はてなキーワード: ケンブリッジとは
過酷さ自体は韓国や中国のほうがヤバいけど、要求される学力水準でいえば日本の大学入試(学部入試)は世界最強にハイレベルなんだぞ。
東大の入学試験なんてそれこそ世界一難しいようなレベルだし、ハーバードやカルテックやケンブリッジなんかの入試じゃ一切勝負にならない。大人と子供の差がある(大学院でぶち抜かれるけどね)。
地帝や都心の国立大なんかでも合格に必要な学力水準はハーバードより圧倒的に上なんだぞ。
あいつら因数分解や二次関数得意だよ!みたいな水準だし、高校卒業時点の学力で日本人の受験生に敵うわけがない。
MARCH一般入試合格の連中ですら大学入学時点ではUCLAやブラウンあたりの合格者より勉強できるからな?少なくとも南カリフォルニア大なんかよりは確実に上。
信じられないと思うけどこれは本当の本当。
インド工科大なんかは東大でも分が悪いかもしれないけど…でも世界中のほとんど全ての名門大学より東大入試の学力的な要求水準が圧倒的に上なのはマジ。
東大入試と良い勝負できるとこなんてマジでインド工科大くらいしか思いつかない。
日本の同世代上位10%に入るような大学出てる奴はもっと自分の脳味噌を評価してやれ。世界のエリート基準だと相当頭良いからなお前ら。
あと、アメリカの名門大に通う白人たちがディスカッションしてる動画を日本語字幕でいいから一回見てみ?
あいつらマジで言ってることが高校生レベル。下手すりゃ「真剣10代しゃべり場」。
国連で男女平等を訴えて叩かれている、女優活動をしながら学業も両立し、イェール、ブラウン、ハーバード、コロンビア、ケンブリッジなど多くの有名大学に合格した才媛だけあり、解りやすく魅力的なスピーチだと思う。
男性の皆さん。今ここで、この機会をお借りして正式に「フェミニズム」の世界へご招待します。男女平等は男性の皆さん1人1人の問題でもあるのです。今日、子供にとって母親の存在が必要であるのと同じくらいに父親の存在も必要であるにも関わらず、社会は父親の役割を軽視しています。
「弱いと思われるのが嫌だから」と言って、男性は心が弱っているのに助けを求めようとしません。その結果、イギリスの20歳から49歳の男性は、交通事故、ガン、心臓疾患よりも自殺によって命を落とす方が圧倒的に多いのです。
「男性とはこうあるべきである」「仕事で成功しなければ男じゃない」という社会の考え方が浸透している為に、自信を無くしている男性がとても多くいるのです。つまり、男性も女性と同じようにジェンダー・ステレオタイプによって苦しんでいるのです。
男性がジェンダー・ステレオタイプに囚われていることについては、あまり話されることがありません。しかし、男性は確実に「男性とはこうであるべきだ」というステレオタイプに囚われています。彼らがそこから自由になれば、自然と女性も性のステレオタイプから自由になることが出来るのです。
男性が「男とは攻撃的・アグレッシブであるべきだ」という考え方から自由になれば、女性は比例して男性に従う必要性を感じなくなるでしょう。男性が、「男とはリードし、物事をコントロールするべきだ」という考え方から自由になれば、女性は比例して誰かにリードしてもらう、物事をコントロールしてもらう必要性を感じなくなるでしょう。
↑のような事を言ってるのにエマワトソンが付き合ってるのは俳優や高学歴男のような成功男性ばかりだと。
それ関係なくね?
エマワトソンのように美貌を持ち高学歴で仕事で成功し大金を持つ女の周囲はそりゃハイスペック男性ばかりになるだろう、自然に恋愛したら相手が成功男性になるのは当たり前だ。
この ぶんしょう は
さいしん の うえぶ の けんきゅう の けっか や
れい の けんきゅう とは
なんら いっさい かんけい の ない ぶんしょう です。
なんてー。
いやーもう6月よ!
1年の半分がもう終わっちゃったわよ。
まさに、
鵜の目鷹の目って感じっ!
スーパークールビズだと思ったら
でも、
美味しそうだと思わない?
それだけでションテンが上がるわっ!
もうはじけちゃおう!
みたいな!
そんな
お土産に買って帰るわ。
なかなか涼を感じる夏のお菓子で、
きっとヒイヒイものだと思うわ。
たまに寄ると面白いわね!
