はてなキーワード: バックバンドとは
メタルじゃないからなんだかんだと皆さん仰るけど、まあだまされたと思って一度ライブに着てほしい。9月に東京ドームかあるから、是非
一見さんの多いフェスやFC限定の小箱ライブを除く大規模会場国内公演でのBABYMETALの客層は大きく分けて三つ
③はリピート率が低いし、スタンディングエリアには殆どいないから除外するとして、
一見似たような風貌をしている①と②の差は「ケチャ」等に代表されるオタ芸が滑らかにできるかどうか、それから開演前なにをしているかでだいたいわかる。
BABYMETALの開演前SEはザ・王道メタルばかりで、メタルを少しでもかじっていれば非常に楽しく開場~開演までを過ごすことができる。
例えばマスターオブパペッツが流れればフロア全体が拳をあげて「マスター!マスター!」と叫んだりする。勿論まだメンバーもバックバンドも出てきてない。客はSEを聞いて好き勝手にエアギターしたりリズムに乗ったりして勝手に準備運動をしておくことができる。
BABYMETALの開演前SEが大御所メタル詰め合わせプレイリストだったのはかなり初期からだけれど、客がみんなでシンガロングしたりするようになってきたのはここ二、三年のことだ。つまりメタルがわかる客が増えてきているということ。
これは単にメタラーの流入だけではなく、元々②側のお客さんにメタルを布教することによって元々アイドルオタクだった層をメタルに取り込む、つまりアイドルのCDを買ってたお金をBABYMETALだけでなく他のメタルバンドに還元することが出来ているんではないかなと思う。
なぜって客の絶対数はそんなに増えてないからだ(さいたまスーパーアリーナ、幕張メッセを埋めた後のライブが横浜アリーナというキャパシティ小さめの会場であることからも明らか)
BABYMETALはMCの代わりに、ナレーションコメント的なものと映像を放映するのだが、必ず一番最初に「アイドルによってメタルをはじめとした音楽は日本の音楽業界から駆逐されつつあった。その現状を憂い、"狐様(=プロデューサーと思われる)"は三人の少女を遣わしたのである」みたいなことを流す。言い回しは記憶ベースなので適当です。
つまりそもそもBABYMETALはアイドル一強の音楽シーンに一石を投じたいという意図があり、その道具としてアイドルを使うという皮肉じみた戦略を取っている。
だから、本来もともとメタルが好きであるメタルおじさんたちはBABYMETALのターゲット層ではない。
しかしこれまた皮肉なことだが、BABYMETALのライブを一番楽しむことが出来る客はメタラーなのだ。わかる人にしかわからない故に面白いのがオマージュだからだ。
こと細分化されたジャンル同士でモメがちなメタラー諸兄も共通言語としての王道はおさえているはずだし、BABYMETALのオマージュ元ネタはそれを外さない。(バカにされがちなジャパメタに対してはわりと突っ込んだネタまで持ってくるが)
前述のナレーションやライブツアーのタイトル、曲名、歌詞、ギターリフ様々なところでオマージュは見受けられる。
引用されるのは例えば、
・TRILOGY(イングウェイマルムスティーン)
・NEMESIS(ArcEnemy)の歌詞の一部
・THE END OF THE CENTURY(聖飢魔II)の歌詞の一部
等々。
それとライブ終わりの「We are BABYMETAL!」のコールアンドレスポンスを何度も繰り返すくだりはXのライブと同じ流れ。
これは前提知識の有無で気付けるかどうかが分かれるので、自分が気付いていないところもたくさんあると思う。もし他にもあれば教えてほしいです。
まあ要するにCDだけではもったいないなんてことはメタラーのぼくたちが一番よくわかっているわけだから、一度ライブに来て、自分たちは歓迎されている、そして縮小の一途を辿るメタル市場がじわじわとこんな形で伸びてきていることに対して喜びを感じて欲しいなと思っている。
曲はドメタルなのと全然違うのとで両極端だが、この点は上田剛士氏の起用に関する話なので割愛する(出来ればどこかで上田氏およびTHE MAD CAPSULE MARKET'Sとその後の邦ロックシーンについても文章に起こしておきたい)
