はてなキーワード: 資本家とは
どんだけ資本家が富を独占してるんだよ
資本家が憎いと言ったら資本家なんて苗字の人はいないみたいだけど https://namedic.jp/sei/list/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E5%AE%B6?match=1 って返すのかお前は
https://anond.hatelabo.jp/20230321131216
まあ、学歴と仕事の能力が関係ないというのはごくごく当たり前の話だ。
俺達は学歴競争というトーナメントにおいて勝ち上がってしまった以上、ある程度の能力があるものと見なされちまうんだな。
(メリトクラシー(能力主義)批判を齧ったことがある人間なら、ポール・ローゼンバウムとかいうオッサンの言説を聞いたことがあると思う)
社会の評価主義が間違ってようが何だろうが、職業遂行能力があろうがなかろうが、俺達はレッテルと一緒に社会に放り出されるから世の中はクソだよな。
京大に入ると何か、サークルの奴らが勧誘ロードを作ってるじゃん。アレがもう嫌だった。
この列にトレーラーか何かが突っ込んできて、全員轢き殺してくれねえかな、って思うタイプの京大生が俺だ。いつか誰かが火炎瓶でも投げ込んでくれることを期待している。
とはいえ、当時の俺は純朴な地方出身の若者な一面もあったので、妙な起業サークルに入ってしまった。コミュ障にも関わらず、だ。
俺はサラリーマンとして誰かに頭を下げるのが死ぬほど嫌だったので、とりあえず社長になってみるか、というピュアな心でサークルに参加したのである。
そんな純朴な俺だったので、サークルでは三人の友人が出来た。
「増田君も目が濁ってるね!」
的なことを馴れ馴れしく言って話しかけてきた眼鏡と、その仲間の2人である。
オタク的な会話も弾み、一緒に起業しようぜ!と桃園の誓いばりのズッ友宣言をした俺達は、計4人で「良い感じのオタク起業をやろう!」「やろう、やろう」という話になった。
まあ、大体そんなサークルには卒業生の資本家が引っ付いてるのは皆様ご存じだと思う。
いい感じのプランをぶち上げ、投資家様たちにプレゼンし、3次審査くらいまで通すと出資、晴れて学生社長になれるってわけだ。
東京は三田会で起業していた知り合いのゴミがいたので、そいつにみんなで色々と話を聞きつつ、
仲間三人と練り上げたプレゼンで、無事に2000万ほどの融資を受けることに成功した。
『結局のところ、お洒落っぽさが重要だ』という三田会プレゼンメソッドは大分役に立った。
まあ、立ち上げ段階になったらめんどくさくなったので、300万ほど掠め取って、俺はその企画からはイチ抜けしたんだが。
その後、そいつらとは連絡を取っていないので、どうなったのかは知らない。
「やはり、他人と何かをするという作業が俺は嫌いだ」ということを再確認できたという意味では意義はあったと思う。
足抜けした理由はもう一つあって、
一緒にやってたら何か出資詐欺とかに騙されそうで怖くなった、というのもある。
(事実、そのころは東大とかでも出資詐欺が流行していて、100人の東大生に1000万与えて起業させ、成功した奴から毟るというスキームが漏れ聞こえてきた。ひどい話だ)
京大生って無駄に『俺達は頭が良いから騙されるわけがない』とか考えてそうで、まあ、アレだ。ピュアなんだよな、みんな。俺もだが。
ということで、300万を無償で手に入れた俺だったのだが、あっという間に無くなってしまった。やはりゴミみたいな手段で手に入れた金はゴミ扱いしてしまう、ということなんだろうな。
最後の方は、ユニセフだか何だかに30万くらい、寄付として突っ込んだ記憶がある。(やはり、俺は心の底では優しき善人だからだろう)
ついでに、元々、勉強というものをほとんどしたことがないので、大学の講義もあまり面白くなかった。
なんだっけか、山籠もりに行って休講にする教授いたじゃん。それくらいかな、記憶に残ってるのは。
京大生一人当たりに確か300万だか400万だかの税金が投入されているらしいが、まあ無意味な金の使い方を国家もするもんだよなあ。
そんな感じだったので、特に何も学ぶことなく、京大を卒業した。
それからが大変で、俺は社会の役に立つような仕事をしたいなあ、とふんわり思っていたのだが、
結局、健康器具を売るゴミみたいな仕事に就く羽目になってしまった。
何の成功体験もなく、学び舎で何も経験も積めなかったコミュ障の末路としか言いようがなかった。
あんまり言うと特定されるので言わないが、単価200万~300万くらいの器具を売る仕事だ。
