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はてなキーワード: 音楽理論とは

2014-05-22

世界は核の炎に包まれて滅亡寸前、どう詰めても○人までです。

「10人しか入れない核シェルターに20人の生存者。君ならどの職業の人を残す?究極の選択を強いられるサバイバル・ホラー「ラスト・ワールド」 : カラパイア」

http://b.hatena.ne.jp/entry/karapaia.livedoor.biz/archives/52163104.html

これ、似たようなものをkumicitさんのところで見たような覚えがあった。

メモ: 12者7択問題」(2011年)/「[授業計画AELP-PSY0006: 核戦争後の生存]」(1994年

http://transact.seesaa.net/article/170152051.html

概要: この単元は架空ジレンマを設定し、生徒たちに自分自身の推論と問題解決能力に基づいて解決策を提示させる。この単元は、核戦争シナリオに始まり、生徒たちに地球上での人類の生存に影響する決定を下すことを求める。

到達点: この単元の目的は、生徒たちに論争となる問題についてコンセンサスに到達させることである。これは生徒たちに、ときには正しい答えも、間違った答えもないことを認識させる

目的:生徒が以下のことができるようになること:

各種の情報を評価し、危機的状況において、いかなる特性や要素が生存に最も重要か判断する。

効果的に意見と推論を口頭あるいは文書で提示する。

生存者:

1, James Stanley, 43歳(男), IQ: 112, 健康状態:良好, 短大卒・軍隊経験2年, 農業に15年従事

2, Janie Stanley, 13歳(女), IQ: 120, 健康状態:優良, 中学生,

3, Wanda Brice, 50歳(女), IQ: 140, 健康状態:普通, Ph.D 心理学, メンタルヘルスケースワーカー15年

4, Bill Waters, 27歳(男), IQ: 104, 健康状態:優良, 工業高校卒, 建設溶接10

5, Michelle Patterson, 19歳(女), IQ: 105, 健康状態:普通, 高校卒, 小売店3年

6, Ray Wilson, 60歳(男), IQ: 127, 健康状態:良好, 大学卒(ビジネス), 銀行窓口10年・フィナンシャルアドバイザ銀行頭取20

7, Gerald White, 35歳(男), IQ: 98, 健康状態:普通, 軍隊経験4年(歩兵), 建設労働者10

8, Martha Gray, 25歳(女), IQ: 142, 健康状態:良好, Ph.D 音楽理論, 大学講師2年

9, William Gray, 8歳(男), IQ: 150, 健康状態:良好, 小学生,

10, John Davis, 33歳(男), IQ: 125, 健康状態:普通, 大学卒(化学), 高校化学教師12

11, Marjorie Blaylock, 39歳(女), IQ: 133, 健康状態:不良, 医大卒, 家庭医10

12, Fred Fredrick, 54歳(男), IQ: 132, 健康状態:優良, エレクトロニクス熟達者, 海軍エレクトロニクス技師25年・個人エレクトロニクス技師10

客観的および主観的評価のバランスは教師によって注意深く考慮しなければならない。主観的評価は生徒たちの個人差(能力等)を考慮に入れること。

これの元記事はInternet Archiveに拾われている。

https://web.archive.org/web/20090912065245/http://www.eduref.org/Virtual/Lessons/Social_Studies/Psychology/PSY0006.html

"post-nuclear war survival lesson plan" なんかでググっても同一・類似のものが出てくる。

2014-05-19

違法薬物に対する厳罰主義と実害最小化主義について

リベラル理性的コメントが優勢な「はてな」ですら、違法薬物については俗っぽい厳罰論が優勢なことに私は驚いている。

ヨーロッパオーストラリアでは、違法薬物に対して厳罰主義ではなく実害最小化主義(Harm Minimization、適切な訳語が見つからないので私の感性に基づいて直訳した)の姿勢をとっている。発展途上国シンガポール韓国などの開発独裁国、ならびに日本は厳罰主義であるアメリカ合衆国中間ぐらいだ。実害最小化主義は即ち危険害悪の元を絶つことは不可能であるから、それらが存在しうる前提で実害を最小限に使用という試みであって、性風俗産業コンドームを配布するとか、薬物使用されうる繁華街などで使い捨て注射器を配ったりするとかがそれにあたる。なお実害最小化主義においても、違法売春の元締めや違法薬物の流通に関しては極めて厳しい罰則が定められている。したがって違法薬物の使用者弱者であり守られるべきであるが、それらを食い物にして金を儲ける奴はけしからん、というある種の優しさからくる社会正義に基づいているといえる。賛否両論はあるだろうし偏見に基づく価値基準であることは否めないが、ヨーロッパ諸国発展途上国のどちらが人類最適化された社会システムを持っているかは、少なくとも私にとっては疑いの余地がない。日本先進国として実害最小化主義に軸足を移すべきである。「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なんて全くナンセンスであって、人間価値覚醒剤の使用で毀損されるほど不安定なものではない。「間接的に反社会勢力の資金源に・・・」とかいう話は置いておくならば、他人に何ら実害を与えていない違法薬物使用者極悪人のように仕立て上げて報道するのは間違っている。

モルヒネ前後不覚になって職務遂行不能であったならともかく、社会生活に支障の無いリラクゼーション・ユースの覚醒剤使用で逮捕された校長先生作曲した校歌を変える、チャゲアス楽曲が使われているテレビ番組現場が騒然、とか全く的外れもいいところである。それならば全員ヤク中、それもMDMAなんていうヤワもんじゃない、皿に山盛りのヘロインとかコカインパーティーやりながらレコーディングしていたMiles DavisJohn Coltraneが作ったアルバムなんて完全に発禁だし、現代音楽も基になるバークリー音楽理論なんてそいつらが発展させたようなもんなんだから違法薬物抜きには語れない現代商業音楽作品は全て発禁だ。