うふふ。
と言うわけで、
スーパークールビズを前にして
すでにもう半袖デビューしちゃってました!
略してフライングゲット!
ゲッツ兄さんのことを思い出すわ。
パンのふわっふわ度がいつもより256倍強まってた感じがして、
とても美味しかったわ。
新たなる発見!
やっぱこれ夏にいいわ!
水出しするから、
雑味がなくて茶葉本来の風味を
ほんのり甘みがあって美味しい。
今日は2日分と思って作ったやつ。
ぺろりんちょといっぺんに飲んじゃったわ。
美味しかったもんで。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
われわれ日本人は、エコール・ポリテクニクに入学したいだろうか。ゲッチンゲン大学に行きたいだろうか。スイス連邦工科大学に行きたいだろうか。ボローニャ大学に行きたいだろうか。ウプサラ大学に行きたいだろうか。清華大学とかの話をしているわけではない。歴史も成果も超一流の大学であったとしても、英語を母国語としない大学に行きたいだろうかという話である。
どう考えても、どうせ海外に行くならスタンフォードやカルテック、ハーバードかMITかイェール、オックスフォードかケンブリッジに行きたいわけである。それは大学のレベルもあるだろうが、それよりは、英語が通じるし、しかも相手はネイティブの英語をしゃべるので、こちらの語学力が上がるということが大きいわけで。オーストラリアのほうが選択肢としては上位だろうな。
こんな下らないことはさっさとやめなさい。東大にたくさん優秀な留学生が来るなんてことがあるもんか。ただ東大所属の学者が英語をペラペラ話し、世界の学会上層部と電話やSkype会議をポンポンできるようにしとけば良い話だと思う。たぶん、フランスやドイツはそうしてしのいでいる。
別に当たり前のことで、言うまでもないけれど、戦争の時もそうだったように、誰が考えても当たり前のことがなぜか考慮されず事態が進んでいくことが日本はよくあるので、誰かが大きな声を挙げて止めるべき時期にきているのかなと思った。
これとか、いや、知らんけどその先読んでないからどんなステマが出てくるかすら。
ケンブリッジにも色々なコースが有る。
こういう、外国人枠は特別。金さえ払えば入れる様なところもある。
ここだけ見た感じ、小さい頃から恵まれた教育を受けてるし、イギリスに行く金も十分にあった感じ。外国人がケンブリッジなんて入ろうと思ったらすごい学費なわけで。
で、帰ってきて塾講とか、つまり、外国人用買い取り学士なので勿論イギリスでなんて雇われるわけがなく、
こんなふらふらな奴が日本でまともに就職活動なんて出来るわけもなく、結局塾講くらいしかできなかった、と。
しかも、塾講2年やっただけで世界一周旅行だと。親の金だわな。自由だな。これに心を動かされる馬鹿の気が知れない。
前に偏差値40あげて慶応受かったとか言う馬鹿な話もここだったような。
偏差値40あげた、って、どこの何偏差値だか知らんけど、0点取ってて偏差値が異常値指してる状態から普通にテスト受けたら40とか。。。?
結局どこの学科だかも分からないけど(本には書いてあったりするの?)、普通、超馬鹿、っていうのでも偏差値30とかだったりするし、
まあ気持ちはわかるよ
だけどお前があんまり気にすることではない
本気で学問したい奴は
そこで本当の学問を始めると思うんだ
そして本当に学問をしたい奴は
考えつづけているだろうと思う
http://en.wikipedia.org/wiki/Srinivasa_Ramanujan
研究の深さと広がりは格段に大きくなるだろうね
お前らが入ってきた枠の外側に
本当に学問したい奴が押し出されてたらと思うとやりきれなくなる。
http://anond.hatelabo.jp/20130830202223(最初のトラバ先)
http://anond.hatelabo.jp/20130831142238(自分の記事)
元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。
(実は若くなかったら申し訳ない)
念のために書いておくけれど、僕は最近のラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。
実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)
教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格の人達で、しかも扱う分野が本来主観的なものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。
それに、最近のラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。
そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。
(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベが流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)
だから、専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コストで賢明な判断だと言える。
しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない。
特に3番目の問題、
でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?
元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校の体験入学ごときで解決してしまった気分になっていることだ。
僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。
そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。
おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人からの客観的な添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。
また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジやオックスフォードもあるかもしれない。
そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。
文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。
下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。
さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?
それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。
だからといって、先人がそれを教育の世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。
どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。
「文章作法を学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。
「作文」の価値を捉え直した、文章表現の入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのものの価値を再発見している。
大学の講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。
だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。
前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。
レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論・記号論の観点から再評価した名著。
なぜ直喩が隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。
大江健三郎による文学論。そもそも小説や文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。
それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。
文章読本は色々あるが、その中でももっとも実践的と言われる丸谷才一の本だ。
歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。
(しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)
E.M.フォースターによる文学理論。Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店で1000円で入手できた。
「ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。
小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。
新装版が出るんだ……。
芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイックに小説を書き続けている作家の文学指南書。
テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。
ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソンが大英博物館で一気呵成に書き上げた文芸評論書。
「アウトサイダー」というキーワードのもと、文学・美術・舞踏・哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。
本気で読むと人生が狂う。
先の記事で書いた。全日本人が読むべき。
なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している。
偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞で名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。
しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性は結構あるつもりだ。
教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。
失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。
そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOS・エディタ・コンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。
>ちなみにそれはケンブリッジで研究されたペーパー等はどこにもなく、誰かがおもしろ半分に初めて広まったものみたいですが、
そりゃこの方法で2通り以上に読める文は英語にもたくさんあるから、内容は嘘に決まってますよ。
>ボラリティと間違えてたのは全く違う話です。「ボラリティ」という単語で覚えていただけなので(実際その様に書いてるサイトが沢山あるのでそちらを先に見て覚えてその後正しいのを見ても頭に入らなかったのだと思います)
でも、ボラリティって書いてあるサイトって具体的にどこですか?
ググって見つかるのだと、明らかにそれ以外の点もどうしようもないようなサイトばっかりだと思うんですが。
>???では何の話なのでしょう?やはり、単に目の前にあるチャート見て、これ上がるわー、下がるわーという単なる裁量取引ですか?
統計学の基本的な部分です。統計的予測とかの準備段階で、単に数学的な議論だけですむ範囲の話です。
裁量トレードでも、システムトレードでも、工場とかの品質管理とかでもどうぞ。
>ただ、理屈としてはこういうことだ。昔のデータだと実証もされてたはず。
>とおっしゃっていたのですが。。。
いまより踏み込んだ話のことですね。つまり、ボラティリティが必ず小さくなるというのは理屈だけでわかるんですが、実際にどのくらい小さくなるのかというのは、なんらかの仮定をおくか、過去のデータから推測するしかないんです。
上の文は、確率的に独立またはそれに近い状態という仮定をおくと、ボラティリティがずいぶん小さくなることが理屈でわかり、実際にボラティリティがずいぶん小さくなるということは、昔のデータだと実証もされてたはずという主旨です。”こういうこと”の中身として、直前に書いてあるはずですよ。
>あなたは何らかのツールをブラックボックスで使っているのだと思いますが、そうでなければその"X"はどの様に求めるのでしょう?やはり、あなたの心眼によるものでしょうか?
もちろん、ご存知の通り私は市場のボラティリティを見抜く超能力を・・・
なわけないでしょ。X自体は求めなくていいんです。分散投資のリスクが単独でどのくらいかっていうことではありません。同じ条件の場合、分散しないよりは、分散した方が必ず小さくなることが重要なんです。
>過去の動きから計算でも求めれない、あなた自身が決めることでもない、
>そうするとドリフト項を誰が決めるのでしょう?
過去の動きから求めたければ求めることもできます。この場合これからも正しいかはわかりません。
ただ、ドリフト項がマイナスのときって、どうせ損するので、リスクをどういう概念として考えればいいか難しいうえ、どうせ損するから、そんなことを想定する必要がある状況では投資しない方がいいです。そもそも、「ひょっとしたらいまはすべての株が下がる時期なのかもしれない」みたいなのはドリフト項のマイナスじゃなくてウィーナー過程のほうなんで、リスクとして想定するのは全部ウィーナー過程なんだと考えればわかりやすいかもしれません(厳密には違いますが)。ドリフト項がマイナスのとき、ボラティリティを下げると、大損する可能性はすくなくなりますが、わずかでも損する可能性はぐっとあがります。言い方をかえると、もともと損な賭けのなかで、たまたまラッキーで得できる可能性が減ります。
この場合、リスクはあがっていると思いますか?下がっていると思いますか?
