はてなキーワード: テロップとは
https://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=h_259vnds00454/
以前借りたAV、野外乱交モノで
女3人と男優3人が川原でキャンプしながら乱交っつーやつなんだけど、
女の子が「そろそろ飯盒炊爨やろー」とか言ったときに男優陣が、
「すいさん?なにそれw 飯ごう炊飯だろーww」って言って、
ご丁寧にテロップも↓みたいに出て
×すいさん?
○炊飯
「そうだっけ?間違えちゃったーw」みたいに言っていた。で、そこからその子はおバカキャラ扱い。
そのあと、あたりまえだがその女の子も男優にガンガン突かれてアヘアヘ言ってたんだが、
なんだが悲しくなってしまったよ。
NHK「ニュースウオッチ9」で、コロナワクチン接種後に死亡した人の遺族でつくる団体から、遺族の男女3人が出演して「5類になったとたんにコロナが消えるわけではない」「風化させることはしたくない」と語らせたが、家族をワクチン接種後に失った遺族という紹介はなく、テロップで「夫を亡くした」「母を亡くした」とだけ編集して、回答者の趣旨を捻じ曲げて報道していた問題。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ec9d3c077c1c6b296d5a0c8288b620f741da931
私もかつて編集者として民放だけでなくNHKでも実務をしていた経験があるが、NHKの場合は根本的な問題として、いざ編集する段になると、圧倒的にプロデューサーが内容の決定権を握ってしまい、強引に内容が「簡単に」「分かりやすく」捻じ曲げられてしまうという組織的風土がある。現場の記者やPD(ディレクター)は意見をすると歯向かったみたいな扱いになり、どうせ自分たちの意思は通らないと最初から諦めてしまっている。
いつもであれば、プロデューサーの介入によって非常にシンプルな分かりやすい構図となり、皿洗い中にながら見をしていても理解できるような単純な情報となって流れていく。だが、あまりにも強権的な介入に対して、記者やPDが忖度しすぎた場合、あるいは意見をしても全く聞く耳を持たない場合は、今回のようなありえない完全な間違いが起きる。
そもそも現場にも行ってない、取材もしてないオッサンが、頭で想像した通りに、下から上がってくる情報を分かりやすく単純に情緒的に整理するからこのようなミスを起こしてしまう。上意下達の軍隊的な思考が令和になっても改まらず、今回も現場の人間が責任を負わされ、プロデューサーは栄転ともなれば離職スピードは加速するだろう。
私はNHKの職員ではないし今はNHKの仕事はしていないが、客観的な立場から提言を述べたい。これはNHKに限らないかもしれないが、立場の上下を固定せず、プロデューサーとディレクターを自由に異動できるような体制としてはどうか。本来、それぞれ重要な独立した役割であって上下関係となっていること自体がおかしい。日本特有の年功序列カースト制度だからこのような風通しの悪い組織になる。記者やディレクターとして理不尽な命令に耐えた結果、プロデューサーに「上がれる」という価値観自体を改めるべきである。
というわけで、NHKの偉い人は現場の若い人たちのためにも、真剣に組織風土の改革を考えてほしい。上記のような改革であれば、簡単ではないか。
キャストやスタッフのテロップとともに主題歌に合わせた特別な映像が作られていた。これがドラマ主題歌を特別なものにしていて、主題歌に選ばれた曲のCDは爆発的にヒットした。
それが90年代後半からはテレビ局の視聴率競争のためにオープニングが流れる時にチャンネルを変えられないようにしようとオープニングが削られ主題歌が流れるのはエンディングになった。主題歌に合わせたエンディングロールの映像が作られていた。
最近のドラマではオープニングでもエンディングでも主題歌に合わせた映像は作られず、ドラマの本編映像に合わせて最後に流すだけというものが多くなった。これも視聴率争いの結果だろうか。主題歌を主題歌と認識できないドラマが多くなった。単なるおまけの曲でしかない。
こうしてドラマ楽曲はテレビ局の視聴率争いでどんどん脇に追いやられていき存在感が小さくなった。
今、ドラマにオープニングが残るのはNHKの朝ドラと大河だけである。
一方でゴールデンタイムの激しい視聴率争いに左右されてこなかったアニメは子供向け作品から大人向け作品まで全てにおいてOPとEDは不変である。
不味い料理を不味いと口にするのは許されると思う。
だけどそれを「こんなの出してる味覚障害に金払う必要があるとか飲食業って本当簡単だよなぁ?」と言いながら会計して出ていったらカスハラになるかも知れない。
どうなんだろうまだ大丈夫かな?
たとえば店の前で「この店は超まずいですよ~~~」と大声で叫んだら流石に業務妨害も通るんじゃないのか?
いわゆる「ハラスメント」ってのは窃盗罪を万引きに言い換えるようなものなのでは?
