はてなキーワード: アラサーとは
世の中には妙な性癖を持っている人というのがいる。どれくらいの割合かは分からないけど、いわゆる変態と呼ばれる人はとにかく少なくない数、存在する。
自分が男の異性愛者なため、そこ視点での話になってしまうが、女性の特定の部位や、衣装、シチュエーションなどに異様にこだわったり、あるいは特定の年代の女性に傾倒したり、二次元の女性じゃないと興奮しないだとか。
かくいう俺はというと…とにかくもう、至ってノーマルなのである。
普通に三次元の、同年代(アラサー)から、まあ20代くらいの女性が好きで、一番好きな体位は正常位だ。
女の子が痛そうにしているのは嫌なのでSではないし、自分が痛いのも嫌なのでMでもないのだろう。
あえてこう表現するならば、変態的にノーマルなのが、俺という人間だと言ってもいい。
そんな俺だけど、その昔、性に目覚め始めたころ…具体的には中学生の三年間ほどだったろうか。
あの頃、俺は変態だった。
自分自身が未熟な年齢ではあったが、膨らんでない胸、陰毛のないマ○コに対し強烈な憧れを抱いており、要するにロリコンだった。
毎日毎日、好きな女の子をむりやり犯す想像をして、自慰行為に耽っていた。
若さゆえの性欲の強さがそうさせたのか、また、その性欲の発散方法の「知識・経験」が乏しすぎて、歪んだ形で現れたのか…
そんな俺だったが、歳を取るにつれて、本当に偶然、たまたま、運が良く、現実の女性と普通に付き合ったり、普通にセックスしたりして、普通に色々と経験しながら、気がつくと、あの頃の俺はなんだったのか?
どこにでもいる、至って普通の性的嗜好をもった男になっていた。
…
社会生活に支障をきたさない限り、変態であること自体は罪ではない。変態が高じて社会に適合できなくなったとき、そいつ個人が病気と判断されたり、犯罪者となってしまうというだけの話だ。
ただ、なんというか、近ごろは、変態が変態でいることが許されすぎているような気がする。
インターネットの普及で匿名での交流が一般化していることと、関連しているのかは分からないけれども。
本人が苦しんでいるのならともかく、幸せなら別にいいのかもしれない。
でも、一人の男の体験談として、「普通」を知ることによって、変態が解消されるということもあると、匿名でもいいから書いておきたかったのだ。
このゴールデンウィーク、家族も友達も、当然恋人もいないぼっちとして予定ひとつなくぼんやりと過ごしていた。
その孤独の中で小さな光明としてあったのがAbemaTVによる怒涛のクレしん映画連続放送である。新作映画のプロモーションとして一日一本過去作を放映していたそれを何の気なしに見始めた。どうせやることもないし、程良く笑えて程良く感動するものだろうと思った。完全にナメてた。
子供の頃に軽いトラウマになっていたブリブリ王国の秘宝やヘンダーランドなんかは今見ても充分怖さがあった(クレしん映画は全体的にホラーのシーンが結構怖い)塩沢兼人さんの演じるぶりぶりざえもんも久しぶりに聞いたが、どこか耳の奥に染み着いていたんだと思う。すごく懐かしく感じた。
知っている話は何となく思い出しながら、知らない話はわくわくしながら見ることができた。
その中で、野原みさえという女性のかわいさに気付いてしまったわけだ。
今更プロフィールなど要らないだろうが知っている範囲で少し書いておこう。多少間違っているかもしれないが。
野原みさえ 旧姓小山みさえ 現在29歳の専業主婦であり、夫 野原ひろし(35)(双葉商事係長)、長男 野原しんのすけ(5)(幼稚園児)、長女 野原ひまわり(0)(乳児)と同居している。両親ともに健在であり、姉と妹を持つ次女である。
長男からは「みさえ」「三段腹」「おべんぴ」「妖怪ケツデカおばば」などと呼ばれているが、しんのすけの級友の母親と比べても決して遜色はない。
そもそも作品の舞台が平成初期なので今とは世相が全く違うわけだが。
