はてなキーワード: 自由市場とは
消えてしまったが、これを必死にネトウヨの戯言と叩いているのが涙ぐましかった。
おそらく増田個人についてはフィクションだろうが、中国市場に関しては、全く増田の言う通りだよ。
14億の市場で商売させてやんねーぞ、は人口3億の米国が同じことをやるより遥かに効く。
共産党独裁国家がジェノサイドの隠蔽のために、自由貿易を逆手に取るといった妙手に、どの国も対処に手を焼くことになっている。
ちなみに日本の保守政権は米国どころではなく、この点完全にヘタレているのだが。
先のプレジデントの記事では、中国の「暗い近代史観」に触れられていたが、アヘン戦争このかた中国市場の抗いがたい魅力がその近現代史の背景にあった。確か清朝時代で3億くらいではなかったか。
その意味では中国市場に出遅れた米国こそそれに最も自覚的であったはずで、日本が満州国の市場開放について米国に更なる便宜をはかっていれば、その成立を認めることもやぶさかではなかっただろう。実際GMやGEといった民間企業は満州国で活動をしていた。
その後の、日本の華北侵略や南方進出といった愚策によりそれどころではなくなっていくが、
大日本帝国の評価としては今後、米国を疲弊させ国共内戦に介入する体力を奪ったことで、結果的に中華人民共和国の成立を手助けしたという辺りに落ち着くのではないか。
5万円のPS5を10万円で売ってるくらいで文句言っている人がいるけど、
不動産屋がオーナーからマンションを1億円で買って2億円で転売しても文句言わないよね。
独占販売契約などを利用して、買値の数倍から数十倍の価格で転売している商社とかにも文句言わないよね。
証券会社が手数料名目で何割も乗せた価格で証券を転売しても文句言わないよね。
結局、文句を言いやすい相手が転売で5万円儲けたら文句を言うけど、
文句を言いにくい相手が転売で5兆円儲けても文句を言わないよね。
メルカリでの転売なんて、需要と供給に基づいて市場価格が決まっていくだけじゃん。
たった5万円の手数料を払うだけで、店頭で買えない貴重な商品が買えるんだから感謝すればいいじゃん。
不動産屋に何千万円も手数料を取られた上で「いい物件を紹介してくれてありがとうございます」とか言ってる人が、
5万円の手数料を請求しているPS5の転売屋には文句を言っているかと思うと笑けてくる。
もし自由な取引が制限されて転売する人がゼロになったら、市場価格は存在しなくなり、
運が良い人はメーカーが決めた価格で入手できるけど、運が悪い人はどんなに欲しくても何百万円を払っても入手不可能になるじゃん。
マスクとか食料品とか生活必需品については国家権力による価格統制が必要な場合もあるだろうけど、PS5なんて完全に娯楽品だよね。
ソニーの売り方のお粗末さに文句を言うなら分かるが、メルカリや出品者などのオープンな自由市場の構成員に文句を言うくらいなら、
なんというか、不当に逮捕された受刑者が、警察の不当逮捕には文句を言わないのに隣の受刑者の態度には文句を言っているように見える。
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的外れな反論コメントが沢山あるけど、とりあえず勘違いトップブコメには返信しておくか。
PS5が店頭で販売されていないのは、発売元であるソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)が
「新型コロナウイルス感染症拡大が懸念されるなか、顧客や販売店スタッフの安全を確保するため、発売日当日の店頭での催しやPS5の販売は予定していない」
と決定したからだが?
PS5をソニーから買って転売する際には、古物商許可は不要なのだが?
