はてなキーワード: 夏休みとは
これで
・2年おきに全国転勤(今4配置目)
・年休取得可能平均10日
・夏休み3日/年末年始休み5日(休日出勤と被った場合補填なし)
・低スペPC+FAX+電話による事務作業中心なのでまともな転職先に入れるような技能味に使ず
だけどお前らこんなんが本当に羨ましいの?
羨ましいなら30歳までなら入れるから試してみたら?
外伝以外。
なんていうか、映像的には面白かったけどストーリーは言うほどか?って感じ。
才能ある若手の教育失敗した挙句本人の意欲まで抑えるパワハラしてライバル企業の引き抜き喰らって
ヒィヒィ言ってるだけじゃん。
久々に野球の延長のせいで見たい番組の録画に失敗するという経験をした。
アニメ自体は別の媒体でも見れるのでそこまでショックでもないが、問題はその後。
録画されていたのは高校野球。
なんでこんなに野球が嫌いなのか、改めて自分の中でまとめてみたくなったので匿名で書く。
プロ野球の放送で見たい番組が潰れた、録画がズレたりそもそも録画されなかった、という安易な理由も当然ある。
高校野球の優遇っぷりや、野球に関わっている人たちの傲慢な発言や態度が気に食わない、という個人的な嫌悪感もある。
でもそれ以上のキッカケがあったな、と。
僕が小学校時代、地区のこども会で強制で参加させられたソフトボールという競技である。
30年以上たった今でも鮮明に覚えているあたり根が深い出来事だったな。
自分が住んでいた町では5月~8月末まで、小学3年生~小学6年生の男子はソフトボール、女子はドッジボールに強制参加させられた。
各学区ごとの予選があり夏休み終盤には町大会が開催される。子供たちに拒否権は無い。
ちなみに僕は参加させられるまでソフトボールの正式なルールなんて知らず、せいぜいピッチャーが投げたボールをバッターが打つ、程度の認識だった。
僕の住んでいた学区は人数が多くA,B,Cチームに分けられ、僕はCチームにアサインされた。
均等に分けたという建前はあったがAチームには少年野球をやっている子が多く集められ、Bチームはサッカーなどのクラブチームに入っている子が多かった。
Cチームは別競技を習っている子が多少はいたが、どちらかといえばインドア系の子が多かった。
また、A,Bチームは過去に野球をやっていたという親御さんが監督/コーチとして指導していたが、Cチームはただ野球が好きなだけというPTA会長のおっさんが監督だったのも色々察せられる。
小学3年生になり参加した初日、いきなり守備の審査が行われた。
まずはピッチャーを決めるらしく、全員がマウンドからキャッチャーに向かって投げろと言われたので上手投げしたらめちゃくちゃ怒られ、その時に初めて「ソフトボールは下手投げ」ということを知った。
生まれて初めて自分の意志で下手投げをしたが当然上手く行くはずもなく、狙いは定まらずキャッチャーの頭上を大きく超えた。
「この下手糞がぁ!!」と怒鳴られ、当然ピッチャー候補からは外された。
キャッチャー、ファースト、セカンド、サード、ショート、レフト、センター、ライトと審査が進んでいったがそもそも運動が苦手なのと、今まで感じたことのないスピードで飛んでくるボールにビビッてエラーを連発、どの守備位置にするにも難しかったと思う。
そもそも子供の人数が多いため初日から補欠扱い、正式メンバーと交代でレフト、センター、ライトの練習といった感じだった。
2日目、攻撃の練習が始まったがそもそものルールを説明されていない。
1打席目はとりあえず打って1塁に走ったがどうやら守備側がボールを先に塁に送るとアウトらしい。
いつまでも1塁に留まっていたら「何やってんだ!!さっさと戻れグズがぁ!!」と怒鳴られた。
2打席目は当たり所が良かったのか1塁に出れた。
次の打者が大きく上に打ち上げたので2塁に走ったが、守備側がそのボールを上手くキャッチし1塁に投げたのを見ていたらアウトだから戻れと言われた。
えっ・・・?なんで・・・?と思っていたら監督にバットで小突かれ、「子供のくせに野球のルールも知らねえのか!お前の親は何を教えてきたんだ!!」と怒鳴られた。
こんなことで親をバカにされた悔しさと申し訳なさで初めて泣いたので記憶に残っている。
3日目からは友人に聞きながらルールを少しずつ覚えていったが、多少ルールを覚えたところで競技が上手くなるわけもなくエラー、三振、凡ヒットなどを繰り返しながら練習だけは参加し続けた。
なおここまでもこれからも監督からソフトボールという競技のルール説明は一切ない。
