はてなキーワード: 水産資源とは
うなぎの問題見てて思うんだけど「俺は消費者だから関係ない、水産庁と業者は死ね」って人多くない?
でも実際にうなぎを食ってるのは消費者なんだから、関係ない訳ないじゃん
でもこういうケースでは、集団としての消費者がどう動くかというのは重要だと思う
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https://anond.hatelabo.jp/20180118142556
https://anond.hatelabo.jp/20180118145458
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今年も土用の丑の日が終わりました。ウナギおいしかったですか?私は食べました。最高に旨かったです。別にこの日にわざわざ食べなくても良いとは思いますが、いやーいつ食べてもウナギは良いものですねぇ。
さて、2014年にニホンウナギがIUCN(国際自然保護連合)レッドリストの絶滅危惧種(IB類)に指定されて以降、このままウナギを食べ続けると絶滅するのではないかという意見がインターネット上でよく見られるようになりました。年々その声は高まっていき、特に今年はTwitterのトレンドにも上がるなど、大きな関心を集めました。人々の間でこうした水産資源についての関心や資源保護への機運が高まることはとても良いことだと思います。その一方センセーショナルな話題ゆえか明らかに間違った言説やミスリードを誘う意見もTwitterを中心に数多く見られかなりげんなりしました。ウナギ資源保護のためなら嘘、間違った意見も許されるという空気すら感じ、違和感を覚えました。まぁ、かようにウナギという魚は日本国民のソウルフードであり、多くの人の関心や意見を集めるものなのだなあと感じた次第です。
以下に私がそりゃねーだろwwwwwwと感じたものを列挙します。あ、不快に感じた人はブラウザの戻るボタンでもクリックしといてくださいw
・バイオウナギ(う〇次郎くん)やウナギ味のナマズ(近〇ナマズ)はウナギと味変わらない!これはウナギの代用になる!というツイート。はっきり言って失笑モノですwどちらも食べましたけどね、結局のところすり身はすり身であり、ナマズはナマズですよ。代用になんかなるわけがありません。本当に味一緒と感じておられるのなら味覚障害なのでは?そんな味音痴に今まで食べられていたウナギがかわいそうです。つーか世の中こんなに味音痴が多いのかと驚いたわ!!まぁ何でもうまいと感じられるのはある意味幸せなのかもしれませんが・・・また、そもそもナマズに関して言えば、コイツがウナギの代用品として利用され始めたのってなんか見た目がにゅるっとしてて、泥っぽいとこが好きそうだし、どことなくイメージが似てるからっていうただそれだけの理由だと思うんですけど。両者は分類も大きく違えば(ウナギ目とナマズ目)身質から脂の付き方まで何から何まで違います。ウナギの脂の付き方は魚の中でも相当特殊で、だからこそ他に真似の出来ないあの味わいが生み出されるのですよ。ウナギの代用品なんて考えはありえません。
・クックパッドで見つけた鰻を絶滅の危機から救う天才的なメニュー(ウナギのタレだけご飯)。ハイ!偽善!キングオブ偽善!そもそも大概のウナギのタレにはウナギ抽出物が入ってるwwwwwwwwwwww乙!!!
・ウナギの旬はそもそも冬、わざわざ旬はずれのウナギを食べる土用の丑の日の習慣なんて廃れたほうが良い。・・・天然ウナギならその通りでしょうね(本当は10~11月くらいか?)。ただ市場の99%以上は養殖ウナギでちゃんと今の時期に美味くなるように調整してますからw 知ったかぶりでモノ言うと恥ずかしいっすよ?
