はてなキーワード: 従順とは
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。
血液型占いなんて信じてないけれど、さすがに自分でも驚いたのが今年知り合ってわたしが仲良くなった男性が全員B型だったことだ。
元々わたしに近しい男性もB型で、今年仲良くなった男性もB型で、しかも全員牡羊座か山羊座だと気づいた時は背筋がゾワっとした。気持ち悪い。
もちろん全員性格も違う。
でも全員に共通することがある。とてつもなくマイペースだということだ。自分のやりたいことしかやらない。興味がないと明らかに興味が薄い態度をとる。
それはわたしに対してもそうだ。
かつて付き合った恋人でわたしから別れを告げたのは全員B型以外だった。
こんなことってあるんだろうか。
念のため書いておくが、知り合った時には全員血液型なんて全く知らなかった。だいぶん仲良くなってから話の流れで聞いたら知った次第である。
B型の男は頑固でマイペースで好きなものに子供みたいに夢中になって、わたしを振り回す。本当に愛おしい。
これだけ何十年もB型の男にばかり惚れてきたのに、未だにB型の男を攻略できない。
いや、本当はわかっているんだ。あいつらは強い個性や主体性を持って自分を振り回してくる女が好きなのだ。
わたしが惚れないで強気に勝手気儘に振り回している間、あいつらは嬉しそうにわたしのことを見つめる。
だから惚れた弱みで従順な犬になってしまうわたしは毎回振り回されて飽きられる。
自走式彼女でい続けたいのに、惚れると自走が止まるから攻略できない。
早く好きじゃなくなりたい。
むしろ日本では男性に付き従うような従順さを求められていた人達ばかりです。だから昨今では主体性のある女性の生き方が声高に叫ばれるのですがそういう流れとは逆行しているとも捉えられますね。
勿論、経済力のある男性に寄生する生き方は楽です。思考放棄にも繋がりかねないので。
しかし、ある種の自己陶酔にまで及んでしまうとなかなか自身を省みるのは難しいでしょう。
リードする女性、リードされる事に文句を言わずサポートに徹する女性、どちらも誤りではない生き方です。
個性を尊重できる相手と出逢えたのならそれは幸運なのだと思います。ただ、一つだけ言えるのはこれだけは遵守するという自分なりの規範を持つ事です。
と、35年の半生を振り返って思う。
私がまだ中学生だった頃、数歳上の人達の就活情況があまりにも悲惨で、教師をはじめとする大人達が焦り始めていた。でも彼らは焦るだけでどうしたらいいのか分かっていなかった。
とにかく私達子供をシビアな社会を生き抜ける強い人材に育てようと大人達が暗中模索し始めた。そんな学生時代だったと思う。私達はほとんどモルモットだった。
思うんだけど、それまで大人達はまともに子供を教育する意識がなく、子供達の数の多さに甘えてるか圧倒されて何もして来なかったのではないだろうか?
