はてなキーワード: 退職とは
出産による休職や退職がなくなるので、女性の地位向上が加速するような気はするが、一方で、少子化に対しては、出産後(子育て)の苦労は変わらないので、いくらか改善する程度の効果しかないかもしれない。
まあ何にしても、出産による苦痛は無くなるはずなので、個人的には人工子宮の実現をわりと切実に望むところである。(端的に言うと、出産怖い。そりゃ少子化にもなるよねと思う。)
十月の執務室は寒い。老朽化した庁舎は、あちらこちらで感染者が出た為トイレが封鎖され使用不可能になっていた。事件現場のごとく黄色いテープが貼られ、仕方なく別の建物まで足を運び用を足す。そこには、かつて共に働いた正規職員がいる。電話番号を交換した間柄の相手は二三度こちらを確認したが、顔を見合わせただけで同僚との会話に戻った。自席へと戻ると職員と市民が唸りながら攻防を続けている。ゆらゆらと垂れ下がるビニールシート。課名を掲げたプレートがだらしなくさがっている。
時折、倉庫整理を指示された。お偉方が使う立派な椅子を昇降機で運搬するのだ。真っ暗な倉庫は雨漏りし書類が濡れないようビニールに覆われていた。換気扇はある物の全体的に黴臭く湿気で蒸れる。鍵を取りに行くと一人でそこで作業する事になった。
私はピラミッド型の階層構造の最底辺で働いていた。空調は全く意味を成さず、仕方なく自宅から持ち込んだストールは偉い人に揶揄された。冬場、コートを脱がずにいたらホッカイロを手渡された事もある。ヒートテックにダサいセーター。周囲は見栄を張ってミニ・スカートで出勤していた。電気ポットはあるが、熱湯を使うにはパワハラ上司の前を通る必要があった。電子レンジは当然ない、誰も彼もマイボトルを持参する事を推奨され、私は毎朝6時半に起床し紅茶を作ることを習慣にしていた。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。
Excelや専用ソフトを用いた書類作成、それから電話応対が主な仕事であり、封筒の発注雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。コロナ禍にも関わらずパーティションはボロボロで頼りなかった。そのパーティションから顔を突き出すようにして同僚たちはお喋りに励む。
そこに常駐しているのは私一人も同然だった。時たま爆破予告があった際も、同じ島の職員は打ち合わせと称して別棟に趣き、私を残して仕事をしていた。
スマートフォンは常に手元に置いていた。心細さも多分にあったが、新卒で入社した会社の同期が励ますようなメッセージを送ってくれていた。立場が違う私の連絡先を今の職場で知る人は少ない。メールでやり取りがしたいです、と言ったところすげなく断られた。しかし職員同士ではメッセージ、メールの交換、業後の飲み会などで頻繁にやり取りは続いていた。
そんな環境で半月ほど働いた。たったの半月。その半月で、私の心は駄目になった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と電話を入れた。受話器の向こうの職員は「予約番号は?」と頓珍漢な受け答えをした。そのまましばらくぼんやりしていた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなどなかった。通常非正規の立場では任されないというバッチを効率化の為に作成しどんな環境でも瞬時に業務が終わるよう調整を繰り返した。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく昼休憩中。私は近場のショッピングセンターでストレスチェックを受けた。結果は散々で疲労度が群を抜いていた。
そんな折、結婚して職を辞した友人が気になりメールをする事にした。ワクチンは打ったのか?と確認すると無職である自分にはまだ早いと言われた。同時期、コロナの煽りを受けて業績が悪化し退職した友人が旅行中の写真を送付してきた。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この人間関係と、冷え切った体だった。
全ては心の背骨が、音を立てて折れる前の話だ。
体調を崩し病院に行くと、腰痛症と診断された。姿勢が悪いと医師に言われ、接種が義務だと伝えると絶句された。