曲が一番大事じゃねーか!というご意見はごもっとも…。CD音源だとデジタル要素が強い曲もライブ生演奏だとかなり音作りがメタル寄りになっていてそんなに違和感はない。
このアルバムはすごい名盤だってものすごく語りたいです。音楽にうるさい方々にも積極的に聴いていただきたいなと思う次第です。
でも、こういうのをあまりべた褒めするのって結構怖いですね。音楽の好みは人それぞれですし。
自分が最高!って思ってても世間的には全くそんなことないなんてことは本当によくあります。妙に褒めると反発をくらいかねないです。
実際、音楽雑誌とかの「2015年ベストアルバム特集」をぱらぱら読んでみても全然話題に出てなかったので。まあそんなもんです。自分の視野が狭いだけです。
とはいえ、それなりに注目されて評価されてるのかなってのはなんとなく勝手に思っていたので、年間ベストに入ってなくてちょっとがっかりしました。
だから自分で語ろうかな、と思い至るわけですが、やっぱり、ハマってしまったあまりに冷静さを失った文章になる気がするので、書いて叩かれるのが少し怖いところはあります。
花澤香菜とは、声優です。人気若手女性声優です。名前くらいは聞いたことがある人が多いと思いますし、検索したほうが理解は早いです。
声優の中ではアニメの出演数がトップクラスに多いです。1年間に何十本も出ていたりします。最近は少し落ち着いてきましたけどね。
特徴は、ウィスパーボイスというか、天使のようにかわいらしい声ですね。ヒロインボイスです。個人的には少し荒げた演技も好きですが。
声に含まれる倍音成分がものすごく豊富らしいです。科学的に実証されてるらしいです。
声優なので、当然ソロで歌手デビューする前からキャラソンとか歌っていました。化物語の「恋愛サーキュレーション」という曲がレジェンド級に有名です。
あと、セキレイという作品のライブで歌った時の歌い方がネタにされてて、わりと音痴っぽい扱いを受けてました。
そして、2012年に満を持してソロ歌手デビューをするわけですが、みんな歌の方は割と心配してました。
私も深夜アニメはよく見ていて花澤香菜さんのことは当然知っていましたが、当時は特別好きというわけでもありませんでした。
しかし、プロデュースするのがROUND TABLEの北川勝利だというニュースを聞いてにわかに興味が湧いたのを覚えています。
ROUND TABLE、及びfeaturing Ninoは好きで聴いていましたし、声質との相性も良さそうだということで、けっこう期待していました。
その後2013年に1stアルバム「claire」がリリースされたのですが、確かに名盤でした。
北川さんをはじめ、中塚武、神前暁、カジヒデキ、宮川弾、矢野博康、沖井礼二などなど、渋谷系の流れを汲むポップス好きにとってはたまらない作家陣で、花澤さんにぴったりの歌を作ってくれました。
花澤さんも声優らしく表現力豊かに歌いこなしていて素晴らしかった。「マダダーレモー」とはなんだったのか。たぶん自分の歌い方ってのを少しずつわかっていったんでしょうね。
1年後の2014年には25歳の誕生日を迎えることにちなんで25曲入りのアルバム「25」をリリースしました。ものすごいハイペースです。
この2ndアルバムでは岩里祐穂さんを作詞に迎え、花澤さんと意見を交わしつつパーソナルな部分を反映させた曲作りをしています。
そのうえで、25曲という多さを生かして幅広いジャンルの曲に挑戦していきました。
そんなこんなで、アニメやらレコーディングやらライブやらで多忙を極めた後に迎えたソロ活動3rdシーズンの集大成が「Blue avenue」になるわけです。
Blue Avenueがリリースされるまでに、3つの先行シングルが発売されました。
しかし、この3曲を聴いて「このアルバムってこんな感じか」と思ってはいけません。
むしろ、この3曲がアルバムの中で最もコンセプトから外れている曲といっても過言ではないでしょう。
では、このアルバムはどんなコンセプトで制作されたのでしょうか?
「Blue Avenue」のコンセプトは一言でいえば「ニューヨーク」です。
テーマがニューヨークになった経緯はインタビューで話されています。
──今作のテーマは「ニューヨーク」とのことですが、なぜこのテーマを?
