はてなキーワード: いのちの電話とは
シルバーシートだった。
途中駅から足が悪そうなおばさんが乗ってきて、私の前に立った…ら、横の女性が「次で降りますので」って席を立った。
おばさんは「ありがとうございます」って言ってそこに座った。
手元のタブレット見て、しばらくたったころ、横のおばさんの「あの、席替わりましょうか?」って声がした。
目を上げたら、私の前に妊婦さんがいた。
声かけられ、座りたくはあるんだけど、でも、この人だって足が…? みたいな戸惑った様子。
だから「私が立ちます、どうぞ」って言って席を立ち、その場を離れた。
ラッシュのピークは過ぎていたから、その後降車駅までずーっと押しつぶされて…密で…みたいなことはなかったんだけど。
ふっと悲しくなった。
2週間前から同僚が「精神状態を整えるため」の休暇を取っており、これまで3人で回していた仕事を2人で回さなきゃならなくなった。
おり悪く週末に参加しているサークルの雰囲気が悪くなりはじめ、それに伴い任されてる役割が重すぎて、参加することが精神的体力的に苦痛。
という2つの主な理由(他にもいろいろあるけど、すべてこの2つに帰属する)により、毎日、とっても重い気持ちで過ごしている。
夜寝る前に「このまま目が覚めなければいいのに」と思い、毎晩、わけのわからない夢を見て、目覚めて、続く今日を思ってガッカリする。
「死にたい」「逃げたい」「疲れた」…をスマホで検索していのちの電話やカウンセラーさんのブログを紹介されたり、自殺の方法やその結果について知ったりしてる。
でも、人前で笑えるし、おしゃべりもできるし、おなか空くからご飯はちゃんと食べてるし、桜見て綺麗だなって思ったりする。
辛さの行き場がない。
なので、ここに書き捨てる。
ありがとうございました。
生保は色々制限あるし、お住まいの自治体の自立相談窓口がまずは窓口になるんじゃないかな。生活困窮相談はそれなりに全国自治体にある。
いのちの電話とか、心の悩み相談系は正直繋がるのは相当運がいい奴。あれは争奪戦。
ガチャだけど、微妙にひっかかりそうな相談電話(コロナの心の悩み相談、男性/女性相談、ひきこもり(になりそう)相談とか)にかけてみる方法もある。ウチじゃないって言う人もいるだろけど相談員やりたい人は根が親切な人がそれなりにいるので、窓口の目的とズレていても対応してくれるパターンはある。話を聞いてくれた上に相談先も紹介してくれる。行政だと資格所有者の対応が期待できるから意外とチャレンジありかもやで。
不安やストレスになる情報は検索しない方がいいって話をよく見るじゃん。
不安から検索するとその不安を強化するような情報ばっか集めちゃうし、それでどんどん思考が先鋭化したりエコーチェンバーになったりするし、その不安を一手で解消する陰謀論に走ったりするし、単純に精神衛生に悪いし、みたいな。
それはもっともだと思うけど、不安な物事を検索しないで我慢するのってクソ難しくないか?
