はてなキーワード: ガス抜きとは
最初から打倒自民党じゃなく野党として無責任に騒ぐことだけを目的としてるじゃんこいつら。
これ支持してるやつ、言ってることも共産党とたいしてレベル変わらんってのがわからないのか。
いまさらこんなもんを支持しちゃうやつら、今まで何にも政治見てなかったんだな。馬鹿すぎて笑えない。
で、これを支持するってことはどういうことかっていったら安倍政権にとってプラスにしかならないってのもわからないんだな。
ルーピー鳩山やら小池新党とか維新を応援してた時からお前らが全く何も進歩してないってことだよ。
実施できないけど耳障りのいいことを言ってるやつを支持していざ議席預けてみたらダメだった。
その繰り返しばっかり。
自民党の中でも大した奴いないから安倍さんを批判してくれるやつみてガス抜きして終わり。
おまえらの無能の積み重ねが今だって反省がないから性懲りもなく同じこと繰り返す。
ほんとうに救えねえ。
俺はもうこんなところにはいられねえ。一人にさせてもらうぜ!
嫁の姪っ子の産んだ子供
育てて5年たつんだけど、そんなに可愛くもないし、そんなに嫌いでもない絶妙な感じなんだよな
嫁さんに家の中でいつでもどこでもエッチしよーっていうのができなくなったり
裸でウロウロなんて論外になった以外は割と生活も大変じゃないし
6歳って結構喋るからな。一緒に朝外で運動すればかなりなコミュニケーションがとれるし、成長もみてとれる
猫はすごいよ。こないだCT撮ってガス抜きの治療(結局投薬)で5万かかったわ。
自分の子供がいないからアレだけど、まあ別に托卵とかでもいったん家族になってしまえば
一緒に住んだ仲として愛着がわいてくるんじゃねーのかな
そこまで激可愛いってわけじゃないけど、ウンコ漏らしたりしても別に汚いと感じないし
しかたないねーとしか思わない。他人の子だからかそんなに悩まない
朝9時に起きるのが定番だった嫁も朝6時から起きて弁当作るようになったし、
俺も仕事中の暇つぶし以外でははてなやTogetterに入り浸らなくなった。
(はいはい反ワクさようなら~ってアマチュア思想家にイライラすることもなくなった)
早く帰って世話しないとなと思えば、やることも決まってヒマとかなくなるから、
ちなみに今は当然暇つぶしという名のサボリ中なわけですが、
誕生日が週末なのであとでスケボー買いに行かなきゃいけないんだけど、
地元でいい感じの売り切れ多いんだよなあ
なんか最近流行ってるんだってさ。たしかに公園でやってるキッズ多いもんな。
ブクマ間違ったら4つくらい付きそうだね。
俺としては健康でそれなりにまともな社会人になって、俺ら夫婦が死んだりする時の喪主とかになってくれりゃ
最高だなと思うんだけど、そこまで他人の子にのぞめないし、色々あって養子は選べないんだよね。
まあ、関係性知ってれば真面目に生きてれば誰も否決しねえだろうけどさ
親戚血縁関係ってメンドクサイね。嫁が西日本だからか家がどうのとかなんとかさ。
具合悪くなったら看病するし、こっちの具合悪い時も猫トイレとかもう掃除してくれるようになったし、
そんなにほんと大変じゃないんだよな。もう少し税金安くなったら最高なんだけど、まあ仕方ないよね。
こんなこともあるんだなあって感じで子供引き取ったけど
なんとかなって別に大きな喜びも苦しみもなく平凡に生きてるんで今んとこ
ならし勤務(こちらでスケジューリングする)から会社プログラムのリハビリ出勤にそろそろ移行するかどうかみたいなあたり。
そのせいもあって夫がとてもナーバスになっている。
それは仕方ないことだし私が同じ立場でもそうだろうな、と思う。
怒ってるときに「こんな細かいことにイライラするなんて俺ってば」と本人が思っていることが態度に出る人なので、私が例えば謝ると「大丈夫、ごめん」と応えるけど、明らかに自分の中で消化しきれてないのも分かる。かといって謝ればいいわけでもないので黙って様子をみている。永遠ループである。
そして私は趣味に逃げる。