>同じ資産無いで、同じリスクがあるものに分散した所でリスクは同じです。
これは全く間違いです。なんども言っていますが、同じ投資額で、同じ程度のリスクがある投資先では、分散するとリスクだけが下がります。これは理論的にそうです。
というか、これが本当なら、個別株のオプションと指標連動のオプションで裁定取引やると大もうけできますよ。
>この様に、何も分かっていない人間が、さも分かったふうなふりをして
だれのことでしょうねー。そういう人っていますよね。
>必要以上に資金を導入して結果意味の無い投資資金のせいで他でその資金を使えなくなることが多いのでは?
前にも言いましたが、ほかに資金を使いたい先があるなら、分散投資云々のまえにそっちに使うべきです。そもそも投資にまわすべきではありません。
ちなみにそれはケンブリッジで研究されたペーパー等はどこにもなく、誰かがおもしろ半分に初めて広まったものみたいですが、
ボラリティと間違えてたのは全く違う話です。「ボラリティ」という単語で覚えていただけなので(実際その様に書いてるサイトが沢山あるのでそちらを先に見て覚えてその後正しいのを見ても頭に入らなかったのだと思います)
???では何の話なのでしょう?やはり、単に目の前にあるチャート見て、これ上がるわー、下がるわーという単なる裁量取引ですか?
とおっしゃっていたのですが。。。
いえ、計算方法を決めて、範囲を決めるまでもなく、たとえばxという変数でおけば、それ使って分散投資した場合の計算がすすめられて、そのxより小さい大きいを議論すればよいので、実際にこの値がどのくらいであるかを知る必要はありません。
あなたは何らかのツールをブラックボックスで使っているのだと思いますが、そうでなければその"X"はどの様に求めるのでしょう?やはり、あなたの心眼によるものでしょうか?
私が決めると言ってるのではありません。
株価がマイナスなドリフト項がついたウィーナー過程に従う銘柄を買うということは、はじめからおそらく損するとわかっている株をかうということです。
投資する人の主観で、きっとドリフト項がプラスだと思うなら、投資すれば良いし、きっとドリフト項がマイナスだと思うなら、投資しなければいいわけです。
投資家がドリフト項を推測すること自体が無意味だというのは、株価の値動きだけでなく、儲かるか儲からないか自体がまったくランダムという考え方です。それならば、まったく投資しないのが一番いいに決まっています。
過去の動きから計算でも求めれない、あなた自身が決めることでもない、
そうするとドリフト項を誰が決めるのでしょう?
決まらないなら、プラスだのマイナスだの、リスクが大きいだの小さいだの、平均収益がどうのうこうの、どう決めるのでしょう?
実証されている、というのは何を持って何の実証なのでしょう?何も決まらない状況で、適当な"分散投資"をしたという投資家を集めて、どの様にしたかも議論せず、
単に、どれだけ設けたか、というアンケートでもしたのでしょうか?
最初から言っているように、多額の資金があるか、または長期的な資産運用をするのであれば、
ただ、同じ資産無いで、同じリスクがあるものに分散した所でリスクは同じです。
勿論、1か0の様な剥離した結果しか出ない様な勝負の場合、それを細かく分けることでリスクを分布にすることは出来ますので、例えば10円等の株価が付いているものであれば分散する意味は大いにあると思いますが。
元増田はどうかはしれませんが、この様に、何も分かっていない人間が、さも分かったふうなふりをして
分散投資だーと言って、必要以上に資金を導入して結果意味の無い投資資金のせいで他でその資金を使えなくなることが多いのでは?と。
Livertyは「もっと自由に働きたい」らしいけど,今の彼らは海外や国内で話題になったサービスを次々パクってるだけの安定路線集団だよね.
いくつもあるけど,強いて言えば "kiva" の学生支援 (2010~) とか.
"Vittana" (2008~) とか
ケンブリッジの卒業生が 2011 年に始めた "Buy My Face"
ご存知BASE.デザインから機能追加まで全てStores.jpの後追い.
開始前から日本版 GOLDEN HOOKと呼ばれてる時点でお察し.
偏差値が高いほどモラルが高く、偏差値が高いほど向上心が高い。偏差値が高いほど嫌な仕事でもするし、偏差値が高いほど努力を怠らない。
何をあたりまえのことを、と言われるかもしれないけど、人を採用するときや結婚相手を探すときは、このことを常に忘れないようにしたい。これまでに偏差値の低い人間に裏切られた事が、何度あったことか!