(余談として、連載当時から年をとっていたらみさえはそろそろ還暦が見えてくる歳になる。また、現在のみさえの年齢から子供の頃見ていたアニメなんかを計算すると、あと数年もすればプリキュアを見ていた世代になるので恐ろしい)
ある時はひとりの母として、ある時は夢見る少女として。
ユメミーワールドはそのどちらも充分堪能できた。ピュアハート!と叫びながらひろしとともに下の毛をすべて剃り上げたうえで幼児のコスプレをし、息子たちのために敵の前に立ちふさがる。これだけいうと相当とち狂っているかもしれないが、子供の心を忘れず、息子たち(子供)のために頑張る姿は親のそれでもある。
また、ユメミーワールドではひとりの母としても印象的なシーンがあり、子への愛情というものを垣間見ることができる。
同じく母親としての印象深さでいえば野生王国なんかも母性全開で大変よかった。なぜ自分はみさえから生まれてこなかったのか。なぜ自分の親がみさえじゃないのか相当悩むくらいには、ひとりの母親として美しい姿を見せてもらえた。
よくいわれるところの名作、大人帝国の逆襲なんかもなかなかに捨てがたい。子供時代を思いだし、かわいい(痛々しい)魔法少女のコスプレを見せたかと思えば母としての強さも垣間見れる。
かわいいコスプレでいえば三分ポッキリ大進撃はかなりよかった。みさえがかわいいという感想しかない。毎回様々な原型のなくなるほどのコスチュームに身を包み、世界を丸ごと救ってしまうそのイマジネーション力たるや。家族内でも一番想像力があるのではないだろうか。変身ヒロインに憧れるひとりの少女としてのみさえが前面に押し出されている。
もちろんこの話でも最終的に母親としての強さや愛を感じられるシーンがある辺りがたまらない。
ならはしさんの演技もまさに実家のような安心感のある声で、これは初期からほとんど変わらない(しんのすけがだいぶ変わっているので面食らったというのもある)
二児の母としての強さ、そして年齢を重ねても色褪せない夢見る少女としてのかわいさ。その両方をあまりにも絶妙なバランスで兼ね備えている。
もちろん映画なので相当美化されている部分もあるだろうが、それでも大人であり子供である、そのかわいさにどうしようもなく惹かれた。
野原みさえは、まちがいなくかわいい。
アニメが始まった頃、しんのすけとほぼ変わらない歳だった自分もついにみさえと同い年になった。家族も友達も恋人も予定もなく、ただただゴールデンウィークにぼっちでクレしん映画を見ていたアラサー女はもはや妖怪にも等しいと思う。
卵子の老化とか知らなかった、教えてもらわなかったとか、
まさか自分が不妊治療することになるとは思わなかったとか言う人って、
浅はかだなーと思うのは私だけ?
子どもいない、できなかった人の話とか昔話からドラマから近所にでもちらほらあるでしょうに。
なんで自分は違うと思うんだか。
生理痛、生理不順をほったらかしてたり、アラサーとかになっても婦人科ほぼ行ったこともないとかいう人もいるのもびっくりする。
それがむしろ貞操な感じで言ってたりする人もいるけど、いやとりあえず定期検診的な感じと頸がん検診くらい受けに行こうよと。
それで「まさかこんなに妊娠しないとは思わなかった」とか言い出しても、ばかじゃないのと思うだけ。
そもそも卵子の老化とか、具体的にそういう言葉と知識として知らなくても、20歳と40歳の肌が一緒だと誰が思う?
肌はこんだけ老化を気にしてあれこれするのに、婦人科系だけどうして老化しないと思う?
※精子に関しても同じことが言えるけどね
極端に太ってて妊娠する人もいるけど、極端に太ってて「妊娠しない!」って騒いでる人もばかだなと思う。
まずは痩せたらいいのに。
妊娠できても妊娠糖尿病とか高血圧とか出産とか大変になるだけなのに。
高齢(40くらい)で結婚して、ダメ元で不妊治療チャレンジしてみたいってのはいいと思う。
成功する人はするし。
すぐすると思ってたのに!まさか!
