はてなキーワード: 不利益とは
自己決定の考え方が広く浸透しているだけです
「貴方は、そのサービスを使う選択も、使わない選択も、出来る。そして、その結果による、利益も不利益も貴方に帰すもの」
ほーん、じゃあ、誰も彼もが自己決定にキッチリ責任を持つ、マッチョで倫理観の高い連中ばかりかといえば、当然そんなことはなく、
日本人の感覚じゃドン引くような、ユーチューバー や ツイート や いたずら で 溢れているし、
強いて言えば、倫理観の高いエリートの割合が、日本よりも少し高いのかも知れないねくらい
倫理観の高めのエリートが気持ち多め、それに倣おうとする国民も気持ち多めだけど、それ以外は基本的にヒャッハーしている国がよろしいのか、
上も下も自己決定の責を負わずにクレクレ言っているが、ヒャッハーしているヤツも少なく、底辺の底も抜けていない、息苦しくも平和な全体主義な国がよろしいのか、
それは好みだと思われます
anond:20200213134914 anond:20190219112053
(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200212111557)
政治家も医者も大学教授も大企業社員も中小社員も自営業も右も左も全部クレクレ
敗者はどこまで行っても負けるという話
敗北すらしていないのが本当かもしれない
30年間生きてきて今まで、市場への参加の仕方が分かっていない
市場がどこにあるのか、どうすれば市場にアクセスできるかが分からない
普通の稼ぎの独身男が仕事帰りに足しげく通っても、家計には負担にならない価格設定
女の子の人数は固定だから客の人数によって話せる時間が変化するものの
キャバクラみたいな店と比べても安いだろうし、価格にも自分の中で納得感はあった
友人がどんどん結婚して遊び相手が少なくなってきている実感があった
その選択の為にも女の子と話すことに慣れておいてもよいかもしれないという考えもあった
メイドバーに通うことは恋愛に関して腰の重い我ながら前向きな変化だった
緊張で遠慮がちだったのが、ある程度リラックスして女の子と話せるようになると楽しめる
キャバクラのような恋愛営業的なものはないが、推しは誰なのか?という話題で同様のことを擬似的に体験できた
数回足を運び顔を覚えてもらったかというところで、安心して行ったのが昨夜
途中から入って来たのが、いかにも稼いでいそうな自信に満ち溢れたスーツ姿の若者だった
なんだかおしゃれな雰囲気を出していて、完全に勝者の持つ雰囲気だった
靴がとんがっていて攻撃力が高そう
帰宅(入店)して早々そいつはシャンパンだかなんだか知らないが高そうな酒を大量に入れ始めた
その場にいた女の子のほとんどがそいつの卓を囲み、コールをしながら乾杯を続ける
止まらない流れ
勝者による蹂躙だった
金を使う客と使わない客で差をつけるのは当然のことだ
金を落とす客の方が大事に決まっている
この小さな空間を支配するシャンパンジャイアンを恨みはすれど店の女の子に罪はない
その場で対抗できればいいがそもそもそんな手持ちはないしそんな金の使い方はできない
だから何もできない
自分の中で理由をつけられるものの、そこにあったのは敗北の二文字だった
子供が遊んでいる砂場に乱入してきた大人をただみることしかできなかった
小金持ちがやってきて俺TUEEEEしているのをとめることはできなかった
帰り道、悔しくてたまらなかった
恋愛できないからと逃げた先で別の要因でマウントをとられ不利益をこうむる
非モテが居場所を見つけたと勘違いしていたあそこも夜の店だった
キャバクラとは違う
ガールズバーとは違う
そう思い込んでいたが結局はそういう場所だった
ただ、それだけの話だった
メイドバーを奪われ、どこに向かえばいいのだろう
私はフェミですが、性行為など最小限にするべきと思っています。それは男女平等に適用されるべきです。
マッキノン先生は「男女平等が実現していない社会ではあらゆる性行為はレイプである」と仰っています。
『子作り関係なく、自分からセックスしたがる女』は確かに存在するのかもしれません。ですがそれを認めるべきではありません。
『自分の意思で奴隷(性的な意味ではなく文字通りの)になりたがる』人がいてもそれを認めると労働者全体の不利益になるから認められていないのと同様、
今の社会で『自らセックスしたがる女』など結局は肉便器になりたがっているのと同じで、それを認めると女性全体の不利益になるから禁止されるべきです。
最初はTwitterのサブ垢で軽く呟こうかなと思って書いてたけど、テーマがテーマなので、熱いお客さんを呼ぶと面倒だなと思った。
でもせっかく日頃考えていたことを言語化したので、この形で残しておくことにした。
元々は女性差別の流れから、「美人だという理由で差別されることもある」という趣旨の文を見かけて、これは常々そう思っていたことだったので、差別について個人的に考えていたことを書き始めました。
(※私は美人ではない)
