はてなキーワード: 黒幕とは
「アイアンマン」シリーズのR・ダウニー・ジュニアが主演した新生「シャーロック・ホームズ」シリーズの第2弾。名探偵は、宿敵との対決へ……。
東京ビッグシティマラソン会場で連続爆破事件が発生。ホームズはかつて自分のもとから去った元妻泥棒のアイリーンが関わっていると推理して跡を追うが、直後、外見がアイリーンとそっくりな真鍋知子が自殺したと考えられる事態が発生し、その別れた夫である相原刑事と知り合った彼女はオークション会場でシムという人物宛ての手紙を残して姿を消す。真鍋知子は警察の外郭団体“青少年防犯協会"で働いており、その理事長・設楽はセクハラ常習者だった。やがて、結婚を翌日に控えたワトソン医師がホームズの元を訪れるが、独身最後のパーティーを主催するはずのホームズは、探偵人生で最も重要な事件に没頭中。彼は世界で起こっている数々の事件の黒幕が、天才数学者で作家のモリアーティ教授だと考え……。
登場人物がみんなそれぞれ歪んだ愛を抱えて、自分の中の愛と社会が衝突していく。それぞれが愛を抱えていくことが出来なくなって挫折していく中、ただ一人主人公だけは自分の愛を貫いて、そして最終話、サムライフラメンコネイキッド。黒幕と相棒後藤に対して全裸での説得、プロポーズ。
私はクライマックスの流れ大好きなんだけど最後の思い出のメールを消されて逆上している後藤に対して全裸でのプロポーズというのはストーリーテリングとして本当によく出来ていて人の感情の動きとしてあり得る、説得力があると思うのよ。
完全に聞く耳持たない状態で本当の親友が素っ裸になって不器用に愛をぶつけてられ、逆上が収まっていつものように「馬鹿馬鹿」と罵倒するまでのあの心の動きをよく描き切ったと思うよ。
あの心の動きを描くためにはサムライフラメンコは全裸にならなきゃいけなかったし、全裸でプロポーズする必要があった。
この全裸プロポーズを唐突なものにしないためにも物語は心無い人が「ネタアニメ」と揶揄するほどシュールな展開を辿らざるをえなかったといえるよね。愛はたとえ歪で不器用でも真摯にぶつかれば敵も味方も世界も救う。サムライフラメンコは愛なんだ。だから僕はサムライフラメンコが大好きなんだ。良かったらうちでサムライフラメンコみようよ、カレーを食べながら。
ネットフリックスにドラゴンクエストユアストーリーがあったから「サウスパークの代償」「怖いもの観たさ」で観てみたら、あんなコテコテのオタクイジメ以外は本当に名作だった。「よくまとめられたな」と感心したくなる出来。
冷静になって「いやいや、ネットフリックス以外も配信している。むしろAmazonプライムビデオで大人気」と勘ぐりながら調べてみたら、マジでネットフリックス独占配信。これはあれですわ。
山田孝之は勇者ヨシヒコだけではなく、電車男 闇金ウシジマくん 全裸監督 と数々の異様な作品で主演をやってきました。とくに全裸監督はネットフリックスで初めての日本実写 フェミニストを激怒させまくっていると悪名高い。
もはや彼がサウスパークの会社でしか配信出来ない作品に追い込む気で作らせた令和の奇アニメと勘ぐってもばちが当たらない。
ネットフリックスがゲームをモチーフにしつつゲーマーを侮辱しながらカルロスゴーンを賛美する作品を山田孝之も何らかの濃い役で参加させるのなら……俺が許す。
だって、狭量左翼の仇敵サウスパークの会社だもん。現実世界でオタクフォビアとキモオタが激しい嫌がらせをするというドラゴンクエストユアストーリーの続編が作られてもおかしくない(悲しい事に山田孝之の力をもってしてもネットフリックスに頼らないといけない)
願掛けや希望的妄想を述べるに留まらず、「政治」に勤しむものが目立ってきた。あれこれ「気を遣って」管理職を抱き込み、職務割当や座席配置が希望通りになるように操作している。
毎日毎度よくある小さな出来事までも、政治的駆け引きのネタと化している。誰かが誰かの隙を狙っている。
そういうことがあちこちで行われ、誰かが誰かに勝っただの負けただのを繰り返していると、どこかで歪みが生じる。
その歪みを吸収するのは、非正規だったり、正規の木っ端だったり、中堅年齢でありながら「どんくさい」人だったりするわけであり。
(かといって非正規を無視放置すると、いつの間にか非正規がその部署内での事情通かつ権力者になってしまい、誰も逆らえなくなったりすることはある)
そうはいっても、組織の勢力図が大きく書き換わることは少ない。いくら「政治」でも、中枢にいる人にまで力を及ばせるのは至難だ。
