はてなキーワード: ガス抜きとは
コロナウイルスという未知のウイルスによって世間は脅威にさらされ、それは日常を送る私たちの生活をじわじわと影響している。
特に、小さな子をお持ちの家庭ではかなりセンシティブなテーマであると思う。
私は、保育園で働いていた。
なにかと話題にあがるように、当たり前ながら過酷な現場で、自らの目で見て手で触れながら援助していく優しいイメージがあるが、それ以上の戦場であることをとりあえずご理解いただきたい。
私は認可園で仕事をしていたが、例に漏れず人手不足、人間関係のよろしくなさ、それらによるプレッシャーなどなどでついに体調を崩し、休職となった。あまり細かいことを書いてしまうと個人や園特定につながるので黙っておくが、上司に「もう私は身体が動かない、どんなに頑張ってももう無理だ。もう頑張れない」との電話をした時に、「メンバーはお前だけじゃない。俺は他のメンバーも守らなくちゃいけない立場にある。」とひとこと言われて電話を切られたことだけは忘れられない。
愚痴のようで申し訳ないが、休職中は、逃げてしまった、子どもたちはどうしているか?メンバーは?などなど諸々の負の感情に見舞われてしんどかった。同時に、今ここで自分と向き合わねばとも思った。保育のどの点が大変だったかここであげていく。
*シフト勤務
保育園はシフトで回ってる。園にもよるけど病院付属のとこなんかは夜勤もあったりする。
このシフトが鬼。
早ければ6時半出勤〜とか、遅ければ21時22時までのオーダーもあったりするから、とにかく生活がガタガタになる。体力何よりも大事。体育会系が重宝されるのはこれ。
不規則なシフト勤務でなにが崩れるかというと、自律神経である。
お天道様が登って起きて、沈んだら寝るのが生き物なんだけど、その常識がいとも簡単に崩れてゆく。
さらに保育園では入園、運動会、発表会遠足、卒園、行事というものがあり、それによって早起きや遅くまでの準備が必要となり、よけいに自律神経はダメになる。
自律神経が壊れると、風邪をひきやすくなり、治りにくくなり、もともとあった持病がヌッと顔を出してくるほか、放置していると確実にメンタルを壊しにかかってくる。そうすると大変だ。
わたしからは体力増強に努めよとしか言うことができない。そのくらいどうしようもない問題だ。
*人との関わり
尋常じゃなく人と関わる。子どもはもちろん、その親御さん、それだけならまだいいが、同僚(同じ保育士だけじゃなく、栄養士さんや看護師さん、たくさんの専門職が集まってチームで仕事をしている)。目まぐるしいくらい色々な人と話し続けて相手の思惑を慮り、時には意見が衝突することもあるし、衝突したらしたで絶対折れない人多いし、なぜか存在がデカくてべつになんにもいいことしてないのにみんなからリスペクトされてる人とかとにかく色々強いのがいる。
どの人ともそうだが合う合わないあって、合わなかったらサイアク。どこかでガス抜きして自分の色を出していくしかないし、それすらも許されなかった場合やる気を失う。
子どものためにみんな一生懸命で、気持ちがぶつかるのはわかるが、結局ただのケンカになっていたり。
専門職は免許を手にした時から専門職だから、たとえペーペーだろうとベテランだろうとみんな持論を持ってるし結局は誇りを持って現場にいる。そういう人たちと共闘していくにあたって、心が折れてしまうようだと、なかなか長く続けてくのは難しい気がする。
大きい園だと人の出入りが多くて目が回ってしまう人もいるだろう。それはそれぞれのコミュ力によると思うが、出る杭になって打たれてしまうようだと悲しいかなそこでは難しい気がする。
とにかく感情労働というやつなので、笑ったり泣いたり、いろんな人としての感情にとんでもなく自分の心がついていって処理しないといけないので、ほんとうに疲れる。特に0〜2歳くらいの子たちは1秒後には想像もつかない行動に出るし、自我がすごいので、ひとつひとつに付き合っていかないといけないのだが、1日終わると魂が抜けている。時々わけもなく涙が出てくるようになったら赤信号かもしれない。そのくらい感情の暴力に見舞われる。
あとすごく怒る親御さんに当たるとつらい。今の世の中慌ただしいので小さなことにこだわり、細かく見てくる保護者もたくさんいる。
