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はてなキーワード: ゼミとは

2023-10-22

anond:20231022175749

大学就職課にも相談してないの?

てか、まともな大学から卒論ゼミとか研究室教授陣に進路の心配されないの?無内定で院進とか勧められたりもしてないの?

大手書類で落とされてるくらいだから多分そんなに良いランク大学では無いんだろうけど、そういう大学こそ就職率気にするから学務とかから進路相談のお知らせとかあるはずでは?

大学3年生にもなってんだから卒業後の進路なんか自分で決めれば良いんだろうけど、卒業後に無職で金の無心されたり、最悪引きニートにでもなられたら困るしな〜

2023-10-20

anond:20231019180538

学部でも研究室配属されるもんな。4年生でだっけ? 

でも、「学部の4年で研究室配属」という言い方自体工学部あたりっぽい? 文系(法経)だとゼミって言うんだろ? 文学部だとそれすら無いとか。そいじゃ理系なのかな、この人。

2023-10-11

とにかく大学が怖かったコミュ障の話

大学が怖かった。

今思えば、最初入学式あたりからもう駄目だった。

小学校からエスカレーター式の私立出身。これまでずっと、仲のいい少人数イツメンの閉じたコミュニティーにいたため、大人数にとにかく圧倒された。

大人数でワイワイやるということに慣れていなかったし、本当に苦手だった。

一応クラスはあり、ゼミにも所属していたので飲み会の誘い等も無くはなかったが、すべて断るくらいもはや飲み会恐怖症だった。

大学は実はぼっちに優しいんじゃないかと思う。友達を作ろうとしなくてもクラス単位で行動することがほぼないため、

ハブられているという目で見られることがない。

授業も一人で受けようと思えば全然受けられるし、お昼を一人で食べていても一人席を使えば色眼鏡で見られることがない。

その環境に甘え、私は大学で一人も友達を作らず卒業した。

転機が起こったのは卒業後だった。私は営業に配属になった。

強制的毎日不特定多数人間営業をかけ、足を運び、社内の飲み会にも参加せざるを得なくなった。

4年間ほぼ誰ともかかわらず過ごしていたので、私のコミュ力は地に落ちており、毎日それはもういろんな人から怒られまくった。

3年ほど罵倒されまくって今があり、最近転職活動をしていたのだが、

あれほど苦手で緊張しまくって変なことを口走っていた面接が、得意とはいかないまでも人並みに話せるようになっていた。

そして、あれほど苦手だった飲み会普通にふるまえるようになっていた。

振り返ってみて思うのだが、やはりこういった気質を直すのは暴露療法的な方法しかないのではないかということだ。

コミュ力コンプレックスがある人はいっそのこと営業になってみるってのもありかもしれないぞ。

まあでもクッソつらかったか事務転職するんだけどな。

2023-10-09

anond:20231009064153

増田教授ゼミをサボって自宅ラボに引き籠るのやめてくださーい

2023-10-04

追記しました】自己満旅行なら計画するな

ちょっと怒ります

昨日、家族旅行に行ったのですが最悪でした。この気持ちを皆さんに味わってほしくないので書き留めておきます

家族旅行の行き先は勝手に決めるな

 家族旅行の行き先は父親勝手に決めます父親趣味しか反映されず、家族意見は通りません。ちなみにほぼ毎年関東以北です。

いつでも行けるところに旅行で連れて行くな

 今回の旅行では、行き先が在住地の近郊で、特急で一本のところでした。そんな場所正直いつでも行けるし家族みんなで行くようなところでもありません。 

都合を無理やり合わせて行くな

 私と姉は大学の授業期間中で到底旅行に行けるような状況ではありませんでした。しか父親意向で、私は授業終わりに特急に乗って現地集合、姉は就職相談の予約を取り消して旅行に行きました。

 本来旅行家族全員の予定に余裕があるときに行くべきであって、無理に予定を開けて行くようなものではありません。

安宿を使うな

 今回泊まらせられたのは、俗に言う”安宿”でした。小学生林間学校で泊まるようなところです。オフシーズンで1泊9,000円という価格です。そんな安宿ではホスピタリティ概念がなく、いい体験はできません。

