はてなキーワード: 行使とは
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そう思う。テストはした方がいい
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検査して陽性だとわかれば私権の行使できる日本で家にいて貰う大義名分ができるだろ?
加えて重症化するかもしれない人数の分母がわかる
陰性の人らも陽性になったら大変だと、ノーガードや妄言を避けるようになる
検査するなって言ってる奴は
- 国に私権に干渉して欲しい独裁者大好きマンかつ市場へ与えるインパクトを理解していない
- 人工呼吸器やその他治療薬や医薬品が中国からの輸入頼りだとご存知ない
- 中国は間違いなくコロナに勝利したと確信している。直ぐに生産は復活し中国国内に医療品を回したりストックすることはない。直ちに輸出は元に戻ると確信している
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出来てないじゃん?
ライブハウスの惨状後もイベントは開催されるし、風邪だという妄言もノーガードも減らないじゃん?
http://www.pref.osaka.lg.jp/iryo/osakakansensho/corona.html
『検査して陽性のヤツにはご自宅で自粛して頂き、陰性だったヤツも陽性にならないようにしなきゃって学習して頂く』か、
『ノーガードや風邪とか妄言を吐くヤツはぶっ叩き、イベントも自粛に追い込むまでぶっ叩く』
この2択しかないぞ
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感染は防げない
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そうだぞ?遅らせることに意味があるんだぞ
それがWHOやビルゲイツ含めた多くの人々が言っていることだぞ?
何故なら人工呼吸機を含めた医療品の生産は中国や開発途上国頼みだからだ
そもそも貴重な人命が失われる
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そもそもコロナかどうかテストをしないからしようって話だっただろ?
アメリカですらインフルを調べたらコロナだったって事例があったって国の機関がいっているのに
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アメリカでもチェックしないんじゃん
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したから死後わかったんでしょ?
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その独裁支配の中で、自分たちの正しさで他人に私刑を下すことができると思ってるのだろう。
その表出の一つがツイフェミだったり、ゲーム規制を推進した四国新聞だったりする。
彼らにとって、正義とは議論の余地もないほど自明であり、改めて証明する必要性もなく、懐疑的な態度をとる人は断罪すべきとなる。
また、他人に責められると、その正義を拠り所に益々孤立化・先鋭化することになる。
それは大昔から異端派宗教のいくつかがたどってきた道であり、紅衛兵や日本赤軍などもその一端に属する。
いずれにしても、その姿勢は「リベラル」という語から想像されるような自由主義とは全く異なるものであることは明白。
彼らが反アベなのも、本来なら自分たちが行使するはずの権力を握っているのがアベだからという幼稚な感情が本質的な動機である。
2020-03-12
検査して陽性だとわかれば私権の行使できる日本で家にいて貰う大義名分ができるだろ?
加えて重症化するかもしれない人数の分母がわかる
陰性の人らも陽性になったら大変だと、ノーガードや妄言を避けるようになる
検査するなって言ってる奴は
国に私権に干渉して欲しい独裁者大好きマンかつ市場へ与えるインパクトを理解していない
人工呼吸器やその他治療薬や医薬品が中国からの輸入頼りだとご存知ない
中国は間違いなくコロナに勝利したと確信している。直ぐに生産は復活し中国国内に医療品を回したりストックすることはない。直ちに輸出は元に戻ると確信している
このどれかだと思うわ
イタリアみたいになる前に手を打った方がいいぞ
2020-03-12
過ぎたって言ったって緊急事態宣言のインパクトの市場へのインパクトは凄まじいぞ?
おら強権使いたくってウズウズするだ!以前に経済への影響の責任を誰も取りたくないと思うぞ
庶民にしたって国が私権に干渉した実績は作らないにこしたことはない
であれば、検査して陽性の方々にはお家で自粛して頂くほかないでしょ?
