はてなキーワード: 震災とは
個人か団体かで話が変わってくる案件ですが、個人の場合は「仮復旧して体制が整うまで待つ」事が最善になります。
現場もネット上も、5年前の震災で既にノウハウは十分に蓄積されているので、今から新規に立ち上げるよりも早く、寸断された道路が復旧できるはずです。
【拡散希望】『阪神大震災被災者からのお願い』 嬉しいんです!嬉しいんですけどその援助、もうちょっとだけ待って下さい! pic.twitter.com/2BgwW00mRx— 澤田 圭 キャラクターデザイナー (@keisawada) 2016年4月16日
でも、言いたい事は解るのですよ。
まず、くだらん書き込みをしてくれた自称「保守」諸君、どうもありがとう。諸君の行為によって、100年前の日本人の恥ずべき行為に対して、人々の関心が再び集まった。歴史を直視することはどのような集団にとっても重要なことであり、ことに自分たちに都合の悪い歴史を直視するのは勇気のいることである。諸君の書き込みのお陰で「震災+虐殺」で検索する人々は増えたであろう。このような機会がなければ、どんどん風化していく過去であるが、極めてショッキングな形で、これを改めて日の下に引きずり出してくれた。感謝したい。
また、その上、現在の自称「保守」の皆さんのいわゆる民度が100年前のそこから一歩も出ていない(ジョークとして消費できるというその感覚!)上に、歴史に対するどのような反省もないという点で、お仲間の市会議員・新聞社メディア等を巻き込み、極めて悪質であるということを満天下に知らしめた(http://b.hatena.ne.jp/entry/ironna.jp/article/3143)。この点においても、その功績は大である。おそらく、先日の「保育園落ちた」騒動と同じように、国会で取り上げられるなりすれば、ヘイトスピーチ規制を一段と進めるよいキッカケとなるだろう。『ヘイトスピーチが蔓延した結果、このような言動をする人間が実際に出てきているんですよ!どうですか!』…と言われて、公にヘイトスピーチ規制に反対できる人はいるまい。
正しい保守の皆さんも、さすがに「こんな連中と同一視されたら、ちょっと困るんで…」という引き気味の反応になっており、大変望ましい状況である。自称「保守」の諸君が、その仲間内で極めて醜悪なコトバを日常的に消費しているのは知っているし、もちろんそれは自由である。そして、それが自由であるということは、結果としての他者からの視線や批判を謙虚に受け止める責任も負うということである。諸君がどのように見られるかは、諸君の言動にかかっている。それは誰の陰謀によるものでもない。自業自得である。
なお、親切心から少しアドバイスをしよう。諸君への批判者=左派だとどうも諸君は信じているようだが、左派が自分たちに対してそのように敵意むき出しでかかってくると実際に思っているところを想像すると、いささか滑稽な感があるのは否めない。諸君への批判のうち、大変純真な反応を示しているごく少数を除けば、半数は一般的な「良識」からの拒否反応であり、残り半数は「保守を名乗って醜いことをするな」という保守の皆さんからの批判であるとお見受けする。社会の片隅でひっそりと左派を自認する立場からすると、諸君がまき散らしているヘイトスピーチ自体には特に『興味がない』。当初はその傍若無人さや余りな不勉強に眉をひそめることもあったが、いまでは諸君のことを「理屈ではなくそう信じている人たち」として心静かに眺めるようになった。信仰ならば、どのような非合理的主張も行動も、そういうものと思って眺めるのみである。「神は存在する」という主張に対して「反論」をする意味がない。
そんなわけで、自称「保守」の諸君が左派を攻撃するつもりで今回の件において自分たちへの批判者を攻撃すると、随分的が外れるどころか、ごく普通の保守の人たちの気持ちを逆撫でする結果になるだろう。その結果、諸君はますますカルト化していくことになり、最終的には保守的潮流自体を退潮させる結果につながるだろう。そのことは、少し自覚しておいた方がいい。
左派の側として、実は政治的に一番困るのは、今回の件について諸君に「謝罪」されたり「素直に反省」されたりすることである。自称「保守」の諸君にも一片の理性があるではないか…という雰囲気になると、本当のところ大変困る。なのになぜ正直にこんな話をしているかというと、まずそういうことは起こらないだろうと安心しているからだ。そもそも、自称「保守」の諸君は、私が左派であると知った時点でもうこんな文章を最後まで読んだりはしないだろう、それどころか、一行目を読んだ辺りでもうタブを閉じているだろうから。さらに、私がどんなに理のとおった有用な忠告をしたところで、諸君が私の忠告を受け入れるはずがないということについてもほぼ確信している。左派の言うことを聞くくらいなら死んだ方がマシだと思っているだろう。全くそれで構わない。そもそも、私も諸君に話しかけているという体で、本当のところはここまで読んでいるであろう一般の保守及びノンポリ良識派のみなさんに語っているのだから。だから、自称「保守」の諸君はそのまま変わらないで構わない。まあ、私が構おうが構うまいが変わらないことは変わらないだろうが。