それは外出を伴うので、できれば休日には入れない(まあたまにいれる)。仕事帰りに入れる。事前に言えば「( ゚Д゚)ゞ リョーカイ!!」といった具合でちゃんときいてくれる。
たぶんイライラしたときには「ちょっと出かけすぎじゃね?」ということも思い出しているのかもしれないなーと思う。
逃げてるというか、ガス抜きをしてるというか。
楽しそうにしすぎてると羨ましく思ってしまうみたいだし、それは状況次第だからその気持ちも分かるし、かといって私が我慢して毎日定時に帰れば解決するわけでもなくて(何もない週だってもちろんあるし、10連休はほぼ家にいたし)。
どうしたらいいのか分からなくて、家に帰るのが憂鬱になってきた。
こんにちは、特技は逆張りと愚痴投稿へのうんち塗りつけと嘘松認定、座右の銘は『下衆の勘繰り』と『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』のミソジニーネトウヨキモオタKKO、増田です
皆さん、何かしらマイナスを抱えてますね?私は勿論抱えてます、もう特濃の淀みをば
私の場合は匿名でゲスい本性を四方八方へ撒き散らし、周囲にヘイトと不快感を植え付けることでなんとか抑えております、抑えられてないですね
要は赤ちゃんが泣くのと同じです、もう死んだほうが良いですね?
ところがたまり続ける悪意と憎悪と負け犬根性は限りなく、小出しにしてガス抜きしても追いつかないのですわ、しかして俺は残念ながら低能先生のように一線を超える勇気すらない
その「影響のある無しで規制の可否を決めよう」ってのが、もう、ダメダメだとおもうんだよね。
例えば殺人の統計で言えば、事件の過半数が血縁に絡んだものなわけだから、「血縁からの影響」が一番大きいのは明らかでしょ。フィクションなんかよりも、親とか、兄弟とか、一緒に住んでる人から人格に受ける影響のほうが全然大きい。事実、児童相手の性犯罪でも加害者の大半は親などの血縁関係であって、エロ漫画の存在よりも子供を育てるほうがよほどリスクだ。でもそれらを禁止なんて話は出ないし、まあ実際規制は無理でしょ?
そう考えるとフィクションを規制しようってのは、「殴りやすい相手なんで殴る」でしかないのよ。意地悪なこと言っちゃえば、子供に悪影響なんで書店からエロを追放しろなんて言うのは、子供の教育に失敗したか失敗に怯える親が、責任転嫁の生贄を求めてるにすぎない。子供が性犯罪者になったら、それはフィクションの影響であるよりも親の影響である蓋然性のほうが何百倍も高いわけだからね。
でもまあ、今んトコロ人類社会は、親が子供を運で育てないと、持続可能じゃないわけで、親という存在を殴ると社会が脆弱になる(少子化という形でもうそうなっている)。だから親という存在は殴れない。んでもって、溜まった鬱憤が殴り返してこない賤業であるところのフィクション生産者に向かってる、と。河原者をなぶってガス抜きしていた時代と大差ないんだね。
平成も終わろうとしている今日、今敏監督作品「パーフェクト・ブルー」を昨日視聴した。
私は、今敏監督作品では「パプリカ」が一番好きでパーフェクト・ブルーは二番目に好きなのだが、やはり名作である。
パーフェクトブルーという作品は当時(1997年)には珍しいインターネットやストーカーを題材としたサイコホラー作品なのだが、その恐怖は今でも、いや今だからこそ色濃く感じる。
「あなた、誰なの?」
パーフェクトブルーを象徴する台詞の一つだ。この台詞は主人公の未麻がテレビドラマの撮影中に放つ台詞である。その目線は画面の向こうの観客を捉え、こちら側に訴える。
「あなた、誰なの?」それはもはやインターネットが当たり前になった世の中では忘れ去られつつある感覚かもしれない。ツイッターを開けば私達は毎日画面の向こうにいる他人の呟きを見て、世界の何処かにいる誰かの喜びに共感したり、怒りに賛同したりする。
近年思う。インターネットに居る「誰か」というのは、勿論現実に生きている人ではあるが、現実での人格とは別にインターネットの中でのみの人格を形成している人が多いのではないかと。
