はてなキーワード: 古典部とは
○朝食:ヨーグルト
○昼食:助六、野菜スープ(コンビニの1日に必要な半分の野菜がとれるてきなやつ)
○夕食:ちゃんぽん
○調子
はややー。
なんか風邪が大流行してて、僕座ってる島がガラ空きになって、少し寂しかった。
僕もなんか咳っぽいし、風邪かも。
○お便り返信
http://www.marugame-seimen.com/lp/app/
みんなもダウンロードしよう!
連休明けのこと考えて外出するなんてえらいなー
休日出勤はたいへんでしたね。
死んだら何にもならないですが、とはいえ辞めたら辞めたで、無職は無職で辛いのがまたしんどい。
死なない程度に折り合いをつけたいですね。
王将、最高!
oooooo4150 日をまたぐ時間になって夕食を考え中とは。くいしんぼうさんめ
そのかわり、はややーしてるでしょ。
oooooo4150 ヨーグルトの頻度が増えてる?
なにかの漫画でヨーグルトは朝より夜食べた方がいいって書いてあったのですが、やっぱり朝食べたい。
同じものを食べ続けるの好きなんですよね、なんか精神が安定する気がするんです。
しょしさるすべりけ!
しょしさるすべりけ!
(声に出して読みたい日本語)
チャプター1を攻略中。
が、いきなりサイコロの謎解きでつまる、豪快に詰まる。
いや、謎解きの解き方はわかるんだ、
「マッチ棒パズルで、太陽と月のマークの数字を、インド数字を上面の時計に合わせて読み取ったもので組み立てる」
こうすればいいんでしょ、それはわかるんですよ。
ただ、時計面とインド数字の組み合わせが、まったく理解できない。
それぞれの面に書かれてるインド数字が、何時にあたるのかがさっぱりわからん。
これ、軽く僕自身の認知の歪み的なやつが邪魔してる気がしてならないから、かなり憂鬱になってきた。
ノー課金。
○ポケとる
を捕獲。
ログボのみ。
そもそも2枚でいいのか? というのも結論出てないし、うーむめんどいなあ。
○スマブラfor3DS
これって結局、最終的に優秀で頭が良くて優位に立ってるのは詐欺師の狐の方なんだよな
証拠の品を運ぶために電車ごと動かすジュディのアイディアは失敗でスーツケースだけ持ち去る狐のアイディアが正解、陸運局のナマケモノと知り合いなのも狐、和解のシーンも狐の方が大人で手玉に取ってる、
一見猪突猛進のヒロインがリードするようでいて、キーとなる活躍はやれやれ系の男の方
それとジュディは明るくて良い子なのに全然女友達が出て来ないのはなんでだろうな
ガゼルはアイドルとして好きなだけで個人的に知り合いになったりはしないし
カワウソの奥さんや鼠のマフィアの娘とは関わるけれどあくまで守るべき一市民扱いだし
解決のヒントを出すのも父親の兎と、幼なじみの狐という「男」だし
せっかく草食動物の女性同士として関わりのあった羊の市長の事も、真相解明後には旧来の魔女の如き単なる悪役として切り捨ててる
★3くらい。
ミステリはだいぶ弱めかつ短編かつ高校ものだから読みやすかった。
つーかミステリ自体もマジで読者に解かせる気がハナからない感じするし。
前提条件が全部呈示されてなくて地元ネタを根拠に推理しちゃうとかね。
俺的にはそれで全然よかった。
全然おもしろくなかったわけではないけど、めちゃくちゃおもしろかったわけでもなかった。
でもそういう普通レベルの面白さを古典部シリーズ以来米澤穂信に感じられてなかったから久しぶりだった。
気になったのは2つかな。
違和感を覚えたって言葉があると思うんだけど、あれをこれまでの長編では全部違和感を感じたって書いてたんだよね。
そんな言い間違いでキャラ設定してたっていうには無理があると思うし。
どうしてもアザゼルさんの丸メガネかけたタヌキと小山内くんのほうが浮かんできて終始ひどいビジュアルになってしまったわ・・・
どうしたんだい小山内クン!!
