はてなキーワード: 入社式とは
今何もかもしんどい、生きるのも結構体力いるし学ぶのもしんどいし自分のプライドの高さは一番しんどいしとりあえず、まあ聞いてくれや俺の半生という程も無いけど話きいて。
今私は、鬱になってピカピカの2年目ですの。
社会人として三つほど働いた。新社員として入った所は私に人権は無かった。馬鹿ほど真面目だったので真に受け人権の無さに会社で大泣き迷惑女になりましてよ!それで、鬱になってしまったんですが、今思うとやばいなあの会社
2つ目は派遣で入った。聞いてない電話対応で毎朝罵声を浴びさせられお局には虐められる。流石に気が狂うと思って辞めた。この会社でも泣いた
三つ目はアルバイトで働いた。そこは病院だったので気が楽で個人的には楽しかったんだけど、事務仕事がこれまた死ぬほど出来なくなってる。ケアレスミス祭りなわけ、ウィルスミスもびっくり。
アルバイトしながらも自分にはADHDの気があるんでは…?と思いながら働いてたら等々会社の人らに自分ADHDちゃう?と言われてしまい、やはりな〜!と思いながらここでも泣いた。
結局、そんな風に言われては居辛くなり秒で辞めました。あん時の私はクイックシルバーだった。(辞めるの)速すぎて見えなかった?
辞めてすぐに訓練学校に通ってるんだけど楽しい。が、実家、私ド貧乏な訳。定期代だけで馬鹿にならない。アルバイトしてと言われ短期始めてみたりしたけど、学校行って休み働いて体力が無い。無理すぎる。でも、近々また働く予定。
ド腐れな趣味はやれてる?って言われたらやってる。とりあえず。生命線
就活は難航したが、運よく一部上場企業のの人事とか総務とか経理とかやってるようなところに滑り込むことが出来た。
晴れて働き始めて4か月ちょっと経つことになる。
ただ、なんというか、会社とか社会に絶望しちゃってる私がいて辛い。
だから変わった形とはいえ社会人と話す機会が他の女子大生よりはあった、と思う。
長年働きぬいた落ち着いたお爺さんは嫌味なく昔どれだけ一生懸命働いていたかを教えてくれた。
電車でよく見るような普通のサラリーマンも、キャストそっちのけで仕事について
熱く語ることがあった。
就活が始まってからも、説明会では社員の人は「やりがい」とか「充実したことぉ」をよく語ってくれた。
働くことはきっと大変に違いない。
でも、同じくらいやりがいがあって、頭と心をフル回転させて、夢や目標を持ってやっていけるものなんだ!と私は思っていた。
内定をもらった時は、
「この会社で全力で頑張ろう!」と誓い、大学の卒業式後から入社式の間までは、
社会人のマナー、社会人の心がけ、新入社員の鉄則…そんな本やネット記事をたくさん読んで、大変だけど頑張るんだ!と張り切った。
そして働き始めてからは、
「今私に出来ることは何か、プラスアルファで出来ることはないか」を常に考えながら仕事に取組み、
出張の時は交通ルートはもちろん、コンビニやトイレ、美味しいお店のリサーチも欠かさない…
まあとにかくとにかく全力だった。
そして自分から仕事を見つけ、上司に頼まれる前にやっておいて、頼まれたときに「実はもうやっておいたんです」と言って上司が喜びながら驚いているのを見るとすごい達成感だった。
とにかく暇なのである。
しかも他部署がめちゃくちゃ頑張って残業してそれで稼いできた利益の上にあぐらをかいて、私の部署は暇なのである。
最初はエクセルで文系のくせしてマクロを組んで便利な表を作ってみたり
でも。
左では上司が「暇だなー」「帰りてえなー」と言いながらネットサーフィンをしている。
前では一回り上だけどめっちゃ美人な人がだるそうにネットサーフィンをしている。
こう書くと、重苦しい雰囲気の中皆が無言でパソコンいじってるようなイメージを抱いてしまうかもしれないけど、みんなすごいいい人だ。部の皆でケラケラ笑いながら雑談したり、飲み会も全然嫌じゃない、むしろ楽しみ。
めっちゃ話しかけてきてくれるし、話していると楽しいし、人間関係は本当に恵まれたとおもってる。
でも、働く、ってこんなことだったの?って。
やりがいなんかなくて、ただどうやって暇をつぶすか。
定時になるのをひたすら待つだけ。
このままだと、私はタイピングとファイリング、ちょっとだけのエクセル入力しかできないまま25歳くらいにまでなっちゃうんじゃないかって。
転職サイトを見ても、いいなって思った会社は「前の会社で○○の経験があること」っていう条件付きがおおい。
一般事務みたいなことしか経験がなくて、しかも初めての社会人経験がぬるま湯な職場の私は大丈夫なのか、ってたまに穴におっこったような気分になる。
でもずっとここにいたら、本当にただネットサーフィンして給料もらってるだけの、本当に馬鹿の置物になる。頭も心も使いたい。
それとも私が夢見すぎてただけか?
「やりがい」とか「仕事が楽しい」なんて一部の経営者とか運よく素敵な会社とか仕事を見つけられた人だけが感じる特権で、皆内心「帰りたいな」って思いながら働いてるものなのか?
説明会でニコニコ話していた人たちは、内心「そんなことねーよ」って思いながら話してたのか?
業務中はしっかり頭使って、関わる人すべてに貢献して…
そんなこと考えていたんだけど、それは社会を知らない子供の夢見がちな妄想だったのか…
それとも偶然この会社がぬるすぎるだけ?
