はてなキーワード: 総ナメとは
気づけば、ずっと文章を書いていた。
初めは確か二次創作を書くようになって、そこから色んな小説を書いた。
集中力も想像力も足りなくていつも短い小説ばかりだったけれど、ネットで出来た友人とごくわずかな現実の友人たちは皆言葉選びが上手い、天才だ、涙せずにはいられないと絶賛してくれた。
国語の成績だけがずっとずば抜けて良くて、中学生の頃から模試を受けたら偏差値が70以上あった。他の教科は大体偏差値が30~45ぐらいでずっと先生に怒られていたから、私はもう一生国語だけ頑張って生きていこうと思った。
高校に進学する直前の春休み、私は国語漬けになれる日々に期待を膨らませ、ずっと夢想していた。
高校ではエッセイやらなんやらと色んな文章を書く授業が用意されていた。その授業で文章を褒めそやされて、たくさんの賞を総ナメにする。そして有名大学に進学して、安定した職を得る。その傍ら小説を書き、小説家として活躍する……そんな妄想だった。
しかし、そんな妄想が現実になることはなかった。いつだって選考結果に私の名前はなかった。
そしてそんなことが数度繰り返された頃には、薄らと自覚していた。
私には様々な能力が足りない。
人を惹きつける書き出しを生む能力、書きたいことをまとめて取捨選択する能力、話を上手に展開する能力、そしてなにより独創性。私の文章は「よくある」の枠にいつだって留まった。
私が感じた喜びも、悲しみも、怒りも、孤独も、既に誰かが言葉にした後だった。私は誰かが既に言葉にした感情を継ぎ接ぎして、それっぽく見せるのが上手だっただけ。二次創作ですら大して売れずに燻っているのは、それっぽいだけで中身が伴っていないからだ。
こういうことをここで書く人間が、痛いと言われることを知っている。それでも書くことをやめられないから、やっぱり私は痛い。
名前が無いこの場所なら、自分が何者かになりたいなんて考えずに吐き出せると思った。でもそうでもないね。この文章が誰かの目に留まって、あわよくば色んなところで話題にあがればいいのになんて思ってる。話題にあがったとて、これを書いたのは私です!とか言ったら恥の上塗りをするだけなのに。
オミクロンの重症化率について誤解されがちなポイントを総ナメした人を見つけたので、ちょうどよい機会と捉えて解説メモを残しておきます。
参考: f:id:Knoa:20220110164945p 入院と重症の推移 (直近はデルタによる入院も多いけど、オミクロン患者を全員入院させている影響もあるはず)
あと、重症化率とは別の話だけど、仮にインフルエンザ並だったとしても、かつてないほど大量の人が一斉にインフルエンザになるようなら、社会生活のあり方を一時的にでもどうにかうまく変えないといけないのは間違いないよね。
圧倒的な強さを誇っていた超人が、全盛期を過ぎて勝てなくなってきてもなお競技に打ち込み続ける姿が好きだ。
世の中には、強者がその実力に翳りが見えてきた段階でいち早く引退することを美徳と捉える風潮もあるが、私はむしろ完全に勝てなくなるまで戦い続けるかつての超人にこそ美学を感じる。
「引き際」とか「有終の美」とかいう言葉はひとつの価値観だとは思うが、それが美しいのはあくまでレベル80~100の並のプロの話であって、レベル150の超人にはあまり似つかわしくないと思う。
その世界を完全に制覇した超人たちにとって、勝てなくなった自分の姿を晒し続けるメリットは本来多くはない。
かつての栄光を思えば屈辱は多く、ファンを失望させるのではないかという恐怖も大きなものだろう。
それでも超人が競技を続けるのは、おそらくひとつの時代を作ってしまった超人なりの責任の取り方なのではないだろうか。
敗北し泥にまみれながらも、次の世代へと時代が移り変わりつつあることを自分自身と世の中に対して納得させていく儀式。