バイキングはいいように見えて実は人件費削減と大量生産煮こごり

 今回の安宿の食事は、夜と朝はバイキングでした。バイキングは幼い子供には好評だと思いますが(偏食でも許されるため)、食事クオリティをある程度理解した高校生以上の人にはウケが悪いです。そもそも多くの人が触ったトングとかを触りたくないし、人が集まるところに行きたくないです。バイキングは衛生的にも良いとは言えないので旅行計画に組まないほうがいいです。

家族要望第一優先にしろ

 今回の旅行で、母親が、「旅行先の地元スーパーに寄りたい」と言っていました。しか父親はこれを、「旅行計画にないから」と一蹴。結局寄れませんでした。地元スーパーでは地産地消野菜特産品が安く買えることがありますが、このメリットをわかって欲しいです。

帰り道では現実に戻すな

 旅行の帰り道に、父親単身赴任先をわざと通るようにルート設定されることがあります父親勝手仕事場を見られて嬉しいのでしょうが、私達には無関係です。早く帰らせてほしいです。

 この話はあまり属人的ですが、帰りの夕飯に吉野家とか大衆食堂に寄るやつ、絶対やめてください。思い出が最悪です。

追記

旅行を断れない理由を知りたい」という意見散見されたので書いていきます

①両親に学費を払ってもらってる

 これが一番大きいと思います父親反抗的な態度を取ると、「誰が学費払ってると思ってるんだ!」と言われて何も言い返せなくなります。前にTwitter(現X)で、「『学費払ってるのはありがたいけど、それを使って子どもを黙らせるのは楽しいか』と言い返す」とか言うつぶやきを見つけましたが言い返すと癇癪をおこすので無理です。

 旅行父親が良かれと思ってやってると思うので、旅行に反対すれば最悪学費貰えず退学なんてこともあり得ると思います

旅行に行くのは父親過去のせいかもしれない

 父親は、子どもとき家族旅行というもの経験したことがないようです(本人談)。このような思いを子どもにはさせたくないとの考えで毎年旅行に行くのだと思います。もし旅行行きたくないといえば、父親の根幹にある昔の寂しさを思い起こさせてしまうと思って家族は皆、旅行行きたくないと言えないのだと思います

父親は割と過保護

 父親客観的に見て過保護な部類に入ると思いますちょっと父親過保護エピを書いていきます

 ・成人済みの子どもに門限を科す(23前後)。

 ・外泊は禁止大学ゼミ合宿等でも機嫌によっては無理)。

 ・就職しても一人暮らしはさせないつもり(姉がもうすぐ就職ですが、一人暮らし許可されるか全く読めません。)。

 ・学校行事には必ず参加

 2分ぐらい考えただけでこれぐらい出てきました。外泊については、姉が昔、父親には言わず大阪に泊まったときに、わざわざ深夜1時に迎えに行ったことがあります

父親癇癪持ち

 父親はキレると手を付けられなくなります

 先程触れた外泊についてですが、父親深夜バスで迎えに行って翌朝始発の新幹線で帰ってきたのですが、帰ってきてすぐに説教時間が始まりました。午前10時頃帰ってきたのですが、午後2時頃まで説教が続きました。この間も、「姉は将来風俗嬢になる」だの、「親の苦労を全くわかっていない」だの、罵詈雑言飛ばしていました。私や当時7歳の妹を含め、父親以外の家族全員は正座させられて聞かされました。

旅行費は両親持ち

 旅費は父親母親が持ってくれています子ども自分お土産代を出すぐらいなので、子どもは何も言い出せないというのが現状です。

母親普通にいい人です。

 断れない理由はこんな感じです。まともに推敲してないので、読みにくかったら申し訳ないです。

2023-10-03

anond:20231001231257

ワイも30代の男性なんだが、学生ときでもふらふら見に行くというのはあった

上京マインドなのかもしれない

二階建てのレンガ造りのレストランゼミ教授に連れて行ってもらったことはあった

名前は忘れたが、おしゃれだった

2023-10-01

中学大学時代自分を写した写真ガチで一枚もない

今27の女なんだが、本当に無い。

言っておくがいじめられていたとか帰宅部だったとかではない。でも本当にないのだ。

家の方針で、高校卒業まではガラケーしか持っておらず

中高は学校携帯を持っていくことを本当にかなり厳しく禁止されていたので学校での写真は無い。

プリクラは何度か撮ったことがあるのだが、プリ帳なるもの引っ越しの際に紛失し、ごっそり無くなった。(これに関してはちょっとだけやってしまった感はあった)

