はてなキーワード: 喫茶店とは
起きると時計が11時を回っている。今日は働くか働かないか、なんとなく働きたくない気分なので働かないことにした。化粧もしないし、服はパジャマのままだ。
手軽にできる簡単なレトルトの朝食を食べる。レトルト品の味や量にはブレがあるが、今日はどちらもまあまあの日だった。
そうだ、温泉にでも行こうかと思って外に出て、駅に向かう。
道すがら、たまに営業しているコンビニがやっていたので、今日たまたま在庫があったコーヒーを買う。
商店街をぶらつき、店主の気分がよかったのか営業していた書店に入る。
たまたま発行され、たまたま配送されたであろう週刊少年ジャンプ(不定期刊行)と、流行りらしい小説を買う。
喫茶店はどこも「今日は休みます。」と閉まっていたので、河川敷でのんびりと本を開く。ジャンプは再掲載の漫画だらけだが、それなりに面白かった。
耳につけたイヤホンが今更鳴り出して、音楽を奏で始める。昼飯にしよう。
趣味で不定期に営業している店で出されたおまかせランチを注文。今日はラーメンだった。そこそこの味のラーメンを食べ、店主が「700円くらいかな?」といったのでその額を払う。
また河川敷に戻って、同じように暇そうにしている人間達を後目に小説を読む。乱丁だらけだが、やはりそれなりに面白かった。
スマホを弄ると、今日は調子が悪いのか動かなかった。商店街に向かい、たまたま気乗りした人達が仕入れた食材を買う。
その食材で適当に夕飯を作り、食べ。風呂に入る。テレビは昔の映画や番組をだらだらとリバイバルで流すのがメインになっている。それを適当に見て、やることもなくなったので、寝る。
こんな一日をずっと過ごして、死んでいきたい。
「いまや町中華や商店街が成り立つのは東京だけ。地方には存在しない」みたいなの読むたびに、いや、全然あるが、、、喫茶店もクソほどあるが、、、ってなる
「地方では人間関係が閉鎖的。東京のほうが楽」みたいなの読むたびに、いや、人間関係とかそもそもやってないが、、、ずっと住んでるアパートのお隣さんの名前すら最近覚えたばっかりだが、、、ってなる
■「フォロワー数が〇万ないと本は出せない」と言う側からの本音
Twitter漫画家が出版社に呼び出されて「フォロワー数がウン万いないと本は出せない」と言われる話、最近多すぎない? - Togetter
あのさあ・・・いい加減この手の話についてアスペみたいな反応するのやめてほしい。
なんでこの手の話でいつも編集者側が一方的に悪者にされてるんだろうか。
言っちゃなんですが、この手のもめごとは十中八九、問題があるのはマンガ家さん側ですよ。
ちょっと頭使って考えてみたらわかることでしょ。
こんなん「社内稟議通すための材料が少しでも必要です」(当落ギリギリラインです)って言ってるだけだよ。
要するに「評価が微妙」ってことだよ。こんなん社会人で稟議とろうとしたことある人なら言われなくてもわかるでしょ。togetterのコメント欄は社会人経験ない無職ばっかかよ。
なので、もし今後同じことを言われたマンガ家さんいたらズバリ「つまり、今のママではちょっと厳しいってことでしょうか」って聞いてみろよ。そしたら正直に説明するよ。
もうちょっと賢い人なら、「フォロワー数が少ないかもしれないけど、こんな感じで支持されてるのでこういうターゲットに売れると思います」ってのを提案してみてくれてもいい。
もちろん、考えるのがめんどくさい、それは全部編集の仕事だろっていうならいいけど、他力本願なら結果が出なくても文句言うなと。
んで、あとは何だ? 「取引が決まりそうになったら」呼べばいいだけだ。「つばつけた」みたいな感覚で呼び出されてたまるか、か。
これみて「偉そう」とか「編集は暇なのか」と思う人はもう悪いこと言わないから同人でやれ。
あのさあ、たいていの場合、呼びつける場合交通費も払うし、飲食代も払ってるでしょ。うちはそうしてるよ。
んで、しかもその話をするために1時間とか2時間とかをその人のためにとらなきゃいけないんだよ。こっち側からしてもコストを払ってるわけよ。
なんでそこまでして手間暇かけてその人と会ってるかというと3つ理由がある。
1つめは「まだ信用してないから」
2つめは「人柄を見たいから」
マンガ家志望してくるやつが、どれだけ常識がない連中ばかりか知ってるか?