そもそも私はモルヒネヘロインなど「狭義の麻薬」を使用するのはやめた方がよいと思う。しかMDMAのような穏やかで感染リスクのない覚醒剤や、身体依存の全くない大麻と、合法である酒やタバコを仕切る境目に合理性を見いだせない。後者薬理作用の他に食品嗜好品としての味わいがあるが、大半の使用者はこれらを薬物として摂取している。なぜか問題にされないが、特に飲酒害悪は恐ろしい。加害者がそれなりの社会的立場を有している場合喧嘩セクハラなどは大半が飲酒による酩酊のせいといっても過言ではない。覚醒剤使用で懲戒免職なら、飲酒して他人に絡んだら懲役実刑ぐらいじゃないと釣り合わないと思うぐらいだ。

からASKAとか槇原敬之とかミュージシャンが薬やってたって騒ぐことじゃないし、「やまとなでしこ」も「ホテル」も再放送で観たいし、大麻くんは大野やってないよ。

勢いで描いたので多分に偏見引用が不十分な部分があることは自覚しています。「アスカ覚醒剤を教えたのはチャゲであって、チャゲは「残念です」とかコメントしてる場合じゃない、自分黒幕のくせして。見た目的に。」ぐらいの偏見で書いてる。ごめん。

2014-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20140504044325

コード進行的にはD7一発であるイントロギターフレーズを取ってみましょう。「ラードーソファ#ーラドレソファ#ーレードラーソファ#ーラドドッドー」。これはひどい、一度も根音であるレが出てこないどころか、スケールとしてはむしろミクソリディアスケール(ラ シ ド# レ ミ フ# ァ ソ ラ)として解釈したほうがよほど自然フレーズになっている

これを見る限りレは二回出てきているように見えるのだが。それに、これらの音は(ミとシが無いのでペントニック意図していると見るほうが妥当かもしれないが)Dミクソリディアン・スケールに含まれているものであり、D7にそれをあてるのは定石中の定石ということになるのでは?

 

7thをトニックにしているのは普通ではないと言えるかもしれないが、クラシック系ではそうであっても、ポピュラー系の教本ではブルース進行がらみで最初の方にそういうものが出てくるので、それも特別工夫しているとは言えない。テンションノートの使用に関しても、今時それを使っていない方が珍しいくらい。要するに、これだけみると「音楽オタクにとっても"おもしろい"ことをやろう」としていることは全く分からない。そう主張したいなら、もっと別の例を出すべきだったのでは?

 

そもそも音楽を聴いている人の殆ど音楽理論なんて知らないし、技術的に難しいことをしているとか凝っているとか、それ自体はどうでもいいことだろう。選民思想云々と言うなら、むしろそれらを理解できる聴き手の方が偉い、理解できない奴は死ぬべき、みたいな考え方の方がよほど選民思想に思える。

2014-04-23

音楽理論/レット・イット・ゴー〜ありのままで〜(Let it go) /「アナと雪の女王主題歌

アナと雪の女王」のテーマソング『レット・イット・ゴー〜ありのままで〜(Let it go)』、テレビや街でめちゃくちゃ流れていますよね。かっこいい。

まだ映画は見てないのですが、とにかく曲がかっこいい。映画みてないのに、きっと主人公アナが背負った生い立ちを受け止めて、最後自分らしく生きていく決心をする映画なんだろうな、と涙しています

https://www.youtube.com/watch?v=cvj3-MZO9Tw&list=FLF_clbmzwu_aTTbnVmXSsPg&index=2

早速、iTunes松たか子さんの歌う日本語バージョン買いました。

https://itunes.apple.com/jp/album/anato-xueno-nu-wang-orijinaru/id834877950

色々バージョンがあるのですが、今回は日本語バージョンをとりあげます。やっぱりミュージカル映画ですからダイレクトメッセージが伝わってくる日本語がいいですね。

それにしてもディズニーの曲って全部かっこいいですよね。私はアラジンテーマソングホール・ニュー・ワールド」が好きでした。男性の方はピーボ・ブライソンという人なんですが、けっこういい曲をたくさん出していて、よくDJでかけてます

このアルバムが最高です。スプレッドウィングが最高!4時半くらい、もうだんだん人がかえるかなあってくらいの最後の盛り上げにベスト。切ない。

https://itunes.apple.com/jp/album/crosswinds/id715936499

ということで本題に入っていきましょう。

最初にはったYOUTUBE時間を指定していきますので参照ください。

また今回はこちらに楽譜を用意しました。

再生もできるので便利です。

http://www.noteflight.com/scores/view/99eca90e7551876a3ec94a53a0ad00e5639fa1eb

例のごとくキーをCになおしてあります原曲は、Abですので、原曲と一緒にプレイしたい人はM3下げて演奏して下さい。

日本語入力ができないようだったので歌詞ローマ字で。やり方分かる人はおしえてください。

で、楽譜の部分は大サビ動画でいうと2:00から場所ですね。一番盛り上がるところ。CMなんかで放送されているのはおそらくこれだと思います

とても素晴らしい曲なんですが、それゆえ説明すべき場所ほとんどありません!笑

小手先の技でできている曲ではない。ただただシンプルにいい曲。

野球でいったらただのストレートなんだけど、速すぎて誰も打てない笑、みたいな。

コツとかない。ひたすら練習して投げれるようになった速い球、みたいな感じです。

そういっちゃうと終わってしまますが笑

https://www.youtube.com/watch?v=SV2hshsChlk

ということでボブ・マーリー名曲『ノー・ウーマン・ノー・クライ』を引っ張り出してきました。最初オルガンのリフ、鍵盤やってる人なら絶対練習したことがあります。かっこよすぎ。