ツイッターで多く見られる旦那への愚痴アカウント、これらはほぼ匿名であり、現実の旦那への怒りのガス抜きとして利用しているのだろうが、共感できるツイートには多くの賛同コメントがつく。
毎日息をするように呟かれる旦那の愚痴だけを見ると、あたかもその人の旦那は酷い人物のように見えるが、画面の向こうで実際どのような生活をしているのかは誰も分からない。もしかしたら、子どもも旦那も、その人が作り出した妄想上の産物である可能性もあるのだ。
そのようにインターネットでは、誰も知らない「誰か」がいとも容易く作り上げられてしまう。現実では弱気な人がインターネットでは強気な意見をしたり、性別を偽ったり、実際の生活水準より上に見せた生活に見せたりと、枚挙にいとまがない。
インターネットの書き込みは今や「便所の落書き」ではなく、何気ない一言で人生を変えるほどの現実である。だが、インターネットでは毎日のように人を攻撃し、楽しむ人もいる。
「叩かれて当然のことをしたから」この風潮があまりにも蔓延しすぎているのもあるが、一番に忘れられているのが「実際に画面の向こうには生きている人間がいる」という事実である。
インターネットでは、相手をどれだけ殴ろうが、叩こうが、血は流れないし痛みも感じない。だが、画面の向こうでは血は流れなくとも確実に傷ついている人間がいるのだ。
死ねとクソリプを送る人は、生身の人間を前にして同じことを言えるだろうか。本当に相手が死んでしまったら、死んで当然だと遺族の前で言えるのだろうか。
10年以上フォローしているフォロワーでも、本名も知らない一面も多くある。インターネットで見られる誰かの一面は、その他の面を一生知ることがないままが大半だ。
平成は終わり、令和という新しい時代を迎えれば、インターネット技術は益々発達し、それこそ今敏監督の作品のように夢と現実が交錯するような世界もあながち妄想でなくなる日が来るのだろうか。
そういった世界を前にしてこそ、インターネットという空間において「あなた、誰なの?」という感覚を持っていることは、大切だと感じる。
同ジャンルのイベントで「ファンです~」って話しかけてもらって相互フォローになったフォロワーさんで普段の交流はないんだけど、
・有給使わせないっぽい(何に使うか聞いてくるらしい)
・仕事の話を聞いても辞めさせない
・本人は志望の業界なので今辞めたら経験にならないから我慢してるっぽい
・周りのフォロワー同年代ぽくてへー大変そう愚痴あったら聞くよくらいのスタンス
ここに書き出すときりないんだけど、萌えツイの合間に吐き出してる
正直、自分も仕事で身体壊したことあるしフォロワーより社会人経験だいぶある年上なので、ツイート途切れたら死ぬじゃないかってハラハラしてる。
でも、本当に最近相互になったくらいで、年齢も違うし話す内容も違う、同じジャンルってだけだし、相互になったからといって普段とくに絡んでもいないので、私がなにかいうことで(大丈夫?とか心配だよとかそういう)、もしかしたらガス抜きになってる吐き出しツイを辞めてしまうかもしれない。そうなったらどこでガス抜きするんだろ・・・と思うとできないし、マシュマロみたいな匿名のボックス作ってないので本当にどうしよって思ってる。
辛いけど頑張ってへばっちゃう人と、要領よく出来ちゃった人ではレベルの上がり方が違うのに比較したってなんの解決にもならないのに。
生活のために頑張ってる人と、この仕事をやっても苦になら人を比較したってストレスだって違うだろうに。
人見知りと人気者を比較したって、持って生まれたセンスの違いだろうに。
人より不満のガスが溜まりやすくて、ガス抜きしないと生活出来ないんだから、
性格だって、元が人間のクズのような正確で何処に行っても白い目で見られていたような奴で、
自分でも仕事を辞めたらニートになるって言うくらいどうしようもなかったのに、
結局成果は人並み、目標は未達で評価されない日々が続いていつまで立っても上に行けなかったじゃないか。
それで、フリーランスになって独りで探す道を選んだんじゃないか。
今まで会ってきた、上司や上の階級の人が楽そうにしていたことがあった?