ニューヨークはわりと後付けなんです。アコースティックライブの「かなまつり」みたいな少人数でのライブを何度か経験して、少ない音と声で作り上げる空気感っていいなと思っていて。
3rdアルバムの方向性を考えているときに、「あの自由に音楽を楽しむ感じを生かすなら、ジャズをやってみるのもいいんじゃない?」って意見が上がったんです。
その中でニューヨークというキーワードが浮かび上がって。ジャズの街でもあるし、ほかの新しい音楽に挑戦するのにも「ニューヨーク」をテーマにすれば統一感のある作品になるんじゃない?って。
ジャズ、AOR、フュージョン、レゲエなど、これまでのアルバムと比べると「大人」な雰囲気を持った曲が多めのアルバムになっています。
そして、ニューヨークといっても70~80年代くらいのニューヨークのイメージという感じがします。
それはSwing Out Sisterが参加してるのもあるかもしれませんね。
詳しい方ならば、楽曲のクレジットを見ればこのアルバムがどういったアルバムなのかがわかるかもしれませんね。
ということで曲目・スタッフリストを載せたいのですが、長いので記事の末尾に載せました。
こういうのをあまり主張するのもどうかと思うんですが、参加しているミュージシャンが豪華です。
クレジットを見ていただければわかるように、今までのアルバムでおなじみの作家陣に加え、シングル曲ではSTUDIO APARTMENTややくしまるえつこがサウンドプロデュースをしたり、2つのニューヨークレコーディング曲においてウィル・リーやスティーヴ・ジョーダンなどの海外のスタジオミュージシャンの参加、80年代から活躍するイギリスのユニット・スウィングアウトシスター提供曲など、一流の人たちがたくさん参加しています。
まあ、極端な話、名前は知らなくてもいいと思うんですけどね。聴けばわかりますから。「I ♥ NEY DAY!」「Nobody Knows」での軽快なドラムが気持ち良いなあとか、「Dream A Dream」の洋楽っぽい感じがすごい良いとか。ここでいう洋楽っぽいってのは英語圏の歌っぽいなあっていう意味ですね。洋楽の日本語カバーみたいな雰囲気がありますね。それもまた味。そして、セリフのパートがあって、もしかして本業が声優であることを意識して作ってくれたのかなとか想像してみたり。
おなじみの作家陣もすごい良い仕事をしてくれています。というかキレキレです。特に矢野博康作曲「We Are So in Love」が光ってますね。4つ打ちのフュージョンで、イントロからもうたまらないです。シンバルズの頃から思っていたんですが、矢野さんは王道のポップソングもいいんですけど少し趣味に走った感じの曲を書くと時々とんでもない名曲を生み出しますね。
一つだけ主張しておきたいのは、みんな決して無駄遣いではないということですね。すべてが良い方向に結びついています。
「ニューヨーク」というコンセプトがあって非常に統一感があるのが素晴らしいです。
最初に「シングル曲がコンセプトから外れている=ニューヨークっぽくない」と言っておいてなんなんだ、と思われるかもしれませんが、このアルバムの面白いところは3つのシングル曲が違和感なく自然に収まっているところなんですね。
バラードの「君がいなくちゃだめなんだ」が終盤に入ることでアルバムがよりドラマチックになっています。そこから最後の曲「Blue Avenueを探して」に続くのがもう最高ですね。西寺郷太さんの歌詞がいいんですよ。
クラブミュージックの「ほほ笑みモード」ややくしまるえつこさんの個性が色濃く出ている「こきゅうとす」も、意外なくらい自然に入ってるんですよね。それは曲順が考えられているのもあるんですが、「ほほ笑みモード」がアルバム用ミックスになっていたりなど、音づくりにこだわっているからというのもあるのでしょう。後述しますが、このアルバムは音が良いです。
アルバムとして非常によくまとまっていて、通して聴いた後の余韻が良い感じです。
NYで録音した2曲は際立って音が良いんですけど、それに劣らず全体的に非常に高いクオリティの音づくりがされています。花澤さんのアルバムは1stの頃から一貫してソニーの茅根裕司氏がマスタリングエンジニアを務めていて、常にクオリティが高かったんですが、今回は最高の出来栄えなのではないでしょうか。オーディオに詳しいわけではないので断言はできないですけど。
シングル曲が違和感なく収まっているのもマスタリングによるところが大きいのでしょうか。詳しくはわかりませんが、ぜひ良いヘッドホンでじっくり聴いてほしいと思えるくらい良い音です。
ニューヨークっぽいということでAORとかフュージョンを取り入れた、と聞いても正直ピンとこない人が多いんじゃないかと思います。AORってどんな音楽かを説明できる人って実はそんなに多くないのではないかと。結構マニアックなところを突いてきてると思います(そんなことないよ、常識だよとお思いの方もいるでしょうが)。
