はてなキーワード: 苦痛とは
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貧乏人にデブが多いのは別に炭水化物が安いとかそういう理由じゃない。
貧乏人がデブなのはそもそも野菜食う気が無いんだよ。高いとか安いとかの問題じゃない。そもそも損得が考えられないんだよ。その証拠に低年収のやつほど喫煙率が高い。パチンカスもガチャ廃もたぶん低年収のヤツのほうが多い。
だから野菜が高いっていうのは意味が無い。キャベツや人参が安かろうが奴らはカップ麺を食うだろうな。カップ麺の方が快楽を手軽に摂取できるから。
貧乏人だから、高い野菜を買えずに、カップ麺ばっか食って太るんじゃないんだよ。
損得の計算ができないから、貧乏人で、カップ麺ばっか食ってるデブなんだよ。
貧乏人がデブで怠け者でクズなのは、基本的に目先の苦痛から逃げて、目先の快楽を追っているからだよ。意志とかじゃなくて脳の作りのレベルでそうなってる。でもそういう事を言うと、お前らが大好きな「可愛そうな貧乏人」のストーリーが崩壊してしまうから誰も指摘しない。(1%くらいはお前らが大好きな『脳の作りがちゃんとした貧乏人』もいるんだろうが、99%を無視するなら"物語"でしかない。)
私は中年の男性で配偶者もおらず、孤独の日々を過ごしております。
この頃はリモートでの業務も多く、人との関わりもますます減って参りました。
とはいえ職場に親しい間柄と言える人間ももともとおりませんでしたので、結局はなにも変わりません。
そうは言ってもインターネットの、そしてSNSの賑やかな雰囲気には惹かれるものがあり、暇があればTwitterを眺め、人との簡易的な関りをそれに求めていました。
TikTokは短い動画がたくさん投稿されているSNSで、若者がほとんどですが、中には私と同じくらいの中年も混ざり必死にダンスを踊っていました。
中年のダンスなどだれも見向きはしないだろうと思いましたが、以外にも好意的な評価も多く、女子高生や女子大生と思われる女の子からもコメントをもらっていました。
私は、せっかくだから自分も参加してみようと思い、慣れないダンスを覚え、動画を投稿してみました。
しかしながら、私の動画は再生される事なく、コメントももらえませんでした。
私は失意のうちにアプリを閉じました。
それでも次の日、私は再びTikTokを開きました。
若者たちが、元気にダンスを踊ったり、おどけたりする様子が非常に快く、それらは私を元気づけ、私の孤独の日々に彩りを与えるように私は思ったからです。
そのようにして沢山の若者の投稿を見るうちに、私は何か創造欲求のようなものを抱きました。
その時、ふと私は下半身に強い衝動を覚えました。みると私のちんぽが勃起していたのです!
私はこれだ!と思いました。
早速、ティッシュを持ってくるとTikTokで「バーレスク東京」と調べ、彼女たちの投稿に合わせて、私は私のちんぽをしごきました。
私の創造は閃光のような恍惚とともに一瞬のうちに終わりました。ティッシュにはまるで藤田嗣治のそれのような見事な乳白色の絵の具がぶちまけられていました。
私は、深い息を吐きながら、言い知れぬ達成感を覚えました。
幾日かすると私はその創造行為だけでは、衝動を抑えられなくなりました。
私は私の投稿に対して、女子高生や女子大生からの反応が欲しいと強く思うようになりました。
その強い創造欲求が私に動画投稿を促す事もありましたが、一方で冷静な私は、そのような動画に反応はもらえない、20代の女性から「ファンです。結婚してください。」というコメントは貰えない、という事を強く自覚していました。
私は深く悩みました。
「ドリアン」は、最新鋭の音声投稿のみによって交流が行われるコミュニティアプリです。
私は、「この禿げ上がった頭も、ぶよぶよと全身を覆う脂肪ももはや関係ないんだ!」と思い、天にも昇る気持ちでした。
容姿とは裏腹に、私は声にはとても自信がありました。
恐らくこの声をフル活用すれば、女子高生や女子大生は私のとりこになるに違いありません。
私は早速投稿をはじめました。