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追記:
まずびっくりした。
ここまで反応を頂けるとは思わなかった
口開けて餌が来るのを待ってるそのスタンスをやめろっていう意見
すごい心に響いた
確かに最近は心の中で愚痴ってばかりで、自分から何か能動的に行動しようと思ってなかったから、またなんとかその心を取り戻せるように頑張るよ
大学時代、英語を専攻しててTOEIC800点越してたんだけど
会社で全然使わなくて今となってはポンコツだからまた勉強してみようと思う
コメント見ながら「自分が身につけるスキルはなんだろう」って考えてたら案外英語好きだったこと思い出した、ありがとう
やっぱり会社に期待しすぎてたんだね
社会人になれば全部劇的にかわる、って思い込んでたんだと思う
大人になり社会へ出てから、本人の努力よりも、どの土地のどんな両親のもとに生まれ落ちたのかという事が、人生の大きな部分を決めてしまうことを痛感した。
両親も含め、おそらく江戸時代に遡ったとしても、先祖代々この地を離れたことがないと思われる。
周囲も親戚も大学進学者はおらず、同級生のほとんどが地元の高校を卒業して、そのまま地元で職に就き、地元で配偶者を探し、そこで一生を終える。
別に、そのような生き方を否定するつもりはない。幸福かどうかなんて、全くもって主観的な問題なのだから。
ところが、自分は理系に憧れを抱くようになり、やがて研究者になりたいと思うようになった。
そのためには、どうやら大学へ進学しなければならない事もわかってきた。
でも、上述の通り理系はおろか、大学の出身者なんて学校の先生くらいしかいなかった。
田舎なので、大きな本屋へ行くには、チャリで30分の無人駅にたどり着いてから、さらに電車に乗って1時間ほどの街へ出るしか無かった。
そんなわけで、そもそもどんな勉強をしたら大学へ進学できるのかさえわからなかったが、街へ出る機会を利用して学習参考書をゲットしたりして、何とかやや都会寄りの国立大学に進学することができた。
大学時代の成績は学科でトップであったため、3年次で飛び級して1年分の学費を浮かせるという条件で進学を渋る両親を何とか説得して、大学院まで通わせてもらった。
大学院修了後は、運良くメーカーの研究職に入り込むことができた。しかし、周囲は東大・京大出の秀才ばかりだった。
同期もこの2大学だけで過半数、残りを他の旧帝大出身者が占めるという感じで、入社式の後に各大学出身者ごとに集まって歓迎会を開いたりしていた様だが、自分が出た大学の出身者は、未だに後にも先にも自分だけだ。
うちの会社も、就職氷河期のさなかに、よく自分みたいな人間を拾ってくれたものだ。
さて、入社当時は学歴コンプレックスを相当に感じていたが、彼らと付き合ううちに、能力的にはそんなに自分と変わるわけでは無いということに気づき、コンプレックスはだいぶ緩和した。
彼らの多くは都会出身者だったり、親が大学教授だったりするなど、単に自分とは生まれ落ちた場所や環境が違っただけだった。でも、彼らは、それは努力の結果であると信じて疑わず、運良く恵まれた環境に生まれ落ちたことには、あまり気づいていないようだ。
とりわけ、自分のような田舎者と大きく違うと感じるのは、文化への造詣の深さだった。
彼らの多くは、勉強以外に音楽等の習い事をさせてもらっており、大人になってからも趣味として続けている場合が多い。
そうした習い事ができたのも、実家に金銭的な余裕があったからだろうし、やはり生まれ落ちた環境の影響は大きい。
自分は習い事なんて一つもさせてもらえなかったので、その点、未だに彼らが羨ましいと思いつつ、自分の子どもたちは習い事に通わせている。
労働組合の話が盛り上がっているので NTT ,そのなかもで特に持株 (研究所) における労働組合の思い出を書く.ちなみに筆者は既に NTT を退職済みである.
昭和の宮崎ブーム(新婚旅行)の写真に見る一つの不思議|西部湯瓜https://note.mu/save_yuri/n/n9541d7cb41e1
この写真、なんだか現代で言うところの新卒社員の入社式みたいだ。
だけど、こちらは新婚夫婦同士以外は皆赤の他人なのだから、みんな同じ格好であることの違和感は入社式以上のものがある。
一体、なんということなのか。
結婚という人生の一大イベントにのしかかる重圧は当時の社会環境を考慮しても現代の比ではないかもしれない。
そんな中で、当時の彼らは大真面目に本気でこの光景の一部になることを望み願い、努力し、実現にこぎ着けたのだろう。
そしてそれを半世紀後に偶然見かけたKKOの俺が「ウワッ」とか「これはちょっと。。」とか「ねーわ」とか言っちゃうわけだ。
だけど、この出来事は本人たちにとってはとても尊い出来事であることに間違いない、というのがなんとも不思議で、諸行無常というかなんというか、この感じを適切に表現する言葉が見つからなくてなんとももどかしい!
4月1日から2年目のザ・平成生まれペーペー社畜だけど同期男子のセクハラが異常だもん。
一見常識わきまえた世代に見えるかもしれないけど、あいつら横の繋がりに限れば容赦なく酷いことやってくる。
同期の陽キャ女が彼氏とのセックスや過去の性体験について楽しげに語らえるタイプだからって調子乗って、クソ男どもは地味目で大人しい女の子にもセクハラしてるぞ。
ウインナーにマヨネーズつけたのくわえさせてキャッキャキャッキャ大笑いしたりして。
世代間の違いなんて大してないよ。
コミュ力採用やったらエンジニアですらこれだもん。大手広告代理店とか入社式で大規模乱交パーティーでもやってんじゃないのか?