でも、そういうジャンルとか全く分からなくても「良いな」と思えるようなアルバムになっているのではないかと思うのです。それは曲自体がそう作られているというのもあるかもしれないんですけど、やはり花澤香菜が歌うということでポップスとして完成されるというか、そこに花澤さんの歌のすごさがあるのではないかと思っています。
3rdアルバムを出すまでの3年間で60曲以上のオリジナル楽曲を歌い、ライブも精力的にこなしてきたからこそその次元に達しているというか、こういう曲を楽しみながらポップスとして歌える筋力がついたのではないかなと思うのです。それこそ「25」あたりの頃の怒涛のスケジュールが千本ノックのように効いてるのかもしれないですね。
1stの頃は作家の作る曲を最大限に活かすために歌うという感じ、それこそ声優としてディレクションに応えるような感じで歌っていたように思うのですが、「Blue Avenue」ではコンセプトの発端が花澤さんの意見であることからも、ちゃんと歌手になってきてるのだなと感じます。
当然ですが、豪華なメンツに霞むこともなく、曲に負けているだとか歌わされてるだとかいう印象を全く受けません。むしろ北川さんも他の作家さんも花澤さんをプロデュースすることで新しい扉を開けているような感じさえします。インスピレーションを与える「ミューズ」なのかもしれませんね。
私が花澤さんのアルバムの中で際立ってこれを好きなのは、花澤さんと作家陣が一緒になって制作している感じを受けるからなのかもしれません。化学反応が起きているのをひしひしと感じます。
また、花澤さんは1stの頃から自作詞曲を歌っているのですが、今回も2曲作詞していて、ちょっと詞もこなれてきたというか、アーティストとしての一面が出てきたような感じがします。
「タップダンスの音が聴こえてきたら」では音楽に身を委ねることの喜びをシンプルに書いていて、歌を楽しめている感じが伝わってきます。
タップダンスの音が 聴こえてきたら
軽やかなそのリズムに 身をまかせて踊るの
今はいらない ふみならそう 夢中になるだけさ
一方、「プール」では暗い部分を歌っている感じで、こういうのがあるとなんというか、深みが増しますよね。
花澤さんは詞を書くと少し重たい感じになってしまうみたいで、それもまた個性というか、人気声優としてバリバリ活躍している彼女の影の部分が垣間見れるようで、イイですよね。
どうやって喋ってたかな
ねえ どうやって眠ってたかな
どうやって歩いてたかな
ねえ どうやって 笑ってたのかな
わからない 思い出せないの
もしかしたらここまで惚れ込んでいる理由はライブを見たからなのかもしれません。花澤香菜の歌の魅力の真骨頂はライブにあるのかもしれません。
武道館公演の映像を収録した「Live Avenue Kana Hanazawa in Budokan」というBDが発売されているのですが、アコースティックライブの映像も収録されていまして、他にも素晴らしい映像特典もありまして、とても素晴らしい商品です。
花澤さんの歌って生演奏にすごく合うんですよね。地上波で「こきゅうとす」を披露したこともあるんですけど、それとは全然違いますね。ライブの「こきゅうとす」すごく良いです。
武道館ライブではバックバンドの通称「ディスティネーションズ」にホーンも加わって、とても豪華なものになっています。
一番の見どころはジェームス・ブラウンの「Get Up (Sex Machine)」(ゲロッパ)に合わせて花澤さんが好きなパンの名前を叫ぶというパフォーマンス(メロンパン!メロメロ!)。冷静に考えるとすごくくだらないシャレなんですが、演奏がガチであることと、みんなすごく楽しげな様子が印象的で、とても幸せな空間が出来上がってるなあと感じました。
あと、花澤さんのパフォーマンスがいちいちかわいらしいんですよね。「Merry Go Round」の振り付けとか。
そして、アコースティックライブが素晴らしいんです。花澤さんの生歌ってこんなに良いものなのか、とため息が出ますよ。本当に、歌がヘタであるような扱いをされていたのが嘘みたいです。声量は確かにそんなにないのですが、歌の細かい表情付けがたまらなく上手いです。ピアノとギターだけの少ない音だと余計に際立ちますね。
誰にと言われれば万人に、と言いたくもなるんですけども。
最近、星野源やらceroやらで、ブラックミュージックとかシティポップとかそういう言葉がよく聞かれるようになったんですけど、このアルバムもそれと同じ文脈で語ることができるのではと思います。
「シティポップ」ってもはや言葉が独り歩きしだしてよく分からない感じなんですけど、街のことを歌うのがシティポップだとするなら「Blue Avenue」も十分当てはまりますよね。
