はてなキーワード: 大黒柱とは
東京とかに密集して暮らし、家事の分担で喧嘩し、子ども預けて育てんのも一苦労じゃ。
わしは大黒柱が二人分稼いで仕事と家とを分業で守っていくんがええと思っとる。
嫁がバリキャリで働きたい言うならええが、派遣で二束三文で働いてた事をかんがえるとよっぽど贅沢な暮らしができとるし、わしも稼いだ金を使う暇もない荒んだ私生活から解放された。
じゃから最近はバリキャリの女性を支える男性がおってもええと思えてきよった。
フレンズはそれぞれ得意なことが違う。
ええ言葉やと思う。
お金を稼ぐのが得意なフレンズがお金を稼ぎ、家事が得意なフレンズが家事をする。
4年前、妻が家に入って子供が小学生になったのを期にコミケにサークル参加したいと言い出した
妻はWEBマーケティングの会社でイラストレーターをしていたが、女性ということでキャリアアップも見込めないし
俺もそこそこ稼ぎがあったんで家庭に入って子育てに専念してた
当時の後輩の女性が上司のセクハラで会社をやめ、同人作家デビューしたところ、まぁまぁの行列を作ってると聞いて
冬はさすがに親戚付き合いがあるから無理なので、バカンスを兼ねて夏ならいいよ というと
妻は水を得た魚のように絵を描き、数ヶ月で20ページちょっとの漫画を書いてコミケに参戦した
1年目は控えめな部数を持っていったようだが無事完売
その後も倍倍に部数を増やしていったが常に完売 3年目にしてついに売上が俺の夏のボーナスを越えた
我が家ももはや妻の夏の収入は無視できず、夏のバカンスは常に東京(福岡住み)コミケ参加の日は娘の面倒は俺が見る
娘は最初はディズニー 翌年はシーと喜んでいたが、ついに今年はパパと二人のディズニーはもうやだと言い出し
今年はなんと自分のバカンス費用を現金で要求し、東京には行かず一人俺の実家に行き婆さんと温泉に行くといいだしたww
俺としてはむちゃくちゃショックだが、ババアはその話を聞いて電話先で咽び泣くほど喜び了承
こうして妻のコミケ参戦で一番のネックだった子供を同行させる問題は片付いてしまった。
親戚付き合いが解決してしまった今、冬も参加したいといい出したら止める理由がない
金が入って妻もいきいきとしてるので文句は無いんだが、これでも一応コツコツとキャリアを積んで
4ケタ万前半の稼ぎがある大黒柱をやってるつもりだったが
いつしか「経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。
アベノミクスの大黒柱である日本銀行の異次元緩和はお札をどんどん刷って国債を買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。
思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。
希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札「マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。
政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。
だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である。
そこで疑問が浮かぶ。ゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。
その間、日本のミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。
若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。
スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能の機能となると、25年前ならSF映画の世界の話だった。
ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産(GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。
そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクスの思想である。
人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。
実は、いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代の大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。
昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁の内閣府に日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。
きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部の意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。
数字ひとつで財政や金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。
世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代に英国、米国で大恐慌の対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDP』ダイアン・コイル)
一般的には1760年代の英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代の世界の成長を人口や歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。
その理由を投資理論家で歴史研究家のウィリアム・バーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度や資本市場が整い、迅速で効率的な通信や輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデアを評価する文化や制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。
社会思想家の佐伯啓思・京都大名誉教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」
冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界や弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。
1970年代初頭、世界の科学者や経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書『成長の限界』は、経済成長を謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。
いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。
佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題の重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争や格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。
紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国のイングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正で中央銀行に進化した。
つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。
いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックでマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。
サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国は簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。
日米欧の中央銀行はまるで自分の存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和、マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。
「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身で金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。
中央銀行が政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金の価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事だからだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行に独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。
経済史の泰斗である猪木武徳・大阪大名誉教授は、成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近の政策に異を唱える。
「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」
成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのものの役割が変質してきたからだ。
「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近は国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」
主要国の成長戦略、金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層、低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。
19世紀の経済思想家ジョン・スチュアート・ミルはゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学は事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。
むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。
四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。
博報堂生活総合研究所の定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さらに身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。
同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。
いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。
成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人)
元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
ブコメ: http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
女が男と同等、むしろそれ以上に稼げるっていうなら大黒柱になっても良いよ。別に。
しかも、この話で言ってるのは「稼ぎが少なすぎ」って言ってんじゃん。
なんで一本化しろって話になるわけ?話違うわ。
所属アイドルに子どもたちの目標になり得るような厳しい規範を求める代わりに若いうちに解散した。
アイドルとしての硬い殻を破って俳優なりタレントなり普通の人なりになるためのいいイメチェンの機会にもなった。
だいち、皆若かったよね?
すぐに結婚して大黒柱にならないといけないような感じでもなかった。
その点も考慮されるべき。
(ただ勿論アイドル時代に金銭感覚が一般人とは違ってしまうための悲劇も山のようにあったとは思う。
子役だった人なんかでよく聞くように、
家族皆の金銭感覚がおかしくなって、子役として売れなくなったら忽ち貧乏になることもあったのは、
昔輝いていた子役さんを知ってる身としてはとても悲しくなる話である。
私があまりよく知らないだけで同じようなことは起きているのだと思う。)
さて話を戻して、
期間が短いからこそ
恋愛がご法度、ファンの皆さまが恋人です、という理屈も成り立ちやすかった。
(昭和の大俳優、大女優の中には一生を芝居に捧げている方がチラホラいらっしゃるが、あくまでもその方御本人だけの決断で、俳優さん、女優さん、全員が同じ結論を出しているわけではない)
一方、今はいい大人をいつまでもアイドルグループとして拘束してる。
その点は某も少しずつ変わっていってるんだなぁと思う。
ただそれだけに。
某をやめたときに冷却期間置いたら駄目なんだよ。
家庭を維持しなきゃいけないじゃん。
最近は某にいても本格的な俳優業ができてる人もいるし、キャスターしてる人もいるし、いろんな人がいるよね?
某でやったことが青春の1ページではなくてキャリアになってる。
キャリアだったら某をやめたらすぐ活動開始しないと不味いよね?
そのあたりが某とまわりの業界人の間でギャップになってきてるんじゃないかな?
一体いくつだ?
昔ながらのお触れなんて出していい年齢でもないでしょ?
もう教育期間の元も取れてるでしょ?
彼らが某をやめる直前にやってたことって、
違うよね?
昔も今も皆が憧れている某がやっていいことじゃない。
某がプロデュースしてることも変わっているんだから、そういうとこも変えなきゃ。
いちファンとして某にはそういうことをわかってほしいと思ってる。
それとも公開処刑のようなことまでしちゃったくらいだしもう手遅れ?
そうは思いたくない。
まだまだそちらの建物の中には大切な失いたくないアイドルがいっぱいいる。
もしもう手遅れなら…
今の歪んじゃった某だと、彼らを脱出させたら番組も潰しちゃうんだろうな。
某の持ってる資産がどんなものなのか、某自体どこまでわかってるんだろう。
(日本には古来から続く老舗と呼ばれるお店や伝統芸能と呼ばれるものもある。
そこで守られているものは、お店やその家だけのものではなく、残すための努力を日本全体で支援してたりする。
いい番組っていうのはそれに近いと思うんだけど、どうだろう?)
上の人たちの胸にしまってる思いってのも聞いてみたいなぁ。