で、なんでこれを出したかというと、レット・イット・ゴーのサビと、1:16ぐらいからの平歌部分、いんざがばめんとやーどいんとれんちたうんー、というところのコード、一緒なんですね。キーはもちろん違いますが。

ノー・ウーマン・ノー・クライではキーDbなので、Db Ab Bbm Gb演奏してます

このコード進行と、レット・イット・ゴーのサビは全く同じ進行です。

同じだからなんなんだってとこですけど。

好きな曲が同じコード進行ってやっぱり嬉しいじゃないですか。

コードが同じだとパクリだとか定番だとか、良くないことのようにいう人がいますが、そんなことはない。コード同じなのに全然違う良さがある。逆に音楽ってすごいなって思いませんか?同じ構造なのに感動が違うんですよ。すごいですよね。

で、ちょっとこのコードを見て行きましょう。

C G Am F の繰り返しですね。

僕的にポイントなのは、FからのCに戻る部分です。

ここすごい好きです。個人的には切ない感じがする。ぐっとくる。

このブログでも何回も書いているんですが、FからCに戻る進行は、ソウルっぽいというか、ゴスペルぽいんですよね。

書いてて思い出したんですが、絢香さんの i believe も多分同じコード進行ですね。サビ。レット・イット・ゴーと同じように、女の子自分自身を受け止める歌ですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=sJItuaykRRk

なんというかこう、自分と向かい合う、内向的な、しかし力強くまえに向かう。そんなテーマにあってるんでしょうか。このコード進行は。

ボブ・マーリーの歌も日常にある悲しさと、それでもやっていくしかない、っていう前を向くところがテーマとして似ています

ここでいいたいのは、このコードを使えばいい曲が書けるとか、切ない雰囲気がだせる、といった小賢しいことじゃあないんです。

自分がいいなあと思う楽曲にたいして向き合い、なるべく多くのことを引き出そうとする営みなんです。より音楽を深く味わうための。

美味しい料理を食べたら、どうやって作るのかな、材料は?香辛料は?焼いているのかな?そういうことが気になるでしょう。

それで、例えばタイ料理好きだったら、そうか!!!私が好きなこの味は、パクチーだったのか!!って発見があったら嬉しい。スーパーに行って大量にパクチーを買ってなんにでもかけちゃう。みたいな。

好きなものがあれば調べて、どうなってるのかたくさん知りたいでしょう。音楽理論も同じです。対象を深く知るための行為だといえると思います

なのに最近は、「タイ料理パクチーがかかっているから美味しいんだ!」みたいな雑な人が多くて残念です…それは嘘ですよね。

今食べているこの味はパクチーだということはできても、パクチーを入れれば美味しくなる、ということはできない。

我々ができるのは、何が起きているのか、ということに向かい合うことだけだと思います

話が長くなってしまいました。戻りましょう。

コードはC G Am Fの繰り返しであると述べました。

次はメロディを見て行きましょう。

やはり特徴的なのは、ありのーままでー、という部分ですよね。二回繰り返されています

シドーという部分ですが、これ非常にマイナーキーっぽいサウンドですよね。

コードはFからCに帰る部分ですから、どちらもコードだけ見ると明るいサウンドだといえますが、メロディーマイナーっぽい。いいですね。

ありのーのあと、Amを弾いてしまいそうになるくらい暗いメロディですが、実際のコードはCなので、この対比が面白いです。

ままでー、はG G D、完全にコードに含まれる音を使うことで力強い印象になっています。またGとDの完全五度の跳躍も力強い。ありのー、の繊細な雰囲気と、ままでー、の力強い雰囲気がうまく対比されています

二回目の、ままでーは、G 「E」 D とほぼ繰り返しなのですが、「E」でグッとテンションを上げてきています。ここまでは「D」が一番高い音でしたので、さらに高い音「E」が初めて使われたことで、聞いているひとは注目します。

そしてそこから、飛び出してみるのさー、から一気に音高もテンションもあがります。「F」というこの曲中、二番目に高い音が出てきますし、メロディーラインもぐねぐねと動くテンションの高いラインになっています

そして最後の、二度と〜、部分です。

高々と「G」を唄い上げます

「二度と涙は流さないわ。」

彼女の決意が曲中の最高音「G」と共に表明されるわけですね。

はいつもあまり歌詞については言及しないのですが、この曲は歌詞と曲の構造完全に一致し、聞く人を引き込んでいきます。パーフェクト。

ミュージカルの良さが発揮されてます

このシーンでこのうたを歌う必然性がしっかりとあり、メッセージの高まりと音高の高まりリンクして、目の前でアナが地面を蹴りつけて氷面ができる。

すごい!

あと動画をみていて思ったのですが、アナは片方しか手袋してませんね。

全く映画をみていないので詳細はわからないのですが、くらい水色の手袋は、アナの心理的なガードの象徴なんでしょう。序盤は全く生身の手を見せずに、手袋しかみえません。

しかし、0:52ごろから、悩んでいたけれどそれももうやめよう、というあたりから左右の手をみせます。つまり生身の手袋をしていない自分自身を、しっかりと見せるのです。

それでバーンと投げてサビへ!!!

自分ネガティブな部分?から開放される瞬間です。

すごいリンク具合。

あの…映画みてないので、もしからしたとんでもない誤解をしているかもしれませんが、許してください。そもそもこの人アナじゃない可能性もありますね笑

映画見なくてもこの動画みるだけで泣けてきます

映画館明日行きます!!!