みたいなのって意味わかんない。
昔はぽんぽん高齢の人も産んでたとか言うけど、それ初産じゃないから。
別に絶対若いうちに産まなきゃとは思わないし、高齢で産むなとは思わない。
でも、高齢で妊娠しづらくて「まさか!なんで!?聞いてない!」みたいなのが意味わかんない。
それはすごくいいことだと思う。
恋人は何人かいたことがあるが、性の良さを感じることがいまだに出来ていない。初めて性行為をしたのは18歳の時で、今や20代後半になったが、ずっと変わらない。
少なくともそこに、気持ちいい、繰り返し行いたいというのは一切ない。自慰行為を試してみても恋人との性行為をしてみても、あー触られてんな―という感覚や、くすぐったい、異物感以上のものを感じない。会うたびに体を求められるのが億劫で、嫌がっていたりはぐらかしていたりするうちに関係が悪くなってしまい、別れてしまうというパターンは、何度も繰り返した。
今となっては嫌な点は薄まってはいるけど、良い点が見いだせないので、自分から性について積極的になる動機はない。はじめのうちは胸や性器を見られる・触られることに嫌悪感があったが、回数を重ねていくうちにこれは薄れた。応じると彼氏が喜んでくれて嬉しい、恋人同士ならば普通はするのだからそれができないのは申し訳ない、などの思いはあるが、自分自身が精神的・肉体的な良さを感じたことは一度もない。
もし明日から一生性行為ができませんとなったとしても、子供はいつかほしいという思いがある点を除けば、自分の気持ち的には何も困らない。カテゴリー的には校長先生の長話のような感覚で、どうやら謎の理由で必要とされている行為のようだが、私としては興味関心が見いだせないし、退屈だし、できれば私を巻き込まずに可及的速やかにことを済まして欲しい。
そしてこれらが、女性の性に対する一般的な感覚なのだと思っていた。AV女優という言葉についている「女優」は、性行為で快感を得ている女性という男性向けの実在しないファンタジーを演じているからこその「女優」なのだと解釈していた。エロ漫画とかもそうで、とにかく誇張されているのだと思っていた。だが、どうやら違うらしい。
性行為に良さを感じている女性というのは、どうも実在するようだ。思い出してみればたしかにHして気持ちよかったという話は知人友人から何度も聞いていたし、雑誌なんかでも見ていたが、自分の体感からするとあまりにも理解が及ばないために情報として脳に定着していなかったのだと思う。
さらに聞くところによると、にわかには信じがたいが男性より女性の方が性行為の快感は大きいらしい。意味がわからない。いよいよ本格的に不思議になってきたので少し調べてみたが、二つの可能性に思い当たっている。
一つ目は、自分がノンセクシャルまたはAセクシャルの人間であるということだ。他人に対して恋愛感情はあるが性的欲求は抱かないのが前者で、どちらも抱かないのが後者だそうだ。恋愛感情があるのかと言われたら、実際のところこれについてもよくわかっていないので、どちらかとは言えない。
二つ目は、単純にやり込みが足りないのではないかということだ。その情報は、https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000035/ 性転換から知る保健体育 ~元男が男女の違いについて語る件~ という漫画にあった。
これは男性から女性に性転換した著者によるエッセイで、男性と女性両方の身体を体験したからこその視点がかなり興味深い。その8話では「では前置きはこれぐらいにして… 男と女のオーガズムどっちが気持ちいいかって…?そんなの圧倒的に女性の方が気持ちいいよ!!あれはダメだマジでヤバイ!!」と語られている。マジでヤバイことに、圧倒的に女性の方が気持ちいいらしい。しかも著者が著者だけに説得力がある。そしたら私は一体どういうことなんだということになるが、これについても納得のいく記述があった。
「(略)ドライオーガズムっていう前立腺を刺激する方法なんだけど 誰でも簡単にできるもんじゃないんだよねー 慣れが必要というか 神経の開発が必要なんですよ でもそれって女性も同じなんですよね 最初から誰でも膣で快感を得られる訳じゃないんだって思い知りました(女性の皆様すみませんでしたーー!!)」
とある。性行為で快感を得るためには、神経の開発が必要らしい。具体的にどのような訓練を積めば神経が開発されるのかまでは詳述されていなかったが、たぶんこういうことなのだろう。私は訓練をして神経を開発していないから快感を得られない、練習すればおそらく快感を得られる、快感が得られるのであれば自然と性行為に対するモチベーションも生まれる。
