はてなキーワード: 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは
大学のハラスメントを看過しない会というツイッターアカウントは、bioにもあるように「早稲田大学文学学術院元教授の文芸批評家からハラスメント被害に遭った原告A /深沢レナとその支援者からなる団体」であり、無記名ツイートは深沢氏本人によるものであるという。
先週末にこのアカウント(無記名なので以下深沢氏のものとみなして進める)が「ブラック団体」という言葉を用い、それに対して差別的な用語だという指摘がなされるという一件があり、そこから支援者を巻き込みつつ揉め事的なやりとりが5日間にわたって続いている。
いろいろと対応、お待ちください。
健康や生活や家庭を壊してまでやらなきゃいけない活動なんか、絶対ブラック団体になるから。
これは自分も常に気を付けなきゃいけないなって思う。
https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1657404178275377157
常識的に考えれば「勉強不足で使ってしまいました。ご指摘ありがとうございます。以後気を付けます」で終わる話なのだが、深沢氏本人が「なぜこんな大変な思いをしている私に配慮せずそんな指摘をするのですか。それが本当に正義なのですか」というようなことを長々と言い続け、支援者たちも「大変なあなたはわるくないよ」「これいじょう深沢さんを傷つけるのは控えていただけないですか」と群がり、とはいえ指摘した方もそう反撃されて収まるものでもなく、今に至っているようだ。
でもこういうのは、やはり「勉強」しなくては知りえないわけで、毎日、裁判やその他もろもろの加害によって、その「勉強」の機会も時間も奪われているわたしからすると、それを奪っている側の方に、あらゆる加害行為をまず止めるよう尽力して頂きたく思います。
https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658009876482891776
わたしが大変な日常についてどれだけ発信しても、励ましの声をくれるわけでもない。活動支援してくれるわけでもない。普段交流があるわけでもない人が、突然、リプで「それは差別です」とだけ指摘し、その問題について詳細に説明する手間もかけないの、ほんとにそれは「人権意識の高い」行為なのか?
https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658417437589786627
支援者の一例
横から失礼します。深沢さんがおっしゃられているとおり、mamegomaさんがおっしゃっている内容に対する応答はすでに深沢さんの過去のツイート(https://twitter.com/dontoverlookha…)によってなされていると思いますので、どうか深沢さんをこれ以上攻撃するのをやめていただけませんか……?
https://twitter.com/hydropunk_2019/status/1658520258309931009
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のか、なぜか深沢氏は「トランス差別反対」にまで疑問を呈する事態に。
今回執拗に叩いてきている人たち、トランス差別反対を掲げている人が多いような気がするんだが、これはなぜだろう?
https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658481316260884482
また、彼らは「トランス」という括りでトランスの人たちの考えを単一化しているため、それ自体がトランス差別になってしまっているわけだけど、その点はわかっているのかな……。
https://twitter.com/hydropunk_2019/status/1658988608190300161
下記のTweetは、「傷ついた」「恐怖を感じる」などヴァルネラビリティを全開にしたコミュニケーション手法が持つ限界を象徴しているように思う。
ちょっと頭回らなくなってるんですけど、わたしのツイートご覧になってるのなら、わたしが今日どういう一日を過ごしたかもご存知ですよね? あなたのRTやリプはこちらの痛みや疲弊に対して全く配慮がなく、正義感が先立っていて、恐怖を感じます。このようなやり方で、差別がなくなると思うのですか?
https://twitter.com/dontoverlookha1/status/1658511719982043137
深沢氏は被害者として感情が揺れ動くことがあり、それをTweetで綴っていくので支援者たちは見過ごすことができず逐一なぐさめの反応をしなければならない。
この話を聞いた瞬間に俺は
「ざまぁみろ!!!よっしゃーーーーーー!!!!!!!!!!!」
と思ってしまったんだよな。
だって杉の需要が減るってことはイコールでスギの木が減るってことだからさ。
というかさ、俺からするともう「スギの植林を促した木材関係の業界の人間全員苦しめ」としか思えんのよ。
花粉症の知識が当時からあったかはもう別にして、誰かが「スギ植えたら売れるからスギ植えよ」って植えたのも、そうしたスギの買い手になりうる商売やってた奴らも皆もう嫌いなの。
じゃあお前もう木材使うなって言われそうだけどさ、俺は実際にスギとヒノキが材料になってる製品はなるたけ使わないようにしてる。
スギの需要を減らしたいし、スギの需要で食ってきた奴らは自分たちの罪を感じながら死んでほしいから。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いっていうけど、あんなの何も間違ってないよ。
坊主が憎いんだからソイツが纏ってる袈裟が悪くないはずがないじゃん。
薄汚い宗教家は全裸の異常者として暮らせよばーかばーかってなるのは当然だと思うんだよ本当に坊主を憎んでいるならさ。
俺はスギに対してもう完全にソレなんだよ
黒田も引退することだしここぞとばかりに叩かれているアベノミクスだが
経済理論上の基本路線としては金融緩和+財政出動の古典的なケインズ的政策だよな
別に安倍の独創でもなんでもなくて、単にいくつかある政策パッケージの中でケインズを取ったというだけ
アベノミクスが悪い、アベノミクスが日本を衰退させたと喧しい左派の皆さんは
アベノミクスを批判する時、安倍の運用がダメだったからアベノミクスは失敗したと言ってるのか?
