はてなキーワード: 感情論とは
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家電に限らないんだが、やはり触れる機会の多い家電に関しては自称有識者がいっぱいいて、何かと二極化しやすい
ドラム式と縦型の話題が出ると決まって「やっぱりドラム式」「いやいや縦型だろう」ってヒートアップしている人が散見されるよね
ドラム式が洗浄力が低いことをあげると、ドラム式の人は自分たちを攻撃する悪しき人々がいる、と感じてしまうらしい
それに対してなんで「そんなに洗浄力求めてないでしょ」ってことにするんだろうね
人によっては泥まみれのものを洗うことだってあるわけだし、乾燥機能が必要な人もいるわけだし
いざ反論を聞いてみると至極全うなことを言ってる
一方、ブクマカやリベラル界隈からは印象論、感情論のオンパレード
出来ないならはっきり言って中世の魔女狩りみたいなもんだとおもうけど
竹中 いえ、そこが間違ってるんですよ。厚生労働省がやったんです。私は1990年くらいからずっとやってるし、小泉(純一郎)内閣の10年以上前からやっているし、現実にそういう働き方をしたいという人が多い。ついでに言うと、派遣は全労働者のわずか2%です。
ワイドショー的な議論だと、「派遣は悪いことである、それをやったのが竹中である」みたいなことを平気で言いますけども。これもう100回ぐらい、そうじゃないって説明したんですけど、みんなもう面白おかしく言ってるだけです。』
数年前に経営していた会社でクーデターが起こり私は会社を辞めざる得ない状態になった。
私が会社を追い出された理由は、税理士の指示に従って仕事場兼自宅であった物件を会社の経費で5割ほど支払っていたことと株主配当を受け取っていたということだった。
取引先との会食やタクシー利用などで必要だった経費が一般社員からすると贅沢に映ったこともあっただろう。
当時の私は資本金を100%出資しており、それ相応のリスクを背負って会社を成長させて社員を雇用していたつもりだったが、社員として雇用していた人たちにとっては役員である私の家賃の一部が会社から支払われていることや配当を受け取っていることが不平等に感じたようだ。会社としての歴史もまだ浅かったので会社のキャッシュを増やし経営を安定化させるために節税対策として行っていたのだが、それが使途不明金の横領扱いとして取り上げられ全社員の前で弾劾裁判をされるような状態になってしまった。
当然私のそれらの経費が横領などにあたるはずもなく合法かつ常識的な範囲であることや、出資者や役員と正社員雇用されている人達とは立場や条件が違うということも説明したのだが、私以外に役員や出資者はおらず、株式会社の仕組みや税についての知識をほとんど持ち合わせていない人達が徒党を組んでクーデターを起こしたこともあって、取り付く島もないまま会社は運営不可能な状態となってしまった。
給与は世間の同規模の会社と同じか少し上くらい、休みは年間120日くらいだろうか。その上で会社の売上規模や雇用数、社歴のバランスを見て設計していたつもりだが、それでも不満が噴出し、現在の給与に対しても自分たちはもっと貰うべきだという主張や、平均以上貰っている人間から「まだ実績と社歴が浅い人間も期待値を込めて実力以上に上げるべきだ」と一部上場企業の給料水準のグラフを見せられながら語られることもあった。高い給料を払うことが大事だということも社員の幸福度を上げることの重要さも重々に知っているが、私の運営していた会社は小さな町の零細企業だ。可能な限りの背伸びはできても理想論だけで無責任に数年後にリスクを孕む経営を計画することはできない。
その後、弁護士や会計士に間に入ってもらいながら会社法や株式の仕組み、業績と比較して社員から搾取を行っているわけではないということを数字と共に説明したが、社員たちが持つ感情的な「会社を私物化した裏切り者の社長」という印象は固定化されており状況が改善することはなかった。そんな状態が長引き始めた頃、クーデターを起こした本人が会社の売上を支えてくれている営業のキーマン数名を連れて退社して独立し競合会社を作るという話になった。その時になって初めて私は社員全体の給与改善のための動きではなくその人が会社を乗っ取ろうとしていたことに気づいた。
