はてなキーワード: 年始とは
皆さんはじめまして。私は、「レンタル数学教える人」というTwitterアカウントで、数学にまつわる情報を発信しています。つい今年始めに、算数のかけ算順について述べた所多数の意見をいただきました。一人ひとり返信してもラチがあかないため、論旨を整理してTwitterに投稿することにしました。
どうしてかけ算において順番が大切なのか。それは、
「かけ算(乗法)の意味を理解する」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
という順にかけ算を学んでいくカリキュラムにあります。よく、かけ算の項の順番が逆で答えが合っているのにバツになることがありますが、これは、「乗法の意味を理解する」と「乗法の場面を式に表す」が出来ていないとみなされるからです。
答えが合っているのにこの段階をねちっこく行うのは、かけ算の後に割り算が控えているからです。かけ算は「かけ算(乗法)の意味を理解する」「乗法の場面を式に表す」の二つが曖昧でも正しい答えを出せますが、割り算ではそうはいきません。「□×○=△」の場合、□と◯にいい加減に数を当てはめても正しい答えを導けますが、「□÷○=△」の場合、□と◯にどんな数が入るのかを理解していなければ、正しい解答ができないのです。さらに、割り算の先には割合が控えています。「場面を式に表す」技能が不十分だと、ここでつまづいて地獄を見ることになります。
つまり、後に控えた難しい単元を学習するにあたり、「場面を式に表す」部分の理解が非常に重要で、その取っ掛かりがかけ算の順番なのです。「面積の問題で縦×横と横×縦は違うんですか?」みたいな指摘をもらうことがありますが、それは交換法則を用いれば同じになるという話。交換法則をやる前に、まずは「場面を式に表す」を丁寧にやっていくことが重要なのです。
で、ここからは余談というか愚痴なんですが、かけ算順序問題にまつわる批判は攻撃的な文体のものがまあ多い。Twitter内をずーっと警備してかけ算順に対し攻撃的な批判や誹謗中傷を繰り返す「超算数警察」みないた輩がいるんですが、何のために戦っているんでしょうね?
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大体こんな感じかな?
俺も暇なもんだなぁ(本当はやらなきゃいけない課題がある)
掛け算は「掛け算(乗法)の意味を理解する」「乗法の場面を式に表す」の二つが曖昧でも正しい答えを出せますが、(×掛け算→◯割り算)ではそうはいきません。
人それぞれだと思うけど、それこそパンティ殺しの顔して、帰省しなよね。
俺は五輪とか全く関係なく6月ごろの段階で、両親だけでなく接種の意志があるパンティ(賢明なことに我がパンティは全員)が
パンティが接種完了して2週間経過してれば帰省する、出来なければしないと決めてたしそう伝えてあった。
両親は7月の末に2枚目を終えて、俺は8月末に終える予定で、妹や義弟たちは未定という状況なので予定通り帰省はしない。
俺だってパンティに会いたいし、母のパンティが9月の誕生日で還暦を迎えるのに祝えない事も悲しい。
せっかく年始には盆で予約していた料亭もキャンセルするしかなかった。パンティ完了は確実な正月に延期ですね。
五輪やったんだからとか、甲子園はやってるからとか、パンティが気に入らないとか、そういう下らない話はどうでもよくて
ただ単に俺にとって俺の家族は自分のパンティと等しい位には大事な人たちだし、彼らのパンティを脅かす可能性がある行動は取りたくないというだけだ。
そりゃ良好な家族関係を持ってる人ばかりでもないから、パンティでも持って帰って運よく家族を葬り去れたら嬉しくて射精しちゃうってクズはいるかもしれないけど
そういう人たちは、家族と縁切っててそもそも帰省なんてしないんじゃないのかなと思うよ。憎悪や嫌悪まではしてなくても帰省が面倒な位の関係なら、これ幸いと帰らないでしょう。
こんな時にパンティ履きたい人たちは、少なからずパンティのことを大事に思ってる、血の通ったパンティだと思うから、今の状況で帰るリスクを考えないはずないよね。
下着があるとか慶事があるとか外せないブラジャーがある人たちや、もう両親のパンティが思わしくないから会えるなら会いたい人は、不要でも不急でもないから、十分な枚数パンティを用意して帰ればいいと思う。
あなたが持ち帰ったおパンティが、地域の人々を殺して、やがてあなたの家族を殺すことを、人殺しの顔で受け入れたらいいんではないかと思うよ。
特に今である必要がない俺の様な人たちにとっては、パンティの事を思えば無理する必要がない。顔見て話したければZoomでも何でも使える時代だ、触れられなくても履くことは出来る。