卒アルくらいはあるのでは?と思われそうなのだが、学校が嫌いだったので(親の方針で入れられたクソみたいなお嬢様系の中高一貫難関校)届いた瞬間捨てた為それも無い。

卒業式や修学旅行などの行事デジカメを持って行くことが許されていたのだが、めんどくさがって持っていかなかったので行事写真も手元には無い。(友人が私を写してる可能性はある)

ここまで写真がない人ってあんまりいないかもしれない。どうだろ。

あ、大学時代写真が何でないかって?普通に生活してたら自分写真撮る機会ってなくない?

サークル入ってなかったからかもしれんけど。

ゼミは入ってたけど、合宿とか食事会とかの集まり全部ボイコットしてたから(バイトとかしてたので優先度低かった)撮る機会、無かった。

2023-09-28

回答を決めかねている

友人A。前期で単位を3つ以上落とした。代返遅刻当たり前。大体睡眠学習

生活リズムが狂ってて深夜にメッセージ。寝てないとキレ散らかして「死ねよ」などの暴言を吐く。金が無いとたかる。基本的にこっちの話を聞かない、覚えない。ゼミが何か理解してない。気分屋。

そいつと一緒の授業が数科目。勿論、ずらすことも可能。で、こっちの履修科目を尋ねてくる。

少なからず一科目は仕方無いとして、この堕落人間を友人と認めるべきか。

そいつ曰く「ここは偏差値低い大学」「他の奴らは自分を良いように使おうとする」

選択肢が浮かんでいるがこいつのルートを選んでもロクな事は無さそうだ。(実際、たかられてるし。)破天荒人生にしたいなら良いけどこういう時何て回答すべきか、迷う。

優しさなんて切り捨てられたら良いのにねー。

2023-09-27

発達障害」は思ったことをそのまま言っちゃうってやつ

発達障害」は思ったことをそのまま言っちゃうってやつ、世間では何故か当たり前のように言われていて

https://anond.hatelabo.jp/20230927002433

この増田漏れくそ偏見に基づいて書かれている訳だけど。

私は寧ろその逆で、発達障害者の方が他人に気を遣って思っていても言わないようにしている場面は沢山あると思うんだよね。

特に他人容姿恋愛結婚など、私は触れるべきでないと思っているから基本言わないのに、定型発達の人達は常に軽く口にする。

定型発達者と発達障害者の違いって、思った事をそのまま言うかどうかではなくあくまで上手くルールに従えるかどうかの問題だと思う。

この増田に特徴的なのは定型発達者の側のそういう無神経で軽率言動があまりにも出てこないこと。

例えば現実だったら

「9歳のとき、一部のクラスメイト外国籍の子からかっていた。そういうのはやめようよと言ったら、私もからかわれるようになった。」

「16歳のとき女子の間で他の子の目が一重か二重かが話題になった。他人容姿に触れるのはよくないよと言ったら、次の日から無視されるようになった。」

「19歳のとき教授ゼミ女子学生に試験問題の完全解を教えていた。それはよくないですと言ったら、私の成績評価はDになった。」

23歳のとき、定時になったらタイムカードに記帳してから残業するように言われた。残業時間を記録しないんですかと言ったら、みんなの前で怒鳴られた。」

「25歳のとき、お年寄りが道で倒れていたので救急車を呼んだ。道には人通りが多かったけれど、お年寄りに声を掛けたのは私だけだった。」

「30歳のとき飲み会独身の先輩の恋愛事情話題になった。勝手プライベートを詮索するのは良くないですと言ったら、次から飲み会に呼んでもらえなくなった。」

みたいな事実もあると思うし、この理不尽な世の中ではそういう事例の方が多い筈なんだよ

なのにこの増田みたいに偏見の強い定型発達者は、空気を読めずに他人を傷つける役目を常に発達障害者に負わせている。

まさに偏見の強化。

anond:20230927001611

はい潮見民法プラクティスコンメンタールを読み、ゼミ資料を読み、実務本を何冊か読み、いくつかのサブスクを購読していますが、まだまだだと考えております

2023-09-24

anond:20230924003342

実は障害教育に関するゼミだったので、学生時代から障害児と関わるボランティアを長年のライフワークにしていて、知見はあると思ってる。ハイスペ種が欲しいのは、種を選べるなら父親がいない分少しでもいい種を選んであげたいなという思いから。絶対ハイスペ子が生まれるわけではないことは承知してる。確率を上げたいだけだよ。

