はてなキーワード: 食卓とは
私の母は私が幼稚園に入るか入らないかの頃には、一人でご飯の支度を出来なかったんだな。母方の祖母がメインでバリバリ家事をこなしていたからだ。
あるとき、私の従妹が肺炎をこじらせて長期入院してしまい、祖母が従妹の家に家事と看病の手伝いに行っていた。それで母が一人でご飯の支度をすることになったが、ガス釜でご飯を炊くことにすら失敗し、釜の中を黒焦げにしていた。おかずもかなり不味かった。
そんな母だったが、祖母の体力が落ちてきて家事をやりきれないことが多くなり、夕飯の支度なんかは母が仕事から帰って来てから怒りながらやるようになっていた。
「なにこれ、何もやってないじゃない! 昼間ずっと家に居るくせに、一体何をやってたの!?」
と、祖母に腹を立てながら。私は日中祖母が何をしているのか知っていたが、祖母はもっぱら掃除と草むしりと畑の世話と私ら孫達の世話をしていた。まあ普通に田舎の農家の主婦の生活で、夕方になると力尽きてしまい、早くに布団を敷いてその上にぶっ倒れて寝ていた。母はその、完全にへたばってしまった祖母の姿しか見ることがないので、怒るわけだ。
祖母は癌になって入院し、手術をした。乳ガンだったが、今ほど周辺組織を温存するという発想と技術力のない時代の手術なので、片胸と共に周りの筋肉組織まで根こそぎ削がれるほどの、大手術になった。結果、昔は物凄い勢いで家事などに勤しんでいた祖母は、殆んど家事が出来なくなった。
体力が無くてあまり家事ができないというのは良いとして、働けなくなった途端に、祖母の性格がガラリと変わってしまったのが、母には怒り心頭ポイントだったかもしれない。祖母は今まで面倒見てやった恩をこれからは返していくべきだとばかりに、母をこきつかいつつ依存するようになった。
私はその頃も祖母とよく行動を共にしていたから知っているんだけれど、丁度その頃、祖母の昔からの友達は続々と隠居していた。
祖母のお友達の家に呼ばれて行くと、祖母のお友達は家事を何もせず、台所の隅に設えられた女用の炬燵に当たっていて、お嫁さんがちゃきちゃきと家事をこなしていた。お嫁さんは、姑に対してすごく良い笑顔で従順に言うことを聞いている。まあ、実の母娘じゃないからそんなコミュニケーションをしている訳だ。
祖母はそんな隠居暮らしに憧れがあるようだったが、母はというと、実の母親から姑がするような仕打ちをされるなんて勿論当然だとは思っていない。ていうか、本物の姑だって、嫁をやたらこきつかうタイプの人ではなかったのもあり……。
そんな訳で、母は新婚の頃から祖母を家に置いて家事育児農作業を任せ、自分はバリキャリをするという人生プランを立てていたが、それを祖母に呆気なく突き崩されて急速に病んでいった。
当時まだ年齢一桁台だった私には、急に家庭内が不穏になっていった理由は、全部目の当たりにしているにもかかわらず全然解らなかったのだが、大人になった今振り返ると、そういうことなんだろうなと思う。
祖母が元気だった時期は食卓に並ぶ料理はいただきものでない限りは祖母の手作りだった。母が作るようになってからは、スーパーで買ってきた揚げ物を、家の使い回して古くなった黒っぽい油で揚げ直したもので、私はよくそれを食べて油中りしていた。父なんかは知らないだろうが、おかずの多くはスーパーのお惣菜だ。それが私にとっての母の味。
小学校高学年くらいになると、うちの近場にもコンビニが雨後の竹の子のようにあちこちにポコポコと建つようになった。スーパーのフードコートも充実するようになった。その頃の母はノイローゼとメニエール病で動けなくなり、土曜の部活の為の弁当は、お昼頃に父がコンビニやスーパーで買ってきたおにぎりやパンを学校まで届けに来てくれて、私は校門の前とかで受け取っていた。
母が寝込んでいるか逆に遅くまで働いて家を空けているのを、両親特に母が「可哀想」だといって、私ら子供達を外に連れ出せない埋め合わせとして、家にはスナック菓子やカップラーメンやジュースが沢山あり、おやつにはフードコートで買ったらしいお好み焼きとか焼き鳥をもらい、夜ご飯には茹でたパスタにパスタに混ぜるふりかけをかけて各自食べる、みたいな食生活だった。
