はてなキーワード: イチローとは
天才と呼ばれる人たちは子供が出来てしまうと、その子供が天才ぶりを発揮してゲームバランスを壊す存在になってしまって
その競技自体が廃れてしまう恐れがあるのであえて子孫を残さない選択をしていると聞いたことがあるよ
多分安倍総理もそうなんだろうね
サッカーは世界的選手が日本に来るからいつまでも忘れられることはないが野球は
ブライアントもデストラーデもオマリーも、クロマティーもタフィーローズもロバートローズも、当時は野球知らん人でも名前きいたことある的だったけど、今はいわれてみればすごいのいたなー的なイメージしかない
現役時なんとなく知っていてこれだ
いまはユーチューブがあるからプレーを見れるっちゃ見れるけど、まずは名前を知らせなきゃ
殿堂入りだ名球会だなんて一般人には関心さそうものではないみの
語り継ぎが足りていないよ
あと即刻帰ったグリーンウェルが悪い見本としていつまでもいわれるくらい
関西メディアがうんざりするほど喩えに使うのは非難もあるだろうが、語られ続けなければ名選手でも記憶から消えていく
ロメーシとか覚えてないでしょ
今新型コロナウイルスで大変だっていう時に何を言ってるんだという人はいるだろうが、将棋の藤井聡太くんが話題になっているのを見てて思ったが、藤井聡太くんだけでなく今の時代ってほぼ不世出なんじゃないかってレジェンドが多いよなあと思い返した。
野球のイチロー、サッカーのメッシとCロナウド、霊長類最強の雌吉田沙保里、将棋の羽生善治と藤井聡太、漫画の手塚治虫と鳥山明と秋本治と尾田栄一郎、アニメの宮崎駿、フィギュアスケートのプルシェンコと羽生結弦、映画界のキューブリック、アメコミのスタン・リー、NBAのマイケル・ジョーダンとレブロンとシャック・オニール、ミュージックのマイケル・ジャクソンとフレディ・マーキュリーなどなど枚挙に遑がない。
後世の人たちがこれからどんなレジェンドを目撃するかは知らないけど、イチローみたいな選手にまた出会えるか、メッシやCロナウドにまた出会えるかと言われたら、もう生きてる間は無理だろうなぁ。
弱々しくて見てて本当にムカついたって人はかなり多いのではないのだろうか。
急に辞めるって言う、体調管理ができない、嘘をつくっていう無能社会人の三大特徴を全て兼ね備えた悪魔の総理だった。
次はもっと有名な人になって欲しい。もし仮に無能でも許せるような人物が良い。
安倍のお友達になるようなことがあれば国民のやる気は完全に無くなる。
前置きが長くなったが、以下予想していく。
土曜日のTBSの番組ではいつも政治について発言している。政治的な発信ができる人物だ。面白おかしく伝える能力も高いので、分かりづらい国の制度を分かりやすく国民に伝えるのが期待できる。
また、映画監督としても世界的に有名で、世界的にも確実に人気が出る総理である。
②橋下徹
昔は大阪府知事だった。私は大阪府民ではないものの、府知事選挙で負けて辞めたときには残念だなあと思ったのを強烈に覚えている。それくらい府知事として有能だった証拠だ。
東京には及ばないものの、大阪をまとめていた実績があれば、総理大臣をやらせてみる価値はあるのではないだろうか。
③イチロー
元スポーツ選手だから安倍の100倍健康なのは間違いない。日本のスポーツ選手で最も世界的に活躍した。人気もかなり高い。
野球をやっていなければ東大に行けてたとも言われている。それくらいの頭脳があれば、アメリカ在住で日本の政治はよく分からなくても、勉強してすぐにできるようになるのではないか。
④三木谷
楽天のホームページは見にくいので賛否両論あるかもしれないが、日本を経済的に成長させたい場合は三木谷だ。
社長として世界的に成功していて、楽天では社内の公用語を英語にしている。経済的だけではなく、国際的な活躍も期待できる。トランプと対等にやり合えるイメージが湧く。
大穴で、コロナ対策限定であればノーベル医学賞を取った山中教授もかなり考えられる。
以上、独断で予想してみたがどうだろうか。
本当に立候補するかは分からないけど、市民として声を上げていきたい。政治的な声を上げ続けていかないと永遠に実現はしない。次の総理が決まるまで毎日ニュースに注目していきたい。