それでなんだけど、私の新年度の座席がどう考えてもおかしい。誰かが管理職へ吹き込んだのは間違いなくて、その黒幕の正体も見当はついている。
しかし、私はそんなにうまく立ち回れない。
一人息子を戦争で亡くした元連邦の技術者テム・レイは復讐心から、ジオン統治下のサイド7でレジスタンス組織に身を投じる。
その組織を支援する謎の男(シャア)の要請で、ジオンのザクを凌駕する新たなマンマシーンの設計開発に没頭するレイ博士。
そんな日々の中、博士はある噂を耳にする。
馬鹿馬鹿しいと聞き流そうとした博士だったが、その世界では戦争で活躍したアムロという少年兵が戦後のアイドルになっているという。
「レイというらしいんですよ。その少年は。それで博士のことを思い出して。」
「どこから死んだ息子のことを聞いたのか知らないが冗談にもならないことで私を怒らせる気か!?」
その噂話を悪い冗談だと激怒しかけるが、その場にいた謎の男(シャア)もその噂を知っているといって博士を制止する。
一方、噂話を調査していたジオン秘密警察の手先カイ・シデンはアムロ・レイが実在していたことを突き止める。
テム・レイ、カイ・シデンにマークされてレジスタンスであることが露見する。
カイ・シデンの情報から、謎の男(シャア)は視察に訪れていたカルマ・ザビの殺害に成功する。
その頃には噂話は書籍となって流布していた。
ジオンの情報検閲を逃れるため、文字通りの物理的な本となっている。
ガンダムと題された、その本ではテム・レイ博士がガンダムの設計者として登場し、息子のアムロ・レイはガンダムの操縦者となっていた。
そして国父ジオン・ダイクンの息子として、謎の男(シャア)とそっくりな男が登場している。
この噂話を広めた黒幕は謎の男だったのではないか?と、推測するレイ博士。
ガルマ殺害から、レジスタンスへの追求は厳しくなり、サイド7からの逃走を余儀なくされるレジスタンス達。
ホワイトベースという船名の古ぼけた貨物船に乗り込んで逃げる。
ホワイトベース出港。
謎の男、ガンダムから全世界に向けてテレビ演説「私の名はアムロ・レイだ。」
第一話終了。
なんか1時間くらいの米国ドラマを観ているような感覚で上記のような夢を見た。
夢だからもうちょっといい加減だけど、無理くり文章化したらこんな感じ。
続きが見たい。
(大前提として、大ヒット漫画はいずれも漫画としての技量やキャラクターの魅力は全く文句の付けようなく、
そもそも毎週や毎月決まった原稿を仕上げる作者の並々ならぬ努力と実力に対し、自分は常々感服していることを申し添えます)
敵に絡めてバトルで解決しようとするから、味方にも犠牲が出ざるを得ない。
バトルは非現実的だから、いざ現実での解決の糸口は提示されないし、
重い敵に対するバトルだから、みんなの推しがじゃんじゃん死ぬ。
これでは、つらい現実の再生産になってしまっているのではないのだろうか。
一方で、「つらい現実の痛みを忘れる別の痛み」が求められており、その役目を見事に果たしているのも事実。
だから、つらいのに、そういう作品は事実として大大大ヒットしている。
そしてまた、そういう作品をつくることに情熱を傾ける作者が現れるだろう。商業的にはまさに「正しい」のだから。
この悪循環は、悲しい。
一人ひとりは全く誰も悪くない(漫画のような黒幕などいない)から、なればこそ一層に悲しい。
話は広がってしまうが、
俗にいう「なろう系」もまた、つらさを痛みでなく逃避(転生)や攻撃(ざまあ)でまぎらわせるタイプが圧倒的主流であり、
方向性は逆に近いにしろ、いずれも創作物がつらさへの対応を主として求められている傾向だ。
商業的なヒット作の多様性は、薄れている傾向があるのではないだろうか。
作者も読者も自由意志で、その先で需要と供給が嚙み合っているので「問題ない」で片付ける意見も重々承知だが、
「再生産」とは怖いもので、現代日本を覆う沢山の問題も、特定の悪性によるというよりは、
個々は善良な人々が、和を乱す変革を先延ばしにした果てに、「再生産」が「悪循環」に化けた故のものばかりだと思う。
どんな漫画も、それが愛好されることも、個々では全く問題ないのだが、
その背景となっているつらい社会に、なんとか変わって欲しい。
こんなきれいごとも世の中ににあっていいし、あればいいと思わせてくれるような、
Qから10年後、シンジは週刊誌で働く記者になっていた。芸能人のゴシップばかりを追う日々に疑問を感じており、地道に事件取材を重ねても、「ネタにならない」と上司にボツを食らい続ける日々が続く。
そんなある日、取材の一環で東京拘置所に収監中の死刑囚となっていたトウジに会いに行くシンジ。久しぶりに会う旧友に対し、トウジは面会室のアクリル板越しに、誰にも話していない3つの余罪について告白すると言われる。