忙しい世の中だから、家族はせめて家では楽しく過ごしたいので、そのぶんの鬱憤が園にぶつけられることも多い。特に子どもの甘えとか、イライラや自我を受け止めるのはかなり心にくる。ひとりでそれを受けるのは人間どんな強い精神を持ってても無理なので、保育園はチームで動いている。チームの中で大切なのは思いやり。これがないと現場は崩壊する。だから人間関係が大事で、ちょっとでもうまくいかないと思いやりが伝わり合わず、とんでもないことになる。
何点か大変だったなぁというポイント?をあげてみたものの、これには個人差もあるし一概には言えないと思う。ネガティブな要素がたくさんある中でも、そこからパワーが湧いてくる…くらいの人は、保育をずっと続けられると思う(そういう人間が本当に存在するのかはナゾだが)。しんどいけど負けないぞという強さがある人にも向いている。そういう人たちは続くと思うし、現に長くやってる人は強さがある。
あとギャランティの問題も早急に解決してもらいたい問題だ。改善はしているが、諸々の責任の重さについて対応する値打がまだ充分に付けられていない。
いろんな現場があって、小さな赤ちゃんから入学前の幼児さんがいるような大きな園はとにかく目まぐるしくて、迅速な判断と行動が求められるし、最前線だから人手も足りないし常に忙しい。逆に、小規模で乳児さんまでの園だと、少ない人数をしっかり見られたりして、ゆったりのびのび保育できる現場もある。(ここも保証はできないので気になるところは余すところなく見学なり実際に保育に入らせてもらったりして環境を見ておくこと)日々勉強し続けなければいけないのはどこでも同じだが。同じ保育士とはいえ得意不得意はあって当たり前だし、いろいろな働き方がある。ようは自分に合った現場を探すことが大事なのだ。別に最前線の大きなところでバリバリやることだけが全てではないと私は思っている。
ただひとつだけ言えるのは、子どもを育てるという、人として尊いもののひとつをさせてもらえるという喜びがあるという点において、これは感謝以上のなにものでもない。園にいる間はわたしの子どもたちという気持ちでいることが許される。(限度はあるが)教育現場もIT化が進んで、これから勉強を教える先生はコンピュータなどの電子媒体にとってかわられていく可能性がある。でも、保育だけは、今もこれからも保護者に代わって子どもの育ちを自らの手や目でもって担っていくと思う。就職活動をしている人、転職で保育をやってみようと思っている人も、ぜひ保育について考えてくださると嬉しい。
表題の通り。
身内の勤めている会社がデリカシーもプライバシーもなくて頭を抱えている。
細かい所はぼかしているが、
・有給を取るのにどこに行くかまで聞かれる。
・プライベート、また体調や体型に対しての詮索(聞いている本人いわく心配してのことらしい)
・身内に仕事をきちんと最後まで教えていないのに、カバーせず仕事でミスをしたことを責める(上記とは別の人間)
・会議があれば、「何か言え!」と恫喝し、言えば揚げ足を取って延々と説教(また別の人間)
まだまだあるが、身内から話を聞いた時、よくぞまあここまで見事に人間としての経験値が足りていない大人が集まれるものだなぁと怒りを通り越して呆れた。
今のところ(身内いわく)同僚がまともなので話を聞いてもらったり、自分や友人に愚痴を言うことでガス抜きができているようだ。
まだ会社には行っているが、正直鬱やその他病気にいつかかってもおかしくない状態だと思うので、自分は辞めてほしい。本人にもそう伝えている。
ただ、身内は古い人間で、また人当たりもいい分、ここを辞めたら次の仕事がないだろうし他の人にも急に辞めると迷惑だから、と二の足を踏んでいる。
(自分としては、話を聞いても助け舟の一つも出さない周りの人間も同罪なので、気にする必要はないと思っている)
勤める本人が意思を持たなければ会社は辞められないのだが、第三者からどう言えば本人が心変わりして辞めてくれるのだろうか。
会社がブラック企業だとしたら、どういう風に詰めていけば辞められるのだろうか。
身内の心配事は、次の仕事が見つからないかもしれない、というところに心配の種があって辞められないらしい。
ただ、辞めたら辞めたで、仕事は何かしらあるだろうとは思うのだが、甘いだろうか。