もちろん、要領よくやる人だっていたけど、自分より歳を取っている人の方が自分より働いていたのをなんども見てきたよね。
効率化出来なかった事を悔やむのは仕方ないけど、楽に稼げなかった事で自分を卑下しだしたら楽な方にしか考えられなくなるじゃないか。
そもそも、クズで能力が低い事を自覚していないマイナス状態からスタートしたんだから、
当然じゃないか。
目の前の幸せを数えて、手が空いたらもう一つ取っていけばいいじゃないか?
https://anond.hatelabo.jp/20190328015628
この人が本物かどうかと聞かれたら、私は多分本物だろうと答える。多少フェイクは入れてるだろうけど。
なぜなら、少し似ているからだ。私と。
まあうちは普通のサラリーマン家庭なので、ブランドの話はよく分からないし、小学校は公立だし、大学は家から通える国立にしたけれど。でも、同じように御三家と呼ばれる女子校を出たものとして、その屈折した感情はある程度自分のものとして理解できる。彼女と同じ学校かは分からないが、多少の校風の違いはあろうとも御三家か、同偏差値帯の私立中の生徒の傾向は大まかに同じと言って良いと思う。彼彼女らを私立中に出荷するための生産拠点は等しくSAPIX、日能研等の大手中学受験塾だからだ。大手中学受験塾は大体3年間で2,300万円かかる。それぐらいの学費を払え、かつ子供の学習をサポート出来る家庭というのはおおよそ似通ったものになるのは想像に難くない。と、いうか大体似ていた。レアケースがあることも否定はしないけど。
私は医学部志望では無かったのでその辺の事情には明るくないが、医学部を目指す子はやはり親が医者のケースが圧倒的に多かったように思う。そして、医者になるという目的があるからか、中学の頃から鉄やSEGに通って着実に受験に備えていた子が多かった。これは素直に尊敬してた。まあそれと同時に、塾で医系数学とかの授業を取ったりする過程で、この人の周りが更に私立中高一貫医学部志望医者家庭へと純化されていってたんじゃないかなとは思う。
それはさておき、単純に私が少し似ているなと思った部分についてつらつら書きたい。
まずバイトについて。この部分でひょっとしたら他校かなとも思った。周りにバイトをする高校生は誰も居なかったのは同じだが、そもそも高校生がバイトをするという概念が現実感を伴っていなかったので、バイト禁止だったかどうかも分からない。禁止じゃ無かったとしても多分そんなに歓迎されなかっただろう。親も親でバイトするぐらいなら塾に行ってくれた方がいいと考えている人の方が多いのは確実だ。
次に、暗黙のルールについて。確かに、即物的なというか、実際の生活に関わる色々な数字は、同じ学校の生徒であるという点で=にされて不可視化されていたと思う。でも認知されていなかった訳でもなくて、ベールに覆われたように大まかには認識していたが、敢えて可視化しようとしなかっただけだろう。これは学校の態度の影響もあるかもしれない。私の知る限りでは、御三家には一斉に模試を受けて学校が偏差値を管理したり、成績を壁に貼りだしたりして、生徒同士の差を意識させる学校は無かった筈。加えて、これはこれで問題だと思うが、うちの学校では少なくない教師が受験だとか偏差値だとかをまるでハリポタの「ヴォルデモート卿」と同じような、ゾッとする単語として捉えていた。
最後に自己認識と世間一般との差について。これは同じような環境で成長した人達と接していると、気付かないし、別に気付かなくても生きていける。でも、自分と違った環境で育った他者と接する時に切実な問題として浮かび上がってくる。私も、世間ではエリートコースと呼ばれるだろう経歴にはなったが、別に自分のことは頭が良いとは思ってない。小学校の頃も塾では一番上のクラスの下の方で、中高では結局真ん中より上の成績を取れなかった。ずっと自分より上を見上げるばかりだった。
だから、大学で地方出身の「まっすぐ」育って来たんだろうなぁと感じられる子の万能感には相容れないものを感じる。万能感は自分の人生で真っ先に失われたものの1つだからかな。
あと、自己認識がどうであれ周りからは期待されちゃったりするからそのギャップが正直キツいというのはあるんじゃない。
まあ長文並び立てたけど単純にそれなと思っただけ。最初は共感した所だけ書いて去ろうと思ったけど思うところがあり過ぎて長くなってしまった。多分元記事の人はちゃんとガス抜きできる人だからしっかりとした医者になれると思うよ。