理由は長時間労働とそれに見合う賃金の不払い。要はずっとサビ残だったって話。月に70から130時間の残業が半年以上続いていた。無論体調を崩した。
直属の上司は既にこんな生活に慣れていたから問題とすら思っていないし所属部署の部長はこんなもんで潰れるなんて甘いなんてスタンスで飲んでたコーヒーの紙コップをこっちに投げつけてきたくらいなので俺の心はもう決まっていた。
幸いというかなんというか、年度末の有給消化はしろという直属の上司の計らいで有給は取得できたのでその間に面接に行って次の会社は決めた。思ったよりあっさり内定が出た。
そうして退職届を出した。
自分自身知らなかったが社長は新卒が一年足らずで辞めるのを快く思っておらず辞めさせたくないために部署移動をするということだったが、出すものは出してしまった。
移動先の部署の部長も前述の考え方の持ち主だったのでもうどうでもよかったが、3/30に退職届を出して翌週月曜に入社式兼辞令交付式で全社員の前で事例を拝命するのは奇妙な感じだった。
ようやく本題だが
何故か凄く胸が痛い。
転職を決めて四月の大半は有給消化だと言っても、それまでの間は出勤しなければいけない。要は今週は出勤して来週からは有給消化で月末の退社日までは出社しなくてもいいってアレだが
俺も人の子である以上、もう既にこの会社の一員じゃないのにここにいていいのかという感覚。そして一応有給消化までの間座ってるだけじゃ…と配慮してなのか、そうじゃないのかわからないが、雑用に近いが仕事を与えてくれる他の社員の優しさ(?)に触れるとすごく心が痛む。
どうせ辞める会社だしと不躾な態度には出れない。言われたことはこなしていく。そうしていくなかで本当に辞めてよかったのか?という感覚も生まれてきて板挟みにあう。
苦しい。
そりゃ労働条件は悪かったが人間関係が特別悪かったわけじゃない。
部長クラスの人間と折り合いは付けられなかったが直属の上司はまだ話だけは聞いてくれた。理解は及ばないようだったが。
同期にも恵まれたほうだ。もっとも俺に影響されたのか俺の数か月後に辞める予告をしているが。
正直言葉にし辛いがずっと、退職届を出してから胸が痛くて吐き気までがするくらい苦しい。
こんな会社辞めて正解だったはずなのに
少なくとも労働基準法を守っている転職先に決まって安心できるはずなのに
何がよかったんだろう。悪い条件の中働き続けるのがよかったんだろうか。
やりがいを劣悪な労働条件のオブラートとして使う会社に勤めるのがよかったんだろうか。
まだわからない。
家にテレビが無いから、社員食堂で垂れ流されているワイドショーだけが情報源なんだけど
去年の春 桜が満開の駅で、ピカピカの新卒だった俺はうずくまっていた
新生活を始めたくなくて、新しく暮らす街の駅に着いた途端動けなくなったのだ
本当はこんなはずじゃなかったのに
俺は当時 内定をもらった中で、一番有名でデカくてCMもよくやってる所に就職した
デカけりゃ潰れる事も無いだろう
一通のメールが届いた
詳細は割愛するが「数日間山奥で合宿」「携帯使用禁止」「外部には漏らさない事」
ネットでよく見るブラック企業研修 そのままの内容で一瞬頭がクラクラした
だけどもう卒業も目前に迫っているし
就職活動できる時期でもない
それに、山奥ってだけで内容は普通のビジネスマナーとか そういうものかもしれないし...そう誤魔化すうちに合宿の日はやってきた
「社会人としての心構えを作るために」新入社員は数日間山奥で叫び続け(特定出来ないよう詳細は省く)毎日毎日繰り返し訓練を続けた
夜は2人1組で宿泊部屋が与えられて、俺は真面目な眼鏡の男と同室だった
携帯禁止だろうが 外の世界の情報がないと気が狂いそうになったので俺は夜中いつも携帯を触っていた
付近にバス停は無かったが(独自のバスでここまで連れて来られた)4時間歩けば 交通機関にたどり着けるようだ
当初 眼鏡は気さくなやつだったのに、もう完全に笑顔が無くなっていたし、真面目な性格が災いしたのか 合宿の訓練での失敗を真剣に悩んで寝言で「すいません、すいません」と謝るほど病んでいて可哀想だと思ったのだ
俺の脱出計画を聞くと 眼鏡はすっくと立ち上がり部屋を出て行った
は????
俺が呆然としていたら 眼鏡はすぐに戻ってきた 後ろに指導教官を連れて
謀反者の俺をチクったのだ
俺は滅茶苦茶にしばかれた
肉体的にも精神的にもきつかったが
罵倒の言葉や行為より この状況にいる自分が惨めで ただ親に申し訳ないとそればかり考えていた
事が終わる頃にはもう日が暮れていた
一人で冷めた弁当を食った
合宿に行く前、家族は就職を祝って俺の大好物のすき焼きを作ってくれた
「よかったなぁ よかったなぁ」
「お前の良い所を見つけてくれる会社が絶対あるって 言っただろう?」
「立派な会社に入って 自慢の息子だ」
弁当に少しだけ入っていた肉を食って そんな事を思い出してしまい 俺は急に怖くなった
この合宿が終わったら俺はどんな顔で家に帰ればいいんだろう?家族はきっと笑顔で「どうだった?」って聞いてくるだろう
本当の事を話したらきっと悲しませる
ちゃんと嘘つけるだろうか
それが一番怖かった
耐えて耐えて 合宿最終日を迎えた
今までの俺たちを認める言葉を沢山投げかけて、もう20歳もすぎているのに 子供みたいに同期は皆泣いていた
久々に暖かくてうまい飯も出た
帰りのバスで「いい経験になったね」と口々に語り合う同期達の隣で 俺はぼんやりと外の景色を眺めていた
来た時には積もっていたはずの雪が すっかり溶けて無くなっていた
ようやく一人になって家に帰るまでの間
俺はずっと迷っていた
本当の事を話して就職を蹴るか
家族の顔を見た瞬間 きっと許してもらえると
そう思って 合宿の全てを話した