大事な家族だと思ってるなら、相応の判断や準備、行動が出来るはずだよね。いいパンティなんだしさ。
下らない政治的なパンティで、政府が期待する様なパンティを履いてしまう事が気にいらないとか言いつつ
家族のパンティを危険に晒せちゃうクズさんたち、他人を無自覚に煽ってるカスさんたちは、どんな顔してんだろう?よくパンティを見てごらんなさい、それがうんこですよ。
人それぞれだと思うけど、それこそ親殺しの顔して、帰省しなよね。
俺は五輪とか全く関係なく6月ごろの段階で、両親だけでなく接種の意志がある家族(賢明なことに我が家は全員)が
ワクチンが接種完了して2週間経過してれば帰省する、出来なければしないと決めてたしそう伝えてあった。
両親は7月の末に2度目を終えて、俺は8月末に終える予定で、妹や義弟たちは未定という状況なので予定通り帰省はしない。
俺だって家族に会いたいし、母が9月の誕生日で還暦を迎えるのに祝えない事も悲しい。
せっかく年始には盆で予約していた料亭もキャンセルするしかなかった。ワクチン完了は確実な正月に延期ですね。
五輪やったんだからとか、甲子園はやってるからとか、首相が気に入らないとか、そういう下らない話はどうでもよくて
ただ単に俺にとって俺の家族は自分の命と等しい位には大事な人たちだし、彼らの命を脅かす可能性がある行動は取りたくないというだけだ。
そりゃ良好な家族関係を持ってる人ばかりでもないから、コロナでも持って帰って運よく家族を葬り去れたら嬉しくて射精しちゃうってクズはいるかもしれないけど
そういう人たちは、家族と縁切っててそもそも帰省なんてしないんじゃないのかなと思うよ。憎悪や嫌悪まではしてなくても帰省が面倒な位の関係なら、これ幸いと帰らないでしょう。
こんな時に帰省したいって人たちは、少なからず家族のことを大事に思ってる、血の通った人間だと思うから、今の状況で帰るリスクを考えないはずないよね。
法事があるとか慶事があるとか外せない用事がある人たちや、もう両親の健康が思わしくないから会えるなら会いたい人は、不要でも不急でもないから、十分な用心をして帰ればいいと思う。
あなたが持ち帰ったお土産が、地域の人々を殺して、やがてあなたの家族を殺すことを、人殺しの顔で受け入れたらいいんではないかと思うよ。
特に今である必要がない俺の様な人たちにとっては、家族の事を思えば無理する必要がない。顔見て話したければZoomでも何でも使える時代だ、触れられなくても会うことは出来る。
大事な家族だと思ってるなら、相応の判断や準備、行動が出来るはずだよね。いい大人なんだしさ。
下らない政治的な怒りで、政府が期待する様な行動をとってしまう事が気にいらないとか言いつつ
家族の命を危険に晒せちゃうクズさんたち、他人を無自覚に煽ってるカスさんたちは、どんな顔してんだろう?よく鏡を見てごらんなさい、それが人殺しの顔ですよ。
まあそれが酷いって話をするんだけど。
丸川珠代五輪担当相は10日の閣議後の記者会見で、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が9日に東京・銀座を訪れたことについて、「不要不急かどうかは本人が判断すべきだ」と述べた。
加藤氏は、新型コロナウイルス対策について「大会関係者は入国後14日間は行動範囲が限定され、公共交通機関の不使用などがプレーブック(規則集)で定められている。一方、入国後15日を経過した者は適用を受けない」と説明。7月8日に入国したバッハ氏は行動制限の対象に該当しないとした。「不要不急の外出に当たらないのか」との質問に対しては「各人に、状況に応じて適切に判断していただく」と述べ、当事者に任せているとした。
ブコメでも指摘のある通りこれは既に同趣旨の答弁がある。田島麻衣子議員が緊急事態宣言中に「単身赴任をされている国民が家族に会うため、県をまたいで移動」、「ゴールデンウィーク、お盆、年始年末などに国民が帰省」することなどを上げ「不要不急の外出・移動」に当たるのかと聞いた質問主意書に対する答えである。
お尋ねの「不要不急の外出・移動」については、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(令和二年三月二十八日新型コロナウイルス感染症対策本部決定、令和三年二月二日変更。以下「基本的対処方針」という。)において、「医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては外出の自粛要請の対象外とする。」との考え方を示しているところであるが、お尋ねの行為が「不要不急の外出・移動」に該当するか否かについては、国民の皆様において、それぞれの生活状況等に応じて適切に判断いただくものと考えており、一概にお答えすることは困難である。