それでも働き続けたのは、皆頑張っていたからだ。トラブルでチームの一員が異動されて少人数で回すしかなくなった。感謝の言葉は誰の口からも聞かれず、ふとした瞬間、市民からの怒号が飛び交う。その中で私はピエロになろうとした。そして、雨が連日降り続け気温は低下の一途を辿った。遂に防寒着ヒートテックで武装するしかない冬が来た。
自分はだめ人間ですーあなたみたいなネットの向こうのだめ人間の気持ちもよくわかりますーみたいな顔をしながら
私立の高、大と卒業させられるような立派な家に生まれて卒業後商社に入って
退職後はライターやりながらよき旦那、良き父としての側面もあり良識もあり
今のインターネットではそうでないと刺される、燃える、というのは良くわかる
そういう振る舞いがネットで活動する最適解なのだろうこともわかる
しかし僕はだめですだめです言いながら、抜群の嗅覚でネットで叩かれるようなダメさは決して表にださない狡猾さ
それが本当にだめな俺にはつらい
頼むからためですと言いながらまともなことをしないでくれ
まともでいいじゃないが。ぼくは立派にやってますでいいじゃないか
お前みたいなやつがぼくはだめですみたいな顔をしていたら
本当にだめな人間はどこに行けばいいのか
スペック:東京在住、31歳、女、大卒(Fラン)、勉強はできない(中学の成績は2ばっかり)
職種はそのまま、やってることも変わってない。
リファラルで声をかけてもらった所に転職するようになったら、給料が一気に上がり出した。
評価されない職場で頑張り続けるより、やってることが評価される職場に行く方が効率良い。
紹介だからすぐ辞めたりしにくい、その分その会社が合うか、やってけるか慎重に調べるようになる。
おかげで、リファラルで入ったところにブラックな職場はなかった。辞める時も円満退職。
勉強できなくても、Fラン卒でも、評価される会社に行けたら稼げる可能性が高い。
筒状のクッキーとかラングドシャとか、色々ある。とてもおいしい。
シガール(筒状のクッキー)を咥えて吸う空気、とてもおいしい。
ほろほろ、さくさくで、あまくて、おいしい。
一番好きなのは、ラングドシャをさらにチョコでコーティングした冬季限定のビエ オゥ ショコラオレ。
ちょっと上品で、お高くて、デパ地下とかで売ってて、退職する職場の人とかから貰うヨックモック。
人から貰うものと認識して20数年生きてきたので自分で買うという選択肢がそもそも頭の中になかった。
ふと、ヨックモックのオンライン通販で買えることに気づく。いや、普通に考えれば買えるんですけど。
買ってみる。家にヨックモックがある。
しあわせ〜
ヨックモック柄のランチョンマットがついてくる商品が出る。買う。おいしい。ランチョンマットはかわいい。
ヨックモック柄のコースターがついてくる商品が出る。買う。おいしい。コースターはかわいい。
夏季限定シガールのアイスが出る。買う。おいしい。(今年は出なかった。さびしい。)
クリスマス限定の缶、お正月限定の缶、いつもお菓子が入ってる缶もかわいい。
もっと昔からヨックモックのこと好きだったけど、最近もっとヨックモックのこと知ってもっと好きになった。
もっと昔からヨックモックのこと知ってれば、昔の限定商品も逃さず食べられていたのかな。そんな嫉妬と後悔を胸にまた新しい商品を買う。自然と商品名も覚えてきた。
ヨックモックさん、いつもおいしい商品をありがとうございます。オンライン販売限定のカカオ シガール オゥ ショコラ、爆買いしたいので単品で売ってください。
物価が高いから日本だと年収1500万ぐらいの感覚かな。エレベーターなしのアパートで家賃30万だよ。
年収:もし日本にいれば額面1400万円ぐらいで、実際は生活費について物価スライドさせた割り増しの給料、ボーナス依存だが手取りで1600万/年、今年は絶好調だが来年は半導体需給の問題から業績悪化しそう
投資可能額:全力で750万/年、円建ての現金があるので全力でいっても問題なし。
資産:国内銀行に2900万円、アメリカの銀行に200万円、アメリカの証券会社に1400万円、合計4500万円程度、持ち家なし、純資産1億円の富裕層は遠いがもうすぐに準富裕層ライン
投資:
VT/VTIを 50万/月、確定拠出型年金のマッチング拠出を1万円/月程度、年間投資総額は、612万/年
国内銀行預金の大部分を投資に回したいが、非居住者なので日本の証券会社が使えず、アメリカで投資しようにも送金が面倒で(Wise前提でも)手数料が高い
