はてなキーワード: いのちの電話とは
「イクイクンアーッ!」「ギャハハ!」
→延命
このスキームと何が違うの?
まぁ、依存する先が違うだけに思えるけどさ。そういう、いわゆる「いきがい」みたいな動画群に、オンナをひとつまみ・・・w って感じでしょ?
5万円スパチャするならその5万円握りしめてカウンセリングに行った方がいいと思うんですけど……。
心身健康で、生活に支障が出ない範囲でスパチャして応援してます! 楽しんでます! って層は好きにすればいいけど、まだまだ若くて、それどころか拠り所を探しているような心神耗弱者相手に性を餌にして数万円単位で絞りに行ってそれを良しとする会社さんサイドはそろそろ「いのちの電話」とか「のめり込みに注意しましょう」みたいなアリバイをどこかに差し込むフェーズに入ってると思うよ。
「いのちの電話をやっている人がいい他人」←これがそもそも存在しない。
お前は対人ゲームの対戦相手を「こんなクソゲーにログインして人の相手をしてくれるなんていい人たちだなあ」って感心するのか?
1時間あたりの労働に対する対価が決まっているということは、その対価に見合った1時間あたりの労働が決まっているとういことです。いのちの電話はそこに届きません。それに給料を払うということは、最低賃金を下回るということ。最低賃金未満のお金を政府が払い出したら、民間はそれ見たことかと追従するでしょう。バイト代が最低賃金未満でも「いのちの電話と同じですよ?」と言い訳をする雇い主だらけの世界になります。
上記の状況への反論として「最低賃金レベルの労働が出来る人だけを雇えば良い」という考え方があるかも知れません。ですがいのちの電話を通してそのレベルの価値を生み出せる人は他の場所ではもっと価値のあることが出来ます。結果的に、優秀な人材にそれを活かせない労働をさせてはした金を払うという構図になります。これを聞きつけた世の雇い主は「いやー君は優秀かもしれないけど、この労働はその程度の価値しかないからねー」と専門家を安く扱うようになるでしょう。そして優秀な人材が海外に流れ出て日本は滅びます。
逆にボランティアをする人間からしても給料が出るというのはしんどいものです。お金を貰えばそれに見合った仕事をする必要がある。逆に言えばお金さえ貰わなければ好きなように仕事ができる。いのちの電話というのは結局のところは「誰かに説教をされたい人」と「誰かに説教をしたい人」、もしくは「誰かにとにかく何かをぶちまけたい人」と「話をうんうん頷いて聞くだけで何かをやった気になりたい人」をマッチングするサービスなんです。これの間にルックス要件を挟むとキャバクラやホストになるわけですが、いのちの電話はそれを求めない代わりに無料でお互いをマッチングさせています。いのちの電話を使ったことがない人は難しく考えすぎです。私はいのちの電話を使ったことがありますが、あんなのは鼻を噛むためのティッシュと同じです。私の知り合いに中の人間がいますが、その人は定年後に暇すぎて気が狂いそうだからいのちの電話で人の話を聞いていい暇つぶしになると言っています。結局ですね、本当に自殺を考えたこともない人、赤の他人からの自殺の相談を受けたこともない人が外野からワーワー言ってるだけなんですよ。いのちの電話は無給でオッケーです。設備投資ぐらいなら適当な人が寄付しときゃ良いです
どのようにできないかは本筋じゃないので書かないが、独り身のおっさんにとって安心した気持ちで吐き出せる場所がないのは確か。
家族 →これまでの人生で散々心配かけてきたからこれ以上心配を増やしたくない
職場 →迷惑かけてる人に吐き出しても「じゃあやれよ」って感じになる。迷惑かけてない人に吐き出しても困惑するだろう
友人 →みんな家庭を持ったりして悩み持ってるし独り身のおっさんに吐き出されても困るだろう
増田 →すぐ「発達障害」「アスペ」「ガイジ」などの強い言葉が飛んでくる
はてブ→「これだけの文章が書けるんだからきっとそんなことはないだろう」のような的外れな励ましが来てイライラする
その私が「なぜ芸能人の自殺を報道してはいけないか」を語ってみる。
自殺を考えたこともない友人は「芸能人のように輝いている人が自殺するなんて、輝いてない自分はもっとだめじゃん…って思うから後追い自殺するんじゃない?」と言っていて、私は違うなと思った。
自殺を考えておきながら、自殺できない時間があるのは、死ぬのが怖いからだ。単純に。
じゃあなんで自殺するんだ?怖いのに?と思うかもしれないが、私の場合「あ、今ならできるな」という瞬間というか、タイミングがあって、勢いでやってしまったのだ。
芸能人の自殺ニュースを見て「あ、今ならできるな!」とか「一緒にいこうかな!」と自殺を考えてる人の背中を押してしまうのだと、私は思っている。
「芸能人もやってるんだし、私も!」と自殺する勇気が出てしまうのだ。
昨今のバラエティー番組で「※絶対に真似しないでください」というテロップが出たりするが、それっていうのはやっぱり真似する視聴者が居るということだろう。
特に常に自殺を考えてる人に「いのちの電話」とか見てるのだろうか?死ぬことしか考えてないのに。
私自身は今は立ち直り、自殺から遠い場所に居れるが、もしも、毎日死ぬことだけを考えてたあの時に、芸能人の自殺ニュース見ていたらと自殺する勇気がもらえたと思う。
報道の自由があり、芸能人死去の理由を知りたい人たちがたくさん居る。
私も「なぜ死んだのか?」と死の理由を知りたい。だからニュースも見てしまう。