今回の発言はこの考えをそのまま踏襲したものだと考えられる。しかし、問題もある。
この質問主意書に対する答弁は一般論としての答えなのである。「それぞれの生活状況等に応じて」と答えているように具体的な状況によって何が不要不急に当たるか変わるのは当然だろう。ところが、政府にその細かい事情まで把握することは不可能である。単身赴任で家族に会うための県をまたいだ移動という条件を付けてもどういった事情で会おうとしたのかは分からず「一概にお答えすることは困難」だ。
もちろん現体制では「お願い」レベルに過ぎずこう答えざるをえないという解釈もできる。結局最終判断は個々人に権限があるのだというわけだ。しかしそれはどういった行為が適切か否かを例示することを妨げるものではない。実際「医療機関の通院…生活や健康の維持のために必要なもの」は自粛要請対象外だと示している通りだ。
ところで、バッハ会長の銀座散策については政府は事情状況様態全て把握できる立場にある。何なら国民の多くはバッハ会長の散策に不要不急の事情があったとは思っていないだろう。
政府が事情を把握しきれない出来事に当事者が適切な判断をしてくれと言うのと、政府が事情を把握している実際の個別案件について当事者が適切に判断することだと言うのではニュアンスの違いを生じることに留意しなければならない。つまるところ後者は具体的行為を追認しフリーハンドを与えたも同然である。それなら「個別事案にはお答えできない」とか言ってくれた方がマシだ。
どんな事情があっても不適切であると言えるような事象、例えば路上飲みに対して本人が判断することだと言った時の悪影響を考えてみてほしい。今回はそれと同様なのである。
ここからが一番書きたいことなのだが、政府は場当たり的でその場逃れなメッセージを発することをやめるべきだ。恐らくメディアにこういった質問をすると事前通告された時、官僚は過去の答弁をサルベージしてそのまま引用できそうなものを見つけてきたのだろう。だが文脈によって言葉の与える印象が変わることを等閑視している。確かに過去の発言の踏襲に過ぎないと言えば簡単にその場は逃れられる。しかしながら、今の状況ではリスクコミュニケーションとして国民にどういったメッセージを与えるかというのを第一に考えてもらわなければ困る。そうでなければ統一的なメッセージが発せられず政府見解の信用性は地に落ちる。まあ既に落ちてるとは思うが…、いずれにせよ負の「レガシー」ができてしまったことは事実だ。
しつこい風邪を引いて咳が止まらなかった。その数ヶ月前……8月頃だったけど、職場の同僚がずっと咳をしていて、「それ百日咳とか結核だったりしたらヤバいから病院で診てもらった方がいいですよ」なんて私が言った翌週から、その人は出社しなくなってそのまま辞めた。
そのあと、同僚のもう一人がやっぱり咳をし始めて、なかなか治らないなんて言っていたが、彼はしばらくして治った。
私がたちの悪い風邪を引いたのは数週間後で、同僚二人から直接に菌かウイルスをもらった訳でもなさそう。
3月頃には治っていたが、風邪をきっかけに咳喘息をぶり返してしまい、発作を起こさないようにのど飴を持ち歩いていた。
しばらくすると、生まれて初めて蕁麻疹になり、以来、頻繁に蕁麻疹が出るようになった。私の子供も蕁麻疹が出るようになったが、子供の場合、乳児の頃に体調を崩すと稀に蕁麻疹が出ることがあったので、ただの体質かもしれない。
子供は蕁麻疹が出ただけで済んだが、私の方はというと蕁麻疹に続いて髪がバサバサと抜けるようになった。といっても、元から異様に毛量が多く、しかも髪が伸びるのも人よりだいぶ速い(美容師さん談)ので、見るからに脱毛症っていう感じにはならなかった。
ただ、十年前と七年前、産後に軽い脱毛症になり、前髪の生え際が後退して髪型が激しくない目の辮髪っぽくなってしまったのが、数年かけてやっと治りかけたところだったのに、また前髪がバサバサ抜けてしまったせいで辮髪続行になってしまったのが地味に悲しい。
先週、一度に布団カバーと枕カバーを洗って干したら、急に蕁麻疹が出なくなった。やったー、ついに蕁麻疹ともおさらばだー! と思ったら、今度はまた謎に髪がごっそり抜けて、しかも最近生え始めた前髪の赤ちゃんまで抜けだしており、予断を許さない状態になった。
もうかれこれ10年ほど前の話だ。
親の決めた糞つまらない私立一貫校に行かされたことを不満に思い、こんな学校には一秒たりともいたくないと帰宅部を選んだ。
だが、当時早熟だった私は部活に入らないことでコミュニケーション能力や上下関係、体力が身につかないことを恐れたため、帰宅部ガチ勢になることを決めたのだった。