であればケインズ政策の正しさ自体は認めてるという話になるよな
安倍ではない"有能"が同じことやれば成功するという結論になる
どっちなんだよ
まあ実際のところ経済政策の中身なんか検討する能力はハナからなくて
安倍憎しが先にあって、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、中身も何もわからず適当なこと喚いてるだけなんだろうな
俺知ってるよ
最近結婚しただけだから子供はどうなるかわからないし子供は労働力たりえるので国の発展のためには子供を作ったほうが良いと思ってるけど、
なんか最近増田でDINKSより子育て世帯のほうが(子供が将来働いて納める税金を考えると)税金を多く納めてるみたいな話が出ていてモヤッとポイントがデカい 別に将来世代の持続性とかで責めればいいのに税がどうだのはおかしくね 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつか
そもそも論で現在世代の税金の額になんで子供世代の税金を足すんだ?足した文だけ子供の税金徴収されたみなし額を減らすとすると親世代はホクホクDINKSを罵倒できる引き換えに子供が税金支払不足のカス野郎ということになるが
足し算する場所が明らかにおかしいし人間一人が生きている間に支払う税金と受け取る量のプラマイで考えないと意味ないだろ 子供からの徴収額を親世代の徴収額と子供世代の徴収額の2回カウントするってのはさすがに虫が良すぎる
昨今は支払う額より受け取る量のほうが多い人が多いのだから、子供が多ければ多いほど期待値としては税金の支払いがむしろ不足してるのでは
あとなんか税の優遇のフリーライダーじゃんとか書かれてたけど子無しDINKSの優遇ってどういうのあるんだっけ?扶養控除とかのことを言ってるの?例えば俺は妻を扶養に入れてないので特に優遇されないし二人で年収が高い分だけ多く税金を払ってるんだが
「可能性が発生した時点でアウト」という声優スレのオタクばりの謎理論を真人間面してるときにかますのはやめてくれ。
そういうジョークとして扱えば良いのか、本当にヤバイ奴だから近寄ってはいけないのか、一瞬で判断するのは難しいから。
たとえばベジタリアンの集会で「このお菓子は動物の細胞は一切使ってないけどポーク風味なんだってさ。実際僕はコレを美味しいと思うね。本物の豚は可愛そうだから食べないけど、やっぱり美味しいんだろうね」と口にした人間が袋田滝にあったとする。
多分多くの人がコレだったら、異常だと感じ取れるんじゃないだろうか?
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い人が「ポークの味を作るにはポークの味を知る必要がある。つまり、ポークの味を知っている穢れた人間が作っているのだ。穢れを持ち込むな」と憤る可能性はあるかも知れないが、それっておかしくないか?
そもそも人間ってのは雑食として産まれてくるわけで、産まれてきてベジタリアンとして思想を知るまでの過程に肉を食べる人も多くいるだろう。
そうやって一度でも肉を食べたことがあったらその時点で一生罪を背負うってのは無理があるだろう。
ロリコンショタコンだってそれと同じ、というか幼少期の感性としては極めて正常な中で、年齢が上がるに連れて昔は許されたものが禁止され、空想や偽物の中でだけ許される行為に転じるという過程があるんじゃないか。
まさか産まれた瞬間から大人の異性を好きになることだけが正常で、たとえ幼稚園児や小学生であっても同級生を好きになったことがあったら異常者なのか?
それじゃあクレヨンしんちゃんの年上好きはジョークじゃなくて「正しい人間の性欲のあり方」を描いてるってわけか?