けれど俺の予想に反して 家族には認めてもらえなかった
そういうのは良くある話で、社会人とはそういうもので、多少の辛いことは乗り越えるべき せっかく大きな会社に入ったんだから、頑張りなさい そうやって励まされて励まされて
俺はやめる勇気もなくて、ただ鬱々とした気持ちばかりが大きくなって 入社日を迎えた
入社式では チラホラと空席を見かけた
俺のほかにも辞めたいと思った奴 やっぱりいるよなと安心した一方で、こんなにも(ほぼ全員)が辞めずに入社式に出ている事も異常だと思った
続きは後日書きます
「ごめん。関東で働いて貰う予定だったんだけど、関西でもいいかな?」
よくねーよ。
「4月から働いてもらうのは一緒だからさ。あと10日ぐらいあるわけだし、ちゃっちゃと引越しておいてね。入社式もあって4月からバタバタするだろうからさ」
はいもう無理です。
「あとね、引越し費用なんだけど、20万までって会社の規約で決まってるから気をつけてね。領収書はちゃんと貰っておいて。その額までしか出ないから。あとあくまで引っ越し代だけだから、家具とか敷金は無理ね。」
そもそも完全に難民だから引越し自体がほぼ無理なんで、『今から大きい荷物は全部捨てて現地で買い直す』一択なんですよねほぼほぼ。
となると家具は買い替えになりますが、それで領収書は切れない、と。
そんでまあそもそも住む場所も今から探せと、こっちが頑張って探せ、と。
「あーそれとね、働く場所が関東じゃなくてなるでしょ。だからちょーっとお給料も約束してた額より減るから。貯金大丈夫?まあ無いとか言われても貸せないんだけどねwwwww」
うん……無理……。
お金稼ぐために働いているのに、働く前にめっちゃ出費してそれで減った分を埋められる見込みも無くなるってなんなの……。
ねえ……これが通ると思っているような所で働くとか無理でしょ。
「良い知らせもあるよ。初任研修なんだけど、今年から自衛隊さんにお世話になることになったから!良かったね!今までの形だけの研修じゃなくてちゃんとマナーとか根性とか鍛えてもらえるよ!」
なにが?良かったの?
ていうか『今までの形だけの研修』って何?
ちょっと前までは『しっかり教える』みたいな事言ってなかったっけ?
今更他所に移れなくなったからもう全部ぶっちゃけちゃえってことなの?
うん、まあ、無理なんで。
辞めますね。
「辞めたい」じゃなくて「辞めないとまずい」って事がよく分かったわ。
さてと、このあとどうすっかな……。
会社Aは会社Bの教材とカリキュラムを使用して「プログラミング教室」をしている。
いわゆるフランチャイズ。よくある話です。
しかし、「教室の先生」になるためには会社Bで「講師認定テスト」を受けるか、そのテストを実施できる社員(B社に一定期間内部出向していた社員)にテストしてもらわなければならない。
私は「テストを実施できる社員」になるためにB社に内部出向する予定だった。
(A社の社員だけどB社に勤務する形)
勤務先はB社からは「希望は一切受け入れられない」と言われていたが、A社からは「とは言ってもうちの社員だし山手線圏内って言ってあるから」と言われた。→それなら引っ越しはしないと言った→引っ越したら?とは言われた
A社内定承諾後、社宅引越しの案内が届くとの連絡があったが全く来ない。(勤務地も決定していないが)引っ越すつもりもなかったので後々メールしたら「他の内定者は実家暮らしのようでみなさん引っ越さないと思ったので書類送付しなかった」と来た。
ちょっと怪しいな?と思った。
労働条件通知書をくださいと言ったら労働条件はB社の方に合わせるので、と言われてB社で面接した時にもらったスライドが再度送られて来た。(採用ページに書いていた程度の内容)
怪しいな?と思った(とはいえもう2月くらいで就活できる状態じゃない。)
入社式と研修のお知らせが2月3日に突然来た。3月25日から仕事が始まるらしい。入社は4月1日だとばかり思っていた…
2/4に勤務地決定通知が来たが勤務地決定通知(勤務地決定とは言っていない)だった。
(結局B社の勤務地がわからないのでA社の横浜支部所属ですよ程度の通知書)
遠方から両親が来てくれることになっていた。
両親がこっちにくるのは入学式以来なので次の日とか案内できたらなと思っていたのにほぼ直前になって希望は打ち砕かれたのであった...
3/25 研修
3/26 入社式
その後は研修...
研修は都内でもそこそこ近くの教室だったのでとりあえず通うのは大丈夫だった。
とはいえB社の偉い人(B上司とする)が癖の強い人で本当に大丈夫かな??という気持ちで研修を受けていた。
子供たちにプログラミング()を教える立場になるので、B社のカリキュラムの理解、子供への対応、教え方などの研修があり、最終日に実技試験()とペーパー試験()を受けてどちらも合格した人だけがメイン講師になれる...みたいな説明をされたけど人手が足りてないのか研修も受けてないバイトさんが授業を普通にやってるらしい。
A社の新卒私含めて4人、B社の新卒2人(バイト・講師経験あり)、B社中途1人、B社学生バイト2人(講師担当経験あり)で研修を受けたが実技とペーパーどちらも合格したのは私だけだった。
会議と言っても数字報告と夏休み期間のイベントの目標数発表だった。
驚いたのは少しでも予定の数字が下がろうものならB上司がその先生が何も言えなくなるまで責めたこと。
いびる、責める、無言の圧力。「もう貴方は知りません。」などなど。
社会ってすごいなあと逆に関心した。
私は研修でのテストに唯一一発合格したためかなぜかB上司に期待の新人としてお気に入り登録されたよう。
配属発表ではB上司の教室(山手線圏外)と、山手線圏外の教室(私メイン講師担当?)と、山手線圏内の教室で、圏内の教室はまさかの週一シフトだった。
