はてなキーワード: 喫茶店とは
果物が我が家に送られたのは、車が放置される1週間ほど前だろうか。
母から聞いたところによると、父はその代金を直接農園へ支払に行くというような話をしていたらしい。
警察が農園の人に話を聞いたところ、父は実際にやってきていて、
もう一度果物を発送してくれと無理に代金を置いて行ったそうだ。
毎年来る時はしっかりした服装(ジャケット着てたんだと思う)をしていたが、今回は普段着だった。
現地の過去1ヶ月ほどの天気を遡って調べてみたところ、最低気温は0℃あるいは氷点下になろうかという寒さだった。
色々なことが思い出される。
毎週、漫画喫茶(今の漫画喫茶とは違ってたくさん漫画が置いてあるただの喫茶店だった)にモーニングを食べに連れて行ってもらったこと。
パチンコで勝ったと言って、何の日でもない普通の日曜日にゲーム機を持って帰ってきたこと。
退職勧奨を受けても、私や兄弟のために踏みとどまり、本意ではない職種転換を受け入れ単身赴任したこと。
反抗期に施錠して家族を締め出し家に閉じこもった日、単身赴任先から片道3時間かけて戻ってきたこと。
私が名の知れた大学に入学したことを、親戚に嬉しそうに話していたらしいこと。
よくあるミニキッチンで、冷蔵庫を置けるだけマシ。まな板どころかカップを置く場所も無いので、冷蔵庫の上にケトルを置いてコーヒーやお茶をいれている。
レンジを置くこともできないしトースターなんて単機能家電にスペースは取れないのだが、たまにトーストが食べたくてたまらなくなる。
今はまだ喫茶店に行くのは避けたいし、宅配注文は温かいまま届ける努力は感じられるものの、どうしてもしんなりしてしまう。
魚焼きグリルは無い。コンロは一応ガス火が使える。
電気式のホットサンドメーカーはあるが、三角にプレスするタイプで、バターが焼けてとろけた感じは得難い。
直火式の魚焼きグリルが解決に近そうな気がしているが、両面から焼かないとトーストにはならないだろうか。片面を温めてひっくり返した後でバターを乗せるか。
それならまずはフライパンでやってみるかと思うものの、そんなに頻繁に食べたくなるわけじゃないから、あまり試行錯誤する機会は無い。糖質と脂質しかほぼ無いものは月一の特別なおやつの一種でもあるし、がっかりした気持ちと共には味わいたくない。
ミニキッチンじゃない物件はプラス 5 万でもキツい。住むエリアは変えられない。プラス 10 万が常時払えるようになるのは難しそうだ。たまの贅沢をしたり普段使わないものをしまう場所を借りたりはできる。
だらだらと書いているうちに、常に設置するスペースはとれなくても、使うときだけ出せばいいのかとやっと思い当たった。面倒だけれど、そろそろ餅も焼きたい時期だしそうするか。しまう発想が出ないほど、以前はあって当たり前だったんだよな、トースター。
アンニョ.....おはよう。
昨日から食欲がなく、
今朝の起床は4時30分〜5時頃。
で、朝散歩にでかけたら曇り空。
おまけに謎の目のゴロつき(?)
というような気分でその辺を歩いたが、
「気にしない」ってこんなにも難しいことだっけか?と思う。
で、ぜんっぜん食欲がわかない。
休学の間は実家にいるつもり。
予約の紙を握りしめていた。
そして、一週間後母親が来る。
マジで言ってみよう。
あーもう2限の講義受けたくない。
そういえば
そりゃ、外出はしてるけれども陽光を浴びてるわけじゃないもんな
相変わらず
NHKでも垂れ流しておけば良いのに
怒られない気がするけどネ
薬の処方もできるような
それにしても
(ここまで書いてたところで知らない番号から電話かかってきてまたメンタルがちょっとキツくなった)
ことは、
そんな感じかね?
アリ〜ラン スリ〜ラン。
そういえば
保健室に行ってみた。
最近謎の聴覚過敏気味(原因はだいたい分かってるんだけど)で、
まぁ、何かアドバイスもらえるだろうと思ってネ
シムジョンが学生相談室なら(そういうわけでもないと思うけど)
モムは保健室でしょう、ということで。
まぁ、実際、マジの思い立ちなんだけどネ
朝から色々と気持ちがつらくて、心のどこかで誰かと話したかったのかもネ?
耳について聞くつもりが、まぁ、こう言う聴覚過敏も心が関係することが
同じようなことを話しちゃったネ
まぁ、結果は『様子見』ということで。
その後、図書館に行った。
もう、三限の出席は取られちゃってるだろうし。
ピの音は、これもこれで良いかもネ。チョアチョア〜。
勘弁願いたいけれど。
意外と心地よいかもしれないネ。
アリ〜ラン、スリ〜ラン。
検索をすることがますます億劫になっている、もはや不可能である、ということに気づいた。
ところが、もはや検索したい対象があまりに漠然、フィーリング、印象の塊のようなものになっており、文字列と結びつかない。
であるから「都内 喫茶店 落ち着く」「電動 自転車 軽い」のように検索するわけだが、こんな検索ワードでは全く精度のいい情報は出てこない。
この「次」の検索ワードが、思い浮かばない、出てこない。自分の求める「集合」にたどり着く検索ワード、ボンヤリとした印象はあるのに、それを検索しようとしても望んだ結果は得られず、徒労に終わる。
そうすると、「都内 喫茶店 落ち着く」「電動 自転車 軽い」と書いた検索人はぐるなびや価格comや楽天など、有り体のネット市場と連動したサービスに回収される。
一方「次」を求めた検索人は、検索で徒労を繰り返した後、一筋の巧妙に出会う。「次」が何かは分からないままだが、関連した情報をどんどん投下してくれる「教祖」を発見する。
こうしてインターネットは完全に「大きなネットワークビジネス化」と「小さなネットワークビジネス化」してしまう。人々は検索で幸福にはなれない。個人の意思の薄い市場のランキングを頼りにするか、情報教祖に自己を明け渡すか。この2択。
マスコミが力を取り戻し、世の中はネットワークビジネス化してしまった。昨今とか言ったがここ15年くらいのスパンだな。
最後に「検索」がまだ生きている場所。それは結局、コンテンツ、クリエイター、セレクターがたくさん生息している場所だ。「検索」すれば予想を裏切るような魅力的な情報が溢れ出し、体系化や情報整理が同時的に行われている。そこには「教祖」はいない。あぁ、結局死んだのは検索ではなくコンテンツなんだな。