え?私よりも歳上の、氷河期世代の一番歳上の世代以前から苛烈な詰め込み教育とか教育ママとかそういう問題はあっただろう?って。
確かにそうやって子供を猿回し的に追い込んで追い詰める風潮はあったけどそれは本当に教育と呼べるものだったのだろうか。
大人達は子供達に色々強いてはいたけれど、子供達の人口があまりにも多かったので、脱落者も多かったがしばいてもしばいても必ず少数(これがかなり多いんがが)は立ち上がり着いて来るから、自分達のやり方が適正かどうか振り返って来なかったのでは。
私が子供の頃、大人達はそれ以前の調子で子供達をしばき上げ、着いて来れた者だけを優遇するような事を普通にやっていた。
教室で行われていたのは「教育」というよりは「篩落とし」だ。成績の悪い子供には落ちこぼれのレッテルを貼って非難するだけ非難して、あとはほっぽっておいた。
上の世代の子供達はそれでもよかった(いやよくない)。何故ならすごく数が多かったから、優秀な生徒も数はいるし、落ちこぼれは落ちこぼれで数の暴力で大人達に反抗しまくっていたから。
私の世代は数が少ないので、簡単に大人達に制圧されてしまっていた。
上の世代が滅茶苦茶荒れまくっていたところから急に大人しい子供達になった(単に人数が少ないだけである)から、大人達はちょっと調子に乗っていた部分があるんじゃないかと私は思う。
何を言っても従順に言うことを聞くからって、大人達は私達にいろいろやり過ぎた。それなのに私達は主体性が無いだの自分が無いだの目が死んでいるだのと謗られながら大きくなった。
全部自己責任って言われて来たけれど今思えばそれは違う。大人が過干渉だったせいだ。
子供の数が少ないのを言い訳に、児童会を形骸化したり地域の子供達主導でやって来た活動に大人が手を出すようになったり、そんな事もあったな。
私達の目標となるすぐ上の先輩達は、私達を前に戸惑い、大人達と後輩の間で板挟み状態だった。彼ら自身は過酷なしごきを耐えて来ていたのに、後輩は部活に1人とか二人とか、そんな極少数しかいない訳で、そんな貴重な後輩を逃したら顧問から怒られるし部が自分の次の代で潰れたら先輩達に顔が立たないので、とても困っていた。
それでどうしたらいいのかわからないので、それまで後輩に押し付けていた雑用を全部自分等で引き受けておいてあとはほっといた。後輩がちんたら遊んでても居るだけマシだと無視をする。言いたい事は山程あるけれど、数の暴力の弱いもの虐めになるのを恐れて何も言わない。でも優しかったし親切だった。
私達が見てきたのは先輩方のそんな背中だ。
そういう風に育った子供達が、下の面倒を見るべき年頃になった。これが問題を起こさない筈はないと私は思っている。
ところで話は変わるんだけど進撃の巨人を読んだ。ウトガルド城~トロスト区奪還戦の辺り。主人公世代の目標になるべきすぐ上の世代の兵士がどんどん死んでいく。特にナナバとゲルガーが死ぬ辺りが刺さった。新兵なんか軍隊においては基本使い捨て要員なのだろうがそれを守って死んでいくナナバ達に自分の先輩方の姿を重ねてしまう。さすがアラサーの書いた漫画だなあと思った。
ダルちゃんと
本来の強く生きたい自分、自立して自由に生きたい自分に対して「弱くあれ、やさしくあれ、しとやかであれ」とその延長になる「男に従順であれ」という、自分の力だけではどうしようもない圧力が苦悩として描かれる
あれは強くないし自立して自由に生きたいとも考えていない(そこまで考えるだけの余裕がない)、
ただ世間に受け入れて貰えるよう振る舞うだけで精一杯の弱い女性の生き辛さを描いたものでしょ。
男が男として生きることから社会的に離脱した物語なんて山ほどあると思うけどね。
はぐれ雲とかに出てくる、甲斐性がないけど自由に生きるスタイルの男モデルみたいなの。
孤独のグルメのゴローちゃんだって、仕事に生きているという意味ではマッチョイズムの中にあるけど、生き方のスタイルはどちらかというと社会的に逸脱した組に入ると思う。
要するに、社会的に求められる「男」像って「強くたくましく、リーダーとして弱みを見せずに頑張る。そして戦って勝つ」みたいなものだから、それを逸脱して何の肩書も持たずに身一つでフラフラ生きるということが既に男が男として生きる苦悩から開放される一つのアンサーになってたわけでしょう。