配属の後はイベントの会議役割決めなど。同じ内部出向組で女性が1人いたのだけどその子はすぐ役割が決まった。
私は最初、メイン担当教室の先生の引き継ぎになってたのに、B上司に無理やりB上司が担当のイベントに入れられた。
そしてなぜかイベントのバス手配とポスター作りと予約取りなど全くよくわからない役割を決められてしまった。
(バスの手配方法、ポスターの素材その他諸々教えてもらえなかったので大変不安だった。昨年の資料をくださいと言っても特に渡せる資料はないと言われた。周りの先生もいかにB上司の期限を損ねずに会議を終わらせるかで必死で忙しそうだった。私は置いていかれていた。)
最初は研修が分かりやすくて好きな先生の卓だったので良かったが席替えでB上司の真ん前にされた。
そしてB会社の新卒と私ともう1人の女性と中途の男性に目標を発表させる雰囲気に。
目標=◯◯を頑張りたい みたいな話かと思っていたら 「新規○人入会させて上半期で全体○人にします」って言わないといけないらしく?新人全員意味もわからず担当の先生が耳打ちしてくれた数字を喋る機械になった。
酔った勢いで他の先生たちが話していたのを聞いてみると結構「夜の仕事をしていて、結婚したいのでまともな職に就くために会社に拾ってもらった」という方がいて「結婚式には必ずB上司と社長を呼ぶ」みたいな話もされて辛くなった。
今日から各教室で普通に業務するらしい。(研修は教え方とカリキュラム研修しかなかったから突然先生やれ、教室長だと言われてポカン)
各先生は各先生の業務で忙しすぎて私たち新人にはノータッチだった。
午前は完全に放置されていたので担当教室の先生にコピーの仕方とか今日の授業について教えてもらった。
担当の地区の「神」のような先生が上司にお気に入り登録されている私を心配してありとあらゆる資料が詰まったGoogleドキュメントを共有してくださった。
と見せかけて、出社、退勤を社内メーリスで流さないといけなかったらしく(聞いてない)、B上司から(朝顔を合わせたにも関わらず)「新卒の皆さんは本日無断欠勤ということで良いんですか?(威圧)」的なメールが全社員宛に届いていた。(嫌味は全社員に公開するらしい)
先生に聞いたところ、仕事量が多いし授業もあるし毎日残業数時間は当たり前。社内でB上司への悪口グループができているようだった。
そして直後に「新卒社員+B上司」の謎の「新卒監視グループ」が作られた。
ここで私のメンタルが限界になったのでA社の上司に「ここでは絶対にやっていけない、A社の別部署か横浜支部で働かせてくれ」といってA社の上司(前年度B社に出向経験)もあそこは異常だからしょうがない、ということで次の出勤日から横浜勤務になりましたとさ。大感謝。(そして私の勤務時間が往復5時間になった)
業務内容は午前中に入会書類の整理など、事務系の仕事をして午後から各教室に移動してひたすら授業(立つ・声を張る)。または10キロ近いチラシを持ってポスティング。
幸いA社の人たちは明るく優しい人たちだったので「楽しい」という感覚を持って仕事ができた。
「(完全ではない)週休2日」という話は知っていたけど6連勤1日休み3連勤、7連勤1日休み4連勤とか普通に入れられる。
なぜ長期連勤の後1日休んで連勤できるのか?というお気持ちだったが人も足りないしそれが社会なんだなぁ(多分間違ってる)と思いながら働いていました。
8時に家を出て23時に帰ってくる感じ。
5月下旬、生理ながらも授業してたら今までにないくらいの血の量が出て早退した。(夜用生理用品してるのに10分経たずに漏れてくるくらい血が出て死ぬのかな?ってなった。)(出血過多)
6月下旬、家についた途端全て嫌になったのと体が痛いのとで「マジで死ぬ3日前」みたいな状態になったので急遽休みをとらせてもらって病院に行ったりした。整形外科に行って先生にとりあえず1週間休めと言われたので1週間休む。
7月下旬、引っ越し決行。通勤時間は片道40分になり少し希望を持ち始める。
しかし諸々のストレスで8月上旬に謎のめまいが多発、駅のトイレで吐いたり異変が起き始める。
膝も痛くなり歩けないほどの痛みがあったりもしたがとりあえず仕事していた。
だましだましやっていたが本当に限界がきて同居している婚約者に相談したら「養うの余裕だしとりあえずそこから離れた方がいい」と言われ9月に仕事を辞めました。大感謝。本当にこれはラッキーだった。
なぜそんなにストレスが溜まったかというと、「周りの情弱がすぎる。」だと思う。
1年先輩社員はExcelの行内改行ができず、十数年先輩の上司もExcelで連番を入力することもできなかった。(ググるという発想があまりないらしい)
入会書類は紙で、印鑑が押されていないところがあればお客さんに電話して印鑑押しにきてもらわなければいけなかった。
新規開講の教室がほとんどなので数百枚の紙を処理。領収書的なのも全て手書き。
出社報告退勤報告はLINEで報告した後に月末に紙に出社日数分の判を押し、本社にFAX。その後紙を郵送。交通費などの経費精算も全て手書き。それも本社に郵送。
出社の時間帯も日にちも同部署社員で全然違うので休みだろうと休みじゃなかろうとLINEは鳴り続ける。(たまに自分宛のも来るし、上司が休みの日も上司でないと判断できない事があると連絡しなければいけないのが心苦しかった。)
FAX初めて使った。
割と色々な情報をGoogleドライブで共有していたので(そういうことはできるのかと関心したけど)「(出勤簿なども)データ化してドライブで共有かメールで送ったら良いのではないか」と聞いたら「メール(Gmail)だとどこで盗み見られるかわからないから。」と一蹴された。
