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はてなキーワード: 収束とは

2020-11-26

2000万の特攻を出せば日本は必ず勝てる

「41万の死者を出せば群免疫収束する」は2000万の1/41だから70年分相応の進歩はできたな

2020-11-25

コロナはやっぱり中国で人工的に作られたものだと思う

最初期の発生国人口密度も高く、衛生環境もそれほど良くない様な国で春以降ほぼ収束ってのが信じられん。

欧米で非常に猛威を奮っている状況と比較すると、日本もこれだけグダグダ対応なのに症例数で言えばそこそこ低い方で健闘してるし、こりゃーやっぱり遺伝的に中国人に効きにくく欧米人に効きやすウイルス作っとったんちゃうかと思ってしまう。

知らんけど。

2020-11-23

anond:20201123143204

ここ数十年フェミ社会通念化してきているのはたしかだと思う

少し前まで職場ヌードポスター貼っているのも珍しくなかったらしいけど、正直信じられん。現代オタク職場ヌードポスター擁護する奴はさすがにいないだろうし

最終的にフェミ側の価値観収束していくのなら、基本的オタク側は間違ってることになるね。常に負け戦

夫婦同氏にするには理由がある

明治に入り一般人も氏(姓)を持てるようになった。庶民適当に氏を付けていった結果、氏の多様性は急速に増した。夫婦同氏は氏の多様性収束させる制度である。増えすぎた氏を一つ一つ消していくことで最終的に勝ち残った最強の氏を次世代日本人として選び抜き、独立させるための隠された政策なのだ。全てが佐藤になる。

anond:20201123002411

泊りがけで旅行なりキャンプなりすれば良いんでないの。

コロナ収束してからな。

2020-11-22

アラフォー

暗黒面に落ちそうならで今ここに書いておく。

神社に行ってお祈りする時、

おみくじを引いた時、

そして、雑誌などの占いを見た時。

ハタと気付いてしまう。

私には今願い事がないんだということ。

サンタクロースに頼みたいものもないし

知りたい将来もない。

少なくとも2年ぐらい前までは、

自分に合った素敵な出会いをとは思ってたんだけど。。

10回くらい婚活パーティー行ってみて気づいた。

ここにそんな出会いないし、

そもそもあんまり求めてないってこと。

もちろん探せばいるんだろうけど、

そこに行き着くまでの努力をしたくないと言うか。

恋愛市場とか婚活市場とか、そういう舞台をもう降りたい。

そもそも乗ってもなかったのかもしれないけど。

かといって仕事で何かしたいわけでなく。

今の仕事すごく満足してるし、働けるだけで

まれてることも十分今は理解している。

物欲も元からないし。

コロナ収束と今全世界の人が望んでいる願いを除いて

私が欲しい未来はない。

ただ何となくこのまま年取って死んでいくような気がする。

家族友達ペットたちの健康だけ願ってる。

すごく寂しい。

素敵な出会いが欲しいとか、

〇〇になりたいとか

絶対合格とか

明確な目標や欲しいものがなくなってしまった。

このまま50になって60になって

雀の涙のような年金もらいながら細々と暮らしていく自分

そんなものが見えてしまった。

これはコロナがあってもなくてもきっと同じだったと思う。

こんな状況下、仕事があって、健康であるだけでも

まれてるのはわかってるけど。

自分人生の中で、先が見えてしまった。

2020-11-21

はてな匿名ダイアリーって結構頭悪い人多いんだな

わりとあらゆることには現状の最適解があって、ある程度頭いいとそれに全員で収束してまとまるんだけど、全然収束しないね

まり頭悪い人が一定確率でひそんでるって事になる 全員とは言ってない 半分頭悪い人がいるだけでまるで議論が白熱してるように見えるけど、それは頭悪い人がある程度いるなってことしかない

2020-11-20

anond:20201120063045

逆にワクチン奏功で収束が見えてくると向こう5年くらいはバブル気味の相場が続くと思うわ。

溢れかえったマネーがどこに向かうかを当てるだけのゲームが始まる。

2020-11-19

マスコミ半年前に自分の言ったことを覚えてない。代わりに尾身先生土下座して謝りたい。

マスコミはその都度その都度批判ポジションを変える。

マスコミの言うとおりのことをやったら、あっという間に逆のポジションから批判しだす。

新型コロナウィルスでは、本当に定見がない。

批判批判」で批判することだけが目的になってる。

なにがバカかというと、緊急事態宣言中には、「もう経済死ぬから緊急事態宣言は早く撤回しろしろ」と5月には連呼していたのだ。

挙句の果てに、「K値」とかいトンデモを持ち出して、「新型コロナウィルス緊急事態宣言をしなくても6月に収束に向かう」とか言う珍説を唱えて尾身先生や西浦教授批判していたのだ。