「ドリアン」では日常のちょっとしたことの報告や一発ギャグなどを投稿します。
私はユーモアがありますから、私の投稿は途端に人気になりました。まだまだ発展途上で人が多くないのもその理由かもしれません。
いまでは私は「ドリアンこそ、私の居場所だ!」と思っています。
「ドリアン」にはもちろん若い女の子もいますから、タイムラインからは女の子の声も聞こえてきます。
私はそれを聞くたびに強い創造欲求を覚えながら、「私の声」で女の子に語りかけます。
私は自分に都合よく相手の言動を解釈することで、心が折れてしまわないようにする癖があるようだ。
他にも、今回のことで自分について色々なことがはっきりしたように思う。
例えば、私は素敵な人を見つけると、自分の想像(妄想)の登場人物にして、頭の中で勝手に理想的な未来像を拵える。もちろん、私自身が都合よく頭で拵えた虚構なので、その通りに現実が推移してくれるなんてことはまずない。よって、一時妄想に浸って麻薬のようなうっとりした時間を過ごした後、厳しい現実を突きつけられて激しく落ち込む。それはもう生きているのが苦痛なほどに。それが今。
そもそも普段は自分を騙し、努めて感じないようにしてはいるが、私にとって生きていることは辛いのだろう。好きになった人にこれだけ入れ込んでしまうのは、言ってみれば他に打ち込みたいものが人生にないからだ。一種の依存だと思う。少し寂しそうで、心に傷を負っているような人を好きになるのも、こんな自分でも役に立てるような気がするからだろう。私もきっと心の底では、自分自身が生きる意味とかなんとかを求めているんだ。
私はあの人の役に少しは立てた、とは思う。でもあの人には、私以外にも大事な人がいて、頼れる人もいて、打ち込みたいものもあって、あの人を救うんだと宣っている私なんかよりもずっとずっと強い人だった。
ちゃんと自分の境遇を受け止めて、それでも出来ることを探して、必要な行動がなんなのかを見極めて、辛くても一歩ずつ前に進める人だった。
私のように、他人の不幸を心の奥底で歓迎しながら、優しいふりをして自尊心を満たそうとしたり、自分のやるべきことや自分自身から目を逸らして、動かない理由だけを理論武装して、余裕があるように振舞っている小心者の卑怯者とは器からして違っていた。私はなんと人間として小さく、甘えたで、未熟なんだろう。
10代の頃の方が、もう少し大人だったように思う。少なくともやるべきことはやれていた。「学校に行って授業に出席してテストでそこそこの点を取る」という行為は、幼少期から習慣化されていたおかげで、朝はとても辛いけれど、親の叱責や学校はサボってもいいという発想がなかったことから、なんとかやれていた。それが普通だと信じていたし、普通をやることに今ほど抵抗もなかったから。
言語化してみて思ったことだが、やはり10代の頃の方が大人だったというのは誤りなんだろう。あの頃も私は自分勝手で、やりたいことなんてなかった。ただ普通の生徒をやれていたし、成績は悪くなかったから、自分にそれほど不満がなかったのだろう。やりたいことなんて、ない方が普通だった。部活とゲームをして本を読んで塾に通っていれば人生にそこそこの点数がついたのだ。「人生に点数をつける」という行為の是非は置いておいて、要は他人も自分も心配しないですむような人生は送れていた、という意味で。
長い。人に読んで欲しいならこんなつらつらと書きたいだけ書きなぐるような文章はおよそ適していないけど、まあいい。読んで欲しいわけじゃないといえば嘘だけど、自分の気持ちの整理のためだ。
そういえば、さっき猫に餌をやりながらミルクティーを飲んでいたら、少し心が満たされた。あの人はもう、私に餌を求めてはこないとわかってしまったから。
・浄水ポット
水のペットボトルを買うのも受け取るのも苦痛だったので、気軽に飲料水を作れるのはありがたい。
浄水速度がめっちゃ早くて、500mlが10秒ぐらいでろ過される。
一人暮らしで飲料水として使うだけなら、ポット自体の容量は必要ないなと思った。
お水おいしい。
たいして凝った料理はしないけど、冷凍ピザを焼きたくて買った。