下手糞ながらも練習を続けていたある日、そろそろA,Bチームと練習試合をするということになった。
僕は正式に補欠ということになり誰かがケガでもしない限り出ることはないはずだったが、レフトの子がケガをしてしまったのと別の補欠の子が休みだったため急遽レフトをやることになった。
地区で一番強いAチームは打力もあり、レフトが弱そうと知ると集中的に狙ってきた。
当然エラーを連発、そもそも球に追いつけない、捕球して返す球はヘロヘロといいとこなしでボロ負けしたのを覚えている。
練習試合後の反省会は誰が戦犯か吊るし上げるまでもなく、激怒している監督がバットで僕の顔面に向かってスイングし乳歯が折れ流血沙汰になった。
僕の両親と監督の指導に疑問を持つ一部の親が暴力事件として町と教育委員会に話を出したが、「本人にも聞き取りを行ったが、あくまでも指導の一環で本人のやる気のなさを自覚させるために仕方ない行為でケガをさせる気はなかった」と結論づけられ大事にはならず謝罪もなく、田舎のPTA会長という肩書の強さを思い知った瞬間だった。
また、監督の金魚のフンのおばちゃんには「こういうのは勝つためじゃなくて、チームでやるということの意味と本人のやる気が全員の力になるっていう事を教えるためにやってるの」って諭すように言われたのも記憶に残っている。
流血事件が起きてからも何とか練習には通っていたが、失敗すれば「下手糞!」と怒鳴られ、たまに成功すれば「たまたま上手く行っただけでお前の実力じゃない!調子に乗るんじゃない!」と怒鳴られ、挙句に「お前みたいなチームの足を引っ張るやつは来なくていい!」と言われのをキッカケに練習をサボるようになった。
久々に17時からのアニメを見れたのがとても嬉しかったのを覚えている。
そして2日サボったところで監督が「お前みたいなグズが練習サボるとはどういうことだ!それを良しとしている親も親だ!!」と怒鳴り込んできて、また親へ申し訳ない気持ちになり、親には言い訳しつつ渋々練習に参加するようになった。
夏休みも中盤になり地区予選が始まる1週間前、補欠を含めた全員にユニフォームが渡されることになった。
最初はスタメンから順に渡されていき、監督もテンションが上がっているのか「頑張ってな」「他のチームは強いけど気合い入れていけよ」と声をかけていた。
交代要員あたりになると「交代時はお前が支えるんだ」「ピンチの時は頼むぞ」と声をかけていた。
そして僕を含む補欠メンバーになるとそもそも手渡しではなく、砂にまみれた地面にボフッと置かれ「これ」とだけ。
なかなか屈辱的な経験を早めにさせてくれてありがとうございましたとでも言うべきだったな。
なおこの年の地区予選では見事にCチームは破れ、Aチームが町大会へと進出していた。
監督はスタメン以外のメンバーに切れ散らかしていたのが思い出深い。
小学4年生、小学5年生の間は下級生より下手糞な僕に監督からの辛辣な言葉が増えた程度で扱いも地区予選での敗退も変わらなかった。
そして小学6年生の夏、Cチームは地区予選を優勝して町大会へ行けることなった。
これが決まった直後になかなか衝撃的なことが起こった。
Cチームのメンバーでは町大会では勝てなさそう、ということでAチームとBチームから少年野球をやっている子を引っ張ってきて加入させていた。
さっきまでAチームでピッチャーという花形を務め、敗退して泣いていたS君がCチームのピッチャーになった。
さっきまでBチームでホームランを2回打ち、ヒット率も高いT君がCチームの代打要員になった。
町大会のルールでは他チームからのトレードや引き抜きは禁止とあったのに、それを平然とやっていた。
今までチームメンバー表を提出しなかったのもこういう時のためらしかったし、大急ぎで書き換えているのを大人も子供も何人もが見ていた。
「勝つためにやってるんじゃない」という発言の軽さと、こんな汚いことしても許されるのがスポーツなのか、と思った瞬間でもあった。
Cチームのスタメンの半分が入れ替わり、交代要員にされた元スタメンの不満を押さえつけ、元交代要員は準補欠という謎要員にされ、補欠組はいよいよ試合に出る機会はなくなった。
両親は反発してたけど、行かないと今後こども会の行事への参加は禁止するって言ってたのが聞こえていたし、応援するだけで面倒事を避けられるならいいかと思って渋々行った。
町大会は町の大きめの運動場で行われたが、そこまでの移動はスタメン、交代要員は地区で用意したバス、それ以下のメンツは自力で、とのことだった。