零細企業の経営者の情けない話になってしまうが、営業のキーマンが抜ければ会社としての売上の安定性は失われ、バックオフィス業務などを担当してくれていた社員たちだけでは売上はあげれず露頭に迷ってしまうことになる。なんとかしなければと思ったが残念ながらそのバックオフィスの人達も問題が勃発したときの感情論に飲まれたまま私を大悪人のような目で見てくる者ばかりだった。
このような人間トラブルに対して上手く捌けなかったのは私の経営者としての実力不足であることは否めない。
だが、理論的な考えに対して数が集まった感情論というのは何の対抗手段にもならないことを知った。正義というのは法ではなく人が作り出す空気だ。会社を経営するための知識と一般社員が感じる感情というものには大きな差があった。知識を共有してどういったルールで世の中が回っているのかを伝えることの大切さ。誤解が起こらないように丁寧に説明する大切さ。皆が自分と同じ常識を持っていると勘違いし大事になる前に行動に移せなかった自分。そのあたりを読みきれなかったのも敗因だったと思う。
しかし私も人間だ。それ以来完全に心が壊れてしまって今まで一緒に働いていた仲間の目を見れなくなってしまった。皆が私のことを自分たちの信用を裏切った者だと思っている。
毎日死ぬことばかり考えた。自分には会社も仲間も何もかもなくなったと思った。地方なのですぐに噂がまわったのか私のまわりから離れていく人間が増えた。
死ぬ前に何を精算するかを考えた。
彼らの生活を守るには私だけが会社を去り、他の人間はそのまま会社に残って新しい社長を立てて今まで通り継続して仕事を続けていってもらうことが残された選択肢だと思った。
多くの社員に嫌われていたとしても雇用主としての責任は果たす、といえば格好をつけているように聞こえるかもしれないが、せめて今まで付き合ってくれた人達の生活を守るために自分ができることはそれくらいしかなかった。
キーマン以外の残った社員達を捨てようとしたのはクーデター発起人なのに、その人は私を追い出した後にヒーローになるだろう。
自分がなぜそこまで背負わなければいけないのかという気持ちも正直あった。この偽善のような行動をとったところで私がいない世界で私は新しい政権を運営するために悪人として語り継がれているのだろう。
恨みを募らせクーデターの発起人に本気で復讐を考えたこともあった。ただその人にも家族はいる。それで不幸に巻き込まれ涙を流すのは無関係なパートナーやその子供だ。そんなことをすれば私は本当の悪人に堕ちてしまう。
その後私は会社の譲渡手続きをし、持っていた全ての株を最低限の値段まで下げて新しい経営陣に譲った。その際に何故タダで株や権利を置いていかないのかという言葉を社員から吐きかけられた。もう何も言い返す気力は残っていなかった。何かを理論的に説明したとしても感情論と数には勝てないことを私は知ってしまった。社内にわずかにいた私の理解者たちも新体制となる中で長いものに巻かれることを選びすぐに疎遠となった。心が張り裂けそうだったが私のような敗者に寄り添ったとてその人達の未来を保証してあげることはできない。これが現実だ。その人達にも人生はあるし誰も責めることはできない。
そして私は今もこの世界のどこかで自分のことを恨み嫌っている人がいると思いながら日々無理やり生きている。
なぜ生きているのかはわからないが、いつか自分がとった最後の行動が誰か一人にでも理解され報われる日が来るのをどこかで期待してるのかもしれない。気を抜くと希死念慮に飲まれるので毎日必死だ。頑張る。
語り手が逆になれば物語も大きく違った印象を持つだろうことはわかっている。
都合の良い解釈をして悲劇のヒロインを演じている馬鹿だと思われるかもしれないことも重々に承知している。
流れてきたツイートのサムネで被爆したり、トレンド入りした推しの名前押しただけでホモイラスト出てきて鬱になる
コソコソしてろとか言ってるわけじゃないけど、昔の裏で静かに嗜まれてた時代が羨ましい
何で当事者さんヅラなの?BLはフィクション作品で、LGBTとは違うんじゃないの?
「腐女子って呼ばれたくない。BL愛好家がいい」ってツイート見かけたことあるけど
BLは商業含め全体。腐向けは二次創作でホモに改変したものを指すんだよ 私はBLも好んで見ないけど、特に腐が無理だからそこ同じだと思ってる人無理
なんで推しが性指向捻じ曲げられて、親友相手に頬染めてキスしてる姿が苦手だって言っちゃダメなの?
