はてなキーワード: 白髪とは
・潜在的過労
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・数回にわたる下血
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・入院したものの継続受診はしないらしい、精神科受診するつもりもおそらくない
↓
https://www.jfa-fc.or.jp/particle/61.html
https://www.jfa-fc.or.jp/form/form.php?cmd=form&eid=9
→過労死110
https://karoshi.jp/prevention/index.html
→コンビニ加盟店ユニオン 問い合わせ窓口(議員個人??)
https://www.cvs-union.net/p/19/
→弁護士ドットコム 「過労死 フランチャイズ」4件のうち1件
https://www.bengo4.com/c_1015/c_1873/c_1875/b_284023/ 社長
https://www.bengo4.com/c_1015/c_1878/c_1510/b_560961/ 違約金→答えがない
なんの関連もないがふとおもいついてググったページ
https://www.lawson.co.jp/company/fc/faq/
A経営の主体者はオーナーです。休みを取得することは十分に可能です。定期的に休みを取るためにはクルーを育成し、仕事を任せていくことが大切であり必要です。
個人の感想
俺もIBSなったりしたからわかる
白髪爆増え
個人の感想2
うつ気味で夜しか起きられず昼起きていられないひきこもり若者でもできるのならそれをオタッキーなネット経由でこっそり求人したほうがよいのでは
てかいつのまに命より大事なものがお店になっちゃったんだなあ 昔はエロゲっていってたのに 大人だけど60までは子供にもどれよな
彼の帰りを待ち続けて、幾度目かの夏が来た。
もう二度と、会えないことは知っている。
当時高校生だったわたしの前に颯爽と現れた彼は、いとも簡単にわたしの心を奪っていった。
年上の彼は、まだ未成年で世間知らずで若さ・可愛さ・勢いだけが売りの女子高生からのアプローチには目もくれず、
「何の仕事をしているの?」
と聞いたことがある。
「街の雑務だ」
と言われた。
その時は「お役所の人なのかな」と思って特に追求しなかったけど、多分違う。
ただ彼は、いつか小説を書きたいと言っていた。
わたしも、本を読むことは好きだったので、
「書いたら一番に読ませてね」
衝撃を受けた出会いから一転、わたしと彼は穏やかな日々を送っていた。
客観的に見たら可愛らしい、主観的に見たら両手で顔を覆いたくなるようなアプローチを続けていた。
彼はそんなわたしに動じることなく、否定も肯定もせず、いつだって静かに見守り、そばにいさせてくれた。
彼の、そういうところが好きだった。
彼は少し変わっていて、不思議な人だった。
彼の仕事もそうだけど、例えばものすごく辛いカレーが好物で、行きつけのお店には彼専用のメニューがあったりだとか、
真顔で冗談を言ったりだとか。
母もそうで、父と結婚当初、いつものように甘口のカレーを作って食べさせたら、
普段辛口のカレーばかりだった父は口に合わず戻してしまった、という話を聞いた。
笑いながら聞いたら、
「飲み込むよう善処する」
と、ちょっと困ったような顔で言っていた。
「ひとくち食べてダメだったときのために、後入れスパイスを用意しておくね!」
「助かる」
3年生の夏、進路の相談をした。
正直わたしは、この恋を取るかやりたいことを取るか、悩んでいた。
好きな歴史の勉強をしたくて、その中でも学びたいことを学ぶためには関西のとある大学に行くのがベスト。
だけど関西となると、新幹線や飛行機で一本とは言え、地元にはそう頻繁に帰れない。
彼に会いたいと思えば、連絡せずとも街をぶらつけば会えてしまうこの現状を棄てるのはもったいなくて、
だけど妥協して別の勉強をするだとか、そういうことはしたくなかった。
「自分の思うように、後悔しないようにすればいい。俺はここにいる」
彼はそう言った。
最後のはわたしを宥めるために言わせてしまったのかもしれないけれど、
言外に「待っている」と言われたようで、舞い上がってしまったのを覚えている。
彼の、そういうところが本当に好きだった。
連絡するとしたらわたしからばかり、それも電話ではなくメールだったので、ケータイの画面を5度見位はしたと思う。
あわてて通話ボタンを押すと同時に彼がわたしの無事を確かめてきた。