身内には、
・ボイスレコーダーを持つ。もしくはスマホの録音機能をオンにする
などアドバイスしたが、未だに実行できずにいる。
心身共に疲れ、証拠を集めるという気力も湧かないようで正直もどかしい。
だんだん年老いてきた身内が泣いて帰ってくる日がある今、ただただつらくて悲しく、胸を締め付けられる。
どうか辞められた方は体験談でも教えてほしい。
最後。
これを読んで、「自分の会社もそうだ」と思う人間が多かったら、本当に辛い。
これが会社のデフォルトだなんて絶対に思いたくない。思わないでほしい。
そういう人達もどうか救われてほしい。
壊れてたというか多分正常に戻ったんだけど
私の母は義母とエリートの夫にいびられプレッシャーをかけられて精神を病んだタイプの女の人で、ストレスから自分を守るため子である私をガス抜きに使って生きてきた。(交際の禁止、偏差値は65程度はゴミで罰則、習ってない範囲の問題が解けないと殴打、父方の家に沿わない夢を抱く事の禁止など)
まあ恥ずかしながら私は母親に殺されたくなかったし、愛されたかったし、死んでほしくもなかったので(彼女は私の不出来を理由とした狂言自殺を頻繁にやった)必死に彼女に尽くしていたのだけど特に叶う事もなく、なので私は「ああ私の存在は無意味だな」と思いながら生きてきた。
だというのに、彼女を抑圧していた二人が立て続けに亡くなった途端、母はとても優しくなり、私の知っている苛烈な性格は突然鳴りをひそめてしまった。
私が何をしても罰を与え私の自我の全てを否定してくれた「私の母」の人格とは彼女が自分を守るために生み出した仮初の人格であり、本来の母は世の中にいる「優しいお母さん」そのものなのだという事と、今の母は過去に私にした仕打ちの事は一切覚えていない事が判明した。
なんだそりゃ。どうしろというのだ。
今の母はそれはそれは優しく自然な好ましい人で、私のずっと求めていた母の姿ではあるのだが、今更それがなんだというのだろうか?
私の母親がいなくなってしまったとして、ならこの私の過去はどうすればいい?彼女のために尽くしてきたこの私の存在とは何なのだ?
とりあえず今の母とはあたりさわりなく接しているのだが、私の知る母との性格が違いすぎて許せないものがこみあげてくる。
(例えば今の母の言う「旅行にでも行かないか」はそのままの意味であるらしいのだが、私の知る母親のそれは「お前の成績はもはや許されない段階まで低下している、学業は諦めたのであろうからクズに相応しく遊び惚けていたらどうだ」というニュアンスのとんでもない嫌味であった。この経験から私は旅行に誘われるだけで非常な屈辱と憎悪を感じるのだが、記憶の無い母にとっては理解できない事であり、この思いをぶつけるのはもはや私の一方的な加害にしかならない。)
低能先生は「好きに呼べ」と言ったこと。また、呼称がついたことを喜んでいる節さえあった。(本人は認めないだろうが)
本人は増田を「ガス抜きの場」と言っていて、居場所だったことは否定しているらしいが、自分の存在を周りに認識されていること自体が助けになっていた。
だから、アカウントBANで居場所がなくなることを必要以上に恐れた。
つまり、増田の言う「蔑称をやめろ」という主張は、低能先生を追い込む行動でしかないんだよ。
事件発生直後は当事者が多かったから比較的まともな話が展開されてたけど、
ポケモンGoのTL40から申請が可能になった。それに伴ってWayfarerという審査機能も開放された。
そもそもこのポケストやジムはIngressのポータルが元になっている。多くの人はここから先が理解できていない。ポータルは人が探して登録したものが大半だ。IngressはFieldTripというアプリを原点に作られているため、ポータルになりそうな現実のものを探して申請し共有するという作業自体が、ゲームの根幹に有る。Ingerssだけがポータルを登録できたのは不公平でもなんでもなく、ゲームの機能として最初から備わっていたから。そういう文化があったから。
ではポケモンGoはどうかといえば、ポケモンのコレクション機能にフォーカスしている。別にポータルを見つけるゲームではない。はっきりいえば、ポケストなんてポケゴーにとってはどうでもいい存在だろう。
なのにそれを開放する意味はあるのか?