西浦教授の「なにも対策しなければ数十万死ぬ」は米国のような対策をしてても25万人死んだことから、誇張でもなんでもないことが分かったのはここ最近だが、その当時はデマ屋の煽動家いであった。

西浦教授も尾身先生も「徹底的にやるのが感染症対策としては正しいが、社会的にどこまで許容できるのか、その合意を作って欲しい」と言ってるのだが、批判者はそのことを全く理解してない。

感染者をどこまで許容できるのか。その合意を作る」ということが全くできていない。

バカなんじゃないかと思う。批判よりも先に「どこまで社会が許容できるのか」を未だにできていないことを反省してくれ。

マスコミは、「危険だ危ない」「経済を動かせ」の急ブレーキと急アクセル批判するばかりではなく、もう少し状況に資するところはないのか。

支配できないので支配される人々

 支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。

 人が誰かから支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由収束することになる。要は、自分自分支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理からまれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 自分支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり自分の行動原理根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである

 無論心臓の鼓動とかの不随意運動支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄理解し、その認識の背後に回り、メタ視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的行為範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である

 例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。

 そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり肯定すること、否定すること、無視することの三つである

「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定立場安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。

 ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分悪人存在糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分正義を愛するからウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。

 と、こんな具合に色々自分の行動の理由仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考リソース自己反省に割かれることによって、脳の処理能力総合的に減退するのである判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。

 そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理コントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理コントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分コントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである


 というわけで、人はナチュラル自分支配することを諦める。人は、自分支配せずに、自分を把握せずに、自分理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。

 それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為からである。よって、人は自分コントロールすることを諦める。

 人は自分支配することができない。だからこそ、誰かが自分支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日地球は回る。幸いなるかな、水は流れる

anond:20201119093854

ググるとたくさん出てくるのでもうありそう。香典投げ銭はさすがになさそうだけど。コロナ収束後も定着してほしいな。

支配できないので支配される人々

 支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。

 人が誰かから支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由収束することになる。要は、自分自分支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理からまれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 自分支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり自分の行動原理根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである

 無論心臓の鼓動とかの不随意運動支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄理解し、その認識の背後に回り、メタ視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的行為範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である

 例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。

 そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり肯定すること、否定すること、無視することの三つである

「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定立場安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。

 ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分悪人存在糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分正義を愛するからウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。

 と、こんな具合に色々自分の行動の理由仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考リソース自己反省に割かれることによって、脳の処理能力総合的に減退するのである判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。

 そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理コントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理コントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分コントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである


 というわけで、人はナチュラル自分支配することを諦める。人は、自分支配せずに、自分を把握せずに、自分理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。

 それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為からである。よって、人は自分コントロールすることを諦める。

 人は自分支配することができない。だからこそ、誰かが自分支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日地球は回る。幸いなるかな、水は流れる

2020-11-18

留学断念した記念に書いた

中学二年生の頃に英語先生が話す海外での留学経験文化の違いなど海外旅行にも行ったことのない私にはとても新鮮で魅力的に写りました。

海外在住時に付き合っていた外国人男性ジェントルマンさ、ボリューミーなご飯など田舎者の私にとって特殊経験が羨ましかった。

そこから英語学習が海外の人とたくさん話せるチャンスになると分かり、あっという間に得意教科は英語高校は珍しい国際コース選択できる公立高校に進学。その当時二週間のカナダとの留学プログラムがあり、海外学生ホームステイ先として受け入れることで自分カナダに行けるプログラムしり、もちろんとびついた。母親にねだるも4人兄弟が家にパンパンにいるのに、受け入れる事はできないと拒否そもそも月四万円ほどのバイトでは金銭的にも二週間でさえカナダに行く事は厳しかった。