あえて超人がその儀式を行ってくれるからこそ、次代の選手たちは「超人がいない時代だからトップになれた」という中傷から開放され「超人を正面から打ち倒した新星」の称号を正式に手にすることができるのだ。
ハミルトンに引導を渡されるまで戦い続けたミハエル・シューマッハ。
レギュラーから外れてもなおギリギリまで現役であり続けたイチロー。
藤井聡太という新たな超人の登場によって世の中に世代交代を期待する逆風が吹き荒れ、かつて総ナメにしたタイトルを次々と失いつつも今なお戦い続ける羽生善治。
彼らが全盛期を過ぎてもなお全力で挑戦を続けるのは、心からその競技を愛していることの証拠であり、また次代の競技者に対するせめてもの餞なのだと思う。
そういうの初めてだからちょっと恥ずかしいけどこれからも少しずつやっていこうと思う
動画を撮るにあたって狭い部屋の模様替えなんかをした
YouTubeとかInstagramで色んな人の見て思ったんだけどさ
今ってその筋の一流のプロよりさ
中途半端なユーツーバーの方が再生回数も登録者数も何十倍も多いんだね
娯楽性が強かったりイロモノで単純に目をひくようなのが結局は有名になるんだよね
庄司紗矢香と葉加瀬太郎じゃ葉加瀬太郎の方が有名で人気もあるだろうし(数の話)
まあ別にいいんだけど
俺は庄司紗矢香にも葉加瀬太郎にも人気ユーツーバーにもなれないし
好きな事こつこつやってくさ
今流行りの、真田様(Twitter @sanada_jp)が描かれている同人女の感情シリーズの漫画、実に面白い。立場の異なる様々な同人女の心境をそれぞれの視点で描いてくださっていて、共感することもあればそういう考え方もあるんだと気付かされることもあり、楽しませて頂いている。しかし、お陰で私という同人女は数年前の憎悪に近い感情を思い出したのでここに吐き出す。数年前、私が過ごしていたジャンルに突如綾城さんのような方が現れて、ジャンル全体の雰囲気が一変してしまったときの話である。
その方をここでは彩城さんと呼ぶ。彩城さんはいわゆる神絵師で、フォロワーは5桁、一つ絵をアップすればいいねが3桁は当たり前、という方だった。一枚絵はめちゃくちゃ綺麗だし、漫画も頻繁に描かれていた。質が高いだけでなく筆も早くて数日に1回程度は作品をTwitterに上げていたと思う。そんな方が当時の自ジャンルに現れたのだ。自ジャンルはとあるソシャゲで、時期的には旬だったのかもしれないけど人口はそんなに多くないってなジャンル。あまり詳しく書くとバレそうで怖いのでこのへんにしておく。私も同人女の端くれとしてたまに作品を上げてフォロワー同士でいいねを押しあったり、新作イベのストーリーやガチャで一喜一憂したりととても楽しく過ごしていた。そんなところにある日突然彩城さんが舞い降りた。
RTで回ってきた作品の素晴らしに息を呑んだ。どこかの神絵師様が友人リクエストとかで気まぐれに描いたのかな?とそのときは解釈した。しかし度々RTで神作品が回ってくるものだから彩城さんのホーム画面を覗きにいくとなんとそのジャンルにハマったという。気づけば私の相互フォロワーたちも既に数名が彩城さんのフォロワーになっていた。私もフォローした。彩城さんのパワーはすごかった。先ほども書いたように高クオリティの作品を高スパンで上げるし、萌え語りも面白い。そのジャンルの新しいフォロワーとも、前ジャンルと思われるフォロワーとも直リプなり空リプなりしまくっていた。(本物の綾城さんはおけパ以外と絡んでるところはあんまり見たことないけれど、この彩城さんは周りと絡みまくるタイプだった。)
