はてなキーワード: 中学生とは
中学生の頃、一個下の後輩の女の子と付き合ってたんだけど、近所の神社の本殿で毎日セックスしてた。御身体の裏で、上は体操服かジャージ着て下だけ脱いで手早く済ませてた。田舎の寂れた神社だから人が来たことはなかった。狭いし床が埃とカビだらけで、立ちバックか向かい合って立ったまま挿れるしかできなかったけど最高だった。ゴムもしないで毎日やりまくって中出しして、よく妊娠しなかったなって大人になってから思った。小さい頃に感染した病気のせいで俺に生殖能力が無かったのを知ったのは、大学時代から付き合い始めた元妻と結婚して、不妊の検査してからだった。
モバゲー小説を読み漁る中学生だったとき、ケータイ小説の中になぜか嫌韓のなんかがあった。
ネットの韓国叩きもよく目についたし、テレビも中国や韓国は迷惑な奴らみたいなニュアンスがあったし、目覚める素質はあった
あの「自分は間違ってない」「絶対正義の立場」みたいなものに完全に酔ってしまった
徹夜で興奮状態のまま、学校で友達に興奮しながらめちゃくちゃしゃべりまくった
そこで友達になんか言われたんだけど覚えてない。覚えてないけど、めちゃくちゃ自分が恥ずかしくなって急に頭が冷えてやらかした〜〜と思った。
小学校低学年のとき、図書室で大判の本で絵本と小説の間くらいの本があった
そのあと小説でグリム童話とか読んだし、ラングのいろの童話集も夢中になって読んでた
当時はまだラノベちっくなのも少なかったし
もう20年ちかく前なのにいまだに覚えてる
両方とも子供がみる夢みたいな意味不明で不気味な世界観でふわふわして不思議な気持ちになって好きだった
高学年のあたりから青い鳥文庫を読みだして、夢水木喜朗とかパスワードシリーズとか読んでた
中学生になって友達からドラクエのノベライズでたぶんはじめてラノベをよんでそこからさらに別の友達にブギーポップ歪曲王からのキノの旅でもう俺の純粋な世界は終わってしまったけど
小学生のとき、日韓ワールドカップでサッカーというスポーツを知る。この頃はサッカーといえば代表戦だった。どこの国が好きか。ブラジルが強豪国のイメージそのままに優勝した。
中学生のとき、ロナウジーニョという特別な選手を知り、バルセロナというクラブチームで毎週のように特別なプレーをしていることを知る。初めてクラブチームというものを意識した瞬間だった。ドイツワールドカップではロナウジーニョのいるブラジルが敗退してしまい、とてもショックだった。
高校生のとき、バルセロナでは確固たる監督哲学と卓越した選手技術の融合した革命的なサッカーが誕生していた。それはどう見ても毎日の練習の中で選手の頭と体に浸透し、育まれたものだった。クラブのサッカーの魅力と、サッカーにおける監督の役割を初めて理解した。ちなみに規律に従うのが苦手なロナウジーニョはクラブから追い出されていた。
代表チーム頂上決戦のワールドカップは四年に一度。それに対し、クラブチーム頂上決戦と言えるチャンピオンズリーグは毎年開催される。初めは毎年開催なんて薄まる感じがして懐疑的だったけど、毎年毎年信じられないくらいの激戦が繰り広げられる。一年でクラブのカラーががらっと変わることもあり、毎年開催の意味もよくわかるようになった。何より、シーズンを通して、もしくは何シーズンかかけて練度を高めていくクラブサッカーの魅力に取り憑かれていくようになった。
それから2010年、2014年、2018年、と3度のワールドカップがあった。日本代表は浮き沈みはありながらも躍進を続け、実力と地位を向上させた。自分含め、国民のサッカー熱は上昇の一途だったのではないか。
一方で、自分の中でサッカーにおける代表チームというものへの熱は次第に下がり、クラブチームについては上昇を続けた。クラブのサッカーは毎日の練習の積み重ねの賜物だ。しかし、代表チームはたまたま同じ国に生まれた者の寄せ集めの場当たり的サッカーでしかない。そんなものに価値はあるのか。いつしか自分の中で、代表チームはサイドコンテンツという認識に変わっていった。