で陽性になるといろいろ面倒ってわかるようになれば
俺はもう飲食店やライブハウスやらの賃料なんて全部法律で当面免除を決めた方がいいと思うぜ。
第1に、民民で決めた賃料に公権力は介入できる。借地借家法32条に経済変動があった場合は当事者に増減額請求が認められ、当事者で話がつかなければ裁判所が増減額を決めると書いてある。売買代金や動産のリース料なんかと違って不動産賃貸借契約の賃料に公権力は直接介入できるのだ。これは不動産賃貸借契約が生活や商売の根拠となっており、社会政策的な見地から介入の必要性があるからだ(特に減額の場合)。現行法の下でも、不動産オーナーの賃料請求権は絶対ではない。大不況になれば裁判所がオーナーの意思に反して減額してよいんだから(減額請求権行使の場合、判決まで原則として現行賃料を払い続ける必要があるので、現状ではほとんどテナントにとって行使は困難だが、今回も事後的にでる判決としては、感染収束までの期間は大幅な減額が認められる可能性が高い)、戦争状態と表現するほどの危機、未曾有の景気後退にあって、賃借人保護の見地から法律、すなわち国会の決議で賃料の一時的な免除を決めても理論上は問題ない。
第2に、賃貸借契約の賃料不払い解除については判例上、信頼関係破壊の理論というのが採用されていて、単に賃料を延滞したからといって解除できない。わかりやすくいうと、賃料不払いがあっても同情すべき事情があれば解除できない。現況で、数ヶ月賃料延滞があっても、コロナ感染拡大に伴う減収のせいで払えないのであれば、裁判所は解除を認めない。ちなみに俺はこのみちうん十年、法律、特に不動産に関しては地上げや賃料増減額から証券化、競売まで法律のプロだ。
第3に、今、ほとんどのオーナーは、特にテナントが飲食やライブハウスなら賃料不払いであっても直ちに解除とは考えていない。解除をして追い出しても次のテナントが到底決まらないからだ。立ち退かせても次のテナントが決まらなければ収益はゼロだ。法律で制約可能と言っても、当事者を納得させるためのロジックは用意しなければならないが、この件では可能だ。
免除がやり過ぎだと思うなら90%カットでも80%カットでもいいよ。それならつなぎの資金でなんとかできるだろ。何年もなんてことにはならないんだから。オーナーの減収は同時にローン免除やその他で対処すればよい。
日本のフェミニズムが抱えている問題は複数あって、煎じ詰めれば「思想の善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。
女性の地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構。
しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果が殆ど出ていないことに問題があるのである。
むしろ、結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲からの評価を下げてさえいるのが問題なのだ。
古来より女性は男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。
例えば、近代イギリスの小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性は自分を殴る男性を好んでいる。むしろ、自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。
このような記述は、文脈的に言えば主人公のチャールズ・ストリックランドがタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場で女性を一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。
また、自然主義(人間の本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想)作家の大家である、近代フランスのエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実を標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。
このように、国の内外を問わず、女性に対する男性からの暴力というものは散見される。流石に、このような状況は現代において相対的に改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。
問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズムの評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である。
具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?
以下に論点を纏めていく。
古代ギリシャの劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。
女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」
と、戦争反対のため断固セックスを拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである。
女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。
このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代のフェミニストらにも見られる。
女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会に地位を占めること――その権利を回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀のフェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。
イランのごとき保守的な国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体をベールで覆う必要がある。そのような規則が女性の利益を担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体をベールで覆うことを一般的によしとしない。
女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である。
性はそれまで女性の自由にはならなかった。構造主義の先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性は男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判は推して知るべしだが、女性の婚姻が父権的立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代が存在していたのである。
自身の性を管理し行使する権利が、婚姻の不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性の権利は現代において拡張されたのである。
とは言え、問題はこの延長線上にある。
女性が自身の身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネスの喜劇に見られるように、女性の自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性の権利の実現が確認できる。
しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。
相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。
当然、女性が社会進出をする上で、女性が自身の性を政治の手段として用いることには、危うさが秘められている。
そのような危うさをして、現代のフェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。
これらの分野における女性の露出が性的搾取の危険を秘めている、と現代のフェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。
女性がスキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?
政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性と女性という対照を想起させる。
男性は狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性は狡猾である。男性は暴力を行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性の尊厳を根本から損なうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力の弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティとコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性の尊厳が考慮されることはない。
昆虫や動物らに見られる、コミュニティとコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。
男性は狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。
勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合は存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。
その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。
人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。
我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。
それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。
性的魅力は疑いなく女性の能力である。女性が自身の尊厳を担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。
しかし、その能力を女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。
近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。
例えば、大きな胸を強調したポスター。女性の魅力が強調されてはいるが、不適切な方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。
この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。
とは言え、ここが言わばロドスである。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。
勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論の錯綜するポイントがある。
まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。
女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。
自分の能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である。
例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。
例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なラインで身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。
絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。
これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性の地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである。
例えば、女性歌手が楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
「媚び」はこの場合、不自然に女性の立場を貶める行為であり、最終的な女性の不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取の対象であると、誰かが指摘する。
例えば、写真家が女性の写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
例えば、
例えば、例えば、例えば――
女性が魅力を発露すること、それが搾取の対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性の尊厳を担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取の対象とされてしまうこと。
女性が能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。
能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益に帰着すると、その誰かは指摘する。
これが、フェミニズムがソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である。
カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取」であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。
このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代のフェミニズムによって獲得された、女性が自身の能力や魅力を自身の権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。
能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。
このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?