そんな我が家だったので、コンビニの「お母さん食堂」というコーナー、そんなものは私の子供時代には名前としてはなかったけれども、実質そういう中食の類いが、小学生時代からの私を育ててきたのだし、四つ離れた妹なんかにはむしろ、それが完璧に母の味というものだったろう。妹は、祖母が出汁用の鰹節を毎朝削ってた頃のうちの食卓なんか知らないわけだから。
クリスマスだから豪勢にシャレこもうかと思い、セブンの金のビーフシチューと金のハンバーグを食卓に並べ(クリスマスなので金で攻めてみた)、デザートのチョコケーキもそっと並べ、よーしメリークリスマス!!と思ったその瞬間だった。
唐突に痛み出す右奥歯。
その段階ではまだ痛みレベル2(※最高の痛みを10とした場合)だったのでなんとか耐えられた。
この痛みは気のせいだと何度も自分に言い聞かせ、痛みに耐えながら晩餐を完食。
そして私は風呂場へと向かう。
今日のためにと用意しておいた森の香りのバスボムを風呂に投入し、僅かな歯の痛みを抱えつつ入浴。
すると風呂入ってるうちにじわっじわと歯の痛みが増してきた。もう森の香りとかどうでもいいくらい歯が痛い。バスボム結構高かったのにもったいない。
その頃には愚かな私も気付いていた。
これは気のせいではない。虫歯だということに。
歯の痛みでなんかもう風呂とかどうでも良くなってしまったのでさっさと風呂から上がり、せっかくのクリスマスだけど早く寝ようと思った私は22時前だけど早々に布団に入った。
布団に入るや否や、歯の痛みレベルが急に7〜8ぐらいまで跳ね上がったのである。
風呂で温まった体…良好になる血流…
思えば全てが必然のことだったのかもしれない…
普段は「薬など極力飲まないに限る」という方向性で生きている私だが、たまらずカロナールを飲んだ。ロキソニンでないのは薬嫌いによるせめてもの抵抗のつもりであったのだ。
カロナールは一向に効く気配を見せない。
痛みレベルは8ぐらいで高止まりし、もう何も考えられない。痛い。歯が痛い。
痛みを紛らわそうとスマホをつけ、ピンを引いてオッサンを助けるアプリゲームとかやってみるけどダメ。ぜんっぜん集中できない。
クリスマスの夜なのに何やってんだろ私…と思ったら痛みと相まって変な涙が出てきた。
私は歯の痛みに負けた。
そして数時間後。
さっきまでの痛みが嘘のように激痛は去り、私は安らかな眠りについた。
大体午前3時〜4時くらいの出来事であった。
私は学んだ。
そんな頻繁に食卓に出てくるのか…
引きこもりや障害者の問題って、親の悩み→兄弟の悩み→孫の悩みと当事者がシフトしてきてんだよな。
60年前の祖父母のクソな決断に俺たちが付き合わさられてるんだ。クソがよ。
俺の場合は伯母(母の妹)が軽度の知的障害で還暦。2歳くらいで分かったらしい。
当事の医者に成人するまで生きられないと言われ、
躾がなってない無邪気な小学一年生って感じだ。
風呂を嫌がる。
記憶力があまりない。低俗バラエティ番組が好き。内容は理解してない。
未だに初代ゲームボーイで遊んでる。
伯母は成人後も祖父母と同居していたが、俺が幼児の頃に父が亡くなり、母1人で子育ては大変だろうと俺達と同居することになった。
俺は擬似きょうだい児として育てられた。母はきょうだい児の優踏生タイプだから受け入れたんだろう。
姉が結婚する時、両家顔合わせの時に伯母を見た相手ご両親に母は「この子(伯母)の面倒は増田(俺)が見ますので」と言った。
まあそうだろうとずっと思ってたけどね。
俺は「伯母って生きてる意味あるわけ?」と素直に思う。
仮に伯母が若い頃に障害者雇用とかで働かせて一人暮らしさせても、自己管理能力がないので40手前で死んでたと思う。
別にそれでええやんけと思うけどな。
なに孫の代まで影響あたえてんだよと思う。
小さい頃から一緒に育てられたせいで、
毎晩、目の前で遺伝子の可能性の1つが汚え飯の食い方して、馬鹿なテレビみて馬鹿なこと言ってるんだ。そりゃそうなるわ。
怖いよ。
知能には関係ないらしけど、もしかしたらやっぱり将来的にそうなるかもしれない。
でも、だからって姉は変わらなかった。
