はてなキーワード: ゆるオタとは
子供向けアニメにハマる大人のオタクは男女共に一定数いるだろう。制作陣も子供と共に大きいお友達をターゲット層としては考えているのも事実。
ただ、あくまでメインのターゲットが子供な以上、大人たちはある程度弁えて作品を楽しむ、そして制作陣も子供向けの作品を作る義務があると思う。
放送30年を記念したアニメの内容は、前半はまだ許容できたが、後半はひどかった。原作者原案のストーリーはいわゆるオタクに人気のある六年中心のエピソード。
はっきり言って忍たま乱太郎を純粋な目で見ている人間からすれば、だから何?というストーリーだった。そもそもストーリーなんてない。六年生の一年時代を描きたいだけのオタクが描いた二次創作とそう変わらない。
ベストコンビ投票もひどかった。一部キャラを除きコンビへの思い入れなどなく、上級生へのキャラ萌えのみで投票されたであろうキャラクター達。こちらは3位までのキャラを無理矢理出したが為に内容はぐちゃぐちゃ。会話のテンポも悪く締りのないエピソード。
ここ数年感じてたことではあるが、公共の電波を使って子供向けアニメでpixivで作ったかのような質の低い話を流すのはやめろと言いたい。
オタクは単純に推しが出ていればストーリーはどうでもいいのかもしれないが、あくまで子供向けのギャグアニメであることを忘れるな。オタク向けにキャラ萌え特化の内容のない話を作るのはやめろ。みっともない。
裏設定は表に出したらもう裏じゃないのだから。
私自身幼少期から見ていた忍たまをオタクとしての目線で見るようになったのは16期辺りの上級生ブームに乗っかってのことだ。
ただあの頃は子供向けアニメだという前提をきちんと分かっていたように思う。乱太郎きり丸しんべヱ+一年は組+山田土井を中心に話を作った上で、上級生をゲストにする。原作回でもアニオリ回でもそこは踏まえていた。
子供向けのアニメが露骨に大人向けになっている現状は本当に酷い。そもそも子供向けのアニメに勝手に大人が乗っかっているだけで、オタク自身も完全にオタク向けとして作られたら興醒めじゃないのか?少なくとも私は引いている。大人向けは舞台やグッズ展開だけでいい。アニメにまで割り込もうとするな。
恐らく今映画を作ったとしても、20年記念のような映画は出来ないのだろうな、と寂しく思う。
30年ありがとうといいながら原画展のキービジュは乱きりしんと上級生だけ。忍たま乱太郎の30年には、乱きりしんと一番長く過ごしてきたであろう土井山田は組はいなかったらしい。スタッフにもう忍たま乱太郎という作品自体に思い入れのある人はいないのだろう。
以上、上級生でどれだけ金を稼げるか、商業主義と腐媚びに振り切ったこのジャンルに心底絶望しているのに、昔の忍たまが好きで離れきれないオタクの嘆き。
端的に言う。お前らは老害だ。
かつての栄光にしがみつき、「俺のやり方が正しいんだから俺に合わせろ」とか言ってきたクソ上司、会社にいるだろ?
それと同じ、とは言わないけどかなり似たような発言なんだよ、「AI学習禁止」って。
大前提として、コンピュータに既存コンテンツを学習させる行為は違法ではない。
いろんなところですでに指摘されているから、詳しいことは言わなくても分かってくれ。
法で許可されていることに「いやだ」とか駄々こねてるのがお前らだよ。
もとより、機械学習とかAIとか最近トレンドになっているけれど、今これらがようやく実用段階に、成長期に入ってきているんだ。
これを阻もうとするのであれば、お前らはこれらの技術発展を阻害しているに等しい。
「うるせぇ! 俺のやり方でこれまでうまく行ってるんだから新しい手法なんか要らねえ!」
とか言われたら頭にくるだろ。そういうことだよ。
(もちろん、何でもかんでも流行りのものを取り入れればいいとかいう頭お花畑な奴もいるけど、そんな話は今はどうでもいい)
機械学習とかAI、つまりITってのは、ただでさえ日本は「後進国」と揶揄されるレベルの状態なのは分かっていると思う。
IT分野に限らず色んな面で「もう終わりだよこの国」とか言われているなか、未だなんとか世界に食いついているのは「サブカルチャー」なんだよ。
それだけサブカルチャー(ここではいわゆるオタク文化、ということにしておく)は大衆のものとなった、という証左でもあるんだ。
オワコン日本の中でも、まだ頑張れているのがサブカルチャーなんだ。イラストだってサブカルチャーの仲間だろ?
(いやイラストはサブカルじゃないとかそういうどうでもいい反論は知らん)
そんな瀕死の日本を引っ張っているサブカルチャーが、すでに後退の一途をたどっているITにさらに(後ろ向きに)拍車をかけてどうする?
サブカルチャー(メインカルチャー)だって、いずれは衰える。衰えるというか、世界との競争に負ける可能性がある。
この流れに負けたらいよいよ日本は終わりよ。もう終わってるかもしれないけど。
だったらせめて、足引っ張るようなことはやめて、現状の流れに乗ろうや。
技術発展の足かせになって、自分もいずれ凋落するとか笑えねえよ。
ネオエクスデスかよ。
いや分かるよ? 「法が許すなら何をしてもいいのか!」って怒りは。
自分たちが数年、十数年、数十年と頑張ってきた努力が、AIとかいうぽっと出に取って代わられる無念さは筆舌に尽くしがたいのだと思う。
別にイラストレーターを責めているわけでもけなしているわけでもない。世界の最先端を走っている研究者とかでなければ、誰が「AIがイラストを作る」時代が来ると予期できただろうか。
明日には「AIが音楽を作る」「AIがアニメを作る」「AIがゲームを作る」、そんなサービスが出来上がっていてもおかしくない、今はそんな時代よ。
運が悪かった、とも言ってもいい。
かと言って悲観する話でもないはずだ。
Twitterで誰かが言っていたよ。
「下書きを自分で描いて、AIに学習させて出力、その絵をさらに修正するといい」とかって。
AIってのは、現状1から10を作ることはできても、1から100に昇華することはまだ難しい。
そこに個性を生み出すのが、今の、これからのイラストレーターの仕事じゃないか?