マンガ描く以外にいろいろやり取りとかあるわけだけれど、絵はうまくても基本的なやり取りがこなせない人間めちゃくちゃ多いんだぞ。
読み切りに掲載するだけならともかく、これから連載をお願いしたいって時にどれだけのリスクがあるかわかってなさ過ぎだろ。
出来る限り連載前にリスクを減らしたいのは当然だろ。新入社員の採用面接よりはるかにハードル高いんだぞ。
なのに、編集に対してはそういう当たり前のことが想像できないのはなぜなのか逆に聞いてみたいわ。
呼び出されることや、フォロワー数の話をされて不満に思ったという人は他にもいるでしょうよ。
でも、ちゃんとした社会人経験ある人とか最低限のコミュ力ある人は、打ち合わせの中でそういう不満を解消しようとするんです。
こっちだって、文面だけで伝えたらコミュニケーションの行き違いがあって不満を感じるかもしれないと思ってるからきっちり時間を取って、納得してもらえるように話をしようとしてる。
こちらだってそんなに時間余裕があるわけじゃないから、最初の1回目がとくに大事なわけよ。
そのチャンスの時にちゃんと話して、疑問点とか不安な点とかを事前に考えてぶつけてほしいわけよ。
そこで黙りこくってちゃんと不満点を伝えようとせずに、打ち合わせが終わった後にTwitterフォロワー向けに対してそういうことを書く人はいったいどこを向いて仕事をしようとしてたのかと逆にお伺いしたいですね。
「出版社と一緒に仕事をする」という意識が絶望的に欠けてるだろ。
お前はどういう心持ちでその打ち合わせに来たんだよって言いたいですよ。
こういうのが話題になるとすぐに「編集者の名前出せよ」って言ってる人いるけどさ。
鈴木倫さん。ぜひ具体的に出してほしい。 そしたら、編集者や出版社側だって反論できるから。
そして、いざ出版社が反論した場合、よくよく打ち合わせの事実を確かめてみたら、作者側に問題があるケースの方が多いです。
弊社では何度かネットでこういう告発系のツイートがバズって、当事者に確かめてみたら「これは作者が悪いな」という結論になっています。
鈴木倫さんがどっちのケースかは知りません。
この人は実業之日本社(リイド社)から何冊か本を出されているし、当然編集者ともやり取りがあったでしょう。
ただ、たいていの場合この手の話をする人が編集者の名前を出さないのは「名前さえ出さなければ面倒くさいやりとりを避けてバズれるから」って安易に考えているからだと思ってます。
なんとなくこれがウケるからとか、みんなやってるからという雰囲気に流されて深く考えずにやってしまってる。
編集者とのやりとりにちょっと困難があったらすぐに癇癪を起してこういうことを書いてしまう。
そういう人は普通にリスク要因だし、こちら側からお断りしたいです。
ただ、私は知らないけれど、Web系の部署やWebコミック専業の会社が最近ものすごく増えていて
そういう会社は作者のこと全然大事だと思ってないらしいからそういう話かもしれませんね。
向こうはコミックスの売り上げじゃなくて、広告表示およびアプリ向け配信でPVさえ取れればいいので作品の出来にはあんまり興味がないところもありますからね。
そういう人から声をかけられたのであれば私の知ってるところとは違うので、わかりませんね。
本当にやましいことがないのであれば、鈴木倫さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門であるかを公表していただきたい。
コメント欄に同業者さんらしき人がいてより具体的な事書いてくれてます。当然のことが書かれており、これらの内容すら想像できない人が文句書いてるんだろうなと思ってますね。