現地について試合会場に入ると思ったよりもベンチが小さく全員が入りきらないので試合に絶対に出ない補欠組は地面に座るように言われた。
優勝決定までは3試合くらい必要らしく1日かける町大会だったが、この日は当時にしては日差しが強く気温も高かった。
運動中に水を飲むのは厳禁、という当時の思想があったり、Cチームとして大きなタンクに氷水を準備して持ってきていたらしいが監督が「補欠組はこの水を飲むことは禁止だ!優先度というのがある!!」と宣言したので補欠組は水タンクに近づくことも許されなかった。
2試合目あたりで限界に達してぶっ倒れて意識朦朧となったが監督は「町大会まで来て迷惑かけるような軟弱なやつに構うな!」と言って放置されていて、観客席で気付いた母親があわてて救急車を呼んだことで監督とその囲いから散々嫌味を言われた。
僕は病院に運ばれたので伝聞でしか知らないけど、Cチームは町大会でも準優勝まで勝ち進んで監督はご満悦。
閉会式での監督インタビューで「野球というものは精神と頑張る力を成長させチームワークを芽生えさせる素晴らしいスポーツ、そのキッカケとなるこども会でのソフトボール大会は残すべき文化です」とか語ってたらしい。
メンバーを入れ替えたこと、倒れた子供を放置していたことなどを町と教育委員会に話すも、「同区から複数同じ話を聞いているが全て終わった事だから今更蒸し返して結果を弄りたくない、それで反感買って住みづらくなりたくないでしょ?(要約)」的な返事がきてたのも子供心に「クソだな」と感じた。
まとめてみると野球というより野球好きのPTA会長のクソさが元凶だな?
スポーツ全般に対していい印象なんてないけど、それでも野球に対して特にそう感じるのはソフトボールという競技に関わってしまったために受けた嫌な気持ち、野球という競技にやられた理不尽な行いで間違いないと思う。
野球は素晴らしい、野球というスポーツのルールは全員知っていて当然、野球は他のスポーツひいては文化系より優遇されてもいいとかいう風潮が鼻につくのかな。
教育の一環といいつつ流血沙汰が肯定され、下手糞はゴミのように扱っても問題なし、勝つためにはルールを破ってもいい、それがスポーツ!という現場を見て、体験してしまったからかな。
これが他のスポーツだったら、そのスポーツが嫌いになってたんだろうな。
野球が好きな人は好きでいいと思うし、楽しんでる人に対してあーだこーだいう気もないからどうぞご自由にって感じ。
なんか上手くまとめられなかったのでこの辺で。
牛丼食ってゲップしておいてなんか一仕事したみたいな空気を出すな。
暇で暇で仕方がないくせに「あーそっかー、今日は17日かー。う~ん…」みたいに忙しい空気を出そうとするな。
夏休みが終わってまぁ頑張るかとやる気の俺のやる気を奪い取るな。
50人に1人は一度は感染してるのが公的に認定されてるし、さらにδ株の感染力からしたら、周囲に出てももはやおかしくない。
外出は仕事と買い物だけ
そんな人が、家族が職場のノーマスクにうつされて陽性(無症状)、そして濃厚接触なので無症状でも検査したらやはり陽性で夏休み明けは本来来ないとできない仕事をすべて他の人とチェンジして在宅勤務に。
私もほぼ同じ対策してるが、過去に仕事で体壊したのが既往歴判定に引っ掛かってワクチン優先接種対象になって良かった。としか言いようがない。
1週間ほど職場から離れ、実家にも帰らず、ユーチューブや増田でずっと好きなテーマを追って見たり読んだりしてると、本当に幸せだなって感じる。社会から何の制約も受けない時間って幸せだなって感じる。どこかにお出かけするよりもずっと幸せかも。なんならもう1ヵ月ほどこういう生活をしていたい。また在宅勤務にならないだろうか。
こんな筈じゃなかったのに
数年ぶりに触るし比較的簡単な聖魔の光石をやろうと思ったら索敵マップで皆殺しにされてムキになって徹夜でゲームしてしまった
面白いのが悪い
その原因は主に部活動ということも知った。
私が生まれてからずっと文系帰宅部一直線で生きてきたので、部活まじで意味がわからない勢というバイアスを隠す気もないけど、それにしても確かに部活顧問って滅私奉公だな~とは思う。
うちは子供がいないのでギリギリ離婚の危機はまぬがれてきたけれど、もし子供がいても顧問継続してたら確実に離婚騒ぎになってたと思う。
からの話は最近のコロナ禍下での部活の状況についてで、傍から見ていてめちゃくちゃストレスを感じる。
緊急事態宣言発令中の自治体に住んでるんだけど、夏休み中の部活は「1日3時間まで」って制限のみ。むしろ毎日やってるし、土日は大会ですってよ?