じゃ、女はどうかというと社会的に「男(社会)に迎合しなさい。弱い存在になりなさい」というプレッシャーを強く感じるもので、それはどんなに社会的地位が高くなってもつきまとう。
日本のメディアでは政府要職に就くようなトップの女性にすら家庭的であることを求めるし、格闘技やスポーツでトップになるような女性アスリートにも恋する乙女な一面を持たせたがる。
そういう、本来の強く生きたい自分、自立して自由に生きたい自分に対して「弱くあれ、やさしくあれ、しとやかであれ」とその延長になる「男に従順であれ」という、自分の力だけではどうしようもない圧力が苦悩として描かれるんだと思う。
というと「今時の女は十分男より強い」とか「そんなこと世間は求めていない」とかいう反論があるかもしれないけど、それは十分に社会的圧力に歯向かう力と自信がある人だけの論理。
あの漫画で出てくるような自己肯定感が低い女性は、なんとか社会に受け入れられるために卑屈な態度でいなくてはいけないという劣等感の中にいて、そしてその社会的に求められる女性像を演じてさえいればなんとなく受け入れてもらえるという気色の悪い空気感が多くの女性の心をつかんだんだと思うよ。
やはり自分でも思ったけど、日本でやるのはもう無理だというのはそうなんだろうなとは思ってきた。
少しならつてあるわけだし、金がまだ残ってるうちにチャンスがありそうな話に何とかいってみるしかないわな。
少し踏ん切りついたわ。
後、さんざん愚痴はいたらすっきりして、少しだけ海外に向けるあとひと踏ん張りのチャンスである国際学会へのやる気が出てきた。
あんたは本当に上司に従って従順にやっていれば、日本社会はバラ色だという立場に見えるが、
やっぱり日本でやるにはあんたのような生き方するしかないんだね。
とすると、やっぱり、日本では勤め人では何もできないし、独立しても数か月で軌道に乗せれるようなものしかできないししてはいけないということなんだよね。
転職で例えると、前職の悪口を言う人は自分の力だけで成果を残したと言い不満を抱えて辞め、不満がたまるとまた転職する。どんな形であれ人生の一部として前職に感謝している人は応援されながら退職し次の場所でも縁を生かして活躍している。
新しい地図に関しては“元SMAP”と言う肩書を最大限に活用しながら、Iさんの前職での恨み辛みを晴らすために利用されているようにしか見えないし、従順な頭の悪いマザコン息子にしか見えない。それを素直に喜べるファンもお花畑。(まあそういうファンがターゲットなのだろう)
頭がよければJの基盤を最大限に生かして“面白いこと”も“為になること”も“感動すること”もいっぱいいっぱい叶えていけるし、叶えている人だっていっぱいいる。それを否定するようなそぶりを見せて自由を謳っているのはお門違い。辞めた人だってきちんと手続きを踏んで自由にやってる人はいる。
そもそも3人が本当に自由にやってるようには見えないから余計にアホらしい。覚悟なんてあったのか?転職勢にもよくあることだが、辞めたこと自体に達成感を得ているのでは?
ファンという訳ではなかったが、国民的アイドルとしてお茶の間の身近な存在だったことは確か。そして、その姿に憧れていた後輩たちがいたことを知っている。72時間の配信を見ていないが、入ってから情報を聞く限り、それらを否定するような言動にがっかりさせられた72時間だった。
むしろ女性の大多数は「若い綺麗なお嫁さん」を買いたがる男性の気持ちこそ理解出来てないと思う。
だって何の役にも立たないじゃん。
まだ「賢くて家事万能で従順なお嫁さん」なら分かるけどね。役に立つから。家政婦雇うにしたってそういう人雇いたいし。
でもトロフィーワイフ的な、若さと顔しか取り柄が無い無能女を買ってる男の気持ちは理解出来ない。
(まあ実際のエリート男性は「若い綺麗なお嫁さん」より「賢くて家事万能で従順なお嫁さん」を選んでる人の方が多いと思うけど)
若くて綺麗なお嫁さんは健康で美形の子供を産む確率が高いだろうに。
もちろん結婚するならある程度の知性とか家事能力も入ってくると思うよ。
完全に容姿だけで選ぶっていうのは家政婦雇って嫁に家事なんかやらせないレベルの富豪だね。
トランプみたいな。