上告中の身であるトウジがなぜそんな不利になるようなマネをするのか理解できなかったシンジ。その疑念に対し、「どうしても許せない奴がシャバにいる」「そいつがシャバでのうのうとしていることが許せない、そいつを追いつめて裁きたい」とトウジは言う。
シンジはトウジとの面会記録をまとめ、上司に見せるが、「死刑囚が余罪を告白するなんて、犯罪小説のようでできすぎている」と言われ、本格的に取材に入る許可は下りない。しかたなくトウジの依頼を断りに行くシンジだったが、反対にトウジの熱意に説得され、個人で調べ始めることになってしまう。
次第に取材にのめりこんでいくシンジ。無精ひげを生やしながら事件を追い続ける様子は次第に鬼気迫るものを帯び始める。
調査の結果判明したのは、トウジの犯罪の裏にはすべての犯罪の絵を描いていた黒幕が存在すること、その人物は保険金殺人、死体遺棄等、一連の犯罪行為を指揮したうえですべての罪をトウジになすりつけ、自身はのうのうと逃げおおせている、という事実だった。その人物は、「先生」と呼ばれていたという。
事件の裏付けを取ったシンジはひげ面のまま出社し、上司に取材の成果を突きつける。上司はそれを誌面に載せることを許可し、記事は社会的に大きな反響を呼んだ。
やがて警察も本格的に再捜査に乗り出し、ついに「先生」が検挙されることになる。裁判の結果、判決は無期懲役となったが、立件できたのは保険金殺人のみだった。
落胆を隠せないシンジをさらなる衝撃が襲う。審議には収監中のトウジも証人として喚問され、その過程で、トウジが自らの死刑執行を先延ばしするために「先生」を巻き添えにしたこと、その走狗としてシンジを利用したという事実が判明したのだ。
…「先生」を検挙するために常軌を逸した執拗な取材に身を投じたシンジ。物語の最後、面会室でシンジと会った「先生」は、アクリル板越しにこう言った。「ひとつ教えてやる。私を殺したいと一番思っているのは、被害者の遺族でもトウジでもない」。そして、こつ、こつとシンジに向けた人差し指でアクリル板を叩くのだった…。
映画を見た。詳しいタイトルを挙げるとネタバレに繋がるのでぼかすが、2010年代前半に作られたミステリもので、犯人は40代の男。
動機は70年代に未解決のまま終わった事件の黒幕を捜し出し、復讐すること。男の父親は事件によって殺されていた。
こういう物語は、どんどん減っていくんだろうなと思う。
昔を生きていた人間が年老いて死んでゆけば、過去の犯罪を因縁に持つ犯人は減っていく。私が見た映画だって、舞台が現在(2021年)であれば成立し難い。犯人は50歳を超えているので、少なくともアクションシーンを少し削らなければ。
公的組織の不透明さ、捜索技術の不足、それによって生み出されるわだかまりだとか未解決事件というのは、時が進むにつれ減っている筈だ。
※根拠として示せるものは特にない。映画を1本見た素人の所感なので。
ミステリーの舞台は事件現場から建物の中へと移っている気がする。(※示せるものは以下略)
警察は本当にそんな部署を抱えているの?と言いたくなるような分析組織(監視カメラの映像や前科者のデータが壁一面に映し出されていて、監禁場所を特定する凄腕ハッカーなんかがいる精鋭部隊)が舞台のドラマをいくつか見た。
最新の電子技術を使った捜索、脳や精神の研究者が活躍するミステリー。
犯人の行方、身元が技術の進化によって「謎」でなくなりつつある今、ミステリーは新たな「謎」を求めてより未知の領域へと足をふみこもうとしている。(※素人の以下略。しかし移り変わる先はともかく、昔の推理小説を読んでいたら、「そんなの監視カメラを辿ればいいんじゃない」と思うことが偶にあることから分かるように、過去の題材は、進歩した現在で「謎」になり得ないことがままある。)
ずっと昔、今では義務教育で習う出来事を誰も知らなかった時代、ただの自然現象は「謎」であり「魔法」、「奇跡」、「神の仕業」であった。
それが次第に解き明かされていくと、今度は人間の行動に焦点をあて、物語の謎とした。
じゃあその次は?それらは今現在有名な推理小説作家の作品と並べられるだろうか。
大昔の謎から生まれた物語が神話、伝説とされミステリーとは並ばないように、私達が今楽しんでいる小説、ドラマ、映画も、無知な人間が描いた娯楽作品とされる日が来るかもしれない。
過去に迷宮入りした事件を最新(2010年代)のテクノロジーを利用して暴いていく犯人を見ながら、ぼんやりとそう思った。
本当に素人の考え。