姉は最初からずっと子供が無事に元気に育つことを願ってるんだ。
親ってそういうもんなんだ。
伯母もそうだったんだって分かった。
俺の好きだった祖父母がそうしてたんだよ。
だったらもうやるしかないんだと分かったよ。
めちゃくちゃ恥ずかしいけど外出で外に遊びに連れて行くし、
見てもどうせ分からないし記憶にも残らないんだろうけど、見たいとかいう映画に連れて行く。
怖くて毎回震えるけど、外で美味しいもの食べさせる。
今年のクリスマスは、画面の調子が悪いらしゲームボーイの新しいやつ(中古)をあげるつもりだ。
俺の金がどんどん出ていく。将来はたぶん、もっと。
考えたって分かんねえよ。
祖父母が亡くなり、親もやがて亡くなる。
俺がやればいいだけの話だ。
クソみたいなことだけど、そのクソみたいなことに向き合うだけの力は全部もうもらってたんだ。
俺のこの変な感じの文章も無駄なエネルギーもいつか明るい未来にのどこかにつながるんだ。
そこでは俺も伯母も祖父母も母も死んだ父も笑ってるんだよ。
そういう世界に俺が連れていくんだ。
元増田も今は子供をめちゃくちゃ大事に育てればいいんだよ。まあ、もうやってると思うけど。
それが明るい未来つながるんだ。
嫁はそれほど料理が得意ではないが、それなのに色々とアレンジをしたがる典型的な料理下手だ。
今までも幾度となく食卓に悪魔合体してしまった料理が並んだこともあって、疑心暗鬼になっていたのは事実だ。
見た目は間違いなく美味しそうで、コロッケなら失敗もないだろうとほっとして席についた。
そして一口。
サクッと衣が小気味の良く音を立てた直後、中身の部分でも再びサクッとした歯ごたえを感じた。
もぐもぐしてみると、やはりたまにサクッとした食感にあたる。
あれ?火がちゃんと通ってない?そもそもじゃがいもって生で食べていいんだっけ?
「どう?じゃがいもの食感が残るように荒目に崩してみたんだけど」
嫁から期待の眼差しを向けられるも、不安から味もおかしく感じてくる。
そういって口の中身をティッシュに包んでキッチンの三角コーナーに捨てる。
何やら状況がわからない顔でこちらを見つめていた嫁は、口の中を捨てたと同時に泣き始めてしまった。
「いや、いつも一生懸命に作ってくれることには感謝するけど、どうしても食べられないときは食べられないよ。」
当然それでも泣き止まない嫁。
食事に箸をつけず落ち着くのを待っていると、今度は怒りが湧いてきたのか鬼の形相で嫁が口を開く。
「大体そうやって自分の好き嫌いばかり言ってて、あなたは作る側の気持ちが全然わかってない!今日のコロッケだってどれくらい手間がかかってるか知ってるの?!」
「手間をかけろとはいってない!食べられさえすればそれでいいといつもいってるじゃないか!」
嫁はさらに食ってかかる。
「このコロッケの何が駄目だというのよ!味見したけどこれでまずいなんて、わがままいいたいなら家に帰りなさいよ!」
「いや、まずいんじゃなくて、これは食べられないだろうよ」
「意味分かんない。これのどこが食べられないのよ!」
「だったら一口食べてみろって!」
顔を真赤にしながらも静かにもぐもぐと食べる嫁。
こちらにキッと向き直って睨みつけるように口を開く。
「おいしいじゃない。」
「あのな。中身がまだサクサクしてるだろ。それってじゃがいもがまだ生ってことじゃないか。そこはしっかりと火を通せよ。基本中の基本だろ。」
それを聞いて途端に勝ち誇ったような顔になる嫁。
あれ?俺なんか変なこと言ったか?なんでこいつ顎上げてこっちみてんだ?
「あんた、そんなことでこのコロッケが食べられないとか偉そうなことほざいたわけ?」
キョトンとした顔の俺を見て、嫁は再び見る見る鬼の形相に戻っていく。
「それはれんこんじゃー!」
最近ヘビロテされているこち亀コラボのビビットアーミーも酷いけどそれじゃない
動画広告って個人的なイメージだとテレビで一つの枠が15~30秒くらいでその中に収まった映像を流すものだと思っているんだが
ニコ動の動画を見る前に見る広告に以前はてなで話題になった食卓の誤解 / #料理を手間抜きにって広告動画あったでしょ?