大学進学を目指すことにしたのは高二の11月あたり。今思えばかなり無理な志望先だったけど、交換留学相手校の学費を払わなくていいという大学だけをしぼり、もう勉強した。結果は第二志望に入学する。第二志望は留学卒業要件であり費用が安い以外何も知らなかった。入学後、なんと半年以上の留学必須と書いてあるサイト鵜呑みにして一年留学できると思い込んでいた私に驚くべき情報。本学部留学半年プログラムです。一年行きたい方は他学部もお応募できる交換留学制度を利用してください。つまり一年留学を全員ができると思い込んでいた私にとって最初の後悔が生まれる。学部が応募できるという事はライバルが増えるからだ。

回生の後期に2020年九月出発のイギリス留学スコアを獲得し合格する。中学からの願いがやっと叶う。

しかし2020年3月日本でもコロナウイルス拡大により、7月に留学延期を言い渡される。というか、パンデミック来年もいけるか保証できません。留学延期か中止どっちにしますかという選択を迫られる。半年留学オンライン留学が進められる。ここまできて引くわけにはいかない。私は延期を希望する。ここで大きな問題コロナが11月になっても収束しない。もし来年留学できない場合、2022年の、つまり5回生の前期(留年生の就活期間)に留学するといういつ就活したら良いのか状態に。将来のことを考えると先が見えない留学生活希望を抱くよりも、就活を優先し経済不況の中で確実に就職先を見つけた方が良いという判断

留学辞退届けをワードダウンロードし、当時の志望理由、辞退理由を書き込む。途中、何度も手が止まるも、今回は選考していただいたにもかかわらず、関係者の皆様にはご迷惑をお掛けする結果となり、申し訳ございませんでした。全部かけた。

この結果は大学選びが間違っていたのか、コロナ流行したときに迅速な対応を取らなかった政府を恨むべきか、高校の時に留学ができない自分経済状況や、計画性の無さ、受験に落ちたこと、努力不足、中流家庭に生まれながら海外留学を望んだ事、奨学金を利子有と無利子の両方をフルで借りている不甲斐なさ、劣等感を感じた毎日、どう頑張っても帰国子女友達には勝てない現実、大多数の友達みたいに卒業するための100万する半年留学パンデミック前にしとくべきだったのか、人生初の留学に浮き足立つ何ヶ月間、留学先では勉強だけに集中したいがためにバイトに明け暮れた日々、留学を中心とした生活オンラインで繋がる大学生活をつまらないものに、全ての選択や行動を間違えからでしょうか。

海外留学のたった一年にそこまでバイトするほど価値はない、留学に行ったからって何か得るわけではない、泣くほど悲しむことではない、コロナ経済的に苦しく食事もまともに取れていない人もいる。すいません。行ったことないので留学価値というか留学がどういうものか語る事すらできません。

ただこの悔しさを忘れる事なく、14から21歳にかけて唯一叶えたかった夢と選択の軸であった留学を諦めることにしました。

コロナ収束したらオンライン医療無用病院に行く」

っていうけど、オンライン診療病院行くより楽なら、オンライン診療が続くと思っているんだけど

まだやったことないからどういうUXなのかわかんないんだよね

もしかして病院行きたいのは井戸端やりたい老人なのだろうか?

ただ単に自分が持ってるオンライン医療関係の株がコロナワクチンニュースで凄く下ってるから

「まだまだ(SFのような)未来は遠いのかなー」

ちょっとがっかりしている所です

恥と日本トラブル

今日クレーム対応をしていたことを思い出し、あとコロナ直前の出来事もあってぐるぐる考えてたら行き着いたことについて。

日本人マナーや心構えは「恥」に立脚した文化のように思える。

美しく手順に従った所作などは外向きと言うよりも内向き、自らを律する(いわゆる「道」の類に多い)決め事がほとんどである。つまりは掟破りが「自分にとって恥ずかしいこと」ということだ。

まあ、そういう習性クラスタがいる。一方で自ら恥をかくという感覚が搭載されておらず「恥はかかされるもの」という習性クラスタがいる。日本のとくに都市圏ではこの2つのクラスタが住処を分けられずに混ざってしまう。そのうち「かかされる」クラスタがかなり厄介である

上に述べたクレームもそうだが、かかされるクラスタの行動動機で考えうるうちの2つの例がある。「相手に恥をかかせれば自分利益がある」と「恥をかかされた仕返しで相手により恥をかかせる」というものだ。

