はてなキーワード: 正論とは
https://anond.hatelabo.jp/20230522173013にぶらさがってた注目ブコメから
slkby 絵単独、それも元が居ない創作なら他人が勝手にアウトなんて決められるものは基本無いと思うけど、一方で年齢などの設定がしっかりあるとちょっとねと思う気持ちもわからんでもない
gatenasan 同じ事がデレマスでもあったけど「ソシャゲの対象年齢」や「キャラの年齢設定」を加味で批判されてるなら正論。両方ともクリアした状態で絵柄自体が未成年搾取とかって炎上だったら批判側が過激すぎってなったけど。
amtmt こんな長々と説明しなくても「12歳の少女に際どい格好をさせた」で十分アウトだと思った。大人が未成年守らなくてどうする
グラブルの風リリィが叩かれてるのは絵が悪いんじゃなくて設定の問題でアウトという話
そこの認識を間違えてじゃあこのキャラの露出はどうなんだという擁護派は的外れすぎる
今日の大河ドラマが家康の不倫の話だったんだが、「家康の不倫より信長の戦の方が重要だろ」みたいなことを言ってるやつがいる。
家康主人公の大河ドラマで家康が関わっていない信長の戦の方が家康の不倫よりも重要だと思える読解力がどこから出てくるか理解不能。
昨夜は、某ッターを「ゼレンスキー 反対」とかいろんな検索して、次々出てくる侵略戦争容認の自称「反戦平和主義者」どもを片っ端から通報していたが
怒りで気が狂いそうになりながらも力尽きて寝落ちしてしまった。
ロシア擁護してウクライナ叩きをしてる奴らだけではなく、ロシア擁護してウクライナ叩きをしてる奴らがいるというのに何もしない奴らをも「侵略戦争を容認する極悪人」と見なして、
ウクライナが平和を取り戻したらただちに政治犯として当地に身柄を引き渡すべきであり、これに反対する奴も侵略戦争を容認する政治犯として現地に身柄を引き渡すべき。
そういうロシア擁護ウクライナ叩きのツイートにツッコミ入れるマトモなツイートをコレクションして僅かな光を見出だそうとしてきたのだが
どちらかというとロシア擁護ウクライナ叩きの悪質ツイートのほうをコレクションして広く通報と特定を呼び掛けたほうが良かったのかもしれないが
ああいう毒電波を浴びすぎるとこちらも心身ともに疲弊するからやめといた。
だが俺のかわりに誰かが必ずやらなければならない。
そういうロシア擁護ウクライナ叩きの悪質ツイートの主のプロフや別のツイートリツイートも全てチェックしているのだが
案の定お馴染みのいろんな陰謀論(ワクチンがどうちゃらとか)を併発してるのを確認すると急にアホらしくなってきて
こんなオカルト毒電波相手に真面目に怒った時間を返してくれよと言いたくもなるが
もちろんいちいちアホの相手してやって疲弊しなきやならん義務もないので、真面目に相手にしなくていい。
真面目に相手にしなくていいかわりに、真剣に通報しなければならない。
オカルト毒電波相手の議論は無駄だが、オカルト毒電波の通報は国民の義務とするべき。
昨日も「サヨクがロシアを擁護している」という指摘に「私の知ってるサヨクの人はみんなロシアを批判してる!」と言い返してそんなものが「反論になってる」と勘違いしてる人を発見してブチキレたのだが
いくら自分や自分の周りがロシアを批判するマトモな見解を持っていたとしても、ロシア擁護するリベサヨがたとえ1人でも存在したら(実際は無数に存在する)
「我々は、ロシア擁護するリベサヨが存在する社会の一員である」という現実から逃げられないのであり、
その現実を1人で変えるのは不可能でも、その現実に対して何らかの意見を表明しないのなら「その現実を肯定的に受け入れた」という事になるんだぞ?
「私や私の周りはロシア擁護なんてしていない!」とかそんなのは「どうでもいい」んだよ!
「ロシア擁護するサヨクがいる」という現実に向き合い、「ロシア擁護するサヨクがいる」という現実とどう対峙するのか立場を表明しなければ、それは「ロシア擁護するサヨクを擁護した」と同じ事であり、すなわちロシアを擁護したも同然なんだよ!