初手の1を生み出してNFTとかすれば(適切な動詞がよく分からなかった)、そこには「世界で最初の」という特別な称号がつく。
今のイラストレーターはここを目指すべきだろう。
考えても見ろ。
世の中の9割以上のイラストレーター(と名乗っていなくてもいわゆる絵描き)は、勉強のために他のイラストレーターなり漫画家なりの絵を模写して練習してきただろ?
自分は先人の絵を学習しておいて、コンピュータが自分の絵を学習しようとしたら「それはダメ」って、いくらなんでも通らないだろ。
もちろん、AIが生成した絵が自分の絵に酷似しているから著作権違反だ!とかいう話はまた別の話。
法整備が追いついていないので、そのあたりは今後の流れに身を任せるしかない。
原増田の指摘はその通りだが、それをあえて問題視するところに、原増田作者の差別的な内面が見て取れる。なお自身でも書いているように「ザ・老害」であることは論をまたない。
原増田はリコリス・リコイルで最前線に立たされるのが少女であり、それを後方の大人たちが搾取するという構造があり、それがあたかも問題であるかのように語るが、元来娯楽作品におけるキャラクターというものは総体として視聴者に商品として消費されるものであり、それはかかる作品の提供フォーマットにのっとったものであり、ごく自然なことである。
これはいわゆるオタク向けの作品に限らず、例えばサラリーマン小説では登場人物たちの労働の剰余価値が(舞台が企業であれば)資本家(株主)に搾取されているわけであるが、これを問題視するような記載は見受けられない。そも人間はその関係の中で互いに搾取しあい、利用しあっているのであるから、これは避けることはできない。
リコリスを問題するのであればこれも問題しなくてはならないところ、あえて本作のみについて言及しており、挙句その表現が「キモイ」というあたり、原増田作者の差別性は明らかで修正が必要だろう。
元増田だけど色んな人が意見を出してくれていて少々驚いた。
結構気軽なつもりでやった投稿なのだけれど、ココまで皆さんがリアクションしてくれているのならば私も本気を出さなければ失礼だろう。
ちなみになぜ私が街中の広告の写真を取っているのか?という点についてだけれど私は物書きなので流行っている作品の調査・備忘録のつもりで広告などの写真を撮っていて、本屋でもPOPや平積みしてある作品をよく撮る。
だから物書きとして本気を出そう。本気で熱を入れて書くため文体が変わることをご了承いただきたい
気付いてるかな?たわわもアウトならば女性向け広告の規制基準はたわわレベルになるのよ。
それがどういうことか考えたことある?
それはつまりオタク女性が男性へ対してエロスを感じる表現の一切合財がアウトになるってことなの。
例えば首筋、手、目、胸板、背中、微笑etc...これらすべてが女性向けに描かれたらアウトなのよ。
「そんなことはないでしょ!」って思うじゃない?いいえ、そんなことはあるわ。
何故ならたわわや以前に問題となった作品にも明確な基準がなく非難された結果として炎上したからよ。
そのジャンルを嗜好する私たちの基準で評価されるのではなく、ジャンルをよく知りもしない誰かよくわからない人たちの基準で、しかもその基準が示されることなく規制されるの。
私たちがその不明瞭な基準で規制することへ対して文句を言えば「とぼけるな」とか「理解する気がない」と言われてしまうのよ。
フェミニストはよく一般女性を名乗るわ。
一般女性が男性向けジャンルのココが良くないとして指摘しているのだけれど、同じように謎の一般男性が私たちが嗜好するジャンルへよく知りもしないでココが良くないと指摘してくるのよ。
規制してくるのはエロいオタク男なんかじゃなく謎の一般男性なの。
これらの意味をよく考えたほうが良いわ。
最近の子たちは知らないだろうから私の世代の経験として共有するわ。
実は私たち既に抑圧を経験しているのよ。
宮崎勤事件によるオタク抑圧の時代のことと思うでしょう?
違うわ。あの事件によって抑圧されたのは主にオタク男性よ。あの事件に限ればオタク男性の抑圧に比べるとオタク女性が受けた抑圧は微々たるものだったのよ。
多くのオタク女性が受けた抑圧はパソコン通信終期(2000年前後)から20010年に入るか入らないかまでの10年間、いわゆるオタク女性による同人サイトブームがあった時期にオタク女性たちは抑圧されていたの。
何故オタク女性たちが抑圧されていたのか?と言えば、それは今で言うところの「学級会」の発生がこの時期に集中したからなの。
学級会がなぜ発生したのか?と言えば、別にジャンル同士の抗争でも、掛け算の順番に関する論戦でもないわ。
当時のオタク女性(というよりもパソコンの初心者女性)は電子掲示板のトピックやスレッドという概念、そういうものに関する前提のルールというのを理解してないことがあまりにも多かったのよ。
どういうことかと言えば、特定のトピックやスレッドで話題が固定されていることに慣れていなかったのよね。
今では信じられないかも知れないけれど、つまり例えば「幽遊白書を語るスレ」で「幽遊白書以外のことをメインとして語ってしまう」という事が頻発していたの。
オタク男性も他作品と幽遊白書を比較することはあったわ。でもそれは幽遊白書を主軸として比較しているだけであって幽遊白書以外のことを語っていたわけでないの。
冨樫先生と鳥山先生の比較することはあっても鳥山先生のことばかり語るのは変よね?それをやってしまっていたのよ。
これはもう一般的な女子トークのせいよね。
同性の私でも話題がアッチコッチに飛ぶなと感じることがあるほどに女の話は飛ぶわ。いやそれはそれで楽しいから良いのだけれど男の人は嫌がるのよね話題がコロコロ変わるの。
それで薄々勘付いている人が居るだろうけど、その話題が変わった先がBLだったらどう感じる?