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私は性別による役割分担については、肉体の構造や脳の仕組みの違いがある以上、あって然るべきだという考え方だ。
ある程度人を見た目で判断・区別するのも、生物の本能だから仕方ないことだと思っている。
それとは別に、人が決める枠によって自分のポテンシャルや意欲を阻害される体験をして、それをハンデだなぁと感じることもある。
私は結構いい年の女性だが、技術職なので年齢由来のハンデは受けにくい。それでも経験が長くなるにつれ、性別由来の固定概念の枠(ハンデ)を感じることも増えてきた。
枠に柔軟性がない人や、そもそも枠自体認識しておらず、自分が枠を設けて外を見ていないという自覚もない人もいて、そんな人達に自分を理解してもらえるようアピールしても、見えてるはずなのに認識されなかったり、スルーされたり、一時的に理解されたと思っても、翌日には忘れ去られたりする。
そんな時は、性別や見た目という枠なしで見てほしいなぁと思う。
特に、枠外にあるものが自分の本質に近ければ近いほど歯がゆい。
人が慢性的に不利益を受けたりストレスを感じるような枠組をつけられることを差別というなら、私も日頃、差別を経験していると言っていい。
ほとんどはストレスを感じながらも、仕方ないことだと思えることなので、声にすることはないですが。
性別は枠の切り口の一つであって、もちろん男性も差別されることがあると思うけど、女性のほうが、填められる枠が強固というか、本人の意にそぐわない、社会性も強い類の枠の種類が多い気がする。
それが感じる側の問題なのか、区別する社会側の問題なのかは意見が色々あるだろうけど、感じる側が我慢するより、受け入れる側を(可能な限り)柔軟にするというのが、社会が目指してる方向性だと思う。
なので、枠の存在を忘れがちな人にリマインドすることは必要だ。
多少うるせえなと思われても、度々リマインドされることで、枠の認知度は上がっていく。社会全体の方向転換に少しずつ繋がるだろうと思うので、活動家の方々の頑張りには意味がある。
個人レベルでいうと、各々自分が持っている枠を柔軟にしたり、枠を持ってるということ自体を自覚して、意識することは、基本的に不利益はないはずだ。人間関係は円滑になるし、相手だけじゃなく自分のメリットにもなる。
少し話は変わるけれど、社会性が低めな事柄でも、枠に填められることで感じるハンデがあると思う。
劣っている側が、優れている側を差別するということも、間々あると思う。
例えば身分が違ったり、めちゃくちゃリア充だったり、凄い美人だったり、ハイパーお洒落人間だったりすると、わかり合えない気がして距離を取られる。
またはやたら崇めて理想化する。
そうすることで、本当は似たもの同士なのに親しくなれなかったり、欠点もあるのになんでも簡単にできてると決めつけられたり、振る舞いを過剰に期待されたりする。
これを差別と呼ぶかは人によると思うけど、見てほしい本質が枠の外側にある人にとっては辛いことだろうと思うし、根本は人種差別と同じだ。
「美人であることで困ることなんて大したことじゃない」と決めつけるのはフェアじゃないと思う。
こんな偉そうなことを書いていると、まるで私が、誰にでも分け隔てなく接することができるかのようだけど、まったくもってそんなことはない。むしろ人をジャンル分けするのが好きな質だ。(語弊があるかもしれないけど事実そうだ)
単に枠組みで見た時には、リア充もハンサムも過剰におしゃれな人も苦手だし、外人も(たとえ日本語が喋れても)わかり合うのに障害があると思う。「男は」「女は」という切り口で性質を語ってしまうこともある。違いがある以上、多少のステレオタイプは事実存在する。
でももしも個人レベルでご縁があった時には、できるだけ自分の中にある枠をなくして、フェアに接することができるようになりたいとは思っている(できてるとは言ってない)。目下取り組み中だ。
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余談だが、「(500)日のサマー」という映画で、私は初めて美人のハンデについて考えた。私はサマーがとても可哀想に感じたんだけど、フラれた主人公側に感情移入して、彼女を小悪魔だ気まぐれ女だとレビューしてる記事も見かけた。(主人公視点ではそう見える)
もちろん彼女は自由な基質だったけど、あんなふうにYesマンに崇められたら、そら付き合い続けることはできない。
なるほど、そういった逃げ方もありますね...
記事 A と記事 B どちらが検索意図に適っているかわからなければ、
ドメインを元に優劣をつけるというなら分かるのですが
いままでの被リンクを捨ててまでも
ドメインを移行するという意思決定を下したのが、正直信じられません。
Googleはウェブを安全にするために「URLをなくすべき」と考えて いるそうです。
これはもちろん、人間のためで、検索エンジンやその他の機械が読み取るためのもの施策ないし方針でもないことは承知しています。