近頃では「クレームはよくよく聞けば『特別に便宜をはかれ』という主張に収束する」という考えがインターネットを通して共有されているが、そのよくよく聞かされている部分は「いかあなたが恥ずかしい行動をしていたか」を手を変え品を変え説得、もとい洗脳しようとしているに過ぎない。商売としてどうなんだ、人間としておかしくないかなどという言葉は結局「恥ずかしいだろ?」ということを糖衣コーティングしただけだ。対外的には反省を促す言葉に見えて、ただ誠意をもとめている(その「誠意」の意味も歪んで認識している)。

しかしどうして、わざわざ恥をかかせにくるか。まあ、単にかかされるクラスタ喧嘩文化圏に生息しているから、といえばそうなのだが、もうひとつある。

「恥をかいたことを反省するらしい」というのは学習できたらしい。

相手は恥をかいたとすれば改めて自分を律し自らを罰する、その隙につけ込めるという「得」は覚えられてしまったのだ。

流石に21世期に入って新世代は「恥ベース」と「規律ベース」を分けて考えるものだが、ひと昔前の、それこそ団塊ジュニアくらいまではまだ恥と規律が混ざり合っていた。だからそこに気づいた(気づいてなくてもうっかり使いこなせた)人や利用することを考えた国にああだこうだ言われてきたんだろう。

いまは過渡期だ。確かに恥をかかされて怒ること、かかされたから便宜をはかれ!というのは通じるかもしれない。あと、誠意を見せないならと行政に介入を求めたり、地域住民に知らせて回るのも構わない。なんなら追い出しだって通じる。おそらくは現代が失ったえた・ひにんの矛先がたまたまそこに向いているだけ、という言われ方もするかもね。

しかし、そのひとつを追い出したとして、同じような店は来るか?また住人は増えるか?どうでしょうね。

2020-11-15

事務職なめすぎ

明日出社も憂鬱だが、現在、絶賛ブラック気味なベンチャー社長と揉めている。

非正規で入ったがろくな指導など一度もなく、前任者が姿消して半年分溜まって真っ赤っ赤になった事態収束というマイナスからスタートした。

訳もわから取引先やお国銀行から責められ、

その上で目の前の日常業務、これからから作っていかなければならない新規業務に追われる。

半年前に姿を消した前任者は一応50代正社員だったのだが、彼が残したデータを見るとまるで知識スキルがなかったことが窺えた。しかしそれに対して報酬は意外と貰ってた。俺の目からたらこ仕事の質でこんなに?といった感覚だった。

派遣の俺は時給は割といいが、それでも年収で見たらほぼワープアみたいなだったので、前任者並みに貰えるのは当然と思い、正規雇用交渉した。するとこともあろうに提示された金額派遣より多少ましというレベルビビった。どうやら金を生み出さな若い事務職には現場の下っ端より報酬を出したくないのが本音らしい。入って早々外部の人間からあなた会社はどうなってるんですかと責められ、すみませんと言うしかなかったストレスが一気に不満となって馬鹿馬鹿さに変わった。

派遣はもう次回の更新でやめて他のベンチャーへ初めから正社員で入ろうと思う。

この会社はある税金爆弾を抱えてるのを見つけたが、対処しないで去るつもりだ。

人生選択ミスったと思う

どこからミスっただろう

うーん

高校生あたりかな

中学生まではどうにもならんしな

でも高校大学院がどうなっても今の状態収束した気がするし

選択より運が悪かったのかな

科学者に「どうやったら感染拡大を防げる?忖度なしで言ってみて」

と言ったら「外出100%禁止。人の移動も100%禁止したら一か月で収束します」とかいうに決まってるだろ。

コロナ報道スポーツ紙全国紙が負けた日

ただの曜日ごとに検査数の差があって日曜は減るってだけに過ぎないのに「5日ぶりに300人下回る」という収束感を出そうという全国紙テレビキー局ニュース見出し。(実際は先週日曜より急激に増加してる)

都内で新たに255人感染確認…5日ぶりに300人下回る : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン

https://www.yomiuri.co.jp/national/20201115-OYT1T50142/

東京都で新たに255人の感染確認 5日ぶりに300人下回る:東京新聞 TOKYO Web

https://www.tokyo-np.co.jp/article/68539

都内新規感染者 5日ぶりに300人を下回る255人:テレビ朝日

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000198524.html

 

一方、スポーツ紙見出し曜日の差も考慮に入れて冷静に現状を的確に伝えるのだった

新型コロナ東京で新たに255人感染 7日平均は300人上回る― スポニチ Sponichi Annex 社会

https://www.sponichi.co.jp/society/news/2020/11/15/kiji/20201115s00042000350000c.html

 

NHK過去曜日の差を無視した見出し批判されてから慎重になって見出しをつけてる感じ

東京都 新型コロナ 255人感染確認 200人超えるのは6日連続 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201115/k10012713181000.html

anond:20201115103912

君はまず海外旅行に行ってみる事をお勧めする

コロナ収束したら

アメリカでもいいし中国でもインドでもいいけど

2020-11-13

日本いまどんな感じ?

