はてなキーワード: 部活とは
野球部を丸刈りにする理由で、伝統だからとか、競技上の理由(帽子を被るとか)とかはわかるんだけど
野球部の顧問の先生とかから見ると、他の部活の生徒は丸刈りしてないから専念してないなあとか思ってるってこと?
部活に限らず、普通の髪型で例えば進学クラス行って大学目指してる生徒とかも、「勉強に専念してない」ってことになるんだろうか。
そんなに丸刈りにしないと言うだけで時間を取られたりするのが普通なのだろうか……
同じ野球でも大学・社会人だと丸刈りじゃなかったりするし、プロだってそうだけど、そのへんどうしてるんだろう。
最近は親が子供にApple Watchをもたせてたりするんだってな。
それってスゲーよ。
Apple Watchって自己管理するためのアプリいっぱいあるしさぁ。
今使ってるやつ知って、自分がいかに無理して走ってたか思い知らされたね。
これでも中高生の頃陸上部だったんだけど、これじゃどうやって長距離走るか分かってなかったって事だよなあ。お恥ずかしい。
こういうアプリ子供も使ってるんでしょ?部活とかで使ってるんでしょ?
そりゃー良いわ。良いなあ。俺も中高生の頃こんなの欲しかったよ。
今30代だけど、俺の練習中はドラゴンボールや刃牙みたいなエクストリームなものばかりイメージして励んでたよ。
俺の頃にApple Watchがあればなあ。今頃オリンピック出られたのに。
そういう割り切りが自分にはできないんだよなぁ
そうなんだよ〜世の中ってそんなに単純じゃないと思ってるタチでさ。
何の役にも立ってないな。8割おじさんといいああ言う奴らは万死に値する
ちなみに自分は「このコロナ禍で五輪なんかやりやがって」と言いたいわけじゃなくて、
コロナ前から馬鹿みたいな税金の使い方で準備しててやらなきゃ良いのにと思ってた東京五輪が、さらに一回延期までしてるのに、まだ色々規制縛りしながら破れかぶれでもとにかく開催しようとして、そこまでするような崇高なものなのか?と思ってるだけ。
「今は万全の体制が整わないから、次の五輪まで待とう。なに大丈夫、少しばかりの辛抱ですよ」って言えばいいのに。
今まで国民の色んなイベントにはそうやって言い聞かせてきたのに、五輪にはそれが言えないくらい特別なもんなのか?
違うでしょ。
この
は、必死に働く一般庶民や部活に励む中高生、その他もろもろ自分に影響を及ぼせない相手にはああいうセリフを吐いておいて、IOCバッハだの偉いさんの影が見えると腹を見せてのけぞり返って黙り込む。
ひねくれ者の自分としては、見てて本当に気分が悪い。
こんなことされてるのに、嬉しがって中継みながら立派におこもりなさってる方々にはほんと凄いなの一言だわ。
親心?というのか、若者が元気にやってる姿を見たいという気持ちが出てきた
男子高校生、できたら野球部みたいな感じの、さわやかなやつが、モリモリ飯食ってるの見てえな
毎朝起きたら寝ている布団と枕があって、着る服があって、開けるカーテンがあって、腐っていない床があって、家族全員分の朝食があって、当たり前のように学校に行けて、帰ってきたら温かいご飯とお風呂と布団が待っているような家庭で育った人間が大嫌いだ。
あの種類の人間はこちらも全く同じレベルの育成環境で育ったものだと思い込んで話しかけてくる。お前の母ちゃん何歳?父ちゃんなんの仕事してんの?実家はどこなの?マンション?持ち家?好きなご飯は?好きだった教科は?部活は?友達は?