つまり、「お前はそれがヤンチャで済むと思ってるのか?そろそろ弁護士呼んで蹴りつけるから震えて眠れ」を意味しているのでは?
じゃあ俺たちがやってきたクソゲー叩きってどうだったんだろう。
多分きっと間違いなく恐らく絶対メイビーで「この会社の作品がこれ以上世に出回らないように、売上を下げなければ」という使命感があったはずだ。
それはクソゲーを掴まされたことに対しての正義の怒りであり、言うなれば詐欺にあった被害者の訴えとして存在していたんだと思う。
つまりそこには業務妨害をしようという明確な意志があり、それが詐欺被害者という立場から来る特例によって許されると信じていたんだ。
食べログに騙されて不味い料理を食わされた客が、それを詐欺だと感じて相手が詐欺師ならこっちもある程度は強気に出てもいいだろうと暴言を吐いて回るのと同じ思考回路で。
でもそれは単に今まで訴えられてなかっただけで、いつ訴えられてもおかしくなかったこと、要するに「ハラスメント」だったんじゃねーのかと。
インターネットを通じて気軽にレビューが出来るようになった直後、気に食わないものをコテンパンに叩くのを当たり前だと人類が考えた時代があった。
それが一段落したあとに今度はそうやって自分の趣味嗜好で人様の作ったものをボロカスに言う事の是非が問われるようになった。
トドのつまり、どっちも流行りに乗っかって手当たり次第に言葉の暴力を合法的に振り回したかった人達による叩いていい認定ブームだった気はしないでもないのだが。
そして今、「クズに対してクズというのは正当なレビュー」という人類が長年守ってきた文化に対して「ハラスメント」という概念からの疑問符が投げかけられている。
ツイッターにおける誹謗中傷に対して弁護士が出てくることも増えた。
この時代の価値観で振り返ってみると、クソゲーだから何を言ってもいいし晒し上げにしてお祭り化してもいいという考えはかなりアウトに思える。
上辺で「愛がなければ出来ない」というくだらん言い訳をした所で、それは学校のイジメにおける「弄りを通してクラスに馴染んで欲しかった」と同じようなもんじゃないのかと。
もしもあと5年も続けていれば、いよいよどこかの会社がブチ切れて殴り込んできたんじゃないだろうか?
2000年頃のインターネットの価値観、世間一般の価値観においてはまだそういった行為は単なるお遊びで済んでいた。
でも今の時代の価値観で見るとそれはかなり危険な行為になっている。
昭和の時代は他人をぶん殴るというのは割りと一般的なことで、ちょっとした口論から派生して手が出るのはそんなに珍しいことではなかった。
それは「殴る」という行為が持つ意味、重さが今とは違ったからだ。
今の時代において「殴る」というのは最終手段としての面が強い。
論理を飛び越えて物理的に相手の言動を排除しようと試みることは、社会における通常の枠組みの外に位置しているのだ。
たとえばこれが原始時代であれば、暴力によって気に食わないものを排除するのは一般的だった。
気に食わないものを排除してから死人に口がないのを良いことに好き放題に自分に都合がいい理論を暴力を振るったあとに語るのは通常の営みであった。
それは実際に「決闘」というシステムとして社会に組み込まれていた。
だがいつしか決闘は禁止され、現代においても決闘を挑んだ時点で6か月以上2年以下の懲役が課せられるように法律で決まっている。
暴力を通して自分の意見を通すことは、原始社会においては許されていたが、現代社会においては禁じ手なのだ。
同じように現代においては「相手に罵声を浴びせる」ということにより相手を心理的に追い詰めることも禁止されつつある。
現代社会において人類は論理的に振る舞うことを目指している部分が強く、都合の悪い他者を社会から葬り去ろうにもそこには論理的な手段が求められる。
たとえばそれは権力構造であったり金銭の流れであったり法律であったりだ。
そういったものを通すことなく「相手に精神的な負荷をかける」ことによって自分の都合を通すことは、現代的でないものとして次々に禁止されてきている。
気に食わない商品に対してマイナスイメージを広めることで市場から追放することは、果たして論理的に正当な手段を用いているのだろうか?
「クソゲーを掴まされた時に辛辣なレビューを通して次に購入しようとした人に警鐘を鳴らすのはセーフなのか」を命題とする。
この場合、「一個人のレビューの範疇に収まるか」によってその是非決定されると私は考えている。
④脅迫を伴わない
それぞれの反例をあげてみる
①’販売店舗にて「クソゲー!絶対買ってはいけません!」と言うテロップを勝手に貼る
②’複数のアカウントを作成してレビューサイトに何度も批判を書き込む
③’製作者の人格や経歴についての批判をゲームのレビューに持ち込む
⑤’「本当にクソゲーですよね。皆さんの意見を集めて投書したいと思います」
こういったことをね、本当にやっていた人がいたんですよね……インターネットの歴史の中では……マジで……
このレベルのことをしていないなら、今の価値観でも大丈夫だと思う。
反例として挙げたのは明確にアウトな行為だと思うが、そこより下のラインでどこからアウトになっているのかがよく見えない。
「このクソゲー酷すぎwww」と書き込んだ時点でそこには「皆も一緒に叩こうぜ!」という意思はあるんじゃないだろうか?