リオネル・メッシは初めて見たときからいつもマラドーナと比較されていた。輝かしいクラブ・個人タイトルを手にしたキャリア晩年の近年もなお、ワールドカップを獲れていないという理由でマラドーナに劣るという声があった。寄せ集め代表サッカーのお祭りよりもクラブでの活躍やタイトルの方が価値があるのに何を言っているのかと思っていたが、それでもなおマラドーナ派には無視できない熱気のようなものを感じていた。
先日終わった2022年ワールドカップ。そのメッシがついにワールドカップを獲得した。エース兼キャプテンとしてアルゼンチンを引っ張り、決勝で感動の3点目をあげ、見たことないほど守備に走ったメッシ。彼は、誰の目から見ても明らかに、ワールドカップを獲るためにあそこに来ていた。
表彰台で優しい目をしながらトロフィーに二度キスをしたメッシ。その表情からは、彼がいかにそれを望んでいたのか、その悠久の時間を想像させた。
メッシだけじゃない。モドリッチもネイマールもロナウドも、誰もが認める偉大な選手達がこぞって本気になり、涙を流す。「代表チームなんて負けても仕方なくない?だって練習してないのだから。」なんて思っている選手は一人もいない。皆が渇望し、それがまたワールドカップの価値を肥大化させていくのを感じた。それは決してサイドコンテンツなどではなかった。ワールドカップはただのお祭り、などと蔑んでいた自分は今大会で打ちのめされることになった。
でも、なぜ特別なのかがわからない。誰かわかる人は教えくれ。国のためだから?四年に一度だから?いつからこんなに特別だったのか。
大人になってから起こした交通事故とかならもちろんそうさせるけどさ。
中学生の時だし、バカッターなんかと違って故意じゃなく一生懸命やった結果だからそこまでさせられん。未成年のうちに起こったことの責任は例え大人になってもなるべく親でとりたい。
今大学生の息子が中学生の時に部活の練習中に事故起こした。ラケット競技の練習で汗でラケットがすっぽ抜けて隣のコートの子の頭に直撃って感じ。生きてるだけで本当にありがたいレベルの重症だった。結局民事で和解して、学校(自治体)と連帯。障害や介護なども加味されてしまい、学校側の方が圧倒的に過失割合高いから今のところ払えてるけど、下の子も来年から大学生だから支払い厳しい。なんか猶予制度とかないのかな。弁護士に相談するのも金かかるし面倒。
その中学生は、何の悪意もなく、ただ自分の好き嫌いをあなたに強要しようとしてるんだよね?
地雷なし雑食だからスレミオもラウグエも4スレもシャディミオもモブボブもふたなりスレグエも割となんでもいけてしまうのね
それでどんなカップリングでも雑食にいいねしていたら、「グエスレ以外をいいねしないでください」っていうDMが来てしまった
送ってきたアカウントのツイートを見たらテスト期間の話などをしていて明らかな中学生
毎年、家族で遊びに行ってるんだけど、親は仕事の都合で、その年はオレ一人だったんだよね。
事件のあった日は朝から暑くて、すぐに川に向かいたくて、叔母の出勤を見送ってから速攻で叔母の家を出た。
開放的な気分になってたからか、鍵をかけるのも忘れて弾丸のように飛び出したんだ。
俺は叔母にこっぴどく叱られた。念を押して約束してたのに、鍵をかけるのを怠ったことを。
でもそもそも泥棒が悪いじゃないか。鍵をかけないのが幾ら泥棒を助長してたとしても。
鍵かけ忘れの影響があろうとなかろうと、泥棒は大人のはずだから、自分の自由意志でしでかした犯罪の責任は泥棒だけにある。
いや、警察も悪い。
警察が目を皿のようにして不審者に注意してれば、パトロールを入念にしていれば、泥棒も思い留まったかもしらん。
そんな風に、親に抗弁したものの、「いやお前も悪いだろ」と頭をポカっとやられました。
表現の悪影響の責任の話を聞くたびに、この思い出が蘇ってくるんだわ。
の話に反論してる人達は口々に、ネガティブな影響を受けて犯罪者になったとしても犯罪の責任は犯罪者だけにある、って言ってる。
つまり、それって自分が創作物に影響を受けて犯罪をしないということに確信が持てないということやろ?