もちろん偏差値が低くてもモラルの高い人もいるし、偏差値が高くても努力をしない人間もいる。だからこれは相関関係というか、一般的な話。学力偏差値≒信用度偏差値、などと考えたほうがいいか。
なぜこのようなことを書くというと、自分がゲーム業界出身で、この業界は本当に学歴が様々な人間が集まるので、学歴による内面の違いをより感じたからだ。
東大・京大・筑波大・慶応・早稲田・ケンブリッジ・マーチ・・・から、高卒・中卒・アニメ専門学校卒・元ニート・・・など、本当に様々な経歴のるつぼなのだ。この業界は日本のトップ大学の人間が意外に多く、そしてありえない低学歴にもかかわらず社員になっている人間も意外に多い本当に特殊な環境だと思う。
普通の商社だと東大卒と中卒が同じ立場で働くとかそうそうないと思うが、ゲーム業界だと日常だし、むしろ高卒ディレクターが早稲田卒に指示出すことも普通。そういう環境の中で人と接していると、やはり学歴の差で育ちというか、モラルというか、努力というか、色々なその人自身の内面が学歴に表れているなぁ、と思った。例えば仕事ではズルとか政治力などで上に勝ち上がれるが、受験勉強だとなかなかできないので、偏差値はその人の努力と勤勉とモラルなどを判断する指標になると思う。
過激な釣りタイトルにしたが、学歴によるカーストわけって、ものすごく合理的な仕組みだと思った。・・・僕?もちろん高卒ですよ。ははっ。
「グローバル社会に伍して行けるマルチ人間に仕立てなきゃならない」という強迫観念があるのでは?
だから、政府自民党内の議論で「大学生全員にTOEIC義務付け」とか、「文系大学生にも数学入試義務付け」とか、
「いや、理系学生にも、国際社会に出ても恥ずかしくないよう、日本史や古典を学ばせるべきだ」
と、とかく科目の積上げに議論が流れてしまう。
「文系大学生が、原子の崩壊方程式(って言うのですか?)を知らないのはオカシイ、義務付けるべきだ」と
吼えていたそうだが、文系の自分は、その意味がわかりません、ええスミません。
まあ曽野綾子は「文系に方程式を教育するのは不要」と語ったそうだが。
「自分の専門分野は、全学生、全日本人が知っておくべきだ」と視野狭窄に陥りがち。
こんな専門家の意見を真に受けて、学習科目を積上げていけば、日本の小学生中学生高校生は
「どのレベルの学習が、理系大学生には必須か?」という「積上げ方式」で設計すると、必ずパンクする。
無理やり詰め込みすぎると、消化不良を起こして、後々の躓きになる。
こういうのは、積上げ以上に「捨てる技術」「仕分ける技術」が欠かせないと思う。
「ここまでのレベルの学習が、理系大学生には不要では?」という引き算も定期的に行って、
あと、日経朝刊に
「大学を出たが就職できない日韓と比べ、ドイツは大学を目指さない若者が専門学校に進み、
それがドイツのグローバルニッチな中小企業に入って、ドイツ技術のレベルアップを支えている」という記事があった。
言われて見れば、ドイツには「オックスフォード、ケンブリッジ」「ソルボンヌ」
「ハーバード、スタンフォード」のようなビッグネームの大学は乏しい。
しかし、超名門大学は乏しいのに、ドイツの技術水準は高く維持されている。
16 :名無しさん@九周年[sage]:2008/09/02(火) 19:32:31 ID:WIVmqwXx0
どっちが優先されるかなんて国にもよる。途上国だと実利優先なとこあるから、半端な文系よりも工学とか学んだ政治家が多かったりする。
【実利】 工学、農学←物理、数学 法律、経済→文学、歴史 【教養】
表にするとこんな感じか?先進国なんかは法律、経済あたりが重用されて、歴史が長い国なんかは文学、歴史が大事にされる。
イギリスで最も社会的地位が高いのは「ケンブリッジorオックスフォードの文学部で英文学を学び、ギリシャ語とラテン語に通じるジェントルマン」
逆に>>1にあるように理系重用は中国で、今の中国の首脳陣はほとんどが理系。コキントウも水利関係の工学者。
戦後の開発あたりで即戦力になる理系が重用されるから、理系の地位が高い(そもそも、文革の影響もあって、文系を「腐れ儒者」のようにみる風潮もあった。)