だとするとジョウゴロウがタヌキか・・・
それ以降何かでその名前に触れた時に毎回それを思い出してしまって変な感じになる
つまらなかった。
いろいろと都合がよすぎたり、地政学的ウンチクや特に必要性を感じさせない文量水増しの無駄な描写が多かったりして、途中からななめ読みした。
キャラクターも雑だし。
最後のどんでん返しもハナホジーって感じでまったくなんとも思わず。
なんか米澤穂信らしくない雑さを感じた。
シリーズ1作目として意識されてるとのことだったけど、ぶっちゃけ2作目以降読みたいとは思わない。
まださよなら妖精の続編のほうが読んでもいいかなという気にさせる。
あとは単発モノと古典部シリーズっぽいであろう小市民シリーズが未読だけど、ぶっちゃけ小市民シリーズと古典部シリーズだけが自分に合ってるのかなあと思う。
古典部シリーズがよかったからって他のをホイホイ買うんじゃなかった・・・
なんかもう意地で読んでる気がする。
びっくりするほどつまらなかった。
amazonレビューでも賛否両論という感じだったけど自分は圧倒的に否。
構想が若い時でそのときはまだ筆力がないから書けないと思ってこのタイミングで書いたということだったけど、
むしろ若い時の勢いと感性で書いとくべきテーマ・内容だったと思う。
ありふれた中二病と実際に執筆されたタイミングでの大人の感性がまったく噛み合ってなくて、
米澤穂信がミステリ抜きで何か書くとこうなるのか、という悪い前例になったと思う。
でも、これはすごく長期間あたためてきたものであって、プロ作家になってから純粋に仕事として書いたものじゃないからこの出来なんだ、
と擁護できなくもないから、まだ「ミステリ抜きの米澤穂信」の完全な評価は一応保留。
全部が当たりの作家なんていないとはわかっちゃいるけど、氷菓以外に手を出してみた一連の流れ(インシテミル、さよなら妖精、ボトルネック)でこうも続けざまにハズレを読まされると、かなりテンション下がるわ・・・
(追記)
msdbkmさんいつもブコメありがとうございます。
氷菓はアニメを途中まで見てだいたいキャラを掴んでから原作を一気読みした。
氷菓も、あれ一冊だけを最初に読んでたらたぶんボロクソ言ってた。
語り手が変わって各メンバーの視点でいろいろと文化祭の楽しさとか、謎とか問題とかを見ることができたから。
古典部シリーズは謎とキャラ萌えのバランスがちょうどいい、自分に合う最初で最後の米澤穂信だったのかもしれないと思い始めた。
これがミステリかーという感じ。
良くも悪くもそこを突き詰めただけで、キャラクターとストーリーが驚くほど薄い。
あれだよ、最初に結構な人数のキャラ説明がついてるタイプのあれ。
わからなくなったらそれを見ろってことなのかもだけどもうその時点でめんどくさって感じ。
これはそれすらなかったからもう序盤で名前とキャラ覚えるの諦めて字面だけ追っていった。
まともに推理なんてしなかった。
適当に考えて一番あやしいお嬢様が犯人じゃねーのとしか思ってなかった。
そういう意味では単純に自分に合ってなかったハズレ本だったってだけかもしんないけど、
ミステリだけに特化したこと考慮してもそこまで面白いか?とは思う。
火サスじゃねーけど、他のミステリ小説なら多かれ少なかれ動機なりキャラ掘り下げなりがあるから許される部分がゴッソリ抜け落ちてるから、
トータルで普通以下の面白さにしかなってないんじゃないの?って思った。
ググッてみるとインシテミルだとかのハード系派の米澤穂信が好きな人と、
後者ですらミステリ部分で考えるのめんどかったからキャラ小説として読んでたくらいだし。
ミステリをまともに考えて取り組める人の根気強さがうらやましい。
ブコメであげられてるタイトルがことごとくマニア視点だったので、ミステリに馴染みがなくても面白いと思えるんじゃないかなーってタイトルをつらつら。
定番ばかりです。
またいわゆる「日常の謎」ってくくりに入る話も多いので、元記事で苦手な要因とされてた「ミステリの定型」からは割と離れています。
アニメ化もされてて別の意味のマニア受けもあったりするけど、そんだけ物語性が強いってことだと思う。
で、この日常の謎ってジャンルは、普通の生活の中の違和感から話が転がっていって人の業にたどり着くなんてことが多く(もちろんそんなのばっかりではなく、かるーい話もあるよ)、またそれが唯一絶対の解とはされていなかったりするので、他ジャンルの小説をよく読む人なら面白がれる確率高いんじゃないかなと思います。
我孫子といえば「殺戮にいたる病」ばっかり話題にあがりがちだけど、あれはトリックもすごいけどグロもなかなかのものだからね…。
殺人も起こったりするけど、基本なんかゆるいです。ほんわかしてる。
探偵役は腹話術の人形なんだけど、こいつを操ってる腹話術師は人形がないとまともにしゃべれない。
で、主人公の視点は女性なんだけど、彼女と腹話術師と人形の関係が少しずつ発展してくのが見所。
で、こういうゆるい雰囲気が好きだったら「ユーモアミステリ」でぐぐると幸せになれるかも。
最近なら東川篤哉がよく挙げられるね。個人的には「謎解きはディナーのあとで」よりは、「密室の鍵貸します」から始まる烏賊川市シリーズがおすすめ。
この短編集は事件の真相よりも、事件を起こした理由を通して人が秘めたものを炙り出すことが主眼になってる。
これから広げるなら「ホワイダニット」になるかなと思ったけどくくりが広くて「定型」に当たる確率が高すぎるかなー。
元記事書いた人だけでなく、ブコメでミステリ苦手って言ってた人にも興味持ってもらえたら嬉しいな、みたいな気分です。
(初心者に勧める定番?イニシエーションラブは、あれはマニア向けの本だと思ってるので敢えてあげなかった。恋愛小説よく読んでるなら、途中で投げ出しかねない描写の陳腐さにも定評があるのでな)
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社のウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である。
読書メーターに12月4日に投稿されたjinさんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。
読んだ印象としては、米澤穂信が西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。
読書メーターに12月11日に投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。
米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。
まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。
全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイル・コード」で携帯メールの暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵からの脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。