というわけで、今回の件は、自称「保守」のカルト化の進行が、保守潮流全体の行き詰まりや退潮の兆しを明らかにする段階に至ったことが見られたという意味で、印象的な出来事となった。本屋などでも、自称「保守」の諸君が喜びそうな本を並べたコーナーは最近縮小しつつあるように感じていたが、その理由が今回の件でよく分かった。あとは、カルト化した連中による「事件」が起これば、それが決定打となるのだろう。それはおそらく1、2年のうちではないかと踏んでいるのだが。
最後に…最後まで読んでくださっている、自称でない普通の保守、またはノンポリ良識派のみなさんの、そのうちの極めて読解力の高い少数の人……私の皮肉に満ちた冷たい言い草から、それとはまた違った気持ちを汲み取っていただける人がいるとすれば、その方々にはこう申し上げておきたい。ご批判は甘受します。ただ、私がしているのは、今ではなくその先に向けた準備なのです。
草で腐すことを覚えたのがいつだったかは覚えてないが、それでも草を生やさずにいられなかった。
ソメイヨシノの季節が一週間経たずに終わって、まだ里桜や八重桜が残っていたけれど、なんか物足りないなぁとググること五分、サクラソウの存在を知ったのが一週間前。
震災を機に、俺のような底辺でも移り住めるほど家賃がだだ下がりしたTDLのお膝元の浦安からサクラソウの自生地がある荒川の辺りまで40km、行けるじゃん、行こうぜと脳内麻薬をドバドバ出しながら歩ききったのが二時過ぎ。待ち受けていたのは草っ原だった。
欄干から下を見下ろした時、何となく爽やかな緑色だなぁという予感はあった。荒川が日本に誇るスーパー堤防は、それが守る川からして明治時代に作られた放水路という徹底管理された人工緑地だが、遠目には美しい。だが、近寄ってみれば羽虫が湧き湧きしているやはり近寄りたくない所だ。足立区付近だとブルーシートも点々と湧き湧きしていて、北区との格差を考えてしまう。
爽やかな風に運ばれる虫にいい加減に疲れていた俺は緑と青以外の色に焦がれていたわけだが、サクラソウ自生地は近寄ってみてもやっぱり一面の草だった。いや、よくよく見れば雑草の影になってピンク色の可憐な花が顔をのぞかせている。これがサクラソウか。だが、如何せん草だらけだ。
見学路に面して奥ゆかしく白い看板が所々に立っていた。サクラソウ、うむ。カントウタンポポ、西洋タンポポじゃないんだ。アリアケスミレ、咲いてないのが残念。ノウルシ、さっきからサクラソウを邪魔しているのはこいつかー。
よくよく見れば埼玉で絶滅第二種、国内で準絶滅種と書いてある。サクラソウも絶滅しかけている貴重な花とのことだったが、この目を凝らせないと分からないような黄色い花弁をつけたノウルシも貴重だった。さっき、疲れて自制心が落ちかけて手で退けようとしたのをすんでで止めて良かった。手が被れるところだった。
サクラソウの説明によれば、夏場は背の高いヨシがサクラソウを守るとのことだったが、つまり背の高いヨシが(光を防いで他の草の植生を妨げることで結果として)サクラソウを守るということだろう。違ってたらすまぬ。
要するに、いつもなら周りの草が生え揃う前にサクラソウが可憐な花を咲かせて、その後育成の遅いヨシが生えてきて日陰ネラーのサクラソウを守る、みたいなサイクルだったのが、暖冬だった今年、サクラソウより早く雑草っぽい貴重種が花と一緒に生い茂ってしまったわけだ。絶滅危惧種という植生ピラミッドの底辺がさらに底辺を虐げる。サクラソウ自生地という、定期的に通る武蔵野線と車道が雰囲気をぶち壊しにしていく都会だか田舎だか分からないような微妙さの中で行われる生存競争に、俺は日本社会の行く先を思わずにいられなかった。
サクラソウが虫媒花がどうか知らんが、俺が虫だったらよっぽど目立っていたタンポポに集まっていたと思う。実際綿帽子だらけだった。サクラソウを圧倒していたと思う。縁が白いシロバナタンポポにも久しぶりに出会えて、サクラソウより写真撮った。さすがタンポポ、美人より万人に受ける可愛さを選択した植生界の子持ちDQN。サクラソウ自生地をサクラソウ自治区だと思い込んで手を打たなかったら三十年後はタンポポしか生えてないんじゃないの?