しかもNIFTY-Serveや2ちゃんねるでそのジャンルのメインのトピックや本スレッドで行われたとしたらどうなるかは想像付くわよね?
そう、他の人から注意されるのよ。
でも1人に注意したからと言って慣れてない子たちはまだまだいっぱい居るわ。新規に参加するたび今ではやっちゃいけないとタブー視されていることをやってしまう子が大勢居たのよ。
もちろんパソコンや電子掲示板へ慣れている歴の長いオタク女性たちも居て、慣れていない若いオタク女性たちをどうにかしないといけないという動きが自然と発生したの。それが今で言う「学級会」の元なの。
今でも2ちゃんねる(5ちゃんねる)のジャンル別のオリキャラスレやBL板などには本スレへ投下するなという注意書きが残っているのもあるけれど、なぜそういう記載があるのか?と言えば、やらかしてしまう子がいっぱい居たからなのよ。この辺りはオタク女性の黒歴史ね。
じゃあオタク女性向けのそういうトピックやスレを作ったら良いじゃないと思うでしょ?
それが可能になったのは2ちゃんねる以降なのよ。2ちゃんねるでも限定的であったと言えるわね。
例えばNIFTY-Serveではコミュニティ単位がフォーラムという枠組みになっているのだけれど、このフォーラム設立はニフティの許可制なのよ。
2ちゃんねるでも例えばスレッドを自由に立てられてもBL板は2ちゃんねる管理者じゃないと設置できないでしょ?NIFTY-Serveも似たようなものだったの。
私たちの嗜好するジャンルを会話する場がネットワーク上へ最初から用意されていなくて、どこで話しても2ちゃんねるでいうところの板違いスレ違いにならざる得なかったわけよ。
もちろん時間経過とともに需要が認知されて場が作られていくのだけれど、作られるまではタイムラグがある。
そこで私たちは同人サイトを作成し自分のものだから同人サイトで好き勝手にやることを覚えたのよ。
でもね問題は、この同人サイトでやることをパソコンや電子掲示板へ慣れているオタク女性たちが一時期であれパソコンや電子掲示板へ慣れてない若いオタク女性たちへ半ば強制した時期があったの。本スレでやらないで自分のホームページでやれとね。
同人サイトの多くは当時インターネットプロバイダーのホームページスペースで設置されることが多かったのだけれど、そもそもホームページを作る知識を学んだりやホームページを自分のものとして所有できる権限が若いオタク女性たちにあったのか?と言えば難しかったわ。
プロバイダーのホームページスペース以外にもロリポとかレンタルサーバーはあったけど同人サイト設置を誰でも可能になるのはいわゆるガラケーの勝手サイトやレンタルホームページの登場を待つことになるの。
パソコンや電子掲示板に慣れているオタク女性は同人サイト設置を強制してくるけど若いオタク女性にはそれが無理。
しかもそれぞれが同人サイトを個々に設置するわけだから情報が分散したり、更に言えば趣味嗜好の対立なども起きたわ。
なぜ同人サイトで鍵が設置されるようになったのか?と言えばオタク男性による突撃なんて偽史を語る人も居るけど、実際はそんなの少数で趣味嗜好の対立を防ぐためが主な理由だったのよ。
何なら当時を振り返るとオタク女性の一部は「男性のふりをしていた」と語る人が居るけれど、性別を偽装できるのならばなぜオタク〝男性〟の突撃としているのかは謎だわ。もう一度言うけどオタク女性による趣味嗜好の対立があったのは確かよ。
正史は「性別はわからないが突撃があったから鍵をかけた」だわ。
ガラケーレンタルホームページの時代へ入るとむしろ同人サイトはオタク女性の嗜みくらいの地位へ登り詰めるのだけれど、同人サイトのスタートはオタク女性同士の抑圧からよ。
コミケでも「同人サイトやらないの?」みたいな話は定番だったわね。
これは認めざる得ないわよ。
どう考えても涼宮ハルヒの憂鬱ブーム前後でオタクの風当たりが変わり、ハピマテをCDTVへ載せるなんてのもオタク男性が主体だったし、ニコニコ動画も引っ張ってたのはオタク男性のジャンルだったわ。
その後に続いていったのがオタク女性だったじゃない。
じゃあ今の時代に表現の自由を守ろうと声を上げている漫画家は誰?赤松先生よ!?また男性なの???
その今の時代に私たち女性は一体何をしているの?日経新聞に月曜日のたわわの広告が載ってけしからん?また女性同士で抑圧し合おうっていうの???
まるで私たちは悪役令嬢よ。
横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけて追放されて、戻れたと思ったらまた横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけようとしてる。
このまま行けば趣味語りのTwitterアカウントへみんな鍵かけることになるの理解していないのかしら?
もちろんTwitterの投稿へいちいち注意してくるのオタク男性じゃなくて風紀を守る自称一般女性よ?