「今どこにいる」
「家にいる」
「一人か?」
「うん」
「わかった」
初めて聞いた、彼の切羽詰まった声。
正直、何が何だか分からなかったけど、彼が来てくれる、それだけで安心できた。
彼はわたしの家に着くと、再度わたしの身に何も起こっていないかを確認し、誰かへ電話を掛けた。
多分仕事先の人だろう。
あまり聞かないように、かつ気が散らないように、わたしは静かに大人しく彼のためにお茶を淹れた。
わたしも、無理に聞かない方がいい気がして、黙ってお茶を差し出した。
彼は何かを考えているようだった。
多分、わたしへ何かを、何と伝えようか、考えていたんだと思う。
そう言って受け取ったお茶を数分かけて飲み干した彼は、窓から外を確認し、静かに話し出した。
「俺は、やらなくてはならないことがある」
わたしは黙って聞いていた。
「ずっと、小説を書きたいと思っていた。そのために、今の生き方を選んだ」
当時のわたしには分からなかったけれど、今になって思うとあれは、覚悟を決めた目だった。
「だが、……それはもう、出来そうにない」
直接的な表現ではなかったけど、彼にはこの未曾有の事態の中、夢を、約束を棄ててでも、やらなくちゃいけないことがあるらしく、
それをわたしには止められないことだけは、確かだった。
「ここは大丈夫だ。後悔の無いように生きろ」
頷くことしかできないわたしの頭をひと撫でし、彼は立ち上がった。
「……待ってる」
何か言わなくちゃと、伝えたいことはたくさんあったのに、絞り出せた言葉はこの一言だけだった。
彼は少しだけ目を見開いて、それから、「行ってくる」とだけ言って、出て行った。
彼がどこへ、何をしに行ったのか、結局分からずじまいだった。
彼がどこかへ行って10日後、彼の友人を名乗る青年が、わたしを訪ねて来た。
その人は、彼より幾分か年下で、わたしより幾分か年上だった。
そう言ってその人は、彼がよく吸っていたタバコと、愛用していたジッポライターをわたしの手のひらに乗せた。
「『約束を守れなくてすまない。君が作った甘口カレーを、食べてみたかった。どうか幸せになってくれ』と、言っていた」
無表情に見えるその人もまた、彼がいない事実を辛く思っていることは明白だった。
努めて表情を消していることも。
わたしとその人は、しばらく黙ったまま空を見上げていた。
何も言われなくても分かっていた。
何も言わなくても、きっと通じていた。
わたしも、彼の友人も、誰も「彼が死んだ」とは明言していない。
明言していないだけで、それが事実だということも、分かってはいる。
だけど、それを口にしたら、それが確定してしまうような気がして。
言葉にしなければ、きっとどこかで……なんて、絶対に無い奇跡を、今もまだ願わずにはいられないでいる。
一つの区切りとして、数人しか知らないこのことを、この匿名の日記に記してみた。
婚約者は全てを知っている。
知ったうえで、わたしを好きだと言ってくれて、彼のことを忘れられないまま好きになってしまったわたしを愛してくれた。
「忘れる必要はない」
「その人を好いていた気持ちも含めて、君の全てを愛している」
こんなに良い男がわたしの婚約者だなんて、わたし自身も驚いてはいるけれど、
この人と生きていきたいと思った。
後悔の無いように生きる。
それは思っていたより難しく、実際にわたしはあの時にわたしの気持ちを伝えられなかったことを一番に悔いている。
それでも、彼の願ったことだから、出来る限り精一杯、堂々と、自信をもって今に至っているつもりだ。
わたしは今も、帰ってこない彼を待ち続けている。
婚約者の隣で、彼のことを待っている。
そして伝えたい。
哀しくて、苦しくて、辛かったけど、婚約者と幸せに生きたのよ、と。
きっと貴方は、「それは良かった」と微笑んでくれるでしょう。
彼と、婚約者。
わたしの大好きで大切な人が2人揃ったら、それはきっと素敵な世界だ。
この嘘のような話は、ところどころフェイクを交えている。
匿名で、そもそもこのことを知っている人が限られているとはいえ、全てを赤裸々に全世界へ発信するほど愚かではないつもりだ。
おそらく、10年以上前とくらべて私は明らかに右傾化している。もともとはもっと中道左派よりだったと思う。いまは多分、中道右派寄りだろう。もちろん、安倍さんアホやなぁ、統計不正はまずいなぁ、と思いつつも、なんだか強く糾弾する気が起きないのである。まあこのまま自民党でいいんじゃない?と思う。そんな些細な問題より、おしどりマコを擁立する立憲民主党には、何が何でも滅びてもらわないと困る。サイエンスに対する重大な挑戦だからである。
なんだろうこのわたし右傾化問題。科学者は通常リベラルなのでは?
