はてなキーワード: ケンブリッジとは
偏差値が高いほどモラルが高く、偏差値が高いほど向上心が高い。偏差値が高いほど嫌な仕事でもするし、偏差値が高いほど努力を怠らない。
何をあたりまえのことを、と言われるかもしれないけど、人を採用するときや結婚相手を探すときは、このことを常に忘れないようにしたい。これまでに偏差値の低い人間に裏切られた事が、何度あったことか!
もちろん偏差値が低くてもモラルの高い人もいるし、偏差値が高くても努力をしない人間もいる。だからこれは相関関係というか、一般的な話。学力偏差値≒信用度偏差値、などと考えたほうがいいか。
なぜこのようなことを書くというと、自分がゲーム業界出身で、この業界は本当に学歴が様々な人間が集まるので、学歴による内面の違いをより感じたからだ。
東大・京大・筑波大・慶応・早稲田・ケンブリッジ・マーチ・・・から、高卒・中卒・アニメ専門学校卒・元ニート・・・など、本当に様々な経歴のるつぼなのだ。この業界は日本のトップ大学の人間が意外に多く、そしてありえない低学歴にもかかわらず社員になっている人間も意外に多い本当に特殊な環境だと思う。
普通の商社だと東大卒と中卒が同じ立場で働くとかそうそうないと思うが、ゲーム業界だと日常だし、むしろ高卒ディレクターが早稲田卒に指示出すことも普通。そういう環境の中で人と接していると、やはり学歴の差で育ちというか、モラルというか、努力というか、色々なその人自身の内面が学歴に表れているなぁ、と思った。例えば仕事ではズルとか政治力などで上に勝ち上がれるが、受験勉強だとなかなかできないので、偏差値はその人の努力と勤勉とモラルなどを判断する指標になると思う。
過激な釣りタイトルにしたが、学歴によるカーストわけって、ものすごく合理的な仕組みだと思った。・・・僕?もちろん高卒ですよ。ははっ。
「グローバル社会に伍して行けるマルチ人間に仕立てなきゃならない」という強迫観念があるのでは?
だから、政府自民党内の議論で「大学生全員にTOEIC義務付け」とか、「文系大学生にも数学入試義務付け」とか、
「いや、理系学生にも、国際社会に出ても恥ずかしくないよう、日本史や古典を学ばせるべきだ」
と、とかく科目の積上げに議論が流れてしまう。
「文系大学生が、原子の崩壊方程式(って言うのですか?)を知らないのはオカシイ、義務付けるべきだ」と
吼えていたそうだが、文系の自分は、その意味がわかりません、ええスミません。
まあ曽野綾子は「文系に方程式を教育するのは不要」と語ったそうだが。
「自分の専門分野は、全学生、全日本人が知っておくべきだ」と視野狭窄に陥りがち。
こんな専門家の意見を真に受けて、学習科目を積上げていけば、日本の小学生中学生高校生は
「どのレベルの学習が、理系大学生には必須か?」という「積上げ方式」で設計すると、必ずパンクする。
無理やり詰め込みすぎると、消化不良を起こして、後々の躓きになる。
こういうのは、積上げ以上に「捨てる技術」「仕分ける技術」が欠かせないと思う。
「ここまでのレベルの学習が、理系大学生には不要では?」という引き算も定期的に行って、
あと、日経朝刊に
「大学を出たが就職できない日韓と比べ、ドイツは大学を目指さない若者が専門学校に進み、
それがドイツのグローバルニッチな中小企業に入って、ドイツ技術のレベルアップを支えている」という記事があった。
言われて見れば、ドイツには「オックスフォード、ケンブリッジ」「ソルボンヌ」
「ハーバード、スタンフォード」のようなビッグネームの大学は乏しい。
しかし、超名門大学は乏しいのに、ドイツの技術水準は高く維持されている。
16 :名無しさん@九周年[sage]:2008/09/02(火) 19:32:31 ID:WIVmqwXx0
どっちが優先されるかなんて国にもよる。途上国だと実利優先なとこあるから、半端な文系よりも工学とか学んだ政治家が多かったりする。
【実利】 工学、農学←物理、数学 法律、経済→文学、歴史 【教養】
表にするとこんな感じか?先進国なんかは法律、経済あたりが重用されて、歴史が長い国なんかは文学、歴史が大事にされる。
イギリスで最も社会的地位が高いのは「ケンブリッジorオックスフォードの文学部で英文学を学び、ギリシャ語とラテン語に通じるジェントルマン」
逆に>>1にあるように理系重用は中国で、今の中国の首脳陣はほとんどが理系。コキントウも水利関係の工学者。
戦後の開発あたりで即戦力になる理系が重用されるから、理系の地位が高い(そもそも、文革の影響もあって、文系を「腐れ儒者」のようにみる風潮もあった。)
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。
これについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。
警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満であるというニュースが出ている。)