知ってる?今の時代の流行りはね、ヒロインと悪役令嬢が手を組むのよ。
また規制抑圧という魔王が復活しようとしてるの。
前回は悪役令嬢が取り込まれてしまったけど今回は違う結末を迎えたいじゃない。
ヒロインと悪役令嬢が手を組めば最強。男なんて引き立て役にすぎないわ。
日本のサブカル史には魔王からオタク開放の立役者としてオタク男性が主体だったと刻まれているわ。
今回の魔王からオタク開放の立役者はオタク女性と日本のサブカル史へ刻もうじゃない。
ヒロインと悪役令嬢のお嬢様方、清く正しく美しく、華やかに可愛らしく強いオタク女性が表現の自由を守ったと10年20年後に振り返ってもらえるよう、私とともに征きましょう(高笑い)。
エロゲ作家やエロ漫画家が、「表現の自由を規制すべき」という規制論に組するのは、珍しくない。
なぜなら、「オタク向け作品を作っているから」と言って、オタクを好きなわけではないからだ。むしろ自分も含めて嫌悪しているケースも有る。
もうちょっと話を広くすると、「オタクのオタク嫌い」っていうケースはたくさんある。
オタクだけれど、自分以外のオタクを(場合によっちゃ自分も含めて)否定することでアイデンティティを確立した人間って、実はたくさんいる。
まあ、いわゆるオタク差別という時代があったわけでそこはもう語らない。ただまあ、色々鬱屈してる人がいるわけで。
彼らの鬱屈した感情は、まさに卑屈な変態というべきものであると同時に、一時代、確かに創作の大きな原動力だったことは認めざるをえない。
ただもう、その鬱屈した感情が伝わる世代じゃなくなってきたんだよなあ。
「オタクが社会に受け入れられない。オタク作品は欲望のままに生きているゴミの山だからだ。しかし俺は違うぞ。本物を作り出してやる、と、オタクと社会の鬱屈を悩み抜いて結局ぐるぐるまわって自分も含めて同胞をdis否定しつつそれでも創作せずにはいられない感情の爆発」
あの時代は大変だった。それはわかる。
赤松健のように「自分はパンチラ漫画家と言われても仕方ない」と笑い飛ばせる強さは誰もが持ち合わせていなかった。
杉田智和のように他人を否定することなく、おたくの情念を込めて好きなものを語るという強靭さは誰もが持ち合わせていなかった。
「俺の作品は、他のエロ漫画やエロ同人やエロアニメやエロゲとは違う。俺の好きな芸術なんだ。エロの他に高尚さを持ち合わせている。わからないやつはキモオタだ。しかし、しかし、ぐぬぬぬぬぬぬ」
みたいな謎の鬱屈した芸術家感情は、確かに過去においては創作の原動力だったのだと思うが、今はもう「馬鹿なの?」で終わってしまう。
しかし、残念ながらそういう「自己否定と自己肯定を繰り返した自意識の化物」みたいな存在は、たくさんいる。
嫌いな言葉だが、「オタクは価値観をアップデートできない」という現象だ。
いつまで経っても「社会でオタクは最下層の中、なんとか社会と折り合いをつけたいと自己否定を繰り返して悩み続ける」という精神構造から抜け出せない。
それはかつては得難い才能であったと同時に、現代においてはしち面倒臭いと嫌われもするのだ。
今の時代、「オタクを否定して悩みながらオタクをやる創作」なんて変態の所業がウケるわけがない。
そんなことやってる暇があるならSNSにFGOやアズールレーンのイラストを一枚でも上げたほうがよっぽど建設的って状況だ。
自己否定して悩み続けるならともかく、こういうタイプは周囲の人間に喧嘩を売りまくるから始末に負えない。
こういう態度は耳目を引くが結局嫌われる。「愛されキャラが最強」のSNSでは、珍獣として消費され尽くしてしまう。
いまさら「オタク作品はダメなんだ。堕落している。こんなものばかりでは業界が腐る。オタクは腐っている」なんてアジったところで、「老害オタクがまた発狂してる。でもお前の作品は、まさにそういうダメオタクなんですがw」と鼻で笑われているだけだ。
そんなことは描いている本人がよくわかって悩んでいて、それでも言わずにはいられない宿痾の業なのだが。
そして、それらの悩み続ける時代がデフォルトオタクが唯一存在証明をできる場所が、SNS政治だった。
「ぎゃーぎゃーぎゃー」と騒いで与党やら野党やらをバッシングし続ける珍獣としてならば、「オタクをバッシングしながら自意識をこじらせオタクでも迎え入れてくれる」という需要があった。
なんかもう、色々痛すぎる。
見ていて痛々しいわけだが、本当に、どうしてこうなった感がある。
そういう時代は気がついたら終わっていた。
今はそういう時代ではない。
SNSでどんな悩みもオタク生体の鬱屈した感情も共有できたのは救いだった。しかし、「それは珍しくないただの鬱屈した感情」で「別にあなた特有の特別な悩みではない」ことがバレてしまって急速に求心力を失ってしまった。
悩めば偉いオタクなわけでも、苦悩したから上等な人間なわけでもない。
結局の所、そんなものより愛されることが重要なのがSNSだった。
オタクが悩んだ長文を上げるよりも、コスプレイヤーの自撮り写真やお絵描き実況のほうがよっぽど需要がある。
そんで、そういった中年のどろどろしたオタクの情念をぶつける場所はSNSでは限られていた。単純にSNS社会では政治しかなかった。
「オタクはネトウヨ。でもおれはネトウヨにならないオタク」という謎の偏見構図に乗っかって、twitter政治でオタク批判を繰り返すのみである。
で、それだけならまだ救いはあるが、彼がが一番憎んでいるのは、開放されたオタクだ。
悩みから開放され、もう自己否定を繰り返さずに社会と折り合いをつけている、普通の若い世代のオタク、自分たちと同年代なのに、悩むことをやめてしまったオタクたち。
許すことができない。
もう、社会においてオタクは最下層民ではないと自認したオタクたちは悩むことをやめる。当然だ。しかしその状況を許せない。
もし、「もう悩む必要がない」と悟ってしまったら、「彼らが存在する」というだけで自分を卑屈な変態だと認めざるをえないからだ。
だから、自民党が表現規制を捨てつつある今、自分たちが規制論を叫ぶという本末転倒が起きている。
「最下層民のままで悩み続ける生き方」