次に米澤穂信のデビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。
この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語はヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することである。しかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部の末裔」からであり、「2. 伝統ある古典部の再生」では千反田えるが地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。
はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定の作家の専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公(折木奉太郎)がヒロイン(千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。
目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた生け垣。刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える池。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。
道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇と比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。
(中略)
唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ、板張りの廊下を彼女に説明された通りに進んでいた。
広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭には池があるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれた松しか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。
(中略)
(中略)
石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。
太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ、庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。
そもそも、高校一年生のヒロインが日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定の作家の専売特許というわけでもない。
『氷菓』において、千反田えるが日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家だからだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的な学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語的必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公とヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部〉シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公の述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。
あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。
具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、
具体的に「あきましておめでとう」では、
となっている。
以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』において主人公(中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」において主人公(折木奉太郎)とヒロイン(千反田える)が小屋(納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。
目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。
りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。
一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。
と、その時。
ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた。
なんだろう?
りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。
そして二人同時に思い当たった。
扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。
慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。
「……あれ?」
開かない。まさか。
がちゃがちゃがちゃがちゃ。
いやいや、冗談でしょ?
「鍵が……閉められてる……?」
強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間からは無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。
闇の中に手を突き出し、摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。
「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」
「あの、折木さん」
いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった。
『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁
「おう、開いてるぞ」
そして、なにやら不吉な、がこんという音。
「え? いまのは……」
とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミのノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。