ホンマ、異常者には近づきたくないなあ
とか
こいつらってアホなんだからせめて、こんな誘惑的な創作物があったら自分は犯罪を犯してしまうから自分には見せないでくれ
俺は弱い人間なんだあとか言えば良いのにな
とか。
19歳から地元を離れて県外の大学に通っている。大学院に進学したため、一人暮らしは6年目を迎えた。
6年目にして、初めてホームシックになった。
小学生から不登校を繰り返して、高校も中退し、親との関係が安定してきたのはだいたい7〜8年前。
小学生の時からかなり自律神経がしっちゃかめっちゃかで、最近はプレッシャーを感じると何もできなくなってしまう。
11月にあった学外発表で無事に力尽きてしまい(発表前は60時間起きてた)、毎日18時間寝る生活になった。その後、修論に全く向き合えなくなり、バイトにも行けず、ゲームもできず、ただひたすらYouTubeと小説でやり過ごす日々。流石に指導教官から実家に連絡が行き、母親に帰ってこいと言われ実家に帰った。
私(長女)の経験を生かし、不登校に関するNPO法人を立ち上げたり、放送大学に通い心理学を学んだりと、母親が学び続けたおかげで関係が改善したと思っている。
そんな母のことは嫌いでない。好きだし、尊敬もする。
それでもこの歳になるまではとにかく家を出たくて、一人暮らしも楽しく満喫していた。
小学2年生から不登校だった。幼少期は引っ越し続きで、父は九州の田舎の亭主関白、母は全く周囲に頼れる大人がいない状況だった。その上、父は単身赴任(本社勤務とのことで家を買ったが、その後転勤が決まったらしい)。私と、弟たちを母1人で育てていくのは今思えば本当に大変なことだったと思う。
それでも、小学生の私にとっては、母が子育て等に不安を感じ続けている生活で不安を感じないわけがなく、学校で周囲と衝突し、家では激しい反抗期、とにかく攻撃によるストレス発散が多かった。
よく父に怒られて家の外に出されていたが、その時は泣きながらどうしたら死ねるだろうと、塀(といっても1m)から飛び降りるか迷っていた。飛びおりなかったが、人生で初めての自殺未遂は今でも鮮明に覚えている。
ご飯を食べなくていい、と父に子供部屋に閉じ込められたこともあった。内開きのドアの前に重たい家具を置かれて、ドアノブを紐で繋いで開かないようにされ、水も飲めないトイレも行けない状況で一晩を過ごしたこともある。
大喧嘩した時、私がダイニングテーブルをひっくり返して破壊したこともある。15万くらいするかっこいいデスクトップpcも壊したことがある。
流石にいいところも書いておく。
ピアノを小学1年生から始め、2年生の時には100万の中古のグランドピアノを買ってもらった(欲しいとは言ってないけど)。水泳やそろばんなど、習い事をたくさんさせてくれた。クリスマスや誕生日には欲しかったゲームをくれた。高校では50万の管楽器を買ってくれた。行きたいと言えば海外研修にも行かしてくれた。母は料理が上手(だと思っている)で、3食手作りしてくれたし、時にはお菓子も作ってくれた。裁縫もうまい。父も農家出身で未成年喫煙するような不良だったが、国立大学に行き20代で1000万プレイヤーだ。
やりたいことをやらせてくれる家庭だったと思う。
今は母も穏やかになり、自分のやりたいことを見つけて人生を楽しんでいる。父も亭主関白はなりをひそめ、週末は単身赴任先から帰ってきていろいろ料理をする。私が帰省するとリクエストを聞いてくれる。私がお金の心配をしなくてもいいのは絶対に父のおかげだ。
とにかく小学2年生から5年生までは攻撃的な子どもだったし、両親だった。家庭内の情緒が最悪であった。(1番の被害者は弟たちだと思っている)
私は部屋に閉じこもり、昼夜逆転生活を送り、どうしたら死ねるかを考え、なぜ生きているのか悩み、母が書いてくれた私の0ヶ月から1歳半までの育児日記を読んで母の愛を確認していた。こうして振り返るとかなり寂しい子どもだと思う。
中学生になってからは、かなり落ち着いたと思う。母が支援に繋がれたことが大きい。
そんな家庭で、形や中身は変わりながら高校まで過ごしていた。
大学はとにかく県外に出たかった。高校中退で学歴コンプレックスがあったし、弟たちがいるので国立しか視野になかった。将来の夢があり、養成の名門と呼ばれる大学を目指した。