最初から(連載も単行本化も)しないことが決まっているのに呼びつけるのはリアルあたおかやんけ。
最初の打ち合わせ時に
・作業スピードはどうか
・締め切りを守れそうか
ただ今回相手が女性でしょ。女性の場合、自宅は困るとかあるし男性でもたいてい近くの喫茶店とかファミレスで打ち合わせになる。
その場合もお勘定は編集持ちが原則。クリエイターさんと割り勘とか奢らされたなんて、それなりの事情がないとないハズ。
ただ交通費は事前に要調整では。レシートやsuicaの履歴出力が必要となるかもしれないので。
呼ばれたクリエイターさんもストレートに「交通費出ますか? 企画はどの程度まで進んでいるお話ですか?」と尋ね
編集者も「これから企画書作る段階で、何もお約束できません。直接お会いして、クリエイターさんがどんな方か企画書に反映したいです」(今回の件はこのレベルと思ってる)
とお互い正直にコミュニケーションできる打ち合わせが一件でも増えたらいいんじゃね?
おそらくなんですが、そもそも連載が通るまでの流れそのものが全く理解されてない気がしますね。
本当にやましいことがないのであれば、元増田さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門所属であるかを公表して、批判も来るだろうが編集者や出版社側の立場で反論して欲しい
ちゃんと文章読んでほしいんだけど、こちらがわから言えるわけ無いでしょ。
一方的に誹謗中傷されてるのに応対する形でしか言うことが許されないから困ってるんですよ。
具体例について述べることができるのは相手側から批判されたときだけで、それ以外で個別の作者さんに名前出せないのは当たり前。
そして名前を出せなければ嘘つきだの何だのと難癖つけて叩いてくるのもわかってますからね。
はてなブックマークの皆さんは他人について口出すときに自分の立場に置き換えて考える癖がまったくないと聞いてますが本当だったんですね。脊髄反射で売り言葉に買い言葉を書いてるだけ。もうちょっと頭を使ってほしいです
Twitter漫画家が出版社に呼び出されて「フォロワー数がウン万いないと本は出せない」と言われる話、最近多すぎない? - Togetter
それを決めるために色々話し合いをしてるんだよ。
その部分ハショられてフォロワー数の話だけ取り上げられても胡散臭いなとしか思わんよ。
フォロワー数の話自体は下のかもしれないけど、それがメインだったとは思えないんだよね。
そこを大げさに騒ぎ立てて、それをバカが疑わず受け取って編集叩きとか馬鹿と馬鹿の狂騒曲だろ。
最初の打ち合わせ時に
・作業スピードはどうか
・締め切りを守れそうか
・使ってるソフトは・・・」と確認すべきことはいくらでもある。
その中で判断されたんじゃねーの? 実際はその編集に訊くしかないけどな。
ただ今回相手が女性でしょ。女性の場合、自宅は困るとかあるし男性でもたいてい近くの喫茶店とかファミレスで打ち合わせになる。
その場合もお勘定は編集持ちが原則。クリエイターさんと割り勘とか奢らされたなんて、それなりの事情がないとないハズ。
ただ交通費は事前に要調整では。レシートやsuicaの履歴出力が必要となるかもしれないので。
呼ばれたクリエイターさんもストレートに「交通費出ますか? 企画はどの程度まで進んでいるお話ですか?」と尋ね
編集者も「これから企画書作る段階で、何もお約束できません。直接お会いして、クリエイターさんがどんな方か企画書に反映したいです」(今回の件はこのレベルと思ってる)
とお互い正直にコミュニケーションできる打ち合わせが一件でも増えたらいいんじゃね?