素敵な方がこんな弱小ジャンルにやってきてくださった!と始めはただただ嬉しく思っていた。しかし、ちょっとずつ異変が起き始める。周りの人たちが、彩城さんのCPに引っ張られていく。私はA×Bが好きだったのだけれど、彩城さんはB×A派だった。まあ私はA×Bといいつつも左右完全固定というわけではなく逆も摂取するので、彩城さんの作品も楽しく見させて頂いた。しかし周りはどうだ。A×B仲間だったはずが「最近はB×Aを見るようになってむしろそっちにハマってしまった」という人、全然違うカプだったはずがB×Aにハマった人…マイナーというほどではないけど少なくとも最大手ではなかったはずのB×Aが、見る見る大手に名乗りを上げてしまった。でも、それほど彩城さんの作品は魅力的だった。キャラや世界観の解釈にやや甘い部分はあったけれど(歴が浅いのだから仕方がない)、原作破壊というほどでもなく絶妙に独自の世界観が差し込まれていて、読んでいて心地が良かった。悔しいながらも「こういう人を神絵師様っていうんだなー」と、唐突に自ジャンルに彗星が如く現れた存在を尊敬するような達観して見ているような目線で見ていた。
しかしこの彩城さん、ジャンル移動が激しいタイプだったのである。(綾城さんを見ていても結構ジャンルを行ったり来たりしている印象があるけれど、神様たちってそういうものなのだろうか。)彩城さんにフォロワーがとても多いのも、神作品たちによって見た者のハートをがっちり掴むということもあるけれど、各ジャンルを渡り歩いて各界隈でのフォロワーたちをがっちりハートキャッチしてきた成果だったのだ。そして今回もまた、我がジャンルで創作してはいいねを総ナメにしていって一年弱くらいで去っていった。公式自体の勢いが縮小した影響もあるけれど、ほぼ同時期にジャンル移動する人が続出した。そのとき私は、「自ジャンルが破壊された」と感じた。残されたのは、B×A(元々私の逆カプ)の人口が微増し、ジャンル全体として人口が減少した気がする自ジャンルであった。公式縮小の影響もあるから彩城さんだけの責任ではもちろんないのだけれど、そのときはめちゃめちゃに彩城さんを恨んでしまった。一緒に活動してた相互さんたちはそのまま自ジャンルに残りながら彩城さんのツイッターはフォローし続けてる人、彩城さんの次ジャンルに引っ張られた人、色々いた。私は自ジャンルを破壊していった(と当時思っていた)彩城さんが別ジャンルで楽しそうに活動している様子など見たくないのでブロックした。
今ではさすがにその憎悪も落ち着いたし、その後私もしばらくしてジャンルを移ったのだけれど、もしも初めから彩城さんが現れなかったらどうなっていたのかなと今でも考えてしまう。彩城さんは別に何も悪くないし逆恨みなのもわかってるけど綾城さんを見ていたらそんなことを思い出してしまった。綾城さん、作者の真田様、勝手に名前をお借りしてお気持ちを吐いたご無礼をお許しください。
こんにちは、同じ界隈を追っていた者です。
投稿者様の書き込みに深い共感を得たため書き込ませていただきました。
私が違和感を感じたのはイラコンの選考の時でした。受賞イラストが発表された時に何かおかしいと思いました。
明らかにクオリティの高い界隈外のイラストを差し置いて一部の仲良しグループが賞を総ナメしていました。もちろん素敵なイラストもありましたが受賞イラストの中にはイラコン発表以前の使い回しの物や明らかに片手間で書いた落書きがありとても悲しい気持ちになりました。
私も30時間ほどかけたイラストを応募しましたが選ばれませんでした。
勿論自分が選ばれなかったのは単純な画力不足な為であって全く持って不服は無いのですが、もし私がもっと絵を練習していて誰が見ても文句ない最高のクオリティのものを応募した所でツイッターで作者への媚びリプライや界隈内の馴れ合いに参加しなければ絵を見てすらくれなかったのかなと思い悲しくなりました。
私はまだこの界隈を諦めたくありません。とても辛いです。
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私はまだこの界隈を諦めたくありません。とても辛いです。
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私が違和感を感じたのはイラコンの選考の時でした。受賞イラストが発表された時に何かおかしいと思いました。