FAX番号間違えた方がえらいことになると思うんだけどなあ…と思った。
Slackとかそういうの使いませんか?と言ってみたが「貴方ができても他の社員のリテラシがないので導入コスト考えてね。貴方が1人でそれを導入して他社員も教育できるならやれば?」とのこと。
面倒なので流石に放置した。
そして各教室にWi-Fiはなかった。全て有線。しかも個人用PCはない。部署で2つの社用ノートPCを使っていた。
Wi-Fiがない理由も「セキュリティ強化」らしい。でもPCのパスは至極単純なものでパスワード知らなかったけど違う部署のPC借りて仕事したりできていた。
その社用PCにはWordとExcelは入っていたがPowerPoint、Illustratorは存在しておらず、各イベント用のポスターや掲示物をWordで作らされるという拷問を定期的に受けていた。もちろんWindowsなのでメイリオを使うしか無かったが皆さんポップ体がお好きなようだったので創英角ポップ体に一生分お世話になった。あと100行くらいのExcel開くだけで3分くらいかかる弱すぎるPCなのもストレスだった。
情報リテラシ皆無な講師陣がプログラミング()を教えるのに不安があったがとうとうそれが現実になった日があった。
先輩の担当する授業で「生徒の誰1人として作品が完成しない(動くはずのものが動かない)」ということがあり、それが原因で1人退会した。
聞いたところ、ただモーターを一旦逆回転させて位置を調整してリスタートしたらよかっただけだったらしい。
私はその「動かなかった」授業の次の授業を担当させられ、前回の授業と今回の授業を一度に終わらせるという完全な尻拭いをさせられた。(入社2ヶ月)
ここで、私がここにいて私にメリットはあるのか?という気持ちになった。
生徒募集の体験会も担当したが、営業担当の先輩が、子供の父に「他のプログラミング教室との差は何か、ここでは何が学べるのか」と質問されていた。先輩は用意された営業トーク以上のことがわからなかったようで、私がそのお父さんの相手をして気に入られて「貴方のような先生にレッスンしてもらえるなら」と入会を獲得した。(結局私の担当クラスにはならなかったのでごめんなってなった)
生徒が使うPCも弱い共用PCでBluetooth接続に最高30分かかったりして、せっかく早く組み立て終わったのに接続できなくて授業ギリギリになってやっと接続できる、みたいな状態になってかわいそうだった。
(10人分くらいの機器を繋げた履歴があると一度繋げたことのある端末でもなかなか繋がらくなった。端末の履歴を消すと一時的に復活したりしなかったり謎だった)
ということが毎授業あるのでPCも変更してほしいと相談したら「繋がらないわけじゃないんでしょ?」とのことでそのままだった。
5月から私の直属の先輩(「動かなかった」で授業を終わらせた方)との行動が増えてこれも結構なストレスだったと思う。
来年度からは直属の上司(主任)が本社に行って先輩が主任になると思うから、相談ごとはなんでも一旦先輩を通さなければならないというルールができた。
私より授業できないのに主任になっちゃうの?年功序列?LINEで個人で繋がってるんだし上司に聞かなきゃいけないことも先輩通すの二度手間では…
その先輩はいわゆる「文系()」と呼ばれるタイプの方で全く情報系の話は分からない代わりに恋愛系のことをたくさん話す人だった。
一緒の時は先輩の恋愛事情を聞かされる毎日。婚約中の彼氏が浮気をしていたとか、でもそれは私に構ってもらえなくて寂しいからなんだなって思ったら許せてきた、私には共感できなかった。
その先輩は目先のことしか考えられないようで、「別部署と共用のプリンタ用紙の在庫がなくなった(こっちの営業の人がたくさん使っていたらしい)」時、別部署の人からこちらが責められた(その別部署もどうかと思う)のだが、今すぐ授業に向かわなければ間に合わないという時間帯なのにも関わらず「私たちがA3用紙を半分に切るから」と本当に切り始めそうになったのはビビるというか呆れてしまった。
私たちに拠点がなく、学童保育をしている部署と共用で建物を借りていた。学童保育ももちろんA社の事業。
こっちの部署も賃料を払っているのだがどうしても学童の社員は私たちに対して口調がいちいち責めるような口調だった。
そして、授業をした時に1人お休みの子がいたのだが、後からその子の父親から「息子が少し遅れて行ったのだが、学童の先生と目があったにも関わらず鍵を開けてもらえず、やむなく帰ってきたのだがどういうことだ」との電話がきた。
授業の部屋と玄関の間にドア一枚あるため授業が始まるとこちらのスタッフは玄関を見られない。
そのためそちら側を使っている学童のスタッフに対応してもらうしかなかったのだがしてくれなかったらしい。
「あと、学童側のスタッフがあからさまに教室側の生徒に冷たい」と生徒が話していたらしい。
上司に相談したが「同じ会社とはいえ別会社のような関係なので協力も強く要請できないので今回は報告だけする」「あくまで悪いのは遅れてきた生徒、というスタンスで対応する」とのことだった。
同じ会社で隣で仕事しているのに足の引っ張り合いをする、お客様のことを優先的に考えてサービス改善できない(ビジネスといえばそうだが切り詰める所が違うと思う)、先輩との雑談で新しい知識が増えることもなく、ただ自分たちの現状の物を(アップデートもせず)いかに良いものに見せかけられるか、ということしかできない。自分が大学で得たものは全て会社の社員のレベルまで落とさなければならない。
ということがずっと溜まりめまいが始まり適応障害と診断され、鬱も再発してきて眠れない、家事もできない、絵も描けない、PC触れない、という症状がで始めたので辞めました。