また、北川勝利さんをはじめとした作家陣は、最近再評価の流れがある気がする「渋谷系」や、最近流行り気味の新しい「シティポップ」の世代の狭間にいる人たちなんですよね。どちらも独り歩きしてあやふやな状態にある言葉ですけど。
良質な音楽を作ってきながらも長らく日の目を見なかった人たちがこうやって素晴らしいものを作り上げてくれている、というのも感慨深いものはありますね。
そして、70~80年代のニューヨークイメージってことで、けっこうオッサン向けなのかもしれません。……年間ベストに入らなかったのは革新性がないと思われたからなのかも。私は花澤香菜さんが歌うだけで十分新しいと思うんですけど。
というわけで、以上、Blue Avenueについてでした。
花澤香菜「Blue Avenue」インタビュー - 音楽ナタリー Power Push
http://natalie.mu/music/news/111594
花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2015/04/post-3000.html
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : 北川勝利 ホーンアレンジ : 村田陽一
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Electric Guitar : 山之内俊夫(流線形)
Wind Chime, Chorus : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : STUDIO APARTMENT
Guitar : 堀越雄輔
Vocal Direction : 北川勝利(ROUND TABLE)
Sound produced by STUDIO APARTMENT
作詞 : 岩里祐穂 作曲 : 北川勝利 編曲 : 北園みなみ、北川勝利
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Wuritzer, Claviniet, Analog Synthesizer : 北園みなみ
appears courtesy of Polystar Co.,Ltd.)
Wind Chime, Shaker : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞・作曲・編曲 : 宮川弾
Programming, Clarinet, Saxophone, Chorus : 宮川弾
Guitar : 後藤秀人
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : mito
Drums : 千住宗臣
Guitar : Saigenji Permalink | 記事への反応(0) | 15:20
バックバンドでいいなら余計に問題ないでしょうに。ライブでアカペラで歌うわけでもないでしょ。
これまでアスタリスクでだりーがギター持ってなかったのは単に弾けなかったからだし、
それで、だりーながそういう認識でいいと思ってるという描写は?
だりーなが、ギターが上手くなって、アスタリスクで、音楽性やスタイルが備わったロックをやればいいと思っている描写は?
「李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」と、
「李衣菜ちゃんが良かったって思えるようにみくが頑張らなくちゃ」と、
後者の場合だと、「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、『みくが』頑張って最高のユニットにしなくちゃ」
とあるように、だりーなが迷わないよに、このユニットでよかったと思えるように、みくが主体的に活動して、だりーなの気持ちを動かすと読める。
これは、だりーな自身の気持ちがどうであるのかを置き去りにした、まさしく「人の気持ちを勝手に決める」ものだ
対して前者の場合だと「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」とあるのは
みくが、だりーなの心情を察していたことを打ち明けているだけで、「人の気持ちを勝手に決める」ものではない
逆に前者だと思う理由を具体的に説明してくれないかな?
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」という方がよっぽど「素直な読み」じゃないの?
この読みとやらをもっと具体的に書いてくれない?
前々から思ってたんだけど、本来の台詞を約すのが多いよね、もっと具体的にしてくれないかな?