報道するのも仕方ないと思うが、同時に「※絶対に真似しないでください」というテロップのように、もっと訴えかける投げかけが要るのではないだろうか、とは思う。
男性の性を社会でどう受け止めるかということに社会全体で取り組まないといけないよね
主に男性の性を汚らわしいものとして臭いものに蓋のように扱っているけれど
以前、知人が「いのちの電話」の相談員をやっていて、内部事情を多少聞く機会があった。「いのちの電話」の相談員が無償どころか持ち出しのボランティアで、それが可能な主婦とか年金生活者とかが多数を占めるというのはその通り。それゆえに相談員側に世間知らず的な傾向があり、来談者との感覚のずれが生じやすいというのもそうだろうと思う。その知人も私から見てそういうところはあり、真面目で善意の人ではあるのだが、そのずれによって無自覚に相手を刺激していた可能性はある。
しかし補足しておくと、「いのちの電話」の研修は臨床心理学のプロが基本的なカウンセリング技術をかなりみっちり教えていていて、真面目にそれを守っている限りさほど無茶な対応をする相談員にはならないように思えた。「一方的に説教」というようなのは当然やってはいけないこととして教えられている。知人は慣れないうちはとにかく相槌だけ打って聴き続けろと教えられたそうだ。「○○なんです」と言われれば、「○○なんですね」と返すようなのが基本。自分の意見を押しつけるような応答は禁じられている。とはいえ、相談員も慣れてくると自我が出てきたり、後に書くような来談者側の問題もあって、相手に圧力を感じさせるような応答をする場合もあるだろう。
医師やカウンセラーでもそうだが、こういう人間がやることにはどうしても当たり外れや相性の問題がある。「いのちの電話」のボランティアが無償であるべきかにはいろいろ意見があるだろうが、有償にすることで相談員の質及び来談者の満足度が飛躍的に上がるかは個人的には疑問である。有償で高度な資格を持つはずの医師や臨床心理士にも「ひどい対応をされた」という不満の声はよく聞くからだ。
で、ここからが本題なのだが、「いのちの電話」と聞いて相談員は自殺相談の深刻な電話ばかり受けていると思うのはどうも違うらしいよ、ということ。「いのちの電話」の回線がいつもつながらないというのも、自殺相談で埋まっているわけでは全くないらしい。
では何が多いかというと、知人が言っていたのは、女性の声と聞くと「テレフォンセックス」を始めたがる常連。最初は一応「死にたいんです」などと言ったりするらしいが、間もなく「ところでどんな下着を着ていらっしゃいますか」「パンツは何色でしょうか」などと言いだす。この手の電話は非常に多いそうで、相談員側にもマニュアル的なものがあってなるべく早く切り上げるよう誘導するのだが、相談員の側からガチャ切りするわけにもいかないのでしばらくは付き合わざるを得ないようだ。
女性とみると性的な話を始める常連来談者というのは「いのちの電話」に限らずよくいるらしい。別の電話相談を受けていた別の知人も「あー、いるいる」と言っていた。企業のコールセンターで働いていたりしても経験するのだろう。ちなみにそういう常連は男性の声と判断すると一瞬で切ることが多いが、そもそも電話相談員やコールセンター係に女性が多いので、何度かかけ直せばすぐ女性が出てしまう。
知人が頻繁に相談員をしていた頃はダイヤルQ2というものが流行っていたのだが、その頃の常連の一人はダイヤルQ2でいつも生活費を使い果たしてしまうので、家族から「いのちの電話ならタダだからそっちにかけろ」(!)と言い含められていたそうだ。「いのちの電話」は確かに無料で、通常の電話料金すらいらない。
こういう事例は生活困窮者を「いのちの電話」が間接的に救っていると言えなくもないのだが、外部の人がイメージする「自殺防止のボランティア」とは少し違うのではないだろうか。相談員には守秘義務があるので具体的な相談内容はほとんど聞いたことがないが、典型的ないかにも自殺相談というようなものは頻度としてはかなり低いとのことだった。しかし、一見ただの愚痴であったり、さらにはセクハラであったりするような内容の電話でも、「いのちの電話」に吐き出すことでバランスを保っている人が一定数いるのであれば、それは「いのちの電話」の目的に適っているようにも思う。
「いのちの電話」の相談員はさぞメンタルをやられるだろうと言う時、今にも死にそうな人からの自殺相談を想像している人が多いだろう。しかし実際の現場はそのイメージとはかなり違って、メンタルをやられるとすれば常連のしつこいセクハラやひたすら堂々巡りする愚痴に付き合い続ける消耗が大きいかもしれない、というのが知人から断片的に事情を聞いての感想だった。
ようやくして管理職になれて、年収は世間の平均かそれよりちょっとマシなレベルになり
上からのプレッシャーがきつくて毎日パワハラ上司に吊るし上げを食らって精神的にきつい思いをしてる。
ついこの間もメンタルが病む寸前までいって、自殺衝動に駆られた。
しんどくて、いのちの電話につながったときは泣きながら辛い思いをただただ聞いてもらってなんとか今も生きてる。
ただ、自殺念慮はしばしばでるのでいまも自分のメンタルは危ない状態だなと感じてる。
そんな状況だから、厭世観が満ち満ちてくるようになり、核戦争なんてワードをニュースで聞くと、
いっそ核戦争に突入して核の冬になってガチの氷河期になって人類滅亡してしまえと思うようになってきた。
ロシアの大統領がやらかしそうな勢いになってきてるのに、終末時計は100秒から全然進まない。
結局、ハッタリじゃねえかよ