なんで多様性の名の下にBLをみんなが好きでなきゃならない世界作ろうとしてるの?
「公式タグでホモ絵投稿してる海外ファンにならって、うちらも公式で出そうよ」
って言ってるの見てヒヤッとして、苦手な人もあるのでやめて欲しいって言ったんだけど
って言われた
生理的に受け付けないって言った方が伝わるかな。
地球環境や持続可能性のことを考えるとヴィーガンがベターなんだよね
小泉進次郎の時に散々、畜産は環境に悪い、畜産が地球温暖化を加速させてるって言われてたじゃないか
このまま地球温暖化が進んだら子孫はベリーハードモードになり滅びていくのは必至。少しでも多くの人がヴィーガンに移行し、ヴィーガンにはならないにしても昆虫食など地球温暖化を加速しない方法を考えるべきだろう。
「そんなん知るか!俺は肉が食いたいんだ!肉を食うのは自由だ!個人の自由を制限するな!虫食うなんてキモい!強制するな!」
というのはわかるよ。
けど、そう言ってるお前らまさか、少子化の話題の時に「個人の自由を制限しても少子化を解決するために女は子供を産め!」とか言ってないよな?
「少子化が進んだらインフラや治安が保てなくて子孫はベリーハードモードになるんだぞ!それをわからないで産まない自由を主張する女は近視眼的で感情論だ!!女の人権を認めない発展途上国の方が子供生まれてるから正しい!!少子化解決のために女子教育を制限しろ女は金を持つな!産まない女はクソ!!女は産め!!フェミはクソリベラルはクソポリコレはクソ!!」
って言ってるミソジニー界隈をそうだそうだと持ち上げてないよな?
そういう奴に限って、ヴィーガン食やコオロギ食が話題に出たくらいで「ヴィーガンは馬鹿www植物だって生きてるんですがぁ?」「地球環境なんか知るか!!そんなものは認めない!!コオロギ食を売る店は不買不買不買!!陰謀だ!!キモい!!無理矢理食わされる!!」
って騒いでた層と被るんだが。
未来や子孫なんて知るか個人の自由を尊重しろ!というのは立派なスタンスだけど、ならいくら少子化になっても子供を産まない女の自由を尊重しろ
そのくせ自分をロジカルだと思いこんでいるから歪みに気づかない。
シンプルにいくぜ。
「笑いを取るための行為だったけど、相手がセクハラだと感じた」
と
だと罪の重さが変わるんだぜ?
犯罪ってのは「こういった罪に問われるのを知った上で、こういったことがしたく、こういったことを計画的にやりました」が一番重いんだよ。
まあ「止むに止まれぬ事情」ってのを示せれば情状酌量の余地が生まれることはあるので、そことのトレードオフになる部分はあるけどな。
今回の場合は弁護士側の判断で「止むに止まれぬのラインは捨てましょう。代わりに突発的な事件であり計画性はなかったし自覚もなかったという方向にして罪を軽く出来るかワンチャンっす」となったんじゃねーかなと。
本人たちも別に「笑いを取りたくてやったんだからしゃーないっしょ。なにギャグにマジになってんの?」で無罪になるとは思ってないはず。
少なくとも弁護士は違うはず。
単純に「性欲を満たすために権力を利用した」と裁判官に判断されるよりは「教養皆無の自称おもしろおじさんの成れの果て」って判断されたほうがまだ罪は軽い可能性に賭けただけなんだよね。
理性に基づいた戦略だよ。
それを外野から感情論100%で批判するにしても「クズだ!カスだ!謝れ!衣食住は国が提供してくれるんだから給料全部を死ぬまで慰謝料として寄付しろ!」って言うなら分かる。
だけどさ「バカすぎ」「これで許されると思ってるんだ」「スゴイ頭が悪いんだね」はお前がバカすぎて可愛そうだよ。
お前の親と同僚と子供はお前以上に可哀そうだよ。
本当さ、脊髄反射する前に「だが、相手も現代社会で何十年も生き延びて社会人として今も働いてるんだ。ぶっちゃけ人間の知能にそこまで差があるわけでもないだろうし、なにがしかの考えがあるのでは?」が出来るようになれっての。
何でお前らすぐに「どうせ何も考えてない」みたいな事言うのかなー。
それはお前の想像力のレンジが狭いから自分の頭で簡単に思いつくこと以外はこの世に存在してないみたいな感覚で生きてるだけだよ。
つまりは人生全体に対して「完全に理解した」って態度で生きてるんだよ。
幼児的全能感だっけ?