審査している人ならわかっているが、すでに田舎ですら大半の建築物や地蔵や鳥居が申請済み。人数を多くしても少ないパイを奪い合うしかない。もし強引に増やしたいならば偽造しかないだろう。だけどそういった偽造も多くの人が見れば見抜かれる。最初から増えないことをNianticはわかっているのだよ。
Nianticにとって申請の開放は、ゲームの発展を目論んだものではなく、単にガス抜きに使っている。ポケゴー勢にはポケストなんて意味がないことを最初からわかっている。
これで被害を受けるのは、むしろIngress民かもしれない。ポケゴー勢は偽造や不正を当たり前と思い、他のゲームやサービスを平気で壊してきた。Ingressへの配慮なんてしないだろう。Googleストリートビューもどんどん改ざんして、OSMも悲惨なことになる。
https://togetter.com/li/1404632
利権団体の思い通りに動いてる人がだんだん増えてきてしまっている…
Jesuっていうのは「賞金を渡すにはプロライセンスが必要」という嘘をつき、これからお金になるであろうe-sportsの利権をゲットしようとしてる団体です。
設立当初からの流れとしては「法的な部分の質問・指摘を無視する」という事を続け、根拠の無いままライセンス制度を作り
批判的意見が一番激しかった頃に一度、ガス抜きの為に生放送で座談会を開いたが
「話を逸らす」「嫌な質問には不機嫌に対応する」「肝心なところを答えない」と批判が多く沸きました
https://www.twitch.tv/videos/230583009
で、ずっと指摘され続けてきた「プロライセンス制度、無くても賞金渡せるよね?」という点に最近になって消費者庁から「YES」との回答。
今回のパズドラ大会はその直後という事もあり「お前ら不要な制度作って、さらには邪魔するのか?」という批判が起きています。
ちなみに同様の例は二度目となり、前回は「ライセンスを拒否しているトッププロが、貰えるはずの賞金を90万減額され、10万しか貰えなかった」という事件です。
さらに今回、そのプロが500万の賞金を10万に減額される事例が発生して、絶賛炎上中。
「法律を回避し賞金の為にライセンス制度を作って高額賞金を出す大会を開催していきたい」
「法律的には問題無いが、そこに噛ませろ。賞金を渡す権限をコントロールさせろ」
という方向にシフトしていってるって事です
だから何?って程度の話なんだけど、地球上で大半の国、法治国家じゃん。
歴史的に、力があった国々が「法」ってものを発明したからなんだろうけど。
でも、法治国家以外の国家が、(法治じゃなかったら国家と言わないかな?部族か?)が科学技術を発展させることは可能だったんだろうか?
概ね幸せだが、法という制度が万能じゃない、というか設計コンセプトとして間違ってるような気もする。
例えば、僕が誰かを傷つけたとする。
なんかの不注意で追突でもしたとしよう。
法で、僕が賠償の責任があると言われても、払うかどうかは、それ以前に結局僕に賠償額を払える能力があるかどうかによる。
払わなかったら、僕が刑務所、となったところで、被害者はなんの得もない。
法が規定する責任があるから払うとか、そういう問題じゃないと思う。法の役割が、人をむやみに傷つけないようにしましょうっていう啓蒙程度の役割なら、儒家がいうような徳治だって十分だ。
被害者救済のための高度なシステム、事故被害者のための基金を作って、その原資の調達のために徴税して、ということをするためには法律という仕組みが都合がよいけれど、加害者を叩いてもなんの意味がない。
被害者救済のコストならとにかく、刑務所のコストを市民が分担するってどうなんだろう?
弱者救済の仕組みというのは、最大のものはいわゆる社会保険なんだろうけど、これはホント資本主義経済との相性が悪い。
払った額より貰う額が少ない年金、10割負担で窓口で払う医療費より月々の健康保険料が高い、となると、払わない方が徳じゃね?
となるわけで。
その辺のガス抜きのために、本当の弱者のためだけに、みたいなことを言い出すと、余分なコストをかけて6300ページのpdfが作られるわけで。
日本人(の特にネトウヨ)が韓国叩いてるのって、原因の一つに日本の経済が上手く回ってないというのがある。日本のGDPは皆さんご存じの通りほとんど横ばい、パイの総数は増えない中、ただひたすら国内のパイを奪い合う状態になっていて、アベノミクスのお陰で主に富は下層から上層へ移動している。つまり貧乏人が増え続けていて、ここで韓国叩きになるのはただその鬱憤を晴らしたいだけというのがある。自分の生活が上手くいってないと、誰かを悪者にしたくなるものだ。
で、ここで逆にタイトルのような疑問を持ってしまった。ここ最近の韓国は前にも増して常軌を逸したただの反日になっている。徴用工問題なんか自称左派の俺が見ても正直擁護できる点がないし、はっきり言って異常だと思う。最近の韓国は経済が上手くいってなくて、反日でガス抜きをしたいという、のっぴきならぬニーズでもあるんでしょうか。