参考 新品を購入して転売するには古物商許可は必要なの? 古物商許可 完全マニュアル
https://kobutusho-kyoka.com/blog/antique-sales-law/343/
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PS5の転売の話をしているのに、直接関係の無いコメントも多いよな。税金申告しろとか。脱税問題はテーマが離れすぎ。
内容ゼロの暴言を書くことしか出来ない人も居るようだが、面白い事を書いてくれる人も居て興味深い。
まあ何百件もあるコメントに全レスする気もないし、PS5の転売に関して多かった2つの意見については一応書いておくか。
・「PS5の転売には付加価値が無いからダメ」という意見について
付加価値はあるぞ。この場合、PS5という「モノ」に対してではなく、PS5を入手するという「手間」に付加価値がある。現状PS5を正規ルートで入手するには、抽選販売に当選するまで応募し続ける、以外の手段はない。そしてこの方法には、手間も時間もかかるし、どのくらいの手間と時間をかければ入手できるのかの正確な予測もできない。そして、こんな不毛なことに自分の貴重な時間と労力をかけるくらいなら、金を払ってでも別の人にやって欲しいと考える人間は多く居る。そして逆に、他人のために手間と時間をかけて、代わりに報酬を貰いたいと考える人も居る。そこでこの、「抽選販売に当選するまで応募し続ける」作業を代行してもらう手間賃の価格が需給バランスによって決まり、今は約5万ということになる。この作業をやってもらうことに5万の価値、つまりは5万の付加価値があると考える人がある程度いるからこそ、この価格が維持されるし、その価値は無いと考える人が増えれば価格は下がる。
そして、「転売屋から買う人こそ悪」というコメントも結構あったが、現状入手困難な、今後数年間遊べる趣味の道具を入手するために追加で5万を払うというのが、そんなにおかしな感覚か? はてなでは、毎月ソシャゲに数万使っている人に、そのくらいじゃ重課金じゃない、とか煽ってないか? 何十万もするカメラを買った人に、沼の入り口へようこそ、とか言って歓迎してないか? ロードバイクは? ゲーミングPCは?
そんなはてなーにとって、PS5を5万の手間賃を払ってすぐに入手する人間は、滅びるべき「悪」なのか?
まあ、金はあるが時間は無い社会人の中には、「抽選販売に当選するまで応募し続ける」作業を代行してもらえることに、5万くらいの付加価値はあると考える人間が大勢居るってこった。
・「買い占めて価格を吊り上げているからダメ」という意見について
いや、あのさ、抽選販売しか入手手段が無いのに買い占めなんてできる訳ないじゃん。まあ、今後の供給が見込めない希少品とか、無いと生命維持に支障が出る生活必需品が急遽不足したとかなら一時的にはありえるかもしれないけど、PS5は発売日も何ヶ月も前から分かっていて、今後どんどん供給されることも分かっている娯楽品じゃん。希望小売価格の2倍になるまで買い占めるとか、どんな規模を想定してんのよ。現状は、転売屋が買い占めたから価格が上がっているんじゃなくて、ソニーの供給量が少なすぎるから価格が上がってんの。これについて書いてくれた人のブコメを引用すると、
>>PS5は99%は一般人が購入したと推測され、例えると購買者が10000人いたのに、供給数が1000個、一般人に990個が渡り、転売屋に10個が渡って転売された様なもの。以前チケット転売問題でスクレイピング調査の結果から類推。
という感じ。この例で言えば、欲しかったけど抽選で外れて買えなかった人が9010人居て、その人たちが、転売屋が買い占めたせいで買えなかったと文句を言っているようなもの。実際には、転売屋が居ても居なくても、9000人は買えてないから。これはソニーにとっては助かる話だろう。買えなかった不満を持った9010人のうちの多くが、ソニーではなく転売屋を攻撃対象にしてくれるのだから。そして実際には転売屋がいるおかげで、9010人のうち、追加でお金を払ってでも欲しいという10人が買える市場が出現している。
転売禁止の世界……運が良い1000人は買える。運が悪い9000人は大金を積んでも買えない。