ひえっ……冗談にしても背筋が凍りつくぜ。
やっぱ「思うこと、好きになることそのものがアウトなのだ」は極端な思想に走った異常者の戯言だな。
そういうのが自分こそが正常だって面をするのも、まともな人間だったらその異常者に気付いて手放すが、自分こそが無条件で正しいと信じている人間だけが異常な思考をいつまでも持ち続けるっていう重ね合わせによるものか。
一応聞くけど、これであってるんだよな?
漫画を年間数十円は買っているという某ツイート、個人的には嘘ではない可能性の方が高いと思っているんだけど、ただ、嘘松に見える人がいるのも分かるんだよな。
嘘でなくても嘘臭い。
より正確にいえば、一般的な感覚から乖離し過ぎていて真実味がないと言うべきかな。
①実際には年間数十万も漫画を買っていない
→行為に対して嘘を付いている
②単純に漫画熱が冷めただけとかそういう理由なのに、それをオタクに当て擦りするためのネタにしている
→内心に対して嘘を付いている
③オタク憎しで気が狂って、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、本当に漫画を読む気が失せた
→嘘は付いていない
となるけど、その中で何も嘘をついていないハズの③が一番意味不明なんだよな。
何十万もお金を使う程に漫画が大好きなのに害悪オタクとかいう漫画を楽しむのに何も関係ない存在を理由に漫画から離れたくなるとか、完全に憎悪感情に脳を乗っ取られてしまった人の考えで、一般的な感性の人からしたら理解不能な存在だと思う。
②は十分あり得そうな範囲だけど、内心の問題だから分かりにくい。
女だけど、ミソジニーだった。一時期。増田と同じような背景で。いじめられた人間が一定数いるというのも同意。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。でも、それ以外の部分はこじつけに近いんじゃないかな?あと完全に女は下だと思ってる人種のミソジニーの人たちもいて、あれとはタイプが違うのかなとは思う。あれ多分敵は女じゃなくて北朝鮮とか韓国でもいい人たちなんだけど、身近で性欲処理できて便利に使える敵テンプレートがあるもので刷り込みしたらストレス発散が楽だっただけじゃないかな〜と思ってる。
加害の仕方の中で、被害者面(=キモイやつに落とした消しゴム拾われたから気持ち悪くて泣き出す)して加害するっていうものがあって、あれの亜種っぽいものに反応してしまうのは本当にわかるけど、可能な限り視界に入れないようにする環境整備をやった方がいいと思う。マイナスのものに接触する機会が多ければ多いほど辛い気持ちになるよ。色んな本に書いてある。(だから悪いインターネッツはできるだけやめるんだ)。
特定の環境じゃなければ、そこまで女性凶悪じゃない人が多いんだけれどね。大人になってからは、綺麗で(学校では綺麗な人は主に泣き出す側の人達だった)優しい人に沢山出逢えたから、環境に依存してるところが大きいと思ってる。まだ女の人怖いけどね。
逆にミサンドリストは何でなるんだろうね。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いはやめるべきと分かってるんだけどさぁ、職場の嫌いな同僚がホットクックが大好きだから、私はホットクックを買いたくなくなっちゃうんですよね〜」
と言ったら『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』が通じなかった。
これは向こうの語彙力がないのが悪いの?
この増田は釣りかもしれないなとは思うけど、それに集まるコメントはセクハラしたがってるオジさんそのもの
pikopikopan いやいやマシやんけ。うちの会社きたら爆死しそうな増田だ。社長が女性社員は酌婦なんだから、会社の社員旅行に率先してくるようにとか言ってたんやぞ。このご時世なのに去年ですら
timetosay いわゆる女性の「感情労働」の現場は時給が高いのに、普通の事務仕事中に多めに感情労働させられるとイラつくのはわかるけど、ちょっと過剰反応だと思います。
imi-x 「おじさん」全般ではなくて職場のそのおじさんがすごく嫌いなんだと思うなー。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの勢いで属性全般に広げているが。そういうことってある。
hizakabu タイトルだけみたら「分かる」と思ったけど、内容的にはあなたが思うほどおじさんは期待してないよ。過剰に期待されてると思ってる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221212142453
もうね、完全に「俺が世の中の厳しさを教えてあげるよ、お嬢さん」って感情が見えるんだよ