sds-page 本当にやましいことがないのであれば、元増田さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門所属であるかを公表して、批判も来るだろうが編集者や出版社側の立場で反論して欲しい
はてブ民がこれを言ってるの草生えるわ。自分たちが普段何やってるのか自覚ないのかね。恥知らずにもほどがある。
事情知ってるやつはだいたいこんなもんじゃない?って反応だったのに、批判してるやつの発言見たら内容について反論できないから言葉遣いとかそういうところばっかりあてこすりしてるだけ。
無知なくせにプライドだけが肥大化してるやつに限って素直に「よく知らずに叩きに参加したけどごめんなさい」って謝れないでしょうもないところの揚げ足取りばっかり。終わってんな。
紅茶とラベリングされてるけど、牛乳とコーヒーフレッシュくらい別のもんだよな。美味い不味いの次元じゃなくて根本的に別物。
ただ、カップ麺とラーメンみたいに別物に同じラベルつけてる例なんていっぱいあるから気にしたって仕方ないでしょとは思う。
そもそも、まともな"紅茶"を出す店なんてそんなに無いでしょ。
喫茶店でコーヒー飲んで、缶コーヒー特有の後付けされた気持ち悪い酸味より不快になった事はほぼないけど、喫茶店で頼んだ紅茶は香りが無くて渋みだけが舌に張り付くような低級の最低級みたいなのが出ることは少なくないじゃん。
これならビタミンCの酸味とわざとらしい香料がするリプトンの無糖みたいなのほうが、舌に張り付かないで早く消えてくれるだけマシって思った事は何回かある。(とはいえ水の方がマシなんだけど)
紅茶は「選ばないとまともなのが無い」状態で、紅茶飲まない人の中では正当なものが消失してる状態なんだよ。
だからリプトンみたいな色付き香料付き砂糖水に「これは紅茶ではない!」って文句言っても仕方ないでしょ。某漫画みたいに一々「明日本物の紅茶を飲ませてあげますよ」って言える訳でもないし。
>普通のTwitterユーザーが普通に呟く分にはせいぜい喫茶店やファミレスでダベっているくらいの認識が適切だと思うんだよな。
いや喫茶店じゃないだろ(苦笑)
「Twitterで呟くということは人々が通る広場で叫ぶようなもので、間違ったことや侮辱的なことを言えば批判されるのは当然」みたいな言説をたまに目にするけどさ、普通のTwitterユーザーが普通に呟く分にはせいぜい喫茶店やファミレスでダベっているくらいの認識が適切だと思うんだよな。
通りがかった赤の他人に話を聞かれることもあるけど、あくまで身内の世界で話しているくらいの空気間というか。
だから、多少下劣だったり侮辱的だったりする内容のツイートがあったとしても、正直、正義ぶってそこに批判を投げつけている人に対しての方が俺は引いてしまうわ。
お前それ喫茶店で隣の人が話していたとして同じことできる? って風に思う。
倫理的に酷いことを言っている人がいたとしてよっっっっっっっぽどのことがない限り、隣の席の人にもの申そうなんて思わないでしょ。
ハッシュタグ付けてツイートを広く見てもらおうとしていたり、自ら積極的にフォロワーを増やしてプチインフルエンサーみたいになっている人のツイートに関しては『広場で叫んでいる論』もその通りだと思うんだけどさ。
近所によぼよぼの犬がいて、愛らしいのだが見ているとどんどん哀しい気持ちがふくらんでくる。
ミックスっぽい、柴の毛並みをちょっといい加減にしたような犬だ。たぶん歳の影響で目の左右の開き方が均等になっておらず、関節とか背中とかの脂肪の付き方がむっくりした変な感じになっている。
いかにも老犬という感じに毛がぼさぼさになっている。もしかしたら秋の生え代わりかもしれないが、生き物の季節の移り変わりに対する普遍的な戸惑いが加齢によってもっと強まってしまっている感じで、体のあちこちからよくわからない毛束がぴょんぴょん飛び出しており、本人(犬)も困っているんだかあきらめてるんだか、そもそも気づいていないのか、何やら曖昧な雰囲気でめちゃくちゃ切ない。