たぶんこれは、はてぶをいつも読んでいるからなのかなぁと思いつつある今日この頃なのである。
はてぶは、やはりだいたい二極化の傾向がある。
ネトウヨはバカっぽい。だいたい田舎のヤンキーみたいな家族と地元大好きな人たちからなるマイルドな主流派と、引きこもりの過激派からなるだろう。後者はともかく、前者は幸せな人たちだとは思うんだよね。
はてサは怖い。大勢は、色あせた服を着て、帽子を目深にかぶって、眼鏡の奥には焦点の定まらない瞳が見えるような、デモ隊によくいるような人のイメージ。そして正義の名の下に、悪を糾弾する闘争を行う。たぶん、50年前にはそれで良かったと思うんだけど、いまの先進国化した日本では、もっと清潔でスマートな方がいいと思うんだがなぁ。とはいえ、当の50年くらい前の時代感のある文書を読むと、あの時代の反体制派は、あの時代の中で、割とスマートだった部分もあるように感じるんだ。もともとアピアランスに興味がない、というよりは、単にout-of-fashionedなのかねぇ。あとはなんか、少数派だがオピニオンリーダーである、妙に怖い目をした、歯の抜けた白髪の学者さんとか。全体的に知性的なイメージだが、その知性を鼻にかけている感じ。
はてサのほうが描写が細かいが、そのように、私も私をはてサ側だと自認していたしよくわかっているつもりだったのだが、最近、どうにも、あの強烈な罵倒的な口ぶり、そして、反科学主義(私から言わせればこれは知性に対する挑戦そのものだ)が許容できなくなってきた。
自分は政治活動をして人生を終わりたい気は毛頭なく、個人として幸せに生きていたいわけなのだ。そうすると、前者の方が魅力的ではある(引きこもりは除く)。
これでいいんだろうか。
当方理系の学者であるが、海外の会議の後のバンケットとかで、向こうの人と会話している分には、なんだかシャレオツにリベラルな会話をしていてなんだか楽しいんだけどね
トランプと安倍は同質だろうに、海外ではトランプを笑い、国内ではまあ安倍でいいんじゃない・・と言っているわけだ。
自己矛盾である。だけど「アベガー」の反科学主義にはもうついていけないんです。
自己分析中ではある。
このどうでもいい私文書を最後まで読んでしまい、貴重な時間を無駄にしてしまった皆様にはお詫びいたします。どこかに吐き出したかったのだ(実生活ではリベラル寄りの発言をしています)
将棋ファンなら知っているであろう升田がGHQに乗り込んで論破したって有名なエピソードがあります。
Wikipediaにも載っていた。
終戦直後、日本を統治していたGHQが、「将棋は相手から奪った駒を味方として使うことができるが、これは捕虜虐待の思想に繋がる野蛮なゲームである」として禁止しようとした。将棋連盟の代表としてGHQと相対した升田は「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームである。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。
升田といえばショーマンシップ溢れる男だったから、「白髪三千丈」的な誇張されたエピソードに過ぎないのかもしれない。
ソース知ってる方いたら教えてけろ。
ヘアアレンジに憧れて、結婚式をしたあともロングヘアーをずっと切らずキープしていた。しかし、あまりにも不器用過ぎて複雑なヘアアレンジができなかった。編み込みとか意味不明。一生懸命練習したけどモノにならず。
しかもロングヘアは乾かすのに時間が恐ろしくかかる。カラーリングで髪が痛んだからか一時間くらいかかっていた。バカみたい。
その後、急に髪の毛を切りたくなりショートにした。
結婚式のときはロングヘアだったから、イメージが変わって驚かれて、しかも誉められた。
印象が良くなったらしい。
パーマをかけたり、カラーリングをしたりしたが、今はストレートワンレンショートヘア。しかも黒髪で毎日めちゃくちゃヘアケアが楽だ。年齢的にまだまだ白髪は生えないのでカラーリングの必要もなし。このまましばらく黒髪ショートを楽しんでいこうかと思っている。
しかし、田中亜希子さんのように色んなヘアアレンジを楽しんで、アクセサリーも服もこだわっておしゃれをすることに強い憧れがある。
そういうおしゃれができる時間も有限で、年齢を重ねれば髪の毛から艶がなくなり、見苦しくなって必然的にショートヘアしか楽しめなくなってしまうときもいつか来るだろう。