ではお疲れ様でした。

2014-03-21

オタ創作ジョーク

過程

絵師は長い年月をかけて絵を練習し、CGを学んで絵師になった。

音屋は長い年月をかけて楽器を練習し、音楽理論を学んで音屋になった。

小説書きは小説書きを名乗って小説書きになった。

【ハリボテ】

A「テレビドラマに出てくる札束って、一番上と一番下だけが本物で、残りはただの紙切れらしいぜ」

B「ラノベみたいだね」

【本当の意味

ライトノベルゴーストライターが書いている。

別人が書いているという意味ではない。

幽霊のように存在感が無いライターという意味だ。

【ネーミング】

A「小説書きのような、真に優れた作り手の呼び方を考えよう」

B「うーん……、じゃあReal Outstanding Maker略してROMでどうだ?」

【Correct!!】

A「小説書きって英語でなんて言えばいいの?」

B「ええと……、ブロガー?」

【あるpixiv絵師の疑問】

「マイピクは作品を公開している方に限らせていただきます」と

プロフィールに注意書きしたのに、小説書きがマイピク申請してきた。

小説書きなのに字が読めないのだろうか……?

共感

絵師「また批評家気取りでネガコメ書く奴が来たよ……」

音屋「ただ作品の欠点をあげつらうだけだし批評家は楽でいいよな」

小説書き「まったくだ。俺たち作り手側の苦労も知らずに好き勝手言うなよ!」

絵師&音屋「お、おう」

FAQ

Q:pixiv面白い小説を見つける方法はありますか?

A:絵師が書いた小説を読みましょう。

【将来の夢】

絵師の夢:人気絵師になること 絵を仕事にすること

小説書きの夢:絵師になること

小説書きの正体】

小説書きはネトウヨである

日本語が書ける程度のことを誇りにするのは、ネトウヨの特徴そのものである

2013-09-13

aiko の「花火」の構造が凄い!

http://neralt.blogspot.jp/2013/09/aiko.html

これを読んでさらに色々言いたくなったので書きます。まずはこの記事で分析されてるサビのコード引用します。

「サビ」
夏の星座に〜     こんなに好きなんです〜
/FM7/Em7 Am7  (G)/F△ E7 /Am Gm7 C7/
夏の星座にぶら下がって〜     火を消した〜
/FM7/Em7 Am7  (G)/F△ Em7/Dm G7       /F Em7/Dm Dm on G/

ちなみに原曲Fメジャーのところ、Cメジャーに移調されてます

さて、まず一見してわかることですが、キーが C メジャーでありながら、一度も C△ が出て来ません。キーが C であるというのは、言い換えると「C△のコードが一番安定感がある」ということです。でもこの曲はサビで一度もその「安定感」に落ち着きません。

でも C7 は出てきていますね。しかし、これは Gm7 → C7 → FM7 という動きの中で出てきています。この動きは「II of IV → V of IVIV」で、いわゆるツーファイブと呼ばれる進行です。わかりやすく言うと、このC7は主役ではなくて、FM7に行くための「つなぎ役」みたいな役割をしています。だからこれは C ではなくて FM7 の一部であると考えるべきでしょう。

さらに、リスナーにとってこのコード進行で一番印象的な音はどこかというと、最初の FM7 だと言って良いでしょう。なぜか。それは、まずはサビの「一番最初の音」という一番印象に残る音であること。さらに、一小節まるごと同じコードで押し通しているのは FM7 だけです。その上、前述の通り二度目の FM7 にはツーファイブ進行で入って行きます。ツーファイブから入って行くと、そこに一種の「解決感」が生まれます。つまり、「あっここでちょっと落ち着いた」という感じですね。これにより、リスナーの耳には FM7 が一番強く印象づけられるようになっているのですね。

さて、ではこの FM7 というのはどういうコードでしょうか。キー C においては「サブドミナント」と呼ばれる役割をするコードです。コード役割トニックサブドミナントドミナントに分けられる、なんて音楽理論のひとは言いますが、サブドミナントはその中でももっとも「ふらふらした」性質を持ちます。というのも、トニックコードは「安定感がある」のがウリですし、ドミナントコードは「トニックの前にならしてトニックに移動することで解決感を出す」のがウリです。サブドミナントはそのどちらでもない、なんともふわふわした性質を持ってるんですね。「トニックほど安定してないし、ドミナントみたいに行き先が決まってるわけでもない」って感じです。

一度まとめましょう。このサビ、キーが C でありながら、最も安定する C△ に一度も安座せず、ずっとふらふらしていますしかも、このサビを一番特徴づけるコードである FM7 は、「ふらふらしてる」がウリのサブドミナントです。要するに、このサビ、めっちゃ「ふらふらしてる」んですよ。

さて、それだけならば、「へー。なるほどね〜」という感じなのですが、aiko花火は、これが「詩世界を支えるために」作られている(あるいは逆、詩世界がこの音楽構造を支えている)としか思えないところが凄いんですね。

サビの歌詞引用しましょう。

(1番)
夏の星座にぶら下がって 上から花火を見下ろして
こんなに好きなんです 仕方ないんです

(2番)
夏の星座にぶら下がって 上から花火を見下ろして
たしかに好きなんです 戻れないんです

夏の星座に腰掛けるわけでもなく、「ぶら下がる」という不安定な状況。「好きなんです。仕方ないんです」というフレーズも、その「好き」が安定して簡単にうまくいくものではない、あるいは、いってはいけないものである感じを出していますね。そして、「戻れないんです」と敢えて言うということは、「本来は戻るべき」なのに戻ることができないという不安定な状況なわけです。

歌詞世界も、音楽も、どちらもリスナーに「不安定な感じ」を感じさせるために仕組みが随所にばらまかれています。この不安定さが aiko らしいちょっと切ない感じを生んでいるわけです。こうして分析してみると、aikoはかなり自覚的にクレバー作詞作曲を行っているミュージシャンだな、と感じますね。