その度に「いや〜アル中の父親は私に性的虐待はたらいて檻の向こうだし、母親は知的ボーダーの非正規労働者だし、継父は私をどうしても高校に行かせたくなくなかったらしくて私いま継父から高校時代の学費と生活費の返済請求されてんだよね〜」なんて言うわけにもいかないので適当にごまかしているが、ごまかせばごまかすほどアル中レイパー父・知的ボーダー母・スーパー男尊女卑継父のもとで生まれ育った私の本体が暴れようともがき出す。
幸せな子供時代を過ごした人間、日本に住む殆どの大人は幸せな子供時代を過ごしたはずだと信じて疑っていないので、ガチできつい。そういう人間にはもう二度と会いたくないが、残念ながら現代日本はそういう人間しかいないことを前提に構成されているので、まあ無理だろう。早く臓器提供安楽死合法化してくれ。
中学校教員、部活は全員顧問制。何かに入らねばならない。学生時代運動部だったということで運動部になってしまう。校長に辞めさせて欲しいと言ってはいるが、実際やりたい人だってそんなにいない。
顧問をしても、しなくてもいいならしない人が多くなるのは当然だと思う。精神的にも時間的にも負担が大きすぎる。
保護者からの電話、生徒同士のトラブル、練習内容を考える、引率、部費の管理、練習試合を組む、予定表を作る、遠征ルートを作る、通信を書く、お別れ会、講習会に出る、他中の顧問に怒られる、大会への登録、登録業務、仕事は倍増える。
だが子どもだってもう部活に時間をかけることが少なくなっている。塾で模試で、家の用事で、高校の説明会で簡単に休む。
私の時間は有限で、家族と過ごしたい。なぜ私の時間を一生懸命でない人に割かないといけないのか、とも思う。
とりあえずしんどい。
もうかれこれ10年ほど前の話だ。
親の決めた糞つまらない私立一貫校に行かされたことを不満に思い、こんな学校には一秒たりともいたくないと帰宅部を選んだ。
だが、当時早熟だった私は部活に入らないことでコミュニケーション能力や上下関係、体力が身につかないことを恐れたため、帰宅部ガチ勢になることを決めたのだった。
まずは体力面。幸い近所にテニスクラブがあったため、祖父にお金を出してもらいスクールに通うことにした。これが週3回。自主練や筋トレもしていたので、テニス部連中と同じくらいには上達したし個人で大会にも出ていた。
次にコミュニケーション面。学校では部活に入っていないと人間関係が希薄になりがちだ。そこで、ピアノや書道など、学校で何かしら賞が取れそう&活躍の機会がありそうな習い事は継続し、年始の書初めで賞を取ったりピアノ伴奏をしたりと、そこそこ存在感をアピールした。
上下関係も学んでおかなければまずいと思ったので、
高校に入ってからはとあるチェーン店でバイトをした。団体競技がしたくなったのでテニスをやめ、ダンスを習いに行っていた。
大学でも似たような生活をしていたので、私は人生で一度も部活動をやったことがない。
就活では習い事を部活と偽ってエピソードを捏造したが、内定は貰えた。
だが、苦楽を共にした友達というものが学内に存在しないので、中高時代の友達で今でも仲がいい人は一人もいないし大学にもいない。
🌰「だけど一人がモンブランにされてからどんどんいろんな奴が入ってきて…」
🧁「みんなごめん…僕が創作意欲をそそるモンブランなばかりに…」
🌰「お前は悪くねえよ!」
🌰「そうだよ!アイツらが悪いんだ!」
現在は動画編集の仕事をしている。当時を思い返すと色々と思うことがあったので、いくつか書こうと思う。
学校広報とは主に私立で行われ、募集促進のために広報活動を行うものだ。
主にHPやパンフレットを作るのだが、最近はSNSや駅のサイネージ広告、ネット広告や動画など、最近の
促進ツールは多岐に渡る。
さまざまな販促ツールを使うには広報費が必要だが、有名校はそもそも広報活動自体行っていない場合が多いか、わざわざお金をかけなくても勝手に取材依頼が入ることが多い。そうなると必然的に、クライアントは学力的に中堅から底辺の学校ということになる。
勝てなそうだと諦めるのは昔からですね。
多分小中の部活が影響しているかと。部活内のイジメやら顧問からの体罰やら挙げていけば結構あるくらいで、何をしても意味ないと思ってしまいます。
でも変わらずにここまで来てしまいました。よくある対処法として、小さな成功を積み上げて自己肯定感を持てるようになれば良いという思いから大学の授業やら資格やら頑張りましたが、何の変化もなく、逆に自己無力感が強まっていきました。
親や友達など誰に相談しても自分が「持っている側」として扱われることに嫌悪感を抱きます。自信が持てないことは「持っている側」の悩みだと言われ、まともに話を聞いてもらえないですし、甘えだと言われます。
うーん、わからんけど、それは「重要度が高いから」なのかなあ。その部活のせいなのか大学以降の何かなのか分からんけど、そのどこかでのトラウマが効いてるんじゃないか?勝てそうな見通しが見えなくなると急に怖くなるみたいな。