5年半、ずっとホームシックになることはなかった。
一人暮らしは本当に楽しい。自分のペースで生活できること、家にいる限りだれも私のことを知りようがないことがよかった。今でもそう思う。
それでも、ホームシックになった。
実家から帰る日、予定があったのでどうしてもその日に帰らなければならなかった。帰ろうと朝起きて、起きた瞬間涙が止まらなかった。8時半くらいに起きたと思う。18時まで泣き続けた。結局予定はキャンセルした。
18時に、今帰らないとずっと帰れない、と覚悟を決めて帰る準備をした。泣きながら準備をした。
それを見ていた母に、抱きしめてもらった。頭を撫でられながら、がんばってるね、えらいねと褒めてもらった。頑張りすぎなくていい、いつでも応援してると慰めてもらった。
1、2分だったと思う。
そのあと、やっぱり泣きながら車を運転して帰った。
母が持たせてくれた沢山のご飯を食べながら生きている。ジップロックに書かれた母の文字を見ては泣いている。
修士論文にはまだ向き合えていない。
就職が決まっている。
なにもできない日々を過ごしている。
https://news.livedoor.com/article/detail/23382676/
世帯年収300万円未満の家庭では、およそ3人に1人が習い事や旅行などの学校以外の活動をこの1年で一度も行っていないことがわかりました。
このニュースに対して、博物館や図書館や市民体育館や県立公園などの公共施設が、小学生無料などの手ごろなワークショップを開催しており、
両親が貧乏人だったとしても、いくらでもやりようはあるみたいなコメントが大量についていた。
でもこういうワークショップに参加してるの、両親が有名大卒の、正社員共働きで、世帯年収が高くて、精神的に安定しているようなところの子供が多いよ。
「あんたらの世帯年収なら、民間施設の高額な教育体験費だって払えるでしょうが!!」みたいな世帯のほうが、公共サービスの利用スキルが高いんだよ。
ワークショップの開催日時を調べて、ネットで事前予約して、予約した時間通りに来る。こういうことが、経済的に安定した親のほうが、ちゃんとやれる。
だいたい、子あり子なしに関係なく、無料で本を読み放題の図書館のサービスを使い倒してるのも高所得が多いでしょ。
図書館は、低所得者に無料の情報を与えて格差を縮める施設、としては全く機能してない。低所得者はパチスロとかソシャゲやってしまう。
貧乏な親(貧困状態に陥るような能力的欠陥のある親)って、傾向として、自分のことしか考えてなくて子供について考える余裕がない。
あと公共施設が開催している子供無料のワークショップとか、中学生以下は入館無料とかの施設を調べる検索能力がない。
金の貧困っていうより、能力とか意欲とかの貧困。精神の不健康とかね。
精神病んでるから金に困ってるし、精神病んでるから子供に関心持てないし、だから子供を入館無料にするだけじゃダメなんだよね。
避妊に失敗してできただけのガキに全く興味がなくて、先天的に知能が低いから子供ができる前とできた後で何の進歩もなく、貧困ビジネスの餌食になるだけ。
こういう「親の能力の強弱による子供の機会格差」問題を解決するには、親権を小さくして外部の介入をしやすくするしかないけど、
親権を小さくするなんて親は嫌だよね。だから無理ですこの問題は。
低所得の男性よりも高所得の男性のほうが、意欲・体力・能力があるから家事をより多く分担する、とか、
友達をひとり失った
十年以上の付き合いで、この2週間前にも二人で遊んだばかりだったから、LINEもTwitterもブロックされているのに気づいた時にはびっくりした
まあ自分に遅刻癖があるのでそれに関しては全く文句はないというか、むしろ今まで良くしてくれてありがとなって感じ
でも最後に他の友達含めて食事に行ったときに自分だけ無視されたのだけはちょっと嫌だった(それで切られてることに気づいた)
ちょうどリアル中学生のときにその日の気分で無視してくる友達がいて嫌だったの思い出してまーた自分はそういう扱いされるんだなっていう方が悲しくて、むしろ友達がそういうことする人だったんだな〜と思ったらなんかどうでもよくなってしまったから切られた悲しさはあんまりなかった