日本に戻ってから投資する場合は一括投資が合理的なのはわかっているが、やはり怖い
帰国後は、米国証券から発生する配当について確定申告が必要なので、売却して日本で買いなおすか、保有を続けるか悩みどころ。(保有するつもりで当分売るつもりはないが、当然、譲渡益も発生する)
ただ、資産の一部を海外の銀行に米国建てで持っておくのは日本衰退へのヘッジとして必要。送金リスクも考えると、もう1行増やそうかな。
配当は2重課税されるし取り戻すための控除もメンドクサイ。さらに退職後は課税所得が減るため、控除もされないしどこかのタイミングで買いなおすか検討必要
為替差益は雑所得だが、ドル支給の給料にまつわるお金の円転においては、為替差損益は発生しないと日本の税務署に確認済み。
総投資額:円換算で1000万程度
含み益:300万円程度
時価総額:1300万円
確定拠出年金のマッチング拠出は今すぐ止めるべきだが、変更は年に一回。
海外駐在中のため節税効果なしの反面、受け取り時には課税されます。
保険:
-
将来設計:
部長になれる器はないので、50歳半ばで役職定年、50歳後半は嘱託社員になり、給料が激減する。50歳半ばの役職定年で退職出来るように資産形成したい。
(退職しなければ、55-60の5年間で、900*5=4500万が給与所得として支給される見込み)
よって45歳で現金2000万、リスク資産8000万、金融資産1億を達成が目標。55歳時点では1.5億までいきたい。(子供の進学などで、50歳頃からペースダウン予定)
55歳定年で退職金は2000万程度。退職控除の限界まで一時金で受け取り、残りは企業年金で受け取り予定
メモ:
アメリカで支払ったソーシャルセキュリティーについてアメリカに住んでなくても年金が出るらしい、スズメの涙ほどの金額と思われるが、、、
→ 会社が上手くやっており、アメリカでの支払いがなく、今の世代の赴任者はアメリカの年金はないらしい
願望:
50歳ぐらいになったら、週3勤務とか選べればいいのにな
※あくまで片方の当事者からしか話は聞いてないから真実はどうかわからない。でもこんな時に嘘で取り繕ったりはしないと思う。思いたい。
数週間前、親が社内委員会に訴えられた。
ずっと処罰待ち?話し合い?を待っていたようだが、結論としては処罰にはあたらないと上の人達が決定したらしい。でも社長だけがそれに反対して親を処罰した。
実は私は親と似た業種にいるので私自身がその社長と接することが多々あり、社長はコンプレックスがあり私の親のことを疎んでいるな、と私なりに思っていたのだがまさかこういう形で排除されるとは思わなかった。(詳細は書けないが社長がコンプレックスと思っていそうだなというものを私の親は持っている)
親が今までしてきた仕事は全部奪われたらしい。
流石に社内でも厳しすぎないか?と声は上がっているようだがまぁ社長に楯突く人などいないだろう。親は負けたのだ。
そこそこいい歳の親だし、本来親にしかできなかった仕事も奪われた以上もう契約更新もなく会社員人生を終えることになるだろう。(親の仕事は少し特殊なので本来なら時間をかけて引継をする。それすらしないということはとにかくサッサと窓際族にしたいのだろうと思う)
ただ、退職までの日を大した仕事もないのに毎朝出社して過ごさなくてはならない親があまりに可哀想で泣けてくる。
このことを報告する親の声が震えていて、人生で初めて親が泣く声を聞いた。
何十年も同じ会社で働き、どんな日でも朝はきちんと起きて出社していた親がこんな結末を迎えるなんて想像もしていなかった。
今までの人生が恵まれていただけかもしれないけど、それでもいきなりこんなことが起きるなんて信じられないし今でも信じたくない。
つい先日、兄弟の結婚が決まったばかりなんだ。これで破談になったらどうしようって泣く親を見ていられなかった。
そんなの子供の結婚に関係ないよって言いたかったけど、お相手の方が偶然にもお堅い家系らしいからどうなるんだろうね。私にも分からないや。
今から転職という年齢でもないし通常の人達よりも早い年金生活になる。私はどうやって親を慰め、どうやって親に生きがいを見つけて貰えばいいのだろう。どこで選択を間違ってこんなことになったのだろう。本当に何も考えられない。
何年か前にやっと子供全員が学校を卒業してこれから老後の資金を貯めようって言ってたのになぁとかばっかり考えてしまう。