こんなことなら、赤羽近くの土手に植えられた芝桜を麓からもっとちゃんと見ていたほうが良かったな。ニッコウキスゲを初めて見た時はカタログ詐欺じゃなかったんだが、つくづく難しい。
20歳くらいから、ずっと地震に興味があって、さまざまデータを見たり調べたりしてきました。
途中数年はお休みしましたが、ここ4年くらい、また再開してます。
直前に、体調悪いな、と思った方いたかもしれません。
これなんですけど、世の中には「体感」と呼ばれるものを持つ人がいます。地震の前触れや前兆を無意識に感じます。耳鳴り、めまい、頭痛、フワフワ感が代表的です。震源地の方を向くと耳鳴りがする、と言う人もいます。
なんですが、これらを体感として捉えるのは簡単ではありません。たいていがニセ体感です。
まず大前提として、地震を当てている体感持ちの人の多くは、当日前日ではなく、早ければ10日〜一週間前には体感を得ます。
熟練した人であれば、月単位で推移を見ながら、前兆を察知します。
なので、まずは、その体調変化が当日突然、などの場合は単なる体調不良である可能性の方が圧倒的に高いので、体感と呼ぶにはちょっと時期尚早です。だいたい、今回くらい大きいと、体感持ちではなくても2〜3日前からわりとフワフワしてたりダルかったりするもんです。あと、ソワソワしたり。
で、細かい話です。
その1
地震は、低気圧が去ったあと、高気圧に引っ張られて発生することがよくあります(逆に言うと、低気圧の最中は地震が起きにくい)。「よくある」というだけで、当たり前ですが低気圧は地震前兆ではありません。いわゆる「ニセ体感」はこの低気圧が原因であることがほとんどです。私も今回の地震の日は、一日中えらい頭痛がしましたが、かなりぐーっと気圧が下がっていた日でした。私はこれが体感だとは思いません。
その2
地震発生前に地殻変動が起きることで発生する磁波が体調に影響することもあります。多くは耳鳴りに出るようです。これは体感と呼んでいいと思います。耳鳴りの種類、大小で地域や規模がわかるようです。
が、これも地震由来ではない磁波も多くあるので、よっぽど普段から耳鳴りと地震に意識がない限り、関連付けは難しく、大震災を二回感じればまあ、人に言っていいかな…レベルです。M4程度の磁波からつかんでいたら、多分普通の生活できません。で、ホンモノの体感持ちさんは、普通に生活できていないことも多いのです。
その3
月の満ち欠け。天体の動きは重力に影響するので、当選地震にも影響があると言えます。
が、特にほとんどの女性は月単位で体調が変化します。これはどうしようもないことです。なのでこちらも、月単位での記録をしているなど、よーく精査がされていない限り、ただの毎月の体調変化です。
他にもさまざまあります。
繰り返しますが「今回の地震の前に具合変だった!」ということは体調に敏感な人であれば普通のことです。なので、次、耳鳴りがあったり頭痛があったりしても、普通の体調不良である可能性をしっかり認識して早とちり、思い込みのないようにして欲しく思います。仮にそれが体感であれば、この数日はまともに生活できていないと思いますよ。
なによりも良くないのは、周りに触れ回って他人を不安にさせることです。体感から地震を予知しようと思うなら、数年単位で修行してデータをとって、さらには体感だけではない、科学的・物理的・天文学的に多様な情報を集めて、そのうえでようやく大事な人に言っていい、くらいです。
ちなみに私は、データ取りまくってる人の体感なら信じますが、占い的な人の体感は信じません。こんなふうに、信じる、信じないは自由です。でも、発信する側になるなら、命に関わることだと肝に銘じてやってほしいと強く思います。
この手の連中は、それ以前は他人が助けを求めるその手を振り払ってたってことなんだよね