もちろん、子供の暴走がここまで大事になってしまったのは異常事態であり、その裏側に社会的問題があると考えるのは当然だ。ただし、今回のように、当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、「ぼくの考える社会の欠陥」的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。実際、イギリス社会の事情も知らず、勉強した形跡も全く読み取れないのに、適当なことを言って悦に入る類の人をTogetterで何人か見かけた(以下に一例)。このエントリーを書こうと思ったのは、その手の単純で非現実的な観念論ではなく、地に足のついた議論の土台を提供したいとおもったからだ。
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/aug/09/london-riots-who-took-part
報道から明らかになっているのは、暴徒の大半が未成年であること、特定のエスニックグループが暴徒になったわけではないこと、そして多くがロンドンでも貧しいとされる地域の住人であること。加えてもう一つ言えるのは、彼らの多くがカウンシルフラットと呼ばれる、低所得者向けの公営住宅に住んでいると言うことだ。このカウンシルフラットというのは、イギリスの貧困を語る上では非常に重要な点なので、少し説明をしておきたい。
イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園に段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。
何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。
カウンシルフラットの家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるものの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド。外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。
ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。
http://boards.gumtree.com/viewtopic.php?t=215432&p=2686792
ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリスは先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に12~20ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。
とはいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドンの託児所は1ヶ月フルタイムで1000ポンド。平均所得層ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。
その結果起こったのが、子供の識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブの識字率が低下している。2007年に政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分の名前やmom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供は小学校のカリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生(数字は忘れた)が、「数学の試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛でしかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。
この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラットで自分の子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。
結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供が未来に希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラムの子供にサッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金で博士号まで取る人もいる。そのための制度や組織もある。ブラジルのスラムに比べれば、カウンシルフラットの子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。
今回暴動でワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。