こんなことなら軽い気持ちで高大と私立に通わなければよかった。結局大学で専門的に学んだことを活かす仕事してないし。あのお金で両親が少しは贅沢できたんじゃないだろうか。まぁこれは今更の話だけど。
しかしサラリーマンなら源泉徴収されるので、ほとんど意識することがない。
退職後に1年も休んでいると、収入ゼロの状態に前年の税金がおそいかかかってくる。
だいたい20%~くらいだろうか。
私の場合は400万円だったので80万円近く。
助けてくれ。
この退職勧奨は酷すぎる。
自分はこういう事件を専門的に扱った経験が結構ある者だけど、元増田に対して特に「GJ!」と感じたのは
1. その場で退職届を書かずに「持ち帰って検討します」と言えたところ(その場で退職届を出してしまうと、とてもとても不利になる)
2. しっかりとした信頼関係がある同僚にちゃんと相談できたところ(精神的な支えになる。これは実は非常に重要)
3. 専門的な相談先をきちんと頼り、労基が当てにならなくても(残念ながらこのパターンは多い)、めげずに次を当たって弁護士としっかり検討したこと(専門家の知恵がないと、法的な基準も根拠も示せない一般人は一方的にやられる)
の3点。この経験はぜひ、今後も色々広めて欲しい。
正直、労働者の無知や弱みにつけ込んでとんでもない条件を飲ませる会社はめちゃくちゃ多い。
労基が頼りにならないのも、酷い会社が多すぎて全然手が周らない、という理由が大きかったりする。
ちゃんとした所を頼ってきちんと解決すれば、その分個人も社会も助かる(会社では最初の条件を決めた人は「やらかした」ことになる。社会的には無法が通らない実例が増えたし、法テラス→労弁や弁護士会への紹介できちんと解決したという実績も増えた)。
増田GJ!
社員のほとんどが親会社の人が占めていて、子会社の社員が少数混ざる形で配属された。
良くも悪くも古い体質で仲間とか、助け合いを重視して
子会社の僕たちも、同様だった。
けれど
「プロパー」と半ば蔑称気味に呼ばれて、少しだけ違う待遇だった。
有給の数が違うとか、そもそも親会社の社員とは違って祝日は休みじゃないとか。
「俺は親とか子とか関係なく、対等にあつかう!仲間だから!」と
ワンピースが好きな上司は「仲間」を強調して励ましてくれてた。
僕が務めていた間には、親会社の人たちが何人か退職して、その度に規模の大小の差はあれど、必ず送別会が行われていた。
しかし最後の日、あれほど「仲間」を強調していた上司は、僕より先に帰ってしまった。
結局、心のどこかで「こいつら子会社のヤツら」って区別されてたんだろうなあ、と思う。
ずーっと思っている。
増田やらtwitterで立て続けにブラック企業体験談を目にした。
何度でも言うけども、狂った状況に置かれても働き続ける思考停止の阿呆が相当数居るから
2020年代なんていうキラキラ近未来になっても数え切れないブラック企業が生き長らえてんだってば。
俺の周りにも居たよ。ずーっと愚痴吐きながら暗黒企業を全く辞めない阿呆どもがわんさかね。
はよ辞めろよ、退職代行使え。それも億劫ならこっそり備品返却&私物撤収して無断欠勤、そのまま引っ越せ。
こう言うと「〇〇さんはそうやって簡単に辞めれて良いね、スキルあるから・・・」との返し。
は?そもそも俺とお前は同じ職場で働いてたんだぞ?大したスキルなんか持ってねーよ。
「でも給料そこそこ良いし・・・」バカか?使う余暇も精神的余裕もお前には残ってねえだろ。
しかも単にお前が相場を知らねえだけで、同業者間で比較すればむしろ低い方だから。
「やっぱ辞めずにもうちょい頑張ってみるわ。他で通用するか分かんないし。」
他で一丁腕試ししてみるくらいの気概を見せろや、根性なしが。万が一、他でダメでも死にやしねえよ。
でもここで働き続けたらマジでお前は死ぬかもしれないけどね。お前、誰かに自分の様子を録画してもらえ。
青ざめた顔、窪んだ目、浮いたクマ、剃り残したヒゲ、おぼつかない足取り。頭も口もろくに回ってない。
徹頭徹尾、動かない為の苦し紛れの自己弁護と言い訳。そらこんな腰抜け、搾取されてもむべなるかな。
自分から進んで養分・生命維持装置になって、わざわざブラック企業を延命させてる。白痴以外の何者でもない。
生存バイアス・強者の理屈と詰る馬鹿もよく話聞け。俺は「そんな暑いと喚くなら、エアコン入れたら?」程度のことしか言ってない。