本来は「アスタリスクはロックだけじゃないし、本当はもっとなつきちゃんの新しいユニットみたいな」に対して
「自分がロックだと思ったらそれがロック、アスタリスクが私にとってのロック」だから
増田がもし本当に「ロック本来の音楽性やスタイル=ギターを弾くこと」とだけ考えているだけなら、
上で書いたとおり「アスタリスクはロック」ってことで納得してくれるはずだよ。
でも増田が言外にいろんな先入観を「本来のロック」に反映させているから、こっちが何を言っても納得してくれないんでしょ。
ロックにはいろんなロックがあるけど、それらに本格的だとか本格的じゃないなんて無い、ぜんぶロックだ。
という大前提が共有されないと何とも言えない。
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
この台詞をどう読むの
だりーなはこの台詞を否定していない、この台詞を否定していないということは
バックバンドでいいなら余計に問題ないでしょうに。ライブでアカペラで歌うわけでもないでしょ。
これまでアスタリスクでだりーがギター持ってなかったのは単に弾けなかったからだし、
ギター練習して上手くなってからギターを弾きたいってPに言えばいい。
これは「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、みくが、頑張って最高のユニットにしなくちゃ」にかかってる台詞じゃないの
「李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」と、
「李衣菜ちゃんが良かったって思えるようにみくが頑張らなくちゃ」と、
その「音楽的なロック」「精神的なロック」とかいうの以前から主張しているけど増田の独自定義だよね。
ロックには音楽的なロックと精神的なロックがあって…なんて理屈をこねくり回すよりも、
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」という方がよっぽど「素直な読み」じゃないの?
俺は「なつきちはロック本来の音楽性やスタイルが備わっている」「アスタリスクはロック本来の音楽性やスタイルが備わってない」と主張しているのね
それは論破されてないよね
増田がもし本当に「ロック本来の音楽性やスタイル=ギターを弾くこと」とだけ考えているだけなら、
上で書いたとおり「アスタリスクはロック」ってことで納得してくれるはずだよ。
でも増田が言外にいろんな先入観を「本来のロック」に反映させているから、こっちが何を言っても納得してくれないんでしょ。
ロックにはいろんなロックがあるけど、それらに本格的だとか本格的じゃないなんて無い、ぜんぶロックだ。
という大前提が共有されないと何とも言えない。
川本真琴と言えば、テレビで訳わかんない事を突然言い出すぷっつんでアイドル崩れの一発屋ようなイメージかも知れません。
そんなイメージとは裏腹にキメる時はビシっとキメるんです。かっこいいんです。
小さく細い体なのに声量はデカくてバックバンドの爆音にも負けないボーカルです。
MCのグダグダは毎度の事ですが、特に共演者やサポートメンバーのグダグダ感。
確かにテクニック的にうまくない人をサポートメンバーとして一緒にステージに上がる場合があります。
最近この楽器を始めました、って人と一緒に演奏していたライブもありました。
観ているこっちも心配になります。でもその後、一緒にやってくれて心強かった、って言っちゃいます。
彼女にとっては上手い下手なんてどうでもいいんです。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
前回は初音ミクのLAコンサート、Mikunopolisに関する外国人の感想「Promise Of Rebirth」を翻訳してみたんだが、読み返してみると随分と難解で堅苦しい。逐語訳だとどうにも冴えないようだ。こりゃいっそ正確さは犠牲にして、分かり易さを最優先にもっとフリーダムに翻訳してみてもいいかもしれん。参考文献は水戸黄門の主題歌、つまり七五調で。
+++++以下翻訳+++++
するのは遥か 未来だと 思ったことも ありました
ミンメイだけが きっとこの 場面飾るに ふさわしい
そんな土曜の 夜の夢 思い返して 考えた
分かっているね お客さん DVDを チェック済み
青緑した 髪の毛が 繰り出す歌に 大興奮