スーパーの駐車場とかでテントを張ってたら、そこには俺がいる可能性がある。
ハッキリ言って効果が額面に見合っているかというと、見合っていないと思うし、
『社長が幻●舎から本を出すので社長の素晴らしい所を10個皆挙げましょう!』とかやるような会社である。まあ、社会のゴミってやつだな。
あと、ニトリとかで売ってそうな2000円の棚とかを20万くらいでオプションとしてつけたりもする。書いてて辛くなってきた。
何が嫌って、俺はその手の仕事が、意外にも滅茶苦茶向いていたということだ。
先輩曰く『老人受けする幼い顔をしている』とのことだった。良く言えば孫フェイス、悪く言えばチー牛・弱者男性フェイス、所謂ああいう顔立ちのことだ。
そんなこんなで、売上は年間2億円ほど立ててしまっている。
つまり、年間100人弱の御老人をだまくらかしてシノギとしているという計算になる。(俺の給料には還元されないんやけどな)
何が言いたいのか総括する。
弱者男性、コミュ障は老人向けの営業が向いてるのかもねって希望的寓話であり、
善人が、学歴をいかに積んでもコミュ障というだけでこういう詐欺まがいの仕事に就いてしまう社会だという絶望的な話でもある。
今日も、仲良くなったお客さんのお爺ちゃんお祖母ちゃんからもらった野菜の山、米の塚を消費する日々である。
@se_minority
LGBTアライな企業は収益性が高い?〜クレディ・スイスの提唱するLGBT270とは http://life.letibee.com/20160708-2/
@letibee_life
さんから
https://twitter.com/se_minority/status/751320533245898752
♛СΘ£Ц♛
@XBg7FRApIH0rwGi
出資を募り2021年コオロギをゲノム編集する為の研究施設を整備
まぁわかりやすいこと🤫
poppin coco
@PoppinCoco
·
【超悲報】
遺伝子組換え済みコオロギに遺伝子組換えで無いエサを与えても気休めにもならないが?? twitter.com/tsuisoku777/st…
AIやロボットが代わりに仕事をして人間はゆったりする未来はこない。
資本主義は何かを対価にお金をもらう必要があるから、持たざる一般人は労働力を対価にしなければならない。
人間が遊んでいる間に働いてくれるような社会は、社会主義国家のように国家がロボットを管理してベーシックインカムを人間に払うとかになるんだろうか。
ただそれだ人間がコストになってしまうので果たしてそれを選択するかどうか。
資本主義でロボットが働いてくれる社会になると、一部のロボットをたくさん所有している資産家が働かないでも暮らせるだろう。
中間層は頭脳労働が必要な部分で働き、投資としてロボットを所有して、自分の働きとプラスしてロボットの労働力で暮らせていけるだろう。
貧困層はロボットを所有できず、かつ労働力のライバルとしてロボットがいるので、失業率も高そうだ。
高価なロボットが破損すると危険な場所に貧困層の労働力の需要があるかもしれない。命のほうが安いのだ。
そして、中間層は今よりもずっと人口比で少なくなっていると思われる。頭脳労働の難易度が上がっているからだ。AIが大体のホワイトカラーの仕事を奪っているので、大学卒業くらいでは太刀打ちできないのだ。
博士号を持っている専門家レベルで中間層になれる。富裕層はその中でも一握りの人間が運やもともと持っている資本などを駆使してなれる。
ラッダイト運動は起きるだろうが、AIとロボットによる労働力革命は産業革命よりも人間を不要にするので、今いる人間が元のように安全でクリエイティブな仕事にありつけることはない。
大量の貧困層は中央政府には従わない集団を作る。一揆や内乱が増えて中央政府の信頼も落ちていく。
資本家の中でも貧困層を利用して中央政府に反抗的なことを企てる派閥が出てきて、そういった資本家を中心に独立国のようにふるまう領域が発生する。
水や食料も各地で独占していくだろう。それを奪うことも紛争の動機となっていく。
より多く人を殺せるロボットが戦争の中心になる。ロボット同士で戦っていた時代はまだ理性的な時代だった。
未来の戦国時代では、国際的な倫理も崩壊し、各国の中央政府も形骸化している。
法治主義が崩壊し、疲弊した社会により人道主義はなりを潜める。
そして相手の勢力の勢いを挫く方法は相手のロボットを減らすことではない。人間に恐怖を与えることだ。
人口はより急減していく。
松竹氏なり、共産党に批判的な人は「非民主主義的」だというような形で共産党を批判するがこれは当たり前のことだ。