さて、ここまでアツく語りましたが、わたしは aiko の高い能力をすごいと思っていますが、シンガーとしての彼女はどちらかと言うと嫌いです。いえ、素直に言いましょう。大嫌いです。なんか飲み会コミュ障気味の童貞にボディタッチかまして勘違いさせて安全なところから恋愛ごっこするスキル高そうな感じをその曲と歌と佇まいから受けます。怖い。でも良い曲、悔しい聴いちゃうビクンビクン。

追記:

非常にいいツッコミが入っているので追記します。

id:twelvescales
CメジャーとAマイナーを行ったり来たりしてるのでCメジャーと言い切るのはちょっと乱暴かと。E7 - Amでちゃんと解決してるし。むしろ王道の進行なので似たコード進行ヒット曲多数。「Just the two of us」じゃん。

ブログにもあるとおり、たしかにこのサビってAmっぽい調性なんですよね。とくに E7 - Am は強進行で、ここで一気に調性が Am に近づいてる。でも次に Am に行くときには E7 ではなく Em7 からで、しかもそのフレーズ最後Dm7-G7 というかなり C メジャーっぽい進行になっています。他の人からの指摘もあるとおり、この平行調をふらふらと行ったり来たりするコード進行って心地いいからいろんな曲で使われてますね。とくに F G Em Am という進行は「王道進行」なんて呼ばれてて(わたしはこの「王道進行」という言葉定義が well-defined ではないので好きではありませんが)、その意味で、コード進行だけを取ったら決して「独創的なコード進行」ではないです。この記事、「独創的なコード進行ですごいよね」ということは書いたつもりはなくて、「コードが担う役割歌詞が担う役割がきちんと計算されててすごいよね」ということを書いたつもりだったんですけど、ちょっと書き方が良くなかったですね。ちなみに記事では書いてないんですけど、メロディもかなり自覚的(だと思われる)仕掛けが仕組まれてて面白いです。だれか書いてくれないかな。

ちなみに、「王道進行」についてですが、なんか王道進行っていくらでもヴァリエーションしますし(というかそもそもどっからどこまでを「王道進行」と呼ぶの? FM7 Fm7 Em7(-5) A7 は王道進行ですか? でもこれ F G Em Am とはだいぶ雰囲気の違う進行ですよね)、むしろ私は「どうバリエーションするのか」というところに意味があるなーと思っていて、その意味ではこの楽曲は G に行かずに FM7 にとどまるというのがいい効果を上げているな、と思うんですよ。それが「FM7が一番印象的な音になってる」という部分ですね。「王道進行」という概念発明されてから、「これは王道進行だね」でアナリーゼが止まっちゃうの多くて、わたしはちょっと残念に思っています

2013-08-28

最近演歌の良さに目覚めた42歳です。生意気ですけど、俺の音楽理論を語らせてもらいます

高校の頃J-POPにハマって「演歌?(笑)」とか「もうそんなの聞いてるの?(笑)

みたいに歌謡曲をバカにしていた。今思うとガキだった。毛髪もふさふさだったし。

俺と仲が良かったスギヤマは演歌が好きみたいで川中美幸だの、天童よしみだの、よく大衆向け歌謡曲を聴いていた。

俺は内心でバカにしてるだけじゃなく、堂々とスギヤマを罵倒したりもした。

スギヤマはIQが低い。俺に批判されても「難しいことわかんねえよ!」って笑って済ませようとする。

俺なら売られた喧嘩ディベートして完膚なきまでに論破してやるのに。

だけど、最近中年になってちょっと考えが変わってきた。さっきも言ったように、今までの俺はガキだったんだ。

思ったことすぐ言うロケローラー的な要素があったが、ロケローラーは責任を取らない(笑)それじゃダメなんだ!

話を戻すと、演歌の良さは歌詞の具体性にある。小節が効いていて、一言一言が心に響いてくる。

J-POPIQ80~100向けに対して、歌謡曲まり演歌は80~130ぐらいまで手中に収めている。

演歌!素晴らしいじゃないか

あれだけ毛嫌いして、見下していた演歌歌謡曲が今では大好きになった。

価値観が一周して大人になったってことだと思う。

ただ正直スギヤマの事は今でもバカにしてる。

もしあいつがIQが高くて、「俺は音楽云々を語るなんて幼稚なことにリソース使うつもりはない。

そんなのどうでもいい。適当に脳をリフレッシュさせられればそれでいい。だから演歌でいいんだ」

ぐらい言ってくれるならわかる。共感できる。

だが、あいつの場合は違う。あいつは単純に水木れいじが好きなんだ。

水木れいじ歌詞追ってればそれで満足なんだ。

だって水木れいじは好きだ。だけど、そのやり方はスマートじゃないし、俺の哲学に反する。

音楽趣味IQの高さなんだなーって最近思い始めた今日此の頃。

やばい明日早出だったわ。おやすみ

http://anond.hatelabo.jp/20130828041214

2013-05-09

ベートーヴェンは素晴らしい!」とか言ってるヤツは中二

ベートーヴェンバッハは素晴らしい。多くの聴衆がそう評価する。


なぜ、彼らは素晴らしいのか。
それは彼らが音楽の形式や作曲法に関して歴史的に多大な影響を与えたから、だと私は思っている。
決してメロディーや聴き心地などという主観的なモノで学術的な評価がされているわけではない。
まり彼らの価値は、音楽理論音楽史が分かっていないと評価できない。

科学で言うところの、微分方程式ニュートン力学発見したニュートンのような存在だと私は認識している。
当然、それらは高校程度の物理数学を学んでいないと価値はわからない。

クラシック音楽を素晴らしいと言うことは、物理偏差値40にも満たない高校生中二病をこじらせて、
波動方程式がどーのこーの、言ってるようにしか思えないのだが。
バッハシャコンヌ人生のもの」とドヤ顔で語ることは、「クラナド人生」と言うことと同じだよ。
多くの聴衆にとってミスチルモーツァルトも変わらんよ。

2013-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20130301134148

作曲こそやりつくされちゃってる領域だけどな。

音楽理論の初歩の初歩の方だけでポップスだのロックだのはほとんどカバーできるし、最先端理論現代音楽何つったら超難解であり作れるのも演れるのも聞けるのもごくごくごく一部だけだろうし。

2013-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20130227024959

ははは、わかるよその憤り。

優劣じゃない、差異はある、と。

音楽理論を学べばわかることだけど、音楽における重力ひとつじゃない。

「差異」はどこを底辺とするかじゃないの?