明らかにクオリティの高い界隈外のイラストを差し置いて一部の仲良しグループが賞を総ナメしていました。もちろん素敵なイラストもありましたが受賞イラストの中にはイラコン発表以前の使い回しの物や明らかに片手間で書いた落書きがありとても悲しい気持ちになりました。
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私はまだこの界隈を諦めたくありません。とても辛いです。
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私が違和感を感じたのはイラコンの選考の時でした。受賞イラストが発表された時に何かおかしいと思いました。
明らかにクオリティの高い界隈外のイラストを差し置いて一部の仲良しグループが賞を総ナメしていました。もちろん素敵なイラストもありましたが受賞イラストの中にはイラコン発表以前の使い回しの物や明らかに片手間で書いた落書きがありとても悲しい気持ちになりました。
私も30時間ほどかけたイラストを応募しましたが選ばれませんでした。
勿論自分が選ばれなかったのは単純な画力不足な為であって全く持って不服は無いのですが、もし私がもっと絵を練習していて誰が見ても文句ない最高のクオリティのものを応募した所でツイッターで作者への媚びリプライや界隈内の馴れ合いに参加しなければ絵を見てすらくれなかったのかなと思い悲しくなりました。
私はまだこの界隈を諦めたくありません。とても辛いです。
日本アカデミー賞から一晩明けて、『シン・ゴジラ』が俳優賞以外をほぼ総ナメしていたことについてほとんど話題になっていないことが諸行無常を感じる。
ところで、
今回の日本アカデミー賞は、結構ネット上の評価及び集客を考慮に入れて選考を行っていたように思う。
『シン・ゴジラ』は言わずもがなだが、『この世界の片隅に』『きみの名は』のようなアニメ作品が最も話題になった事は
流石に無視できなかったらしく、主演女優の問題により闇に消すはずであった『この世界の片隅に』は最優秀アニメーション賞に選ばれ、
作品の出来はともかく『君の名は』が脚本賞や音楽賞に選ばれたことからもわかる。
これらの作品は何らかの賞を付けておかないと絶対に批判が起こるからだ。
これまでの日本アカデミー賞では類を見ない快挙であったと思う。
これからも、何かを訴えるような作品ばかりが選ばれるばかりでなく、これらのような娯楽作が選ばれるような賞であって欲しいと思う。
短評
記事が上がればプラス評価しか上がらない超優良企業。全員サクラなんじゃないかと思わせるそのマスゲームっぷりは日本が世界に誇るCool Japan。
他の競合他社は割とボロクソ言われてるので、独禁法違反に抵触させないためのコマぐらいにしか思ってなさそうである。
短評
いずれも評価は高めだが、必ずしも満場一致とはいえない企業群。無印良品は高いという声が多い(消費税増税時に価格を据え置いた時でさえ)。任天堂はゲハ成分+近年の低迷+つい最近のアレなど、マイナス振れ幅も大きいものの、スプラトゥーン周りの話題に限れば文句なしのTOP3圏内である。ヤマト運輸はそのきめ細かいサービスで運輸業では圧倒的支持率であるが、なぜかはてなー達の間で評価総ナメっぷりをキメるほどには至らないので、まだまだサービス精神が足りないんだと思う(ゲス顔)
小学生の頃から格好いい建物を眺めているのが好きだった。いつしかそんな建物を自分も建てたいと思うようになっていた。気がつけば美大の建築科を卒業し、アトリエ系と俗に言う有名建築家の事務所の門を叩いていた。この時はまだ、漠然と、自分ができる限りの努力を続けていれば夢は自然と叶うものだと信じていたのだ。