カウンシルフラットの子供達が鬱屈しているならば、イギリスの納税者達は絶望している。イギリスの税金は高い。年収550万円以下なら所得税は20%、それ以上なら40%(しかも、社会保障関連の支出は所得税収総額を上回っている。なにしろ、上に書いたincapacity benefitだけで1兆5千億円かかっていたのだから)。消費税は20%。それ以外に地方税も取られるし、国民保険料も安くはない。通勤の交通費は自腹が原則だし、会社が住宅補助を出してくれると言うこともあまりない。そういう辛い家計をやりくりしながら、やたら高い家賃を払って暮らしている家のすぐ隣で、無職の人が昼間からぷらぷらしていたりするわけだ(カウンシルフラットは本当にあちこちにあるので)。
それでも、ブレアが政権を取った1997年以降、イギリス人は低所得層との格差を縮めるために税金を投入する政策を支持してきた。小学校低学年は30人学級となり、小学校入学前に児童の学力を底上げするためのプログラム(SSLP)にも1000億円の予算が付き、補習授業は大きく拡充され、挙句には、高校をドロップアウトする生徒を減らすために、出席率が高い貧困家庭の生徒に補助金まで出した。職歴のないシングルマザーにはコンサルティングから面接の訓練まで提供している(一人当たりのコストは10万円)。
にも関わらず、今回の暴動だ。これを「先進国とは思えない、途上国の光景のようだ」と思った人はイギリスにも少なくない。ブレア政権の教育改革がスタートしたのは99年前後だから、今回の暴徒の大半は改革された教育制度の下で育ってきた子供達である。これだけの負担をしていながら、なぜ途上国のスラムのような光景を見なければならないのか。これに絶望せずにいられるのは、やはりよほど心の強い人間だけだろう。
(1) 警察力の強化。これは言うまでもない。秩序を失えば人間は(誰であれ)動物になりうると言うことを、今回の暴動は証明した。ならば、秩序の維持は至上命題だ。先週キャメロンがアドバイサーに招聘したビル・ブラットンはニューヨークで例の「割れ窓理論」の実行部隊を指揮した人であり、警察官の最適配置システムの第一人者でもある。締め付けは厳しくならざるを得ない。
もしこの手の暴動を放置すれば、被害者は自警団を組織する。彼らは武装し、いがみ合い、それが新たな暴動の引き金になる。そうなる前にキャメロンには何とか手を売ってもらいたいと思う。もしかしたらもう手遅れなのかも知れないが。
(2) 社会保障制度の見直し。これは実のところ暴動前から進行している。上で書いたincapacity benefitだが、悪用して海外旅行まで楽しむ輩が多く出た上、一度受給者になると死ぬまでもらえるので、就労意欲がゼロになる。以前から批判が絶えず、キャメロン政権は廃止を決めた(別制度で代替)。ただし、これらの社会保障の削減が暴動の理由ではないというのはマスコミでも一致した見解だ(まだ削減は殆ど始まっていない上、暴徒の大半は親元で暮らしているのでそもそも受給していない)。
上でも書いてきたように、手厚い社会保障制度それ自体が受給者と、その子供や孫の未来までをも奪ってきたという側面がある。そして、この制度は格差の縮小どころか、治安維持という最低限の目的すら達成できなかった。何より、イギリス経済はこれ以上の負担にはもはや耐えられない。ならば、社会保障は削減しつつ、彼らに可能な限り働いてもらうしかない。Benefit Busters (興味のある人はyoutubeで検索すると良い)などを見ているとなかなかに大変そうではあるが、もう選択肢がないのである。
(3) 納税者の復讐。今日キャメロン首相まで”social fightback”と言う言葉を使っていて驚いた。具体的には、暴動に参加した子供がいる家庭に対する社会保障給付の停止。カウンシルフラットからも追い出す。少なくとも感情的には、そして理屈の上でも、そうすべき理由はたくさんある。それが更なる悪循環を招くとしても、あそこまでやられてしまっては納税者の側も収まらない(ちなみに、オックスフォードケンブリッジ卒のエリートはこの手の復讐にはあまり賛同しない。彼らはびっくりするほど穏健だ。怒っているのはむしろ小商店の店主のようないわゆる中産階級に多いような気がする)。鬱屈した子供の暴発を「社会の歪み」を理由に肯定する人は、絶望した納税者の復讐も肯定せねば片手落ちであろうと思う。
最後に、下のtogetterで見つけた以下のコメントについて。
火がつけば爆発するしかないほどの不満を溜め、失うものが何もない奴らがこれだけの数居るんだよ。社会がそれを生んだ。(中略)問題は目の前にそのままの姿である。こいつらのYouTubeを見ろ。音楽を聴け。睨みつけてくる視線に自分をさらせ。
この人の書いたラップの話は、今まで全く知らなかった分野な事もあって新鮮で、興味深く読んだが、このコメントには一言申し上げたい。無茶言うな。暴動明けの火曜日の朝にCamden Townの駅で暴徒の一人とばったり顔を合わせたが、彼の睨み付ける視線にどう応えろと言うのか。プラットフォームのあちこちにどかどか蹴りを入れながら、肩で風を切って周囲にガンをたれながら練り歩いていったが、一個人として彼を見れば、まだ自分を抑制できないただの子供であり、仮にポケットの中に盗品が入っていれば犯罪者に過ぎない。彼らをひとりの人間として直視するなら、そういう扱いにならざるを得ない。復讐の対象にならざるを得ない。むしろ、彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないかと思う。
