存在するが)。この完璧ではないもどかしさが重要である。数あるカードゲーをプレイした人はわかるかも知れないが、壊れカードには必ず致命的な弱点が存在する。弱点は完璧性の欠けであり、未来を夢見るプレイヤーにとってできうる限りの完璧を目指すきっかけとなる。ここで多くのプレイヤーが夢中になるのである。完璧ではない現状に多くのプレイヤーは満足せず、何がしかの補助手段で弱点を埋めようとする。しかしゲームバランスが優れたゲームはその補助も渋い仕様になっており、そう安々と運用させてくれない。
だが一方で、やりこまないタイプの人もいる。例えばバイオで一周すれば無限ロケランが手に入ると聞かされても、イージーでクリアすれば十分弾薬も足りるだろうという心境の人たちだ。
こうした人たちの楽しみとは、ゲームに一度きりだけ没入できる演出や飽きるまでの操作感、そして何よりストーリーだろう。
ストーリーは未知に対する動機の一つとなる。プレイヤーはまだ見ぬ着地点であるエンディングに向かってひた走る。少なくともゲームという体感する分野においてストーリーは体験して消化する最も大きな要素の一つだ。しかし多くのゲームはシナリオがメインではない。あくまでもその世界でプレイヤーが何をするかが主軸になる。したがってシナリオのクリア後、前述の彼らはゲームパッドを床においてしまう。なぜなら彼らにとってシナリオの完結はゲームという体感世界における完成形であり、それ以上のやりこみに意味を感じられないからだ。実はこの問題には以下のような仕組みがある。
例えばプレイヤーが一周目をクリアして隠し要素が姿を現したとしよう。この場合隠し要素を観るためにプレイヤーはゲーム性のみならず「シナリオを含めて」続きをプレイすることになる。この隠し要素の方向性はとても大事だ。なぜなら新しい要素があることと、今までやりこんだ高難易度版が敵配置を変えて登場する、などでは意味が変わってくるからだ。後者の場合基本的にはやってもやらなくても知ってることだらけであるし、前者の場合未知は残されている。また、マルチエンドのゲームの場合でも別ルートは未知であり、多くのプレイヤーは分岐を試したくなってしまうだろう。
まとめるならば、ゲームを面白くしたいならば、「完成形に向かって未知を突き詰めようとするが、実際には完成形などない」状態を作り出すことだと言える。先程は人生に似ていると言ったが、この感覚は習い事にも通底する。プレイヤーは学校や会社から帰ってきて、学習効率の良い箱庭でまるで仕事のような成長を楽しんでいるのだ。
こいつのせいで今後ずーーーーーっとありとあらゆる漫画がマルチエンドやれマルチエンドやれ言われるようになる
というか今まさに言われまくっている
何十年も前に完結した漫画でも言われている
作者も主人公も断固としてメインヒロイン一筋の漫画にも言われている
主人公とヒロインが結ばれて子どもができて幸せに暮らしている様子が描かれて終わった漫画でも言われている
ずっと一途に想い合っていた2人の仲を引き裂いて見栄えはいいけど高飛車な当て馬の子と結婚させろと言っている
マルチエンドが存在したら主人公に見向きもされなかったあの子がヒロインを蹴落として本当の正妻になれたんだ、だからあの子が本当のヒロインなんだと自信満々に主張する
これだけ話題になったのなら「ぼく勉みたいな展開にしろ」と編集の意向に屈して同じように最終回と見せかけてあの子は正妻四天王の中でも最弱……と後出しマルチエンドを宣言する漫画が定期的に現れるようになるかもしれない
伊藤誠のようにこんな主人公ならくっつかない方がマシ、推しヒロインは振られてしまいメインヒロインにはなれなかったが無事逃げ切った、と思っていたら後出しマルチエンド発覚で主人公がひとりひとり女の子を汚していく様を見せつけられることも恒例になるのかもしれない
ぼく勉を許さない
そうしたら学生時代、17歳のわたしに向けてその当時の友達がかいてくれた誕生日のメッセージをみつけて少し泣いてしまった。
友達と呼べるような人は部活で6人、クラスの中のグループの子も6人、クラスは違ったけどいつも一緒に帰ってた友達が2人、顔を合わせたら話すような子も入れたらもっといたと思う。
LINEの連絡先だって知ってるしTwitterでフォローしてる子も何人かいる、でも24歳になった自分には直接会って話す子はいない。
こうなった原因は全部自分なんだろうな〜。大学生になってから会った子も何人かいたけど1、2回で終わってしまって次の機会を作らなかった。