しかも部活命の体育会系学校ってわけでもなく、ベスト8、16も入んない程度のゆる部活でそれをやってるのが意味わからなすぎてつらい。
100歩譲って生徒さんは休む自由も退部する自由もあるだろうけど、教員は生徒がいる限り見守る義務がある。
しかも、夫の環境では職域接種なにそれ?っていうのもひどいなーと思う。
ぼかしますが40~50代の教員がノーワクチンで生徒はマスクなしの体育館にいなきゃいけないのって晒し者にもほどがあるのでは?
実際ちょいちょい感染者の話も聞こえてくるらしい。
どうにかならないかな、ほんと!
これだけ感染が広がっていて俺は感染してない。だから俺の対策は完璧だ!
とか思ってそうである。
幸いというか不幸というか、俺は20歳のころバイト先でインフルエンザをはやらせたことがあり、その時は自分と近い立場の人から感染し、また、年齢が高い人ほど発症も多かったり寝込む期間が長かったりした。だからまぁ感染症というのはそういうものなんだということを、若い頃から肌で実感しているところである。
また、性感染症にもなんぼかなった。
学生時代はどんなに誰といたしたところで病気になることはなかったが、クラブ遊び(踊る方)をはじめてからは、そこで出会う子とやると、それはそれは結構な打率だった。イチローの打率超えるのでは?レベル。
バイト先や職場でやめた子などとすることもしばしばあったが、そっちはどれだけつまみ食いしても性病になることはなかった。
やはり感染症であるため、コミュニティ内でどれだけ蔓延しているのかということがち○こで実感したところである。
今のコロナも近いところがあるが、「どこそこの界隈」というくくりでは結構蔓延しているが、そこと接点がない界隈では割と他人事である。
どこそこ界隈は、まぁお酒が好きそうでモラルが低そうな界隈ということである。
当初は「お酒好き」かつ「モラルが低い」だったのが、感染拡大するにつれて「お酒好き」または「モラルが低い」のどちらかも感染していっている印象がある。
そこから職場とその家族を巻き込んでいるが、お酒が好きな人が職場にいるだけで、職員全員およびその家族がコロナの危険にさらされているみたいな感じ。
あくまで個人的な観測範囲なので、確実ではないけど、まぁそういうところはかなり見受けられる。
なので、「お酒好き」または「モラルが低い」のどちらか一方が多く集まっている職場、そういう客が多い職場というのは、それなりに危険である。
今後学校が始まる。学校では様々な親がいる。人学年100人だとして小学校で1200人の親がいるわけである。そして職場は様々である。
夏休み中は家庭内感染が感染の終点である。それが今度は学校での感染で他の家庭に移すルートができる。
これはエンジンが2つになることを意味していて、感染速度は今の倍じゃ効かない、、、気がする。
根拠がない話ではない。聡明なはてな村民であれば、インフルエンザの集団ワクチンがなくなってから、インフルエンザがめっちゃ広がるようになったって話くらいは知っているだろう。
あれは子どもたちが感染の防波堤となり、感染のリンクを切る役目をしていたのが、バトンがちゃんと回るようになり、どんどん加速度がまして広がるようになったという話である。
もちろん、インド株は子どもも関係なく感染するよという事実も含む。
経済は大事であるが、経済を回すという言葉を酒の飲む口実に使っているバカが本気でうんざりする。
今後間違いなく学校は休校になるだろう。9月いっぱい授業して、その後休校だろうな。下手したら2学期はそのまま登校できないかもしれない。
経済を回そうぜと言いながら酒を飲む結果が、子どもの就学機会を奪うことである。
クソだな。
まぁとはいえ、若者の色恋をコロナが邪魔するとかはあかんとおもうしなぁ。
難しいなー。
デルタ株のアウトブレイクで東京を中心として医療が崩壊している。だが,この惨禍にも唯一幸運だったことがある。それは学校が夏休みの期間だったことだ。それにより子供達の間での感染拡大がある程度おさえられている。しかし,それもあと半月少々で終わる。