民主主義、というか公正な選挙のために言論の自由が重要なのはこれは当然のこととして理解できると思う。では言論の自由、表現の自由、内心の自由とはなんだろうか?「家の中で叫ぶ自由」「誰も見ていないところで絵を描く自由」でないことはこれもまた当然だ。すなわち、出版したり、インターネットで公開したりする自由が必要となる。
では、出版の自由のためにはなにが必要だろうか?編集を自由に行える必要がある。印刷を自由に行なえる必要がある。作った本を自由に流通させる必要がある。物流倉庫を自由に運営する必要がある。小売店を自由に経営する必要がある。DTPに使うコンピューターを自由に開発できなければならない。ソフトウェアを自由に開発し販売したり頒布したりできなければならない。つまり、結局のところ「言論の自由」というのは「あらゆる商業活動を行なう自由」であり「私有財産の肯定」であり資本主義だ、ということになる。
つまり、「民主主義」と「資本主義」は全く同じものだ、ということになる。共産党が「表現の自由」を極度に嫌うのも当然で、それは反共産主義的な発想だからだ。
つまり、党首公選、すなわち民主主義の導入を共産党に導入せよと要求する、というのは共産党は共産主義を捨てろと要求していることと同義となる。これは反党行為そのものだと言える。
プロレタリア独裁とは結局突き詰めて考えれば個人独裁にならざるを得ない。「資本家」を排除するというのは、結局民主主義と言論の自由の排除なのだから。そこでは意思決定の全てが不透明で、個人のあやまりが増幅されやすく、相互不信の嵐が吹き荒れることになるが、それでも現代の哲人政治と平等な社会を目指すのが共産主義者の仕事ではないだろうか。それが可能かどうかっていうと、僕は不可能だとは思うけど、
松竹氏は、結局共産主義とはなにか、ということをすっかり忘れているのだと思う。朝日新聞などは「激しい路線対立があったころならまだしも」などというようなことを言っていたが、結局、これこそが今の共産党の最大の問題なのだと僕は思う。多くの党員がもはや共産主義者ではなくなっている。最大限強権的な運営をしなければ、もはや党は維持できないのだろう。
残念ながら、キモくて金のないオッサンこと、弱者男性は弱者ではなくなってしまった。
真の弱者を救わなければならない。
この時点で、もう現代社会において弱者ではない。ここに我々が救うべき、真の弱者の姿を提言する。
『声無き弱者は声をあげられない。なぜならば声が無いからである』
つまるところ、現代における真の弱者とは表現力が無い人間であり、プレゼン力がない人間であり、ロビイング力がない人間である。
何故ならば、現代において表現力という力が圧倒的に重視されるようになってしまったからである。
日本銀行券はただの紙だし、通帳残高なんてものはただの数字の羅列に過ぎない。
何故貨幣や土地やらの資本に価値があるかというと、他人に影響を及ぼすことができるからだ。
そして、現代において表現力ないしプレゼン力ないし、ロビイング力は、その金と全く同じ力を持ってしまったのである。
理由は簡単、SNSが発達して、他人のプレゼンを聞く機会が増えてしまったからだ。当然ながら表現力の持つ力は圧倒的になったからだ。
情報技術の発達によって、「受信者」の数が圧倒的に増えた今、表現力の持つ力が純粋に増えるのは当たり前のことである。
もっとミクロな世界で言うと、要は表現力がある人間、自分をプレゼンできる人間は他人をイジメても許される。
表現力が無い人間は、他人にイジメられても仕方がない。こういう世界になってしまった。
教室でイジメられているイジメられっ子だろうと、自分の状況を大人に上手く伝えられる人間は自分の環境を変えられるだろう。
しかし、プレゼン下手にはそれができない。これは、能力による差別だ。
差別は断絶しなければならないのだから、つまりこの表現力差別やプレゼン力差別を無くさなければならない。
最初に戻る。
これは、認知されたからだ。改善しなければならないという風潮を作り上げたからだ。つまり弱者男性には声があったということである。
私からすると、フェミニスト、ヴィーガン、障害者、これらも全て「富める者」に含まれる。
世の中をよく見てみると、先導者がいるはずである。
弱者男性しかり、フェミ、ヴィーガン、障害者、……ありとあらゆる弱者には、その旗手となる人間がいたはずだ。
平等とは、つまり資本家が下々の者に分配をしてこそ生まれるものである。
我々が戦うべきは表現者だ。
まだ気づいていない人間達が、この「表現力差別」に気がつく時代が遠からず来るだろう。
我々は彼らを守らなけらばならないはずだ。だからこそ、「表現力差別」に今、向き合わなければいけない。