わかってない。発音が違うだけで中身は変わらないのに扱われ方が極端に違うということがあるのが向こうの社会なんだよ。それを風刺したのが「マイ・フェア・レディ」だし、元増田にもそのあたりのことは書かれてたはず。
知人のイギリス人が言ってた話を一つ紹介すると「自分はごく平凡な若者だが、ケンブリッジ出身で綺麗な英語を話すので就職には困らない。だが、たとえばアイルランドやスコットランドの強い訛りがあれば優秀な人でも不利だ」と。
要するに、関西人が似非関西弁に目くじらを立てるレベルで奴らはなまりに敏感なんだよ。関西人を相手にする場合は、完璧な関西弁を話せなくとも、自分のお国言葉や標準語でしゃべれば問題はないが、英語には逃げ道がないから始末が悪い。そしてそれを単に話のネタにするだけでなくて、就職とかそういうレベルのところに影響させてくる。そう考えればどれだけ奴らが閉鎖的かわかるだろ。
本当に関係のない追記
ヴィトゲンシュタインでずっと覚えてたけど
ウィトゲンシュタインを使う人のほうが多いのね
彼がベルリン→ケンブリッジ、と行ったので、過去には漠然とドイツ系の哲学者のように誤解されて「Wittgenstein」を「ヴィトゲンシュタイン」と誤読されてた時期があったけど、本当は彼はオーストリアの人で、しかも本人自身が「『ヴィ』ではなく『ウィ』だ」と主張していたという話があって、'90頃からはずっと「ウィトゲンシュタイン」が基本表記になってます。
元の一日の生活については、いいんじゃないの、と思う。自分に一番心地よいスタイルを見つけて実践できてるなら大いに結構。
気になったのは変人云々の方ね。ケンブリッジがどうとか言ってるけど、本当に化け物みたいにアウトプット出してる人って、変人だとか普通だとかそもそも気にしてない。自分の関心領域への興味が大きすぎて他人との比較は眼中にないというか。それが結果として変人になってるだけだよ。まあ尋ねられたら自分は変人だって答えるかもしれないけどね。
元増田の言わんとしてるところはわかる。普通じゃないからって萎縮するなって言うのは良い。でも「より変人になる」ことを推奨するのは逆転してると思う。変人だのどうなのが気になっている時点で雑念が多すぎるんだから、そういうのが気にならなくなるくらいまで自分のやりたいことにコミットしろってのが正しい方向でしょ。
個性というのは意識して他と差別化するものじゃない。何も意識しなくても自ずと滲み出て来てしまうもの、どんなに隠そうとしてもどうしても現れて来てしまうもの、それが個性なんだよ。
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そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?
いや、自明とか間違いなくとか言われてもなあ。具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。
グレコ・ローマン文化の話じゃなかったのかよ。近代以降ならそりゃ当然だろ。
いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。
ほら、君は「??だとすれば」という仮定が読めないんだよね。
で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w
何かひとつ共通言語がないとITなんてやってられん、というのは厳然たる事実だろ。
一方で、文化資本による格差なんぞないほうがいいに決まってる。
東大卒は毎年数千人だ。それで、MIT卒は何人いるか知ってる?ハーバードは?プリンストンは?スタンフォードは?オックスフォードは?ケンブリッジは?
数千人か。なおさらたいしたことないな。で、MIT卒全員をエリートと呼んだ覚えはないが?(他の大学もね)。
まあそうね。勝手にどこかで学んできそうな気はする。
教育ってのは、特に公教育ってのは、底上げのためにやるもんであって。
誰も「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて言ってないし、そもそも東大生の中で「教育制度がもっとよければ俺はもっと偉くなれた!」なんて言ってる奴は落ちこぼれだけだよ。だから「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」という発想自体がそもそも無意味。
いや、お前そういう話しかしてなかったじゃんw 俺が公教育は平均と底辺を上げるためのものだと主張したらやたら激しく反発してたよなあ?
主流と標準を辞書で引くことをお勧めする。そりゃ、主流が標準を塗り替えてしまうことは結構あるが、少なくとも数値計算の世界ではまだだろう。過去の蓄積ってのがあるんだ。
Cを使ってアセンブラまがいのコードを書き、新しい言語なんて覚える暇があったらもっと他のことをするとかなんとか言ってる人だって一定の比率で存在する。おわかり?
それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?