震災に関してもそうだし
人の助けを無視していた奴が舐めたことぬかしてんじゃねえぞ
これも保存
実感した後変わることもある。
震災は大変だよ。
被害がどれくらいかも気になるし、どれくらいの命が助けられるか、はたまた自分をその環境に置き換えてどうしたら助かるかを目を皿にしながら考えることは本当に大切。
スポンサーのイメージもあるからバラエティが自粛するのは仕方ない。
だけど子供はそんなことわからなくて、とにかくテレビから流れ続ける大人の真面目な声と揺れたときの焦った声とでなんのことかわからずに不安になってしまってるんだ。
スポンサーが前提の民放にはできないことなのだからせめてEテレは子供向け番組を流して欲しい。
手持ちのDVDでもいいのだけど、テレビの中に元気な人間が写っていることが大切だと思うんだ。
改めて思うけど、子供の不安をぬぐい去るために自分たちのポジションを貫いてるんだろうな。
どこかのスポンサーが英断して、1日分のスポンサー枠買い取って子供が安心して見られる番組を一日中流してくれないかな。
速報もなくていいから。だって、大人たちはスマートフォンでいくらでも確認できるんだから。
今回の震災で確信した。原発はこの国から滅ぼさなくてはならない。
昨日熊本で震度7の直下型の大地震があって、被害は甚大だけど、でも正直、二次被害は東日本に比べて少ないことに安心した。このまま余震は段々小さくなっていって収まるもんだと思ったんだよ。
今これ書いてる時点で、ド深夜だよ?昨日よりデカい地震が2回あったって。前回よりも九州全体に範囲広がってて。
もうさ。
自然災害には、1分後の安全の保証もないってことを、1日で忘れた。
次の瞬間に川内原発の真下で大地震が起こる可能性が、この世にはある。それはセーフかもしれないし、アウトかもしれない。
でも、2011年より後の世界でその二択を優しく見守ってる状況、おかしいだろ。日本はもう一度負けてんだよ。何がセーフなんだよ。アウトだったら今度こそ日本どうなっちゃうんだよ。
俺たちは何で、地震があるたびに「原発大丈夫か!?」って思わなきゃいけないんだよ。
国民が原発にビクビク「させられて」るんだよ。俺たちは現在進行形で精神的ハラスメントを受けてんの。
反・反原発?逆張り系?の人がTwitterとかで放射脳とか色々言ってるの見るけど、
「被災者より前に原発の心配をしている。震災を政治的主張に利用している」とか
地震があったら地震被害と被災者の心配だけしてたいのに、何で原発の心配しなきゃいけないんだよ。
安全神話の一度崩れた原発の存在のせいで、被災地を越えて日本全国でその精神的被害者も増えるんだよ。
一時の利益のためにこんなリスク高いもん作ってさ。廃炉にするっつったってこれから何十年も付き合わされる訳じゃん。
政府はさぁ何ツーアウトもスリーアウトもあるような顔して「(今回は)異常なし」とか言ってんだよ。
もう無えよ。
何で俺は俺が生まれる前に誰かが作ったものにビビらせられてんだよ。
ふざけんな。
何か震災や被災があるたびに「かわいそう」とか「心配」とか「助かってください」とか
ツイッタやらSNSやら掲示板でやらヤフゴミやらここやらどうでもいいわ、
兎に角いろんなところで心配してそれにいいねとか拡散してるやつらのことな。
そして震災後の対応にシビアな意見を見つけたらイナゴのように肉も骨も食い散らかして攻撃していくやつらのことな。
こいつらの行動原理は主に2つ。
「心配する心優しい私を認めて欲しい」
1つ目は、糞みたいな自分の日常から脱却したい忘れたいという願望。
1999年ノストラダムスの予言に熱狂して信じてしまうようなタイプ。
地震や津波などの天災によって引き起こされる非日常感をエンジョイしてる。