最安商品でもいいかなと思ったが、ちょっとだけいいやつを選び、タイガーのコンベクションオーブンを買った。熱風がファンで回るやつね。
しばらくオーブントースターを使ってなかったので、コンベクションの効果はわからんけど
とにかく焼き立てのピザはめっちょ美味い。ピザが丸ごと入る広さも良い。
その発言をしたシチュエーションにもよるだろうけど、女性側の苦痛を考えたらカジュアルに発すると顰蹙を買う言葉ではある。
たとえ熟考した上で子供が欲しいと言ったとしても、男性側の「男は精子を出して気持ちよくなるだけで父親になれる。」ことは変わらないわけで、それが「父親としての実感も湧かず、子供に対して性的虐待や暴力もできる」原因で主張するのはちと言い過ぎなのではないか。
ファッションのファの字もないが、いつも同じ服を着て過ごしている。正確には2着の服を交互に着まわしている。
さすがに夏は夏服、冬は冬服を着ているが、衣替えも少なく抑えて最小限の服だけで何年もローテーションを回している。
たまには違う服を着ろとも言われるが俺は同じ服を着続けたいのだ。
前に5着ぐらい服をまとめ買いしたこともあったが、そのうち3着は買ったことすら忘れ、
結局2着だけのローテーションに落ち着いた。
服の着心地、肌触り、それらが変わることが俺には耐え難いのだ。
服が変わると肌触りが変わり、それが俺には苦痛となる。
ファッションなどというものより、服の着心地が変わらないことのほうが俺にはよほど重要だ。
あと、いつもと同じ服を着ていないと俺は不安になる。
毎日違った服を着ている人は、よく服を変えて不安にならないな、と思う。俺には無理だ。
その点で学校に着ていく制服、会社に着ていくスーツというものはとても楽だ。
こういう服は俺みたいな人間にとっての救いだ。なんなら休みの日もスーツを着ていたいぐらいだ。
いっそ国民全員に人民服の日本版のようなものでも配られないかな。
そうすれば俺は喜んで一生着ると思う。
突然、勃起する。
無修正のアダルトビデオと見比べるかぎり、私の男性器は人並み以上の体積がある。
私の彼女は時々失神するほど、私の怒張した男性器を悦んでくれる。
それなりのモノだ。
そんな私は突然、勃起する。
淫らな想像など何もしていない際に、通勤電車内であろうと社内であろうと、お構いなしに勃起する。
故に下着の間に挟まっている正常時から勃起をし始めると、とてつもない苦痛を味わうことになる。
本当に折れてしまうのではないかというありえない角度であるにもかかわらず、お構いなしに勃起する。
上昇角度の修正を行いたいのだが、人前である場合にはそれも叶わず、人知れず悶絶の試練に耐えざるを得ない。
同士諸君。
貴兄の知恵を拝借したい。
尚、私は真剣に苦悩している。
真面目に答えてほしい。
皆さんは生きていて楽しいですか?私は全く楽しくありません。私の人生は苦痛でしかありません。私のような社会不適合者には明るい未来などありません。一生搾取され続けるのでしょう。絶望でしかない。だから私は、こんな惨めな人生とおさらばするのです。所謂リセマラです。もう未来には絶望しかありません。ニートになるよりはましなのでは。親孝行にもなるのでは。そう思えてくるのです。何が楽しくて生きているのかが分からない私には、もう何もないのです。
掻把手術は負担が大きい手術だ、やめるべきって話になると、なぜか9割がた中絶の話しかされない。
そうすると詳細を知らない人たちは当然、「中絶の罰として苦痛が多い方法が温存されているのかな?」と思うだろう。
しかし実態は全く違うのだ。中絶だけではない、流産ですらこの方法が今もなお用いられているのだ。
とにかく女の体が軽視されているという点に尽きるのだ。
望んで妊娠したとしても誰しもが行わなきゃいけない可能性があることだ。
中絶も流産も処置は同じ、胎児が生きているか死んでいるかの違いはあるが、どっちも細胞を体外に出すという処置が必要になる。
受けるたびに「なんで妊娠失敗してへこんでるところにこんな高リスクの旧来のクソ手術受けさせられなきゃなんねーんだよ!」という気持ちでいっぱいである。
どういうことなんやこれは。うまく妊娠できなかったすべての女への罰なんか?お?