胸の中で心配がどんどんグルグル回って膨らんで耐えきれないんだけど。
映画とか漫画とかゲームとかしてても、あるいはそれらの創作をしても、心配事の方でソワソワして集中できない。
カウンセリングは金もかかるし時間の自由もきかない。いのちの電話は繋がらないしそもそも深夜帯はやってない。あとこっちの話を全然理解できないことがある、たとえば不安の内容が好きなタレントが炎上して辛いとか、自分の同人サークル内の揉め事がとかの場合は非オタの人間に言ってもふわっとした反応しか返ってこない。
わからんな。
当たり前だけども当事者になるのと報道されているのを見るのとは全然違った。
事件被害者になるということは、ただただマイナスのことしかなく、失うものがすごく多いということがよくわかった。
この情勢になって誰かに話しを直接聞いてもらえることもなかなか難しいので、余計辛い。
家族に話せばいいと思われるかもしれないが、ただでさえ心配かけているのに「死にたい」なんてとても言えない。
死にたいが死ぬわけにはいけないので、仕事はやらなくてはならない(というか稼がなければならない)。
こちらはただの被害者なのに会社に正直に話したら仕事を干されてしまった。
今後迷惑をかける可能性もあるだろうと思って正直に話をしたが、失敗だったかもしれない。
もし従業員が被害に会って、その報告を受け、その従業員を大切に思うのならどうしたいかきちんと話を聞いてあげて欲しい。
休ませたほうがいいだろう、仕事を減らしてあげたほうがいいだろうと勝手に判断して仕事を取り上げるようなことはしないほうが良いと思う。
もちろん会社にとって重要な仕事を任せていたら、難しい判断をしなければいけないこともあるとは思う。(本業とは別に個人事業もやってるので少しはわかる)
ただその場合は(嘘でも)「あなたのことが大事だから、そのような判断をした」ということが伝えわらないと、(なにかあってもこの会社は助けてくれないんだな)と思われてしまうと思う。
ある事件被害者は迷惑がかかるから退職を申し出たところ、「(事件に立ち向かうには)働いているということが重要だ」と強く引き止められたらしい。
会社はカウンセラーではないので、従業員のプライベートのケアまでする必要はないようにも思うが、被害者の心をより傷つけるようなことはしないで欲しい。
あと家族も被害者がどんな心理状態にあるのか考えて行動してあげて欲しい。
被害者は自己評価が地に落ちている(少なくとも私は)ので、ちょっとした言動で酷く傷ついてしまう。
薄氷の上にいるような状態なので、あとで後悔をするようなことがないように。
たぶん家族や会社が事件被害者にどのように接すればいいかは、インターネット上や本が出ている気がするのでまずはそれを読んでみるのがいいんじゃないかなと思います。
報道されるような事件の被害者になったひとは想像を絶する目にあっていると思う。
自分が被害にあった事件は大したものではないのにも関わらずこんなに死にたくなるのに、ちゃんと生きてて本当に尊敬する。
最初はただ事件にあったことに呆然としたというか恐怖しか感じていなかったが、小さなことだけれども二次被害にもあって、加害者への憎悪が湧いている。
こちらは死にたくなっているのにのうのうと生きてるなんて許せない。
吐き出せばちょっとは気持ちが薄れるかなと思いましたが、やっぱりまだ死にたいです。
いままで少しづつ積み上げてきたものが他者によって簡単に壊されてしまうなんて想像もしていませんでしたが、まずは「死なない」という選択を毎日し続けて、時間が解決することを願っています。
事件被害者でなくても、こんな情勢で死にたいと思っているひとはやっぱり増えていると思うので、死ぬ前に(繋がりにくいらしいけど)いのちの電話でも増田でも「死にたい」と吐き出して欲しいと思って書きました。
1 問題提起
やらないとやれないの違いはなんだろうか。
行動を起こさないことの原因が、自分の判断にあるのか、外的要因にあるのか、という基準で区別されるものかと思うが、その判断はどうやってすればいいんだろうか。
行動を起こせるようにするには、「やる気をだす」「責任感をもつ」以外に、どうしたらいいんだろうか。