まずは体力面。幸い近所にテニスクラブがあったため、祖父にお金を出してもらいスクールに通うことにした。これが週3回。自主練や筋トレもしていたので、テニス部連中と同じくらいには上達したし個人で大会にも出ていた。
次にコミュニケーション面。学校では部活に入っていないと人間関係が希薄になりがちだ。そこで、ピアノや書道など、学校で何かしら賞が取れそう&活躍の機会がありそうな習い事は継続し、年始の書初めで賞を取ったりピアノ伴奏をしたりと、そこそこ存在感をアピールした。
上下関係も学んでおかなければまずいと思ったので、
高校に入ってからはとあるチェーン店でバイトをした。団体競技がしたくなったのでテニスをやめ、ダンスを習いに行っていた。
大学でも似たような生活をしていたので、私は人生で一度も部活動をやったことがない。
就活では習い事を部活と偽ってエピソードを捏造したが、内定は貰えた。
だが、苦楽を共にした友達というものが学内に存在しないので、中高時代の友達で今でも仲がいい人は一人もいないし大学にもいない。
LUNA SEAというバンドのボーカルにRYUICHIという人がいる。またの名を河村隆一という。
2018年の12月、例年通り22日・23日のさいたまスーパーアリーナと31日のカウントダウンライブまで彼は歌い続けた。
なんだか人生を見ているような、魂を懸けた歌声に私などはいたく胸を打たれたものだった。
本当に最後かもしれないと彼は思って歌っていただろうけれども、その時はまだ、観客は誰も知らなかったはずだ。
2019年の年始に肺腺がんであることを公表、1月11日に手術で肺の一部を切除した。そして2月19日たったの1ヶ月程度で彼はステージに復帰してしまった。
しかし同年の確か春頃には、喉にポリープができてしまったという。5月20日の誕生日を記念したライブでファルセットが上手く出ず、苦しんでいた姿が印象深く思い出される。
それでも彼はずっと歌い続けた。ずっとずっと。ライブやレコーディングの予定がひっきりなしに入っていたのだと思う。ようやくポリープの手術をしたのは確か10月だった。
そしてそのときも、彼はものの2週間程度でステージに復帰してしまったのである。
この人は本当に歌うことが好きで、なにせソロで120曲ライブをやったときなどは、本当に1人で8時間歌い続けていたくらいだ。
そんな波乱の2019年、レコーディングが進められていたLUNA SEAの「CROSS」というアルバムが12月に発売となった。僕が歌えなくなったらアルバムが出なかったと彼はどこかで言っていた。
そして2020年、アルバム「CROSS」を引っさげた全国ツアーが満を持してスタートする――はずだった。
コロナウイルス感染症が既に世界で猛威を奮いはじめていた中、2月1日の三郷公演からツアーは開幕したものの、2月27日の宇都宮公演を前にしてイベント等の自粛要請が本格化し、公演前日である2月26日にツアーの延期が発表された。
そうして長く暗いトンネルのようなものが私たちの前に立ちはだかったが、その時の彼らの気持ちを簡単に想像できるとは言えない。
LUNA SEAは早くから活動的だった。河村隆一としても配信ライブを定期的に行い、少なくとも我々ファンにとっては勇気を与えてくれるような活動を続けているように見えた。
だがどうやら、生のステージであるライブができないことに彼もかなり苦しんでいたようだ。最近の発言から、そのように感じるようになった。
2020年後半~2021年にかけて、少しずつイベント等の制限が緩和され、十分な対策を行った上でのライブ開催が可能になってくる。LUNA SEAも2020年12月26日・27日にさいたまスーパーアリーナでライブを行う予定だったが、当日である12月26日にメンバーのコロナウイルス感染が判明し、開催延期となる。(後に元気な姿で復帰して本当によかったのだが、ここではその辺のあれこれについては割愛する)
2021年、RYUICHIであるところの河村隆一は何度かライブを行ったが、なんだかおかしい。喉の調子が悪そうに見える。ライブ中に声がかれてしまうことが増えている。
理由は私のような素人に分かる由もないが、ステージをコンスタントにこなすことができないというのはボーカリストにとって非常に不利な状況らしい。
延期後のさいたまスーパーアリーナ公演である3月27日・28日では、声がかれる中、最後まで気力で歌いきったかのようだった。
そのような中でも全国ツアーの再開が発表になり、プロローグでもある有明公演3daysが開催される。初日である5月28日はずいぶん自身をコントロールして歌っているように見えた。3日連続という時間のことをすごく考えたことだろうと思う。彼は3日間を見事に歌いきり、とても美しいステージだったと思う。
