http://neralt.blogspot.jp/2013/09/aiko.html
これを読んでさらに色々言いたくなったので書きます。まずはこの記事で分析されてるサビのコードを引用します。
「サビ」 夏の星座に〜 こんなに好きなんです〜 /FM7/Em7 Am7 (G)/F△ E7 /Am Gm7 C7/ 夏の星座にぶら下がって〜 火を消した〜 /FM7/Em7 Am7 (G)/F△ Em7/Dm G7 /F Em7/Dm Dm on G/
ちなみに原曲Fメジャーのところ、Cメジャーに移調されてます。
さて、まず一見してわかることですが、キーが C メジャーでありながら、一度も C△ が出て来ません。キーが C であるというのは、言い換えると「C△のコードが一番安定感がある」ということです。でもこの曲はサビで一度もその「安定感」に落ち着きません。
でも C7 は出てきていますね。しかし、これは Gm7 → C7 → FM7 という動きの中で出てきています。この動きは「II of IV → V of IV → IV」で、いわゆるツーファイブと呼ばれる進行です。わかりやすく言うと、このC7は主役ではなくて、FM7に行くための「つなぎ役」みたいな役割をしています。だからこれは C ではなくて FM7 の一部であると考えるべきでしょう。
さらに、リスナーにとってこのコード進行で一番印象的な音はどこかというと、最初の FM7 だと言って良いでしょう。なぜか。それは、まずはサビの「一番最初の音」という一番印象に残る音であること。さらに、一小節まるごと同じコードで押し通しているのは FM7 だけです。その上、前述の通り二度目の FM7 にはツーファイブ進行で入って行きます。ツーファイブから入って行くと、そこに一種の「解決感」が生まれます。つまり、「あっここでちょっと落ち着いた」という感じですね。これにより、リスナーの耳には FM7 が一番強く印象づけられるようになっているのですね。
さて、ではこの FM7 というのはどういうコードでしょうか。キー C においては「サブドミナント」と呼ばれる役割をするコードです。コードの役割はトニック、サブドミナント、ドミナントに分けられる、なんて音楽理論のひとは言いますが、サブドミナントはその中でももっとも「ふらふらした」性質を持ちます。というのも、トニックコードは「安定感がある」のがウリですし、ドミナントコードは「トニックの前にならしてトニックに移動することで解決感を出す」のがウリです。サブドミナントはそのどちらでもない、なんともふわふわした性質を持ってるんですね。「トニックほど安定してないし、ドミナントみたいに行き先が決まってるわけでもない」って感じです。
一度まとめましょう。このサビ、キーが C でありながら、最も安定する C△ に一度も安座せず、ずっとふらふらしています。しかも、このサビを一番特徴づけるコードである FM7 は、「ふらふらしてる」がウリのサブドミナントです。要するに、このサビ、めっちゃ「ふらふらしてる」んですよ。
さて、それだけならば、「へー。なるほどね〜」という感じなのですが、aiko の花火は、これが「詩世界を支えるために」作られている(あるいは逆、詩世界がこの音楽的構造を支えている)としか思えないところが凄いんですね。
(1番) 夏の星座にぶら下がって 上から花火を見下ろして こんなに好きなんです 仕方ないんです (2番) 夏の星座にぶら下がって 上から花火を見下ろして たしかに好きなんです 戻れないんです
夏の星座に腰掛けるわけでもなく、「ぶら下がる」という不安定な状況。「好きなんです。仕方ないんです」というフレーズも、その「好き」が安定して簡単にうまくいくものではない、あるいは、いってはいけないものである感じを出していますね。そして、「戻れないんです」と敢えて言うということは、「本来は戻るべき」なのに戻ることができないという不安定な状況なわけです。
歌詞世界も、音楽も、どちらもリスナーに「不安定な感じ」を感じさせるために仕組みが随所にばらまかれています。この不安定さが aiko らしいちょっと切ない感じを生んでいるわけです。こうして分析してみると、aikoはかなり自覚的にクレバーに作詞作曲を行っているミュージシャンだな、と感じますね。
さて、ここまでアツく語りましたが、わたしは aiko の高い能力をすごいと思っていますが、シンガーとしての彼女はどちらかと言うと嫌いです。いえ、素直に言いましょう。大嫌いです。なんか飲み会でコミュ障気味の童貞にボディタッチかまして勘違いさせて安全なところから恋愛ごっこするスキル高そうな感じをその曲と歌と佇まいから受けます。怖い。でも良い曲、悔しい聴いちゃうビクンビクン。
追記:
id:twelvescales CメジャーとAマイナーを行ったり来たりしてるのでCメジャーと言い切るのはちょっと乱暴かと。E7 - Amでちゃんと解決してるし。むしろ王道の進行なので似たコード進行のヒット曲多数。「Just the two of us」じゃん。
元ブログにもあるとおり、たしかにこのサビってAmっぽい調性なんですよね。とくに E7 - Am は強進行で、ここで一気に調性が Am に近づいてる。でも次に Am に行くときには E7 ではなく Em7 からで、しかもそのフレーズの最後は Dm7-G7 というかなり C メジャーっぽい進行になっています。他の人からの指摘もあるとおり、この平行調をふらふらと行ったり来たりするコード進行って心地いいからいろんな曲で使われてますね。とくに F G Em Am という進行は「王道進行」なんて呼ばれてて(わたしはこの「王道進行」という言葉の定義が well-defined ではないので好きではありませんが)、その意味で、コード進行だけを取ったら決して「独創的なコード進行」ではないです。この記事、「独創的なコード進行ですごいよね」ということは書いたつもりはなくて、「コードが担う役割と歌詞が担う役割がきちんと計算されててすごいよね」ということを書いたつもりだったんですけど、ちょっと書き方が良くなかったですね。ちなみに記事では書いてないんですけど、メロディもかなり自覚的(だと思われる)仕掛けが仕組まれてて面白いです。だれか書いてくれないかな。
ちなみに、「王道進行」についてですが、なんか王道進行っていくらでもヴァリエーションしますし(というかそもそもどっからどこまでを「王道進行」と呼ぶの? FM7 Fm7 Em7(-5) A7 は王道進行ですか? でもこれ F G Em Am とはだいぶ雰囲気の違う進行ですよね)、むしろ私は「どうバリエーションするのか」というところに意味があるなーと思っていて、その意味ではこの楽曲は G に行かずに FM7 にとどまるというのがいい効果を上げているな、と思うんですよ。それが「FM7が一番印象的な音になってる」という部分ですね。「王道進行」という概念が発明されてから、「これは王道進行だね」でアナリーゼが止まっちゃうの多くて、わたしはちょっと残念に思っています。
aikoの「花火」は大して凄くない 私がプロのミュージシャンをやめる日 もう一つは、王道感のウソという話。 音楽産業で信じられてる"怪しい伝説"にこんなものがあるらしい。 「1...