キモいんだな~これが
七七調という意味なら、
人のふり見てわがふり直せ
おぼれる者はわらをもつかむ
壁に耳あり障子に目あり
楽は苦の種、苦は楽の種
飲んだら乗るな 乗るなら飲むな
など
参考文献: http://www.ondoku.sakura.ne.jp/nihongorizumu1onsuritu.html
基本的に視聴者の口喧嘩が絶えないガンダムの中でもXファンは寛容というか穏やかで穏和な印象があった。
その長年個人的に抱いていた印象が、ここ数日ある出来事で崩れてしまった。
この人達穏和でも寛容でも無ければ狭量だし怒りっぽい人だったんだなぁと思ってしまった。
昔はXのファンが優しいって理由を入口にしてXを最終話まで完走したけど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでXそのものまで嫌いになってきた。
ネットでXについて誰かと語ろうとしたらどうしてもその「狭量で怒りっぽい人達」の事を思い出してしまうから。
時間が解決してくれることを祈りたいけど、何か、ガッカリした気持ちは否めなかったな。
正直こういう事は前もあったんだよな。
「猫は害獣だから殺して良い」って殺意と憎悪丸出しの人間が増田には割りといるし、ぶっちゃけ2chの動物苦手板ばりの憎悪見せてるから
内心「猫を飼ってる人から飼い猫を奪い眼の前で惨殺する」とか、「誘拐して保健所に連れていき野良猫扱いで殺処分させる」とか、そういう事をやりたがってんのかなって
そんぐらいの殺意が見て取れるのよ、猫嫌いや猫を害獣として殺したがってる増田達からは
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、野良猫だけではなく他人の飼い猫(それがしっかり躾けられたいい子や、屋外に一切出さない子であっても!)を害したい気持ちがムンムンと見えるニャー
「あ〜なんかひまちゃん(本間ひまわり、にじさんじライバー)との匂わせがどうこうとかいう荒らしがいろんな配信に来てたししょうがないか、大変だな」
そう思って動画を開くと、アクシアは怒っていた。「かわいい」という言葉に対して。
アクシア・クローネの怒りについて、みんな意味わかったのか? 俺はわかってないと思った。なぜなら感情的だし、誰も言ってこなかったことを言っていたから。わからなくて当然だろう。
結局「アクシアが彼女(本間ひまわりのこと、彼女なんかではなくよくゲームを一緒にしているだけの関係)と配信してるぞ!」みたいな荒らしが各配信に無限に来ていたということは活動休止に至ったトリガー/キッカケでしかなかった感じがした。
アクシアは、にじさんじに入ってからずっと苦しんでいた。俺は知らなかったからびっくりした。
リスナーやファンの一部が過剰にアクシア・クローネをひたすらに「かわいい」と消費していること。俺はそれはなにも悪くないし、アクシアのなかでも実際嫌悪の延長線上にそういうリスナーがいるだけで嫌悪の根源ではないだろう。過剰に「かわいい」と消費するリスナーがさらにエスカレートして、どうなるか。ナメるようになる。「自分はアクシアよりも上位の存在だ」と自己認識し、それを発するようになる。そうなったリスナーこそアクシアの抱える嫌悪のど真ん中にあって、配信上で触れていた「母親ヅラしたリスナー」「うちのアクシアをよろしくお願いします」の発言者がそれに当たっている。要はなんなのかと俺が考えた結果は、「自分のことを明らかにナメて上から来てる視聴者が自分のファンには居て当然みたいな雰囲気になったら、そりゃあすごいストレスだな」ということだった。
活動者と視聴者は当然対等な関係であるべき。これは決して否定できないことだと思っている。多くの人は対等であろうとし、できるだけそうなるように活動し、視聴をしている。視聴者が特にその活動者を応援しているのであれば、それはなおさらだ。だからこそアクシアは明らかに上位からモノを言ってくるリスナーをストレスに感じるようになった。そしてその悪質なリスナーが頻繁に使う言葉が「かわいい」だったのだ。ストレスが溜まれば溜まるほどに、「かわいい」と言われること自体が嫌になっていく。これはアクシアが弱いからそうなったのか? 他の活動者はそんなこと負担になってないし。俺はそうは思わない。人間としてそうなるのは当然だと思う。もちろんアクシアの言う通り「活動当初から違和感があった」という価値観も助けてのことではある。