同期はすごい奴らばっかりだった。某有名建築家の息子として将来をメディアにも期待されている芸大出の奴。東大の建築科を出た、1を聞いて100を知るような奴。また、何も建築家はこの事務所だけから出ている訳じゃない。同世代の建築家志望の奴がコンペで賞を総ナメにしているらしいだとか、海外の有名アトリエで活躍しているようだなんて話は聞き飽きるほど耳に入ってきた。
俺はこの先、そんなチートとしか思えないような奴らと勝負していかないといけないのかと思うと、目眩がした。
だからこそ、どんなに低賃金でも、どんなにコンペ前に徹夜が続いたとしても、そいつらに追いつこうと働き続けた。俺が今まで積み重ねてきた努力、俺が今まで抱き続けてきた夢を簡単に見限るようなことはしたくなかったからだ。
先日、街でバッタリ大学の同級生に会った。奴は一端のサラリーマンみたいなカッコで、着実に社会人に成長したようだった。切り詰めた生活費で買った俺の服を見て、お前は昔のままだなと笑われた。立ち話も何なので、カフェに入り、近況をお互い話した。どうやら最近は一般企業である設計事務所で積算をやっているらしい。本当は建築家になりたかったのだけど、世の中夢ばっかりじゃないからさ、なんて知ったふうな事を語っていた。
奴は、やっぱり安定した収入と、ある程度のやりたい仕事を両立してこそ社会人だという。クリエイティブを追い求めるだけが本質じゃないと。君はずっと夢を追って、いつまでも大学生の頃のような格好をしていていいのかとハッキリ言われた。ものすごく腹が立った。俺がどんな覚悟で、いつか一流の建築家として図面を引く日を夢見て努力しているか知っているのか。ついつい、口をついて、夢を諦めた奴の嫌味になるような言葉が出てしまった。
帰り道、俺はなんだか虚しい気持ちで帰路についた。この道はどこまでも険しい。そんなことは言われなくても、自分が一番よくわかっている。
つまるところ俺は、夢を諦めきれないのだ。諦められないから、存在するかすら分からない栄光の未来のためにこうして身を粉にして働いているのだ。奴の言うことは限りなく正しいと思う。世の中すべてリスクアンドテイクだ。そして、今の生き方はあまりにリスクにまみれすぎている。
だけど、俺は今すぐに夢を諦めて一般企業勤めの安定した生活をとるかといえば、答えはNOである。たとえどれほど険しかろうと、道はまだ閉ざされていない。本当に無理だとわかる時、そのときまで全力を尽くし続ける。
いつか自分が早々に夢を諦めたことを後悔させてやる、見てろよ、と俺は去っていく同級生の背中に誓った。可能性がそこにある限り、まだまだ頑張れる。
非常にマイナーなゲームで知る人ぞ知る「ウミガメのスープ」というゲームがあるのだが、はてなerの人達なら知っている人も少なくないだろう。
このゲームは水平思考を鍛えるゲームとして一時期ネットのライフハック()クラスタの話題を総ナメにしたけど、今となってはもう過去のゲーム。
未だに出遅れた一部の人間がプレイしているものの、古参はすっかり居なくなってしまったのが実情だ。
ウミガメのスープに着想を得たと思われ、おそらくウミガメのスープの128倍は有名なゲームakinatorも今ではすっかり名前を聞かない。
ウミガメのスープの人気が失われた原因の一つにそもそもキャッチフレーズでもある水平思考を鍛えるという文言に胡散臭さが漂っていたことは否めない。
水平思考は論理的思考(垂直思考)の対義語で、ロジカルシンキングだけではカバーできない思考領域を補完するものとして現れた、ということになっている。
水平思考ではアイデアを大量に広く考えることを求められる。これはロジカルシンキングの前工程にくる「仮説立案」のステップを鍛えているという位置づけである。
なるほどいくら論理思考によって仮説を論理的に検証できても、そもそも独創的な仮説、固定観念に囚われない仮説を考える能力がなければ駄目というのはその通りである。
そういう意味では水平思考が一部で話題を集めたのは良い傾向だったのだが、いかんせん水平思考を鍛えるゲームの質が悪すぎた。