・ウナギは絶滅危惧レベルがアフリカソウやオカピと同じなんですよ!そんな生き物を平然と食べる日本はおかしい!(うろ覚え)。・・・まぁ、IUCNのレーティングだけ見ればそうかもしれないけどさぁ、絶対的な個体数も生息環境も生態的地位も何から何まで違うでしょうが・・・そもそもそういった大型哺乳類と生態系中位に位置するニホンウナギを同列に語ること自体ナンセンスだとなんで思わないかなぁ?まぁこれは植物動物ひっくるめてすべての生き物を同じ基準で絶滅危惧リスクを評価するIUCNのやり方自体に問題があるとも言えるんだけれど。(これやhttps://www.facebook.com/jsfs.wakate/posts/701605086579950 これhttps://c-faculty.chuo-u.ac.jp/blog/eelunit/conference_intro/ が詳しい)。あとよく引き合いに出されてたのがリョコウバトね。確かにかつて鳥類最大の個体数をもっていたこの種が乱獲に次ぐ乱獲で絶滅してしまったことは人類の忘れてはならぬ教訓にしなくてはならないでしょう。ただそれってまっっっっったく生態の違うウナギと同列に扱っていい事例なのかね?そもそも私はウナギが絶滅するとは思っていません。ウナギ産業が成り立たなくなるくらいに資源が減少し、蒲焼き文化が廃れる可能性はあるとは思っていますが・・・まぁそう思う理由はいろいろとあるんですが、ここでは割愛します。まぁ簡単に説明すると海ウナギの資源の実態がまだよく分っていないこと(相当な量があると考えられる)、ウナギの成魚も稚魚(シラスウナギ)もそう簡単に獲れるものではないこと、私自身が川などで今でも腐るほどウナギを見ていることなんかが根拠です(最後のはちょっとアレですが)。
・・・ウナギは絶滅しないだろうとは書きましたが、水産庁の役人の無策、密漁、密輸を黙認する業界団体、ウナギの価格が安いか高いか以外に関心を示さないマスコミ、叩き売りして大量廃棄するスーパーには腹が立ちます(ただその正当性を自分でも納得のいく形で合理的に説明できない)。またニホンウナギの資源量が本来あった量とは比べ物にならないほど減っているのも事実でしょう。ただ絶滅を声高に主張する人たちにはもうちょっと冷静になってほしいと思います。絶滅危惧だからもうウナギ釣り行くのやめよう、なんてツイートも見ましたが、そうして本来身近な存在であるはずのウナギを遠ざけてしまうことで、結果的に彼らに対する関心が薄れてしまい、河川環境に無配慮な改修工事が行われ、個体数に悪影響を与えるなんてことも起こるかもしれません。生物多様性の保全の上で一番怖いのは、人々のその生き物に対する「無関心」です。ウナギ絶滅派(?)の人の呼びかけるウナギの不食運動や採集を控えることはそうした「無関心」に直結するものであると危惧しています。本当はウナギなんてどこにでもいる魚なんです。ただ夜行性なのと濁った場所が好きなのと、かくれんぼがちょっと上手いせいでその存在になかなか気付けないだけなんです。まだまだウナギはたくさん川にも沼にも海にもいます。うな重だけではなく、彼ら本来の活き活きとした姿を多くの人に知ってもらい、彼らと彼らの暮らす環境が守られることを願ってやみません。
あるところに、乱獲による資源枯渇を防ぐため、漁獲量規制が行われている海域がありました。
地元の漁師達は長年その決まりを守っていましたが、あまり必要もなかったので町の人には漁獲量制限のことは説明していませんでした。
ただ、「この海域で勝手に魚をとるべからず」という看板のみが港に掲げられていました。
あるとき、この海域をよその町の若者が船で近くを通りかかりました。
若者は、この海域の豊富な水産資源を見て驚き、早速資源をとり始めました。
いくらでもたくさんとれたことを、若者は不思議に思うことはありませんでした。
むしろ、若者は自分がすごい大発見をしたのだと思いこみ、この海域をイノベーションと名づけました。
若者は、「イノベーション万歳!!イノベーション万歳!!」と叫びながら、水産資源をとりつづけ、とても儲けました。
若者は、町でイノベーションのことを得意になって自慢しました。
「あそこは僕が見つけたんです。誰もやってないことをやる。これが僕のビジネスモデル。」
若者の周りには、事情をよく知らない賛同者が集まっていました。
そこへ、町の老人がやってきて、港の看板のことを尋ねました。
「あそこの海域は漁獲量制限が行われているんでしょう?許可は取ったんですか?」
「アホか。新しいことをやると、すぐそうやって足を引っ張る人が出る。典型的な弱い者いじめ。僕はそんなのには負けないから。とにかく実行あるのみ。」
老人は、めんどくさくなって、すごすごと退散していきました。
ほどなく、若者の船が無断で操業していることが、地元の漁師に見つかってしまいました。
若者は地元の港に連れて行かれ、看板の前で、漁師達から、なぜ我々は漁獲量制限を行なっているか、懇切丁寧な説明を受けました。
しかしながら、若者には、そんな規制は意味がないように思えました。
だって、若者がいくらとっても資源は無くならないし、海は広いし、そんな資源は無限にあるに決まっています。
むしろ、なぜみんな自分と同じように、好きなだけとらないのか、さっぱり分かりません。
若者は、漁師たちが妬みで嫌がらせをしているようにしか見えませんでしたので、
「出、出たーw、既得権益奴wwww」と叫びながら逆ギレして港を飛び出し、
しばらくすると、町の人の間でも、若者の儲けっぷりが有名になりました。
もともと資源枯渇という話は、漁師達の長年の経験による可能性の話でした。
そんな神話ような可能性の話を町の人は信用しなくなり、ついに、町の発展のために漁獲量制限が撤廃されました。