ディラッド板に 弱点も あるけどそれも ご愛嬌
振り返る過去 幼い日 親に連れられ 見に行った
音に合わせた 光の線 まばゆく輝き 描き出す
それは発展 そしてまた 深い分裂 もたらした
好きなヤツらは 言われたよ 「お前ら音楽 分かってない」
人工的な 音なんぞ 芸術の名に 値せず
確かにそういう 面もある でも無視しては いけないよ
そして続いた 分裂は 未来に影響 及ぼした
音とつながり 融合し 未来の夢を 見せていた
それを知るため アイドルを きっちり考え 煮詰めよう
ショーは続くよ 華やかに 魅せる衣装の 早変り
再生求め 長き時 待ち望んでた この世代
ついに始まる 約束の 憧れ実る 新たな夜
イヴよシャロンよ レイ・トーエイ 君らの歌が もうそこに……
+++++翻訳終了+++++
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
http://anond.hatelabo.jp/20101125170955←このURLをクリックすると、「彼女が死んだ話」という日本語で書かれた、小説らしきものが読める。
思うところは人それぞれだろうから、僕もこれから彼女が死んだことを書き綴ろうと思う。
僕は生まれも育ちも同じ県で、地方の市立小学校に通い、そのまま市立中学校に進学した。
僕は、友達がするから、という薄い理由で吹奏楽部に入り、黒いから、という浅い理由でクラリネットを選んだ。オーボーは先に取られた上での、消去法だ。金も銀も好きじゃない。だいいちあすこの喇叭は緑青がびっしりで、磨きに失敗して管体は凸凹し、リペアに頼らない修復をしたおかげかバルブがありえない方向に曲がっていた。それでもあれは死んでないらしく、バズィングを終えた後マウスピースを填めて息を吹きこむと、ぼへーという気のない音が部室に響いた。
さて、吹奏楽部には定期演奏会というものがある。いわゆるおけいこの成果を、街の皆様方にアピールしようというわけである。しかしそれは建前であり、実際のところは街のお店から広告費をせびり、部員の家族うちで盛り上がろうという、極めてクローズな発表だ。広告主もたかだか三年むすこむすめがその部活に在籍していたというだけで、今後十数年、あいや数十年集られることになるとは、まさか夢にも思わなかったに違いない。
定期演奏会とはまじめなコーナーとふざけたコーナーの二種類楽しめる、ニコイチのようなものだ。先述したよれよれの金属体が、ぼえーとむせぶ、ゆるゆるなたいこが、どぅゎんどぅゎんと悲鳴をあげる。ニコイチでオトクな気分になろうとしても、こんな音では身内とて地獄であろう。
その定期演奏会では大抵、三年生のひとりひとりがソロのようなものを任されるのである。ソロのようなもの、というのは厳密にはソロではない、みんなで吹くところを無理に一人で吹かせたり、挙句には前に立たせて、キュプーと吹かせるのだ、たまったもんではない。足りないならば音楽の加工さえ厭わぬとは、正に儀礼、避けては通れぬというものだ。
では、実際私はどうだったか。
クラリネットは全体で10人からなるが、なんとその10人分を私一人に押し付けたのだ。一人で10人分の仕事をしろ、というのである。どんな馬力だ。
だいたいクラリネットというのはそんなに音を重ねても重ねた人数だけ音が増幅されるわけではない。いや、重ねただけ共和せず、うわあんうわあんという不快な耳障りばかりだけが気になるようになるだろう。そんな楽器なのだ、クラリネットというものは。
というわけで、私は一人で揚々とステージの前に立ち、バックバンドのきちゃない演奏に合わせて、これまたきちゃない、でも聴きやすい演奏をしたわけだ。
で、その時にどうやら僕に惚れてしまった後輩がいたようで、演奏会が終わってから告白され、付き合うに至った。これが10年前のことである。
これは先日の話だが、その彼女の葬式を執り行なった。喪主は彼女の兄である。彼女は白血病で亡くなり、僕にはどうすることもできなかった。来年には結婚しようという、ながい交際も一区切りするかしないか、といったところだ。
彼女は高校、大学と付き合いを重ね、別な学校に行っても、別な地方に進んでも、毎日の便りは欠かさなかった。彼女にだけはディジタルな年賀とは別に、葉書に依る絵と言葉を惜しまなかった。どうやら親にはバレていたようで、手段を変えてくれとメールで痛切に頼まれたものの、僕はそれをしなかった。思えばある意味で常識に欠けた配慮だった。
