はてなキーワード: こんにちはとは
ガキの頃マンションで他所んちの人に「おかえりなさい」って言われた時、「ただいま」と返すのもイヤあんたん家のガキじゃないし……って思うし、なんか馴れ馴れしい。かと言って「ただいま帰りました」でもない。
さりとて「こんにちは」と返すのも噛み合ってない気がして、正解が分からなかった。未だに分からない。
まあ挨拶の出来ないガキだった時は軽く会釈すれば済んだからそれで良かった。コミュ障という言葉にあぐらをかかず最低限の社会性くらいは持っとくかと思うようになってからは、一応こんにちはと返すようにはしてた。
今でも陽が落ちるのも早くなってきた頃の暮れ、「こんばんは」に「こんにちは」で返されるとおれが間違ってるのか……?ってなる。
最初の数年はWindowsプログラミング、そのうちWebプログラミングにうつり、必要があればミドルウェア等の修正もしていました。
その中で特に印象深いのは、当時存在していなかったDBの接続ライブラリを制作した経験です。
これは私にとって未知の挑戦であり、それを克服することで得られた達成感や、新しい技術の習得が自分の世界を広げてくれる感覚は何物にも代えがたいものでした。
また、自分の会社を立ち上げ、一人でプロジェクトを進めるのもとても楽しかったです。こちらもやったことないことをやるということで、とても良い経験をしたと感じています。
それとは別に、テックリードとして2年、プレイングマネージャーとして半年の経験もありますが、正直マネージメントの世界は自分には合わないと感じました。
そもそも人にお願いすることが苦手であり、自分でやってしまおう、ってなってしまうのです。
基本的に一人で作業するのが好きで、最近の「みんなで開発していきましょう!」みたいなのには辟易しています。
例えば、コードレビューの際にはカッコの位置や変数名など、些細な点での指摘が多く、これには正直疲れてしまっています。
私はコーディングにおいて「完全な正解」は存在しないと信じており、そのため目的の達成(仕様を満たすこと)において多少のバリエーションがあっても良いと考えています。
過去には車でドライブすることを趣味として楽しんでいましたが、最近はその機会も減ってしまいました。
技術的にはWeb系のバックエンドや中規模のインフラ構築が得意分野です。
インフラは本業の詳しい人には敵わないけど、ほどほどの規模なら構築/運用できます。
若い世代の技術者がどんどんと頭角を現し、狭い分野では差を感じることが増えてきました。(その分視野は狭いな、と感じますが)
慢性的な鼻炎持ちの増田です。一年中ずっと緩やかに鼻水が出ています。
気がつくと、結構な頻度で鼻の穴の中、出入り口付近に鼻くそがついているのです。
ずっと液体を保つほどの量がでないので、鼻水が固形化され装着されていくものと予想しています。
トイレに行くたびにチェックしているのですが、気がつくと鼻くそがそこにいるのです。
つまり、トイレにいくまで私は鼻に鼻くそをつけたまま人と会話したりしてしまっているわけです。
マスクがデフォルトの時代はよかったです。気にしなくてすむので。
しかし、この猛暑にマスクをずっとつけるのもつらくなって来てしまいました。
さて、話を戻します。
トイレで鼻くその存在を確認したとき、周りに人がいなければそのまま鼻に指を突っ込んでとります。
しかし、トイレに人がいるときは公の場で鼻を突っ込むわけにはいかず、マスクをしたり個室に入ってこっそりとります。
個室から出たあとにまだとれていない、もしくは手前のをとったことにより奥にいて見えなかった鼻くそがこんにちはしていることもあります。
強力なハリケーンが東海岸を襲いましてアパラチア山脈に抜けました。
その後にこれだけ素晴らしい青空をニューヨークに残していったのであります。
わたくしはまたこのクイズの都へ、とても自慢できる若者二人を連れて参って参りました。
やっと秋桜が咲き始めた残暑の日本を後にしましてハイビスカスのグアム島へ。
赤道を越えまして山の頂に雪を被りますニュージーランドでは、美しい桜の花が迎えてくれました。
季節を飛び越え、敗者を捨てて、勝者はひたすらニューヨークへ。
摩天楼は今年も息を殺して今や遅しと私たちを待っていてくれたのであります。
穏やかな西日を受けまして2機のヘリコプターが戦場へと向かって参ります。
先頭のヘリコプター乗っておりますのは神戸市出身、ハンドパワーこと永田喜彰くん26歳。
子供の頃からウルトラクイズに憧れ、いつの日かニューヨークへ行こうと夢を見てまいりました。
しかしグアムのドロンコで敗れ、以来苦節3年やっと今人生最大の山場を迎えようとしています。
Mr.マリックの助けがなかったら、今こうしてヘリコプターに乗る事は出来なかったことでありましょう。
