毎年、家族で遊びに行ってるんだけど、親は仕事の都合で、その年はオレ一人だったんだよね。
事件のあった日は朝から暑くて、すぐに川に向かいたくて、叔母の出勤を見送ってから速攻で叔母の家を出た。
開放的な気分になってたからか、鍵をかけるのも忘れて弾丸のように飛び出したんだ。
俺は叔母にこっぴどく叱られた。念を押して約束してたのに、鍵をかけるのを怠ったことを。
でもそもそも泥棒が悪いじゃないか。鍵をかけないのが幾ら泥棒を助長してたとしても。
鍵かけ忘れの影響があろうとなかろうと、泥棒は大人のはずだから、自分の自由意志でしでかした犯罪の責任は泥棒だけにある。
いや、警察も悪い。
警察が目を皿のようにして不審者に注意してれば、パトロールを入念にしていれば、泥棒も思い留まったかもしらん。
そんな風に、親に抗弁したものの、「いやお前も悪いだろ」と頭をポカっとやられました。
表現の悪影響の責任の話を聞くたびに、この思い出が蘇ってくるんだわ。
の話に反論してる人達は口々に、ネガティブな影響を受けて犯罪者になったとしても犯罪の責任は犯罪者だけにある、って言ってる。
つまり、それって自分が創作物に影響を受けて犯罪をしないということに確信が持てないということやろ?
ホンマ、異常者には近づきたくないなあ
とか
こいつらってアホなんだからせめて、こんな誘惑的な創作物があったら自分は犯罪を犯してしまうから自分には見せないでくれ
俺は弱い人間なんだあとか言えば良いのにな
とか。
ううう〜む 表現の自由は大切だけども、表現の責任の話は難しい 法律は横に置いといても たしかに、責任が皆無ってことはないだろ〜けども
間接的責任か。似た話を聞いたことがあるな… うろ覚えだが… ❶ ナゾの展示会に人が集まった 何が展示されるのか事前告知はなかった ❷ “真っ暗闇” を体験する芸術だった 客はゾ...