オリックスでは主にセンターを守って同時期所属のイチロー(主にライト)と鉄壁の外野陣を築き上げた後、イチローより2年遅れてFAでメジャーに行き、守備や走塁で高い評価を得た。
その彼はプロ野球入団前、阪神のお膝元の関西学院大学にいたにも関わらず、ドラフト会議を前に「阪神に行きたくない10ヶ条」を発表したのだがその10カ条の1つに以下のようなものがある。
【7.阪神ファンのマナーが悪すぎる。甲子園球場で野球観戦をしたことは何度もあるが、野球を見に来ているというよりも、騒ぎたいだけのバカの集まりのようにしか見えない。】
阪神ファンとして、この阪神ファン像がそこまで間違っているとは思わない。特に、田口がドラフトにかけられた1990年頃はそうだっただろう。
サンチャゴ・ベルナベウというと現在はレアル・マドリードの本拠地スタジアムの方を思い浮かべるかもしれないが、このスタジアムは元々はチャマルティンという名前で(ちなみにマドリードのチャマルティン地区にあった)、
レアル・マドリードの黄金期を築いたサンチャゴ・ベルナベウ会長に因んで後に改名された。それはともかくとして。
そのサンチャゴ・ベルナベウ会長はサッカーをテレビで放映することについて「50年後もフットボールはプレーされているだろう。皆がテレビの前にいて、誰も観客のいないスタジアムで」と述べた。
この発言は半分だけ正解だった。現在でも(懲罰やコロナの影響で無観客試合になっていなければ)、レアル・マドリードのホームゲームにはたくさん観客が入っている。
ただし一方で、レアル・マドリードの入場料収入は1億4480万ユーロ(2018-19シーズン)なのに対し放映権料収入は2億5790万ユーロと倍ちかい差になっている。
レアル・マドリードに限らず欧州のサッカークラブはどこでも同様の状況であり、「TV放映権料に支配される欧州サッカー」と言われる状況になっている。
「体験型消費」という概念がある。ファンがミュージシャンのライブに行ったりスポーツをスタジアムへ見に行ったりするのは、音楽を聞いたりスポーツを見たりすることそのものではなく、
『皆で応援したという体験』『皆でトラブルを見たという体験』のためにお金を使っているのだという考え方だ。
実際、テレビによって「音楽を聞く」「スポーツを見る」こと自体は容易になり、インターネットはさらにその敷居を下げた。
それでも熱心なファンがミュージシャンのライブに行き、スポーツをスタジアムに見に行く理由としてこの「体験型消費」というのは有力な考え方になる。
だがその理屈で言うならば、「試合を見ること以上に、『阪神の選手がダメなプレーをして皆でヤジを飛ばした』体験のために阪神ファンが試合を見に来ている」というのは
むしろテレビ時代・インターネット時代のスタジアムのあり方として正しかったのだろうか? そこは田口にもサンチャゴ・ベルナベウにも増田にもわからない。
……と書こうと思ってたのがしばらくコロナで吹っ飛んでいた。ようやく書ける状況になってきた。