いかにその車両が珍しいか、そのイベントがどれぐらい特別か、完璧な写真を撮れたらどれぐらい嬉しいか。
見かねた誰かが他の趣味に喩えて煽って見せたが撮り鉄は動じない。
撮り鉄という趣味にどれぐらい歴史があり、どれほど社会的に価値があり、どれほど認められているかを語るのだ。
そうして他の趣味で迷惑行為をするのと撮り鉄が迷惑行為をするのとでは違うと語るのである。
彼の言い分たるやまるで撮り鉄が写真を撮るたびにこの世界が大いに豊かになると言わんばかりなのである。
なんということだろう。
彼は自分が幸福を感じた所で他の人間がそれを無条件に共有しないことを理解しないのだ。
お前ば彼の言動はたびたび極めて自分本位なことを平然と当然で必然の如くごく自然に思考していることを滲ませるのである。
彼の都合を世間が最優先するのは当たり前という赤ん坊や一人っ子のような考え方のままで体ばかりが大人になっているのだ。
そういえば顔つきはどこか子供じみていて肌艶だけが年相応に衰えている。
なるほどあれがいわゆるオタクの宇宙人面というものなのかも知れない。
こんな妖怪変化のたぐいがうようよいるのだろう。
他にもインドアな趣味、たとえば美術館とか入っても、街にいる人よりもルックスが一段下がるな…とは感じるのよね。
もちろんルックスいい人でもこういう趣味をやることがあるのはわかっているけど、自分が最近思っているのは、ルックスと趣味って案外関係があるんじゃ?ってことなんだよね。もっとおおざっぱに言っちゃうと、「萌えアニメとて映像の一形態にすぎないのに、ブサイクな人ほど萌えアニメを好む傾向があるように見える(なぜブサイクばかり萌えアニメを見て、イケメンは見ないのか?)」ってこと。うーんよくわからない。
自分の仮説は
①住んでいる文化圏が違い、ルックスのいい人は萌えアニメを知り合いから勧められたりしないので、興味を持つことがない
②ルックスのいい人でも萌アニメを実は好きだが、表出すると自分のイメージダウンが予想されるので、趣味を表に出さない
③人は一般的に陽キャ的な趣味は好きだけど、ルックスに合わせてそれを諦めたり選んだりしている(つまり隠キャも顔が良ければ萌えアニメなんて見ずにサーフィンとかやってる)
※ここでいうルックスのいい人…てのはグラデーションのように幅のある概念と思ってくれ。ちょっといい人からめちゃくちゃいい人まで含む。
ディズニーって3種類の層がいて、それぞれおもろいなって思う。
まずはノーマル層。中高生が主で、イベントとしてディズニーに来ている感じ。アトラクション全制覇を目指して走り回り、ご飯は基本レッグ系。ショーやパレードは見ない。分割できるキーホルダー買いがち。休憩と称してシンドバッドかスモールワールドに乗る。
次が美男美女層。若干中高生ともかぶるが、総じて顔面レベルが高いかファッションセンスが良い。自分を引き立てるための道具としてディズニーを利用する。アトラクションに乗ったりもするけど、基本は写真。TikTok勢もいる。SSコロンビア号のデッキにいがち。
最後がガチ勢層。この人たちはアトラクションや自撮りよりも、ショーパレード、新作メニュー、新作グッズの制覇に向けて奔走する。マジでパレードのために何時間も前から場所取りしてるのはこの層。ただディズニーのガチ勢にも2種類あって、その人の本質もディズニー寄りな人。身だしなみに気を使い、きれいにしている。ただ顔面は普通レベル以下であることが多い。もう片方は、いわゆるオタク気質の人。なんで何かにはまった人間って同じ見た目によっていくんだろう。不思議。この人たちはディズニーが好きと公言してグッズなどは身に着けるものの、本人がディズニーの雰囲気に追い付いていない。ちぐはぐな印象。ゴスロリに憧れたものの、髪の毛ぱさぱさでメイクが下手な人みたいな感じ。
以上。
人生の折り返しをとうに過ぎたからってわけでもないけど、自分が人間の(少なくとも現実的に相互に話のできる)異性以外にそういう感情を抱くとは思ってもいなかった。
アイドルとかキャラクターに入れ込む人がたくさんいるのは知っている。中には満たされるはずのない恋愛感情をもつ人もいるのだろうが、そういうのはごく少数だろうと思っていた。
素晴らしい笑顔、様々な表情の変化、中でも一瞬だけ見せる表情、何気ない仕草。
何もしていないときでも、何かをしているときでも、ふと思い出してしまう。
いつでも思い出せる。いつも見ていたい。写真に撮って飾っておきたい。胸がしめつけられる。
それを狙ってあざとく描いているんだろうとは思うが、そんなことはどうでもいい。
世の中にたくさんいると思われるいわゆるオタクな人たちは、みんなこんな感情を推しに対して抱いているのだろうか。
対象がアニメだとすると、クールごとに作品が入れ替わってしまうのに、その感情のやり場をどうしているのだろうか。
ともかく、今はこの感覚を楽しんでおきたい。
理系学部4年なんだが,うつっぽくなって学校不登校になり院試も就活もまともにしないまま一年経過した.
やんなきゃいけないのはわかってるんだけどなんかやらなくて,今までの経験から「流石に直前になったら焦ってやるだろw」って思ってたのに今年辺りから手が動かなくなった感じ.
学校にいると怠惰な自分と淡々とこなす周りとの差がきつくて,学校にいられなくなった.
今まではダメ学生なりに順調にいってたから戸惑ってはいるけど,最近はまあもともとこういう怠惰な傾向はあったのかなと思い直していて,少し落ち着いてきた.
ただ,つらかった時期に周りに話をいろいろ聞いてみたら,知人にこういう感じになっちゃった人が何人かいた.
いわゆるオタク(アニメ・ゲーム好き)の内向的なコミュニティに属してはいたけど,ちょっと割合が多くてびっくりした.
うちの学校の留年率も増えたっていう噂も聞いたし,やっぱコロナによる生活習慣の激変っていうのが結構効いてるのかも,なんて思ったりした.
もし似たような症状になって,追い詰められてネットで調べてこれ読んでる人がいたら,俺らみたい状態は普通じゃないかもしれないけど,全然まだ取り返しがつくことだと思うから,一緒に夜寝て朝起きて美味しいご飯食べて好きなもの見て楽しく生きていこうな.