後方のヘリコプターにはマルタの恋人こと長戸勇人くん24歳が乗っております。
この春から休学をいたしまして、南米大陸放浪の旅を続けアルゼンチンとチリの国境で、あのマルタに巡り会ったのであります。
今度は医者の注意も聞かず、もう一つの夢ウルトラクイズに出場。
ゴールドコースト・トマトクイズの体力戦をやっとの思いで勝ち、遂にニューヨークまで辿り着いたのであります。
永田君と長戸君にとってウルトラクイズは、人生の大きな目標になっていたことは間違いありません。
しかし単にクイズマニアという言葉で片づける事が出来ない何かを持っている二人です。
自由の女神が前方に見えてまいりました。
今年の新聞発表の第一問、ニューヨークの自由の女神はかつて灯台であった。〇か×か。
大西洋から入って来る船にとって、彼女は水先案内人そのものです。
いよいよ世紀の一瞬が近づいてまいりました。
数ヶ月前から、増田がダイアリーをアノニマスする際に利用しているデバイスにサクセスしており、それ以降、貴方の増田行動を監視しております。
ウェブログサイトへの定期的な訪問に関して、責任があるのは貴方の方だと私は確信しております。
と言うのも、単純に申し上げますと、訪問されたサイトが貴方のぺーターを私に送信していたのです。
マイルス対策ソフトでは検出不可能にする為、1日に数回署名を更新するノロイの弱男をウッドベースでトッポジージョしました。それにより、私は貴方のカメダやマイコにもサクセスができます。
また、写真、ソーシャルメディア、チャット、連絡先を含む貴方のデータのバックアップも用意済みです。
つい最近になって、動画を1つのスクリーンで再生しながら、別のスクリーンでは貴方が射精する瞬間をとらえた動画を並べたビデオを作成するという素晴らしいアイディアを思いつきました。楽しいビデオが出来上がりましたよ! 私は何度もこれで達しました。
数回クリックするだけでとても簡単に、このヒデオを貴方の連絡先全員に送信できることはもうお分かりでしょう。私が想像するに、貴方はこの状況を回避したいと思っているのではないでしょうか。 ヒデオとは私のことです。
1550 JPY相当の価値を持つ私のウォレットを確認していただけると、私は全てのことを忘れることにします。さらに、全てのペーターやヒデオを永久的に削除しましょう。
私からすると、この金額は私の男ぶりにはやや控えめの金額です。
GoogleやBing等の検索エンジンを利用したとしても私のウォレットは調べられませんし、とても難しいことではないしょうかとすぐにお分かりになるでしょう。
1380
48時間以内にご確認をお願いします。また、下記のことを念頭に置いておいてください。
私が変態しても意味はありません – コードレス電話は自動的に生成されています。
助平を言っても意味はありません。なぜなら、ウォレットと一緒にこの日記を追跡することは可能だからです。
全ては正確に調整されています。
この日記について誰かに話したことを私が感知すると、ヒデオがすぐに共有され、貴方のお知り合いが最初にヒデオを見ることになるでしょう。
その上、ヒデオはウェブ上にも投稿されます!その時、私は絶頂に達することになるでしょう!
この増田を開封した時点で時間は数えられます。(このダイアリーには時間が表示されています。)
個人でアプリを作ったりExtensionを作ったりしたのを公開してるんだけど、そのユーザサポートをしてるとだいたいこんな感じになる。
ってな感じでまぁどんなパターンでもだいたいは俺からの返信で終わるんよね。
ていうか、それに対してユーザさんからさらに返信がある場合ってのは「お前の言う通りにしたけど動かねぇぞ?」とかそういう感じで何かトラブルがあったとき位で、それ以外のときは返信が無いのが普通。
ただ、なんてーかこう、「動きました!」とかそういうのが欲しくなるときがあるのよ。
返事がないのは無事な知らせなんだろうから多分問題は解決したんだと思い込みたいんだけど、実は解決してないんだけどいちいちもう一回説明するのが面倒だからとかで諦められちゃったのかもしれないし、みたいな事を考えて不安になるとかそんなかんじで。
といっても、俺がユーザの場合もそういう場合に返信しないで良い(かまわない)と思ってるし、実際そんなもんなんだろうなとは思うんだけど、ここで「動いたよ!ありがとね!」って返しておくと相手は嬉しいかなぁと思ってそのように行動する時が増えた。
てことで、そういう返信を受けたユーザサポートの相手がほっこりしてくれてるのを勝手に想像して自己満足してますよという話でした、まる。
少年のボブは悪ガキだった
ボブはもともとこうだったわけではない