だったらそれはレビューサイトにてあらゆる批判をすること自体がある意味で扇動の意思があることになってしまう。
まあ実際にそれは事実で、あと50年もしたらレビューなんてものが完全に禁止されるのかも知れないわけだが。
でもそれは会社によっても、製作者によっても、その時の空気によっても、そして刻一刻と変わっていってるわけで。
そこが見えないんだよな。
怖いね。
公式発表がないままストライクゾーンが変わっていくようなもんだよ。
アプデ告知のないオンラインゲームみたいなもんだ。
おい運営どうなってんだよ。
皆さんどう思います?
簡単な、切り貼り、BGMナレーション追加、テロップ挿入をWindows10付属のフォトでやっていて
テロップの挿入位置が自由にできないのでなんか他にない?と問い合わせ。
有料でもいいらしいが、あまり知見が無い。AviUtilとかで止まっている。Premierは恐れ多い。触れる身分にない。
自分ならDavinciを使ってなんとかできそうなんだが、UIがばかちょんじゃなさそうに見える。どうなんだろう。
MS純正というか買収してきたClipChampを見つけたので試すが、重すぎる。CPUが起動しただけで100%になった。
5分程度のHD動画を編集してみようと試すが、読み込みの時点で固まる。Davinciならすぐ編集できるのだが。
私の薄給なりに背伸びをして御堂筋にあるレストランにいったんですよ。
相手からしたら一人2万円くらいなので高すぎずかといって安く見られてるわけでもないライン。
承太郎さん、これが俺の精一杯です…。
途中までいい感じだったと思うんだけどここでパパ活おじさんが登場。
これだけだったら父娘かなって思えたけど、食事中にプレゼントを渡して
女側がその場でプレゼントあけやがるのよ。
おかげで目の前の女性がもう完全に
脳内で「隣のパパ活おじさんに負けた男」ってテロップが浮かぶくらい見事に持っていかれたよ。
結局次回のデートはなし。
わいの精一杯の出費は無意味に終わった。
ゆるせねえええええええパパ活おじさん死すべし!
https://anond.hatelabo.jp/20230508113727
お前、お前! 人の心とかないんか!
おい竹山!お前の何が間違ってるか教えてやる!
公共の電波使って民に何が正しいか教えてんのに民に「間違ってる」と言われて謝るな。「こういう理由で正しいので、謝らないです」と説明しろ。
手間省いて謝ってお辞儀の価値を下げてる。ネットが世論形成してんのに負けるな。メディアの公正さで殴れ。
2. 横を素通りする。予想を裏切って面白い。
笑いの源のひとつに「意外性」がある。どっちか一方のネタを擦ってたら「意外性」は薄れるだろ。
TVが笑いに多様性を持たせなかったのが悪い。身内をバナナ滑り派だけで固めたのも悪い。
前章にある通り、ワイドショー観るような層にもシュールな笑いを教えるべきだった。一時の視聴率低下を我慢して。
配信者には両パターン揃ってるんだよ。リモコンにチャンネルボタンが12個しかないTVと違って、ネットには競争があるから。
動物によってはストレスによって体調崩すぞ。だから施設側は反発してんだよ。そこまでして取る笑いか?