大学時代、とある写真系サークルに入った。女子が自分と先輩の二人だけで、いわゆるオタサーの姫みたいになってしまった。サークルの男子はみんな優しかったし、女先輩もとてもよくしてくれた。
半年ほどたったころ、男先輩Aが私の顔写真と裸の女性の写真をアイコラして、サークル内で回覧していたことを知った。
私は恥ずかしく、恐ろしかった。男子たちは誰ひとり私の気持ちを考えることなく、男先輩Aを咎めることなく、アイコラを楽しんでいた。とてもじゃないが大学に顔を出すこともできなくなった(それが原因で留年した)。
激怒してくれたのは女先輩である。彼女はサークルの男子全員を糾弾し、大学に問題を報告したという。本当かどうか知らないが男先輩Aの内定先にチクったという噂まで出た。
実は女先輩は前年、男先輩Aに同じようにアイコラを作成されていたらしい。何を思ったのか、サークルで回覧する前に「こんなん作ってみたw」と女先輩本人に見せたため、当然激怒され削除して謝罪したそうだ。女先輩は一応それで矛を収めたという。それを全く反省せずのコレである。前年に自分が見逃したから、私が次のターゲットになってしまった。今度は絶対に許さん、の気持ちで燃やしたという。
問題はおおごとになり、サークルは解散となった。最初、口先だけの謝罪をしていた男たちは、サークルがなくなったことで女先輩のことを口汚く罵るようになった。男子の関心が年下の私に向かったので、嫉妬しているのだろう。ババアのひがみ。大した問題じゃないのに告げ口しやがって。サークルをなくすほどのことか?私ちゃんもそんな怒ってないよね?女の敵は女だよなw
私はというと、女先輩の気持ちはとてもとても嬉しかったが、おおごとになった手前、ますます大学に行きにくくなったので、男先輩Aに対する怒りが1000、他のサークル男子が500だとすると、女先輩にも1くらいは怒っていた。それから気まずくなり、ほぼ顔を合わせることなく女先輩は大学を卒業していった。
その女先輩、最近偶然知ったのだが、一部でおなじみの有名ツイフェミとなっていた。相変わらず過剰に燃やすもので、アンチフェミにめちゃくちゃ粘着されており、何気ない問題のない発言にすらいちいち突っかかられている。それで余計に態度を頑なにしてしまっている。
女先輩のフェミ活動の始まりは、大学のあの件だったのではないか。私のせいでそうなったのではないかと、どうしても思ってしまう。女先輩は今日も他人の女性のために怒っている。彼女がそれで幸せであればいいのだが……と願わずにはいられない。
創作物における同性愛を過剰神聖視して異性愛のヘイトする人が嫌い。あれってたぶん大抵本質的には処女厨や独占厨とやらに違いない。
もちろん本物の同性愛者で異性愛や異性愛社会嫌いが書いてるのもあるかもしれない。女作者で目にすることが多いけど、BLだと部外者以外になれないし、百合だと異常に男や異性愛への攻撃性強いから目に入るだけでうんざりする。
百合やBLに割って入る異性は糞みたいなことやオリジナル百合やBLでの異性愛二次創作は糞なんてことをツイートを目にしやすい。実際原作では恋人と言われてない関係性でしかないのに近づく異性は馬鹿扱いやキャラの人格無視した応援役にしてたりするし、原作で異性に恋愛感情を向けているキャラを二次創作で同性愛者にしてるのが山のようにあるのに、なんか異様に攻撃性高くて引く。
ただでさえフェミなんて今ミサンドリストで自己中なんて見方がされやすいネットで表現やゾーリングなんて燃えやすいものでいわゆるオタク側に立てなかった時、そういう異性愛ヘイトな意見ばっか目立つと男女対立が激しくなって最終的に同じ女であるこっちの息がしにくくなる。
異性や異性愛自体が女を苦しめるものではなく、キャラの愛し方として同性愛だけが全てではないのに、同性と魅力的な異性が恋愛すること、関係性を持つことを嫌悪するわりに似たような内容の同性愛は歓迎してて面倒。
深夜だし懺悔のつもりで書いているが、私は今まであらゆるオタク仲間にウソをついていることが一つある。
みんながそういうから笑って話を合わせてきたが、私は思い切り抜く(抜くものはないが、便宜上そう書く)目的で成人向け同人誌やらコミックスを買い漁っている。
他の人ももしかしたらウソをついているのかもしれない。でも少なくとも今までそういう書き振り話し振りの同類に会ったことはない。故に自分だけがおかしいような気もしているが、それはともかくとして、そういう女は確かにいる。
けど同時に、買った本に対してこういうのが好きなんだ?みたいな発言をされるのはものすごくイヤで、その点では他の人と変わらない。
だってあれは二次元だから良いのだ。監禁、SM、スカトロ、調教、催眠みたいな比較的ハードな本ばかり買うけど、それは絵の中の話なので、現実的な様々なリスクを全無視できるから買っているわけで、そういうノリを押し付けられるのはすごく嫌。
例えば浣腸とか、同人誌ならファンタジーで済むけど現実考えたら翌日まで腹の調子悪くなりそうとかそもそも衛生的にやばいとか、無限にイヤな理由しか出てこない。
たまにそういう本を買ってるのがバレたりして言われるときがあるけど、逆に紳士諸君は現実でそういうものがやりたいと思って買ってるんだろうか?犯罪だし、金がないとできないしで現実的じゃないだろといつも思ってしまう。
バカフェミが毎日のように火をつけてまわらなきゃならないくらい世の中にはいわゆるオタクコンテンツが溢れるようになった。
昭和のオタク差別を知っている世代からすると、こんな未来は想像出来なかった。
街中を歩けば、小学生がランドセルにアニメのかわいいキャラのキーホルダーを堂々とつけている。
大人でも若い層ならキーホルダーくらいならまま見かけるようにまでなった。
観光地に行けばご当地キャラやアニメコラボの掲示で溢れている。
若い世代は当たり前のようにアニメを見て学校で友人と会話し、なんとオタクに憧れる奴らが多くいるという。
これからの30年、そんな若い世代が作る社会はどうなっていくだろうか。
今騒がれているようなものの多くはそんな若い世代が企画しているものだって知ってるか?
子供に見せたくない?
公共の場所にふさわしくない?