2023-09-22

anond:20230922143906

いや全然覚えてない

高校以前の先生名前一人も覚えていないし

印象に残った話とか一つも無い

大学ゼミ先生は覚えてるけど

親に高い学費出してもらって、結構真面目に出席してたのに

ゼミ先生以外の先生の顔も名前も授業の内容も何一つ覚えていない

今、大学2年や3年の時の期末テストやったら全教科0点だと思う

それでもこうやって一応日本語文章作って、四則演算が出来て

3年に1回くらいしか帰らなくなった実家に道に迷わず帰る事が出来て

そもそも大学受験に合格して卒業してるんだから

本当に全てを忘れてるわけじゃないんだろうけど

それでも他の人に比べたら病気くらい物覚えが悪くて

色々体験しても全部忘れてるんだからマジで薄い人生だなーって感じ

anond:20230918163055

大学ゼミにも1人居たけど、本当にブスな女ってもっと最初から諦めててそのメイクケアすら努力しようとしてないんよな。

そのゼミにいた奴なんて100kg超えてそうなデブ顔面安田大サーカスクロちゃんじゃない方坊主に似てて、ニキビ大量にできてても頑なにすっぴんで、ヨレヨレの服とバサバサの髪を縛っただけの格好に何かのキャラグッズを付けた汚いトートバッグと汚いスニーカーで登校してたしおまけに毎朝歯カス付いてるし臭くて嫌われてたかそもそもしかける奴なんて居なかったぞ。

そういうガチ底辺クラス容姿の女に比べたら、そうやって皆で盛んに情報共有して努力し合えるって事は改善する値打ちがあるって思える顔だからだろうし、少なくとも外の人間が話しかける事ができている時点で増田含めその集まりって当人たちが認識してるよりブスじゃないと思うんだが。

2023-09-18

辞めたゼミ教授10年経っても執着してる異常者

anond:20230918075710

「生徒に手を出すのは一回だけならいいんですよ、そのコと結婚したらいいんですから」と大学ゼミ担当教授がいってたから、てっきりその手を出された生徒が増田かとおもったら!!!

…アンタもうやめときな、慰謝料ふんだくってソイツと別れなよ、とっくにそのダンナ夫婦としても壊れてるよ

それから勝手プライバシーを覗いた罪と浮気は別問題で、それぞれ個別に裁かれる犯罪行為だよ

慰謝料もらうんなら、弁護士と一緒にその辺の時系列を整理して、なるべくアンタに有利なようにしておくんだよ

2023-09-15

anond:20230915174708

まえドトールスピーカーリモートゼミに出てる大学生いたよ

6.7人の声が大音量で響き続けてうるさかったな

2023-09-10

クルドゴキブリのオスと肩を組んでキャンパス内で難民擁護活動を行う女子大生。本人は善行のつもりであるが、横にいるクルドゴキブリオスからすれば所詮手軽に手に入る肉欲の対象である

クルドゴキブリオスの男性器を受け入れながら、共に講義を受ける日本人男性のことを平気で蔑ろにするのである

大学当局はこのような不届きな活動をする女子大生調査し全員除籍にすべき。

クルドゴキブリ共は全員トルコ当局に引き渡し、存在のもの人道に対する罪であることの裁きを受けさせるべき。

クルドゴキブリ男性器を受け入れたと思われる同じゼミのメスが俺と同じ学位を持ちのうのうとこの社会で生きていることなど到底許されない。

2023-09-09

学生時代ゼミ教授師匠の所に手伝いに行くのがそのゼミの習わしだったんだが、お師さんを囲んで門下生が話をしていた時に、向こう側の扉の影からゼミ教授(50代ほど、男)が身体を半分隠してニコニコしてこちらを見ながら隠れんぼのような事をしていたのを見た時、心底ゾッとした。普段どんなにヒステリックに偉そうな事を喚き散らそうが、結局親も大学教授ボンボンとして生きてきて幼児性が抜け切っていない、親の七光りで甘い汁を吸ってのうのうと生きていただけの底の浅い人間ではないかと幻滅して自分卒業後その界隈から立ち去った。(途中幻滅のあまりに退学まで考えたが伝えた所親族が悲しんだので我慢して4年で卒業はした)大学教授人間性なんか求めてはいかんのかもしれんし、自分が潔癖過ぎる、我慢弱いだけなのかもしれないが。「カワイイwww」とか蔑みか哀れみを感じられれば良かったんだが。そいつ教授じゃ無ければ今も自分はそのままの方向で地元で生きてたのかもなーと思うと勿体無い気はする。