今度から(走り寄ってくる音)も付けるわ
ワイ「イチローは嫌だ」林修「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)
1 :風吹けば名無し@無断転載禁止[]:2016/11/24(木) 06:59:26.90 ID:VWc0p5xe0
やったぜ
ワイ「SFC…」学歴厨「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)
1 : 風吹けば名無し@無断転載[] 投稿日:2016/11/25(金) 07:44:09.76 ID:o8Sdanxca
学歴厨「」シュババババ(走り去って行く音)
ワイ「アベはもうダメだろ」政治豚「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)
1 : 風吹けば名無し@無断転載禁止[] 投稿日:2016/11/18(金) 14:37:22.10 ID:eAgkm3Yc0
ワイ「一塁専念でも打撃は全盛期の力ないし守備も並以下、来年引退かな*2」
やったぜ。
https://twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169
煽ってみたが、自分はミームという考え方や、いろんな柔軟な考え方で野田洋次郎へ反論したい。
優生思想という考え方では論破が結構不自然だと思う節々がある。
口に出していないだけで、遺伝的に優れた人の子供を残したいと考える人は多いのではなかろうか?
まったくもってないと言い切れますか?出生前診断でダウン症の子供が生まれると分かったら、なかなか生む決断を
するのは難しいところはあるのではなかろうか。
ヒットラーがユダヤ人を粛正したという発想は個人的にはヤバイやつが飛びついた安易な発想であるというより、
ともすれば湧き上がってしまうタイプの人間的な発想なんだと思う。歴史的文脈で起こった現象は
それなりに背景を慮って学ばないといけない。そんなに「簡単に割り切れない」問題だというところが議論の出発点だと思う。
イチローとかはさんざんこの手の話題を「本人にも聞こえる範疇」でも言われているだろうし、福島元アナのプレッシャー
ミームとか文化的遺伝子とかは実際あって、最近ピッチャーが150kmをバンバン出すようになったように前例をみて、
フォームを改善し、進化をしていく。これもまた遺伝という考えが持てる。イチローが残したものはすでにいろんな情報とな
って今後の野球界にとどまらないスポーツ界に貢献していくと思う。
人間は物理的に遺伝子でばらまけなくても、実は遺伝的拡散をしていたりする。藤井聡太もAI時代が到来したから
こそ出たモンスターだろう。AIはそれこそ、トランジスタから始まったコンピュータという文化的ミームの道の上にあるものであって、
藤井聡太という遺伝子が50年前に誕生しても現在のようにはなれなかっただろう。
世界で最もファンの多いスポーツであるサッカー界でも身体能力に優れたアフリカの時代が来ると言われてなかなか来ないのは、
これまた歴史や習慣といったものが肉体的な遺伝子よりも必要なものであるということを示していたりする。
そこまで人間は物理的遺伝子に実は支配されていないという考え方を提唱したいのである。そういう考え方を複合的に
しないと、なかなかこの問題には立ち向かえないと思っている
eスポーツって呼ばれてるの本人達ですら疑問だけど、それでもそう呼ばなきゃなにかしらの認可が降りないんじゃねえのかしら、知らんけど
でもってスポーツマンシップとかいう便利な言葉を使わせてもらわないともっと罵倒塗れになるし最悪リアルファイトに繋がるからスポーツ呼びしていろんな人間が関わってるから冷静にやらなきゃいけないものとして認識させてるんじゃないかしら
じゃないとなんでもありおじさんが出てきて「どうせスポーツでもねえんだし試合終わった後にボコボコにして俺に歯向かえないようにしてやる」みたいなこと言い出してもそれが本人達のゲームの範疇なら外野がどうこういう問題じゃないしな。