これと似たようなことを最近よく考えるんだけど、 この認識をつきつめていくと、
学校・職場や趣味のサークルなどのいわゆる「自然な出会い」ってのは消滅するなと。
(あるいは本能的なレベルの認知なのかもしれない)は広く存在するわけで、
そこで「男性からのアプローチは加害なので、女性からのアプローチを待ちましょう」とするならば、
一部の「(待ち姿勢でも全然問題ない)魅力的な男性」以外の男にとっては、これはもうほとんど詰みゲーになる気がした。
「ここでは恋愛的なアクションを行ってもいいですよ、とあらかじめ定義されたマッチングの場」でやるようなやつ、
(あとは結婚相談所などの「婚活市場」、恋愛とは微妙に違うけど)
これらは、特にマッチングアプリに顕著だけどエグいくらいネオリベな自由市場なわけで、
一握りの「異性にとって魅力的な人間」が勝者総取りする弱肉強食じゃないすか。
(偏り傾向はより男性に顕著にはなりそう、ただ男女ともあるだろうな)
漫画の「普通の人でいいのに!」にも描かれていたように、あぶれる人間が大量に出てくる世界。
まあ、いっそのこと、ロマンティックラブイデオロギーとか「自然な出会い」に対する幻想を社会全体として捨てて
商品の自由市場での取引は、資本主義社会では是認せざるを得ないだろう。つまり、メーカーが指定した業者以外(フリマ等も含む)による取引に罰則を与える政策がとられることはないだろう。
そんなことはないぞ。
新品でない商品を反復・継続して売買することは古物売買法で規制されている。
本来は古物商の届け出を警察に提出して、何か問題があったら警察に協力しなければならない。
窃盗のような犯罪行為が頻発したり暴力団がからんだりすると根こそぎ逮捕(別件逮捕も含む)されるから、相応のリスクを背負ってることは認識しておいた方がいい。
まず初めに、Switchが足りていないのは、需要にたいして供給が足りていないのであって、転売ヤーに買い占められているからではない。転売ヤーがもたらす混乱で流通に多少の非効率が生じているのは事実としても、抽選に落ちている人や、高額かつ非道徳的な転売ヤーから買うのを控えている人がいるのにかかわらず、今供給されているすべてのSwitchが売れているからだ。(現在高価格であるのに、転売ヤーが在庫を積み上げるメリットはどこにもない)
さて、国際金融のトリレンマは以下の3つが同時に成り立たないことである。
・固定相場制
この3つは言い換えるとこうである。
この3つが同時に実現できないのはなにも通貨に限らない。
まず、商品の自由市場での取引は、資本主義社会では是認せざるを得ないだろう。つまり、メーカーが指定した業者以外(フリマ等も含む)による取引に罰則を与える政策がとられることはないだろう。特に、商品の同質性が高く、買い手の付きやすい商品(金銀宝飾品・ハイブランド雑貨やゲーム機)は市場が成立しやすい。
したがって、価格の固定を選ぶか、市場供給量の制御を諦めるかどちらかになる。書籍やソフトウェアは増産が容易なので、市場の要求に合わせて商品を供給することができる。したがって、価格の固定を選ぶことができる。他にも、市場に供給すべき量を予想しやすい商品は、価格の固定が比較的容易である。
一方で、予想外に需要が増減したり、生産に予想外の支障が生じる商品では、市場が求めるままに商品を供給できない。したがって、価格の固定を放棄するより選択肢がない。これを諦めなかった場合、末端の小売店が個別の判断で転売人との取引を拒否したり、顧客のロイヤリティーに訴えかけることで「自由市場での取引」を拒絶するという無理な方策を強いられる。
価格の固定は、継続してビジネスを行う企業として、顧客との関係構築に大きなメリットがあるのだろう。しかしながら、金利負担やリスクに直結する在庫を削減しながら、先の見えない市場に柔軟に商品を供給し続けることはむずかしい。このあたりが真の問題なのである。そういうわけで、転売ヤーが「自由」を行使していることは問題の片隅にすぎない。
例えば中国製品の方が性能・品質・セキュリティ面すべて優れていると思えば、日本人が中国の製品を選ぶのは一個人としては正しい経済的行動なわけよ。これは分かるよね?