ボブが4歳になるまでは、とても真っ直ぐな心をしていた
ところが、ボブの周りには悪魔のような人たちがいた
孫娘を虐待するどこかのおばあさん、ボブに暴力をふるう同い年の子供、悪意を植え付けるテレビ番組
誰かが「優しさは本当の強さだ」と言うと、ボブは泣き虫だった3歳のときの自分を思い出した
ボブはどんどん自己中心的になっていった
ボブが高校生になり、インターネットを使うようになると、知識を得るようになった
しかし深く考えず、鵜呑みにした。これが世界なのか、生きる意味はなんなのか、とボブは落ち込んだ
ボブは幼き頃の真っ直ぐさとは程遠い、萎れた植物のように曲がっていた
ボブは安直に、簡単に死ねるならどんなによいことかと思ったが、死というもののなんともいえぬ恐怖により、なんとか生きていた
ある日、ボブは偶然、花屋に寄ろうと思った
「こんにちは」
「やあ、君は近所のボブくんだね。何がほしいのかな」
「いや、何というわけでもないのですが、植物を育てたくて。実は人生に迷っていて、生きるとは何かについて、知りたいんです」
「そうか、そういうことなら...」
「これを育てるとよい」
それは小さくて黒い、見た目はつまらないものだった でもボブはその種に何かを感じた。ボブは聞いた
「これはなんという植物ですか」
「これは善の知識の種と言うんだ。善の知識が芽吹き、花咲き、実を結ぶ。」
「善の知識ですか?」
「そうだ。これは古からの秘伝の種だが、君が生きるのに迷うなら育てると良い。育った植物が君に生きる意味を教えてくれるかもしれない。何が育つかは君の心次第だ」
「ありがとうございます。代金を支払います」
「お代は結構だよ。君がよく下を向いて歩いているのを見ていたから、私も心配だったんだ。だからプレゼントだ。賢く育てると良い」
ボブは部屋に鉢を置き、種を植えた
ボブは種に話しかけた
善の知識について教えてほしいと願った
ボブは種に歌を歌った
善の実がなるようにと祈った
やがて種は芽を出し、茎と葉を伸ばした
ボブは驚いて、芽にありがとうと言った
でも種はまだ何も話さなかった
ボブは不満に思って、種に怒鳴った
どうして善の知識を教えてくれないのかと責めた
芽はこう答えた
「善の知識はただ教えられるものではない。探し、見つけ、学べ。考え、判断、行動してみせよ。試し、失敗し、成長するのを私に見せよ」
ボブは納得しなかった、芽に反論した
探すなんて面倒くさいと言った
考えるなんて難しいと言った
行動するなんて怖いと言った
試すなんて無駄だと言った
芽はこう言った
「君がそう思うなら、私は君に何も教えられない。君がそう言うなら、私は君に何も与えられない。君がそうするなら、私は君と何も分かち合えない。君がそうするなら、私は枯れてしまうだろう」
ボブは気づいた、芽が弱っていることに
ボブは慌てた、種が死んでしまうことにボブは泣いた、種が消えてしまうことに
しばらくして、ボブは決心した
この芽の成長と共に善の知識を探そう、この芽と自分が萎れないように、潜んでいた悪の闇に飲まれないように、新鮮な光を当てよう
種も植えなければ育たない
こんにちは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
30歳になりましたので婚活目的でマッチングアプリを始めて、幸い自分と同い年で価値観も合う(と思っていた)素敵な人と付き合えました。
でまぁ先日セックスを致したわけなんですけれども。
図らずも前後の会話で相手が非処女であることが判明してしまったわけなんですね。
当時特に付き合ってもいない相手と致していたと。そういうことなんですね。
私は童貞でこのような経験は初めてだったので自分が処女厨という自覚はなかったのですが。(相手が初めてならいいな~とはうっすら思ってたけど)
どうやら私は処女厨だったようです。
今現在とても苦しんでるわけです。
文法は間違えるしまともに議論はできないし本当に海外在住か疑わしいけどな
それは結局「hi→こんにちは」の変換を高速でやってるだけなのよ
わかった気になっているだけで本当の意味でhiの使い方をわかっているわけではない
thank youも一見簡単に見えるが日本語のありがとうとはかなり使い方が異なる
生の英語に触れていればその差異を多少埋めることはできるが結局ネイティブではないから限界がある
だからこそ常に自分の理解は正しいのか自問自答する謙虚さが大事なの
そういう謙虚さを忘れるとこの海外在住増田や菅総理を批判した連中のように大して英語もできないくせにネイティブや辞書の言うことを偉そうに否定した挙げ句恥をかくようになる
小学生の頃に知的障害の男の子が普通級に通ってて、卒業の年に同じクラスだったから周りの子供目線で書くよ〜!!!