制限が撤廃されたことで、新しく漁師になる者が増え、仁義なき水産資源獲得競争が始まりました。
そうして何年かが経ちました。
港は寂れ、だんだん町も衰退していきました。
町に残った元漁師の一人は、ぼそっと、こう言いました。
「昔は良かったなあ・・・」
そうですね。
18世紀の江戸中期、ウナギはもともと川の中でのたくってる、生活に余裕があるやつなら絶対喰わないような下賎な食べ物でありまして、すげー安い食い物だったんだよ。
19世紀の江戸後期、マグロの赤身トロはすぐに痛む足が早い食べ物でありすぐに腐って売り物にならないわけで、やっぱり下賎な者が買いやすいすげー安い食い物だったんだよ。
20世紀の昭和中期、クジラの肉は牛豚鳥の動物肉タンパクが大量に安く手に入らない中にあって、一発銛入れればまとめてそれなりの量が確保できる、やっぱりすげー安い食い物だったんだよ。
安い食い物の評判がよくなり人気が出て、高価格の高級料理路線と低価格の庶民の味路線の二本立てで国民食になり、それを聞きつけた海外でも喰い始めて需要が急騰、原材料の価格が急騰すると貧乏国の連中が乱獲に走り、水産資源の枯渇を招きレッドリスト入りで、好きなだけ喰えなくなるって寸法。
マグロはトロの部位がすぐに痛むし、油でコッテリで粋な味じゃねえってんで、投げ売りされてたんだね。
トロに比べて赤みの方が長持ちするので、こちらの方が高かったと。
電気による冷蔵技術が確立し配送用トラックにそれが載るようになると、トロを痛めずに店頭に出すことができるようになり、昨今の油まみれで柔らかいトロが歯がガタガタのじーさんばーさんと孫のセットにベストマッチで喰いまくってくれたおかげで、価値観の逆転が起こった的な。
うなぎを腹から開いて串をさして関西の薄口の上等な醤油を塗って蒲焼にして露店売りしてた。
それを武家の総本山の江戸に持ち込んだところ、腹を開くうなぎは縁起が悪いハラキリだってんで武士に嫌われるし、上方の旨味で勝負する醤油は東方の真っ黒でしょっぱいガッツリくるものとは違って受け入れなれないわけで、結局ヒエラルキー上方の連中に相手にされる食べ物にはなり得なかった。
それが変わったのは、千葉だったかの方で東方風味ながらも上質な醤油が開発されて、上方からうなぎの伝道よろしくがんばった意識の高い露天商の連中の満足を得たのと、その醤油とみりんを混ぜたところ糞甘いタレが出来上がって江戸の連中に受けてからですね。
以下の捕鯨に関するページを読んでおもったこと。
http://www.e-kujira.or.jp/whaletheory/morishita/1/
かくして水産省は、結果として、今までも、そしてこれからも、痛ましく、国益を損ね続ける。良かれと思って。
それによって生じる日本人に対する悪評と軽侮、憎悪に見合うような、必要性もなく、得るものもなく「こっちの方に理が有る」と唱え続けて。
たしかに理はあるのだろう。そこは否定しない。しかし、それを問う人は(日本以外には滅多に)いない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20140109/k10014362801000.html
専門分野と言っても語弊がないですが,漁業管理に取り組んでいる人ではありません.
これは至極まっとうで,おそらく水産庁もそうしたいはず.ただ,実際に「禁漁+罰則」にするのは事実上不可能.一番大きな問題は混獲.例を出して考えてみよう.資源が比較的余裕のあるカツオ漁をしていて,そのなかにクロマグロが混ざって採れた場合,罰則規定があるとどうなるか.間違いなく,漁師はクロマグロを海に捨てる.海に捨てても生き返らないし,弱っているクロマグロが生きていけるほど軟な環境ではないから,一度捕ったものを捨てるのは資源保護の観点からほとんど意味が無い.なので罰則規定を作っても非常に効果は薄い.禁漁についてもほとんど一緒.クロマグロとほとんど同期・同所的に採れるけど,資源量が多いメバチ・キハダマグロも捕れなくなるのは当然漁師側からの抵抗が大きいし,費用対効果が薄い.だから,これはの政策は事実上不可能.これからも分かるように漁業管理システムの構築と維持は実に大変.漁業者にも高いモラルが求められる.
水産業会はかなり特殊で,近代法の成立以前から慣例法が存在し,現状でも守られているから,末端まで水産庁の管理が行き渡るわけではない,むしろ,水産庁は新参者.それに加えて,都道府県の力も結構大きい.例えば,各都道県に水産試験場があって,発言力はかなり大きい.ここで共通の理解が得られないと,浸透していかない.
水産資源管理は,クジラもそうだけど,守るだけではだめで,それをどうお金に変えていくかが目標.(究極的に言えば,守る役割は水産庁の仕事ではない).だから,捕れるところではきちんと捕るというのが極めて重要視されている.ただ,残念ながら,クロマグロはそこまで生態が分かっていない.いつどこで卵を産むかはわかっているけど,そいつらがどこでどう育つかは全然分かっていない.多産卵魚なので,初期減耗が大きいわけなのだが,その初期減耗がどういう要因かまで全然分かっていないから,ここのマグロは獲ったら致命的とか,そうではないとかという判断が全くできない状態にある.というわけで,ここはきちんとした管理体制を敷こうとするなら必要なところではないかと考えている.
これはクロマグロはなるだけ食べないようにするしかない.メバチ・キハダも美味しい.あと,クロマグロを無闇矢鱈に重宝がらないような姿勢も大事.その意味では,築地の初競りで大間のクロマグロが…という報道は,個人的には資源保護の観点ではよろしいとは思わない.