自分でも自分の状況が、「やらない」のか「やれない」のか分からないが、ひとまず主観に従って、「やれない」を使用する。
2 これまでの状況
私の仕事は、そこそこ専門的な仕事で、会社が、法人または個人から依頼を受け、会社が私に案件を割り振って、私はその案件を進めていく。
その間、業種は同じだが、勤め先は何回か変わった。
そのときのきっかけは、業務量が多かったり、人に相談できずに身動きできなくなって、仕事がどんどんたまっていったのが原因だったと思う。
休職明けてからも、半年に一度会社にいけなくなって、その会社はやめた。
次の会社では、職場に一人のことが多くて、仕事をサボるようになって仕事がたまって辞めた。
今の会社(ここ2年)では、「なんかやりたくないな」と感じる仕事がやれなくなってしまい、今、正に退職するかどうかの瀬戸際である。
難しかったり、初めてやる仕事になかなか手をつけられないということは、今までもあったが、この「やりたくない」は、それこそ電話一本かけることだけだったり、来ていた電話に折り返すだけだったりする。
別に難しくないし、今やれば終わることは分かっている。
でも、なんか今すぐはやりたくないのである。
仕事はほかにもあるので、とりあえず別の仕事をやっているうちに、次の日になって、さらに時間が経っていく。
そうすると、段々、自分からアクションをとるのが気まずくなって、もっとやりたくなっていく。
こんなのは当然で、小学生でも分かるというか、小学生でもすでに学習している。
自分でも、後回しにするときに、「あとで大変なことになるんだろうな」とは思う。
でも、その予測による「やらなきゃいけない」に、「やりたくない」が勝ってしまうのである。
また、例えば、締め切りがある案件で、どうしても今この仕事をやる必要性があることは分かっていても、手につかないことがある。
そのときの気持ちは、もはや「死ぬほどやりたくない。この仕事をするくらいなら、死ぬ方がマシである。何故なら、死んだらやらなくていいから。」という域である。
この「やりたくない」になってしまうと、例えば終電の時間まで会社にいても、休日出勤してみても、結局やらないのである。
人に見られているという強制力のない休日出勤では、六時間ただただスマホをいじって終わった。
(月給制なので、余分な残業代等は貰っていない。)
そうなると、「人として、社会人として当然やらなきゃいけない。」とは、理性では分かっていても、体は動かないというか、できないのである。
むしろ、「やらなきゃいけない」と思えば思うほど、「やりたくない」気持ちが強くなる。
ここでいう「死ぬほど」は、やりたくない気持ちの量的な表現というか、その仕事をやらないための逃避の発想からくるものだと思っていたので、自分でも本気で自分に死ぬ気があるとは思っていなかった。
ちなみに、半年休職する前は、「死にたいなー。首吊り用の縄ほしいなー」とは漠然と思っていた。
今思えば、このときから、未処理の仕事のことを考えたときに、死にたいと思うようになり、実際「死にたい!」と口に出すようになっていた。
しかし、今すぐ自殺するほどを死にたさはなく、かつ、言霊的に、死にたいと口に出すことで本当に死んだらやだな、という気持ちもあった。
なので、復職してから同じ気持ちになったとき、つまり、単純に未処理の仕事を思い出して押し潰されそうになったときは、「死にたい!」「うそ、死にたくない!」と口に、独り言を言うようになった。
3 これまでの対応
また、途中から、そのクリニックに併設されているカウンセリングで、認知行動療法を受けていたが、イマイチ改善されなかった。
「やりたくない気持ち」とか「やる気」にも波があって、認知行動療法で考えた対処方法が、続かないのである。
これをなんとかしようと、続けられるやり方が見つけられないかと、色んなビジネス書、自己啓発本を読んでみた。
そのうちに、ADHDに後回し癖があることを知り、自分はADHDかも?と思うようになり、クリニックで診断を受けてみた。
(ADHDの可能性が高い)が、他者評価(母)の点数は低いとのことで、先生としても「なんとも言えないな…」とのことであった。