内臓に無理やり器具突っ込まれて、内臓の内側ガリガリされるんだぞ、おえ~~!
なんでこんなクソ手術受けなきゃなんねーんだよ。
むしろ今すげーヒマ。
コロナへの対応も一通り終わって、材料不足の連呼で今年の仕事適当に切り上げつつも「その分はデータベースの管理といった業務改善を行い長年の課題だったマニュアル化などにもこの機会に着手しペラペラペラウッスッペッラッペッラ」で何とか誤魔化したからマジで暇。
んでまあ有休とかも今のうちに使えモード入ったのですげー時間あるのよね。
そうなると今まで遊べなかったヘビーなゲームにも手が出せるじゃん?
そんなもんだから久しぶりにソーシャルじゃないガチのゲームやろーかなーって据え置きゲーム機かったらすげー面白いの。
マジ?
まあウマ娘も最初の一ヶ月はつまらなくはなかったけど、ゆーてソシャゲの中ではって話だったんだね。
バシっと5万ぐらい電気屋に叩きつけて新作ゲーム買っちゃえば本当信じられないぐらい楽しいわけよ。
まあ1本50時間ぐらいでクリアしちゃうとしても、1時間100円だと思えば安い娯楽だわな。
思えばここ3年ぐらいスマホでしかゲームやってなかったら衝撃的だったよ。
コントローラーのボタン10個ぐらい使ってピコピコ遊ぶ本格的なゲームがこんなにも熱中できるものだとは。
小学校のときに親に初めて買って貰った時ぐらい熱中しちゃったわ。
デイリーレースとか出れば数クリックでゲームない通過貰えるけど、そんなのより俺は今すぐ楽しいゲームをやりたいんだってね。
いやーなんで今まであんなに一つのゲームの中でしか使えないアイテムに執着していたんだろう。
ゲームを楽しみながらついでに貰えるならいいけど、アイテム貰うためにやるゲームが苦痛になってきたらもう無意味じゃん?
気づくのに時間かかりすぎたわ。
毎日増田を巡回してはブクマして、1000個に1つくらい有益そうなものを見つけて、それはそれは砂の中からきれいなガラスを見つけたような気分でいました。それがホッテントリに上がる頃には自分で書いたわけでもないのに、「ワシが育てた」ような感覚になり、大層気分がよかった記憶があります。月に2000記事くらいブクマするとホットエントリには自分の知っている増田しかあがらなくなります。当然というか、端から端までブクマしていたらそうなるもんです。
砂の中にはとげとげしたなにかだったり、皮膚の端切れが混じっていたり、そう、どちらかといえばきれいじゃないものばかりがありました。それらを見るたびに、聞くたびに不快な思いをしたり、こんな悩みがあるんだな、とフィクション作品のような消費をしたりして、今思えば当時なりの自傷行為だったのかもしれません。それも甘っちょろいものですが。増田の新着記事をPocketで聞き流すのはやめたほうがいいですよ。寝られなくなったので間違いありません。寝られても、呪詛を聞き流したことで悪夢を見ました。
それで、こんな過去のように話しているのは、現在では離れてしまったということに他なりません。でも、増田が悪いわけじゃありません。単純に働きだしたらブクマできなくなっちゃいました。
世界のどこかの誰かの、たわいな日記に時間も意識も割けなくなっちゃいました。新着エントリを眺めても全部が、ほんと全部がどうでもよく見えて、短い文章でも読んでいられなくなりました。今年のGW頃にそれがピークを迎えて、ちょうど弱者男性論のエントリしか挙がらなくなったホットエントリを見て折れました。労働が辛くて、今すぐにでもやめたくて、でも労働できるだけ恵まれていて、でも何もしなければ弱者になってしまって。そんなこんな環境の変化と、ネットを埋める弱者男性論に完全にノックアウトされました。
平日へとへとになって働いて、帰ったら何もできなくなっています。社会人って恐ろしいですね。これがあと数十年続くなんて、本当に絶望しています。毎日この世に呪詛を吐きながら生きています。死ぬほどではないですけど、なんでこんなに辛いんでしょうか、新卒の時期はそんなもんなんでしょうか?よくわかりません。