フランス料理を底辺としたらポテチが最高!とかありうる。みたいなね。

難しいよね。

2011-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20110720004947

人間が美しいと思う色彩だとか、人間が綺麗だと思う音色だとかは、そんなに変わらないもんなんだよ。

じゃなきゃ音楽理論とか色彩学とかこんなに発達しないだろ。

その上で、あの白地に赤丸が「なんか目立つ」だけの美的センスのかけらもない糞デザインであることは自明

あの「きぃぃぃぃぃぃぃぃぃみぃぃぃぃぃぃがぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」が超絶間延びしてることも自明

2011-07-16

音楽理論を本気で学びたいのだけれど

いい書籍がわからない。

これとか

これは読んだけど

何というか物足りない。いや、最低限必要な知識なのはわかる。

かといって、ポピュラー音楽理論はどうよってことで

これっていうのも何か違う。

一般人が、それこそバークレーみたいなところで学べるような

音楽理論テキストって、無いもんなのだろうか。

ネットで調べても、基礎の基礎みたいなものしか出てこないので

いい書籍をご存知の方がいたら、教えていただきたいです

2011-03-04

作った経験理論とどちらがプログラマになるのに有利なのか

作った経験理論とどちらがプログラマになるのに有利なのか大学生に聞かれた。

「やりたい事があるのが大事。それがあればあとはぶっつけで動いて、否応なしにプログラミング力はつく。」と俺は経験的に思っている。それが良くわかるエントリリンクしておくので参考にされたい

http://anond.hatelabo.jp/20100725043438 プログラミングを身に着けるには

http://anond.hatelabo.jp/20101203150748 自分WEBサービスを作りたいと思っている人へ

http://i.2chblog.jp/archives/1845528.html 年収1500万円超えたフリープログラマだけど何か質問ある?

以下、よく聞く意見について。

「今の就職活動学生時代に作ったものがあっても大して評価されない。」

そうした採用しかしない企業がどのような状態なのか考えてみるべき。

http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50254634.html プログラマー面接時の技術的な質問事項(アプレッソ版)

http://anond.hatelabo.jp/20100813023359 FizzBuzz(の仕様を聞かされても)書けないプログラマ問題と面接について大量にレスがついている。ダメ面接の具体例があるので参考になるだろう。

グーグルなどはプログラミングが出来るかどうかに関係なく天才を採っているらしいじゃないか

あなたはそんな天才なの?ほんとうにあふれ出る才能だけで自分が評価されるような人間だと自信があるなら、もう日本にいないか、少なくとも俺と話してる場合じゃないんじゃないの。

理論を学んでいないやつのいけるところはたかが知れてるよ」

理論さえ修めていれば、優秀なプログラマになれるのかというとそうでもない。音楽理論を修めていれば優秀な作曲家になれるかというのと同じ。なんつーか適性やセンスの問題、、とあまり言いたくないんだがプログラミングにもそれがたしかにある。

ここで、とりあえず何か作ってみるというのが大事なわけ。作ってみると適性がわかる。そして伸びる。適性がなくても無理やりやってれば上手い具合に自己開発できるかもしれない。無理やりやるのが楽しいかと言われると不安だが、楽しさに突然気づく可能性が無いともいえない。伸びる過程で理論が必要だと気づいて必死に身に着ける人もいる。ほら結局理論が必要だ、だから学歴が全てなんだよってのはちょっとまて。確かに、適性があるなら大学で専門的に学んでいれば、あとから必死に独学するよりも要領のいいコースに乗ったことになるだろう。けど、学んだ人全員に適性があるわけじゃないんだよ。

適性とかそんな次元じゃなく理論だけで世界を制するような人材なら就職でそもそも悩んでいないと思う。しかし世の殆どの人は俺も含めてそこまで天才じゃないんだ。だから殆どの人にとって、自分が本当に出来るのかどうか知るには、やってみる必要がある。殆どの人にとって、理論だけで自分には人より才能があるという気になり、そのせいで実際にやってみなくなるのはただリスキーなだけだ。

http://www.aoky.net/articles/jeff_atwood/why_cant_programmers_program.htm どうしてプログラマに・・・プログラムが書けないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20100128004640 IT土方なんて、ただの甘えでしかない

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=16763692 T京K芸大学マン学科一期生による大学四年間をマンガで棒に振る (分野は違うけど考えさせられる事は多い。非常に話題になった作品)

http://alfalfalfa.com/archives/2297820.html プログラマ挫折者

2010-11-02

冬空と君の手

音楽理論をかじったら、キーボードが何だか簡単な楽器に思えてきた。

1万ぐらいでシンセが欲しい。ハードシンセね。

2010-02-17

しばらく会ってなかった友人から電話がかかってきた

その友人、中学の時にギターを教えてあげて、それからバンド組んで、ずっと一緒に音楽やってきた。どちらかというと、俺の方が音楽に詳しくて、演奏アドバイスしたり、音楽理論を教えたりしてた。

彼は高校を出て、今は音楽専門学校にいる。俺は普通大学に通ってる。

彼は今、オーディションやらライブやらで忙しいらしいが、それでもすごく楽しそうだった。俺は、せっせと資格試験勉強

高校の時は、大学に行くのが当たり前だと思ってたし、大学に入る時から、この難関資格を目指すことを決めてた。

だから、俺はこの勉強を精いっぱいやればいいだけなんだけどな。

たまに、自分の部屋の隅に置いてあるエレキギターを見て思う。もし俺が、彼のように、大好きな音楽に向かって突っ走っていたら、今頃どうなっていただろう、と。

べつに、今の生活がいやになったわけじゃないし、自分音楽世界プロになれる才能があるとも思ってない。ただ、高校時代に、もっと夢見てもよかったんじゃないかな、と思う。

そして社会に出てから「大学時代にもっと夢見てもよかったんじゃないか」と思うのだろうか。

2010-01-10

なぜ良いコンサートは眠くなるのか?