自分としては、当てはまるエピソードはそこそこあるとは思っているが、自分のいたらなさをADHDのせいにしたい気持ちもあったから、医者になんともいえないといわれたら、自分もなんともいえないのである。
今は、試験投薬してみようとのことで、お試しで毎日出されたADHD用の薬を飲んでいる。
ちなみに、IQ検査は、言語は高くて他はそこそこだったので、ギャップを感じるかもね、とのことだった。
検査受ける際の困り事の説明に、上記「死ぬほどやりたくない」について説明すると、「それは、仮にADHDだったとして、それだけでは説明できないから、他に原因があるかもしれないね」と言われる。
そこで、現在のカウンセリングでは、「死ぬほどやりたくない」を解決するため、精神分析療法を受けていた。
なお、このカウンセリングの際に、「死ぬほどやりたくない」気持ちになることは話していたが、日常的に、未処理案件を思い出しては「死にた~い!嘘です!」とやばい独り言をいっていることは話していなかった。
本気で死にたい訳ではないので、実際よりも症状が重いと思われると考え、また、なんとなく担当カウンセラーに心を完全に開けなかったこともあり、言えなかった。
こうやって、日常的な「死にたーい」気持ちを真面目に受け止めず、嘘ってことにして、流して生活していた。
実際、家族のことを考えると、死ねば家族を傷つけるな、それは嫌だな、と考えてブレーキもかかっていた。
4 直近の出来事
さて、1月15日、私が外出中に、とある案件について会社に連絡があり、私が滞留・放置していたことが上司に発覚した。
そうすると、私には、会社に向かって、その案件の処理・報告をする必要がある。
でも、その理由は、「なんかやりたくなくて」という、完全に主観的で、理由にならない理由である。
ちなみに、私がよく連絡の折り返しをサボることについては、何度も注意を受けており、「社会人として当然だから!ちゃんとやって!」という至極最もな指導を受けていた。
(私のやれなくなってしまうことについては、「それは病気ではなくて、やらないだけにしか思えない。やるしかないんだよ。」と言われていた。)
このように、何度も指導を受けていたにも関わらず、全く改善できていないことを説明する必要が生じた。
また、社会人として、自分が起こした問題について、上司に報告するのは、当然の義務である。
これによって、この日、職場に行くことが、高度の「やらなきゃいけないこと」になり、「死ぬほどやりたくないこと」になった。
そして、普段なら、家族のことを思い出せばかかるブレーキが、イマイチかからなかった。
そこで、私は、とりあえずビル5階の屋上駐車場にでてから、その窓口にかけてみた。
つながらない。
いのちの電話を含む、そういった窓口に片っ端からかけてみた。つながらない。
かけては繋がらない、またかけてみては繋がらない、このやりとりを二時間弱やった。
この、「死なないための行動」ができなくなったら、次はいよいよ自分が飛び降りてしまうと思って、それはまずいとは思っていたので、ひたすら電話をかける行動をやめられなかった。
そのうち、自分が住んでいる市役所にも、そういった窓口があることが分かったので、そっちにかけてみた。
やっと繋がった。
「あなたは、やらないんじゃなくて、やれないんですよ。なにか原因があるんですよ。そして、その原因を明らかにするために、精神分析療法を受けて、やれることをやっているじゃないですか。」と、私が望んでいた言葉をくれてありがとう。
でも、そのまま出勤はできなくて、とりあえず同じビルのマックに行き、スマホを充電することにした。
どうしよう、なんて言おう、そもそももう2時間連絡なく出社していない理由についてもなんて言おう、ぐるぐるしていた。
自分がいつまでたっても、社会人としてやらなきゃいけないことをやらないことを、なんでいくら言われてもやらないことを維持してしまうのか、自分でも分からなくて、なんて言ったらいいんだろう。
このときの気持ち、考えたことを、ノートにまとめてみたりした。