勿論それは不可能である。フェミニズムは矛盾にぶち当たっている。
そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズムの論理が一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在。思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。
結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。
その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである。
昨今のフェミニズム運動の空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾を解決することなくして、現代のフェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。
結論としては以上となる。
今回はレスするけど
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そう思う。テストはした方がいい
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検査して陽性だとわかれば私権の行使できる日本で家にいて貰う大義名分ができるだろ?
加えて重症化するかもしれない人数の分母がわかる
陰性の人らも陽性になったら大変だと、ノーガードや妄言を避けるようになる
検査するなって言ってる奴は
- 国に私権に干渉して欲しい独裁者大好きマンかつ市場へ与えるインパクトを理解していない
- 人工呼吸器やその他治療薬や医薬品が中国からの輸入頼りだとご存知ない
- 中国は間違いなくコロナに勝利したと確信している。直ぐに生産は復活し中国国内に医療品を回したりストックすることはない。直ちに輸出は元に戻ると確信している
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出来てないじゃん?
ライブハウスの惨状後もイベントは開催されるし、風邪だという妄言もノーガードも減らないじゃん?
http://www.pref.osaka.lg.jp/iryo/osakakansensho/corona.html
『検査して陽性のヤツにはご自宅で自粛して頂き、陰性だったヤツも陽性にならないようにしなきゃって学習して頂く』か、
『ノーガードや風邪とか妄言を吐くヤツはぶっ叩き、イベントも自粛に追い込むまでぶっ叩く』
この2択しかないぞ
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感染は防げない
↓
そうだぞ?遅らせることに意味があるんだぞ
それがWHOやビルゲイツ含めた多くの人々が言っていることだぞ?
何故なら人工呼吸機を含めた医療品の生産は中国や開発途上国頼みだからだ
そもそも貴重な人命が失われる
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↓
そもそもコロナかどうかテストをしないからしようって話だっただろ?
アメリカですらインフルを調べたらコロナだったって事例があったって国の機関がいっているのに
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アメリカでもチェックしないんじゃん
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したから死後わかったんでしょ?
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風邪だとか妄言吐くのもノーガードで観劇やライブやカラオケや居酒屋へ繰り出すのも自由
国が私権に干渉せず合法的に平和にご自宅で自粛して頂くには検査しかない
大阪のライブハウス事件以降も私権の行使が出来るから改まってないでしょ?
同調圧力+欧米ではしないマスク+格安医療で比較的健康が保たれているおかげで現時点では爆発的ではないが
私権を行使できる以上は「俺はやりたいようにやる」を止められないし、止めるべきでもない
風邪と変わらない妄言吐くのもノーガードで過ごすのもイベントに参加するのもイベントを主催するのも自由だ
http://www.pref.osaka.lg.jp/iryo/osakakansensho/corona.html
そしてそれでもなおイベントは開催されるしまた止めるべきでもない
『検査して陽性のヤツにはご自宅で自粛して頂き、陰性だったヤツも陽性にならないようにしなきゃって学習して頂く』か、
『ノーガードや風邪とか妄言を吐くヤツはぶっ叩き、イベントも自粛に追い込むまでぶっ叩く』
この2択しかないぞ
それとも中国はコロナに完全勝利したので輸出を直ぐに正常に戻すに掛けるか?
同調圧力+欧米ではしないマスク+格安医療で比較的健康が保たれているおかげで現時点では爆発的ではないが
私権を行使できる以上は「俺はやりたいようにやる」を止められないし、止めるべきでもない
風邪と変わらない妄言吐くのもノーガードで過ごすのもイベントに参加するのもイベントを主催するのも自由だ
http://www.pref.osaka.lg.jp/iryo/osakakansensho/corona.html
そしてそれでもなおイベントは開催されるしまた止めるべきでもない
『検査して陽性のヤツにはご自宅で自粛して頂き、陰性だったヤツも陽性にならないようにしなきゃって学習して頂く』か、
『ノーガードや風邪とか妄言を吐くヤツはぶっ叩き、イベントも自粛に追い込むまでぶっ叩く』
この2択しかないぞ
検査して陽性だとわかれば私権の行使できる日本で家にいて貰う大義名分ができるだろ?
加えて重症化するかもしれない人数の分母がわかる
陰性の人らも陽性になったら大変だと、ノーガードや妄言を避けるようになる
検査するなって言ってる奴は
このどれかだと思うわ
イタリアみたいになる前に手を打った方がいいぞ