あれ13分くらいあるんだけど、あれをスキップしないと全部見させられるわけ
スキップしないと動画の始めと終わりに動画広告が挿入されるんだが、はじめにビビットアーミー、終わりに西友みたいな感じになる
他にもクソ長い動画広告のやつもあるんだが忘れたなんか電力会社系だった気がする
最近プレミアムやめたんだが、別に広告を見る分には別にいいんだよ
西友が食卓の誤解と題して、料理を作る事はかなりの重労働だとCMを打っている。
あのCM、初めは特に何も思わなかったけど、今は見るたびにイラッとする。
なんでなのか自分で考えてみたけど、いわゆる「インターネットでよく見るタイプのフェミニストしぐさ」が大前提として作られているからだと思う。
旦那が「ささがき」を知らないでググるときにみんなで笑ったり、
それ逆だったらめちゃくちゃ叩かれて取り下げるだろうな、っていう物が多くて。
ああいうのってどうしても女性が良くないことをされている!平等に男性にもしよう!みたいな印象があって……
動画内で「大変だった」に対しての「え?それが毎日だけど……?って思いました」のセリフもなんか……自分以外敵の人は怖い。
うがい・手洗い・マスク・ワクチンは恐らく全て効果があり人と人との接触を実質減らしたような挙動を示すと思う
なんならイソジンや口ゆすぎもあり得ない話ではない可能性があるが会食濃厚接触での発症は防ぎ切れんと思う
逆に内臓に負担をかける酒、疲労している状態での深夜の会食、低気温時の外出がハイリスクなのも個人的には腹落ちする
個人的にはラーメンが効果あると思うので今日は一杯食いにいくことにする
あと平安貴族などが風が吹き荒ぶ木造建築で貴族と平民が数メートル空けて平民は地面に向かって貴族は隙間の細いすだれ越しに喋ってたのは感染症を防ぐ効果があったというのは十分あり得ると思う
煙と一緒にマイクロ飛沫も吸える韓国式焼肉屋のような会食卓やアクリル板ではない対面できる御簾のような器具が今後登場しうると俺は見ている
「増田さん北海道出身ですよね。やっぱりいくらをたくさん食べたりするんですか」
「家庭にもよるとは思うが、ちらし寿司のときとか食べる。軍艦巻きにも乗ってるかな。あとお正月」
「ええっ、朝の食卓にタッパーとか置いてあって、お玉でホカホカのご飯の上にかけてウワァ~って歓声上げたりしないんですか」
「君はテレビの見過ぎだ。っていうかホカホカの上にかけるな煮らさる」
「さる?」
「食べる家庭もあるとは思うが、どっちかというと、イクラ食べるなら筋子食べるほうが多いと思う。塩蔵筋子。ロシアより塩を込めて」
「ええっ、筋子ってあの大きいやつですか?ラケットでほぐすとかはてブで見ましたよ」
「それ情報源はあんまり公言しないほうがいいぞ。あと、塩筋子はかずのこ醤油漬みたいに単体でおかずにする」
「醤油?かずのこ?」
「しまった、ええと……、明太子みたいにご飯のおかずにして食べる。おかずとして完成されてるのでバラしたりはしない」
「ええ、イクラにしたほうがおいしくないですか」
「あんなアキアジのこまいコッコバラしてもなんもうまくねっしょや」
「?」
前半は夫が増田の分まで食べる件、後半はち○ち○について。
まず、夫はいくら稼いでも自分で追加を頼むことはない。夫は「人のもの」を半分以上食べて支配欲を満たしている。それを仕事と今の家庭両方で満たせてないから食卓で発散している。
普段の生活でも、増田の気づかないところでしている。物や体で増田のスペース占拠したり、言葉や行動量で増田の負担になる場面まで圧倒したり。
それはデリカシーが無いんじゃなくて、増田がストレスのはけ口なだけ。増田の領域を知りながら侵すことで彼は満たしている。
それは夫自身も無意識で悪気は全くない。夫にとっては、自分が多くて人が少ないのが自然。無意識なので、増田が出来ることはあまり無い。
できることは、夫の前で笑うこと、夫の「食事」を知ること、他人に話すこと。食事は、増田以外との食事情を聞くといい。増田がいない場面との比較が出来れば、溜飲は多少下がる。
友達や仕事の付き合いとの食事でも半分以上シェア奪うのか。結婚前(特に幼少期)は、家族とはどんな食卓を囲んでたのか。その頃から当たり前に人のものを半分以上食ってたのか。どんな食事形態で、どれくらい食べてたのか、どんな会話してたのか。