繰り返すがウミガメのスープというゲームなのだが、これはやったことのある人なら分かるだろうが発想力がそれほど鍛えられない。そして時間がとんでもなくかかる。
さらに出てくる問題のパターンが決まっており経験者なら8割以上の問題に既視感を抱くことだろう。問題のパターンが決まっているため解き方もほぼ決まってくる。
こんな具合であるから、「これでは水平思考が鍛えられないわな。流行らないでくれよ。」と私は世間で話題になりかける頃に思ったものだ。まぁ流行りはしなかったが。
それでもゲームとしては面白いから一昨年までは時には徹夜までしながら連日熱心にやり込んでいたものである。
それが昨年になって完全に下火となって、私は相手が居なくなったこともありすっかりやる気を失い全くやらなくなってしまった次第である。
ウミガメのスープが水平思考ゲーとしてはクソゲーなのは分かったが、じゃあどんなゲームなら水平思考が鍛えられるって言うんだい?と思った人は多いだろう。
あいにくゲームではないが、例えばこんな習慣を身に付けたほうがウミガメのスープなんてやるよりもよほどマシである。
人間は意識せずとも心の中に思考が浮かんでくることがある。これを心理学では自動思考と呼ぶが、自動思考は明確に意識されないことが非常に多い。
自動思考は意識せずに発生するわけだが、発生した自動思考を意識することは可能なのであって、意識することで発想力の幅が広がるのである。
例えば、みんなに嫌われている人がいるとして、その人に対してなんとなく「意外といい人だな」とチラッと思っても、理性が「いやそんなはずはない」と打ち消して忘却の彼方に追いやってしまう。
しかし、後にその人と仲良くなってそこで初めて、以前にいい人だという印象をチラッと持ったことがあるのを思い出す。そういった経験があるはずだ。
そういうなんとなく思った自動思考をなるべく捕まえて明確に意識してみよう。さらにここが大事なのだがそれを5秒で言葉にしてみよう。
なぜ5秒かというと時間が経過すると自動思考を忘れてしまいやすいだけでなく、印象が理性によって塗り替えられてしまうからだ。
塗り替えられて改ざんされた自動思考はもはや原型をとどめておらず、常識や先入観にまみれたつまらないものになっているだろう。
だからなるべく速く言語化して元の感覚が色あせても思い出せるフックを作っておくわけだな。
フックとしての役目を果たすためにはなるべく独特な表現を使うのがいい。「意外といい人」では月並みすぎる。
「ライオンのようないい人」はどうだろう?ライオンのように乱暴そうに見えて、実は気がやさしい、という意味である。
さっきFacebook見たら、中学生の頃に、一緒にバックパッカーになって世界中を旅しようね♡って約束した友達が一人でフランス旅行に出かけ素敵な写真をたくさんアップしていました。勉強も部活も生徒会もとてもデキる人だった。人望も厚く、なにより面白くて魅力的で優しい自慢の友達だ。そういえばこの前はインドに行ってたな。
彼女は私が憧れることを総ナメしてきた。とくに大学で離れてから、mixiやFacebookで垣間見る彼女の姿に劣等感を感じて一方的に距離を置いた。一緒に登下校し、隣でご飯をたべ、部活で汗と涙を流したというのに。くすぶってパラサイトしながら非正規労でクソのように生きる自分と素晴らしい人間に成長した彼女を比較してしまう。なぜこんなにも自分はダメなんだろう。精神的呪縛にかかってるような息苦しさにうまく息が吐けなくて吸えない日々を何年も過ごしている。
さらに、同じように仲良しだったもう一人は彼女と頻繁に遊んでいるようで写真をみるたび、うらやましい反面、今更自分がその日の当たる場所に行けないということを突きつけられる気がしてがっかりします。
愚かなことだと思います。
凹みます。
予想に反して、控えめに「うん」と即答された。