まだ、例えば専用プロセッサなり組み込みデバイスなりを制御するためにアセンブラ使うってほうがはるかに一般的なケースだと思うがな。数値計算やパターン認識においてさえ。
どうも話が巧妙にずらされてる気がするんだが。
いや、君自身RubyとかPerlとかC++とかJavaとかに言及しちゃったからねえ。どっちが引っ掛けたかというのは不毛になりそうだからやめようや。なんなら俺がズルかったということにしてもいいが。
たとえばいきなりJavaを覚えさせられた人間がそれがわかるとは到底思えない。ライブラリのソースを読めるレベルになってはじめてわかることだろう、それは。
いや、Javaのライブラリのソースを読むレベルになったらたしかにかなり専門的だが、そもそもJavaで書いたコードで高速計算させようというほうが間違いなわけで。
C++に関して言うなら、アセンブラ的な最適化に手を出すのはだいたい最後の最後だろう。俺(や多分君)のような古い世代はアセンブラからの積み上げで高級言語を見るけど、高級言語の側から必要なレベルまで掘り下げていく、という見方も可能なはずだし、最適化の上ではむしろそちらが本筋。
で、君が重いクラスライブラリとして想定してるのはなんなの? ちゃんと最近のものを使ってれば、そんじょそこらの奴がCでちゃっちゃと書くコードと同じかたいていは速いコードを生成するし、もちろん可読性も高くなるな。
C++の話も同様。敢えて「C++らしい」処理を書けば計算量はどんどん増えて、例えば行列をカプセル化して演算子をオーバーロードしてなんてことやってたら計算時間が倍ぐらいになってもおかしくはないだろう。一晩で終わる計算が翌日の昼までかかるということになったら作業効率には歴然たる差が出るぞ。
具体的にどこの出してるC++用行列演算ライブラリがそこまで効率悪いって?
(補足追記)
最近のC++用の数値演算ライブラリはかなり出来がよく、FORTRAN用のそれに性能で肉薄するところまで来ている。そう、ここでは、ライバルは君が主流からも標準からも蹴落とされたと主張したいらしきFORTRANなんだよ。
で、どの辺がネックかというと、君の言うように記述性と実行速度の関係だったりはする。でも、それは低水準処理がどうこうという問題ではないよな。
この件については、議論してる人がネットでも結構いるから読んでみるといい。君が思うほどにC,C++が圧勝しているわけではないよ。随分C++が向上してはいるけど。で、FORTRANのほうが言語の構造上最適化が効き易い等の話題はあっても、手作業で機械語レベルの最適化をするなんてのは、候補にさえ挙がらないな。
あのさあ、「一般的にはこういうことが言われている」ということを主張したら、いつの間にか俺が「こういうこと」を主張していることになってるのはなんでなんですか、とさっきから何度も聞いてるんですが。「そうとしか思えないから」って、あんたの主観でしょ。しかもあんたが俺のことを色眼鏡で見てたことはあんたが自分で言ったことだし。
ほう、その辺の本には「神」なんて言葉が乱舞しとるがな。じゃあ日本の古典がどう宗教的価値に直結しとるんだ?
これは確かに読み飛ばした、失敬。
日本の古典の話をしてるんだが。とりあえず便宜的に日本の言文一致体以前以後で区切ってみようか。
なんか、今でも一般人が学ぶ意義のあるような文献がそれ以前にある?