口では先手先手と言いながら事が起こるまで何もしない現政権は,9月からの学校の感染対策を何もしていない。このまま無策のまま二学期に突入しようとしている。それぞれの学校では,今までと同様の感染対策が取られるだろう。だが,デルタ株の感染力はそれらの努力を上回る。特に給食をみなで食べている小学校は絶望的だろう。小学生は誰もワクチンを打っていないのだ。
たしかに新型コロナは子供が重症化する可能性は少ない。が,米国の惨状から判るように,デルタ株の場合,子供でも一定の割合は重症化して命を落とすのだ。このままだと何十人,へたすると何百人もの子供達が命を落とすことになる。
それを心配する声を,みなで上げてほしい。「二学期をどうするんだ?」と。おもいっきり騒いで欲しい。対策をしないとやばい,という雰囲気を世の中に作って欲しい。
パン屋ではなく、麺屋だったけど。
当時、時給が他より50~100円ぐらい良かったのに惹かれて応募して即採用された。
夏休みの2週間ほど。
ラインに配属された。
その時にラインを仕切ってたおばさまは今思えばちゃんと色々考えて配置とか考えてくれる人だったと今なら思う。
が、配置されたのはざるそばの端っこに漬物を置くみたいな単純作業(よくよく考えたら単純作業しかない)
4時間働いて昼休憩して4時間働く、ただそれだけで心が折れた。(実際はちょくちょく小休止はあったはずだが)
翌々日ぐらい、責任感で嫌々出勤したところ、小学校時代の同級生2人に会った。
そいつらは、
「ここは、数分おきに流れてくるケースを積んで運ぶだけ。めっちゃ楽」
とか言ってる。待遇の差に心がポキった。
「ここにおってもばれへんのちゃうか?」
そのことばに流されてしまった。2~3日後に、たまたま見回りにきた偉いおっさんに、「なんでここにこんなにおるねん!」
[同級生一人は、庇ってくれようとしたがまったく意味なかった。その気持ちは未だに有難い。{H河くん、もう20年ぐらい会ってないけど、小3の時に給食食べながら校内放送にツッコミ入れてたHくんのことば(センス)に衝撃を受けて、お笑いに興味を持って、その道には進まなかったし食べていくこととかには繋がらなかったけど、賞を取ったりロコドルの運営に関わったりとその後の人生に影響が出たよ}]
結局、もとのラインに戻されて、その日ごとに当たり外れのポジションはあったけど、同級生2人が居たところと比べると地獄。
メンタルが持たなくなって、無断欠勤するようになってしまった。
{ただそれは工場からしてもあるあるだったみたいで、出勤した分の給料(ラインさぼって同級生のところに居た分も含めて)は出た。当時は振込とかなくて、給料日にたまたま近くに寄ったから恐る恐る見に言ったら箱に給料袋が入ってた}
真夏のだいぼうけーん!
私も冒険したいなーと思いつつ、
ついにもうあの2020パーティー眼鏡のお役目も本当におしまいなTOKYO2020も終わっちゃったんだけど、
この昨今の今の世の中、
迂闊に出歩けないので遠出は出来なさそうよ。
囓ってもいい権利はあるんだけど、
たぶん、
大量に出品されちゃってたりなんかしてね。
世の中そう言うもんよ。
まだTOKYO2020のパーティー眼鏡を捨てるのは早まらないで欲しいのかも知れないわ。
競技は全部テレビでやんないから事後報告ばかりのニュースが多いのも多いんだけど、
とりあえず
それが終わるまではパーティー眼鏡2020は役目がありそうなことに気付いただけでも、
私は思いとどまることが出来て良かったわ。
まだ私の夏も終わらないってことね!
今日も忙しいからまたゆっくりしたときにでもゆっくり書きたいものだわ
つまり、
今日も忙しいので、
このぐらいにしておくわ!
アミーガ!
うふふ。
お昼もきっとまた忙しいかもしれないそうかもね!ってことで、
手鞠寿司って可愛くない?
私だけ?
追うものなの!とも言いたい追いレモンの炭酸レモンウォーラーね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!