「落ちる落ちる…セーフ」でいいじゃん。実害ない池で落ちりゃいいじゃん。
ペンギンより笑いが重要なら蹴り殺せよ。春日が急にペンギン蹴ったら面白いだろ。なんだ池に落ちるって。おもんな。
取材対象にネゴれよ。仕事の基本だろ。落ちちゃまずいよねってなったらバナナ横素通りに切り替えろよ。
バラエティ番組でめちゃくちゃやってるのと同じチャンネルで真面目なニュースやっててもいまいち真剣に聴けないんだよね。
線引きしよう。バラエティ番組ではめちゃくちゃなフィクションやって謝らない。ニュースならクソくだらないユーモアを廃して徹底的に公平さや道義的価値を追求する。
アホみたいに盛ってるテロップ・ワイプ全部捨てて「真面目」とか「フィクション」とか表示してくれ。
昼のワイドショーでペンギン蹴り殺して夜の報道で悲しいペンギンの死を報じる
か、
上に「バラエティ番組」ってテロップ出してバナナの横を素通りする
か、だよ。
コンプラに触れなきゃ商売できないって反社じゃねーか。今どきヤクザでも腫れ物には触らずに仕事するぞ。
バナナ素通り派を雇え
「こんな表記をするなんて逆に炎上を狙っているのでは?」という意見を見かけたが、それだけはないと思う。
自分は小学生の頃からからボカロが好きで、今はボカロ曲を投稿している知名度ゼロのP。本職はテレビ業界の下っ端である。題名の件について「せめて黒うさPか初音ミク表記だったら許せた」という気持ちは、めちゃくちゃわかる。でも一旦落ち着いてほしい。
最初に一番言いたいことを書くと、自分が憂いているのは、「ボカロ曲は表記がめんどくさくてオタクが煩くてすぐ炎上するからテレビで使わないほうがいい」という風潮が生まれることである。
これより下は「オタクが面倒くさいんじゃなくてテレビが表記を怠っているんだろ、いいかげんにしろ」と思っている方にわかってもらいたくて書いた文章なので、暇だったら読んで
番組で流れていたのはAdoさん歌唱のカバーで、「Adoのカバーした千本桜にのせて演奏しているよ!という意図だと思う」ということを元ツイの方がツリーで言っている。自分も同意見である。
「せめて原曲歌唱は初音ミクであることを書いてほしいが?」という気持ちは、わかる(小学生の頃の自分も同じこと言うと思う)。でも業界に入った今、テロップでは最低限の情報しか出したくないという制作側の気持ちもわかる。
「VOCALOIDへのリスペクトがないのでは?」と思う人もいるかもしれない。しかし、テレビ番組がWhiteberryの夏祭りを流すときにJITTERIN'JINNのカバーであるという注釈を出すか考えてみてほしい。例えが下手くそかもしれないけど、番組としてはその画面に最低限の情報以外を増やすことは避けたいのだ。
その気持ちも、わかる。しかしテレビというのは沢山の大人の事情が積み重なってできている。出演者さんが使いたい音源を指定したのかもしれないし、原曲は権利関係で使えなかったのかもかもしれない。もしかしたら誰が歌っている千本桜でも良くて、偶然これになったのかもしれない。どういった事情で原曲を使わなかったのかは憶測で語ることしかできない。でも、「機械音苦手な人もいるし…」とか「Adoさんのほうが有名だから…」とか思った人は、偏屈に捉えなくて大丈夫やで 制作の人たぶんそこまで考えてないよ
自分が小学生の頃よりもVOCALOIDや初音ミクは随分有名になった。自分は毎日聴いているし、今はボカコレに出す曲の進捗がヤバいのにこんな駄文を書いてる場合か?ということで頭がいっぱいだ。でも忘れてはいけないのは、初音ミクを見たことも聞いたこともない人や、なんとなく絵は見たことがあるけどどういうものかは知らない、もしくはアニメだと思っている、という人が沢山(もしかしたら初音ミクを正しく知っている人よりもずっと多く)いることだ。
この件に怒っている人がVOCALOID文化を愛していることはわかる(乗っかって燃やしたいだけの人やバズりたいだけの人も混じっているかもしれないが)。
テレビでボカロ曲が流れるというのは、今までボカロを知らなかった人に「この曲いいかもしれない、孫に知ってるか聞いてみよう」とか「こういうのがあるのか、調べてみよう」というきっかけを与えてくれるかもしれない、大きなチャンスなのだ。平日昼間の番組なら尚更だ。自分はこんなことでその機会が奪われては勿体ないと思い、これを書いた。まとまりのない文章だが、伝わってほしい層に少しでも届けば幸いである。
正直、最初にこの件を目にしたとき、ボカロ好きの自分は「えぇ…間違ってはないけど寂しいものがあるな…」と思ったし、社畜の自分は「大人の事情があるってちょっと想像すりゃわかるのに燃えるの!?幼稚かよ…」と思った。ボカロPの自分は「ちゃんと許可とって著作権料払ってるならそれでいいんじゃない?」と思う。おわり。
Youtubeやニコニコでゆっくり動画やVoiceRoidを観ているんだけど、こいつらって9割9分で話している内容そのものを字幕にしているんだよね
逆に人間が直に喋っているものはところどころで強調したい部分にだけテロップを入れるけど、独り言みたいなものに入れてることは滅多にない
理由は多分YMM4とかだと字幕と音声が同時に作られるからなんだろうけど、逆にその仕様を取り入れなければ画面全体に余裕ができるからいいんじゃないかと思う
あとは製作者の怠慢で、意図した話し方にならなかったときの保険だったりするんだろう
ゆっくりは読み間違いをよくするし、発音での表現が難しいから文字を見せたほうがわかりやすいってことかもしれない
でも何でもかんでもテロップを入れることが良いとは限らないし、わざわざ入れる必要がなくともテロップありきの動画にしちゃうってのは勿体ないな