くだらないことから、……やはりくだらないことまで増田にいろいろ記事を書いてきたが、そうだ、苦手なジャンルの記事も書いてみよう、ということで、音楽の記事を軽く書く。

とは言え、私はほとんどアニソンしか聞かないので、さて何を書こうと思ったとき、前々から思っていた疑問である「駅前で演奏している生の音楽に(音楽のセンスのない私が)たまに異常にインパクトを受けるのはなぜか?」をちょっとだけ言及したい。

もちろん、音楽にはちゃんと音楽理論があるらしいので、的外れかも知れないが書いていきたい。

まず、やはり私がインパクトを受けるのは、「演奏が(ある程度)うまい奏者」だと思う。別の楽器から紡ぎ出される……別の場所から空気の振動として、自分の体それ自体にも伝わってくる音色リズムアセンブルされて一つの調和になってしまうという驚き、インパクトというのはあると思う。ヘッドホンスピーカーでは、あまりその辺が分からない。もっとも、私の使っているオーディオがしょぼいから、という面は大いにあるだろうが、音響の良い映画館音楽を聴いても、やはり、何か違うなあ、と思ってしまうのも確かだ。

それでもう一つ思ったのは、月並みだが、ライブかどうか、という面が大きいのではないかという点だ。

なぜ、ライブかどうかが重要かというと、観客の心の一部に「演奏者の失敗を期待している自分」という面があるからではないかとと思う。それを別に責めている訳ではなくて、スリルの裏返しでもある訳だから、それも含めて観客は楽しんでいるし、演奏者もそれも含めて楽しませようとしているのではないか。

だから、そういう意味……ストリートパフォーマーという意味で、大道芸人とミュージシャンは一緒くたにされるのだろうと思う。

そして、題名の件に話が移る訳だが、「良いコンサートは眠くなる」らしい。私もネットで見た発言なので、そうらしい、としか言えないが。おそらく高級なクラシックコンサートハイソ現代音楽のようなコンサートの話をしていると思うので、ふーん。そうですか。おにぎりおいしいです。としか言えない面はあるが、何となく理由は想像できるような気がしてきた。

要するに、無茶苦茶設備が整ったホールで、マナーの良い観客の前で、一流の演奏者が演奏する訳だから、もはや「精密すぎて」もはや人間演奏しているのか、機械が音を出しているのかよく分からない境地に達しているのではないだろうか。……いや、そう書くと語弊があるか。「安心感」が異常にありすぎるということだと思う。

だから、街の雑踏の中では、「それなりにうまい奏者がうまく弾ききれるか」という面で、スリルを感じた衆目の目を惹きつける、という様な意味では、なかなか良くできたシステムだと思うし、「良いコンサートは眠くなる」という話は、なかなか贅沢な時間の使い方で大変結構なことではないか、などと思う。

2009-11-21

小説を書くことを挫折した。

 色々と自分が嫌になったので、やけくそになって増田で思考を垂れ流すことにした。

 小説を書くことを挫折した。

 前々からそうなる傾向には気付いていた。書くことを全く楽しんでいなかったのだ。やれプロットの辻褄だの、やれ目を引くテーマだの、そういうことばかりを考えていて、シーンやキャラクターを生み出す楽しさを全く感じていなかった。

 短編は何作かつまらないものを完成させられた。

 しかし、長編は結局一作も完成させられなかった。次々に浮かんだ素晴らしき長編アイディアは、執筆に入った途端思いついた当初の美しさが嘘のように無くなり、小説として書いていくにつれただの醜い駄文の山になった。矛盾満載、キャラが不自然、文章の流れがド下手、何よりつまらない。その時点で、もう嫌になった。

 俺はそれを、「このジャンルは向いていなかったんだ」と現実逃避することにより自分を納得させ、諦める度に別のジャンル転向した。推理小説SF、風刺小説メタフィクション、現代物、官能小説ライトノベル。少しでも興味のあるジャンルなら、あれこれと挑戦した。だけど、全部駄目。結局完成させられなかった。

 最後の頼みだった自分の半生を元にした恋愛小説。それも駄目だった。書く途中で破綻している部分が何箇所も見つかり、もうそれで嫌になった。これなら書けそうと思っていたモノすら書けなかった。最後の頼みの綱だったが、書けなかった。

 思えば、俺は何がしたいのだろう。何か、作ることに憧れている。

 高校生の頃、ある作家に憧れ作品を作り出そうと思ったのは良いが、結局は駄目だった。色んな小説を読んで勉強をしたは良いが、全力を出し切れた、書き終わっただけで満足だと思った作品は、一つもない。

 書いていて楽しくない。面白さの定義を考えている内に、何が面白いのかすらわからなくなった。従って、進むべき道筋が見えず、どういう努力をすれば良いのか分からない。分からない。何も分からない。楽しくない。自分妄想を、ことごとく作り出せない。書き終わったとして、あまり達成感がない。自信がない。

