はてなキーワード: 精神病者とは
○福田(昌)委員 優生保護法案の提案理由を説明させていただきます。
わが國は敗戰によりまして四割強の領土を失い、その狹められたる國土に八千万からの國民が生活しておりますため、食糧の不足はやむを得ざることでありまして、しかも人口は一箇年に約百二十万からの自然増加を呈しておる現状でありますので、この現状に対しましては対策として食糧の増加、移民の懇請とともに、もう一つ優生の見地から不良分子の生出を防止するとともに、加えまして從來母性の健康までも度外して出生増加に專念しておりました態度を改め、母性保護の立場からもある程度の人工妊娠中絶を認め、もつて人口の自然増加を抑制する必要があるのであります。
一、惡質疾病の遺傳防止と母性保護の立場から、一定範囲のものには任意に断種手術を受け得るようにしたこと。
二、強度の遺傳性精神病その他の惡質遺傳者の子孫の出生を防止するため、強制断種手術を行い得る制度を設けましたこと。
三、惡質疾病を有するものが妊娠し、または妊娠分娩によつて母体の生命を危險に陷らしむるおそれある場合は、医師の判定によつて妊娠中絶を行い得るようにいたしましたこと。
四、妊娠によつて母体の健康を害しあるいは暴行脅迫によつて妊娠した場合は、地区優生保護委員会の決定によつて妊娠中絶を行い得ることにいたしましたこと。
五、現在妊娠中絶手術の結果しばしば母体の生命を失うものがありますために、これを救済するために医師の技術並びに設備等を斟酌して指定医師制度を設けましたこと。
六、三種類の優生保護委員会をつくりまして、地方委員会は強制断種手術の判定にあたり、中央委員会は地方の判定に対し不服あるものの訴願を審査し、地区委員会は人工妊娠中絶手術の適否の決定に当り得ることとしましたこと。
七、各府縣に優生結婚相談所を設けて、優生保護の見地から結婚の相談に應じて、不良子孫の出生を防止するとともに、地方人士に対し優生の知識、避妊器具の選択、受胎調節の方法等の理解に努めしむるように予定いたしましたこと、等であります。
以上大体七項目の改正趣旨に基いて、ここに新法案を提出した次第であります。何とぞ愼重御審議の上御採択あらんことを切望いたします。
(中略)
第二章優生手術の章におきましては、第三條に同意を前提とした任意の優生手術を規定し、第四條から第十一條にわたつて社会公共の立場から強制的に行い得る優生手術を規定いたしました。現行制度では、優生手術を受けるには本人、その代理者または公益の代表者から申請と主務官廳の可否の決定とがなければ行い得ないことになつているのでありますが、第三條に列記したものについては、かような手続を要せず、本人と配偶者の同意がありましたならば、医師が任意に優生手術を行い得る途を開きました。しかし任意の優生手術は本人が事の是非を十分に判断した上で同意するということがその本質的な要素でありますから、未成年者、精神病者、精神薄弱者のように自分だけで意思決定ができない者については、これを認めないことといたしまして、この制度が相続権侵害のために惡用されることのないようにいたしました。第四條以下のいわゆる強制断種の制度は、社会生活をする上にはなはだしく不適應なもの、あるいは生きてゆくことが第三者から見てもまことに悲惨であると認められる者に対しましては、優生保護委員会の審査決定によつて、本人の同意がなくても優生手術を行おうとするもので、これも現行制度にはないのであります。惡質の強度な遺傳因子を國民素質の上に残さないようにするためにはぜひ必要であると考えます。ただこの場合におきまして社会公共の立場からとはいえ、本人の意思を無視するものであるから、対象となる病名を法律の別表において明らかにするとともに、優生保護委員会の決定についての再審の途を開くほか、さらに裁判所の判決をも求め得るようにして、つとめて不当な処置が行われることのないよう注意いたしました。第四條から第十條までがその手続に関する規定であります。また強制断種の手術はもつぱら公益にために行われるものでありますから、その費用を國庫において負担することとし、その旨を第十一條に規定いたしました。
「この手の人ってワンパターンしかないけど、どっかにマニュアルがあるの?」→煽り
「安倍ちゃん信者ってこんなのばっかだって思われるよ。」→煽り
「すごく特殊な日本語の使い方だね。特殊すぎて読解できなかったわ。」→煽りの上に勘違い
「いいんじゃね?精神病者だろうが、実感してるのは本当だし。君の中では自分と違う感覚の人を異常者扱いするのが安心なんでしょ?