2023-09-05

クラス制度友達

 現代学校教育では、クラス制度が設けられている。小学校から高校(大学も一部の講義ではクラス制度存在する)まではクラス制度が当然のように存在するので、毎日固定されたメンバーと共に集団生活を送らねばならない。

 こうしたクラス制度存在がなければ、友達を作ることが難しい人は一定存在するのではないかというのが今回の記事テーマである

 どうしてこのような考えを持っているのかというと、高校までは受動的な姿勢のままでいても友達を作ることは容易にできるからだ。高校までは周りに人がいるという環境が既に与えられている。その環境は何かといえば、クラス制度である。これは本人の意思によらず、自分がどこか一つの共同体に属することが強制的義務付けられるので、周囲の人間関係を構築しやすいところが多分にある。その理由としては、主に三つの要因があるのではないかと考えている。

 一つは、クラス構成された共同体の一つであることにある。クラスには名簿なるものや連絡簿、名札などが存在するので、自分の顔と名前がほかのクラスメイトに知れ渡っている状況が簡単に作り出されている。そのため、少し交流しただけで、交友関係が容易に発展しやすいという特徴がある。特に何をせずとも自分個人的情報が、いくらクラスメンバーに知れ渡っているという状況は、交友関係のとっかかりを作りやすい。

 二つは、周りに人がいるのが当たり前の環境下で生活することを強いられる点にある。自分の周りには当たり前のように人がいるので、自然に声を掛けられてそのまま流れで友達になったというケースはよくあることだ。実際にそうした経験を持つ人はとても多いのではないだろうか。クラス存在しないとなれば、自分から進んで声を掛けないと簡単友達を作ることはできないが、クラス存在するのであれば、自然コミュニケーションが発生し、気付いたら友達になっていたという状況になっていることはままある。

 三つは、本人の意思によらず問答無用クラスメイトと一緒にいる時間がとても長いことにある。高校の授業は1限から6限、あるいは1限から7限まで授業があることがほとんどである。そうすると、一日の大半をクラスメートと共に過ごすことになる。高校まではクラスメートと共に同じ机を並べて授業を受けることを強要されるので、同じ体験を共有することができる。この同じ体験を共有しているという状況が関係性の発展に貢献しているところが結構ある。何せよクラスメンバー全員が、同じ体験を積んでいるので、授業でわからなかったところなどをクラスメイトに相談して問題解決することもできる。これは会話をするきっかけとしては十分なものである。 こうしたように高校までの環境特に自分から行動を起こさなくても、自然友達ができやすい傾向にある。

 

 一方、大学以降の友達作りは、交友関係形成しにくい面があるように思う。それは大学にはクラスがないことがほとんどなので、自分から積極的に声でもかけない限り、他人と会話をするきっかけそのものがない。きっかけがないと、自分の顔と名前を知ってもらって、関係を構築するという次のステップに達することはできない。また、 同じ学部メンバー全員が、一様に同じ講義を受講するわけではない。大学では、それぞれ自分の興味関心のある分野を自主的選択して講義を受ける。つまり、人によって受ける科目にばらつきがあるのだ。そのため、いつも周りの人間と同じ講義の科目を受けることになるわけではない。被っている科目が少なければ、それだけ同じ学部人間接触する機会も減る。会う機会が少ないと、会話を重ねて人間関係形成していくというのは難しいところがある。つまり高校までと比べて共同体に属しているという感覚希薄であるように思われる。高校までと違ってクラスもないし、名簿も名札もない。だから自分存在を知ってもらうことが高校と比べて難しい。もちろんゼミ語学講義などのように同じメンバーで定期的に講義を受ける科目も存在するには存在するのだが、その頻度は週に1、2回とさほど多くはない。なので高校までの授業と比べて。同じクラスメンバーと共に何かをするという経験を積むことが難しい。そうした環境人間関係形成しにくくさせる要因の一つになっている面もある。