有明を終えた1週間後のビルボードライブ東京で歌われた「月はもちろん」は、LUNA SEAのツアーが再開されることへの意気込みを感じさせるようだった。
そしてついにLUNA SEAの全国ツアーが再開される。1年4ヶ月ぶりのことだ。初日は6月12日福岡サンパレス。
私が見たのは「最初から飛ばし過ぎではないか」と思うほど気合の入った歌だった。とにかく気持ちが溢れているように見える。
喜びなのか感謝なのか楽しさなのかは分からない。何かを伝えようとしていたし、それを観客も受け取り、返していたように思う。初日はまるで大団円みたいに終わった。
2日目である6月13日、順調に進んでいるように見えたライブ4曲目の「PHILIA」で突然RYUICHIの声がかすれて上手く出なくなる。ここで休憩を取ってもいいぐらいではないかと私は思ったが、ライブは続行された。
普通、声がかすれしまったらパワーを緩めるのではないかと思うのだが、彼はむしろ、むしろそれまでより全力で叫んだ。「宇宙の詩」を経て6曲目の「静寂」を歌ったとき、一度すべてを壊して作り直すかのように、彼は力の限りを尽くしているように見えた。
いつしかその中で、声が出るようになっていた。
それはとてつもないステージだったのだが……だがこれは、命を削っているのではないかと不安になる。
でも、こんなにも歌に魂を捧げている人が。
こんなにも歌うことに命を懸けている人が目の前にいたら、胸を打たれずにいられるだろうか。
誰が、止められるんだ。
LUNA SEAのRYUICHIであるところの河村隆一とはそういう人だと、今日までを見てきて私は思った。
悪魔が歌か命かの選択を迫ったら命を差し出すような気がするから、そんな日が来ないことを祈るしかない。
こんなに歌うことが好きな人がこの世にいるのか、と思う。
っていう人がいたらどう思いますか?
さてなんでこんなことを書いたかといえば、昨年あれだけ賑わせた
昨年話題になった時、具体的に言えば2020年10月は889人の女性の自殺がありました。(ちなみに男性は1,341人)
例年であれば女性の自殺者は3割程度で、この月は4割程度なので確かに女性の自殺者が多かったことになります。
これについて様々な「分析」が行われました。
女性は不安定な就職状況に置かれやすく、景気が悪化すると女性が切り捨てられやすく、女性の自殺者数につながった。
などですね。
では今年はどうなんでしょう?
今年の1月から4月までのデータでは、33%となっています。これは若干ですが(コロナ前を含む)去年より低い数字です。
つまりコロナ前、影響が大きくなり始める前よりは悪いけど、影響が大きくなりだしたころ、「女性の自殺数」が報道されることろよりは低い、というのが現状です。
(資料を見ればすぐわかることですが、「年末は自殺が多くて年始は自殺が少ない」なんて傾向はありません。仮にもしそうであるなら去年増えたのも「季節変動」になってしまいますね。)
となると考えられることがいくつかあります。
・景気は上向いていないが、女性の雇用は守られている方向で改善されている
・景気も良くなってないし雇用も守られていないが、特に女性には生活保護などセーフティーネットが活用されている
・(一部の人が言っていたように、)去年は芸能人の自殺など、報道の影響があったが今年はそういった報道が減っている
(念のため言っておきますが、あくまで昨年末段階と比べてであり、コロナ前と同等、コロナ前より良い、なんて言ってませんよ!)
さてどれが正しいんでしょうか。
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/jisatsu.html
年始に電話で会話するくらい元気だったのに、先月親父から突然肺炎で多分もうすぐ死ぬと電話があった。
その通りじいちゃんはあっさり逝った。元気で歩けるし腰も曲がってない、介護もされてなかったのに。
じいちゃん子だった増田は電話があった時すぐに地元に帰りたかったが流行りの奴のせいで帰れなかった。じいじばあばだらけの田舎には流行ってる街から帰ってくる人間には冷たいから悲しいけど仕方なかった。還暦を過ぎた親も嫌な顔していたし、そう自分に言い聞かせて納得させた。
死に目も、葬式も、お骨拾いも、納骨式も。結果報告だけ淡々と聞かされた。
ずっと入院中のばあちゃんと電話で話をしたが、一昨年会った時から何年も経ったかのように声にはりがなく、ああ多分ばあちゃんにももう会えないんだろうなと漠然と思った。
本当はこの連休に帰省しようと葬式の時辺りから計画してたけど緊急事態宣言出されてやっぱり無理になったし、スマホで撮って残してるじいちゃんとの何気ない会話の動画を見ては時々泣いている。