会社を辞めると「職を失いました」という証明をするために会社から受け取らなければならない書類がいくつかありました。
・離職票 (退職後10日前後で会社から郵送されなければいけない)
・健康保険・厚生年金保険資格喪失連絡票 (退職日前にもらえるはず)
この3つですがどれも会社側から自動で送られてくることはありませんでした。(本当は連絡入れなくても送られてくるべきもの)
いつまでたっても来ないので辞めたのに上司にLINEして(LINEしか連絡手段がない)離職票と保険資格喪失連絡票は手に入りました。
源泉徴収票はこの時も送られてこなかったがまぁ年度末にはくるだろうと思っていました。(こなかった)
確定申告ギリギリになってもこないので会社のお問い合わせメールから連絡したら、「給与事務課に直接電話してください」とだけメールがきて、電話かよ…と思いながら電話してみたら「辞める時に源泉徴収票が必要だと言われなかったので送りませんでした(しょうがないから送ってあげます)」という感じでまじでギリギリに送られてきた。(困る)
とにかく家に帰りたくなくて、池袋をうろついてた。時間は9時ぐらいで、東急ハンズは閉まってる。とくにこれといって行きたい場所もなく、とりあえずまだ閉まらなそうな理由でゲーセン行った。久々のゲーセン。
ゲーセンの一、二階はクレーンゲームが並んであって、海外からのお客さんが多い印象だった。あと、個人の人がやたらうろちょろしてた。テロの下見かよってぐらいうろちょろしてたけど、たぶんエスカレーター探してたんだろうな。わたしもうろちょろしたから、なんとなくそう思う。
それでクレーンゲームであまり欲しいものがないから三階に行った。三階すごかった。
三階は音ゲーのコーナーだったんだけど、明かりは一気に暗くなって、機械の光が彩っていた。
うわ、やべ、すげ。
まあまずそう思うんだな。だって時間は夜の9時過ぎていて、昼間の喧騒とは空気は大違いなのさ。外はお帰りになる人やお酒を呑みにいこうかなって人がいるのに、ゲーセンの音ゲーエリアは違った。
あの、名前はわからないけど、丸いわっかがあって、そこにボタンがついていて、画面の中央からそのわっかに向かっていくなにかをリズムよくタッチするやつ。それをする機械がずらって並んでるけど、人もずらって並んでるの。空いてる場所がない。
スーツ姿でタタッチしている人もいた。横に三人並んでる。たぶん入社式のあとだと思う。いいな。傍目からも楽しそうで、そのノリ、ずっと忘れないでくれと思ってしまう。
いやまあ、ほんと、すごかった。なんというか、夜ならではの自由な空間がひろがっていた。ディスコとか、そのへんの。一人客が多かった。
ただ音ゲーをするためにきて、遊んでいる一人客が多かった。それがよかった。ほんと、みんな目の前の機械と向き合って、手を動かしている。
なんかむしょうに感動したけど、場違いをどこか感じてしまって、下に降りた。職人さんの世界に学生が入り込んじゃったような気分だった。
給与を貰うと言うことは一人前の大人になるのと同じではないの?
いや、理屈じゃない。ぶっちゃけ、見てて気持ち悪いんだよ。マザコンファザコン見てるようで、気持ち悪い。恥ずかしい行為だと、誰も思わないの?誰も指摘しないの?
入社式だったんだけどさ、同期が出向とか引継ですら読めてなかったのはびっくりした。まだ難しいようなのならいいよ、譴責とかなんだろう〜ってなるし。けど上記のやつは読めるよね?普通だよね?疾病だって普通に読めるよね?大学生だったんだよね?って聞きたくなったわほんと。
胸糞悪くなったのでここで吐かせて欲しい。私はさきほど入社式と研修の初日を終えて、会社の独身寮に帰ってきた新社会人である。
新入社員は50人ほどで、ほとんどが男性。そのうち10人から20人ほどが独身寮に入る。独身寮と言ってもワンルームのマンションのような完全個室である。基本的にプライベートな空間で暮らす。
そんな寮だから、昨日まで同期どうしの交流は皆無で、今日初めて同じ寮に入った彼らと顔見知りになった。
お偉い役員らの貴重なお話を聞くだけの一日だった。まあでも、これでお金が勝手に入ってくるなら楽なものだなと思いつつ、流石に疲れが溜まっていた。
会社側がセッティングした懇親会(つまり飲み会)のあと、同じ寮住まいの同期で帰ることになった。
50人ほどいる同期にはおとなしいタイプが多く、そのためか飲んで騒ぐようなとあるグループが目立っていた。
自分も程々に酒を飲み、酔いを回らせて彼らとも喋り、それに疲れたら違う面々と出身地や趣味の話題で親睦を深める。
そんなやかましいグループの多くは、聞くところによるとほとんど寮住まいらしい。若干憂鬱になりながらも、それでも同期なのだから、仲良くなるしかない。
帰りは、ある程度の距離を置きつつ、彼らの話に相槌を打ちながら帰っていた。
彼らに同調できずにいた同じ寮のおとなしめな同期らは、彼らのあとに続く形で帰り道を辿っている。時々話に参加しようとするが、すぐに内輪ネタ(懇親会でもうそこまで仲良くなったらしい)に戻され、続かない。
懇親会と同様に、私はあまり喋らない彼らに話題を振って、なんとかその場をもたせていた。
きっと口下手なことを自覚していて、それでもなんとか仲良くなろうとしていた。
電車内では完全に喋るグループと喋らない個人という構図ができており、電車を降りたあとでもそれは変わらなかった。
先頭でぺちゃくちゃ喋りながら寮へ向かって歩く彼ら。そしてその後をとぼとぼと追いかける、そのまた彼ら。
そんななか、先頭にいたとある一人が
「後ろにいるやつら、なんで付いてきてんの?」
と叫んだ。いやいやそれはないだろ。
一生懸命仲良くなろうとしているのに。同期だろ?