さっき喫茶店に行こうと思って歩いていたら、ちょうどそいつが散歩に行くために庭から出てくるところだった。
うつむき加減に虚無っぽく砂利を見ている視線、体の周囲によぼよぼ、という字が見えるぐらいよぼよぼなのだ。
(よぼよぼだ…)と思いながら犬の横を通り過ぎて喫茶店に着くと営業時間が終わっていた。気落ちしながら来た道を戻ってきたら、あれから数分は経っているのだが、犬はまだ最初の庭から数m離れた小径でもじもじしていた。
若いやつならたったかたったー、でもう遠くにいってしまっているだろう。
その小径は俺の自宅に向かう通りでもあるので、再び脇を通ろうとしたら、俺に気を遣った飼い主さんが「あ、ごめんなさいね」と言うと、犬のお腹に手を回し、ぐっ、と動かして通りやすくしてくれた。
犬の虚無の目。
ううっ、となる。よぼよぼなのだ。
…
生き物はすべて歳を取る。
この真理が人間以外の他の動物にだけ強調されて見えるのは、俺の観察がぬるいからだろうか。
うちの両親は高齢者と呼ばれる年齢に入ったが、運よく、いまのところ健康でいる。
これが大病を患ったり、要介護になったりすると、近くにいる者として、世界が違って見えるのだろうか。たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩まず。
ただ動物の場合、小さいころの想像が簡単なので、それと現在の姿とのギャップが鮮烈というのも理由である気がする。
あんなよぼよぼの犬でも、十年くらい前に激烈にエネルギッシュに駆け回っている姿は、意外と簡単にイメージができる。目の前にいるこいつは一歩一歩がようやっとの完全によぼよぼなのに…。
それに比べると、人間は存在が切断されている感じがする。両親の幼い頃とかほとんどイメージできないし、なんというか、存在として連続してないんだよな。
…
そういえば、カート・ヴォネガットのSFに出てくるトラルファマドール星人という宇宙人は、視線が時の流れを超越しているので、人間を見ると頭が赤ちゃんでお尻が老人になったムカデのように体長の長い生き物に見えると書いてあった。
この特殊な目で見れば、人間にもあの哀しいよぼよぼを感じるのだろうか、と思うが、「頭が赤ちゃんでお尻が老人になったムカデのように体長の長い生き物」ってもはや『彼岸島』の邪鬼じゃねえか、という感じなので、違うかもしれない。
だけど、そういう呼び方はどうも馴染まない。
彼女は、僕らが小学生の頃から知り合っていたと主張していたが、その頃の僕は彼女をあくまでも集団の一部として捉えていた。
そういうわけで、僕が初めて彼女のことを個として認識したのは高校一年生の時だった。
彼女とは、ある授業がきっかけで近しい関係となった。その授業は、どこの学校にでもあるような、他の人と相談しながら進行する授業。
そうは言っても、彼女と積極的に話し合うことで親交を深めたというわけではない。まずもって、彼女はカモクなのだ。
僕と彼女のコミュニケーションは、会話というよりは問答に近かった。それでも、授業を通して彼女に一歩近づける、それだけで彼女の魅力を知るには十分だった。
後に続く彼女との関係の基礎はこの時期に形成された。一年間にわたる彼女とのささやかな交わりを経て、僕は彼女のことを意識するようになった。
しかしながら、その後1年にわたって、彼女との関係は進展しなかった。
高校2年生という期間は、他の生徒にとってもそうであるように、高校生活の中でもとりわけ忙しい時期だ。
授業のような特別な機会が与えられなければ、彼女を顧みることさえ忘れてしまうほどに。
高校3年になって再び出会った彼女は、少しばかり気難しくなっていた。それは、1年間彼女に見向きもしなかった僕に対するささやかな反抗であるようにも感じられた。