じゃ、いいんじゃないの?ミサイル落ちてきても「これは異常だ!おかしい!」と思ってそのまま死ねたら幸せだね。」→煽り
「それが実感できないならよほど鈍感か楽天的なんでしょうね。いいんじゃね、自分のおきゅうりょうたんまりでうれちいでちゅねー」→煽り
煽りばっかじゃねーか
ドイツ軍のソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組織的殺戮作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人の絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。
「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパのドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決』遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段の計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」
この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議を召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民局ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。
「ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。
1941年12月11日、日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツはアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦の様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツを戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界の世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。
ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録はニュルンベルク国際軍事法廷に証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分がゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。
「総統の意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方に追放し、その跡地に対して行われることになった…
ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」
ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域のユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツの占領国や同盟国とは別にイギリス、ソ連のヨーロッパ地域、また中立国のポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、アイルランド、トルコといった、ドイツが占領する予定だった国も含まれていた。
ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーはアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後の証言で「ヒトラーがユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実、東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害—特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務に対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所を対応させる必要があった」。
この会談の直後、アイヒマンはアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。
ガスを使った殺害はナチ・ドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画は1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式な組織として医師を擁する医療関係の諸機関(大学・研究所・病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。
かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体は特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会側から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。
しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである。
絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍の戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間で捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車か冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊なパイプが排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。
「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連のドイツ占領地域では1941年の12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。
1941年12月8日。占領下ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初の絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれた区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」
「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれた場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年春から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティ(ヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。
1941年11月。ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議でハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人である。ハイドリヒは1942年5月にチェコのレジスタンスに暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファースト・ネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官兼警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツの東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者のウクライナ兵部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近の住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。
ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室へ直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人が 処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。
ルブリン近郊のマイダネク収容所はユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。
強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国領ポーランド南部、シレジア地方に建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランド名オシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎の敷地に強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校と政治犯を収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍需工業に囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所、アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所の建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所(アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体はガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム=火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体はガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所は絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所へ移送された。他に子ども、双生児、脊髄に障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。
生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。
厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓にさらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道な所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人用バラックからは毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツ・ビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。
反出生主義的な考えと精神病的な被害妄想は重要な点で似ているかもしれない。
どちらも根本にはそう主張している人が実際に苦しみ続けているということがあり、
その原因や責任を自分ではないものに負わせているという点で似ている。
違う点は、反出生主義的な考えは責任はともかく原因については間違っていないと思うが、
そのような行為を許容・推奨・祝福する世界観を共有・教育する社会は悪い。
精神病的な被害妄想で、しばしば悪の秘密結社とか、宇宙人とか、悪魔とか、
現実にいる人間ではあるが、その精神病者の妄想の中で超人的な力を与えられたもののような、
さらに言えば、精神病的な被害妄想の人は中心的迫害者の悪影響さえ取り除けば、
お前頭おかしいんじゃね?統合失調症だよ。完全に精神病んでるわ。精神病者だよ。
女なんてみんなそう言うものだよ。それを受け止めてやるのが男の甲斐性だろ?
現にお前は女のそう言う部分にはまってたんだろ?
しかも振られた腹いせに元カノを精神病者扱いですか?こりゃあ大した人格者ですねまったく。貴方前世はキリストかなにかじゃないですか?
精神医療に携わってたことがある俺としてはこういう「ただ単に気に入らないやつをなんでもかんでも精神病名つけて障害者扱いするやつ」が一番許せないんだよ。
「精神病院は気に入らないやつを基地害扱いして閉じ込められる便利なナチスの強制収用所」だと思い込んでるやつが多すぎて迷惑なんですよ。関係者としては。
まっとうな会社は会社法によって会社を設立して社会に有用な製品を開発したり、研究者は論文を発表したりして、それに関する裁判も続々と出ているんだよ。医者だって真面目に勉強して免許を取得して働いてるしな。それに引き換え、クソニートや精神病者は、無能無産で一日中家で寝てるか、糞漫画書いたりしてるだけなのに、親の偽金使って平気で凄い連中の産出した飯とか製品をどこそこの配給所から盗んでのうのうと生きている。害虫め。さっさと死ね。