高校受験は勉強した記憶がほぼないくらいで、とりあえず先生に勧められるがままに家の近くで偏差値の高い高校を受けました。
高校は部活が所謂ブラック部活みたいな感じで、週7部活があり勉強する時間がそもそも取れなかった結果学力は悲惨でした。
逃げ癖についてはその通りなんですが、部活は同じ競技を12年程度続けましたし、バイトも学校もほぼ無欠勤無欠席ではありました。資格取得もサボらず一回で受かりました。
それでも熱中症にならなかったのは、体がタフだったってのはあるんだろうね
衛生仮説ってやつだね
http://nrichd.ncchd.go.jp/imal/Publication/0604SaitoHygiene_Kokyu.pdf
私は今人生の帰路にいる。
悪く言えば一度決めたらそれしか見えなくなる、かなり視野の狭い人間だ。
ここは重要なのでどうか忘れずに以下を読み進めてほしい。
26歳という年齢をむかえ、私は残りの20代をどう過ごすべきなのか悩んでいる。
シェイプアップのためジムにも通い、より完璧なスタイルに仕上げる。そのあとはありとあらゆる方法を使って男を探すだろう。
次に勉強。
仕事以外の時間はその勉強に費やしているが、なにせそこそこブラックな会社で時間がない上理解力があまりよくないので20代で合格にもっていけるか怪しいなと思い始めている。
私は学生時代にほぼ帰宅部で、人との関わりをほぼ避けて生きてきた。故にコミュニケーション能力が皆無で、営業をやっているが会社では干され気味で仕事も全然できない。なぜ営業職に受かったのかといえば、私は学生時代少しだけだが声劇部に所属しており、明朗快活な陽キャの演技で面接官を騙したからだ。
就活の仕方とか全然分からなかったので、受けたのはここ一社のみ。役作りと同じ要領で設定シートをつくり演技をしたらなぜか受かってしまった。詐欺まがいの演技にだまされガチのクズを採用してしまい、人事はさぞかし怒られたのではないだろうか。なにせ所属していた部活もやっていたバイトも創作なのだから。
唯一好きなことといえば勉強だが、根があまり頭が良くない(親戚も両親も頭が悪く従兄弟は中卒)
そもそも勉強が好きな理由も、一人でできてそこそこ達成感があるからで、ほかに大きな理由はあまりない。
今後の人生を考えた時、婚活か勉強か、どちらに邁進したほうが食いっぱぐれずにすむだろうか。
とりあえず現会社で一生過ごすにはあまりにも人間関係が宜しくないのでどちらにしろ転職は視野に入れている。また、かなりのコミュ障で人に嫌われる性格なので職を点々とする未来も十分にあり得るなと思い、何か資格でも持っておいたほうが良いだろうと暇を持て余した学生時代にとある資格を取っている。(明言は避けるが使えばそこそこ食いっぱぐれない類のものだ)
だったら勉強すればいいのではとは思うが、最近は私のような人間が正社員で働いていること自体が会社にとって迷惑なのではと思い始めた。とにかく仕事が出来ず協調性がなく全くと言っていいほど向上心が持てないからだ。
答えは出ない。とりあえず残業に戻ることとする。
ウ○コこそは食わされていないが、小山田圭吾の報道を見るだけで30年前の出来事が今のように思い出されて、フラッシュバックしている。
もし、いじめた連中がこれらの行動を武勇伝として語ったりしたら許せない。
いじめた連中の中には、日本人の誰もが知っているような有名病院で医師になってる人もいる。
その医師が有名になって武勇伝でそのイジメを語ったら、絶対許せない。
いじめた側は謝罪すればいいだろうと思うかも知れないが、いじめられた方は謝罪されても許せないし、フラッシュバックが起きるだけでむしろ被害者に取っては逆効果だと思う。
特に酷かったのはそのうち2年間。私はブサイクなのだが、廊下を歩くだけで男子は私の方を見て笑い、すれ違えば見た目がブサイクという意味のあだ名を大声で叫んだ。どうやらある部活の生徒の間で私がブサイクで蔑んでも良い存在だということが共通認識であるらしく、クラスメイトや顔見知りの男の子以外にも、私の知らない子も私を見ては笑って私を呼んだ。席替えをすれば常に隣の席とは数センチ机を離された。必要な連絡も全て無視されるか、「ブスがうつるから話しかけるな」と言われた。休み時間を終えて教室に戻ると、私の机の上にあったをノートや教科書、筆箱等はすべて床に落とされ、給食で使う道具(箸やランチョンマットなど)が入った巾着袋には靴の跡がついていた。掃除の時間では私の机は誰も運ぶことなく、最前席の時は私の机に触りたくないからか、その列の机は全て残っていた。ロッカーに入れておいた私のスクールバッグか絵の具バッグか習字セットは床に投げられているか、箒で掃いたゴミと共に隅に集められていた。そんなことが毎日続いた。