1年ちょい前から海外赴任しててさ、本当は年1で帰るつもりだったのにコロナで帰れなくてさ、ずっっっと日本帰りたくてしゃーないのよ。

街中で日本語見つけただけでテンション爆上がりになる始末よ。この前は「白菜」って書かれててウキウキしながら買った(中国語だった)。

 

居酒屋に行って鶏唐と揚げ出し豆腐漬け物盛り合わせが食いてえよ。

どこに行っても日本語があふれてて、ふらっと入った定職屋では白飯味噌汁が当たり前のように付いてくる幸せが懐かしいよ。

 

ヨーロッパから見ればさ、日本なんて完全に収束してるようなもんだよ。入国時に14日も隔離されたら絶対帰れないよ。

あとどれくらい日本に俺は帰れないんだろう。

日本公用語英語だったら良かったのに

言語が減ることって問題ですか?への私の答え

私は毎年,九州大学の1-2年生を対象にした授業で,以下の2つの問いを別々の機会にそれぞれなげかけることにしている。

① 「少数言語方言消滅することは問題か?」

② 「グローバル化に備えて,日本語廃止して英語に切り替えていくことに賛成か?」


このうち,①について「問題あり」と「問題なし」は,毎年ほぼ半々に分かれる。「問題なし」と考える学生は,言語をまずコミュニケーションの道具だと主張する。「少数言語方言が減ることで,意思疎通がより進むので,誤解も減り,経済的にも(翻訳などの)負担が少なく,教育効果もあがるから,少数言語話者が少数言語を手放すのはむしろ自身にもメリットがある」というのである

では,①について「問題あり」と考える学生たちの意見はどうだろう?九州学生らしく,自らの方言を引き合いにだして,方言でなければ表現できないこともあること,方言が消えると大切なアイデンティティの一部が消えてしまうかもしれないことなどを語る。言語が,単にコミュニケーションの道具として存在しているわけではないと考えているのである

面白いのは②に対する反応である。これまで,②に対して肯定的な態度を示した学生は1人としていない。①の少数言語消滅に関しては「問題なし」とした学生も,②については「問題あり」と答えるのである


この思考実験は,2つのことを示しているように思う。まず,言語コミュニケーションの道具以上の「何か」である可能性があると,顕在的にであれ潜在的にであれ,我々は感じているということ。①の質問に答える際にはこのことに気づかない学生であっても,②では即座に気づくのである言語が単にコミュニケーションの道具なら,日本しか通用しない日本語よりも,世界で使われる英語に切り替えるほうが明らかに効果であるが,学生たちは,「英語話者にすべて合わせて日本語を手放すべきではない」「「おもてなし」や「もったいない」など,日本語しか表現できないことがある」「日本語がなくなると困る」「それは面白くない」など,論理的というよりも多分に情緒的な反論をする。ようは,アイデンティティ否定されることへの反論である

思考実験からわかる2点目は,我々は直接の当事者にならない限り,とても無関心になる傾向にあるということである学生の半数は,少数言語消滅についてはコミュニケーション効率性の観点を持ち出して賛成しておきながら,一方でその究極ともいえる英語への収束に対しては,日本語独自性アイデンティティを持ち出して抵抗する。これは論理的矛盾している。そこで私は,こう尋ねる。

「なんで,君は日本語を手放さなくていいのに,少数言語話者は少数言語を手放してもいいんだろう?」



信じられない。

自分日本太平洋戦争敗戦したと同時に日本語廃止にしてGHQにより英語日本公用語にしてほしかった。

中途半端英語の授業を取り入れるくらいならいっそ英語日常的に用いて、日本語はたまに授業で習う程度でよかった。

なにが悲しくて日本語なんて欠陥言語を使わないといけないのだろうか。

質問した相手ネトウヨから

英語話者にすべて合わせて日本語を手放すべきではない」「「おもてなし」や「もったいない」など,日本語しか表現できないことがある」「日本語がなくなると困る」「それは面白くない」

という反応が返ってきただけなんじゃないのか。

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