そうして活動を続けて1年。溜まりに溜まったストレスは謂れもない荒らしによってアクシアの限界を超えてしまった。その末に発されたのが、活動休止を報せる動画での感情だ。活動者は感情をあらわにするべきではないと、賢い者たちは言う。それは間違いのない理想であって、みんなそう目指していくべきだ。それはそう。でも、その理想に殉じて去っていった人がどれだけいるだろう。俺は、正しさに殉ずるよりも、間違ったことをしてでも俺の見られるところにいて欲しいと思う。しかも、感情の発露によって活動者の気持ちに少しでも整理がつくなら、なおさら。
荒らしや誹謗中傷は問題だけど、それは幸い現代において法的対処が日々有効になっていってくれているのでこの際憂慮しなくても良い気がしている。そもそも俺自身、アクシアとひまちゃんが仲良くてなんの問題があるのかわからんし。言いがかりでしかない。どちらかにガチ恋している人はまあ、お察しします、って感じだけど。そもそもガチ恋ファン活動にはリスクがつきものなんだから、初めからリスクがある行為でリスクを考慮してない人なんているのかよ。ガチでガチ恋している人が今回の荒らしや誹謗中傷に関わっているのかどうかさえ俺は疑問だわ。ひまちゃんに昔から付きまとう熱心なアンチ、アクシアの活動パートナーでもあるローレン(ローレン・イロアス、にじさんじライバー)にまつわる問題のアレコレによって生まれたアンチがこんがらがって大きな荒らし・誹謗中傷がうねって大きくなっちゃったのかな、と思ってる。
だから、トリガーとなった誹謗中傷よりも、ストレスとして大部分となった「かわいい」扱いについての方が考えるべきだろう。
当たり前の前提を話すと、活動者に対して「かわいい」と声をかけることが間違ったことには絶対になり得ない。そんなの、この世界が間違いだらけになってしまう。そう思ってる人も多いだろうし、俺自身世界は間違いだらけとは思うけども。
でも全く問題がないのか問われれば俺は「NO」と言う。そして多くの人は「全く問題がない」と考えて日々生活している。そこのギャップ/認識のズレが今回の問題として表出してきたように感じた。
では、どんな問題があるのか。
にじさんじEN男性Vtuberは約束された成功を見事にモノにし、大躍進を遂げた。当時、俺はその様子を見て嬉しく、晴れ晴れとした気持ちになっていた。
それと同時に、少しの杞憂が俺の中でもたげていた。「日本語をうまく話せない男性に対して『かわいい』と言うのはちょっとひどくないか?」という杞憂だ。これは本当に杞憂にしかならず、実際みんなリスナーの応援を正当に受け取って日本語が上手くなっていった。
日本語がうまくない男性に対して「かわいい」と言うことにどのような問題を俺は感じていたのか。
まず、世界中の男性全員が「かわいい」を褒め言葉として受け取ることができるだろうか。絶対に100%にはなり得ない。この事実がある。これは生まれ育った環境や個人の価値観によって醸成されてしまうものだ。これについての正誤を論じる気はない。個々の価値観による差異、個性と言っても差し支えない範囲であり、それゆえに正されるようなことでもないと考えているからだ。それに、「かわいいと言われることを嫌がるのは自らを女性扱いされていることを嫌がるということに繋がり、それは男性が女性を下に見ているからではないか」という批判も予想され、それは正しい批判として論理は適っている。しかし、「かわいい」と言われることを嫌がるのは性差のような根本的な問題ではなく、もっと表面的な問題だと俺は思う。語感やニュアンス、言葉の持つ雰囲気としての好みの問題ということだ。それは無意識下表層における感覚であり、自覚することが難しく、それゆえに訂正することも難しいことにように捉えている。例えるなら、ハエトリグモをかわいいと思う人もいれば、気持ち悪いと思う人もいるというようなことに近い。ハエトリグモが人間に無害であり、益をもたらすことさえもあると頭の中でわかっていても、どうしても気持ち悪さが拭えない人を責めることはできない。気持ち悪いと感じる人も、ハエトリグモのその機能を嫌悪しているわけではない。それと同じように「かわいいと感じる感情」を気持ち悪いと思っている人は少ない。「かわいい」という言葉として表に出てきていることが嫌なだけなのだ。
「かわいい」という言葉に内包されているニュアンスとして、「かっこいい」「上手くやっている」ことの否定ということがある。「かわいい」=「ダサい」ではなく、「かわいい」という言葉の一部分に「ダサい」というニュアンスがあることを否定できない、というレベルのことだ。問題は、その部分の割合が男性個々によって違うということだ。だから、ある男性は嬉しく感じ、ある男性は「ダサい」というようなことを暗に言われたと感じるということになる。