やがて、会社から家に連絡がいったようで、家族からも連絡が入る。
でもどうしよう。
身動きのとれなくなった私は、自分の業界の協会?にメンタルヘルスの相談窓口があったことを思い出して、そちらにかけてみた。
そこで、ひとまず無事なことを家族から会社に連絡し、その後、日曜にカウンセリングがあるから、そのときにカウンセラーと一緒に電話して状況とかを話すことにする。
そして、その日は、家族を通して会社に連絡して、家族と一緒に帰った。
カウンセリングルームに電話して、事務員さんを通して、次のカウンセリングで一緒に電話かけてもらうことの許可をとり、その旨会社に連絡する。
日曜、カウンセラーに金曜の出来事を説明したら、カウンセラーはこういった。
「それで、なんで私が説明しないといけないんですか?」
手の指が冷たくなっていった。
それから、
「これは、精神分析療法じゃないですよね…」
ともいった(精神分析療法は、毎週やらなきゃいけないが、その前の週は年末でルームが休み、前々週は、私が親戚に会いたくて休んだ。今日もやれねぇじゃねぇかよ、という意味だ。)。
上司のこれまでの対応から、やらなきゃいけないとわかっていてもやれないだといっても、信じて貰えないと思って、信じて貰えないことが怖いから助けて欲しかったといった。
私が話した。
上司は、
「それはやらないだけにしか思えない。責任感の問題じゃないか。実家暮らしで、そばに助けてくれる人がいるから、そうなるんじゃないか。一度、助けてくれる人がいない環境においた方がいいんじゃないか。」
「(私)さんはできると思うよ。やんないと成長しないよ。できるって信じてるよ」
「上司の方は、(私)さんを信じてるんですね。」といって、その日のカウンセラーは終わった。
今週は、ひとまずリモートワークをすることになった。
月、火曜はそこそこリモートワークができていたが、水曜日に生産性が落ちた。
木曜、もっと生産性が落ちて、予定が消化てまきなかった。その日の業務報告ができないまま、夜中になって、どうしようもなく、寝た。
今日、「昨日は報告できず、すみませんでした。今日はあまりやれなさそうです。○○はやります。」とのメールをなんとか送る。
そのご、不穏な長文メールが返ってくる。
(中略)
今に至る。
4 私のぐちゃぐちゃな心境
責任感とか人として当然、ってだけで、できてたら、こんなことになってないんだよ!
やりたくてもやれないの!!!
私のせいじゃない!
(逆ギレじゃね?
結局やらないことを、維持することを自分で選択してるんでしょ。
本当にマジでやんなきゃいけないやつ(損害賠償請求されそうなやつ)はやるじゃん。
やらない方が楽だから、やんないだけでしょ。
これ以上、この仕事を続けても、同じことを繰り返してまた迷惑をかける。
もう辞めたいし、辞めた方がいいと思う。
(また投げ出して逃げ出すの?
これじゃいつまで経っても成長しないダメ人間のままだよ。)
独り暮らししたら、また部屋にコバエがわくだけですけど。
独り暮らししたら、責任感が身に付くってのはないと思うし、余計に家族がブレーキにならなくて、今度は飛ぶかも。
飛ばんと分からんのか?
(信じて貰えないことの当て付けか?)
担当カウンセラー、私が飛ばなくてすんだって話をしたあとの感想が「今日も療法できないじゃん」なの?そっちのが大事なの?
信じて貰えないのが怖いって話して、実話信じて貰えなかったやりとりをきいて、「信用されてますね」ってどういうこと?
(今まで日常的に軽く死にたくなってたことを話してなかったのは、自分じゃん。
そういうしかないんじゃね?)
多分、逃げ癖ついちゃってるんだよねー。
すぐ現実逃避、逃げのためにスマホいじったりネットニュースみたりするじゃん。
意志が弱すぎる。
いい大人とは思えない。
(もう一台スマホをかった。そっちには、スケジューラーとライン、仕事用のアプリだけいれて、持ち歩く。ツイッターとかpixivとかゲームいれてるスマホは家においてく。家族に預ける。)
多分、「仕事をやらずにいたい、すませたい、やりたくない」っていう目的のためにこうなっているんだろうなと思う。
そこから、どうしたらいいんだ?