台風きたり地震きたら興奮してドキドキしてアドレナリン出るやつ。
日常から解放される快感を味わいたいために特に関係の無い地域のやつでも
拡散に必死になったり参加してる気分を味わいたいのはなるべく長く被災状態(非日常感)を味わい尽くしたいから。
2つ目は、人から優しいと思われたい・優しい行為をしている自分は認められてもいいはずだという承認欲求。
そして自分と同じことをしている人間を見かけて褒めること、いいねすることで自分の行為も同時に肯定して
承認欲求を満たそうという考え。
これの素晴らしいところは評価数の多ければ多いほど心配コメントを評価する自分も承認されるので
発信すら不要で支持するだけシェアするだけで満たすことが可能ということ。
表だって心配せずともいいね押すだけやシェアするだけの水面下の心配宗もいる。
なので心配宗を批判するとこの水面下の人間からもカウンターパンチをもらうことになり意外なところから攻撃を食らいやすい。
現実主義者から程遠い意見が生まれるのもなるべくメルヘンチックな脳をしているほうが心配宗に適しているからだ。
やってることは「グリーンマイル見てごっつ泣いたわシェアしょ」レベル。
伝家の宝刀は、
・人でなし
・良心の欠片もないのか
・偽善も善
などなど。
心配する自分VS心配しない人でなしという構図を簡単に作り出しやすいため、
群衆を味方につけやすく、自分の中身の無い行動にも正当性を作り出しやすい。
簡単に言うと、
いや全くおかしくない
まずその心配宗派とも呼べる心配宗派世間教はこういった構造になっている
心配している、応援するなどと書き込むだけの生産性のない発信をする
↓
同じく心配宗派の人間がいいねを押したり☆を付けたりして拡散する
それによって心配宗同士で相互に承認欲求を満たし合い感動で日常生活の虚しさを満たし合う
つまり震災という非常事態によって非日常感をお手軽に感じて、それによって現状の自分の不平不満から離脱することでストレス発散している。
これは何か荒があればエリートを叩いて日常生活のストレスを発散させるのと原理的には全く同じ。
↓
たまに見当違いの支援方法を内輪で考えて発信拡散して被災地に迷惑を与える
↓
今現在自衛隊が救助活動しているのに感動映画をみていっぱい泣いた的なコメントと同レベルの交流を続けてる
↓
復興が進んで明るい話題に切り替えたくともこいつらの需要のために暗いニュースに編集される
こういうのをリアルで指摘すると伝家の宝刀「お前には良心がないのか」という言葉で切りかかってくる。
何を言っても無駄だし何か正論っぽいからこいつらの構造理解してない層も味方しだす。
手の付けようがない。
九州で大きな地震があった。3.11以来の震度7の地震だそうで、今でも余震が続いている状況で避難している方々は非常に大変だと思う。命からがら逃げてきた方とかいるだろうし、まだ倒壊の恐れがあるせいで家にかえることもできずに避難所で過ごしているのだろう。ニュースでは小学校に避難したにも関わらず体育館の中に入ることができずに道で夜を過ごした人もいると言っていた。非常に大変だろうし一刻も早く今までどおりの生活ができるようになることを祈るばかりだ。
そう、僕は何事も無く被災された方々が今までどおりの日常に戻ればいいと思っているし、心配しているというのも本心だ。しかし、芸能人や政治家がここぞとばかりにみんなで助けあおうということを発信しているのをみると辟易してしまうのである。芸能人だろうが政治家だろうが人なのだから僕が思っているのと同じようにその人達が心配していてもおかしくない。こんな震災があれば心配になるだろう。
しかし、それってわざわざTwitterとかFacebookで発信するまでのことか???