以上二つの可能性に思い当たっているが、特に何かが変わったわけではない。生活のなかに性を組み込みたいとはどうしても思えず、ことさらに自慰行為をしてみたわけでもないので当然だ。少なくとも以前よりは性に対する関心が増したというのはあるが、だからと言って、アプリやSNSで募集すれば、性の喜びを教えてくれる人が現れるものなのだろうか。ただやりたいだけの人と的確に神経を開発してくれる人とを見分ける手段もわからない。性の喜びを知れたらいいなとは思うようにはなったが、これは五千兆円欲しいなというのと同じぐらいの願いでしかない。実現に向けて具体的な道筋と行動を打ち出そうという気にはなっていない。結婚や出産を考えると、性をなるべく忌避していくよりは、前向きに対峙できた方が良いというのはもちろんわかっている。でもやっぱり、やろうと思う気にはなれない。私は、性の良さを感じられないアラサーのままだ。
久しぶりに恋人ができた。
およそ七年ぶりのことで、私にとっては「大」を幾つ連ねても足りないほどの大事件だった。
なぜなら、恋人がいなかった約七年間の間、恋愛関係に発展しそうな付き合いは一切なく、誰かとデートはおろか二人で食事をするシチュエーションすらなかったのだから。
もちろん酒の勢いやワンナイトの類いもなかった。
男女交際一式は過去に経験しているけれど、石橋を叩きすぎて割ってしまうほど慎重かつ臆病なので、恋人になりそうもない相手とスキンシップやセックスを楽しめるほどの勇気や経験値は自分にはなかった。
セックスアンドザシティで「一年間セックスしないと女は再処女化する」というようなセリフがあったけれど(ニュアンス)、七年間とかマジでどうなるんだよ怖えーよと一人頭を抱えたりしていた。
たまに「いいな」と思う人がいても、結婚していたから「いいな」で終わりだった。
好意を向けてくれる人がまれに現れても、どうしてもタイプじゃないか、やはり既婚者だった。
その間、合コンとか街コンとか相席居酒屋とか、出会いに繋がりそうな場所に行ったこともない。
そんなこんなで約七年。
それでも、人に恋人の有無を聞かれ、長年いないことを話すと十回に十回驚かれた。
まあ、お世辞というか、お決まりのリアクションなのかもしれないけれど。
顔面は、石原さとみのようなハイパー美人にはほど遠いが別に悪くはない。
きちんと化粧をして何ら差し支えのない洋服たちでJJに載っていそうな系統のおしゃれをする。
ムダ毛は手入れするし、伸ばした栗色の髪の毛のケアにも勤しむ。
前髪も後れ毛も巻く。
社会経験も人並みに積み、良い会社に落ち着いて、世間知らずでもない。
初めましての人と対面しても、しっかりコミュニケーションが取れる。
だから「彼氏いないです」に対して、返ってくるのは「なんで?いそうなのに」だった。(社交辞令かもしr
と、思ってました。思ってたし、実際にそうだった。
私はオタクだ。
推しは天使だから常にありがたすぎて課金するし、イベントなどがあれば北海道から九州まで飛ぶ。
ちなみに「オタクだから彼氏いない=オタク趣味が相手に受け入れられないからモテない」のではない。
オタクだから「オタクごとが楽しすぎて恋人いなくても全然寂しくない」のだ。
オタクというのはアニメ漫画ゲームアイドル同人などのサブカルチャー的な匂いを強く発する言葉だけれど、個人的には「恋人がいなくても何ら寂しくなくむしろ面倒な付き合いがないので自分の時間を圧倒的に優先できて充実したハッピーライフ送れてる」と感じるレベルの趣味やものごとは全部オタクごとだと思っている。
だからシングルで過ごしていた長い間、私が「彼氏ほしい!」と本気で思ったことはほぼなかった。
いなくていい、ほしくない、と思っている人間に恋人ができるほど恋愛は強制的なものではない。
できそう、できなさそう、モテそう、モテなさそう、以前の問題。
オタクでいると、頻繁に会う友達がほとんどオタクになる。(私の場合)
趣味を全力で全うするオタクって、まるで結婚しない。恋人がいる子も少ない。
結婚している全力のオタク友達もいるけれど、その場合子供がいないか、子供がもう大きい。
ある程度の財力と時間の余裕を手にいれたアラサーのオタク活動は、それはそれは楽しくて。
「まだいい」「もう少しこのまま楽しみたい」で、どんどん年をとる。
それは決して悪いことではないのだけれど。
で、私も、気付けば七年も色恋沙汰から遠ざかっていた。
人肌恋しい時は何度かあったけれど、寝て起きたら大体忘れているし、オタクごとで萌えるのに忙しくてすぐにそんな感情は溶けてなくなった。
そんな中、三十路が見えてきて、いつまでもこのままじゃいられないなぁなんて、ようやく焦りを覚えたのが昨年。
結婚願望はあったので、婚活中のオタク友達に相談して、出会いが見つかりそうな場所に、生まれて初めて自らの意思で赴いた。
そんなふうに行動してみたらあっさりと彼氏ができた。
でもって今は半年でふられてしばらく、といったところ。
ズタボロに引きずっている。