無理して自国の出来損ない製品を買ってQoLを低下させることは、むしろ国民にとって不利益。
国内のダメな企業はちゃんと淘汰されて、生き残れるポテンシャルがあるところは正しく焦って、正しく見習って、外圧だろうとしっかり受け止めて、向上していかなければならない。
それをせずに国内だけで買いましょう、と温室栽培を続けてはいけない。別に工業製品だけじゃない、農産物だろうと、人材だろうとなんだって同じこと。
保護してばかりじゃ競争力が伸びず、無理が生じてきて、合理的にやっている所に負けて落ちこぼれてしまうわけ。
だからとりあえず個人としては、国とか関係なく合理的と感じる振る舞いをすればいい。
国がすべきことは、経済に介入して恣意的な保護施策によって歪みをつくることではなく、行きすぎない程度に自由市場を肯定して、経済のパイを広げつつ、やむなく淘汰されていった領域の人たちの生活を保障すること。介入みたいな予防的な反抗に金をつかうよりも、安心して失敗や敗北ができる環境とルール作りに金をつかうべきだね。
情報システムに限らず、公共設備ってのは、建築と同じやり方で作ってる。つまり、作る前に業者が入札をして、落札者がその金額で作って、契約のメンテやアップデートも行う。
でもさ、もう契約してるのにシステム改良したりしないだろ? 入札時に技術コンテストするわけでもないし。実績の書類だすどけで。
だから、まず事前入札をやめる。
入札参加者には全員、モノを一回つくってもらおう。完成版を見て審査し、メンテやアップデートの契約も対処する。ただで作れは無茶なので、最初の一回は参加だけである程度工賃を払う必要があるかもしれんな。
メンテの入札も年に10年とか5年とかやめて、1年ごとぐらいで。その時にも今より良いシステムつくりました! という人にだけ入札権があることにする。
これでどう?
作る側には厳しいが、普通のダウンロードアプリのランキングどうこうもまずは作ってからなんだし、そうしないと市場原理が働かないと思うんだ。
冒険者ギルドができるまで、魔物退治の仕事は冒険者と村人の間で自由に報酬が決められていた
その村では、かつて夏の長雨のあと、吸血羽虫のモンスターの大量発生に悩まされていた
ある日若い男の冒険者がふらっと現れ、アースノーマットの魔法を使ってモンスターを一夜のうちに退治した
男は「僕のいた世界では普通のことです」「報酬なんかいりませんよ」などと言い、報酬を受け取ろうとしなかった。村人はみな喜んだ
それから数年たち、村では冬の旱魃のあと、バケネズミのモンスターの大量発生に悩まされた
その時現れた冒険者は、村のモンスター退治の報酬として帽子一杯の金貨を要求した
結果その冒険者は魔法の笛の魔力を使い一夜のうちにモンスターを退治した
だが、夏の長雨の時の冒険者の無欲を思い出した村人は
「対して苦労もせずに仕事をやってのけ、多くの報酬を望むなんてひどい」
悲劇はしばらく後の冬の朝に起こった
「報酬の代わりを受け取りに来た」
冬の冒険者はそう言うと魔法の笛を使い村中の子供を連れ去り、東の地へと消えていった
村人たちは深く悲しみ、ニュースは国中に広まった
この話の教訓はこうだ
人はある仕事にかかる準備や技能の習得のコストを正しく計ることができない
無償で、あるいは廉価でやってくれた仕事の記憶が残ると、その経験がコスト計算の基準になり
この事例の結果を重く見た全国の冒険者は、仕事と報酬のバランスを正しく決めるようギルドを制定し
報酬が適正な値になるよう調整することになった
このような碑文が建てられ、今の時代にも教訓を残している
130人の子供らが誘い出され
価値観が多様化した以上、誰もが納得する道があるはずというファンタジーを捨てるべきなんだよ、結局。
皆のためのキャラクターやら社会やら商品やらは存在せず、そんなものは画一的な価値観のもと大量生産大量消費が行われた時代と共に消えて今や特定の誰かが満足するものが無数にあって取捨選択がされるだけだ。
人間も人間が求めるものもどうしたってそれぞれが衝突するし、最悪の一線を越えない努力をすればあとは各人が自由に振る舞えばいい。
って道を人類は歩んできたわけだけどポリコレみたいなのが出てくるのを見るに、今の世の中って無意識に自由市場よりも多様性のない封建制社会の文化に逆戻りすることを望む人が増えてきているのかもな。