今まで、口から「死にたい!」ってだしても、自分で本気にしてなかった。
真に受けずに、その気持ちを直視しないで、その気持ちからも逃げてた。
でも、その都度、「その仕事をやるくらいなら死にたい」って逃げの気持ちはあって、ブレーキでどうにかなってただけだった。
この死にたい気持ち、逃げたい気持ちに向き合うことが、実は必要なのかな。。。
5 最後に
本当にただの日記になったが、自分の気持ちを整理できた。よかった。
昨日の15時頃に泣きながらヒルナミンを10錠くらい飲んで、気持ちが落ち着いたかなと思ったら朝の6時。そのあと家事を少しだけして寄り添いホットラインとか厚生省が紹介している電話相談にかけたのが9時。朝なら繋がるんじゃないかと思ったけども全滅しました。いのちの電話は10時からだからかけていない。
思うこと書いたら楽になるのかなと思って書いてみたけど途中で書くのに疲れてしまって消した。
私は子供の頃に虐待を受けていた。母親は小学教員、父親は町役場の部長で教育課や福祉課だった。怒鳴る、罵るのは日常的で、酷い時は階段を引き摺られた。東北の僻地で、真冬、裸で外に締め出されたこともたくさんあった。もう二十年以上前のこと。
家庭も異常、学校も異常、友達は頼れないし遊びにいくことも禁止されていた(少子高齢化で小学生の時も全校60人とかの地域だから家が遠くて道中危険だという理由)
あんたはそれくらいできて当然だ。
あんたの話を誰が本気に思うのか。
いつも仕事をして、休日はパチンコに行って、家の事には何も言わない。そして突然殴る。
さっきまで無関心そうにテレビ見てた人が突然殴ったり蹴ったり罵ったりしてきて意味がわからない。
だから大学の時に私がこっそり分籍をした時も即電話をかけてきて「戸籍課の(奴)が『娘さん籍抜いてますよ』って言ってきてらんだね!」って。信じられないよな。私も信じられなかった。どうなってんだ、あの町の個人情報管理。職員には教えちゃっていいのか
そんなこんなでも生きてきたけどフラッシュバックに悩まされていて疲れてしまった
駄目な奴だ、お前か悪いんだって頭の中で大音量強制再生されてパニック起こして倒れての繰り返し。
起きていることが嫌って誰か共感してほしい。起きているといつフラッシュバックが起きるかわからなくてひたすら怯えて暮らしている。
縁を切って連絡もとらなくなったのに、秋から冬にかけては毎年あの親の影に怯えている。
私は「両親にとって理想の幸せな家庭」を作る為の道具であり、その理想を邪魔して破壊した極悪人だから虐待うけても仕方ない
でもつらいのも痛いのも、もう嫌なんだ
4月は緊急事態宣言の影響で毎日終電。在宅に切り替わった人達のサポート部署だったのでシステム・ルール・機材整備等々の対応で朝から出社、終電で帰る毎日。
5月は連休があったものの「連休中お休み出来たでしょ?あとうちの部署も在宅取り入れるから」と月水金は出社で火木は在宅。この日に会社にいないとできない業務があると言っても「決めたことだから」と取り合ってくれない上司。結果、出社日はほぼ終電。
7月、業務の影響で朝定時で出社して終電で帰る日々。8月、月勤務時間220時間。9月、上司に「部下が2ヶ月超過勤務してると管理職が怒られる!」と勤怠を少なく入力するよう圧がかかる。まあ、ほぼ勤務通りに入れたけど。200時間。産業医面談は免れたみたいで上司は一安心してた。
10月、体調が落ちてくる。8、9月のあのバリバリ仕事できたのは何だったのか。気力がない。体が動かない。死にたい。消えたい。
休みを申し出たけど、業務調整するから待ってだって。他の人は周囲に何にも相談することなくリフ休とってたのに?少なくとも私には何も言われてなかった。なぜ私は休めないの?