とりあえず彼氏がほしかったので、「好きになれそうだな」の段階からお付き合いしたけれど、付き合っている内に見事相手をとても好きになった。
長い間恋愛を休んでいても、良い相手に出会えさえすれば相手を「好き」だと思う感情が、まだ自分の中に残っていることにとにかく感動した。
相手との時間を作るためならライフワークだったオタクごとを後回しにしてもいいと思えた。
そのことに、私は人知れず、ものすごく、本当に、素晴らしく感動した。びっくりした。
所詮、私は恋愛体質で、aikoの歌に共感してトキめいた若かりし日々と大して変わってなかったなぁとか思って、嬉しかった。
だけど、せっかくそんなにも好きになれたのに続かなかった。(ちなみに私がオタクなのが原因ではない)
私が相手を思ってしまったほど、相手は私を思えなかったらしい。重かったんだろう。
推しのためなら諸々重課金する女だから、愛情があっさり系でない自覚は大いにある。
それにしても、オタクごとで生きている喜びを噛み締めてきた自分が、他の感情に大きく左右されて、ごはんが喉を通らないほど苦しむとは思わなかった。
「しようと思えばいつでもできるだろう」と恋愛をさぼった結果、自尊心を守りたいくせに恐ろしく自己肯定感が低い卑屈野郎になってしまっていて、今日日「結局私なんて誰にも愛されないよ〜〜〜うわ〜〜〜〜」と枕に顔を埋めるバカみたいな日々を送っている。自分が嫌すぎる。
長い恋愛ブランクのつけが、今になってボディーブローのように効いている。
付き合って入る最中はブランクなんて問題なくて、むしろ新鮮みがあって楽しかったのに。
経験値低すぎて、防具弱すぎて、失恋の一撃が重いったらありゃしない。
これから傷ついて立ち直ってを繰り返して強くなるのか…って、ため息がでる年齢。
一度でも、二度でも、ほんの少しでも、リハビリしておけばよかったな。
でも少し後悔している。
だから、オタクと呼び呼ばれるそこのあなたが、もし「将来結婚はしたい」「ゆくゆくは相手ほしい」と思うのなら、ちょこっとでも恋愛してほしいなぁと思った。
考えて付き合ってるの俺だけ?1000円以下にしたくて試行錯誤してると、結局擦れてないティーンに行きつく
けど、アラサーに入って食いつきが悪くなってきたから今後が心配だ
同じ悩み持ってるやつおる?
自分が気にしてるだけならそれで良いのだけど、相手が気にするのを一番自分は気にする。
いや、正直に言えばそれ以上に自分が傷つくのを恐れて出会いすら避けている。やってもいないのに駄目だと決めつけ行動しない要因になっている。
そんなこんなで独身アラサーまで来てしまった。いよいよちょっと怖くなってきた。うえっへへww
多分身の回りの人はそれ以外の駄目な理由を挙げてくるんだろうけど、第一印象でハンデがありすぎるからと決めつけ、身長以外の要因で駄目と言われるところにすらたどり着けてない。
生物的な淘汰として受け入れるしかないのか。それともまだ単に視野が狭いだけか。
ハンデは当然ある。それは受け入れるしかない。しかし、それで諦めるべきではないというのが落とし所だろうか。
鶏と卵のような問題で、承認してくれる女性さえいれば自信の一つにもなるのだろうが、女性はそのような自信のない男性を承認することはないだろう。
初老や高齢者だらけの勤務先主催の飲み会に参加してみたらこんな話ばかり飛び交っていた
・〇〇町の××さんが△△して□□した
・昔の〇〇町は××だった
・昔の俺の武勇伝
・持病自慢
・居ない人の陰口
・もちろん送迎は私
・嫁の愚痴
・孫の自慢
・毎回上記の内容以外の話はしないらしい(年上アラサー後輩談)
つまらない上に参加費5000円取られたから、もう行くまいと決めた
何回か誘われた時は用事があると断っていた。
もう誘われたくなかったので嫌われ覚悟で「飲み会つまらないので家でお絵描きしている方がいいので行きません」と言ったら
嫌な顔ではなく奇特な目で見られた
お家でお勉強楽しいの?飲み会は参加が当たり前だよ?とか言われまくった
行きませんで押し通したら諦めてくれた
その回は私の悪口で大盛況だったらしい
なお飲み会の誘いが止むことはなかった
毎回誘われる度に嫌われ覚悟で断った
元先輩だった部下のパートさん達は相変わらず飲み会では私の陰口で盛り上がるらしい
Cintiq Pro 24買ったけどいい感じ
アラサーオタクだけど、幼稚園児の頃から遠足に行くのをわざわざ拒否して本のある部屋にこもる子供だったし、オタクだから友達ができなかったというのはあっても、友達ができなかったからオタクになったのではないと思っている。
ちなみに小学校でカースト上位の奴らはむしろ「どれだけ漫画を持ってるか」「どれだけゲームを持ってるか」がステータスだったし、人気者のひとりがお兄さんの受け売りで昔のガンダムの知識を披露してみんなで感心して聞いてたよ。