しかし。
がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。
「どうしました?」
どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。
「閉じ込められた」
『遠回りする雛』角川文庫版、221頁
まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから、強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。
『遠回りする雛』角川文庫版、228頁
今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語はほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。
違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。
「あきましておめでとう」では、折木奉太郎が脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。
『ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部〉シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代に探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民〉シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。
『たまこマーケット』見てて感じたことをいくつか。
主に『けいおん』以降の京アニ作品の変遷は、意識的かつ段階的に変化させているのでは?と言うお話。
『けいおん』以降の流れで考えると、徐々に登場人物が関わるコミュニティの枠を広げていってる印象。
氷菓→古典部内だけでなく、入須先輩などの古典部以外の学生との交流、えるの家の事も少し。
って言う感じで。
その文脈で考えれば、『たまこマーケット』で商店街って言う、地域社会との繋がりが丁寧に描かれているのには
必然性があるとも言える。
同姓だけじゃなく、友達だけじゃなく、同年代だけじゃなく、家族だけじゃなく、さらに外の広い世界との繋がり。
■恋愛をどう扱うか
これもけいおんからの流れで行くと、登場人物がどれだけ自分にとってリアルなものと捉えているかが、
徐々に変化していっているように思う。
氷菓→恋愛と呼ぶにはまだ未熟な奉太郎とえるの関係。恋をどう捉えていいのか迷う悟志と摩耶花の関係。
『中恋』での恋愛って、言ったら現実的ではなくって、全員があまりに恋に慣れていないし(モリサマーですらハウツー本頼み)
いわゆるまともな高校生とは少し違う、特殊な恋愛観を持った高校生の話だったと思う。凸守は俺の嫁。
で、いよいよ『たまこマーケット』では、みどりちゃんともち蔵は普通に片思いしてるし、
かんなは「誰が誰を好きになってもいいんだよ」なんてアドバイスしちゃうし。
って言う、恋愛なんて周りにありふれてる環境に居る、普通の少年少女の話になりそう。
たまこ、もち蔵、みどりの三角関係(百合の可能性あり)になるのか、それとも恋愛の話は
そこまで深く描かないのかは、今の時点では分からないのだけど、おそらく今までは恋と
無縁だった主人公のたまこがどう成長するのかが楽しみ。
■ここからは当てずっぽうの雑感
・山田監督が『たまこマーケット』を作る上で、『けいおん』を意識しないわけが無い。
あれだけのヒット作になったアニメなんだから。その上で『けいおん』では描けなかった部分を描きたい気持ちがあったのかなあと。
・あるいは、アニメに限らずだけど全ての創作者が意識しないわけがない、震災の問題。
震災以降の世界をどう生きるのか?と言うことを考えた時に、内側の世界ではなく外側の世界を描くって言う、
・今のペースで行くと、中盤に夏休み、終盤にクリスマスを持って来そうなので2期を視野に入れて卒業までを描くつもりなんだろうなあ。
ダラダラと書いたけど、以上。
原案では海藤武雄(部屋で倒れてた奴)は死なない(血糊量が少なかったのはこれが理由)
そして、犯人はザイルを使って2階から1階へと移動する予定だったと思われる
なぜなら、海東の部屋は窓が開かないし、通路を通るのだと他の人間に知られてしまうから
他の人の視線をかいくぐり、海東を刺す事ができ、なおかつ役者の能力的にそれができるのは
しかし、アンケート結果では死ぬ人数が0人というのは無効票となってしまった(”100人死ぬ”が有効なのに無効票になるのは、誰も死なない以外にはありえない)
(恐らく、クラスメイトの認識ではミステリ=人が死ぬものとしていたのかもしれない
もしくは、後述の入須先輩の思惑で無効票となったのかも)
本郷の脚本構想の根幹をなす部分が否定されてしまい、自分の構想で書けばクラスのみんなを裏切ってしまうことになる
勿論、最終判断権は本郷にあったわけだが、(脚本執筆依頼を断れない程度には)気の弱い本郷は自分を通せなかった
さらに、実際の撮影でも海東が死ぬような撮影が行われてしまい、訂正が更にしづらくなってしまった
そんな時に、入須(女帝)から「病気で寝こむフリをしろ」と言われる
それに従い、ずっと黙っていることとなる
「私があんな脚本を書いたから色々問題が起きてすみません。けど、私の望みはみんなで一緒に作って喜ぶことでした」
と伝える
・入須
しかし、映画は完成させ、なおかつ成功させなければならないと考えていた
そこで、アンケートにおける「死人がゼロ=本郷票」を無効票とし、その案を却下した
もしかすると、この時から本郷を降ろすことを決定しており、無効票としたのかもしれない)
そして、撮影でクラスメイトが海東が死ぬ描写を撮った後は(憶測だが、そういうふうに仕向けたのも入須かも知れない)
そして、脚本が面白くなるように「結末推理大会」と称した「シナリオ再構築会」を開き
しかし、どれもつまらない内容だったので、進行のあった折木姉に相談した所
「うちの弟なら踊ってくれるよー(推理役として頼めば整合性のある面白い結論言ってくれるよ)」と返答
一度は拒否されるが、「探偵役の推理をチェックする程度なら」という妥協案で引き受けてくれる事となった
その後、折木に対して個別でアプローチをかけ、口八丁でおだて、推理させる
折木姉には
「あんたは本郷を守りたいから手伝いを頼んだんのではなく、脚本がつまらなかったのが問題で
本郷が傷つかないように脚本を却下したかったんでしょ?」と言われる
この言い回しからでは、入須が本郷を守りたかったのか、それとも自分可愛さ(本郷にもクラスメイトにも映画の視聴者にもいい顔をしたいという欲望)
の為にしたのかは分からない
本郷からは「あんな脚本にしたから。けど、私の望みは”みんなでできたってばんざいすること”でしたから」と言われる
ここで罪悪感を感じるような素振りなので、入須は
「本郷の脚本が面白くないから、却下させるように仕組んだり、病気のふりをさせたこと」を
悔やんでいるのかもしれない