 高校までは周りの人間が声を掛けてくれることで何とか友達(友達らしき存在)を作ることができたが、それがなければ、その間ずっと友達を作れずに学校卒業したケースも多かったのではないかと思われる。そうした人たちは一定数いるのではないか。むしろそうした人たちの存在の方が多いのではないかというような気さえする。クラス制度存在友達作りに貢献しているところを踏まえると、クラス制度存在に救われている人も結構いるのでは。クラス制度って案外必要制度なのではないかと思ったりもする。

2023-08-21

学生時代言葉をうまく話せなくなった

俺は一人で家にいるのが大好きで、何か月も誰とも会話しなくてもまったく平気なタイプである

もう20年前のことだが、大学に入り、一人暮らしを始め、大学大学院の6年に渡って人とほとんど会話をしない生活を続け、

気が付けば言葉をうまく話せなくなっていた。


とはいえ完全な引きこもりだったわけではなく、大学講義ゼミには普通に行っていたし、ゼミで発表なんかもしていた。

またコンビニスーパー店員とも会話をしていたので、致命的なほどではなかったようだ。

しかしそれ以外では、サークルにも入らずバイトもやらず、恋人どころか友達も作らず、

夏休みに至ってはコンビニスーパー店員以外とは誰とも会わない生活をしていた。

人と話すのが嫌すぎて携帯は持ってもいなかった。(一応、固定電話はあった)

俺は別に対人恐怖症とかではなく、自ら望んでそういう生活をしていたのである

しかしその生活は、俺の脳の言語野を確実に縮小させていた。


まず、言葉を発するのに喉や舌をどう動かせばいいのかが分からなくなった。

特に最初の一音目が出ない。

一旦話し出すとある程度なめらかに話せるが、最初の一音目がとにかく突っかかって出ないのだ。

それでよく、「あ、あ、あの、」みたいな言い方をすることになる。

これって吃音のものじゃん!


それから言葉に続く次の言葉連想するのが難しくなった。

大学以前はそんなことはなかったのだが、

会話の中で瞬発的に次の話題を出すことができなくなったのである

また語彙も少なくなり、特定パターン言葉ばかりを繰り返すようになった。

会話ではなくこうして文字に書くのは得意で、キーボードを前にすれば次に書く言葉がどんどん浮かんでくるのだが、

会話でだけ、それができなくなったのだ。


まるで、運動をしないと筋肉が衰えるように、

使われない脳の機能がどんどん縮小していく感じだった。


そんな生活を終えて社会人になって20年になるが、

その頃の後遺症は今でも残っていて、俺を苦しめている。

当時よりマシにはなったものの、いまでも最初の一音目は出ないことがあるし、

会話の中での言葉連想は苦手だ。

いつか定年退職をしたら死ぬまで家に一人でいたいと思うが、先はまだまだ長い。

言葉をうまく話せないというのは、ほとんどの仕事において大きなハンデとなる。

いくら一人が好きといっても、そんな生活ばかりしていたら取り返しのつかないことになると思ったのである

仕事目標を失った。

今年の4月

念願叶って非正規から正規職に転職した某私立院卒の26歳、社会人3年目。

だが、転職して4ヶ月が経った今、仕事を通して生きる目標を見失った。ここ数日、平日の朝を迎える度に「自分はなぜ、この仕事に就いたんだろう」と自問自答を繰り返し、「仕事行きたくない」という思いばかりが頭に浮かぶ

別に仕事が激務な訳ではない。残業なんて今のところ忙しかった時期でも月20時間程度、現在はほぼノー残業で、定時上りもザラな職場だ。

では、人間関係パワハラ上司に嫌気がさしたのか?というと、そういう訳でもない。確かに直上の上司は少し厳しいところはあるものの、決してパワハラをするようなタチの人間ではない。むしろ僕の目線では、それなりに自分の事を思って仕事指導してくれる良い上司だと思っている。職場人間関係も若返りを図っているためか、自分を含め20代の若い人が多いので、比較的良好だと感じる。