「なんで私がそこまでしなきゃ」は当然。無理せず気になったときになんとなく、ゆっくり。
カサンドラ症候群を調べて。
以下、ち○ち○について。
気持ち良さには二種類ある。感情的と物理的。「大きくて気持ちいい」は物理的な快感。増田が「書いた通り」だと、夫のその大きさを何度も指摘していることから、増田の快感=物理的>>>感情的となる。
しかしそこには大きな矛盾点が見られる。それは、本文でち○ち○についての記述が一切なかったにも関わらず、返信でそれを何度も記述した点。
増田は、返信欄でち○ち○のサイズを配偶者の選別指標、主たる理由と書いたにも関わらず、本文にそれを書かなかった。このことから増田が夫を選んだ際、それだけが理由ではなかったことが分かる。
また本文で「最初のデートから半分以上食べていた」「えびフライのしっぽも言い方次第で許す」とある。ことから増田は、普段から物理的な公平性以上に相手の感情を尊重しており、感情優位であることが分かる。決して生粋のち○ち○好きなどではない。
増田は過大なそれが好きだが、夫を好きになったからこそ、その大きさを愛している。
文字数全体の意義素からも、増田が人に対して最も価値を感じているのは感情であり、あれのサイズは付帯価値であることが分かる。
にも関わらず、返信欄で「サイズが大きかったから選んだ」と何度も断言した。そうしてこの考えに固執して幾重にも本心を覆い、さらに問題を深化させている。
今まで夫を愛し、満たされていた。
それが感情という水で満たされていた池が枯渇していく過程で、杭というち○ち○が表出した状態だと考えられる。
つまり、増田の快感=感情的>>>物理的が適切と考えられる。この増田は、全く異なる2つの考え方を抱えて生きている。
今後、愛情がマイナス値になると、その過大性(物理)までも嫌疑する可能性が極めて高い。
そして増田文章から、それがまさに現在進行形であることが危惧される。
「それが半分以上欲しいんじゃなくて、夫が半分以上欲しい。」そう聞こえた。
それで人間。
頑張るな増田^^
薄暗い食卓
娘「ごちそうさま」母「まだ残ってるじゃない」娘「食べたくない」換気ファンの音ブゥーーーン
母「もう、あなたからもなにか言ってください」父「そういう年頃なんだろう…」外の電車ガタンガタン犬ワンワン
場面変わっていきなり外の景色
道路の車の爆音エンジン音ブオオオオオオオオオオオオオン!!ブロロロロロロロ!!
意味もなく黄昏れながら道歩いてる主人公を遠くから移す(歩いてるだけなのにやたら尺が長い)
中盤の修羅場シーン
父「なんか言ったらどうだ」母「・・・」
父「なんか言えって言ってんだろッ!!!」ガシャーンバリーンバキバキドゴォ
クライマックス感動シーン
カフェとか遊園地とか水族館でキャラクターぬいぐるみの写真を撮っている女性をしばしば見かけるが、あれを見ると言い知れぬ気恥ずかしさと衛生観念的拒否感がある。
気恥ずかしさについては見知らぬ大人が過去に取り残してきた幼児性のような部分を勝手に知ってしまったような感覚に陥るせいだと思う。
人形遊びは子供の遊びだなんて言うのは暴論だと思っているし、決してそう思っているわけではないが、やはり自分の感覚ではあまり人前でやるようなことではないなと思ってしまう。
衛生観念的拒否感については小さい時におもちゃを食卓に持ち込むと怒られていたのを思い出すからかもしれない。自分がこういった方を見かけるのは大体飲食店なのだが、食べ物に近い位置におそらくいろいろな場所に持っていったであろう人形を近づけることにあまり抵抗がない人が多いんだろうか。
社会はそういう方々を結構サラッと受け入れていてすごいと思う。
追記:
>試しに自分でやってみ
やってみたら楽しいのかもしれないが、幼少期に人形遊びにハマったことがないので感覚として遊び方が分からない気がする。いわゆる戦隊フィギュアとかポケモンとかそういうの持ってたけど、棚に入れて眺めてるタイプであまり触りたいと思わなかった。
>男性もいるよ
男性は自分の観測範囲だと高そうな撮影機材でドールとかフィギュアを一人で撮っている方という印象が強いから、人形より機材に目がいくかもしれない。女性はグループで堂々と広げていてふとした時に目に付くとおどろく。