逆にスポーツという認識だからちゃんとした後遺症の無いルール作りをしようかってことにもなる。
ゲームという認識だと、ルール作りにその場のノリみたいなものが重なってしまって、勝っても負けても笑えりゃいいやみたいな結果になってしまう。
そんで、増田の危惧するような「こんな癖がある選手が有利になるようなゲーム作って」なんてのはそんなもんその選手だけにある癖でもないだろうし、なんだったらその癖を持ったゲームをしたこともない人間がそのゲームに触って全世界一位の座をほしいままにしてしまうかもしれない。
そして、そのゲームが好きならそこで折れないのがゲーマーだからその癖がある人間の更なる癖を見抜いて逆転で一位を取るかもしれない。
そんなもんイチローでもダルビッシュでもハンカチ王子でも選手一人一人が優秀だからってチームが勝てないのが野球だし
減量しなきゃいけないのに減量してこないで、敢えて重量をつけて戦って勝って相手の選手生命を断つようなボクシング選手もいるだろう。
公正ってのはその後の判断だ
eスポーツだって試合外でチートを使って除名されるプロ選手もいれば、大会中にチートを使ったことがバレる奴もいる。
陸上なんてドーピングをして追放され、国ごとオリンピックに参加できない国もある。
物理法則がと言っても魔術のような投球、アイススケートの四回転、こんなもんを素人が理解して出来もしないし、プロですら至難の技で。
ゲームのイカれた物理法則で戦い合うのはお互い様だ。FPSの壁抜きなんて意味がわからねえ、それでもお互いが使える技だからそれを使って戸惑う相手を秒殺する。
再現性のあるバグを使うのも、それも技だし、ボクシングでも使ってはいけない技がある。
その様子を見て、観客達は笑い、怒り、泣き、そして歓喜する。
一緒だよ、それじゃあ。
eスポーツはズルしか出来ない、んじゃなくて、スポーツ自体がズルができるもんなんだよ。
スポーツは物理法則があるから公正で平等、じゃなくてゲームというプログラマーとエンジンが決めた法則の中で使える技を全て使うから公正で平等、なんだよ。
地球だってスポーツ中にマグマが噴火したらスポーツ中止、隕石が当たっても試合継続、っていうルール付が無ければ永遠に試合は続くし、消化不良も発生する。
一緒なのよ、やってることは。
例えゲームのアカウントがマイナンバー付きの登録制になって、血筋でゲームキャラの強さが決まってしまうとしても、それで権利団体を呼び出して試合中に公正なシステムにさせるなんて裏技を使わないわけもない。
ただ想像力を超えてくるのが競技だったり物事なんだから、自分なりの公正で人をぶん殴ってたら同じような人間に増田が矯正させられちゃうよ?
山中先生の専門は再生医学だから、感染症と公衆衛生の舞台である新型コロナ対策に上がってくるのはおかしいと思う。どれくらいおかしいかというと、イチローがサッカーの指導をするくらいおかしい。しかし、多くの人々はイチローがサッカーの指導をするのがおかしいことは理解できても、山中先生が新型コロナ対策に出しゃばってくるのがおかしいことは理解できないのだ。
これは、多くの人にとって医学がスポーツに比べて身近でないこと、医学をひとまとまりで認識していること、権威主義などの要素が関係している。
医学はスポーツに比べて身近ではない。スポーツ、特に野球やサッカー、相撲といった国民的なニュースは毎日報道されるし、テレビでも毎日放送される。しかし、医学のニュースは大きな発見がされたときしか報道されない。このことによって、野球とサッカーの違いは分かっても、再生医学と感染症学の違いがわからない市民が出来上がる。
多くの人は再生医学と感染症・公衆衛生の違いがわからず、一塊で「医学」と認識しているのだ。だから山中先生が何かを言えば権威主義的にそれに従ってしまう。
しかしこれは当然のことであり、仕方のないことでもある。例えば、私は建築学や文学やITの中にどんな学問があるのか知らないから、その分野の知識が必要になったらとりあえず有名な人に意見してもらおうと考えるだろう。実家から古文書が出てきたときに、古文の大学教授がいてくれたらなんと頼もしいことか。その古文書が例え漢文で書かれていたとしても。