しつこいなあ。食い下がってるのはどっちだよ。「意義」の定義によるだろ。「一般人レベル」でいうのなら、欧米先進国様の古典を学ぶ意義と同程度のものは間違いなくあるよ。日本文化のうち文学と美術と舞台芸術に優れたものがあることは君も否定せんだろうが、それらの趣味が思想だのなんだのに劣ることはあり得まい。
グレコ・ローマン文化の話じゃなかったのかよ。近代以降ならそりゃ当然だろ。フランス革命1789年と明治維新1868年の差が今更どれほど重要だとあんたが思ってるのかは知らんが(明治維新は不完全な革命とかいうなよ。そんなこと言えばロベスピエールとかナポレオンってのはどうなるんだ)。ただその意味で言うなら欧米であってもドイツなんかは後進国なんであって、あんたが言ってるのは「イギリスとフランス」の話でしかない。「欧米」ではないぞ。
君の言うステータスシンボルのような意味での「役に立つ」自体を俺は批判し否定してるんだよ。まやかしだってな。で、撤回したんじゃなかったか? やっぱ食いさがってんじゃんww
ほら、君は「??だとすれば」という仮定が読めないんだよね。背理法とか理解できてないんじゃないの?出来の悪い中学生とかで、「もし√2=p/qと既約分数で書けたとするとpもqも偶数になるが」とかいうと、「pもqも偶数なわけないだろ!」とか言って聞かないガキがいるよね。
あとさあ、まやかしはまやかしで構わないけど、そういう意味なら俺は英語の「役に立つ」もまやかしだと思うがねえ。
とりあえず、「まやかし」と「役に立つ」をあんたはどういう基準で使い分けてるのか明示してくれ。でないと話にならん。
えーと、そういう主張をしたいのならまずソースよろ。
はあ?何のソースだよ。俺は君の主張を自然に演繹しただけであって、敢えて言うならソースは君の発言だが。
東大卒は毎年数千人だ。それで、MIT卒は何人いるか知ってる?ハーバードは?プリンストンは?スタンフォードは?オックスフォードは?ケンブリッジは?
本当に新天地を切り開くようなエリートってのは、せいぜい数人程度だろ。その数人にどういう教育をするかと考えた場合、国内でまかなおうなどと無駄な縄張り意識を発揮するよりは、とりあえず世界トップレベルの大学に送り込めばいいんじゃないの、と。
天才信仰ですか。まあいいや。仮にそうだとしても、「年に数人」レベルの人間に「教育」なんておこがましいと思わんか。そんな人間はほっといても自分に最適な場所を探してくるし、そこが日本である可能性もあれば海外である可能性もある。
国を背負うほどのものでもない普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンすることに金を使うよりは、普通の大学を出る普通の何万人のレベルを上げるほうが安上がりだし価値があるんじゃねえの、と。
誰も「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて言ってないし、そもそも東大生の中で「教育制度がもっとよければ俺はもっと偉くなれた!」なんて言ってる奴は落ちこぼれだけだよ。だから「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」という発想自体がそもそも無意味。
いや、主流の座から滑り落ちたものを普通はスタンダードとは呼ばないだろう。そう言えるからには、後続のものがスタンダードを一つの目標に据えて設計されたとかそういう事情が必要だ。ちなみに釘をさしておくが、別にこの主張に固執するつもりはないから反論は不要。否定してくれてかまわん。
でも、コアの計算部分がライブラリに分離されちゃうケースが増えると、ますます低水準処理がどうこういう意味がなくなるような。
出来合いのライブラリを使ってない研究者だって沢山いるし、そもそも計算アルゴリズム自体に工夫をする人だっているわけでな。その辺は計算の規模と計算機リソースの兼ね合いと、あるいは本人が計算機を好きか嫌いかなんていう、実に卑近な事情によって決まってくる。それこそ情報工学の研究者であっても、俺が例に挙げたパターン認識や待ち行列の研究者の中には計算機の実践的側面なんかに興味がなく、Cを使ってアセンブラまがいのコードを書き、新しい言語なんて覚える暇があったらもっと他のことをするとかなんとか言ってる人だって一定の比率で存在する。おわかり?あんたの言ってる「情報工学」は「コンピュータ工学」でしかないことに気付いてほしいな、いい加減に。そこだけ理解してもらえればあとはどうでもいい。そうすれば、あんたが噛み付いてる点自体が枝葉末節だってことにも気付くだろうし。
前にも書いて綺麗に見ない振りされたけど、それ言語の選択と無関係だよね。
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元々の話覚えてるか?「低レベル寄りの言語を知識としてだけでも知らない人間に」云々という話だっただろう。どうも話が巧妙にずらされてる気がするんだが。たとえばいきなりJavaを覚えさせられた人間がそれがわかるとは到底思えない。ライブラリのソースを読めるレベルになってはじめてわかることだろう、それは。
C++の話も同様。敢えて「C++らしい」処理を書けば計算量はどんどん増えて、例えば行列をカプセル化して演算子をオーバーロードしてなんてことやってたら計算時間が倍ぐらいになってもおかしくはないだろう。一晩で終わる計算が翌日の昼までかかるということになったら作業効率には歴然たる差が出るぞ。