オタクゆーのは社会不適合者でな、人付き合いとかコミュニケーションが苦手なんや。
人間関係が築けへん、まともに意思疎通もでけへん故に、社会的な成功とは無縁の、孤独でショボクレた人生を送るわけや。まぁ例外はあるけどな。
そこで一念発起して、前向きに努力してくれればエエんやが、大抵は現実逃避、妄想の世界に逃げるわけで。
それがアニメ・マンガ・ゲームなんかのいわゆるオタクコンテンツやな。
虚構の世界を疑似体験することで、現実社会での欲求不満を解消するっつーこっちゃ。
それ自体はストレス解消、人生楽しく生きるための娯楽、悪いことやあらへん。
ところがオタクは現実社会で報われんがゆえに、オタクコンテンツに異常に入れ込んでまう。
そうしてオタクは、自らの価値観を共有・補強するために同好の士で固まるんやな。
そこんとこは宗教と変わらんな。まぁ布教とか信者とか、親和性は高いわけや。
また、帰属意識の強さは、商売にも利用されて、オタク相手のビジネスも結構ごっつい市場なっとる。
また公的機関やら自治体が人集めやPRにオタクコンテンツを利用するっちゅーのもよう見るようなりましたな。
そこで問題なるんが、オタクコンテンツは現実社会のアンチテーゼであるがために、非現実的・反社会的であることを宿命づけられとるちゅーこっちゃね。
つまり、コンテンツそのものが社会的な良識とは相容れない価値観によって形成されとる訳で。
ガワだけ使うなり漂白するならまだしも、ナマで世間様に開チンしたら猥褻物チン列罪でっせ。
そういうわけで、世間様がオタクコンテンツをキモイ、不健全だ言わはるのは当然のことであり、この程度問題ない、っちゅーのはオタクバイアスですわナ。
表現規制をやめろと言うのも間違いで、むしろ規制されるべき表現がオタクコンテンツであり、我々は迫害されるがゆえにオタクなのである、ちゅーことですわ。
自分が過去にどのように考えて投票したかを書き残しておいて、後から見直すと面白そうだなと思ったので増田に投下しておく。
筆者の属性としては20代後半男性・インドア派・いわゆるオタクでゲームが好き。
基本的に各候補者についてインターネットで調べて投票先を決めた。前回の総選挙の時と比較すると、コロナの影響もありフルリモートでの勤務になったので、駅前での演説みたいなのには全く触れる機会がなかった。わざわざ人の多いところに行きたくもないし......
ホームページの政策集が読みやすくて好感。内容もまあそうだねという感じ。かなり防衛副大臣・外務副大臣・安保委にいたんだなあというのをすごく感じる。
オタクとしては「内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、クールジャパン戦略、知的財産戦略)」なのにクールジャパンには触れておらず、知財関連も内容が薄いのは気になった。
政策集がないのはどうして......
コラムとかの内容は面白いところもあるし、ブログ記事を見ると政策の内容も掴めないではないが、若宮健嗣のHPを見た後だと情報が掴みにくく感じた。まあ幹事長代理だから立憲のホームページ見ろという話なのかもしれないが......
やっぱり情報を簡単に掴める方が楽なので、次の選挙までには改善されてるととても嬉しい。
公式ホームページは読みやすいが、トップページの6つの政策と、政策の詳細の番号が一致していないのは少し混乱した。
なんだかんだワクチン接種に力を入れて、コロナが落ち着く状態に持っていったというのはかなり好感。
一方で、桜だとかなんだとかのそれ自体の是非はともかくとして、情報公開が進んでいないというのは評価が下がるポイントだった。
民主党の流れを汲んでいないこともない党として、情報公開という面では期待ができそう。例えば事業仕分けもやりすぎではあったし個人的には嫌いだが、プロセスの公開という意味では評価できるポイント。
一方で、本多議員のゴタゴタとかもあって、現状の立憲にプロセスの公開をするという意思があるのか?というのは相当不安なところとなった。
あと共産と手を組んでいるということで投票先としての優先度が下がった。
前回の比例は共産だったが、オタクなのでアニメゲームの規制をどうこうみたいなことを急に言われると流石に入れたくなくなった。
先程の共産の件でもTwitterで反応していたりと、結構身軽に動いているなというイメージ。政策に特に不満もないが、まあめちゃくちゃ実績があるわけでもないという認識。
とはいえ、自民の情報公開に対する姿勢には不安もあるし、今回は国民に入れるか、というくらいの考えだった。これで無茶苦茶をしたら次回は違う党に入れるということで。
AVと右手がお友達のみなさんこんにちは。みなさんはどんな学生時代を過ごしていましたか?