まあ、体調不良で休みますっていって数日休んだけど。でも体調は回復しなかった。
ここ一週間、ずっと死にたい。首の頸動脈切ったら死ねるかな、とか考えるので刃物は洗ったらすぐ隠すようにした。
ホームで電車待ってるときに「このスピードだったら死ねるかな」とか考えるから、できるだけホームの内側で待つようにした。
ドアノブで首吊れないかなと思ったけど家の構造上無理…かと思ったけど、やってみる価値はあるかなとか考えてる。
自助とかいって周囲に話せっていうけど、もしあなたがいきなりこんな話をされたら、冷静に、かつ、的確に対応できる?
できない人がほとんどだと思う。それを責めようとは思えないから、黙っておく。
首吊り系のキーワードで検索したら、一番上に厚労省のいのちの電話の番号が出てきた。
つながらないともっぱら噂のいのちの電話。
ダメ元でかけてみたら、やっぱりつながらなかったw回線が大変混み合ってますってさ。
私はもういなくなるけど、最期に何かしらの役に立てたらなと思う。
なのでここに書く。
若い人の自殺が多いみたいだから、その人達向けの対策でもいい。
「あなたのこと助けます」って出てくるのに、勇気振り絞って、それこそ絶望して絶望してこの世からいなくなりたいと思っているときに、もしかしたら…という僅な希望にすがって、それが叶わなかった時の絶望感。
厚労省は繋がった電話のカウントはしてるかもしれないけど、つながらなかった電話のカウントはしてないのかと思う(技術的にできるのか、はてなーのみなさん教えてほしい)。
そっちの数かぞえて集計してほしい。
電話つながってたら、何か変わったのかな。
でももういいや。
ありがとね。
やっと楽になれる。
コロナ禍の影響で在宅勤務推奨中だが、私は毎日会社に出社している。
なぜなら、会社の固定電話宛にくる顧客からの電話に出なければならないのだ。
しかし、私以外の社員は、ここぞとばかりに在宅勤務、もしくは出社しても電話の鳴らない会議室を終日押さえてそこで作業をしている。
結果、私だけが取ることになる。
しかも、4月の緊急事態宣言から9月末まで、ずっと朝一で会社に行き終電が続いていた。
10月に入り限界に達したようで、体が動かず欠勤と半休か続いている。
ああ、あいつはもうだめだと思われているだろう。
死にたい。消えたい。
いのちの電話に電話しても繋がらず、会社の保険組合が契約している健康相談に電話しても予約がいっぱいでつながらない。
周囲の人に話せっていうけど、何の専門知識の無い人にいきなり「もう死にたい」って言って、何が解決する?
言われた方は、自分の心を守るために「そんなこと言っちゃダメ!」「もっとがんばれ!」と言ってくる。(死にたい、と打ち明けられて適切に受け止められる人の方が少ないだろうし、もっとがんばれは先週言われた)
もう嫌だ。消えたい。死にたい。
早く楽にさせてほしい。
一回目。十年以上前だった。すぐ繋がった。今でも覚えている、この人は当たりの人だった。恐らく年配の女性で、アルバイト先でセクハラを受け、辞めることにした。そのことを上の人に伝えたら職場の人達みんなの態度が冷たくなり、死にたくなった。その内容を親身に聴いてくれた。年齢を聞かれ、まだ若いからもっといい仕事見つけなさいと言ってくれた。
二回目。八年くらい前?なかなか繋がらなくて、住んでいる地域と別の県のいのちの電話にかけた。年齢は分からないけど、おばちゃんまでは行かないくらいの年齢の女の人だった。ハズレの人ではないけれど、相談内容に困っているようだった。兄弟格差が酷くて辛くて死にたくなった相談内容に、もっと兄弟に優しくしてもらえたらいいんですけどね、彼も調子に乗ってますねとかなんとか言われた気がする。
三回目。二年くらい前。この時も女性の相談員で、すぐに繋がった。家族のことで悩み、電話をした。この相談員の人はかなりのハズレだった。はいとそうなんですねと大変ですねしか言わなかった。しかもその相槌全てに感情がこもっていなかった。段々死にたい気持ちより相談員の人に腹が立つ気持ちが上回ってきて無言で電話を切った。