だから医学の場合は、とりあえずノーベル賞で有名な山中先生に意見をもらおうというのは、当然であると言えなくもない。
このことは一般の方々にも言える。医学だけで細かい発見をいちいちニュースにしていたらいくら時間があっても足りないし、医学だけ特別扱いするわけにもいかないし、そもそも市民は医学の細々とした発見に興味がない。だから、市民が医学についての詳しい知識を持ち合わせていないのは当然のことなのだ。
問題点は、メディアなどが過剰に持ち上げることにある。ノーベル賞を受賞したといっても、山中先生は感染症学の専門家ではない。さらに臨床での新興感染症対策の経験もない。感染症対策については本質的には素人で、新興感染症について適切なアドバイスはできないということは本来なら理解できるはずだ。
だから感染症を専門とする先生を専門家として呼ぶのが正しいはずだ。しかしノーベル賞という看板に惹かれたか、そもそも感染症の素人であることがわからないのか、山中先生を新型コロナの専門家という立場に据える番組などが後を絶たない。終いには山中先生自身が「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というサイトを立ち上げ、専門家会議(分科会になったんだっけ?)のメンバーとして祭り上げられてしまう始末である。
確かにノーベル医学賞を受賞し、有名なインフルエンサーである山中教授が新型コロナウイルスについての情報を拡散するのは理にかなっているのかもしれない。しかし短期的に見れば有効でも、長期的に見ると民衆を馬鹿にしている(ダブルミーニング)ように思えてならない。
SNSで見た主張として、「山中先生は新型コロナが出てからそれについて一生懸命勉強した。だから新型コロナ対策の知識は十分にある」というものがある。これに対して反論したい。
確かに山中先生は新型コロナについて、それが発生してから懸命に勉強したかもしれない。しかし、高々数ヶ月の話だ。日本は何年何十年と懸命に感染症について研究してきた専門家をたくさん抱えている。高々数ヶ月の勉強とは、文字通り桁違いの経験を積んできた先生方である。新型コロナに限らず、感染症対策に関する知識も、経験も、その言葉の重みも桁違いである。だから、「数ヶ月勉強したから知識は十分だ」という主張は、その分野で飯を食ってきた本物の専門家に対する侮辱にも等しいのではないかと思う。本来はそういった本物の専門家をお招きしてアドバイスをいただくのが正しい筋であるはずなのだ。だが、本物の専門家は往往にしてなかなか表舞台に出てこない。メディアが学問や専門性が高い分野を扱うときは特にそうだ。専門家は忙しいのか、恥ずかしがり屋なのか、報酬が割に合わないのか、はたまたメディアがそういった専門家を知らないのか・・・
ここまで散々ノーベル賞に乗っかる諸々をディスってきたが、私は権威主義を否定しているのではない。むしろ迎合するくらいである。
最近は「誰が」主張したかよりも「何を」主張したかについて主眼が置かれる風潮がある。確かに主張の内容は重要であるし、自身の専門分野や興味のある分野については、主張が正しいかどうかを精査するのは極めて重要である。
しかし一方で、我々のような一般大衆にとっては精査は仕事ではないのだと思う。自分の知らない分野に対してその主張が正しいかどうかを判断するのは難しいし、それに誰の主張についても考えていたらいくら時間があっても足りない。さらに、自分でどれが正しいかを考えると、自分の考えのバイアスがかかる。しかもそのバイアスがド素人のバイアスなので余計にたちが悪い。だから、自分が知らない分野については「何を」主張するのか考えるのはやめて、「誰が」主張するのかを考えた方が、幾ばくか合理的であるかもしれない。
そして私が最も強調したいのが、「その権威が正しい権威なのか」を考えることである。
権威が正しいのかを考えるのは、主張の内容が正しいのかを確かめるよりも簡単だと思う。例えば、建築の専門家が建築の指示をするのは正しいが、コップ製造の指示をするのは正しくないだろう。全ての主張についてこれと同様に考えれば、自ずとどの言い分が「正しい」のかわかる。
