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はてなキーワード: 本質とは

2024-09-13

anond:20240913145349

相手バカ無能扱いしてるからいつまでも勝てないことを学べ」という左寄りでも真っ当な意見もしっかり出てくるのはとても良いことだと思っている

賢明な人ならわかると思うんですけど、相手バカ無能扱いしてるのは双方なのでその意見は真っ当でもなんでもないただのトーンポリシング、つまり本質じゃないんですよね

左派が負けてるのは利益を齎さないか

綜合すればたったこれだけのこと

anond:20240913011757

増田は「繊細さん」を本当に常に命の危険を感じているが故に獰猛になっている弱犬だとしているが、ちょっとだけ違うんだよなあ…

外交カードとしてソレ一枚きりしか持ってないからその人の本質みたいに見えてるけど、やっぱりそれは「武器」であり「戦略」なんだよ。

被害者モード全開でウワァーってなってる鬼気迫る様子を見るとさすがにちょっとかわいそうになるだろ。事実関係はどうあれ本人の主観においては本当にギリギリのところで戦ってるんだろうなと。

から止めようとするなら善人では居られないと。

でも本人いつものやり口で要求通りさえすればあとはけっこうケロッとパフェ食ってるんだぜ

それで英気を養ったらまた張り切って理不尽なこと言い出すわけだ。繊細さんはプロなんだよ。

表面的な真剣度合いに騙されてはいけない。

anond:20240912192912

付き合ったらセックスをするものだ、という固定観念(と言うか男にだけ都合の良い思い込み)をブチ壊すにはどうすれば良いのかな

どこの誰が、付き合う=セックスと決めたんだろう?むしろセックス抜きで一緒にいたいと思えるのが愛情であり、とりあえずセックス!と考えるのはただの性欲でしかないって中学校あたりで教えない?

セックスレスだと離婚が容易になるらしいので、確かに結婚にはセックス重要要件なんだと思う。でも交際にはそんなもんない。法的にそんなもん決まってない。

付き合ってもセックスしたくなければしなくても良いんだよ、じゃなくてむしろ交際本質セックスではない、て(特に男には)教えるべきでは??あまり少女搾取されてかわいそう。

2024-09-12

名文についての書物を読んだ

その書中において述べられるところの名文とは、単に美的であるのみならず、情緒に満ち、描写が巧みであり、さらにその文章臨場感を伴うことにより読者の心に深く響くものである。美しさとは、単に言葉の装飾ではなく、内在する構造の確かさに拠るものであろう。

澁澤龍彦幻想小説において「幾何学的に書くべきである」と言ったと記憶している。幾何学的とは、感覚的に直感する美麗さと秩序を持ち、その形態は正確かつ普遍的である正三角形が持つ完全性は、内角の和が常に180度であるという確固たる定理に支えられている。これは、いかなる変形にもかかわらず揺るがない事実である。その普遍性こそが美であり、幾何学的美しさの本質を成す。

このように、文章にも同様の美的秩序が存在するのではないかと考える。たとえば、三角形定理文章適用するならば、各要素が一貫して調和する様は正三角形のごとくである三角形の三つの頂点に当たる要素は、物語構造感情の動き、そして読者への影響であろう。この三者が均衡を保つとき文章は完全な形となり、名文と称されるに値する。

恋愛においても、幾何学的な要素が見て取れる。愛する者、愛される者、そしてその間に存在する感情。この三つの要素が整ったとき恋愛は完全な形を成す。しかし、その一部が欠けたとき三角形は不完全となる。非モテであるという状況は、その三つの内角が揃わず、歪んだ三角形のような状態である。だが、その歪みの中にも、何らかの秩序と美しさが宿っていることを認めざるを得ない。

幾何学的な美しさは、完全性の中にの存在するのではない。むしろ、不完全な中にも美しさは潜んでいる。それは、欠けた部分があるからこそ生まれる緊張感であり、そこに宿る秩序の欠如が逆説的に美を生むのであるモテないという状況も、ある種の幾何学的な不完全さであり、その不完全さが一つの形を成し得る。

私は三角形になりたいと願う。完璧であり、無駄がなく、全ての要素が調和している。しかし、不完全なままであることもまた一つの形であり、その不完全さの中にこそ真の美が宿っているのではないか、とも思うのである

幾何学文章の美しさとは、表面上の整合性だけではなく、そこに潜む感情臨場感をも含むものである。その幾何学的な秩序と情感の融合こそ、真に名文たる文章本質であろう。

anond:20240912121631

言いたいことがあるなら伴侶を獲得してから語ってください

「私は生涯をかけてこの人を承認します」という推薦状が既婚の本質です

1票でいいので誰かからの推薦状を引っ提げて偉そうな口をきいてください

滑稽なだけです

2024-09-11

オタクシンデレラガールズライブに行かなくなった理由

週末のライブチケットめっちゃ余ってるらしいです。まあ当日発券なんで実際どれくらいかは開場しないとわかんないんですが。

さて本題。箇条書きで行きます匿名から主語デカの強い言葉を使うぜ!一般化してるけどだいたい自分のこと。

今の集客って関東1.2万くらいのイメージなんだけど城ホ埋まってるのがよくわからん。デレミリシャニだいたい同じくらいだと思う。

あとぶっちゃけ人気キャラ使い尽くしてライブに出るような新規声付きは10前後声つかなかったくらいの地力しかいから厳しそう。

なんかホテルが高いとか言ってる人もいたらしい。国民が貧しい。

なんやかんやかつての覇権コンテンツであることは間違いないかファイナル商法すれば西武ドーム埋まるんじゃないですかね。

つまるところ賞味期限切れコロナ以降の自殺ムーブ加速度的に死んでる気がする。

ファイナルがあれば行きます。それまでさよなら

anond:20240911190343

チーくんは前を見てるだけで他人の顔見ないかモテないんだろ

誠実と無関心は分けて考えよう

チーくんは他人に対して無関心なだけで、本質は不誠実なんだよな

anond:20240911164923

都が違法な不開示した本質は変わってないのだがアンチはなんか勝利宣言してて不思議

2024-09-10

AIが生成AIを目の敵にしているのは、無断学習か否かよりも、生成AIという存在に対する抵抗意識本質なのではないかと思った

仮に全て許可済みのデータ学習した物なら、AI絵はクソのゴミだと言わなくなるのか?