髪も老化する。老化した髪の毛を伸ばしているのは見苦しい。
いつかヘアアレンジを楽しみたいと思い続けて、もう自由にヘアアレンジを楽しめない年齢になってしまうことが恐ろしいけど黒髪ショートヘアが経済的だし楽すぎる。
30代半ば。女。剛毛。
髪の毛も体毛もとかく量が多く太く黒い。ヒゲもある。処理は特にこの時期、毎日。
量の多寡に関わらず、毛に悩む人は多いのでは。昔から女で集まると、孤独死と毛の話が必ず出る。
だから10年くらい前、20代半ばの頃か、ミュゼなどの手軽な脱毛サロンが出来始めた時、私は真っ先に駆け込んだ。ちょうど働き出してお金も自由に使えるようになったしね。
脱毛は毛周期に合わせて3ヶ月に1回。処理をした後つぎの予約を取るんだけど、3ヶ月も経てば急な予定が入ったり、生理周期が変わったりで(生理中は処理できない)予約を取り直すんだけど、それがまあ、とかく取れない。取れても3ヶ月後からさらに1ヶ月後とか。
店舗ごとの紙台帳管理だったし、店舗が少なかったから、今月はこっちの店舗で〜みたいなのがやりづらかった。
ちなみにその頃は脇とか腕とか脚とか、外に出る部分を綺麗にしたかった。
そうこうするうちに結婚、出産、育児と、脱毛どころではない日々に突入した。
赤子を風呂に入れながらの毛の処理は非常に難しく、「江古田ちゃん」作者が出産前に脱毛しておいてよかった!という育児エッセイを読んで、私もやっておけばよかったーと後悔した。
が、しかし子育て中に脱毛サロンに行く時間を確保するのはさらに難しい。
これ、自分が介護される時には毛がプラスされるんだよなー、と。
正直ツルツルの状態でも大の処理は大変だ。
私はVIO全てジャングル。奥深く、入り組んだところもジャングル。年老いてある程度衰えたとしても、国有林くらいは余裕で残るはず。
これで大人量の大が絡まった日には…。
申し訳なさすぎて、私はすぐにVIO脱毛の検討を始めた。正直あの痛みが粘膜に…と思うと物怖じするが、介護する人のことを思うと処理一択だ。
そこで調べていくうちに目にしたが、処理をしても、ホルモンバランスが変わるとまた生えてくることがある、とのことだった。
子どもはもう産まないのでその点では心配ないが、30も半ば。つぎのステップが見える。
まだ早いか?いやいや、ここ近年の年が経つ速さを考えれば、10年20年はあっという間だ。
せっかく処理してまた生えてはもったいない。だったら閉経を待ってから処理してもいいのでは…
そんな話をしたら友人(年上)は言った。
「逆だ!下の毛は早いうちにしないとダメだ。脱毛器は黒い色に反応する。すなわち、白髪には反応しないんだ!」
下の毛の、白髪!
至らなかった。超、至らなかった。
髪の毛にちらほら白髪が混じれど、まだ下の毛の白髪はなかったから。
そうかー、VIO処理にはタイムリミットが…と思ったら、早々に処理する決心ができた。
やはり年上同性の情報は貴重だ。
40までに処理をしよう。
あの明るい部屋であけっぴろげるのかーと思うとやはり羞恥心はあるが、さらに先、さらに多くの人の目の触れる可能性があると考えるとここでどうにかせねばなるまい。
10年前のように、見えるところの毛をどうにかしたいと思っていた頃から、問題はどんどん内面にシフトしてきている。
VIO処理も大切だけど、オムツの処理をしてもらわずに済むような健康づくりも必要だよな、と、ハッピーセットを頬張る子どもを見ながら思う。
うちの親は昭和時代でいうチンピラだった。ムカついたら人を殴り、家族だろうがおかまいなし。
子供の頃は、窓から外に投げ捨てられたこともある。外は砂利道で尖った石とかあって、体中傷だらけになった。
そういう親だったので、我が家の財政事情も借金まみれ。俺がバイトできる年齢になった途端に俺に金をたかるようになった。
クレカが作れるようになってからは、俺のカードを満額まで引き出すような親だ。
そんな親が嫌で実家を20代になってから早々に出ようと計画していたが、俺がいなくなると矛先は他の家族になる。
いつだったか、まだ夏に入る前に家族が「将来があるのにこんな家でごめんね」って謝られた後に一人暮らししなさいと言われた。
出てったら、暴力は一人だけに向けられる。それじゃ救われないけど、結局家を出ていくことになった。