ファーストブクマカをしていた去年は学生で、それはもう世間知らずでした。だから上から目線のブコメなんてのは到底する気にもならず無言ブクマか、あるいは大喜利をしたりしていました。無垢すぎて笑っちゃいますね。でも今はなんか、どうでもよくなってしまいました。どこかの誰かの日記に、偉そうに一方的にブコメしたくなる気持ちも分かってきました。もう、誰かに配慮する力なんてなくなっちゃうんですね。辛い労働をするとそうなってしまうんですね。短絡でしょうか。でも、もう考えたくないです。インターネットが悪意で、憎悪で振り回されるのはそれはもう当然で、この世が憎悪で溢れているように、それがただミラーリングされただけなんですね。ネットリテラシー、画面の先の相手を思ってコメントしよう、匿名だからこそ互いを思いやって、だって、笑っちゃいますよね、そんな配慮する余力なんて、残ってないですよ。
増田にこのような自嘲的日記が挙がるのはよくあることだと、おそらく私が一番しっています。いろんな人の悩みが掃いて捨てるほど深夜に投稿される場所です。とはいってもこれも憎悪や苦痛がインターネットにミラーリングされている一部なのだと思います。そしてそれが自分にも回ってきたというだけです。
もうこの話はやめましょう。増田は人生相談コーナーではないので。
労働はクソ
今年で30、生活は豊かとは言えず自分ひとりで生きていくのが精いっぱい。
結婚はしないのかとしきりに聞いてきた親はもう気を遣って何も言ってこなくなった。
親含め先祖様には申し訳ねぇなって思いながらも、ぶっちゃけ結婚すら無理だなって悟った。
別に俺なんかの血が途絶えたところで社会にはなんの影響も及ぼさない訳だけど血が途切れるのはこんなにあっけないものかと感じる。
そう考えるとなんだか無性に寂しくなる。
学生時代の友達、つっても数人しかいないがそいつらはなんだかんだでみんな所帯持ちになった。すげーって思うのと同時に俺何やってたんだろとも思う。
別に怠けていたつもりはない。ただ社会人になって追われるように日々を送っていたら30になってた。
俺には仕事をやりながら恋愛やら趣味を広げる器用さは無かった。
もっと言うなら学生時代に彼女作れてなかった時点で詰んでたんだろうな。
学生時代からずっと異性と縁のない人生を送ってきたけど、ふと体育祭のリレーの光景を思い出した。
運動音痴の自分には体育祭など苦痛でしかなかったが、リレーのアンカーを任された奴の自信に満ちた表情、女子に声援を浴びる姿を羨ましく感じていた。
そんな俺が先祖さん達が繋いできた命のバトンではアンカーになったらしい。
もちろんただの皮肉だ。
面接してもぼろくそ言われておちるしもういいやってあきらめ状態
まだいいんだ、いやよくないけど
家にいるのがつらい
働いてるときに好きなものを月に一回ゲームのソフトを買うくらいの趣味があった
ネットで予約して買い物をしていてだれにも迷惑かけてるわけじゃないと思ってた
というかゲームで誰かに迷惑かけるってないよね家のこともしてお金もいれてたしというか給料の半分は家に入れてたし親の欲しいものを買ってプレゼントしたりもしてた
それでもネットで買い物するな!そんなくだらないものかうな!ってずっと言われ続けて買うのをやめたとたんストレスがめっちゃでてきて会社にいることが苦痛になるほどになってきた
というかおそらく自分のためにかったでかい買い物がPS3を新品で買ったくらいの記憶しかない
好きなものを買うって悪いこと?貯金なんてないし借金しかない現状どうしたらいいんだろう
小さいころから役に立たないばかだばかだ近所のあの子はお前と同い年なのに頭がきれるのにどうしてお前はそんなにクズなんだって言われて
好きなこともやっているとすぐに文句を言ってくるから寝るくらいしかできない
家をでたいがためにバイトでもいいから働き口を探しても落ちるしもう生きてる意味あるんかね