から見る分には「なんてホワイト職場なんだ!」と思うだろう。実際、僕も今の職場ホワイトだと思っている。

だが、それでも生きる目標を失うに足るほどの辛いことがある。それは、「仕事に対する重責に自分自身が耐えられない」ということだ。

まり具体的には書けないが、現在、僕がいる部署は(その手の業界では)日本でもそこそこの知名度を誇る。

業界人に「今、◯◯◯で働いています」と言うと、「えー!◯◯◯で働いているんですか!?凄いですね!」とそれなりのレスポンスが返ってくるレベル部署だ。

からこそ、特に幹部クラスの上の世代には「ここで働いている自覚プライドを持ちなさい」という意識が強い。

それがハッキリした形で僕に返ってきたのは、転職して2ヶ月後の忙しくなりつつあった頃。

その時、僕ともう一人の若手(1年上の先輩だが、年は僕より下)が仕事を進める上で失敗し、そのザマを見ていたトップが、

「あの子たち、仕事が出来ないね」と、こぼしたのを直上の上司が聞いたらしく、鬼の形相で事務所に飛んできて、二人共々こっ酷く怒鳴られた。その後、さらに上の上司から「アンタらは◯◯◯の担当なんだから、その事にもっと自覚責任を持って仕事に取り組んでください(要約)」というお気持ちメールが届いた。

この時は、自分の不甲斐なさに反省しつつ、「もっと頑張らないとな…」と思った。

だが、徐々に仕事に慣れつつある中で、仕事でのミスは一向減る気配は無かった。先輩からまれていた仕事は忘れる始末で、これを書いている今日とかも、上司から仕事段取りもっとちゃんとしなさい」と怒られた。僕自身、注意される度に「次は気を付けよう」、「忘れないようにしよう」と思うのだが、どこから気持ちが抜けるのか、中々思うようにいかず、その度にいくら気を付けても改善できない自分が嫌になり、自己嫌悪に陥る。

「オイオイ、まだ入りたてなんだから、そのくらいのミスは誰でもあるさ」、「若いうちはミスして当然」というのは簡単だ。だか、一応2年間の社会人期間もあり、院卒としてのプライドがあるので、そうした割り切った気持ちよりも先に「なんでうまく仕事が出来ない、回せないんだろう」というモヤモヤする気持ちの方が強く出ててくる。そして、段々「この仕事、やっぱり合って無いんかな」と思えてきて、

遂に「面接の時に『◯◯◯をしたいんです!』と言い切ったあの時の思いは、受かりたいが為の啖呵だったんだな」と気付いて、仕事での目標を見失った。

だが、こうして目標を失った今に思い返せば、そもそもの話、「この仕事が好きじゃない」ってところに行きつくのかもしれないと思っている。

少しばかり話はズレるが、今の仕事学生時代からやって来たことをそのまま"プロ"として仕事にした感じである。だから、両親や周りの人からは「好きなことで仕事しているんだから、羨ましいことだよ」と度々言われる。じゃあ学生時代どうだったかたいうと、あまりいい思い出が多いとは言えないなぁと思う。勿論、それで院まで行って論文を書いたのだから、それなりの偽らざる感情は持ち合わせていたとは思う。だが、思い返せば辛いことの方が多いなと。

院試を受ける前はあまりもの出来なさに焦り、やる気のある真面目なゼミの同期とも対立して人間関係が拗れたこともあって、「本当にこの道でいいんだろうか」と思い悩んで、精神的に追い詰められてカウンセリングを受けた。院進後には、自分院生としての自覚の足りなさから、やる気のある学部生の後輩から突き上げられ、指導教官の部屋で後輩同席のもと教官から説教喰らったこともあった(特に説教された件はかなりのトラウマになってる)。

結局、こうした過去を今も引きずったままだから仕事にしている今が1番辛く感じるのかもしれない。

そして話は元に戻るが、こうやって目標を失った今、どうしたらいいんだろうかと思う。

業種を変えようにも、異業種のスキル経験も全く持ち合わせてない。何か新しく身に着けようと思うが、なかなか体も心も動かない。では今の仕事を耐えて続けるのが最善かと言われたら、それはそれでプレッシャーに耐えきれなくて発狂する未来が容易に想像できるし、自分本心を偽ってでもしがみ付くのも違うかなと思う。

本当にどうしたらいいんだろうか。

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