僕はというと、教室の隅でひっそりと目立たず、ノートや教科書の空きスペースに絵を描いてしまうような、そんないわゆるオタクでした。
そういうオタクだとアオハルみたいな青春なんて夢のまた夢でね。
どちらかというと女性に対して恐怖と嫌悪を抱くようになるんですよ。
きもくて肌がぶつぶつで、まるで汚物を見るような目で見てくるあの視線。
同じ人間というよりも虫を見た時の嫌悪感に近いあの目。ああいう目をする女が大嫌いになるんです。
シコシコとムカつく女が成敗されるなろう小説や実は女がオタクで仲良くなるみたいな漫画を読むのもいいんですけど
ちょっと趣向を変えた遊びを思いついたのでみなさんに共有したいと思います。
その名も
です。
読んで字のごとくなんですが若くてかわいいというだけのアホな女が世の中には毎年生産されましてね。
良心的な人なら別に問題ないんですけど、どうにもこういう女って若くてかわいいを武器に結構な率で犯罪してるんですよ。
巷でも言われてるけど、実際どうなんだろうって
匿名の夜職のコミュニティで確定申告どうしてますか?って聞いたら
それまで活発だったやりとりが…し~~~~~~ん…って
これだけです。
Youtuberにアンチコメントを残したりして憂さ晴らしをする人よりは
https://anond.hatelabo.jp/20211019210515
最初に、どんな立場から物を言っているのかを明確にしておいた方がいいと思ったので少し自分語りをする。
自分は昔から漫画も読むしゲームもやる。いわゆるオタクコンテンツで一番好んでいるのはライトノベルで、なろう系もこれは酷いなと思いつつ読んでいたりする。
エロ漫画も読むしエロゲ―もたまにやる。DMMブックスの新規会員割引キャンペーンは既存会員なので知らなかったクチ。
以前「なんでエロゲ―って未だにパッケージ販売にこだわってるの?特典とかいらんでしょ」みたいなコメントを書いたら「こいつエロゲ―やらずに言ってるだろ」と叩かれたことがあるが、やってるから言ってる。
ただ、そういうのは一人で楽しめばいいのであってわざわざ公共の場に開陳しなくていいと考えている。
本記事はid:greenTへの返信の形式をとるが、反論の体はとらず自分の考えとの一致点と相違点を明らかにしたい。
この長文を書こうと思ったモチベーションは最近あまりに攻撃的なコメントが目立つブコメ欄で自分のコメントを読んで考えてくれた人がいたことが嬉しかったというものなので
この段でid:greenTが述べていることは「欲求には本能的な欲求と後天的な欲求がある。そして性欲は本能的な欲求だ」ということだと思う。
これを心理学的に整理すると、マズローの自己実現論にあたるのではないかと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
マズローは欲求を五段階に分け、性欲のような本能の部分を土台の部分の「生理的な欲求」に分類した。
そしてそれ以外の後天的な欲求を生理的な欲求が満たされた後に生まれてくるものとしてさらに四段階に分けた(ここではひとまとめに「社会的な欲求」とする)。
この理屈に従うと、元の自分のブコメで挙げた欲求の例は下記のように分類できると思う。
こうした分類に則って社会的欲求(の一部)を制限する必要があることは認めるが、生理的欲求を社会的欲求に分類してはならないというのがid:greenTの考えだと思う。
自分もここまでは考えが一致するところだ。
では違いは何かというと、実は前提のところに違いがある。
これはマズローへの根強い批判として存在するものでもあるのだが、そんな単純に生理的欲求と社会的欲求を分類できるものだろうか?
先ほどの例はよく考えると色々雑である。
繰り返しになるが生理的欲求を社会的欲求に分類してはならない、ということには賛成である。
ただ、現実的にはどの欲求がどちらに属するのかを明確に分類するのは難しく、人によって線引きが違ってしまうのではないか。
日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意なんてもう既にあって、むしろ搾取や暴力を伴わない性欲や性行動まで一緒に悪いもの、存在しないものにしようとする理想像の押し付けこそ性虐待だし、性暴力を受けた子供や男性や女性が口を噤むことに繋がっているんじゃないか
「日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意」は既にある。
あるのだが、「性暴力や性搾取」と「搾取や暴力を伴わない性欲や性行動」の線引きは人によって大きく異なるのではないか。
「ここまでは生理的欲求だから仕方ないよね」というラインが別の人にとっては許容できない社会的欲求となっているのではないか。
以上が考えが異なる部分なのではないかと思う。
id:greenTは「欲望を勝手に悪に分類するな」と言い、自分は「欲望も制限するべき」と述べた。
「悪に分類するな=制限するな」という意味に受け取ったので「制限するべき」と反論したのだが、この段落を読むにどうも反論になっていなかったようだ。
たぶんid:greenTは性的コンテンツ規制を心底嫌だと感じているので「悪に分類された」と感じており、自分はそこまでではないので「制限は必要」という認識違いが発生していたのだと思う。
自分が制限されたら嫌だと思っていることを意に反して制限されたら「勝手に悪に分類された」と感じるだろうが、関係ない物事が制限されてもそうは感じないだろう。
たとえば自分は登山も趣味の一つなのだが、各自治体が「コロナ禍で山岳救助とかやってられるか!入山禁止な!」と言い出したとする。
登山と関係ないほとんどの人の感想は「ふーん入山制限ね。仕方ないんじゃね」くらいのものだろう。一方自分は「登山者を悪者にしやがって」と感じるかもしれない。
だが、「制限すべき」ものは「悪」ではない。上記の中で明確に悪なのはいじめくらいだろう。基本は「欲望自体は尊重されるものだが、社会のリソースに限りがあるのでみんなで制限も受け入れましょうね」というスタンスを取るべき
自分もそのように思う。
1つだけ付け加えると、後段で「上段でいじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらすものだからだ」とあるのだが
いじめがいじめられる人以外の人間関係の維持に良好な影響をもたらすケースはあると思う。
だが、そういう価値の相対化を許さず悪だと断じなければならない物事もあると考えている。
上記の結論部の一つ目には同意する。ただし…と続きがあるが、それは上で述べた通り。
2つ目については、個人的には性産業大国となりつつある日本で過剰な制限があるとは思っていないがそのように感じることは理解できる。
日本は歴史的に見ても性的に奔放で、AVやエロ本が無い時代でも春画やら吉原やらが存在した。無批判に欧米の基準を受容しても上手くいかないだろう。
身近な例で言うと、近所の小学校の数百メートル先にエロゲ―ショップがあり下校中の小学生がポスターを見ていたりするのはこれまずいんじゃないのと思っている。
しかし、だからと言っていきなり議員が抗議文を送りつけたり法律を持ち出したりして圧力をかけるのは性急すぎる。
エロゲ―ショップに張り出されるポスターも昔に比べるとソフトな表現になり、過激なものは店内だけにという使い分けがなされていると思う。
それでもなおポスターを剥がせと突然言われたら店舗としては規制が過剰すぎると感じるだろう。
共産党もそういうわけで社会的な合意形成を目指そうとしているのだと思うが、合意と言うのは双方の合意によって成り立つので規制される側抜きには成り立たない。
規制したい側だけで話し合うようになってしまわないことを願いたい。
ネットでは時折炎上案件が発生しそれが過剰に取り上げられることによって憎悪を煽る結果を招いているが、社会全体を見ればオタクコンテンツはますます受け入れられる一方である。
これは関係者が世間から広く受け入れられる表現を模索した結果であろう。