一人暮らしを始めて、1年ちょい経って正月明けの仕事始めの日に家から電話があって、親父が倒れたと連絡があった。
脳梗塞だった。
動けない方がいいのかもしれないなと思う自分がそこにいたんだけど。これが甘かった。
ろくに動けない奴が人にあれこれ指図するのだ。
自分の気にいらない事があれば、他人を言葉にならない言葉で罵倒する。
脳梗塞なので興奮するのはいけないという事でなだめるようにしてきたが、それでもやっぱり腹が立つ。
子供の頃からDVで辛い思いをして、バイトができるようになってからは金を搾取され、挙げ句にカードで借金まみれ。
支払い義務は俺にあるわけで、俺がずっと払ってきた。
体中に痣を作っても学校では暗い顔もできないし、バイト先でも暗い顔もできないし、
そんな状況に、この男はまだ苦しめようとする。
だけど、施設は金がかかる。福祉を通しても金はかかる。うちは貧困な底辺家族だ。
それでも一度入れてみたが、結果はワガママと罵倒などで施設としてもお断りをしたいと言ってくる始末。
結局、自宅での生活になった。
テレビを見たくともチャンネル権は親父が管理する。これってかなり笑っちゃう話だが子供の頃からずっとそうだ。
別室にテレビを構えたことがある。そうしたら、不機嫌になり暴力的になった。
自分の見えないところで、そういう行動をしているのが気に入らないらしい。
介護が必要になっても、ワガママを通す。役所の福祉職員も苦笑どころか、嫌がる有様。
昨今になって親父の尿意が近くなった。男がなりやすい前立腺肥大だ。毎日尋常じゃない回数のトイレを求める。
寝られない日々が続く。
俺の今の仕事は主に夜の仕事がメインになっているので、夜は強いのだが昼間は寝ないとさすがに辛い。
それなのに帰宅すれば眠れないほどの状況だ。俺の睡眠時間は次第に減った。
最近はふらついて力が入らないようになってきた。それでも仕事は休めない。
これがまだまだ続くと考えると…子供の頃から縛られ続けて20代で解放されることもなく
結局、40超えても縛られている。結婚は諦めた。いい人はいたけど若い内から介護は考えたくないと言われて別れた。
俺はこのまま50、60と年老いていく。
もしかしたら50代で死ぬかもしれない。下手したら今年には居ないかもしれない。
人生なんだったのだろうかと思うことが増えた。
今は、若い人なんか年金がもらえそうにない辛い時代だ。自助しろとか言い始める国にくそったれと言いたい。
俺は40超えておっさんだから、若い人の気持ちは今ひとつわからんけど…正直、なんで年寄りの楽を若者の苦労で補う必要があるんだ?と疑問に思う。
介護も20年近くやってきて思うけど、こんなん若者にやらせるものなのかよと。
俺はこれが続けば、50超えても60超えても介護が待っている。
介護歴30年とか40年とか笑っちゃうよな。なんだそりゃ。仕事歴っていうなら分かるけど、そうじゃないんだもの。
本当辛い。
なんだろうな、人生ってなんだろうな。
愚痴ばっかりですまん。
昨日は体調不良でいつもより遅めに出社。これが電車でクソみたいな展開になった。
疲れ果てて一般席で寝ていたが、足元が何かに小突かれる感触を感じた。
多少混雑していたから、ぶつかるのは仕方ないと思っていたが・・・あまりにもしつこい。
びっくりして目を開けると、白髪でスポーツ刈りをした60前後の女性が物凄い形相で睨みながら自分を蹴っていた。
首にスカーフを巻いていて、同年代くらいの連れの女性もいた。これからマダム同士でランチといった感じだ。
なにか話しているようだったので、耳栓代わりに付けていたイヤホンを取ってみる。
「譲れよ。 ほら、譲れよ!」
付き添いの女性と楽しく会話している感じで、こちらには気付いていない。
そうか、俺に席を譲らせるためにこいつは何度も蹴って起こしてきたのか。
止める気配がなく、最初に気付いた時点から数えると10回以上は蹴られてた。
高齢者が若者に席を譲るようにキレる、というのはネットの記事でもよく目にすることがあったが
譲らせるために、他人に善意を強要するケースをまさか体験するとはな。
普段、一般席でも混雑時に気付けば小さな子どもや高齢者に席を譲ることはあったが、
具合が悪くて気付かないとき、譲れないくらい疲弊してても容赦なく責められるのか。
一瞬のスキも許されない。
具合が悪いことを伝えても話が通じなさそうな相手だったので、