「嫌なら見なければいい」は通用しない。
途中から「ロシア擁護するサヨク」に視点が集約されつつあるのに気づいたかもしれないが
もちろん「ロシア擁護するネトウヨ」も、「ロシア擁護する極左」も、最初のほうで言及した「ロシア擁護するオカルト毒電波」も、許さないのは言うまでもない。
この状況でロシアを擁護すること(そしてロシアを擁護してる奴らが存在する現実をスルーすること)が許せないのであり、誰であってもロシアを擁護したら許さない。
だが特に「ロシア擁護するリベサヨ」にこだわるのは、それが最も精神的にダメージが大きいからなんだよ。
リベサヨだけとも限らないが、別の件では素晴らしい正論を言ってたり、趣味や考え方が自分と近かったり、
そういう、別件ではマトモなはずの人がなぜか一方でロシアを擁護している、
こういうのが特につらくて苦しい。
人間不信に陥りそう。
そりゃ他人に向かって「マスク外せ」って喚いてしまうようになるわ。
目に見えないウイルスより目に見えるマスクを憎悪してしまうのはどうしようも無いと思う。
マスク付けてるヤツが自分たちを引き続き迫害してくる敵に見えてしまうのも、外野からいくら正論で諭されてもどうにもならんのだろう。
ただ、彼らにとって辛いのは、人口減少がこれから加速度的に進む日本では、過去の栄光は戻ってこないということだ。
国内のありとあらゆる経済活動の総量がこれからどんどん減っていくのだ。
それは皆がマスクを外しても避けられない現実なんだが、迫害され続けてきた人達の目には「マスク原理主義者のせいで俺たちがまだ割を食ってる」と映るだろう。
そのせいで更に認知が歪んでいく。
大変だろうけど頑張ってほしい。
でも、これから先に苦難の道が待っているのはこの国全体なので、皆で痛い目見よう。
現在40歳。20~30の時に知り合った年上の人(プライベート、職場共に)は飲みの場で一気飲みをすすめるアルハラやパワハラばっかりだったけど、最近はそういった行為がアウトされているので全く見かけなくなった。
ここ数年では男女差別や性的マイノリティ等に対しての差別発言が取り沙汰されているので、今後こういった価値観もハラスメントとして認定されるだろう。というかされている。
では次世代ではどんな行動がハラスメントとして認定されるようになるのだろうか?
私は今は音楽業界にいるが、アーティストも理路整然とした人が増えてきた。勿論感覚的な力も求められる。
音楽業界に問わず、理路整然とした人がメインストリームになってきた様に思えるので、いずれは正論がハラスメント扱いされて、またアルハラやパワハラリバイバルするのだろうか?
いや。もうそれはないと思う。
今後のSNSがどう進化して繁栄するかにもよるが、コミュニティが矮小化(既に)してその中で何かしらのハラスメントを犯す人が増えてくると思う。
そういったクローズドなコミュニティの中では古いとされるアルハラやパワハラも繰り返されるかもしれない。
外道!祖母の死を有料記事にして稼ぐクズw #炎上 #もこう #コレコレ 暴露系YouTuber必至w - 玖足手帖-アニメブログ-
自分の親族の死をコンテンツにするグダちんってやつ。端的に言って気持ち悪い
はてブから姿を消したid:nekoraさん、今度はグダちんに粘着する。
かねてよりネトウヨ的中傷コメントをあちこちで乱発していたid:nekoraさんが、通報の甲斐あって強制プライベートモード措置となり、はてなブックマーク上から姿を見なくなって幾年月。
もはや「あの人は今」的なid:nekoraさんは何してたかというと、富野信者ブロガーのグダちん氏にブログで粘着してました。
id:nekoraさんと言えば有村悠にも同じような調子で一挙手一投足をネチネチネチネチと長年絡んでおり、有村に親でも殺されたのかと言わんばかりの粘着ぶりを見せていたが
グダちん氏と言えば親や同人仲間を自殺で失っている事で有名なんだが
幾らメンヘラでもそのグダちん氏に対して執拗な追い込みをかけるid:nekoraは端的に言ってヤバいんじゃないでしょうかと。
別に私が特別人望厚い訳ではなく結婚式は通常そんな感じだ。未婚中年の彼には縁のない話と思うなかれ。自称鬱の40代パラサイトシングルフリーター中年男と結婚する女性など居ないと考えるのは浅はかというもの。世の中にはイカレた変わった好みの女性は意外に居て、小学生無差別殺傷事件の犯人、宅間守ですら獄中結婚しているのである。さすがに殺人鬼の死刑囚に比べれば人糞製造機などまだまだ無害で可愛げがあると言えなくも無くも無いのではないかと思わないでもない。希望はある。
よくこんな事書けるなこいつ。
id:nekora さんははてなブログからライブドラブログに移ったけど、
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。