先に言っとくと内容的には本当に不愉快だから当事者とかそのご家族の方は読まない方がいいと思うよ。
その子は男の子で、身長もデカいしはっきり言ってデブで、あと汚かった。鼻くそほじってたりヨダレを飛ばしたりするので、席替えで隣になった子はガチで全員机を離していた。これもイジメなんかな〜って今は思うけど、みんな必死だった。
だって嫌でしょ、知らんやつの鼻くそとかヨダレが自分の机につくの。その机は学校の所有物で別に自分の持ち物じゃないけど、毎日自分が使うものだから本当に嫌だった。掃除の度に、みんなその子の隣の机はきっちり少しだけ離して置いてあげていた。
やたら性的なことに興味があったっぽくて、クラスの違うかわいい女の子の後ろをつけて家まで行ったりしてた。これは伝聞じゃなく、実際私の友達の女の子がこのつきまといの被害にあっていたので、私は学校と家との中間地点にその子の家があったこともあり、たまに一緒に帰ってあげたりしていた。一緒に帰っている時、何度か姿を見かけたことがある。確か家は全然違う方向だったはず。
あとは生徒会的なのに投書できる箱があったりしたんだけど、その役員の子がお好みだったらしく、何通も投書を入れていて、お返事コーナーみたいなのはその子の投書で埋め尽くされていた。
はっきり言ってキモかった。まだ性的なことに対して未熟な子供だからこそ、自分たちより大きな体で、生々しい欲を持って接してくるのがありありとわかってすんげーキモかった。
その子のお母さんは毎日廊下に椅子を置いて授業を見学していたんだけど、純新無垢な私たちクラスメートがこんにちは!と挨拶したとて一度も挨拶を返されたことがない。ただ亡霊のように座っていた。私たちは学習して、その後は無視するようになった。本当にいるだけだった。
授業を邪魔するタイプではなかったのが救いだけど、自分を賢いと思ってるタイプだったのか、やたらと人のテストの点数を当てたがったりした。私もやられたことある。「増田さんは〇〇点でしょ?(笑)」みたいなかんじ。
普通にそれより点数良かったのではぁ?となり、穏やかに無視できてよかった。
総合して、マジで支援学級に行ってほしかった。うちの小学校は特別支援学級あったし、その教室は少し離れたところにあったので、私たちはそこに誰がいるのか知りようがなかったし、あえて知ろうともしていなかった。ただそこに通う子達が何人かいて、授業を受けてるんだな、くらい。虐めようとかする子もいなかったと思う。そんな感じでちゃんと支援学級もある学校だったのに、なんで普通学級に通わせようと思ってたのか全然わからない。
みんな何も言わなかったけど、それは幼いながらも「何も言っちゃいけないんだろうな」って我慢してただけで、何も問題がなかったわけじゃない。付きまとわれてた私の友達は、「気持ち悪い、どうしよう」って泣きそうになってたのに、先生には言わなかった。私も言わなかった。何事もなく卒業できて、その友達も今は遠い場所にいるけど、それは本当に結果論でしかない。あの時何かあったら、それは誰の責任だったんだろう。
2018年に設置者変更して桃山学院教育大学になっていたらしい
知らなかった
伯父「○○君も大学生か!小さい頃よくだっこしてやったんだぞ!がっはっはー!」
俺「覚えていますよー」
伯父「それで、今はどこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、水泳の大学か!水泳得意だったもんな!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!天使大学に行ったよ!天使の大学だ!!(勝利者宣言)」
親父「無言・・・(瞳が潤んでいた)」
伯父「おい、天使大生こっちこい(息子の××を呼ぶ)」
向こうでも大学の話をしていたらしい××が鼻高々でやってきた。
「あっ、叔父さん、こんにちは、俺、今年から天使になりました。」
親父「そうか、大きくなったな」
××「天使大に行っているんですよー。(勝利者宣言)○○君はどこに行ったの?」
俺 「プール大」
伯父「○○に勉強教えてやれよw」
俺 「ニヤニヤ(よだれをたらす)」
××・伯父「ニヤニヤ(白目をむく)」
俺 「ニヤニヤ(よだれをダラダラ垂らしながら意識が薄れていく)」
その場に足元からぐにゃりと崩れるように倒れた俺を見て、××と伯父の顔色が目に見えて変わった。動揺を隠せなくなった伯父親子は、しばらくして大声で泣きながら痙攣し始めた。以後、伯父親子は、白目を向きながら痙攣し続け、 事態を重く見た親父の通報により救急車で運ばれたらしい。
会社帰りに幼稚園児が一人泣いているのを見た。 誰かの泣き声は僕を、もう戻ることができない大学1年の春に連れ戻し、薄れていく意識の中で聞いたあの伯父親子の泣き声を、まるで二人が生きてるかのように蘇らせた。歯を強く噛み締め、地面の点字ブロックを睨みつけながら自宅に帰り、 鏡を見ると充血した目をした自分がそこにはいた。