もちろん、この方法では間違えるかもしれない。例えばニュートンは「光は粒子である」と主張した。しかし実際は「波と粒子両方の性質を併せ持つ」ことは高校物理でも学ぶ常識であるし、高校物理をとっていなくても知っている方が多いと思う。しかしそれは現代の視点から見た話であり、1600年台後半の民衆にとっては光は粒子であることは「正し」かったのである。
科学は日々進歩するものであり、現代の「正しい」が後世にわたって永遠に「正しい」というものはない。そして、その分野特有の思考を持ち合わせない素人が、どれが正しいかを判断するのは難しいものがある。ニュートンでさえ間違えたのだから、その分野の知識がなく、興味もない素人ではなおさらだ。そんな中でひとまずの妥協点を見つけるのが科学者や専門家の仕事でもある。その仕事に乗っかるのもアリだろう。
自分の興味のない分野、わからない分野については専門家の言っていることに従う。しかし、その専門家は本当に「その分野の専門家」なのか、といったことをちょっと考えてみるのも重要だと思う。
オリックスでは主にセンターを守って同時期所属のイチロー(主にライト)と鉄壁の外野陣を築き上げた後、イチローより2年遅れてFAでメジャーに行き、守備や走塁で高い評価を得た。
その彼はプロ野球入団前、阪神のお膝元の関西学院大学にいたにも関わらず、ドラフト会議を前に「阪神に行きたくない10ヶ条」を発表したのだがその10カ条の1つに以下のようなものがある。
【7.阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない。】
阪神ファンとして、この阪神ファン像がそこまで間違っているとは思わない。特に、田口がドラフトにかけられた1990年頃はそうだっただろう。
サンチャゴ・ベルナベウというと現在はレアル・マドリードの本拠地スタジアムの方を思い浮かべるかもしれないが、このスタジアムは元々はチャマルティンという名前で(ちなみにマドリードのチャマルティン地区にあった)、
レアル・マドリードの黄金期を築いたサンチャゴ・ベルナベウ会長に因んで後に改名された。それはともかくとして。
そのサンチャゴ・ベルナベウ会長はサッカーをテレビで放映することについて「50年後もフットボールはプレーされているだろう。皆がテレビの前にいて、誰も観客のいないスタジアムで」と述べた。
この発言は半分だけ正解だった。現在でも(懲罰やコロナの影響で無観客試合になっていなければ)、レアル・マドリードのホームゲームにはたくさん観客が入っている。
ただし一方で、レアル・マドリードの入場料収入は1億4480万ユーロ(2018-19シーズン)なのに対し放映権料収入は2億5790万ユーロと倍ちかい差になっている。
レアル・マドリードに限らず欧州のサッカークラブはどこでも同様の状況であり、「TV放映権料に支配される欧州サッカー」と言われる状況になっている。
「体験型消費」という概念がある。ファンがミュージシャンのライブに行ったりスポーツをスタジアムへ見に行ったりするのは、音楽を聞いたりスポーツを見たりすることそのものではなく、
『皆で応援したという体験』『皆でトラブルを見たという体験』のためにお金を使っているのだという考え方だ。
実際、テレビによって「音楽を聞く」「スポーツを見る」こと自体は容易になり、インターネットはさらにその敷居を下げた。
それでも熱心なファンがミュージシャンのライブに行き、スポーツをスタジアムに見に行く理由としてこの「体験型消費」というのは有力な考え方になる。
だがその理屈で言うならば、「試合を見ること以上に、『阪神の選手がダメなプレーをして皆でヤジを飛ばした』体験のために阪神ファンが試合を見に来ている」というのは
むしろテレビ時代・インターネット時代のスタジアムのあり方として正しかったのだろうか? そこは田口にもサンチャゴ・ベルナベウにも増田にもわからない。
……と書こうと思ってたのがしばらくコロナで吹っ飛んでいた。ようやく書ける状況になってきた。