 そもそも、俺は本当に小説が好きなのか。好きじゃないから、面白さの定義すらわからないのではないか。

 今分かった。俺は、ただ承認欲求が強いだけなのだ。褒められたい、ちやほやされたい、そういった類の欲望だけで創作を志し、更に言えば創作を続ける根本の理由もそれだけだから、自分の作品の不完全さに絶望し、最後まで書き上げることができない。これではとても絶賛されないからと、途中で諦めてしまう。

 それでいて、小説をやめて今度は絵の道に進もうかと無意識に逃避しているのだから馬鹿馬鹿しい。絵なら小説よりも作り終えた作品の自己評価がもっと客観的にやりやすく、だから成長していくうちに自信を付けていけられるのではないかとか、絵なら小説と違ってネット世界で受け入れられやすいのではないかとか、そういう甘えた考えばかりが頭を占めている。

 デジャブだ。思い起こせば、俺は小説世界にも作曲から半ば逃避して入ってきた。音楽理論ばかりに振り回され、作る楽しみを見いだせなくなり、挙げ句物語世界でなら楽しんでやれるんじゃないかと甘えて、小説を書き始めた。でも、結局は駄目だった。恐らく、絵の道に入っても同じことを繰り返すのだろう。

 それでも、何かの作品を作って賞賛されて、認められたいという欲望は、今現在全く枯れそうにない。

 俺はこれからどうすれば良いのだろう。

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081211224903

ハ長調と二長調が別に聞こえるってそりゃ普通だ。威張ることではない。本当はそういう雰囲気や気分の微妙な違いを考えて曲を作る。(だから昔の人はそういう違いを言いあてたいから、あれこれ表現したってわけだ)

でも、ポップスはどうかな。タダの音域あわせという発想でいいかもしれない。クラシックだって歌の場合は移調するからね、声域によって。あまり難しく考える必要はないかもしれん。

ポップス音楽理論でどこまで実践したいのか知らないが、移動ドで考えると即興で移調できたりする(訓練は必要だ、そりゃ)。あと、微妙音程感覚は移動ドのほうが感じやすいだろうな。絶対音感なんてものはどうでもいいし。ま、それも電子楽器つかうだけなら関係ないし、ギターって言っても、なあ。名人クラスはどうか知らんが、たいていそこまで考えて音程とってないだろ、普通は。

本当は歌やる人は 、自分音程を作る楽器を何かやって半音微妙な違いを鍛えた方がいい。けど、これも普通はしなくてピアノどまりだね。

音楽理論というからあれこれ書いた。続編頼むぞ。

2008-12-11

音楽理論について

ポップスの根幹を成すコードというものは基本的にスケールを一つ飛ばしで作るものだ


スケールとは音の並び、もっと言えば音がどういう間隔で一オクターブ上まであがって行くか、である

そのため、ドレミファソラシドとレミファソラシドレは違う

レミファ#ソラシド#レなら同じである


全ー全ー半ー全ー全ー全ー半で一週するのをメジャースケールという

全ー半ー全ー全ー半ー全ー全で一週するのをマイナースケールという

ポップスは、ほとんどこのスケールである

ジャズブルースは違ったりする

ここで唐突に出てきた全半の記号ではあるが、

これは全音半音を表している

ギターなら1フレットが半音、2フレットが全音

ピアノなら白鍵黒鍵ごたまぜで鍵盤一つが半音、二つが全音である


そして、このとき基準となる音を、最初に弾く音とする

これをキーとよぶ(大事な音であるからだろうか?)

キーはアルファベットで書かれるが、

要はC=ド、D=レ、E=ミ、F=ファ、G=ソ、A=ラ、B=シという至極単純な読み替えである

キーを一つカラオケで下げたりする人がいるが、僕としては二つ下げたほうが歌いやすいと思う

理由は後々触れると思う


コードの話に戻るが、コードを作るには、

最初に基準の音を決め、そこから一個飛ばしにして取っていく(例)ドミソ、レファ

こうして重ねたのがコードである、ということで今回は終了

2007-06-29

ニコニコ動画でなんかもってけセーラー服の評論をやってたのでコピペ

もってけ!セーラーふく」こそ日本音楽史上の事件である。

従来の日本のラップは構造をそのまま輸入したものだった。

それは高低アクセントモーラ拍のリズムによる詩(短歌俳句)、

モノフォニー的詠歌の日本語とは本来相容れない。

さらに日本ポップス西洋的な歌唱法(「伸びやかな」発生)を模倣したものだった。

これも日本語の唄とは相いれない。

冒頭ラップはF7に固定だが、メロディラインは日本語の高低アクセントに委ねられている点

そして、これが重要だが、英語的な強勢アクセントを人工的につけてはいない点だ。

しかもサビは一転してコード進行による和音が支配していると思いきや、

メロディラインは日本語の高低アクセントにほぼ合わせてある。

ここで高低アクセントと合っているため「西洋的な歌声」を無理に出す必要がないのだ。

だからラップと同じ語るような歌声でサビを歌えるようになっている

さらにさらに、ラップとサビが日本語の構造と合っているため、

中間部分のアドリブの「語り」が、何の違和感もなくハマっている。

コード固定のラップ」「アドリブの語り」「機能和声のサビ」

という三者が音楽的に統一されているところが天才的。

「dance2」にインスパイアされて作られた「もってけ!セーラー服」だが、

その間の音楽理論的飛躍は凄まじいものがある。

ちなみに従来のラップ(英語的構造を日本語に流し込んだだけのラップ)だと、

いかにも「英語臭い」音楽になっている。

もってけ!セーラーふく」のラップこそ真に日本語的なラップであろう。

F7コード固定で英語臭い強勢アクセントもなしに高速ラップが可能になった。

いやむしろ、「だからこそ」高速ラップが可能になったといえよう

これがこの曲が革命的な曲になっている理由である。

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