さっさと捨てないとそのうち死ぬほど恥かくぜ?
仕方ないじゃん?フォローしてる奴らの興味のある話は飛んでこずに、知らない誰かのバズったような投稿がタイムラインに流れてくるんだから
仕様変更で見知らぬ他人のツイートが自分のタイムラインに流れてくるようになって暫く経つ。
みんな改悪だと言ってたけど、まあ、自分の興味の範囲外からたまに面白いツイートが流れてくる事がたまにあって、自分的には設定変更などせずそのままにしていた。
変化が始まったのは数ヶ月前からで、明らかにしょうもないツイートが流れてくるようになってしまった。
正直、YouTubeのshortよりダルい。shortだったらスワイプで次の動画に切り替えてくれるけど、Twitterはそう簡単に切り替えてくれない。スワイプして投稿削除とか、タイムラインに表示しないようにするとか言う仕組みがない。クソツイートを視界から消したかったら三点タップして投稿者ごとミュートにするしかないというすごいだるい仕様。なんで会話ミュートで即座に画面上から消えてくれないのだろう。自分のツイート並みの手軽さで消せる仕組みがほしい。
そんなくさくさした気分で居ると、どや顔でつまんないツイート垂れ流してる奴に物言いたくなるのも仕方がない。
今頃、人がこなくて店が大変とか、それにツイッタラーが反応するだけで売上に繋がらないとか、いやもう何年も在庫余り詐欺やってた弊害だって気づいて。
マストドンから来たような限界オタクたちのツイートはひたすら楽しそうだけど、正直何言ってるかよく分からんからもう触ってない。
とにかく感情論でしか動かない絵師様のお気持ちも見ててうるさいし。
明らかになんかの宗教じみた倫理観を強制する奴とか見ててイヤになる
そんなのに試しに引用ツイートして感想述べたら、特にツイート主から反応はないみたいだけど、引用ツイートしてる奴には自分に近い感想述べてる奴も居て、そういうのを眺めるのが楽しみになってしまっている。
最近のネット見てると、よく「コイツは非論理的非合理的な思考のお気持ち野郎だ」とか、そんな求められてもいないであろう説教をかます人間を多々見る。
それは裏返せばオレはそういう奴らとは違ってロジカルな人間なんだぜという自負を掲げているのではないかと邪推してしまうけれど。
感情を一切排して論理的に言ったら人間に生きる意味も価値もない。
読書をし、運動に励み、賃金労働や金稼ぎに繋がるスキルを身に着け、家庭を持つ。感情を一切無視して論理だけで言えば、それは不快を避け快楽を最大化するという「お気持ち」ベースの全くもって無駄な行いということになる。
ハサミはモノを切るという使命を帯びて作り出されるが、生物にそういった意味はない。自我を持ち動き回るという点を除いてその辺の石ころと何も変わらない。
サルトルだかの実存主義やウェーバーの資本主義の精神みたいな、前世紀からされてる話。
感情論と善悪を区別しろみたいな事言う人いるけど、論理という道具を使って既存のそれを顧みる事はあっても、詰めていけば快不快の多数決だろって思うけどね。
人をブチ殺して回りたいというのは社会的にあまり良しとされないお気持ち。それが良しとされないのはどこからかポップした善悪や規範、まして論理でもなく「殺されたくない」というまた別のお気持ち。
そのお気持ちの多数決をまとめてちょっと論理で整えてやったものを善悪と呼ぶのではないかと思う。
まあこの程度の話、お気持ちを非難するインターネットの聡明な皆さんがまさか通っていないはずはないと思うけれど、ではお気持ちを捨てた生き方とはどのようなものでいらっしゃるので?って思う。
とても論理的でいらっしゃる皆さんも恐らく寝食に労力を割き労働に励んでいるのだろうけれど、なぜそんな無駄な真似を?
わざわざ自殺する道理もないけれど、わざわざ生きる道理もないよね。
でなければ合理性や論理を極めて、「無」を受け入れて、涅槃の境地を目指すような生き方しかないと思うんだけど、そんな人を見かけた事はない。
今日はそんな事を考えてました。