生成方法も、出てくる画像も、用途も同じだぞ

金払ってるのかほなええわ、になると思うか?ならんだろ

結局、アイツラが言う事は今と変わらんじゃねえの?

ポストトゥルース前衛にあったのが、パロディ文化だったということはもっと知られてよい事実だと思う

パロディというのは、物事本質換骨奪胎することで、真面目な物事を何らかの笑いに替える作劇法の一種だと思うが、これってまさに、ポストトゥルース手法ではないのかと最近気づいた。

しろパロディポストトゥルースの違いは、笑いがあるか無いかの違いでしかないとさえ言って良いと思える。

まり最近になって「ポストトゥルース」という騙り方が発見されたというのは、パロディがその先鞭を付けたからだと個人的には思うのだ。

もっと言うなら、パロディ換骨奪胎のための手法を生み育て、ポストトゥルースという真実を骨抜きにする方法を見出させたのだと。

しかし、誰もそのような知見を披瀝していない。そこで、他人にも有益と思われる見解として、ここにメモとして記載しておく。

2024-09-09

anond:20240909134104

基本的に「裁判判決」で「債務があった」「払え」と裁判所が判断したときのことを債務が確定したと呼ぶのではないか

仮処分というのは「まだ判断最中なので、対象お金を無くさないでね」というもの

まだ判断中なのに対象がどっかいったら困るしね


かい用語の使い方というより本質理解してないから話の流れもおかしいことになってるよ

仮処分判決で「違いました」と出たら返される

債務が発生してないし

からも借りてもいないので借金でもない

2024-09-07

スキンケアにこだわる男の大便は不健康

ボディビルするべき

ボディビルダーの肌キレイやろ?

本質から目を背けるな

追記

やはり芝生は緑に着色すればいいというような態度の人が目立つ

人体という本質をまるで理解していない

anond:20240907154802

本質はいわないまでも維新カラーではある

そもそも橋下や松井がああだったからな

少なくない選挙民がそう見る

維新のガラの悪さは「既得権への挑戦姿勢」として関西で人気だったが

もはや関西では維新権力とって永く、どっかで解釈は反転する

単なる「横柄な既得権者」と目されるようになる

anond:20240907153649

維新の会パワハラ知事維新にとって本質じゃない

しか

除籍させられた共産党の人の件は、党の本質とつながっている

から改善することは絶対にない

アイデンティティ否定から

目の前の事象たまたま現在そうであるというだけなのか

それともその本質と深くつながっているのかは

区別しなければならない

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

anond:20240906021718

あぁでもこれムカつくな

どうせこいつApexもやってなければ書き込み規制本質っていうかどういうものなのかも分かってないんだよな

ただ俺に暴言吐きたいだけ ネットってそういう人が多いか

んでこいつは家庭や社会でのストレスを俺への適当一言だけで全部発散する。不公平だな。

2024-09-05

anond:20240905133131

陰謀論本質は「その考えは間違っていると周囲から否定されることこそがその考えが正しいことの証拠」という堂々巡りにあるので

否定されればされるほどワクチン危険邪悪な人々がいるんだって確信を深めてしまうので気を付けて

かるとわかりやすく重くなる病気はしか風疹破傷風おたふく)のワクチンだけは打てるようもっていければいいのだが

あと↓これ、リアル陰謀論者の記事だけどなんかの参考になるかも

新・平沢進は無害か

https://note.com/pharmakon/n/n8bf3a95fd424

2024-09-04

マイナンバーだけは無条件賛成するはてなー

命名からし安直ジャパニーズイングリッシュで、当初の目的外の利用方法ばかり並びたてて本質を見失っている施策

表面的な「便利さ」ばかり誇張されて、胡散臭いことこの上ない


だいたい、国が個々人の収入を正しく把握したいのなら、国費で全国民及び外国人居住者に対して個人番号証明書を発行すればいい

再発行ぐらいは多少費用負担を求めてもいいかもしれないけど、それも一部負担に留めるべき


それで、全銀行口座個人番号の紐づけを義務

その代わり、確定申告簡素化や生活保護などの所得保障の充実などを漏らさずきっちり行う


そのくらいやればいいものを、中途半端銀行口座との紐づけは義務化しないとか、マイナンバー取得は義務ではないとか

それに、生活保障年金などには従来のおざなり対応で済ませておいて

国というか官僚にとって都合のいいところばかりをつまみ食いしようという、ケチ臭くてさもしい根性ばかり見える施策の何がいいのか

anond:20240903163016

乗り物本質ではなくて火器の運搬装置なんですよ

都合により悪路走破性と装甲最大積載量の兼ね合いでキャタピラなだけで

2024-09-03

anond:20240902175640

レズじゃなくて女の本質だな。

これが例えば男女の恋愛なら女側やフェミ必死否定しようとするけど、レズビアンの話になると

何故か肯定するし批判しないんだよね。

まあ結局女側も薄々気づいてるんだよ。

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