報道するのはまだ意義があるだろう。でも芸能人が心配ですっていうのになんの意味がある?それって騒ぎに便乗しての売名行為なんじゃないの?という想像が止まらない。いままで熊本とは全く関係なかった人間がここぞとばかりに私心配してますっていうアピールしてるがそれ本当なのか?私は心が優しい人間なんですよってアピールは1ミリも入ってないのか?私たちには歌を歌って応援するぐらいしか出来ることはありませんとか言ってるけど、歌をうたうことが応援になるってほんとうに思ってるか?自分がもし被災した立場だったとして歌を歌ってもらって勇気づけられるとほんとうに思ってるか?あの被災した時にこの歌に勇気づけられましたとか言って歌が売れることを期待したりしてないか?
こんな邪推をしてしまう僕はおかしいのだろうか。いや、まさかりが飛び交う日常を過ごしているはてなーの皆さんなら疑心暗鬼に苛まれている僕の気持ちをわかってくれるはずだと信じたい。
すまん、正確な統計は無い。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000141084.pdf
●災害時優先電話は、災害等の非常時に、発信呼に重要通信の識別信号を付す
こと等により、通信規制の対象外となって、優先的に取り扱われるものである。緊
急通報と同様、緊急時の通信手段として重要な位置付けを有するものである。
回線を確保してるわけじゃない。
東北とか東京とか向こうでばかり起きてるから完全に異国の話みたいな感覚(それでも準備はしていたよ)だったけど今回のですげーびびった。
最初軽い横揺れ?が始まって「おっ地震だ」とか悠長に構えてたら急に……テレビとかでいうところの「体験したことの無い揺れ」?がきて立ってられないのなんの。不意打ち度合からすると寝ていたらガクッと跳び起きる現象あるじゃん?あんな感じの衝撃が連続して上下左右に揺れる揺れる。しばらくしておさまるまでやべえやべえって心臓バクバクしながら止まるの待ってたら花瓶倒れる音やコップ倒れる音が聞こえてきて「あっコレ大事かも」ってようやく自覚したけどなんていうか内心まだどこか他人事で「やべーこれニュースになるわ」なんて思ってた。とりあえずこぼれたお茶拭いたり親戚から電話受けているとまたズドンと似たような余震が来て落ち着く為にテレビとかツイッター見てようやく震度7とか情報が入ってきた。まあその後は余震の合間に貴重品諸々をかき集めてすぐ避難できるように準備してたんだけど結局家で待機してる間に日付変わっててツイの皆静まり返るわけでさ。皆寝てちょっと心細いとかウダウダ考えるも自分も寝ようってんでヘルメット被って毛布にくるまって一夜を過ごしたんだけどスーッと眠りかけた所にズドンとでかい余震がくるから寝れなかったんだよね。以前震災にあった人とかも心細い思いしながらこんな余震で眠れない夜を迎えたのかな。半泣きで眠りかけた所を余震でたたき起こされてって繰り返しているうちに明るくなってた。今すごく眠い。まだ余震は続いてる。揺れてるのか揺れてないのかもなんだかわからなくなってきた気もするけど眠い。ヘリめっちゃ飛んでる。眠い。まだ自分が住んでる所は地震が酷いだけだけど、益城も安心して眠れるようになるといいなあ。眠い。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6197888
おかしくねえか?
未だに被災直後で救助活動が続いてる中でこんな悲劇的感情を煽るようなタイトルを付ける。
こんなタイトルにしたら被災した現実に対してやらなければならないことに立ち向かうための勇気・怒気がしょげてしまうだろ?
応援する気持ちと悲しむ気持ちってかなり別の感情であって応援する気持ちはポジティブ感情、悲しむ気持ちはネガティブ感情で立場としては真逆。
悲しむ気持ちからやっと立ち直って応援したり復興する気持ちが沸いてくるのにいつまでもネガティブ感情に浸らせるような報道したり、
震災直後の感情よりも体を動かさないといけない場面でこういう悲観的感情をあおるようなタイトルにして記事を投稿する。
そしてそれについて誰も何も言わない、会社として不味いとすら思わない。
終わってんな
しかもこのMMOのせいで民衆がさらに疑問に思わずに悲しみを共有して承認欲求を満たし合い、
心を日常から離脱することでストレスから一時的に離れ、感情に酔うことで災害ビジネスが提供するコンテンツとして消費が加速する。
これが被災地にとって一体なんの救済になっているのか?
現場の小石1つ動かせやしないのに悲しむだけで人を助けた気になっていい気分でいられる。
なぜ誰もこの異常な状況に異を唱えようとしないのか?