そもそも、もう大学生じゃない。グループごとに固まって行動する大学生活は終わったものだと思っていた。
さらに、気に入らない人間を排除して自分たちだけで楽しめるような時間は終わったはずだと思っていた。
自分の社会人に対する認識違いかもしれないけど、少なくともそういう発言はいい大人がするべきじゃない。
もう無理だと思って、私はその場から逃げた。近くのコンビニに寄ってくるからとか適当な理由を吐き捨てて、逃げた。正直私も最低だ。
おそらく彼らの中では、突然機嫌を悪くしてその空間を離れた私も同じ軽蔑の対象になっているだろう。
もう明日から会社に行きたくない。正確に言えば、同期に会いたくない。
大学ではグループこそあったものの、学科全体が分け隔てなく気軽に話し合える雰囲気で、とても心地が良かった。あの頃に戻りたい。
同じ大学生という期間を経て、どうしてこうも変わり果てた境遇に行き着くのだろうか。
ああ、出社したくない。
3年前の大学4年生の4月、まだ内定がなかった。同じゼミの就職希望組は全員内定があったこともあり、相当焦っていた。大学内で会社説明会が行われる時は積極的に参加した。5月に最初に内定が出た。自分は内定が出たことにより安堵してそれ以降の就職活動はやめてその会社に行くことにした。
2年前に入社式があり、当時は社内でプログラミングし、何かシステムを作るんだなと漠然と思っていた。だが現実は違った。入社式のあった週の金曜日に大阪に行くことになった。大阪に行き面談し、客先での了承が降りればその会社が勤務先になるのだと言われた。当時は相当混乱した。IT企業に正社員で内定=社内で作業と思っていたのだ。実際に金曜日に大阪のある会社に行き面談を行った。面談で言われたことはCは出来るかということや長時間働くことは出来るかのような内容だった。自分はCに関しては大学の授業でやった程度なら出来ると答えた気がする。それ以外のことは確か元気が無さそうに否定的なことを言った気がする。正直もうほとんど覚えていない。結果その会社に行くことはなかった。
次に別の会社に面談することが決まった。2社目の面談が決まるまでは社内でCの勉強をしていた。面談ではpythonは出来るかと言われた。当時の自分はpythonをやったことはなかったが一生懸命がんばりますと言ったら受かった。2週間後からはその会社に派遣契約で行くことが決まった。そしてここは8ヶ月で終了となった。この8ヶ月間はほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。
次の会社に面接するのは2ヶ月後だった。Androidの開発のプロジェクトに参加するということで、大学の授業でJavaの勉強をしていたのでそこに決まった。だがここで主に行ったことはCentOSの環境構築とドキュメント作成だった。Javaはほとんど使わずに5ヶ月で終了となった。この会社はおそらくSES契約だった。SES契約についてはあとで説明する。ここにいた5ヶ月間もほぼ客先に行き、自社に行くことはなかった。
3社目はC#を使う会社だった。小規模な社内で使うツールを1から開発するというプロジェクトで技術者的に成長できるだろうと思っていた。このプロジェクトも客先での作業だった。ここで作業していて最初は忙しかったが、段々他の人の作業を待つことになり時間が出来た。時間が出来た結果、帰属意識を考えるようになった。自分はいったいどこの社員なんだろうと。自社の正社員なのだろうけど、実際に行く会社も違うし、指示を受けるのも他社の人で自社との関わりは数カ月に一度様子を見に来るのだけだった。
ここのプロジェクトに参加したときにプロジェクトの説明が書かれた紙を渡された。その紙のあるところにSES契約と書かれていた。自分なりにSES契約について調べた結果、派遣契約をせずに派遣として他社の社員を使うものなのだろうと判断した。正確にはみなさんの自身の手で調べてほしいと思う。そしてこのIT業界では殆どのプロジェクトでこのSES契約が使われていることを知った。
3社目も5ヶ月で終わった。
4社目はJavaを使い、大規模システムの一部機能の開発を行うことだった。2社目と違い、本当にJavaのしかもかなり難しい知識が必要となり、かなり勉強になった。だが、ここもSES契約で客先での作業だった。この頃になると自分は自分の働き方に嫌気がさしていた。正社員で入社したのに実質派遣という。同じフロアの別の人を見れば正社員で、しかも客先常駐せずに働けているのに何が違うのだろうと。結果は自分の入った会社が間違えていたのだと知った。そのため今月で辞めた。
ここで一つ謝らなければならないことがある。タイトルにはIT企業をやめた話とあるが、正確にはSES企業をやめた話である。IT企業をやめた話にしたほうが沢山の人が見てくれると思うからこのタイトルにした。
この業界にいたからわかるのだが、SES契約をメインの事業として収益を上げるのと、自社システムを開発して製品として売るのではまったくビジネスモデルが違う。SES契約のメインの事業は単なる派遣である。だがITに詳しくない人(別業種)からすれば全てIT企業として統一されてしまうのである。
自分はプログラミングが好きだから約3年間働くことが出来た。だが、同じ業界で自分と同じ状況で働けなくなった人を何人も見てきた。今SES契約メインの会社で働いている人は本当に今の働き方(派遣のような働き方)でいいのか考えてほしいと思う。
今大学生でこれからIT系に行く人は自分と同じ目に合わないでほしいと思う。実質派遣なので勤務地はコロコロ変わる。3社目からは通勤時間が片道2時間を越え、まともに睡眠時間を確保することができなかった。通勤時間が長かったのもつらかったが、それ以上に暇なのがつらかった。客先での作業を例えばその月の10日に終えたとして次の案件が来月に始まるとしたらその間ずっと放置である。さらにその上に日報や週報の提出を求められれば何も書けないのである。それ以上につらかったのが、PCが用意されていなかった時である。その会社のプロパーの作業用PCの申請が遅れた結果、プロジェクト開始と同時にPCが用意されておらず、PCが無いけど定時まで客先にいてくださいと言われた時はほんとうにつらかった。PCがなければ何をしているかというと虚空を見つめるだけである。それがだいたい三週間続いた。
プロパーといえばIT業界ではプロパーはまったくプログラミングが出来ないと言われているが、自分の印象では半々が出来て、半々が出来ないという感じだった。おそらくこれはIT業界の多重下請け構造のどこらへんに客先常駐するかで変わると思う。この業界にいて未だに分からないのはプロパーはSES契約で来ている人に直接指揮命令している人って偽装請負ってわかっているのかそれとも偽装請負と知らずに指揮命令しているかってことです(本人達に聞く勇気はさすがに無かった)。自分がもしプロパーで偽装請負って知っててSES契約で来てる人に直接命令したら多分罪悪感で潰れてしまいそうと思った。