早く仕事みつかってほしい
私と先輩との2人飲み。行きつけのお店は混んでて、お客さんは入ってて良かったなと思った。
私はお酒に強い体質らしい。
家族も父以外は強くて、カクテルとビールは酒で無いという価値観で育った。
いや、カクテルもビールもれっきとしたアルコールを含むお酒で、20歳以上じゃないと飲めないんだけど、
家では、お酒が強い人間が多くて、カクテルやビールはいくら飲んでも酔っ払うことは無いって考えなんだわ。
というか、お酒全般、飲んでも酔う事はほとんど無いと言っていい。
ごく稀に体調が悪い時に飲んでしまって、お酒に酔ってるなーと思うことはあったけれど、
今はお酒の飲み方も覚えているから、酔いそうだ(体調が悪い)と思う時は、お酒を飲まなかったり、宴席自体を断ることもできる。
飲んでも楽しくもならないし、ぽわーんと気持ちいい感覚もない。
しらふとほぼ同じ。頭の回転が早くなってるかな?とは思う。あと冷静になる。
(あの人のグラスが空きそう、お料理の取り皿が足りなくなってる、○○君は酔っ払ってきてるからお水を頼もう…とか、気がつく感度が高くなる)
正直、私にとってはお酒はただの苦い水で、味も美味しく無いし、飲んでも何も変わらないから、1人では全く飲まない。飲む意味が無い。
飲むとしたら、今日みたいに誰かと一緒で、その人が飲みたいと思っている時だ。
飲みに行こうよーという人は、だいたいぶっちゃけトークをしたかったり、自分の話しをしたい人だと思う。
特にコロナ禍で飲み会が禁止状態だったから、お酒を飲んでストレスを解消していた人はさぞ辛かったであろう。
だけど、私はすごく快適だった。
お酒に誘われることもなく、相手の話しを一方的に聞くこともなく、お金も減らない。
空いた時間は、本を読んだり、自宅でオンラインイベントに参加したり、家族と過ごしたり、お酒の入らない状態で友人とWEB会話したりと、私にとっては凄く充実した時となった。
が、緊急事態宣言が明けて、お酒が好きな人は「待ってました!」とばかりに飲みに行っている。
ありがたいことにお誘いもいただく。
私はお酒が飲める方だということも、それなりに知られている。
ただ、私は、お酒は飲めても好きでは無いのだ。
体質的に(恐らく)アルコール分解速度が早くて、人より少し「これ以上は体が気持ち悪くなる」ラインを知っていて、それ以上飲め飲め!と言われた時はのらりくらりとごまかしているだけなのだ。
(飲め飲め!言ってくる人はだいたい酔っ払いなので、ごまかしてもバレはしない)
酔っ払いの話しなんて、ほぼ中身が無くて、言ったことは忘れられることがほとんどだ。
一緒に飲んで、楽しくなって、訳がわからないけど皆でガハハやるのが楽しいって思えれば良かったのだろうけど、
お酒は不味いわ、自分は陽気にもならず楽しく無い、相手は酔ってて話しは適当になるって、
私にとっては全く良いことが無い。
つーか、お酒まずい。
美味しいお酒はあるかもしれないけど、アルコールって苦いじゃん。
私にとっては、気分が高揚しないただの苦い水もしくは苦い炭酸水なのよ。
果物から絞った果肉入り100%ジュースやお茶の方が、私は美味しいと感じる。
もうお酒飲みたくないし、酔った相手の適当な話しを聞くのも苦痛だし、結論を言うと、お酒が無いと成立しない場なんて無くなってしまえばいいと思っている。
なぜ、お酒が好きな人は、お酒が入った席で話されたことこそが本音で、これがないと関係性を深められないと思っているのだろうか?
お酒が無いと襟を開いて話せないのだろうか?
それって只のコミュニケーション不全なだけじゃん。
お酒入らなくたって、食事するだけでもいいじゃないかと、お酒に酔うことがほとんど無い人間は思うのです。
実はかなり久しぶりの飲みだったんだけど、全然楽しくなくて(楽しく盛り上がってる風にしてたよ!)、お酒も美味しいと感じられなくて(そこそこのお店だったから安酒という訳でも無い)
今後、お酒の席は断ろうかなと思っている位なんだ。