僕らは1年に渡るブランクを埋め合わせるために、2人で過ごせる時間と場所を求めていたが、快適な居場所は多くはなかった。
学校には僕らの関係を冷やかすような人間はいなかったが、それでもやはり居心地が悪かった。また、駅前の喫茶店などといった場所では、僕らのような客が長居すること自体が歓迎されていなかったし、僕としても周りの目があると純然たる彼女との時間に集中できなかった。
そういった理由から、必然的に彼女との時間は僕の部屋で過ごすことが多くなった。親も僕が彼女を引き連れて自室に籠っていることを容認していたし、ともすれば応援していたように思う。僕らの関係は親にとっても都合のいいものだった。
彼女と長い時間をかけて向き合うと、段々と彼女の心の内が見えてきた。
例えば、彼女はムキになると素っ気ない態度を取るようになった。今になって考えると、彼女のそういった部分にも理解を示すべきだったのだが、当時の僕はそれができるほど賢くはなかった。
彼女の新たな魅力にも気づかされた。それは、彼女のユウキだった。僕が見向きもしなかった間に彼女が手に入れた新たな武器。それは僕にとって、彼女の全てのように感じられたし、それはまさしくCそのものだった。高校生という多感な時期に彼女と毎日のように向き合うことができたのも、彼女のそういった部分が僕の心を引き付けて離さなかったからだ。
高校3年の冬に、僕らは一度だけ同衾したことがあった。あの時は単純な好奇心から彼女をベッドに連れ込んだのだが、どうにもやる気が出なかったのでそのまま寝てしまった。僕らにとっては、机を挟んで向き合う方が遥かに適していたのだ。そういう観点から言えば、僕らの関係はどこまでもプラトニックだった。
それからほどなくして、僕らは高校を卒業して、そして同じ大学に通うことになった。
長い春休みが明けて久しぶりに彼女に会いに行くと、彼女はすっかり変わり果てていた。
知り尽くしているとさえ思っていた彼女はすっかり豹変してしまった。
大学に入ってからは、彼女の真意を読み解くことが途端に難しくなった。
彼女のことをより深く知るにつれて、以前にも増して彼女のことが分からなくなった。
僕は、高校時代のように彼女と真摯に向き合うことができなくなってしまった。
彼女と長い人生を共に歩んでいたら、自分がどうなっていたのか知る由もない。
彼女に関する記憶も日々薄れていくのだが、今日のような記念日には彼女のことを思い出す。
受験でお世話になった化学を恋人に見立てて恋愛話をでっちあげようと考えたけど、青春というものを一切知らないので上手くいきませんでした。
ここまでだれも大須商店街とか円頓寺商店街とかいわないエアプ勢か
まあ新宿のももんじやみたいなすっごいディープな店はないけど狭いところにつめこんでそこそこディープでおままごと感覚で遊べるとこだね
大須のマクドナルドの向いにナゾトキスポットがあって晴れてたら地図かって町内オリエンテーリングが楽しめる
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もともと木材(木曽川沿い)と布の町(長者町)なのでコスプレが未だにとても多い、コロナ前はどこかで毎週末といっていいほど撮影会あった
スポーツ好きならドラゴンズの野球をドームでみてくれ ナイターもいいぞ、ってもうシーズンおわったのか?
コンサートとか演劇についてはあまり期待しないでくれ 名古屋飛ばしされるので
でかい書店が好きなららくだ書店かららぽーとの蔦屋かいまじんかな
カフェ、喫茶店文化はマウンテンならずともそこらへんのコメダでもコンパルでもどこでも味わえる
とにかく味も盛り付けもソファのやわらかさもいいのでマウンテンが標準とはおもわないでくれ
マウンテンは大学生に特化してるんだ、物珍しさ>量>>>味なんだ
ただし古い店はタバコくさい