にじさんじENの男性メンバーの完全ではない日本語に対して、「かわいい」と評することへ戻る。日本語話者が他言語話者の不完全な日本語に100%ポジティブとは言えない言葉をかけることは、ほんのわずかではあるがレイシズムの傲慢さを俺は感じた。だからこそ杞憂をするに至った。「頑張ってて偉い」「(日本語話者の)自分より上手い!」から皮肉を感じるのは完全に受け取り方や文脈の問題であり、「頑張ってて偉い」「自分より上手い」という表現自体は100%ポジティブだからそう伝えればなんの問題はないはずだ。それを男性が100%ポジティブに受け取ることができない表現「かわいい」と言うことには違和感を感じてしまう。何より、「かわいい」と言っている側はなんの悪意がないことがより恐ろしく思う。女性にとって「『かわいい」と言われることは良いことだ」というステレオタイプ的な考え方が未だ社会では通用しやすいことは、女性側を苦しめていることが多いが、男性側が今回のように不快に感じることも起こり得る。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということわざが頭から離れなくて嫌だ。
明らかにアクシアを侮って「かわいい」と発する少数の人間のせいで、「かわいい」と今まで言っていた人たちがきっと傷ついたろうと思うからだ。坊主憎けりゃ〜は明らかな皮肉なので、今回のような悲劇にまで皮肉のような通底を見出している自分が嫌だからだ。
先述したように、俺はアクシアの感情の発露は間違っていないと考えている。彼が限界だったこと、そして感情を発露して表明することで気持ちの整理がついた部分がきっとあるだろうと思えること。なにより、黙って去るのではなく、アクシア自身が「アクシア・クローネ」として活動を続けるための動画であることがわかるから。
彼は動画の中で妄想やそれに端を発する創作活動についての嫌悪感を語った。でも、それはほかの活動者みんなが言っていることだ。「自分の目の届かないところで配慮を忘れずに隠れてやってね」もはや活動者視聴者みんなに知れ渡った暗黙の了解を再度言っただけにすぎない。それなのに、肯定的な自分の目から見ても感情が乗ってしまったせいで、妄想や創作活動を否定するように聞こえてしまう。賢い者たちが感情を見せるべきではない、という理由がよくわかる悲しい現象が起こってしまっている。
でも、この現象もまた、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、のシステムが適用されている。妄想のなかで「『かわいい』とひたすら消費することができるアクシア・クローネ」を肯定するような創作活動を、明らかにアクシアを侮った発言をする視聴者が好んでいるからこそそういう感情が乗ってしまったのだろう。
つまり、アクシアはきっと「かわいい」と発している者、ガチ恋や夢と言われる創作をする者を心から嫌悪しているわけではないと俺は思う。ということが言いたい。これは俺個人の解釈だし、もはや祈りに近いものでもある。きっとそうだ、というような。
「かわいい」と感じる感情や、ガチ恋や夢とカテゴライズされる想念自体をアクシアは否定し嫌悪しているわけではなく、「かわいい」と表現されること、「ガチ恋や夢を押し付けてくる行為」を否定し嫌悪しているだけで、それは誰しもが持っていておかしくない考え方だ。
「かわいい」と感じる感情は、言葉として表に出るまでは「かわいい」ではない。もっと大きな「良い」という思いとも言えるだろう。決して「かわいい」と表現しなければならないものではない。APEXでミスプレイをして面白けば、「草」と言えばいいし、仲間想いでやさしい一面を見せれば「尊い」と言えばいい。顔が良すぎて最高な気持ちになれば恥ずかしくても「顔良すぎ、好き」と言えばいいだろう。
そして、「かわいい」という言葉は決して罪のある言葉ではない。ただ、人を傷つけるリスクがわずかにでもある言葉とわかってその言葉を使うのと、何も考えずに使うのとでは全くちがうはずだ。少しだけ頭の片隅にその棘を意識するだけ良い、それだけのことで難しいことではないはずだ。
それだけで、アクシアはきっと楽しく活動をしてくれると俺は思う。
そして、今までちゃんとしたファンとしての想いを持ってガチ恋や夢などの妄想を営んできた者たちは、今まで通り配慮を怠らず、隠れてやっていけばいいのではないだろうか。難しいことかもしれないけど、俺はそう考えている。ちゃんとした考えを持っているファンは、今まで通りちゃんとしてれば良いと、アクシアの動画を見て俺は思った。
アクシア・クローネは、正しいファンを否定し嫌悪するような人間性を絶対に持っていないと、確信を持って言うことができるから。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつだよな、しゃーない
切り分けられりゃ多少楽なんだろうけど、最悪、実はモトカレだかモトカノだかが韓国好きでそれでひどい目にあったからトラウマレベルで見たり聞くとしんどくなるんすよねー、今まで言えなかったんだけど…とか言って逃げるか