当時は華やかな子が多い運動部に所属していたため、女の子たちは仲良くしてくれた。そのため、学校で悔しい思いをしてもその場で泣くことはなかったが、休日に駅前のデパートに出かけた際、親の前で大声でその不名誉なあだ名を叫ばれた時と、親が手作りで作ってくれた巾着袋や手提げバッグがゴミと共にまとめられていた時は悲しくて親に申し訳なくて家に帰ってから泣いた。
それから私は、毎日毎日顔を隠して歩くようになった。休日出かけたり放課後塾に行く際は、顔を見られぬように一年中フードをかぶりマスクをして歩いた。同い年くらいの男の子を見たらすぐに俯き、その子たちが通り過ぎるまで静かに息を潜めた。
中学を卒業する頃には男子たちは飽きたのか、他のブサイクを見つけて標的を変えたのか(おそらく両方だと思う)、私のことを気にする人はいなくなった。ある程度高い偏差値の学校に進んだためか、高校ではブサイク扱いされることなった。それから大学に進学し、私は今20代の立派な社会人になった。女は化粧やファッションで化けると言うのは本当で、学年中の男子からブスと言われていた私でも見た目を褒められるようになった。その見た目を使ってお金も稼いだ。もう誰も私を見てあのあだ名では呼ばないし、私物を雑に扱われることもない。
それでも未だに地元を歩く際は顔を隠している。地元で同い年くらいの男の子を見ると、あの頃の思い出がフラッシュバックする。あの頃のトラウマで、高校生から醜形恐怖症やうつ病などいくつかの精神疾患も発症し、現在でも完治していない。
もし私が今、あの頃のあの人たちに謝罪されたら、それは許すべきなのだろうか。わたしは11年間ずっとあの頃の記憶に苦しめられている。忘れようと思っても忘れられず、地元を歩くとパニックになる。夜中に急にフラッシュバックして涙が止まらなくなる。今も人前でマスクが外せない。話す時もコンプレックスの口元を隠して話す癖が治らない。
幼馴染と親に懇願されて参加した成人式で、当時私の顔を笑ったクラスメイトに初めて名前を呼ばれて話しかけられた。飲みの誘いだった。あの頃私のことをあだ名で呼び、ブスがうつるからと蔑んだのと同じ口で、私を誘い、連絡先を要求した。私はその後、家に帰って泣いた。あのひとたちが私に与えた傷すら忘れていたことが気持ち悪かった。それでも、当時の彼らが「若気の至りだった」「反省している」「申し訳ない」と言うのなら、わたしはそれを受け入れ、あの時苦しんだ私もその後の11年も全てチャラにして許さなければならないのだろう。何事もなかったかのように笑うべきなのだ。
謝罪なんて自己満足だと思う。謝罪を受け入れなければこちらが悪人になってしまうのに。受け入れられなかった私は、いつまでも過去に執着するキモいメンヘラ女になってしまった。子供のしたことすら許せなくてごめんなさい。それでもあの頃泣いていた私のために、そんな些細なことを忘れられない粘着質な私のために、私だけは彼らを一生許すことはできない。
何事も飽きたらやめるわ。つまり楽しくなくなる前にやめるのね。
飽きてるのにやり続けても楽しくないからね。よって趣味と言えるものは俺にはない。
飽きても続けた先に成長があって浅くやるのとは比較にならない楽しみがあるというけれど、俺には分からない。
少しでもマイナスの段階があるってことでしょ。
だったらつまみ食いでちょっとずつ楽しさを享受する方法はひたすらプラスが積もっていくだけだからその方がいいと思ってしまう。
部活とかやってる連中もよく分からなかったわ。最初は面白そうだからやってるはずだけどあんな日が暮れるまでやったら絶対すぐ飽きる。
※実際にはなんとも思ってない。
例えばシュッとしたナルシストイケメンタイプ、可愛らしい年下タイプ(だいたい内面は冷酷)、ゴリゴリの体育会系だけど面倒見の良さで萌えさせるタイプ。これってギャルゲと同じ文法だと思うんだよね。男の品目を取り揃えて選び放題みたいな。
そして時々仲間内でやたら可愛らしい喧嘩をしたりするシーンが挿入されるんだけど、いかにも男子って子供っぽくてかわいい、という表現が先鋭化しててキモチワルイ。女子って男子を等身大で見てない。男子を自分たちの性癖消費のためにみてるんだなぁって思うんだよね。あと友情表現がベタベタしてて、「あいつがいないとスケート滑れない」外人とか何なんですかね。どうしてうかつにホモを連想させるの? 男子がみんなホモだと思ってるの?
あと題材もアメフトとかガチムチがいそうなスポーツを避けて新体操とか水球とか、結局イケメンの胸板が見たいだけじゃないの? あんななめらかな筋肉を強調したアニメって、結局女の人が抱かれるときの妄想に基づいてるわけじゃない? 男子同士の部活であんなにクリーンな空気が形成されるわけないじゃないですか。実際の男子の部活なんてマウントとおかしな慣習のオンパレードなので。『押忍!空手部』あたりが実相だよ。アレはアレで極端だけど。
なんであんなに長い肩幅、大きな胸板、極端な長身が揃ってるの? ホルモンバランスが崩れたデブと短小包茎とハゲも揃えるべきじゃない? それが真の平等では? デブと短小包茎のホモ行為も盛り込むべきじゃない? それが真の平等では?