誘われたバレエの発表会も断っちゃったし、嵐のライブも行くか行かないか言うの遅れて迷惑かけちゃった。ごめんなさい。
さらに新卒で保険会社に入社したのがとどめを刺したと思う。入って半年で辞めたけど、入社して1ヶ月で上に上げた友人を含めた知人友人に連絡先を教えてって言い回っていたのだから。
本当に最低。なんで適当に書かなかったんだ。なんで真面目に連絡先聞き回ったんだよ。一度やったことは取り返しがつかないのに。会社辞めていたとしても絶対に嫌でしょ、こんな人間と会うのなんて。だって次会おうって言った時に怖がられるじゃん、保険会社の人間だって。辞めたって言って納得してもらえたらいいけど突然会ってない子から会おうって言われたら絶対カルトかマルチに思われるじゃん、怪しすぎるて。ほんと、芯があって知人友人の個人情報全部出しても後悔ない人しか生保の営業やっちゃいけないよ。ほんとに。
でも会ったとしてなにを話せばいいんだろう、どこに行けばいいんだろう。
やっぱりお酒なのか??お酒でも全然いいから会いたいなぁ、でも話も下手だしこんな人間だから会っても盛り上がらないかもしれない。
ここまで学生時代の友人に会いたいのは今楽しくお友達してる子たちが高校時代の友人と遊ぶことが多いからなのかもしれない。TLで高校の友達と遊んだ〜って書いてるの見たらめちゃくちゃ歯軋りしてるもんね。醜すぎる。心が狭い。本当に嫉妬はだめ。もしかしてわたしが今高校時代の友人に会いたがっているのも、今の友達に見せたいからなのかもしれない。そんなことに気付いたらまた気持ち悪くなってきた。
SAOのゲームは神ゲーってコアファンの友人から勧められたんだが、言うほど良い出来なのか?と疑問に思ったのでプレイしてみた。
結論から言うと、それほどでもなかった。完全否定するつもりじゃなく、いきなりレベルが高かったりするのは良しとして、システムはそこまで完成していると思えなかった。
とにかくAIがバカ過ぎて、結局ソロしてるのと変わらない。いくつかの作品をプレイしてマルチも参加してみたが、マルチの意味があんまりなかった。
作品の中で唯一「あー面白いわー」と思ったのはガンゲイルオンライン。敵のAIは相変わらずクソで、今までのシリーズで一体何を学んできたんだクソバンナムという出来なのだが、まぁガンゲーの中ならこれは面白かった。
バンナムのSAOの何がつまらない原因かと言うとゲーム部分がコピペしただけの繰り返しで前述したAIも改善されていない所、そして無駄なハーレム要素。添い寝とか意味わからんとです。あんなんは童貞しか喜ばんでしょう。
最新作はどのくらい改善と向上しているかわからんけど、友人は相変わらず神ゲーと言うのだろう。全体的につまらなくはなかったよ。ただ神ゲーにはなり得なかったけど。
チョット長文
ツイッターでもよく見かける転売屋はどう見ても頭が悪そうに見えるのね。
自分はお金を稼いでいるつもりなんだけど実際は小売りからも目を付けられていて
今後現金から電子通貨に変わっていくと自分の購入履歴が可視化されて、対策を取られるんだけどそういう自覚もないんだよね。
小売もマスクの件以降目を付けられるのが怖いから、転売対策をしないといけなくなるのね。
それで、どうしても不思議で仕方ないのが、転売屋の自己正当化スキームがみんな判を押したように同じことなんだよね。
小売店は全部転売とか、実際には色々な許可を取って商売している事実をあえて無視しているの、不思議でしかたないの。
そしてここで転売を正当化している人たちとツイッターで実際に転売をやっている人、全然違うのよ。
実際に転売をしている人はツイッターで何を書かれても動じないような厚顔無恥な方々ばかりでとにかくお金が欲しいんだけど
正当化している人は、マニュアルでもあるかのように、同じ言説で無理やり通そうとしているのね。
それで思ったのよ。もしかしたらここで転売を正当化しているのって実は副業をエサに人を集めている方々で
実際に転売をしているのって実質マルチの被害者なのではないかってね。
もちろん実際のマルチと違って、何か商品を売ってもらっているわけでないから追跡が困難だけど、ノウハウを売りますって
ちょっと調べると、月額で金を取るやつがすぐに出てくるの。 転売塾 月額で検索するとわんさか出てくる。
これってちょっとした集金装置ですよと。どう見たってマルチの変種です。本当にry
みなさん、確かに転売屋は害悪ですが、実は彼らが被害者であるかもしれない、本当はもっと別なところに相談すべき