あまりにも SEO に脆弱すぎるのではないかという気がしてなりません。
それはちょうど、もう WELQ 問題と同じようなことが起こらなければ良いやくらいの意図を
持って Google Japan は動いているのではないかという気がしてならないのです。
しかし 検索が行われるたびに Google のブランドを傷つけていることを考えれば、
これはあまりにナンセンスな意思決定と言わざるを得ないのではないかと感じます。
「動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ること」
しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。
「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの」
要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級にランク付けされていることになる。
仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、
以下のようになる。
****************************************
【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物)
・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊」「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種
【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物。野良は対象外)
・哺乳類
・鳥類
・爬虫類
・魚類
・両生類
・すべての無脊椎動物
****************************************
この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。
法律上では金魚やカエル、カブトムシといったペットは愛護しなくてもよいことになっている。
一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。
しかし、現実には「金魚やカエル、カブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。
そして、金魚・カエル・カブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、
もっと言うなら、ゴキブリをペットとして愛している人もいるだろう。
だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、
平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリの場合は、器物損壊にはなるだろうが)
にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、
別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。
それなのに、個人の自由であるべき嗜好を、法律で罰則まで付けて強制している。
【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、
「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人の属性によって、
曰く「犬猫を虐待する人間は殺人犯になりやすい」だの「昆虫を愛する人間は異常者」だの、
これは「黒人は犯罪率が高いから黒人は犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。
ニューヨークなどの都市で黒人の犯罪率が高いのは統計的事実だが、
だから「肌の黒い人間を規制せよ!」などというのはバカバカしい。
黒人の犯罪率が高いのは、「黒人に貧困層が多いから」「黒人に教育を受けてない層が多いから」かもしれない。
肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。
「犬猫の動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。
不利益だからって嘘ついていいわけじゃないしそもそも不利益どうのこうのって法律に規定なくないか。
たとえば「賞罰」の所に不利益だから賞罰無しって書いていいわけねえだろ。
「雇用契約の締結に際し、使用者が、必要かつ合理的な範囲において、労働力の評価に関わる事項や企業秩序の維持に関係する事項の申告を求めた場合には、労働者は、信義則上真実を告知しなければならない。」