彼女の容態が不安定になったのはつい一昨年のことであるが、大学四回生で、卒業論文を控えていた僕はそれでも彼女の見舞いに時間を割いた。夕日を背景としてこちらを向く彼女は美しい。彼女の一挙手一投足が僕の人生の肥やしとなっていたのは言うまでもない。
しかしもう彼女はいないのだ。僕も先月親会社の倒産の憂き目に遭い、わずかばかり用意された最後の賃金を受け取り、それでなんとか首の皮一枚繋がっている。先に逝った彼女は僕に死んじゃダメ、とムチャクチャな約束をさせた。彼女のために生きるというのもわからないでもないが、僕は僕だ。僕のやりたいようにやる。
そこで早速駅から降り、歩いて十分とかからないおっぱいパブというところへ足を運んだ。彼女は胸が平均的で、乳首が大きく、吸いついていたとき、揉んでいたとき誠に幸せだったのだが、そのパブは誠に僕のささやかな幸せを叶えてくれた。
バカヤロウ、満たされれば誰でもいいのか、と言われるかもしれないが、けしてそういうことではない。あくまで僕のイマジンを促進してくれるために通うのであり、眼をつぶったとき、そこにいるのは間違いなく彼女なのだ。脱線などしようものか。バカヤロウはお前というものだ。
これまでの経緯や双方の謝罪文についてはググればすぐ出てくると思うのであえて触れない。いきなり本題に行く。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://natalie.mu/news/show/id/15731
radio 鈴木万由香の文章は謝罪というより言い訳に感じます。火消しの方法としてはよろしくないですよね。放送内容も含めて、弱いのは心じゃなくて頭じゃないかと思います。 2009/04/22
音楽, 揉め事 これで収束かあ。しかしDJの方の謝罪文は言い訳だらけにしか見えない。どうせ双方形だけなんだからすっぱりした文章書けばいいのに。 2009/04/22
どこがどう言い訳なんだ?謝罪する必要事態が無いのに、自らのどこに非があったのかを考えて、それを説明して「騒がせてしまってすいみません」と謝罪してる。
これを言い訳だと言うのはもうただのイチャモンだよ。それがわかっているからこそ「感じます。」「にしか見えない。」なんていう魔法の言葉を使ってるんだろうけどな。(この言葉を使うことを全否定するわけじゃない)
しかも「感じます。」っていう感性レベルの問題から一般的な方法論の問題に持っていくのも無理あるだろ。お前の感性はどれだけ立派なんだ。最後の1行でもう幽霊の正体見たりなんとかかんとかで結局ただ感情的に女を許せないってだけなんですねってのがわかって逆にこっちとしても安心するが。
Radio 鈴木万由香はブログで謝った(実は謝っていない)だけかい! / エレカシ側の謝罪文発表は新譜の宣伝を狙ったものだと思われ・・・(ry 2009/04/22
それ以上の何を望んでるんだお前は。謝罪文発表は世間で問題になったからビビって謝ったんだろ。
宮本様だってこの世知辛い世の中で生きてるサラリーマン歌手なんだから。無理に「謝らない男」に仕立て上げるなよ。
お前みたいな信者の痛さのせいで問題でかくなって謝罪することになったんだと思うぞ。
もう今の宮本はまさにスポイルされちゃっている状態でさ、それをしたのは信者とバックバンドの3人だろ。
「宮本を受け入れられるのはあの3人だけ」ってさ、それで受け入れ続けた結果がこれですよ。
自分が生活に困ったら企業や事務所からの提案受け入れて普通に売れ筋の曲かけちゃう程度のコダワリしかない人なわけだから、
別にいくらでも大人になれたと思うんだよね。それだと書く曲がつまらなくなるとか言う人いるかもしれんが、
別に今彼の書いてる曲に特別な個性も無いじゃん。
和田アキ子、紅白初出場者に「絞めてやりたい」と批判…週刊新潮「PerfumeとGIRL NEXT DOOR」と断定
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1204275.html
和田アキ子を批判しつつも同意している人がいる。
たかが音楽なのに、なんで根性論みたいなものを持ち込むんだろうね。
たかが音楽ですよ。
アーティスト気取りで根性論振り回すってなんだろうね。
ボコーダーで変わったことやってる女の子&周りのスタッフのほうが、アーティストって感じで良いよね。
まぁPerfumeの客もその辺評価してるんだろうけど。